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ぬおぉぉぉぉ~Blogの更新が久しぶりすぎて、ログイン出来ずにビビッタ!明日からは3月なんですよねぇ。過ぎてしまえば時の流れは早いと感じる今日この頃。今日は4年に一度の2月の福の日。ってことは、今年は福の日(29日)が毎月ある。素敵だわぁ~♪さてさて、Blogの更新はしていませんでしたがなかなかお元気に過ごせていた私です。もちろん、日々葛藤もチャレンジ精神が揺らぐこともありましたが結果、前に進んでいた事実は否めません。やるしかない!のであります。そんな中、素敵な出会いが!やるしかない。という魂に火をつけてくれるようなご縁をいただきました。自由創造の発表会「軌跡の道」を主催している魅力的な女子に出会いました♪彼女曰く、キッカケがあって仕事に繋がったりしたら嬉しい♪その言葉は、私がず~っとその通り感じていたことでそうなるよう慢心していたけど、途中でへたれて今日に至っていた私の希望に光をさしてくれた気がしました。出会うべくして出会うしご縁はいたるところにある希望の光が見えると、人というのは動きたくなるものです。なんて、しっとりと感無量に浸っていたら~お友達のM子ちゃんの彼氏のCDデビューのご案内が来ました。↓M子ちゃんからのメール彼氏のCD 告知をさせて下さい。3月28日にタワレコとアマゾンで3028『風に吹かれて』1470円が発売致します♪おたえさんのブログやなどで、ご紹介頂けたら、嬉しいです。http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B00791WX8K/ref=redir_mdp_mobile?ref_=ntt_mus_dp_dpp_1↑ここまでぇ~コレは皆様にシェアしなくちゃ!ってんで久しぶりのBlogの更新は奇しくも「始まり」的なスタートエネルギー満載となりました。そんな素敵な日は雪♪深々と降る雪は、静かに降りますが確実に存在をアピールしています。水面下で抱く想いは確実に現実化している私と同じ♪って感じました。きっと皆様も同じ!ですよねぇ~足元にも注意をするという、普段とは違った感覚も必要な雪の日。コレはまさに!人生にもリンクするね。たまにはちゃんと足元見なくちゃ、自分を見失うぜい!ってことかしら?と私は思うぞ。これからも、広がるご縁をたくさんシェアしてまいります。私はそのような話題が一番好きなのだと、再確認いたしました。ではでは・・・皆様これからも、おたえをよろしくお願いいたします。また、本日のご縁「軌跡の道」とCDデビューもよろしくお願いいたします♪私たちは完璧じゃないから助け合うご縁が生まれるのですね♪助けられたり、助けたりコレが生きている証なのでしょう!
2012.02.29
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なるほどねぇ~と、関心する部分が多かったなぁ~(下記に記してありまぁ~す♪)「原発しないこと」の第一歩として、出来るだけの節電をしている私ですが、電気を使わない知恵をもっと授かりたいと思っていたところです。皆様もお読みいただいて、今の生活がもっと豊かになるようなヴィジョンを豊かにしようではないかい♪なぁ~んて思いました。以下、いつも素敵な情報をいただいております虹のプロジェクトからの情報を記します。エンジョイ!●韓国でちょうど今頃出版されているはずの『しないことーースローライフのために』へのメッセージです。よかったら読んでください。辻 「しないこと」韓国語版へのメッセージ 2011年3月11日、日本の東北地方に大震災が起こった日、日本の新しい時代が始まったのだとぼくは思っています。でもそれが日本に限って言えることだとは思えないのです。それは、韓国にとって、アジア全体にとって、いや世界にとっても、歴史の大きな転換点を意味するのではないでしょうか。 古い時代から新しい時代への転換を、今、多くの人々が「脱原発」というひと言で表現しています。本書の言い方で言えば、「原発しないこと」です。ただ、このひと言の中に、単なる原発の有無を超えた、実に豊かな世界史的な意味が凝縮しているのです。 あれをする、これをする。そのひとつひとつが経済成長につながる。