陶玄郷だより (フラクタルの森)

陶玄郷だより (フラクタルの森)

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

陶玄郷

陶玄郷

Calendar

Archives

2026.10
2026.09
2026.08
2026.07
2026.06
2026.05
2026.04
2026.03
2026.02
2026.01
2008.12.09
XML
カテゴリ: 思想
備前焼の土ひねり体験は、楽しく癒しの効果が有るだけでなく、私たちにいろんな気づきを与えてくれます。粘土の固まりから器などを作るわけですが、その単純な作業の中に普遍的な真理がかいま見える所があります。


土ひねり体験の中にはいろんな要素がありますが、この地球が創られ我々人間がこの地上に生存していることの意味を気づかせてくれる部分が有ります。
それは、考えてみると、あまりにも単純なことです。
土ひねり体験をとおして神々が私たち人間を産みだし創造された事実を確認することができると共に、そこに込められた想いをかいま見ることが可能といっても良いでしょう。

備前焼でも人間でも、生まれて来る過程があります。器にしろ人間にしろ、その元となっている材料があり、出来上がっていく過程が有ります。
土ひねり体験では、基本的に600グラムの粘土の丸い固まりから始めてもらいますが、我々人間の始まりも、この丸い地球という大地、土のかたまりから始まっています。
人間も器にたとえられることがありますが、人間も土から出来ています。

このように表現すると不思議な感じがします。


元々、地球が生まれた時には灼熱の溶岩の固まりだったのでしょうが、それがやがて冷えて土のかたまりとなりました。地球の原初には土の固まりしかなかったのです。
そこから人も何もかも、万象万物全てが産み出されている現実を認める必要があります。
唯物論の暗示にかかっている人たちは、それでもダーウィンのように突然変異と自然淘汰の結果適者生存し偶然に進化してきたように思うかもしれませんが、粘土で作品を創られる時と同じくその当事者の存在があります。その思いを投影している霊的存在が必要となります。この地球上のことも、土ひねりも全て同じです。

粘土(土)から作品(器)が創られるように

地球(土)から人間(器)が創られました。

これは紛れも無い事実です。
以前、何かの本で読んだのですが、人間の体に含まれている元素の比率と、地球に含有している元素の比率とが同じだと言うのです。
人の体は、死ぬと灰にされ土に帰っていきます。
粘土(土)から作品(器)が創られるということは、誰でも追体験できることなので何の不思議も感じないでしょうが、私たちの体が土から創られたと言うことはとても不思議です。しかし、時間の長さが違うだけで、同じ土から生まれていると言うことは、その原因と結果をつなぐ途中に必要な要素は同じものがあるはずです。

では、なぜ?私たちは、創られたのでしょう。何のために創られたのでしょう。
私たち人間の存在意義は、いったいどこに有るのでしょうか。

このテーマに回答を出すことは、ある意味簡単です。
それは、粘土(土)から作品(器)を造るときの事を考えてみれば良いのです。

粘土(土)から作品(器)を創り出すときに必要な要素は、単純に言うと二つです。
それは、そのように「思う」こと「行う」こと。
イメージとそれを具体化させる為の行動、その二つです。

これは、何十億年の時間を待っていようとも不可能なことは明白です。
粘土(土)が作品(器)になるためには、作ろうとする思いと、それを具体化させる行為が必要となります。偶然出来る訳は決してありません。必然としての流れが有ります。

地球(土)から人間(器)が創られる過程の中にも同じ流れが必要なはずです。
ダーウィンが言うように突然変異と自然淘汰の結果適者生存し偶然に進化しただけではないでしょう。必ずその背景には意志の力を持っている霊的な存在が必要です。
進化させようとする意志の力が働かなければ、進化と退化、言葉上だけ考えても半々ですから、丁半博打のような偶然性で、この地球上に土を材料として高度な生命文化を創り上げることは不可能です。
どのように考えても、その思いを投げかけている霊的存在が在るのです。
高級諸神霊、仏、天、サムシンググレート、なんと言っても良いでしょうが、そのような方々が我々を産み出し育んできた結果の今という時代に生きさせていただいているのではないでしょうか。

この様に考えると、単純な土ひねり体験の中に、神々が我々人類を産み出した同じようなことを追体験させていただいているのかもしれません。
ということは、人類創造の目的と目標がかいま見えるのではないでしょうか。
私たちの存在意義が明らかに出来るはずです。

では、私たちは、何故、土から器を創ろうとするのでしょう。
一つには、楽しいから造っています。これは、原点にあるでしょう。
創造の喜びです。
そして、何を造るか、その目標が無ければ形が出来てきません。
お皿なのか、カップなのか、花を生けたいのか、見て楽しむようなオブジェなのか、何らかの具体的に役に立つ形を目標とします。
そして、使う楽しさです。

どうやら、これらと同じような単純な要素で私たち人類の存在が意義有るものとして悠久の時間の中で創り出されていることが考えられます。
そのキーワードを引っ張り出してみると、この二つが在るでしょう。
「喜び」(陰)と「お役立ち」(陽)です。
そのことが循環しているようです。

私たちが土から作品(器)を作り出すように、神々も私たちをこの地上に作り出しました。それぞれに個性ある器として人間が創られています。
おそらく、その作り出している神々自体も、より高次な存在の念いが具現化して創り出されたものでしょう。根源の神、仏の思いがどこに在るか定かには分かりませんが、私たちが土に対峙し格闘し何らかの物を産み出している作業と似た要素が在るはずです。

私たちの思いと行い、その目的と目標が、創られたときのそれと大きく離れていったときに、大きな苦しみとなっておそってくるのではないだろうか。
その目的と目標、その使命を果たせているときに大いなる喜びの中に包まれるのではないだろうか。粘土から器を創るという単純な作業の中に仏神の聖なる思いをかいま見ることが出来るから、無心に土にさわっている事がたのしいのではないだろうか。

私は、陶芸家としてたくさんの器達を産み出しています。その器たちが、それぞれの場所でそれぞれの働きをし、喜ばれて使われている所を目にするととても嬉しく思います。
そして、しっかり活かされ使われている器たちの中に、自分が造ったと思えないような輝きを放っている器たちがいます。それは、何とも言えない驚きであります。

おそらく、神々が、手間暇かけて霊的世界(陰)と現象世界(陽)、この全世界を創造された理由は、こんな所に在るのかもしれません。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.12.09 21:52:31


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: