花と蕎麦とリハビリと

花と蕎麦とリハビリと

2009年02月06日
XML
カテゴリ: 別子銅山遺跡
 我が家より2km余り上流へ行ったところに旧別子銅山の 立川中宿跡

 江戸時代の別子銅山は、立川中宿から急峻な山岳道を10km登った銅山峰(1294m)頂上付近にあり、物資の輸送は仲持ち人に背負われて運搬していた。明治になり山腹を縫うように廻らした 牛車道 (延長22km)を造り、輸送の合理化を図った。写真に見えるジグザク道は、その名残である。明治の後半に鉄道輸送に切り替わったので、この牛車道は明治13~26年までの10年余り使用されだけだ。現在は通る人もなく朽ち果てている。

牛車道
 立川中宿から牛車道を望んだ風景である。前の川には花崗岩造りの眼鏡橋がかかっていたのだが、水害で流されてしまった。正面の三本の桜(一本は枯れて、最近植えたそうだ)が往時の名残らしい。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009年02月06日 20時45分50秒
[別子銅山遺跡] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: