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「金が全て、結果が全て」 甘えを、弱さを見せる相手を知らなかった。 ならば最初から甘えなど要らない― ―そのはずだったのに。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回は島男が『トリックスター(道化)』の役目に回り、神谷の心の葛藤に重心を置いていましたね。また、島男が神谷の対極にいたことで、物語のバランスが上手く取れていたと思います。 これまで『主人公の甘え』だけは、本当にしっかりと描かれています。その甘えについて、神谷と島男が何度も語り合います。「後悔したくないんです」 この主人公の言葉に『反省もしたくないとかは言うなよ…』と心の中で突っ込んだのは内緒です(汗)。(神谷が島男を全否定するときには『寝るなーーーっ!』とツッコミ。 神谷が島男を庇うときは『島男の前では言うなーーーっ!』と叫んだことも、言うまでも無い。) 自覚がある分、後はその矯正方向を自分で見定めてもらうだけなのかもしれませんね(それが問題)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 神谷はそのずっと背伸びを強要され、同年代と遊んだり”甘え”を見せることができなかったんですね。 そして”甘え”を見せてもいいときになって始めて、その事実に戸惑ったんだと思います。 そんな彼に高柳は、”甘えなど最初から要らない”と切り捨てたんです。そのことに神谷はホッとしたんですね。 ところが島男の無茶苦茶な”甘え”方に振り回され、そんな世界もあるのだということを見せ付けられます。 そして自分も”甘え”させてもらうとき(朝食の差し入れ)、”甘えてもいい”と感じたんだと思います。 神谷にとって”謝罪すること”=”弱みを見せる”=”甘えること”という方程式が成り立っていたんですね。 そして”甘えてもいい”と思ったとき、素直に謝れたんだと感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ここで、”謝罪すること”=”弱みを見せる”=”甘えること”が成り立つとします。 そうすると、冒頭のシーンはもう一つの意味を持ちます。「謝りすぎです」 主人公が謝り続け、”甘え”続けることを香織は指摘します。 主人公はそれを受け入れます。 もし、島男が”甘え”から抜け出すとしたら、それは香織の叱咤かもしれません。 ひょっとしたら、これは前振りなのかもしれないと感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回のITキーワードは『Blog』でした。 …検索エンジンに引っかかる怖さを改めて思い知りましたよ(以前はタグ直打ちで、検索避けした日記を作っていた)。 折角なら、”島男がエシュロン(アメリカ最高峰の諜報用検索エンジン。アルタイ語圏にも対応)に押し入り、情報を集める”という展開でも良かったかな(←主人公にアングラ潜らせるなっ)。 冗談はさて置き。 今回のお遊びは「やってみなくちゃ分からない」(『スタアの恋』重要キーワード)でしたね。 でもそれよりも先に、私が今回連想したのは植木等の『無責任男』シリーズでした。 …自分の文化的精神年齢って一体…(遠い目)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・”許して欲しい” ”甘え”を見せずに、背伸びし続ける人生は辛い。 だが”甘え”続けることは惰性でしかない。「謝り過ぎ」 その言葉の奥にある真実に、彼は気づかなければならない。
2005/05/12
「腹を括るしかない」 閉じ篭って、考える振りして自分のことを悲劇ぶっていた。「僕は可哀想なんかじゃない」 自分は不幸ではないことを、決断から逃げているだけであることを。 次郎は、『親父』と『ガキ』から諭されたのだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 四話になり、ようやく主人公の成長の兆しが見え始めましたね。 それも『子供から教えられる』ことで、彼の視野も広がり始めたのが印象的です。 私は『一度完成した大人が、ぶっ壊れて再生する』お話がすごく好きだったりします。 この四話ラストの次郎の表情に、”崩壊前と再生後のふり幅がとんでもなく大きい”ことを確信しました。 最終回にはとんでもなく魅力的な次郎と、役者『木村拓哉』に出会える予感がますます強まっています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回、少年が次郎の部屋に駆け込んだのも偶然では無いでしょうね。 “彼なら、非干渉だ”、“彼なら他の人に言ったりしない” …そう思ったから彼の部屋に押しかけたのだと思います。 少年を救う本当の言葉を投げかけたのは園長でした。 しかしその言葉を受け止め、自分の中から答えを出すには次郎が必要でした。 同じ境遇にいる次郎という存在に、少年は心を開きます。そして開いた心を自分で覗き込むことで、答えを再確認します。同じ境遇の人間に対してなら、言葉にすることができたのです。 次郎の迷う心と少年の心の描く円が重なり合ったからこそ、少年は答えを言葉という”形”にすることができたのです。 一度”形”にしてしまえば、少年は迷わずにそれを周りにも伝えることができました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 次郎もまた、心の重なり合う部分を覗き込みます。 これまでの回と違い、今度は次郎がその”重なる部分”から少年の視点を通して、答えを教えてもらうのです。 その展開を、私はすごく新鮮に感じました。 また”少年から答えを教えてもらう”という事実に、彼は自分でも驚きます。 ”子供に構うこと”をめんどくさがっていたのに、それはめんどくさいだけではないのだと思い直すのです。 彼は少年や周りの子供達の存在を、自分の意識の中に受け入れ始めました。 これまで”一人前の他人”と見ていた子供を、”一人前の身内”として認識し始めるのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 車を加速すると、運転する人間の視野はどこまでも狭くなると言います。 夢を追いかけるために加速し続けた次郎は、”ヘルメットと速度”の影響以上に、はるかに視野を狭めていたようです。 海外で解雇されたのは、”ファースト・ドライバーを殴った”とか”命令を無視した”とか、そんな理由だけでもないようですね。 その事実を一之瀬監督は見抜き、一旦加速することを止めさせ、ヘルメットを脱いで周りを見渡すことを強要したのですね。(第二話のエンストのシーンは、この複線だったのか) そして立ち止まることで、次郎はまず「チーム全員で、一つの車を走らせる」のだという単純な事実を再認識します。 ”彼の過去の栄光も全員で勝ち取ったのであり、メカニックとして再び栄光を得ることも、また一つの方法だ”という事実を。 …井上由美子さんが描く『大人』はほんとに渋いですよね。今回は監督に惚れそうです(←前回、香田(『GOOD LUCK』で堤真一さんが演じた操縦士)に惚れ倒した管理人)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 次郎が子供達に『車が何故走るのか』を話すシーンがあります。 それは”彼が子供達の存在を認め、自分から心の円を広げ、重ねようとする”無意識の行動だったのかもしれませんね。 確かに彼は変わりつつあります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 元一郎もまた、葛藤を始めます。 彼は”プロである”という誇りで、自分を守っています。 子供と接して磨り減ろうとする心を、その誇りを庇ってきたのです。 しかし、その”プロとしてのやり方”が間違っていた場合、彼を守るものが無くなります。 次郎の存在は”彼のやり方”の正当性を脅かすものでした。 そのことに対する恐怖を苛立ちで表します。 彼は決して間違ってはいません。ですが、次郎のように”子供と大人としての垣根”を取り払うことができないだけなのです。 そのことに気づく第一歩を、元一郎もまた歩み出したのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 厭わしいだけだと思っていた『ガキ』達が、自分を救ってくれた。 それを受け入れたとき、彼は子供の存在を受け止め始める。 なぞる様にただ並行していただけの、彼と子供達の世界が、この時を境に重なり始め――――。 彼は、子供とともに”再生”を始める。
2005/05/09
意味も分からず、呟く。「頑張れ」 いつも、誰かに後始末を押し付けることで、ずっと生きてきた主人公。 そのことが罪であることを、彼はいつか知るのだろうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回は多少、辛口かもしれません。 ですが、今後に期待しているからこそだと、ご容赦&ご理解ください。 予め、多少のネタバレはネットで踏んで(目にして)いたのですが、それでも。 カッコーン(顎が外れる音)。 この展開はぶっとびました。 いや。『仮面ライ○ー剣』”たこ焼き強化ギブス”の回という、伝説になった迷走に比べれば、まだ生易しいですけどね(『剣』の中盤での迷走はすさまじかった…)。 いっそテレビ○京の『ヴィー○ス・エンジェル』の”癒しエキス投入・ワクチンDVD”を越える方向転換…ガスッ(←管理人、『ヴィーエン』の出演者ファンにぶん殴られる)。 閑話休題(それはさておき)。 ”『設定のリアル』より『感情のリアル』を優先せよ(『久美沙織の新人賞の取り方教えます』徳間書店 より)”が、私がドラマに求めるものだったりするのですが、その点でちょっときつい部分がありました。 ”母親が亡くなり、そのことを繰り返したくない”から、会社で成功したい主人公。なのに妹の怪我で飛び出したことを躊躇い無く、”馬鹿な事”と言い切るシーンには無理があったと思うんです。 