山口小夜の不思議遊戯

山口小夜の不思議遊戯

PR

×

バックナンバー

2026年08月
2026年07月
2026年06月

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2005年09月26日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 それからまもなくして、武人はおのこのみの会議を招集した。

 混乱のうちにはじまり混乱のうちに終わっていた最近の思惟とはちがい、いまの彼は自分がなにをしたいかはっきりと承知していた。
 最後のひとりが二の丸の小屋の自分の席に着く前から、彼は心の中である計画を練りはじめた。
 今度一緒に中学にあがる、自分の右腕であった剛の開会の宣言に耳を傾けながら、武人は計画をもっともうまく実行にうつす手立てを考えていた。
 武人は会議を短くおさめようとした。長引いたあげく何も決まらない話し合いの類が、彼は好きではない。

 そして武人の頭には明快きわまるひとつの指針があった。
 さて頃合いというとき、彼は雄弁にすばらしく理路整然とした演説をくりひろげ、新しい大将に必要な類まれな勇気、集落を守るというたったひとつの目的、責任と影響力についてひとつひとつ語った。

 そして最後に、新しい大将を決めるに当たっては、そのことがそのまま集落の命運を分けることを念頭に置き、一番善かれという人物を選ぶよう話をしめくくった。

 話が終わると長い沈黙が落ちた。誰もが彼の言うとおりだと感じていた。


 彼は手首にまわした数知れぬ腕釧の玉をぼんやりとつつきながら、焦点のさだまらぬ目で炎を見ていた。

 武人はあえて声をかけないままでいた。
 子供たちにとっては永遠とも思える長い沈黙が落ち、やっと豊は自分が武人の凝視にあっていることに気づいて、顔を上げた。

 ふたりの目が合ったとき、武人は言った。
 ──ゆた。おまいはどう思う。おまいの考えを聞きたい。

 はじめ豊は、なにも答えなかった。
 だがその茶緑色に透ける瞳は、武人の魂をまっすぐのぞきこみ、豊のおだやかな表情に、武人は大将としての今までのすべての出来事が労われたかのような安らかさを覚えた。

 それから、武人を見つめる豊の口元に屈託のない笑みがよぎり、精神の静けさを感じさせるあの声が、二の丸の小屋にしみわたった。

 ──皆で大将を選ぶのが正しいとは思えん。大将たるをようわかっとる者が、それに見合う者を決めればええが。

 返事をする武人の目が一瞬、小さくきらりと光った。
 ──皆で決めはせん。んだが大将はあんちょくにゆずれるもんでもない。 それは善いやっちゃがやらねばならん。相生の相生たるところをよく示せるもんが。


 一分が過ぎ、武人は頭の中で、信頼のおける仲間たちの顔を次々に思い浮かべ、自分の在任中のその労をねぎらった。

 そして、武人はつかのま目を開くと、豊にこう告げた。
 それは、名称いしきなの、大将としての最後の言葉であった。

 ──おまいがやるだ。おまいが、大将を選べ。

 一同が話しの急展開に息を詰める中、ややあって豊の声が静寂を切り裂いて、二の丸に響いた。


 会議はおさまるべきところにおさまって終わった。


 本日の日記---------------------------------------------------------

 言葉が違おうが、習慣が違おうが、おてんとさまとお米はどこにでもついてくる──。

 私にそういう確信があるのは、鳥取時代を過ごしたからだと思うのです。

 プロフィールを読まれた方々から、中国留学時代について書くようにとのリクエストを、ひとりならず(ひとり‘だらず’じゃないで!)からちょうだいするので、鳥取のこともまだたくさん書きたいのですが、今日は少し、中国留学のさわりだけでもお話しできればと思います。

 中国大陸の奥深いところは、
 「なくてもある」
 という一言に尽きます。

 商店やレストランでも、客が要求しているものが「ない」ことはしばしばですが、おとくいさんや馴染みの客があらわれると「ある」に変わることは周知のところです。

 これは省庁の手続きでも同じことがいえます。
 私は甘粛省は敦煌に三ヶ月間滞在した後、そのまま帰国するのが当初の予定でした。敦煌には朝日新聞の制度の一員として派遣されていたからです。
 けれども、三ヶ月の研究期間を終えた後、二週間ばかりタクラマカン砂漠を横断、トゥルファン、ウルムチ、クチャ、キジル、クムトラなどなどをまわり、高昌故城で玄奘三蔵が孫悟空たちと飲み会をしたときのビール瓶のかけらなどを集めながらも無事北京にたどりついたとき、私の胸のうちにあったのは、
 「もうこの国から離れまい」
 という強い思いでした。

 で、至極当然のごとく「留学しよう」と思ったのですが、三ヶ月も中国大陸のただ中にあって、私はもう中国の体質を理解していました。
 北京に着いたその足で中国外交部(日本の外務省)に押し入り、
「あたし、今日から留学したいんだけど、手続きしてください」
 とフツーの顔をして言い切りました。
「北京大学には空きがない」というので、
「じゃ、美術史のある大学ならどこでも」と要求し、
 中央美術学院(日本の芸大に相当するから、ちょっと違うんだけど)ならあるというので、「わかった。今日その大学に行きます」と答えました。
 その場で推薦状を書いてもらい、大学に赴いてそれを提出し、めでたく留学が決定。その日のうちに王府井(ワンフーチン)にある、故宮を望める留学生宿舎の八階に落ち着くことができました。

 これが日本だったら、どうでしょう。
 リュックをしょった小汚い外国人が、外務省に入っていって「今日から留学します。でも今まで手続きはなにもしていないので、こちらで今してください」と言ったとしたら。留学の手続きなど、半年も前に完了していなければならないものでしょう。
 日本は、「ない」ものは「ない」のです。 
 中国は、「ない」ものは「ある」国なのだから、こちらが「ある」といえばすぐに「ある」の方に筋道をつけてくれます。

 私の場合、パスポートも旅行者用のものでしたから、ビザの申請はそれから13回も行い(ほとんど不法滞在です)、朝日新聞からいただいた帰国用の航空券で一時帰国したのは、それから半年後のお正月のときでした。ビザの申請が13回もされていたので、もちろん成田空港では「ありえない」と捕獲され、「ありえたんだって」と説明するのが大変でした。

 日本人って、こんなにアタマが硬かったっけ?

 と思ったものです。
 日本の官僚さんたち、政治家の皆さん、中国に外交上「NO」と言われても、「YESって言ったの?」と言い張っていれば、いつのまにか「YES」になってるんだから、もっと押しを強くして頑張って!

 以上が私の中国留学のプロローグです。おそまつさまでございました。

 明日はこの章の終わり●綾一郎と豊●です。このふたりは、この先とても仲良しになるのですが・・・。タイムスリップして、まずはご挨拶といったところをご覧あそばせ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005年09月26日 08時56分48秒
コメント(8) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: