山口小夜の不思議遊戯

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2007年11月27日
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               誰も欠けてない──


 次回より通常の日記に戻ろうと思います。

 本日は、このところ私なりに考えてきたことを、皆さまと分かち合えたら
 と願いつつ── 【生きとし生けるものについて】

 もう二十年以上も前のこと、私たちは楓の旅立ちに立ち会いました。
 窓の向こうにバルコニーがあって、街の風景が見える病室。
 お医者様と看護婦さんがいて、家族みんながいて、友達がいて、楓が最後の息を天に返す、その瞬間に私も立ち会いました。

 呼吸を終えることがこれほどまでに大変な仕事なのか。そこには人間が懸命にこの世から旅立っていく姿がありました。それがあまりに一生懸命に見えて、私は泣くことしかできなかったけれど、心の底で応援していたような気がします。楓、いかないで、いかないでと叫びながら、心のどこかでは終わりがわかっていて、楓しっかり、しっかりとその旅立ちを励ましていたような気がします。


 病室の向こうのバルコニーには白い鳩がとまり、空には二重の虹がかかっていました。山が生きている、木や花がそのまま生きている。窓の向こうの風景が、驚くほどの力で迫ってきました。その輝きはこの世のものとは思えなかった。窓枠はどこかに飛んでしまって、ただ生きている世界だけがそこにありました。

 この人はもうここにいないのに、窓の向こうの風景はそのままある。この人は死んだのに、私は生きている。
 「楓は生きているものたちの中に入っていったんだ」
 それはあまりにも強烈な「いのち」の経験でした。
 頭で考えても、理解しようとしても無理。わからない。
 だけどあの時、心で、身体で感じ取ったこと──

 向こうにいってしまった人にとっては、すべての人が生きているということなのでしょう。向こうにいる人にとって、死んだ人などいない。

 だから、「天国」っていいところなんだろうな。
 誰も──楓でさえ帰ってこないんだから。よほどいいところなんだと思います。
 なぜならば、そこでは「死んだ人」がいないから。


 私たちはこの世の目で死んでしまった人たちのことを死んでしまった人と見るでしょう。でも、死んだ人の目には死んだ人などいない。死後の自分の存在も含め、すべての人が生きている。

 あの日、楓は最後の息を天に返し、生きとし生けるものの中に生きることを始めたのだと思います。
 あの日の風景が、この世も、かの世も、生きとし生けるもののまざなしの中にあることを垣間見せてくれたのです。


 ◆ 応援ありがとうございます!

  生きている不思議 死んでいく不思議
  花も風も街も みんなおなじ









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最終更新日  2011年01月13日 11時35分22秒 コメント(12) | コメントを書く


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