むしろ”金持ちになって大切な人を守る力を得る”という信念と、”大切な人を犠牲にしなくては、金は得られないのか”という矛盾に苦悩する姿を、もっと脚本の中に書き込んで欲しかったですね。 そして物語の障害であるミケーレの心情に、主人公がまったくノータッチで解決してしまいます。余分なお遊びや説明口調の台詞を削って、主人公とミケーレの心を中盤で絡ませる工夫が欲しかったです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ただこれまでにも指摘している主人公の『始末は全て他人任せ』という悪癖は、再び最悪の形で現れます。 大事なことを全て押し任せ、挙句に後先考えずにぶっ壊すという…(頭痛)。 この甘えで主人公は人生を二回も失敗してます。 でも今回は自分の不幸ではなく、他人の不幸として降りかかるのです。 高柳の非情さと島男の無神経な甘えは、人を傷つけるには充分な重さがあると思います。 周りからも思いっきり批難されていますしね。 今回の事で少しは反省してくれればいいのですが、こういうタイプに限って”成功すれば反省なんてしない”ことが多いと思われます(激しい頭痛)。 主人公、あなたの最大の欠点にして、不幸の源泉は金儲けの才ではなく”甘え”です…。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回の『ネットOnlyの音楽配信』。…『Song of X'smap』の悲喜交々を思い出してしまいました…。 これからも、芸能はネットをしていない人間にも優しくあって欲しいです(願)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ラストにおける桐野の台詞は『この段階で命題を明らかにしちゃうの!?』と驚きました。 脚本家のブログ(現在閉鎖中)の記述では”ドラマの製作発表時点で三話の脚本を書いている”とあったはず。そして『ホリエモン事件』が発覚したのがこの直後です。 どうしてもその影響からなのか、島男のやり方を全面的に持ち上げる形になっちゃってるのです。 それに命題を長台詞で語らせるのはスマートではないですよね。…”無理矢理挿入させられたのか”、と勘ぐってしまいます。 対決物の魅力は”どちらもが正しい”という点にあります。二話まではちゃんとその点を遵守していました。だからこそ面白かった部分があります。 ところがここにきて、”命題が捻じ曲げられた”感を拭えないのです。 ライブドアとの和解が、その方向を修正するきっかけになればと思います。 …脚本家さん、その時こそ頑張ってください。応援しています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回最大のお遊びは『椿姫』ですよね。 (草なぎ君は『椿姫』をモチーフとした朗読劇を行い、そして『僕の生きる道』でその挿入歌を歌い上げた)。 それは思わず受けてしまいました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「彼は”混沌”を生み出し…」 ”最初に混沌ありき、そこより陰と陽に分かれて世界は生み出される”。 そんな神話がある。 対極の概念―高柳の価値観、島男の倫理観―は、混沌の中で何を引き裂き、何を生み出すと言うのだろう。 その一方で島男の甘えは、どこまでも根が深く、まだ正される兆候は無い…。
2005/05/05
親は選べない。だから覚悟を決めろ。 主人公は少年の痛みを心に刻みながら、言葉を叩きつける。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ カウンセリングとは、人の心に耳を傾けること。 だから人は皆、隣人のカウンセラーになることができます。 ですが、カウンセリングは他人の心を覗くと同時に、その痛みを曝け出し、共有し、本人に向き合わせる作業でもあります。 故にカウンセリングは危険を伴います。深く潜りすぎることで本人を追い詰め、カウンセリングを行った人間にも深い傷を負わせることもあるのです。 次郎が第二回、第三回で少年少女と話し合ったのは、まさにカウンセリングと言えます。 前回は彼自身が昔乗り越えた出来事であり、彼自身は傷つくことは全くありませんでした。しかし、今回は彼にも未知の出来事です。 彼と朋美はそれでも少年の言葉に向き合いました。 朋美は”逃げること”を許容し、次郎は”逃げること”に向き合わせました。 …どちらが正解だったのか、私には分かりません。ドラマの展開はあくまで結果オーライにしか過ぎないのですから。 少年を諭すとき、次郎ははっきりと少年の心の痛みを共有していました。少年の心と自分の心を重ねあわせ、その共有部分の痛みを、彼も一緒に支えたのです。そうやって始めて、少年は次郎の価値観から自分の痛みと向き合ったのです。 次郎は、少年の心の痛みから目を逸らしませんでした。動機はさて置き、彼は自分の死生観を持って、その痛みを乗り越えたのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 第三回になり、次郎の『レース』という価値観が彼の”死生観”にまで昇華されているのがはっきりしてきました。 確固たる”死生観”を持つ人間は、ある意味では強いです。そこに子供と同じ感性を併せ持てば、子供に対するカウンセラーとしても優秀かもしれません。 ですが普段の次郎は、子供に対して無神経を貫き通しますからね(苦笑)。確かに元一郎の忠告も分からないでもない。 それに、彼がこれまで子供の言葉に耳を傾けたのは二度だけです。それも、次郎本人の心と向き合うためでした。 これがどう変化していく―大人になる―のか、それがこれからの楽しみです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ レース場でのライバルとのやり取りは…まあ、どっちもどっちです。 『解雇された理由』が理由であり、次郎に反省の色が無いですしね。挑発されても言い返す権利は無いぞ、次郎。 これから社会人としてどう大人になるんだろう…。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ レース場では、次郎のレーサー姿や『命を掛ける』という言葉にピンと来ていなかった朋美。 彼女はまだ、自分の中の倫理観で凝り固まり、他人の考えを受け入れる余地がありません。 彼女が”自分とは全く異なるが、自分以上に確固たる死生観”に触れるとき、どう変化していくのか。こちらの変化も楽しみです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 己の”死生観”に支えられ、他人の痛みをも背負う主人公。 彼はその先に何を見出すというのだろう。
2005/05/02
仕事は金を-”力”-を生み出す。 生きるため、大切なものを守るための”力”を。 主人公も、高柳も”力”を求める。 だが。仕事に”力”ではなく、”矜持”を見出す者もいるのだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ にぽたん研究所さまより、これまでのツッコミ追加です。 細かいディティールはこちらでどうぞ。まぁもちつけ漢は、時に潔く謝ることも必要だと思うお待ちどうさま、第三話です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「あなたとは違う世界」 …自分と相手を勝手に型にはめる人間は、本気で嫌いなのですが(怒)。 確かに前回、「あなたはそれでいい」と言われた後、『でも私はあなたと正反対の人が好き』という態度に出られました。でもその妬き方は大人げが無いです。 …その言い方は、人として問題があると思う。 ダメだと思ったら拒絶して、それでも優しくされるといきなりニマっと笑って甘える島男。思わず、不安になりました(←おい)。 前回の課題が、丸投げされている気がするのですが(滝汗)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 仕事は金を生み出すために行うものです。 その考えは、ある側面では間違ってはいないでしょう。 だけど、それと同時に、仕事の中に矜持(自分自身への誇り)を見出す人もいます。矜持とともに、その責任を引き受ける人がいます。 ドラマの中では、彼らの矜持を支える庭園や味。 仕事の中に矜持を見出したとき、その仕事はどこまでも輝きます。逆に、矜持を失えば仕事の輝きは激減するのです。 私がそう思う理由の一つは、”矜持”を持って『人の命』という責任を背負う人が私の周りにいるからかもしれません。”矜持”無しに、その責任は背負えないのだろうと感じます。。 もう一つは、仕事をしているSMAPやジニーの表情に”矜持”と、それに伴う責任感を何度も見つけるからでしょうね。ケディもその仕事の方向性に、”矜持”を感じます。その度に、彼ら彼女らに何度も惚れ直してきたからかもしれません。 高柳はそのことを理解せず、島男は時間をかけてそれを理解しました。 島男がそれを理解できたのは、彼の”甘え”も一因だろうと思います。知りたいという欲求のために会社を休み、和菓子屋に飛び込んだりするのは、”甘え”が無ければできません。 でも和菓子を”量産できない”ことを否定しないのは、彼が”弱さ”を否定しないからです。 彼は”金を稼がない”こと、”量産しない”ということの”弱さ”を受け入れました。その向こうにある”矜持”と、それに支えられた”味”という”力”を認めたのです。 逆に高柳は”庭に固執する”相手を、”弱さ”にしがみ付いているだけと嘲笑します。 ”弱さ”の向こうにある、”矜持に繋がる強さ”を否定します。そして”矜持に繋がる強さ”を金という”力”でねじ伏せます。そして”矜持に繋がる強さ”そのものを失うのです。 彼の中に残ったのは、(一時期騒がれた言葉をあえて使えば)”焦土”でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高柳が”焦土”を手に入れたとき、島男はそのままの”価値”を手に入れます。 それは高柳にはできなかったこと。そしてその手法も、彼には理解できないものです。 高柳の常識の中に、”異物”が入り込んだ瞬間でした。 それは彼の価値観や理性を壊す危険性を示していました。 高柳の”戯れに壊せる玩具”から、”調伏すべき敵”へと変わった瞬間でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 強さだけを振り回し、”弱さ”を認めない者。 弱さの中だけで生きようとする者。 まだ二人はその平行線の中で生きる。 ”矜持”を認める弱さ、”矜持”ごと押しつぶす強さ。 どちらが正しいとは、まだ言えず。 ”強さ”と”弱さ”の両方を受け入れる気配は、まだ、無い。
2005/04/28
「何言ったんですか?」 答えられる訳が無い。 彼は”言った”のではなく、聞いたのだから―――。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 昔、『フードファイト』に出てくるお嬢様ボランティアの『田村麻奈美』が苦手でした。 今でこそ愛すべきキャラクターですが、当時は”自分の倫理観で全てを推し量る”というところにドン引きしちゃったんですよね。 …が、今回の保育士『朋美』はその『麻奈美』を、悪い意味で超えちゃうキャラクターだったんですよ(滝汗)。 ”子供の言葉を聞こうとしない。” ”自分の育った環境での常識が、相手に全て当てはまると考えている。” これが二人の共通項です(←待て、それだけは)。 同じ行動パターンに、更なる行動力を備えた『朋美』。 園長の『話し合ってから決めよう』という言葉も無視し、強硬手段にでるところが怖いです(汗)。 これからの精神的な成長を望みます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 人の心は円に例えられます。 算数の『便図』のように円の重なり合う面積しか、人間は他人も自分も理解することができない。そう解説されています。 このとき、自分の意見を押し通そうとすれば、相手は身を引き、円の重なる部分も減少すると言われているのです。 朋美はその”心の円”を重ね合わせる方法を知らず、相手の気持ちも知ることも出来なかったのです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 次郎もまた、子供達とは間逆の方向で、人間関係に破綻をきたしています。 それは”世間”への無条件の甘えと言うべきかもしれません。もちろんそれは、子供達に向き合う上で間違っているであろう部分も多々あります。 ですが、それは思わぬ方向で施設の事件を解決に向かわせます。 彼は少女も朋美も平等に扱います。そして無条件に助けを求め、感謝を言います。 そして、少女の心に自分からは決して踏み込んでいきません。 実は、”カウンセリング”としてはそれは重要なことだったりします。 ”次郎は決して根掘り葉掘り聞かない、そして第三者の位置を守ってくれる”と感じた少女は少しずつ言葉を洩らし出します。 会話をすることで、次郎の”心の円”と少女の”心の円”が重なり合うのです。「別に(世間に)隠すことじゃねーし」 彼女は彼の考え方に触れ、そこから”世間”を見ます。それは彼女の見続けていたはずの”世間”とは違い、”親のいない”自分の居場所を許容していました。 『世の中は不公平だけど、それは”ずる”じゃない』 彼女は”彼の視点”を借りて、自分の心の中を省み、自分の思いを整理し、そう再認識したんですね。 ”世間”に対する無条件の受容を信じる次郎の存在は、”世間”を拒絶して自分を守ろうとした少女の心に風穴を開けたんです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 彼女の心自身は、決して何も変わっていません。 ただ、自分の気持ちに素直に向き合えるようになっただけです。 同時に、彼女は自分が朋美に反発するのは”おせっかい”に対してではなく、”引き離される”ことに対してだとも気づきます。 そのことさえ解決してしまえば、朋美の”おせっかい”も受け入れられると分かったんですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 次郎もまた、少女との会話で自分の心を覗き込みます。 昼間、苛立ちをぶつけた親指を眺め、その肉体的・精神的な痛みを思い出します。そして少女の心の痛みと重ねあわせ、自分も同じ立場にいることを思い出すのです。 そこから逃げ出さないために、彼は自分と少女の両方を奮い立たせます。「お前だけのレース」 それは、彼も少女も立ち向かっているものは同じ事だと、言う意味。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・親指の痛みが、彼自身の痛みを呼び起こす。 次郎と少女は言葉で自分達の心を重ねあわせ、自分の心から答えを導き出す。
2005/04/25
『恋におちたら』2-己が弱さを”優しさ”と偽って- 自分の能力なら、助けられると思った。 それは偽善か、それとも傲慢か。 彼は自らの”力”と”信念”を過信し、そして己自身の陥穽に落ちていく。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一話の感想の後、BlogではIT関係者からの怒涛のツッコミが入っています。 中には毒が過ぎるのもあるんですが(ネットサーフィンするならご注意を)、以下のブログは参考になるかと思います。 にぽたん研究所さまよりドラマに見る「緊急対応」に対する一般的イメージ鈴木島男に学ぶ ウィルス撃退法恋にヲチたら~いや、ですから、おなかいっぱいですってば (棒読み)~第二話いっときやす。 本業の方は、ツッコミが鋭いです。 これをみると、『鈴木島男』は『井原満』以上の超人のようです(そ、そーだったんですか…。汗)。 そしてこちらは、脚本家さんが昔に書かれたドラマのファンの方のもの。無駄な事なんて一つも無いんだよ。 - 「恋におちたら~僕の成功の秘密~」 …佐藤志麻子さんって本来、山崎淳也さんと同じ『ド級ツッコミ系ドラマ』を書く方なのでしょうか(汗)。 …『大人のファンタジー』(フジ広報部の宣伝文句。『恋おち』の他、『スタアの恋』・『…と呼ばれた男』シリーズも該当する)とは、まさかツッコミ系ドラマの隠喩じゃないですよね(汗)。 それと、”SMAPファン向け、草なぎ君の過去のお仕事のセルフパロ”もかなり散りばめられている模様です。 第一話の【高柳徹】、【楽勝です】は『僕と彼女と彼女の生きる道』と映画『メッセンジャー』。 第二話は【プロムシュート(ハム)】、【リュック】などが『スタアの恋』『いいひと。』。 来週予告の【住む世界が違う】は『スタアの恋』の最重要キーワードです。 他にもポコポコ隠れているようです。 …マニアックな楽しみに、違う意味ではまってしまうかもしれません…。 取り合えず、以降はドラマの展開や演出に対する突っ込みは他に譲ることにします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ようやく自分のプログラマーとしての”力”を振るうことを受け入れた主人公。 彼は”自分のやり方”という誇りを持って振るい始めます。 もちろん、彼が『切り捨てる』ということ以外の選択肢を模索したことは、いいことだと思います。 一人一人の弱者が足掻くのを手伝うことは、正しいことですよね。 誰かを切り捨てるのではなく、潜在的な能力を引き出して導こうとするのは、経営者として必要な能力だと思います。 自分の能力を信じ、道を切り開く彼に、(ようやく彼が動き始めた)そう、私も思ったんです。 前回までの感想から、これが彼の課題と考えていました。 でも彼の問題は、実は他のところにあるようでした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 主人公の行為は、遙か『上に立つ』立場で無ければ、正しかったのかもしれません。 彼は自分の能力を信じています。でもその"力"の方向性を与えるべき信念が間違っているとしたら? 高柳は、その信念―優しさ―は偽りだと指摘します。『”自分の甘えや弱さ”を優しさと思い込み、自己正当化してるだけだ。 一人に対する甘さは、他の多大なる人への被害となる。 犠牲を決断し、その苦しみを己に負うことこそ、関係者全員に対する、本当の誠意だ』と。 確かに彼は”自分や会社の周りを見渡すこと”を、過去に二度放棄しています。 それこそが彼の甘さです。それを見ないで走ることを”優しさ”にカモフラージュしているんです。 それを他人に丸投げして、その甘さのツケを支払っているのですから。 その時に砕かれた”信念”の欠片が、また細かく砕かれていくのを感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 主人公はSEとしては最高であり、ある意味で完成しています。 人に使われ、求められることを応えるだけなら、100%の成功を収めるでしょう。 だから、この回で挫折し、SEに転向しても物語は完結してしまうでしょうね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ”自分の甘えや弱さ”が通じない相手には、島男は強烈な拒絶を示すようです(次回予告より)。 それは主人公の”優しさ”が、本当の優しさで無いからなのでしょうか。 間違った”信念”が、彼の力を正しい方向に振るわせるはずがありません。 だからこそ、彼は空回りをした挙句、力尽きたのだと感じました。 でも私はこうも思うのです。 自分の弱さや甘さを自覚したとき、初めて他人の弱さを自覚できるのだと。 そして他人の弱さを、ただ一人で庇おうとするとき、強くなれるのだとも。 彼にはまだ、本気で庇うつもりはないと感じました。 周りが自分の弱さを助けてくれる、認めてくれるから――だから、動いたというのが伝わってくるんです。 そして、そのバックアップを他人に任せっぱなしにしています。 ”他人を助ける”つもりで”自分の弱さ”を他人に押し付けている。 