山口小夜の不思議遊戯

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2005年12月29日
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 生身の人間の定石通り、震えて吐瀉しかけた胃。それをなんとか喉元で抑えた。
 神人の向こう・・・・・ちょうど豊の目線上になる。そこには、豊と同じ人間でありながら、明らかに異なってしまった故人の頭が据えられていた。

 豊は凍りついた視線でその蒼い顔をのぞきこみ、命の徴はないかと探した。だが、それはまったく反応しなかった。

 ──臓腑の持ち主には断りを入れてやろう、守宿多よ。我が単体を保つには、五感四肢を一代ずつ、そして七代に一度、心の臓を欲するのだ・・・・逃げるなど、許さぬ。

 鋼の意志を込めた声音が、昏い狂気に満ちた翡翠の双眸が、豊の全身を絡め取る。

 それが次なる惨劇の幕開けでもあるかのように、大気が、大地が、そして樹木が、一度に牙を剥いた。

 地を這う蔓が、ゆらりと頭をもたげた。まるで、獲物を追い詰める触手のような不気味さで。

 手に足に、しなう蔓を絡ませたまま、ずるずると竜骨を持つ者が引き摺られていく。

 爆ぜ割れた腹からはみ出した内臓を引き摺りながら、喉に食い込むそれを必死にかきむしる形相の凄まじさだけを取り残して、一番守宿が消えていく。敵意を剥き出しにした、大地の底へ。

 狂ったように母の名を呼びながら、二番守宿の少年はひたすら走っていた。がくがくと崩れ歪む足を必死に動かしながら。
 悲鳴じみた絶叫がその口を突いた瞬間、頭上の梢が大気を裂いてしなった。
 上から、下へ。それは、少年の頭をいともたやすく叩き割って、大地に突き刺さった。

 豊は彼ら先代の守宿多の頭部の面差しに、父親の面影を見た。沢で溺れそうになった幼い豊を救い上げた力強い眦を見た。母の優しい顔、頬に涙を凍りつかせた顔が、目の前を一瞬、流れ去った。

 そのとき、豊は樹木の唸りを聞いたような気がした。
 思わず見開いた視界の端をかすめて、滝壷に落ちていく密と名乗った少年の──いや、着水の刹那、密の首だけが飛んだ。まるで、吹き抜ける風の鋭い牙で、その首を掻き切られたかのように・・・・・。

 そのまま苔むす森床に転げ落ちた密は、茫然と双眸を見開いたまま、鮮血を噴き上げて倒れ伏す我が身の無惨さには目もくれず、あらぬ方向を凝視し続けている。
 血の涙が滴り乾いて青ざめた頬を伝っている。
 形のよい薄い唇はこじ開けられ、神人に屈服させられたであろう残滓で、口元には醜悪な染みがにじんでいる。
 だが、見る者を畏怖させるような美貌に翳りはなく、血だまりに己の垂髪を浮かせ、守宿多の少年の首は静かに瞠目していた。



 あまりの現実離れした光景に、鼓動も、思考も、目も足も、硬直したまま金縛りになっていた。

 何が起きたのかわからない──このことが何を意味しているのかも。
 いや、知らないほうがしあわせなのだと、さざめく本能が告げている。

 しかし、豊は目の前にしている。人知の枠を超えた、それを。
 目に焼きついたものは消えない。消せはしないのだと叫ぶ声が身の内にある。


 冷たく痺れていく身体の、どうしようもない暗さ。

 ばらばらにされた密の心臓はまだ動いており、それが匣(はこ)にしまわれた歴代の守宿多たちの心臓の音と合わさってひとつの鼓動を奏で、まるで大地の鳴動のように響いていた。

 豊は視線を下にやり、それが自分の心臓の鼓動に合わせて上下するのを眺めた。自分の息が顔の前で凍りつくのが見えた。

 もうすぐ彼自身も、凍りつくのだろう。

 もう性別すらもわからない。
 着衣は破れ、部分部分の肉は腐り落ち、内臓は溶解していく。
 流れ出した漿液が緋毛氈に大きな染みを作っている。髪の毛は抜け落ちて、ぬめる織物の上でとぐろを巻くだろう。

 ──・・・・・・。

 ものを言う気力さえも次第に奪われてしまう。
 動物としての本能が、こんなのは嫌だと訴えてくる。
 平然を取り繕う余裕など微塵もない。横たわる彼らと自分の間に引かれている死と生の境界線は、絶対のはずだ。なのに今、それが限りなく曖昧に思えるのは、自分が臆病だからなのか。

 ──恐いか?
 荒神は揶揄する調子でもなく豊に訊ねてきた。全身を総毛立たせ、動脈を締めつけられるしびれに眩暈がする。豊は無言でいる。

 ──人の脳は死体を見ることを嫌うからな。自分は有限だと悟ることを拒んでいるのだ。
 荒魂の神がふっと口元を緩めた。
 ──聞こえるか? 守宿多たちがおまえを呼んでいる。
 荒神の目は、遠く深淵を見つめていた。
 ──おまえを、呼んでいるのだ。

 だが、耳を澄ませても呼ぶ声など聞こえない。鼓膜を裂き、皮膚にまとわりついてくるのは・・・・・しかし、それはただの風の音であるはずだ。

 ──この期に及んで風の音だと言い張るか。
 この時荒神は、この世のものではない超常的な力で、豊が思い込もうとした逃げを感じ取ったようだった。すぐさま顔の筋肉が歪み、嘲笑がつくりだされていくのが、闇に慣れ始めた豊の眼に映った。美貌の裡に隠されている凶悪な心が、嗤う顔に滲み出て見えた。

 思わず眼をそむけようとした豊を、荒神は許さなかった。
 ──眼を開けて我を見よ。

 荒神は喉の奥で笑いながら、指を差し向けてきた。

 ──そういえば、昔・・・・・ひとりいたな、守宿多に同じようなのが。もっとも、そいつは身体をひと撫でしただけで、ずいぶん聞き分けがよくなったがな。おまえは──どうだ?

 知らず、豊の喉がコクリと鳴る。それが『誰』であるかなど、あえて問いただすまでもなかった。

 だが、目を凝らした彼が荒神の肩ごしに前方を見たとき、自分が目にした光景の痛ましさに茫然とすることになった。

 そこには、自らの血をもって描いた書きつけが、岩肌にたった今記されたかのように、赤々とぬめるように光っていたのだった。

月ひとつ 影ふたつ
恋しくもなし 憂き神の
今も恨みの 滝洞に
身こそは沈め
名をば沈めぬ

 名もなき隠れ里の少年の、我が身に起きたあまりの非道に対する惑乱と絶望──。
 それを目にした途端、豊は自分の血が逆流するのを感じた。

 かわいそうに──なんてひどいことを・・・・・。

 ──この場を去れ・・・・・。
 豊は先代の守宿多の骸から目を離さないまま、荒神に向かってつぶやいた。

 ──おまえなど・・・・・神とも思わぬ。







 群発地震なのかなぁ。
 お願い、山の神さま。
 番外編だけは完結させて。

 明日は●対峙●です。
 RPGのキャッチフレーズ的に言うならば、

このダンジョンを制するのは、神か、人か。

 といったところでしょうか。
 タイムスリップして、完璧にダンジョン化した滝洞に迷い込んできなんせ。

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最終更新日  2005年12月29日 02時29分57秒
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