花と蕎麦とリハビリと

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2009年11月13日
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カテゴリ: 別子銅山遺跡
 別子銅山の近代化遺産に華を添えるために、銅製モニュメントがあちらこちらに造られている。その一部を紹介します。

 写真上は、最後の採鉱本部のあった端出場採鉱本部跡(現マイントピア別子)に建っている 仲持ち人像 です。江戸時代や明治初期には銅山峰頂上近くの鉱山町(標高1200m)に約10000人が生活していたので、仲持ち人は食料品などを背負い運び上げ、帰りは山頂で精製して出来た荒銅(純度80%)を背負って山を降りていた。

 写真下は、えんとつ山山麓の別子銅山記念館近くの 精錬工夫像 です。山頂近くの精錬所で銅鉱石を焼成・精製して荒銅を作っていた。精錬用燃料に木材を伐採し、亜硫酸ガス公害で付近の山はハゲ山と化していたが、既に明治時代から植林事業を大々的に行っていた。

 これら二つの職種は明治後半の産業近代化で運搬手段が鉄道になり、精錬も四坂島に移り近代精錬炉が出来て様変わりしてしまった。

仲持人

精錬工






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最終更新日  2009年11月13日 17時05分50秒
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