陶玄郷だより (フラクタルの森)

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カテゴリ: 思想
■日本の精神性の柱

聖徳太子の「十七条憲法」に最近興味が有る。
言葉が難しくて分かりにくいのだけれど、要約するとそこに流れている精神の柱は、
どうやら、「儒教」と「仏教」と「神道」の三つの教訓を柱としているようだ。

私は歴史は門外漢だが、日本とは何か?日本の精神性の柱はどこに有るのか?
と考えた時に、どうやら、その原点はここに有るような気がしてならない。

その後の武家政治もこの精神性が有って、成り立ってきたのではないだろうか。
「武士道」を考えると、その儒教、仏教、神道の持っている世界観を背景にして、
その美学が熟成されてきたように思う。


その人が、儒教や仏教の教えを取り入れて日本の国造りをしてきたという事は、
その第一条が「和」というキーワードから始まるように、とても寛容で謙虚な姿勢を
持っていたと考えられる。

以前、ある雑誌で読んだことがあるのだが、神道には儀式は有るが、教義が無いので、法
律で規定されている「宗教」には当てはまらないという意見も有るようだ。
しかし、神道には「随(かんながら)神」という言葉が有る。その意味も難しそうではあ
るが、神人合一型の宗教であり、この世で偉かった人は神さまになり、常に私たちの周囲
は、神々に見守られているというような世界観のようだ。

その視点から、孔子や仏陀の教え、その教義に学び、さらなる多神教の国家としてきたこ
とが、基本的に「和の国」としての国造りの原因となったのだろう。
また、鎖国の江戸時代でさえ、その識字率の高さや、その文化水準の高さを諸外国から驚


日本という国家が建国以来、そのような天皇家(神道)を中心として、日本の背骨として
きたことがどのような時代であっても、時の為政者達が論語を学び、仏教を学び、その民
にも教育してきたことが原因であったと思う。
大きな視野で日本の歴史を見る時に、天皇家の果たした役目がどれだけ偉大なものだった
かが分かる。



フラクタルの森で考えると、その社会、国家を作っている要素の原因部分は、結局は、そ
の思想、宗教に有る。
その悟性の中身を占めるもので決まる。
日本はこのように、背骨部分、その土台部分には神道、儒教、仏教が有る。

一時、明治維新後、富国強兵の為に「廃仏毀釈」といって仏教と神道を分離して神道だけ
を中心とした国造りをし戦争に突入したけれど、長い時代、大きくは三つの宗教観によっ
て、その日本の国民性は作られてきた。

中国も朝鮮半島も基本的には、日本と同じ精神性を持っていたはずだけれど、マルクス・
レーニン教という唯物論に席巻され、無宗教という世界観に染まった人達が、日本よりは
るかに多く住んでいる。その精神性の柱に、無宗教がある
そこに入っているのは、マルクス教であり、その変化系の主体思想が中心なのだろう。
そのような悟性を持っているのだろう。

日本の憲法を改正するにしても、第九条は大きな争点になるだろう。
しかし、憲法がその国の根幹部分を規定するとなると、その精神性をどこに求めるべきで
あるのか?このことは、しっかり考えなければならない。
現憲法でも曲がりなりに、天皇家(神道)がその精神のよりどころとされている。
今まで通り、神道を中心とするのか、民主主義という大衆の支配する論理を中心とするの
か、分岐点に差しかかっている可能性も有る。

アメリカは、キリスト教を中心としながらも民主主義の支配する国だろう。
キリスト教と言っても、日本の仏教と同じく形骸化し、その教義が何であるのか、自分教
的に翻訳し、または無視している。
結局の所、大衆の多数決の支配する国家であろう。
日本には幸いなことに象徴としての天皇家が有る。アメリカの大統領は就任式に聖書に手
を載せて宣誓するようだけれど、あくまでも、偶像(本)である。
国内が大きく揺れている時に、天皇陛下がお言葉を出されると治めることが出来るが(2
26事件など)、聖書は言葉を発してくれない。
司祭が聖書の言葉を発してくれたとしても、日本国憲法の九条の如く解釈はどこに行くか
分からない。それだけのアメリカ国民の支持も無い。

■憲法にどのような悟性をいれられるのか

民主主義の多数意見の長所も有るが、その欠点も同時に有ることを認めなければならない
だろう。どちらにせよ、その憲法の中に、はっきりした形でその精神性のよりどころを、
なお、はっきりした形でその文言を入れなければならないだろうと思う。

フラクタルの森で証明できるように、その社会の基盤は、その精神性、その思想、宗教に
よって100%決まる。その悟性の空間を埋める、その内容を、はっきりした形で示さな
ければならないのではないだろうか。

それは、
いつ、どこで、誰が、何を、の内容である。
時間、空間、主体、客体、の内容である。

私たち(主体)は、どこ(時間と空間)から来て
どのような世界(時間と空間)の中で生きているのか?
この世界で起きている事件、出来事(客体)は、いったい何なのか?

私たち(主体)は、なぜこの時間と空間の中に放り出され、なぜ生きているのか?
この世で起きる出来事(客体)に対してどのように対処すべきなのか?
そして、私たち(主体)は、一体どこ(時間と空間)に行くのか?

真理を求め、正しき心の探究が不可欠です。
世界を知り、自分自身を知らなければ、素晴らしく生きることは出来ない。
素晴らしい憲法を持つことも出来ない。









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Last updated  2007.05.08 00:18:40


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