山口小夜の不思議遊戯

山口小夜の不思議遊戯

PR

×

バックナンバー

2026年08月
2026年07月
2026年06月

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2005年12月11日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類



 寝苦しい夜だった。
 まだ七月に入ったばかりだというのに、闇は熱をもって喘いでいた。
 熱帯夜と呼ぶには生易しい。渇き切った大気が闇の湿気を貪り喰らうような凶暴さで。

 去年は降り続く長雨にたたられて、夏がなかった。
 今年はその埋め合わせのつもりなのか──梅雨がない。
 初夏のさわやかさが、いきなり真夏の暑さにすり替わってしまった。

 朝から雲ひとつない蒼穹が恨めしい。
 連日の真夏日に、どこもかしこも、誰も彼もがうだっている。


 今宵、何度目かの寝返りを打ちながら、豊は小さく呟いた。
 足元の扇風機は熱を孕んだ風を送りつけてくるだけで、それ以上なんの役にも立たない。
 こういうときは、つくづくエアコンが欲しいと思う。今の今、無い物ねだりをしてもしようがないのはわかっていたが・・・・・。

 寝つかれぬ夜。身体が渇く。

 ため息まじりに寝床を抜け出し、長い長い廊下の行き止まりにある土間に下りていき、麦茶の入った巨大な薬缶を見い出す。
 立て続けに、コップで二杯。
 それでも、まだ喉の渇きは止まらなかった。
 そして知る。
 寝苦しいのは、熱帯夜のせいばかりではないことを。

 山がざわめいていた。
 風の唸りではない。


 今年は、二十八年目の夏に当たる。
 そのせいだろうか。七月に入ったばかりなのに、なぜか、血がふつふつと滾るような気がした。身体の芯まで、ちりちりと熱を持っているようだった。

 このままでは、とても眠れそうにない。
 豊はため息をもらした。

 ──水風呂でも浴びるか・・・・・。


 そして、足音をしのばせ風呂場に向かいながら、ふと気づく。

 いつもは開け放たれている次兄の部屋の引き戸が、今夜はピタリと閉じられている。
 京都の大学の医学部に通う静(しずか)が帰省しているのだ。この暑さに参ってしまったのだろう。エアコンのきく部屋にひとりで逃げ込んでしまっている。

 ──しょうがないやっちゃな。

 二番目の兄と、末の弟の身分の差は一家のなかでも歴然としている。アルバイトでもして購入資金でも作るかと本気で考え始める豊であった。

 残り湯は、まだ熱をもっていた。そのせいだろう、扉を閉めると、広大だが密室になった風呂場はとたんに檜の香りに蒸した。
 蛇口を思い切りよくひねり、ためらいもなく冷水を浴びる。

 だが、熱くほてった身体を冷ますには、まだ何か足りない。

 そう──タリナイ。

 身体の芯が妙にくすぶっていた。
 熱をもって疼くような、血がざわざわと凝集してくるような。

 それでも全身に水を流そうとして、豊は立ち上がった。
 冷水のなかで身動きしたとき、ある突然の感覚が彼を押し包んだ。大祭の準備のための禁忌に満ちた暮らしをこなしているうちに取り紛れ、あまりに久しく忘れていたために、はじめのうちはなにを感じているのかもわからない、あの衝動だった。

 浴室のあいだを微風が通り過ぎ、天井のほうでやわらかく碧(みどり)の色にわだかまってくるのを、彼が気づくことはなかった。
 背中をくすぐる冷水は、なめらかな羊水のようだった。例の感覚はどんどん高まっていき、豊はそれに屈した。

 その瞬間、彼は考えるのをやめていた。その動きを導くものはなにもなく、映像も言葉も、記憶もなかった。

 だが、性急に事に及ぼうとするその背後には、天井にわだかまっていた何かが実体を増し、うっすらと緑に透ける影が立っていた。
 それは、浄水を厭わず、ひそやかに豊の足元に忍び寄る。ゆったり、滑るような足取りで。

 人の形のようでもあり、だが明らかに人間のそれとは違う。

 はじめに、ぐるん、と世界が一回転し、意思に反して豊の膝が折れた。まっすぐ立てと脳は命令しているはずなのに、身体がだんだん前のめりになる。急激に全身をめぐる麻痺の感覚・・・・・・。

 ──貧血?

 朝礼で倒れた少女を介抱したことはある。その時は自分には一生訪れない現象だと、タカを括っていた。自らの身に起きた場合の対処法など知らない。頭の芯に、氷を突き立てられたような恐怖感が一瞬にしてその身を凍えさせた。

 だが、ともすれば薄れそうになる視界で、豊はそれを見た。

 目を射たのは、淡い緑の霧だった。

 思わず目を瞬いても、それは消えなかった。
 そして、いきなり全身をつま先までの痺れが襲い、豊は思わず体勢を崩して床に倒れこんだ。

 ほとんど無意識に身体をひねる。
 だが、半身はピクリともしなかった。

 そして、気づく。
 その重さが何であるのかを。

 ──っ!
 豊は思わず絶句した。信じ難い、だが夢ではない現実を目の当たりにして・・・・・。

 床一面にこぼれ落ちる、濡れそぼつ銀色の髪。翡翠の輝きに閃く瞳。肌は蝋燭を流したようにぬめっている。そして、真っ赤な唇。
 その明らかな異形が、豊の全身を凍らせる。

 ──だれ・・・・・・だ、おまえ・・・・・・。
 言葉の震えは隠せない。

 《それ》は豊を舐めるように見まわし、その惑乱の様を悦ぶように、うっそりと嗤った。
 ──・・・・・・おまえごとき小童、名乗る価値もないわ。

 哄笑の籠もった言葉に、豊が目をすがめる。
 悪夢から目覚めようとするように、かぶりをゆっくりと振る豊の顎をとらえて引き寄せ、その下唇を長く伸びた鋭い爪で押し下げる。乳歯のように小さく整った歯並びが露わになるのを見て、《それ》はにたりと唇を吊り上げた。

 ──もっとも、おまえたちは好き勝手に、我を神とも呼ぶがな。

 刹那、顎を鷲掴みにされた豊の瞳が凍りついた。
 そうやって豊を金縛りにしたまま、淡い緑の霧の檻が、あたりを真空へとゆっくり包み込んでゆく。

 思考を手放す前に、何か制止の言葉を怒鳴ったような気もする。

 ふたたび意識がもどってきたとき、彼は天を見上げ、周囲の壁が動くのと一緒に視界が回るのを眺めていた。仰向けに転がって、死体のような形で両腕をわきにつけてまっすぐ伸ばし、冷水のしとど流れ落ちる風呂場の床に、ゆらゆらと漂っていた。

 それからまた、あらゆる思考をなげだして、豊は目を開けたまま半時間ほどそうして横たわっていた。






 今後この連載が途切れるようでしたら、かの者に呪殺されたと思ってください。

 明日は●円●です。“まどか”と読みます。‘えんちゃん’でいいよ! とのことです(笑)。
 豊の一番年の近いお兄ちゃんです。兄弟のなかでは一番の仲良しさんでもあります。
 タイムスリップして、不二屋敷の軒下に集まりなんせ。


 ◆お読みいただけたら 人気blogランキングへ
 1日1クリック有効となります。ありがとうございます。励みになります!







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005年12月11日 07時49分15秒
コメント(4) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: