山口小夜の不思議遊戯

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2005年12月22日
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 蒼くまぶしい月影に照らされて、視界を埋め尽くす原生林の緑が鮮やかだった。

 降り注ぐ月の光を抱きとめるかのように、大きく枝を張るブナの原生林。

 しっとりと緑にけむる大気の濃さは、錯綜する樹木の枝から発散される沈香に姿を変えながら、豊の身体にまつわりつく。まるで口づけするかのように。

 きらめく一葉。
 滴る月光の雫。
 苔むす根床。

 そして、静かに時間が止まる。あたかも、ひめやかな「気」の目覚めを促すかのように。

 そうして厳かな静謐は、犯すことのできない聖域の結界となるのだろう。

 人知の思惑を超えた、《神》と《魔》との密約のもとに。





 もとより、この兄弟たちのことである。
 絶対沈黙を守っての道行きなどはありえない。

 ──なぁ・・・・・しずさん、なんで滝の裏の洞穴(ほらあな)っちゃなんかな。

 山の斜面を進みながら、円は松明を手に何度も背後をふり返って言った。
 今ここにいるなかで最もほがらかな彼は、今も森の沈黙をぶち破って饒舌だ。

 なぜか静と和と円を露払いにして四人して辿る、奇妙な道程である(←遼は途中ではぐれた)。

 ──肝試しも兼ねてるんでしょ。
 ──なんして肝試しだいや。
 ──うろ様の勝手でしょ。
 ──なんじゃい。そんな言い方しよると、うろ様に好かれんで!
 ──二十歳を過ぎた男が可愛い物言いが出来るかい。


 円と静の言い合う声をさえぎって、豊は思わず注意をくれた。円は菜の花とか見ても、からし漬けにすると旨そうとか思うに違いない性質を持った兄だ。
 彼はそれこそ何も考えないで野花を踏みつけて歩いているが、足元に生える夏草は湿気と月の滴を含んで、煌々と光っている。

 自由にならない腕のせいで、足元がおぼつかない豊の両肩を、傍らから和と円が支えてくれている。

 ──昔は輿(こし)に乗ったらしいで。それでやっぱり今日みたいに四人の男が運んだって。



 それに・・・・・豊は森に入ると変化(へんげ)をするのだ。
 木々の葉を溶かしたような深緑色の瞳が、妖精みたいに妖しく暗闇に光る。ぽつりぽつりと口を開く者もあるが、末弟の様子を気遣って、ともすれば、奇妙な沈黙が落ちる。

 ──払いたまえ・・・・・清めたまえ・・・・父と子と神霊との御名によりて・・・・・、

 だが、ただひとり、長身のなりに合わない気弱な呪いをぶつぶつと何事かをつぶやいているのは、
 ──変わんないねー、のどさん。
 豊はショック死体みたく顔をこわばらせている和に声をかけてやる。

 ほとんど霊力がないくせに異様なほどオバケ恐怖症の、お隣さんの田中一族に生まれるはずが、不二一族に場所を間違えて生まれてきてしまった三番目の兄。
 恋人と特殊なホテルに入ったはいいが、額縁なんかあると裏をすかさずチェック、お札でも貼ってあろうものなら、その後のセオリーは成立しないほどの気弱なヒト。

 円がニヤッと豊に耳打ちをする。
 ──そっとしといてやれよ。まーた例の理由で失恋したってこと知らないの、おまえだけだっちゃ。
 ──ええっ。そーなんだ?
 豊の頬がみるみる生気を取り戻し、耳の中で大当たりファンファーレを聴いている顔になる。

 ──じゃ、相手ってやっぱ、瓦町のメガネスーパーん中にふたりでいるの、まどとわしで偶然見ちゃった時の女(ひと)?
 ──あーそれそれ!
 円が笑い声をあげる。
 ──のどさんとしては、夏休みに高原リゾート三日間の夢を見たわけ。

 ──黙らっしゃい。
 自作の奇妙な呪詞(まじないことば)の間に、和がボソッとうめく。
 大学院受験と並行してまで、旅行資金獲得のためバイトに励んでいた和だったが、破局と同時に彼の夏休みは宙に浮いてしまった。
 他の兄弟たちに比べて遜色のないほどの端正な顔に生まれついたのに、なぜか恋愛運ボロボロの青年なのだった。失恋は今年の上半期で、すでに三回にのぼると言えば、彼に同情していただけるだろうか。

 和は疑り深い眼で円をにらんだ。
 ──おまえこそ、あのコになんか手ェ出してなかったろうな!? 最後までタイプは円くん、円くん言ってたんだぞ。
 ──ええ? わし、なんもしてないっちゃよ!?
 円は目をぱちくりさせる。和は真剣に力説した。

