陶玄郷だより (フラクタルの森)

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カテゴリ: 陶玄郷だより




土ひねり体験の中にはいろんな要素がありますが、この地球が創られ我々人間がこの地上に生存していることの意味を気づかせてくれる部分が有ります。
それは、あまりにも単純なことです。
体験をとおして神々が私たち人間を産みだし創造された事実を確認することができると共に、そこに込められた想いをかいま見ることが可能です。

どういうことかと言うと、備前焼でも人間でも、その創られている過程とその要素のポイントを見ればいいのです。人間も器にたとえて言われることがあります。
器にしろ人間にしろ、その元となっている材料があり、出来上がっていく過程が有ります。原材料が有るのです。

焼き物は、土から出来ています。そして、人間も土から出来ています。
このように表現すると不思議な感じがします。
粘土(土)から作品(器)が創られるということは、誰でも追体験できることなので何の不思議も感じないでしょうが、よく考えてみると納得出来ることが有ります。

以前何かの本で読んだことが有るのですが、人間の体に含まれている元素の比率と、
地球に含有している元素の比率とが同じだと言うのです。
土ひねり体験では、600グラムの粘土の丸い固まりから始めてもらいますが、我々人間の始まりも、この丸い地球という大地、土のかたまりから始まっています。
もちろん出来上がる過程、その経過には雲泥の差が有るでしょうが、根本は一緒です。
元々、地球が生まれた時には灼熱の溶岩の固まりだったのでしょうが、それがやがて冷えて土のかたまりとなりました。粘土で作品を創る時と同じくこの地球上のことも、全てはそこから始まったのです。

粘土(土)から作品(器)が創られるように
地球(土)から人間(器)が創られました。

これは紛れも無い事実です。
では、なぜ?私たちは、創られたのでしょう。何のために創られたのでしょう。
私たち人間の存在意義は、いったいどこに有るのでしょうか。
これは、人類に突きつけられている永遠のテーマであり問題集です。

それは、粘土(土)から作品(器)が創られる時に必要とされる要素を引っ張り出してみると推測可能と思われるからです。

粘土(土)から作品(器)を創り出すときに必要な要素は、単純に言うと二つです。
粘土(土)を前にして作品(器)を作ろうとするときに必要とされるのは、そのように思うこと行うこと。イメージとそれを具体化させる為の行動が必要です。
もちろん、粘土(土)が偶然に作品(器)になることはありません。
これは、何十億年の時間を待っていようとも不可能なことは明白です。


地球(土)から人間(器)が創られる過程の中にも同じ流れが必要なはずです。
ダーウィンが言うように突然変異と自然淘汰の結果適者生存し偶然に進化しただけではありません。必ずその背景には意志の力が必要となります。
必然性が有るのです。

土ひねり体験をすることで、全ての初めに思いが有ることが分かります。
始まりに思いが有る。そして、その為の具体化の作業が始まることが分かるでしょう。非常に単純なことなのです。
にも関わらず、ダーウィンの考え方に影響されたままの人がどれだけいるのでしょうか。その理由は、簡単です。
目に見えない物を見ようとしないからです。玄なるものをみようとしない。
思考停止と言っても良いでしょう。
分からないと認める勇気が無いのです。

土ひねり体験の時には、現に作り出そうとしている各人の存在が有ります。
その中に思いと行いが在り、結果として目の前に器が現れてきます。
地球(土)から人間(器)が創られる時、その行い、その進化する過程は科学的に現象として証明されているかに見えます。しかし、「行い」の前に有るべき「思い」の部分は、目に見えないが為に封印されがちになるようです。

しかし、目に見えないからと言ってそれにおおいをかけるべきではありません。
土ひねり体験でもわかるように、行為の前にはその為の思いが必要なのです。
その「思い」を投げかける存在が必要なのです。
「目的」が必要なのです。なぜ作るのか?動機です。
そして、「目標」が必要となります。どのようなものを作りたいのか? 結果、成果です。この二つが無くこの世に存在している物は何一つありません。
この現代の科学文明が作り出したものすべても、言ってしまえば土(地球)から作られています。私たち人間自身がそうであるように、人類が作り出している全ての物は、土(地球)から作られています。
神は、自らに似せて人間をお作りになったと言われていますが、まさしく、神と同じようにこの大地から現代文明の粋を集めあらゆる物を作り出したのです。
その背景には思いが有るのです。
その思いを投げかける霊的存在が在るのです。
この様に考えると、神々が我々人類を産み出したように、同じようなことを追体験させていただいているとしか思えません。
ということは、この単純な土ひねり体験の中に、根源の神、仏、天、サムシンググレート、なんと言っても良いでしょうが、そのような方々が我々を産み出した目的と目標がかいま見えるのではないでしょうか。

では、私たちは、何故、土から器を創ろうとするのでしょうか?
一つには、楽しいから造っています。これは、原点にあるでしょう。
創造の喜びです。
そして、何を造るか、その目標が無ければ形が出来てきません。
お皿なのか、カップなのか、花を生けたいのか、見て楽しむようなオブジェなのか、何らかの具体的に役に立つ形を目標とします。
どうやら、この様な単純な要素で私たち人類の存在が意義有るものとして悠久の時間の中で創り出されていることが考えられます。
そのキーワードを引っ張り出してみると、この二つが在るでしょう。
「喜び」(陰)と「お役立ち」(陽)です。

私たちが土から器を作り出すように、神々も私たちをこの地上に作り出しました。
それぞれに個性ある器として人間が創られています。
おそらく、その作り出している神々自体も、より高次な存在の念いが具現化して創り出されたものでしょう。根源の神、仏の思いがどこに在るか定かには分かりませんが、私たちが土に対峙し格闘し何らかの物を産み出している作業と似た要素が在るはずです。
私たちの思いと行い、その目的と目標が、創られたときのそれと大きく離れていったときに、大きな苦しみが待っているのではないだろうか。
その目的と目標、その使命を果たせているときに大いなる喜びの中に包まれるのではないだろうか。粘土から器を創るという単純な作業の中に仏神の聖なる思いをかいま見ることが出来るから、無心に土にさわっている事がたのしいのではないだろうか。





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Last updated  2008.12.07 23:57:30
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