陶玄郷だより (フラクタルの森)

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カテゴリ: カテゴリ未分類
神、仏、天、サムシンググレート、

親なる存在が在るとして
その親なる存在は
我々人間をどのように見られているのだろうか

私の父も昔言っていたが
神なる存在が常に見守ってくれているのなら
何故に、この世の中は悲惨な事で満ちているのか・・・・と

この東北大地震でどれだけの方が亡くなったのだろう

あまりにも無慈悲です
この世に神も仏も有るものかと思ったとしても仕方がないのかもしれない

私の父もそうだったが
人間が霊的存在であり魂が実在の姿で有る事や
死後の世界も認めていない考え方からするとそうなるのかもしれない

この肉体生命が全てであり
これが亡くなると全てが無くなるのだとすれば
この世の不幸な出来事を見るにつけ
神、仏というような偉大なる親なる存在を認める事が出来ないのかもしれない


しかし、真実は、人間とは霊であり
肉体生命は仮の住まい・・・・というのが事実


魂と肉体生命とどちらを重く見ておられるのだろうと・・・ふと、思った
ひょっとすると、10対0かもしれない・・・と

なぜなら、ドラマなどで起きる感情を見れば解る
生死を分けるシーンで
自らの肉体生命を守る為に魂の尊厳を投げ捨てているような場面があると

しかし、その逆だったらどうでしょう。

この感覚は、誰の中にも有るはずです
おそらく、親なる神々の心の中にも在る感情だと思えるのです

これだけの事件ですから
色んな人生ドラマが有ったでしょう
亡くなった方も
生き残った方も
傍観者でしかおれない私たちも
そのドラマの幕が閉じられるまで
光有る時を重ねていきたいものだと思います。





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Last updated  2011.03.16 00:06:15


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