彼にはただ一人で、全ての責任を負う覚悟がまだ無いと思います。 こんな彼が本当に変われるのか、正直な気持ちでは不安です。 これからの物語に期待しようと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回はCGは善戦していたと思いました。 プログラムの構築というのは、はっきり言って素人には『?』の連続です。 その進行をなんとか見せようとしているのが分かります。(難易度は前回以上だと思うのですが、そこは頑張ったと思います)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『僕なりのやり方』に秘められた陥穽。偽りの優しさ。 それは彼の限界でもある。 今はまだ、それを自覚せぬまま、過去の”信念”と”力”に飲まれたまま、進むだけ―――。
2005/04/21
「ペットか?」 ”懐かないから捨てる”、そんな里親に園長が食いかかる。 人と関わるということは、好意や思いやりだけではどうしようもないのかもしれない。 ”誰かに居場所を与える”ということは、苦しみや悲しみをひっくるめて”許容”するだけの覚悟が必要なのだ。 物語の舞台には、”引き受けられず”に親の手から零れ落ちた少年少女たちが集まっている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 井上由美子さんの脚本は『GOOD LUCK!』しかり、『白い巨塔』最終回しかり、いつも一本筋が通っていて、がっしりと心を掴まれます。 『GOOD LUCK!』では、”命を預かる仕事に対する矜持と責任のとり方”が、物語の土台を支えていました。 そして今回のドラマは”他者への拒絶、他者への許容”だと、感じています。 今回の次郎はまさに”父親との人間関係”、”職場での人間関係”に破綻をきたしているキャラクターです。 そして子供達もまた、誰にもその存在を許容されず、自分もまた”拒絶する側”に回って身を守ろうとしています。 その一方で”許容”しようとする側にも、少し問題があります。 つまり”ただ優しさや愛情だけで子供達を受け入れようとするお嬢様”と、”仕事と割り切って子供を受け入れようとする男性保育士”の二人です。(「かわいいと思いますか?」の一言で、見事に態度を表していましたね。) ”次郎”の登場で子供達だけではなく、この二人の大人たちにどんな変化が訪れるのか、それも楽しみです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 木村君の役はこれまでの役柄に、熱さと子供っぽさを加えた感じです。 でもそれを”変な顔”や”終わってる”などの『ダサさ』として演出するところに、これまでのドラマとは違う新鮮さを感じました。”仕事に対する責任放棄の勘違いプライドで、見事解雇。 昔の彼女(しかも嫌がってることに気づかない)にキスを迫り。 挙句、恩師や昔の仲間に『終わってる』と切り捨てられる。” 『ダサい』以前に、社会人失格の主人公(しかも、反省の色まったく無し)。 これを見事にダサく演じてるんですよ(褒め言葉)。 『ませた子供』は大人を『ダサい』と切り捨てるのに躊躇は無いので(←それはそれで問題だが)、これからもどんどん次郎を切り捨ててくれるでしょう。 木村君が演じると『ダサいのにかっこいい』となりかねないのが、これからの課題かもしれません。 ここは、木村君の踏ん張りと、視聴者にこびない製作スタッフの姿勢と、演出・脚本家の勇気に期待しています。 次郎が人間的に対人関係能力を成長させると同時に、これまでと全く質の違う木村君の可能性や魅力を引き出してくれるんじゃないのか。 そんな予感がします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 重度の『フードファイト(以降『FF』)』(日本テレビ系)ファンとしては、朋美が『麻奈美さん』に被ってしょうがない(←ボケすぎ)。(『FF』第一話で、真夜中に満がにこにこ笑いながら、麻奈美に「お嬢様なんですね」とのたまうシーンを思い出したり)。 …当方は『FF』の続編等、長編小説を3本も書き下ろす中毒者(ジャンキー)ですからね(遠い目)。 閑話休題(それはさておき)。 「あなたの存在が事態を悪化させた」という批難(あるいは拒絶)にショックを受ける朋美。 同時に、次郎からは親愛の情を示すことで、”彼女の存在”を肯定されます。 彼女自身が”拒絶”と”肯定”の間を行き来するんです。 その経験こそ、彼女がこれから子供達と向き合う上で必要なものとなるんじゃないでしょうか。 ラスト近くで”子供を愛したい、他人にも嫌って欲しくない”という思いから「殴られたんじゃない、突き飛ばされたんです」と言い切る朋美。 それは、壊れかけた自分の信念や価値観を守ろうとしているように見えました。 次郎の言葉は、そのことを指摘し、言い訳を封じました。 言い訳を封じられることで、これから彼女がどのように信念を変化させていくんでしょうか。 