山口小夜の不思議遊戯

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2005年12月30日
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 豊は先代の守宿多の骸から目を離さないまま、荒神に向かってつぶやいた。
 ──おまえなど・・・・・神とも思わぬ。

 ──いいのか? このまま去っても。
 だが、荒神は声音ひとつ変えず、

 ──なるほど。鼻っ柱が強いというのも一興だ。そんなおまえが素直に膝を折るには、どんな代償がいる?
 湧き水に濡れた岩棚を背に、悠然とくつろぎながら。
 ──【荒神】と崇め奉られる我は、おまえの父宮の息の根を止めることなど造作もないぞ。滝壷で待つそなたの兄たちの肉を裂き、骨を断ち、守宿に生まれることなく無駄な生を生きる直系の血を、今すぐにぶちまけてもよい・・・・おまえが《神》との、正しき誓約の証を拒むというのなら。
 事もなげに血も凍るせりふを吐き出す。そして哄笑した。



 豊は後ろ手に拳を握りしめ、双眸に憤怒を過ぎた殺気すら込め、それを睨みつけずにはいられなかった。否・・・・・無言で睨みつけることしかできなかった。

 ──おお怖。そんな喰らいつくような目で睨まれると、思わず鳥肌が立つようだ。
 片頬で、うっそりと《神》が笑う。
 思わせぶりな口調の裏で蠢く純粋な悪意が、豊の神経を逆撫でにする。

 指先が白じむほどきつく握りしめた拳に、小刻みな震えがくる。
 それが抑えきれない憤怒なのか。逃げ場を失った焦りなのか。それとも──歴代の守宿に刷り込まれた怖れなのか。豊にはもう、その判断すらつきかねた。

 格が違いすぎる。

 だが、豊は啖呵を切った。
 ──わたしの一番嫌いなものは何か、おまえに教えてやる。
 なけなしの勇気と理性をかき集めて。
 ──《神》と《人》との交換条件が、おれには一番腹が立つ。人は大地の命なのだ。勘違いしている者もいるが、神とは本来、人に仕えるために在るもの。まつろわぬ神ならば、まつろわせるまで。


 罵声を飛ばしても、悲鳴を上げても、この【荒神】が片眉も動かさないことは、わかりきっていたからだ。

 だが、どうやっても平常心でいることは難しい。
 手が、足が、唇が。
 小刻みに震えてくるのを隠せない。

 ──おまえの父宮は誰だ。


 ──不二角の息子よ・・・・・父を、どうして欲しい?
 ──なんの話だ!
 豊は声が上擦るのを自覚する。冴え冴えとした荒神の視線に、心臓を直に鷲掴みにされたような気がした。

 ──あれは今、我を生身から出したことによって、その命を絶え入ろうとしているぞ。父をどうするか。それはおまえの出方次第だ。
 荒神は冷然と言い放った。

 身体中の血が逆流するような息苦しさに、豊はもはや声も出ない。できることといえば、内心の怯えをひたすら隠したまま、激情を視線に込めて荒神を睨みつけることだけ・・・・・。

 血流の加減で翡翠色に変化した豊の目を、威圧感たっぷりに荒神が見返す。
 憐憫など微塵も感じない、底冷えのする目つきだった。

 静謐で。
 獰猛で。
 狡猾。

 これが神権を持つ者の双眸──。

 ──と。
 不意に、荒神が立ち上がった。

 つられて、豊の視線がびくりと跳ねる。
 ゆったりとした足取りで、荒神が歩み寄ってくる。

 一歩。
 二歩・・・・・。

 その分、大気の密度が増していくような息苦しさに、豊は思わず腰を引いた。

 ──来るな!
 鋭利な制止の声が、張り詰めていた空間を一気に切り裂いて走る。

 だが、三歩目はなかった。







 けんか売ってどーすんだッ!

 豊さん。弱いものほど、生きる道を見つけるといいますよ?
 ほら、恐竜だって絶滅したじゃない。
 地を受け継いだのは、小動物でした。


 さて、本日は本文が少なめですので、【神】の語源について申し述べさせていただこうと思います。

 【かみ】──上にあって隠れる者──

 「かみ」の語源をめぐる諸説は、近年に至りめまぐるしく進展しました。

 江戸時代の新井白石や賀茂真淵などの著名な学者は、「神は上(カミ)に坐(ま)すゆえにカミという」と主張してきました。
 ところが、近年に至り、奈良時代の仮名遣いの研究が進み、当時の「ミ」の発音は二種類あり、神(カミ)・上(カミ)の表記は異なり、あきらかに発音が違うことが証明され、江戸時代よりの語源説には疑問が呈されています。

 ところが今日ではさらに研究は進み、奈良時代に神と上とは異なった万葉仮名で書き分けられ、発音が違っていたとしても同一語源を否定するわけにはいかないという説が提出されています。

 さて、「神代」として、クマシロともカミシロとも読んだことが、日本最古の辞書である『倭名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)にみえます。クマは「隈」や「熊」などの字が当てられ、熊野の地名が示すように奥まった隠れたところを意味します。

 このクマはクムという動詞から派生し、姿を示さず隠れるというのが原義です。クムからクマの語が派生し、一方でカムという語も成立しました。ウとアの母音の交代した結果だと言われており、このような語例は他にいくつも見られます。

 このクマと同義のカムから、神と上の二つの語が成立しました。
 これは日本の神の実態ともぴたりと合致します。

 神は「高く深い山や森、遠い川上、海上に隠れて目に見ることのできない存在」であり、古来、日本人はカミ(上)なる場所に(カミ)神の存在を感じるとともに、そこに永遠の命の根源・霊界を考えました。それは川・山・海・天の自然の中に一貫し、しかも川から山、海から天、山から天、といわば地続きにネ(根)やソコ(底)において連続して在ると信じられていたのです。
 ゆえに、日本の神の存在は、奥深い場所に隠れていますというのが根本形態でありました。

 さて、神社では原則として、御神体を公開することはありません。神は目に見えないものだという前提があり、祭りの日に神輿に乗ったかたちをとってのみ、町や村の人々の間に姿をあらわすとされています。

 仏教寺院が御開帳という形で秘仏を公開することがありますが、神職にあっては、御神体の公開については現在でも強いタブーがあるのです。これは、日本各地に坐す御神体の多くが、ふつうのひとがたをしているのではなく、想像を絶する様相をしているからでもあると考えられます。
 ちなみに、私の知る文科省の研究者の方々も、神社の国宝選定などにともなう御神体の調査を嫌います。御神体は、たたるからです──このような話には、ほんとうに枚挙にいとまがありません。

 なお、中国の漢字である「神」は、元来「雷電」の意から天神を意味するようになった表意文字です。すなわち、やまとことばの「かみ」とは原点を異にしています。


 明日は●挑発●です。
 あの。大晦日だというのに全然キリのいいところで終わっていないのですが、よろしいですか?
 おそらくは年末にふさわしく、K1グランプリに近い大喧嘩を繰り広げることになるのではないかと・・・はい、私は大晦日は紅白派ではありませぬ(←カミングアウト)。

 タイムスリップして──この一年の終わりの時にも、ぼくのそばにいて。


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最終更新日  2005年12月30日 03時08分17秒
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