そのひとつひとつにエネルギーが必要だ。だから、経済成長とエネルギー消費を増やすことはほとんど同義だったのです。そうやって石油・石炭へ、さらに原子力へ。経済成長自体が目的になってしまったように、増えるエネルギーの需要に応えて、供給と消費を増やし続けることが、いつの間にか自己目的になってしまったのです。 「する」ために、「する」ために、「する」ために、「する」・・・・・ 世界には今、500基もの原発が立ち並び、どれもが「トイレのないマンション」状態です。そこから生み出される、行き場のない何十万トンという放射性廃棄物は、今後少なくとも10万年間にわたっていのちを脅かし続けます。これをめぐって、世界中に、中間貯蔵施設とか、再処理工場とか、ありとあらゆる巨大施設がつくられ、その間を廃棄物が行き来するための輸送システムがつくられています。日本での事故をチャンスとばかり、韓国企業が、フランス企業が、アメリカ企業が、原発施設の受注に向けて、アジアの国々でしのぎを削っています。信じにくいことですが、日本の原発関連企業や政府も、遅れをとってはならないと、早くも中国で原発受注に躍起です。 今この瞬間にも、福島の原発では高度に汚染された水が増え続けています。その汚染水の処理をめぐって、フランスやアメリカの企業が浄水のための機械を売り込んでいます。戦争がそうであるように、社会にとっての大きな困難は、常にビジネスのチャンスなのです。ある問題の解決のために何かを「する」。それがまたいくつかの問題を生む。そのそれぞれに対処しようと「する」と、またいくつかの問題が生まれる。こうして、ひとつの「する」がいくつかの「する」を生み、そのそれぞれがまたいくつかの「する」を生む。これが経済成長というものです。 さて、本書を読んでくだされば明らかなように、こうやって「すること」を無暗に積み重ねる時代、それが、今まさにぼくたちが別れを告げようとしている古い時代です。 古い時代の破綻はもう明らかでしょう。そこには未来はないのです。とはいえ、それこそ、ぼく自身が、そしてぼくの愛する人々が生きてきた時代です。恨みごとを言うかわりに、「ありがとう、そしてさようなら」と言おうと思います。原発にさようなら、古い時代にさようなら。では、それに替わるべき新しい時代とはどのようなものでしょう。その姿がいまだはっきりしないので、不安だと思っている人もいるかもしれませんね。そういう人は耳をすませて、幼い子どもをもった若いお母さんたちの呟きを聴いてください。3・11の後、福島周辺で、日本で、韓国で、いや世界中のあちこちで、親たちは悟ったのです。いちばん大切なものは何か。それは、子どもたちのためのきれいな空気、きれいな水、安全な食べものだ、と。そして、こう思ったのではないでしょうか。神さま、仏さま、どうかそれらをこの子にお与えください。そうすれば、あれがほしい、これもほしい、とはもう言いませんから・・・ 空気や水や食べもの。そのすべてを与えてくれる地球。そこで生き続けていく知恵をもつ人間たちの共同体。分かち合うコミュニティ、支え合う社会・・・。それなしには誰も生きていけないこれらのものの大切さを、ぼくたちは3月11日以来、思い出したのです。それをもう忘れないようにしましょう。そうしたかけがえのないものを犠牲にした豊かさなど、みな幻想にすぎません。 人間が幸せに生きていくために必要なモノは、実は、そんなに多くはありません。平和に仲良く助け合って人間らしく生きていくために、「しなければならないこと」もそんなに多くはないのです。そのことさえわかれば、もう大丈夫。 あれも必要、これも必要。あれもしなきゃ、これもしなきゃ、という「もつこと」と「すること」の集団強迫症の時代に、別れを告げましょう。 道教や仏教や儒教などの精神的遺産を、おそらく日本にも増して豊かに現代に引き継いでいる韓国。そこから汲み出される「しないこと」の知恵を糧として、韓国の皆さんが、新しい時代へと、胸をはって踏み出してくださることを願います。そのために本書がささやかな助けとなれば幸いです。日本と韓国の民衆が手をつないで、世界に、新しい時代の模範を指し示すことができますように。それが、3・11以後、今も続く悲劇を活かす真の道だと、ぼくは信じています。