 ──けどな、あーゆーホテルに入った場合、わしにとってチェックは最重要事項っちゃよ・・・・。フトンとかから‘兄さん、寒かろう?’(小泉八雲 『鳥取のふとん』 )とか子供の声がしてみぃな。けど、こないだはフロントに問い合わせても、ホテルん中に‘アジ塩’しかなくて、背に腹は替えられんってそれ借りて部屋中に撒いてたら、女のコがどんどん引いてって・・・・・。

 ──この間はゴマ塩でアウチだったよねー。
 豊がしみじみと言う。
 ──どっちかっていうと、わしはどのくらい外に声が漏れるかとか、チェックする方かもなー。
 円が無邪気に対応してくるのに、和も重々しくうなずいた。

 ──たしかにそれも必要なり。今日の晩だってな、滝洞(たきうろ)って声が響きそうやんか。わし、豊の切なそーな声が聞こえてきたらと思うと、もう今からどーしたらええのかわからんっちゃ。

 円は首を傾げる。
 ──たまにわかんねぇ・・・・・のどさんの射程。

 そのとき。
 ──円。
 ニ,三歩を先行く静が、低くつぶやいた。

 ──山の中では他の女の話を慎め。失礼にあたるぞ。
 ──あ! はーい。

 円は肩をすくめて静を見上げた。
 山道の途中でふり返り、斜め45度で弟たちを睨み下げてくる姿が──サマになるのだ、これが。

 それから、またしばらく沈黙があったのだが、
 ──なぁ、しずさんてほんにで二十三歳?
 無数に咲く小花を器用に踏み越えながら、豊はなんとなく前方を行く人に訊いてみた。
 兄たちの気遣うような視線に、耐えられなかったとも言い換えられる──べつにいいよ気にしなくても。考え込むことなんて、何もないさ?

 ──ああ?
 ──ふつう二十三歳ってもっと溌剌としてないだか? しずさん若々しさが足りないっちゃよ。
 ──ゆたがコドモ過ぎるだけでしょ。
 ──・・・・・・。
 ──女も煙草も知らなければ、酒も知らない子がぼくになにを言う?
 ──酒はやりようが。呪師なら小さい時分から鍛えられて、誰でも水のように呑めるっちゃ。

 静はくっくと笑って、
 ──でもさっき、女は知らないって言った。

 いちいち覚えとるなやそんなこと。
 市内にある西高と、大家族の待つプライバシーのひとつもない屋敷との往復の毎日で、いったい何が起きるというのか──先にも言ったように、ここは80年代の鳥取であって、21世紀に山姥が闊歩する渋谷ではないのだ。

 ──んだが、わしは絶対に子供は作るえ。父上にもそう宣言してお許しが出たが。

 それを聞いた静の瞳に、微妙な光がともる。
 ──へえ、誰の子。
 ──わしの子じゃ!
 ぷりぷりしながら豊は言い添えた。
 ──しずさんも成人式済んでるんだから、好きにすれば。
 ──してるさ。

 この言いっぷり!

 豊は憤慨したように歩みを速める。
 信頼すべきムカツク感覚──ふたりの舌戦が始まるときには、いつも感じる馴染みのもの。

 静はゆずらない。豊は反抗する。静の叱声が飛ぶ。豊もがんばる。
 あっぱれ、才に恵まれた弟よ──静の心の中に、哄笑が湧きあがる。
 そうだ。豊、がんばれ。ぼくに負けるな。
 だが、おまえは負けなければならない。
 他の誰に負けることも許さぬが、おまえはぼくにだけは負けなければならない。
 人は負けてゆくときに、一番ものを考える。負けて大きく成長するのだ。
 だからぼくはおまえに負けるわけにはいかない。

 キャンキャンギャーギャー。家の中をひっくりかえしたような兄弟げんかは、ふたりのエネルギー反応によって屋敷の一部を壊すまで、とどまるところを知らずに発展していく。

 だが、それさえ今は懐かしい・・・・・。
 静がめずらしくその言葉を口に出そうとしたとき──急に視界が開けた。

 滝に出たのだ。






 ごめんなして。
 今日も今日とて字数オーバーでした☆

 この人たち、本当によくしゃべるのです。
 どんどん字数が足りなくなっていくのを見ることは、毎朝精神的圧迫ともいえる苦行です(笑)。
 昨日予告した兄さたちとのお別れは、明日にまわすことに致します。

 『鳥取のふとん』は、鳥取に着いてすぐに読んだ本の中に書かれてあったものです。
 読後に切なさを感じた、初めての本だったかもしれません。

 明日は●別離●です。
 さよならゆたさん。
 でも、弟を送り出した兄たちの身に・・・・。

 タイムスリップして、滝裏のとば口に、いまひとたび集まりなんせ。


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最終更新日  2005年12月22日 06時14分12秒
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