異常な暑さが当たり前となってしまった夏、横浜にて辻 信一 (李 珪)●もうひとつ、シューマッハの『宴のあとの経済学』、まさに今にぴったりの本です。絶版になっていたのが再刊されたので、ぜひ。月刊「ちくま」に載せたものを転送します。3・11のあとのシューマッハー―『宴のあとの経済学』復刊に寄せて―辻 信一 3・11直後の焦燥感の中で、ぼくが手にとった本に、E.F.シューマッハーの『スモール・イズ・ビューティフル』があった。そこに収録されている「原子力――救いか呪いか」を改めて読むと、あまりに鮮烈で、まるでそこから、死後34年目で蘇った著者の肉声が聞こえてくるかのようだった。 「いかに経済がそれで繁栄するからといって、・・・何千年、何万年の間、ありとあらゆる生物に測り知れぬ危険をもたらすような、毒性の強い物質を大量にためこんでよいというものではない。そんなことをするのは、生命そのものに対する冒涜であり、その罪は、かつて人間のおかしたどんな罪より数段重い。文明がそのような罪の上に成りたつと考えるのは、倫理的にも精神的にも、また形而上学的にいっても、化物じみている」 3・11後の日本では忌避されている「罪」という言葉を使いながら、シューマッハーがこう断じたのは1967年、核兵器保有国が「核の平和利用(Atoms for Peace)」を競い合い、被ばく国日本でもまた原子力開発が最盛期を迎えていた。 勿論、彼の反原発の言動は、「科学・技術の進歩に反対する」ものとして、激しい非難に晒された。いわく、「(この種の新しい技術が)有害だとはっきり立証されない限り、警報を鳴らすなどとは無責任のきわみである」 有名な「スモール・イズ・ビューティフル(小さいことは美しい)」という表現は、著者による技術(テクノロジー)批判の中に出てくる。彼はいっていた。技術というものは、人間が作ったものであるはずなのに、独自の法則と原理で発展し、加速化し、巨大化する。つまり、自然界には「均衡、調整、浄化の力が働いている」のと対照的に、技術の世界は「大きさ、早さ、力をみずから制御する原理を認めない」。しかし人間は自然界の一部なのだから、自らの小さな身の丈にあった生き方を守る必要がある。それを「美しい小ささ」とシューマッハ―は呼んだのだった。 コントロールが利かなくなった「技術主義」の社会に対して、シューマッハ―は、『宴のあとの経済学』で、さらに先鋭な批判を展開している。 彼によると、現代の産業システムには「成長の指向性が内蔵されて」いて、成長を続けないと機能できないようになっている。そこでは、「安定」は「停滞」という言葉で置き換えられる。では、社会にこうした方向づけをしているのは何かというと、それがテクノロジーなのだ、と彼は言う。 テクノロジーの世界では、可能なことはなんでも実行に移されるべきであり、それによって起こされる変化に、社会の方が適応していかなければならない、と考えられている。それが果たして社会にとっていいか、悪いか、は二の次なのだ、と。 3・11までは、原発のような技術が危険であることを実証する責任は、反対する者――例えば環境運動家―にあるとされてきた。しかし、シューマッハーの言うとおり、これは逆さまだ。つまり、その技術が絶対に無害であるということを立証しなければならないのは、それを推進する側なのである。ぼくたちは3・11の後、大切なものを詰めておいたはずの箱を開けてみて、唖然としたのではなかったか。自然や共同体や倫理や民主主義などといった価値で成り立っているはずのぼくたちの世界は、科学技術の進歩や経済成長に奉仕するシステムによってすっかり傷つけられ、骨抜きにされ、惨憺たる姿を晒している。 E.F.シューマッハーの『宴のあとの経済学』が復刊される。「ポスト3・11時代」を迎えた日本のために、これはうれしいニュースだ。とはいえ、主流社会を今も牛耳っているのは、相変わらず、経済成長という幻想を追い求める「宴の経済学」だ。3・11は、その「宴」なるものが、いかに大きな犠牲を、現在に、そして未来に強いるものであるかを、明白に突きつけたはずなのに。いや、今からでもいい。危機を好機とすべく、シューマッハ―流のスローでスモールな経済学にとり組もう。
2012.02.01
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