これからの変化が楽しみです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 親の”許容”範囲を見極め、”許容”と”拒絶”の境界を見定めたふりをする少年が最初に現れます。 でも、”許容”とは、そんなに一面的なのでしょうか? 全てを受け入れると覚悟を決めた”許容”は、全く違う形で現れるのだと私は思います。それをこれから見定めたいですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最初に現れた少年は極端ですが、彼らは皆”許容”されることを諦め、人を”拒絶”し、賢く立ち回ることで自分を守ろうとしています。 それを「大人になる」と、ドラマの中では表現されています。 でもそれが「大人になる」ことなんでしょうか? 対称的に主人公は無条件に”許容”されることを信じてしまいます。 だから自分の”信頼”に対して「めんどくさい」ともてあましているんでしょうね。 その信頼が時に甘えとなり、人生を失敗してもしまいます。 だから『次郎』と『子供達』は互いに、教師とも反面教師ともなることができるんだと思います。 次郎が喧嘩している二人の中に入っていけたのは、『二人とも俺には攻撃しないだろう』という信頼だと思います。 そんな開けっぴろげな信頼に二人とも思わず”そこにいることだけは”、”許容”してしまったんだろうと感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 教会からのポンコツ車は、ボランティアという理由だけで置かれています。そして、走ることもできずにいます。 それは、次郎の姿とも重なりますね。 でも”施設のために送り迎えをする”ためなら、車は走ることができます。 何のために走るのかを見出したとき、次郎は”そこにいる”ことが認められるのかもしれませんね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ”許容”に甘えるだけの主人公。 ”許容”を信じられない子供達。 ”許容”の形を見定められない大人たち。 交わることで、彼らはこれからどう変わっていくのだろう。
2005/04/18
この世に力は溢れている。 財力は無論、”権力”、”情報”、…そして”個人の資質”。 信念の無い力は”暴力”だ。 求められぬ力は”無力”だ。 物語は主人公が”力”を伴わぬ信念を挫かれ、”信念の無い力”に己の非力を諭されるところから始まる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 前半、島男が高柳を見る眼は、戸惑いと同時にどこか切なさを感じさせました。 それは、『自分が生きることのできなかった可能性』を見出していたからだったんですね。 人間は生きるうちに、幾つもの選択を迫られ、幾つもの可能性を切り捨てて生きていきます。 だからこそ、失われた可能性を懐古し、惜しみ、憧れることもあるんです。 島男は母親から海岸でそのことを指摘されたとき、笑いで誤魔化しながら話題を変えます。 そのときはまだ”懐古ですが、確かに”失われた可能性”と直面し、それと向き合ったんですね。 …『株式会社ハイアイランド』、『天才プログラマー』という失われた可能性と。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『情けは人の為ならず』、ただ己のために。 その言葉を島男は信念にしてきました。彼はそこに”人の情と神の助け”という力を見出し、確かな力と思い込んでいました。 でも、本当は硝子のように脆い”日常”を支え、留めおく力など、欠片も無かったのです。 彼は”力”を伴わぬ信念を挫かれ、6年前に切り捨てた”可能性”―あるいは”夢の残滓”―と再び直面します。 彼は僅かに残った信念-人の情-を頼りに、もう一度”失われた6年間”を生き直そうとするんです。 失った可能性、捨てた夢を取り戻すことは、決して誰にでもできることじゃありません。 捨てることで得たものを、全て捨てて、なお痛みを乗り越えなきゃいけない。 島男はそれを一話の段階(母と仕事を失い、他者から自分の型をはめ込もうとされる)から経験しています。 でも止められないのは、歩き続けることで首をもたげ始めた”夢の残滓”のためだと、途中で主人公と視聴者は気づかされるんです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高柳には財力があります。 それは確かに力です(個人的には”情報”や”権力”の方が遥かに強いと思いますが)。 でも高柳は”力”に飲まれ、”力”のために更なる”力”を求め続けています。 制御されない”力”を持つ『フロンティア』は、ある意味で社会に対する爆弾なのかも知れませんね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ オフィスを、そしてパソコンを見る度に呼び起こされる”夢の残滓”。 それは時に自分が抱いた”夢”の素晴らしさを、時に”これまで歩いてきた6年間”の残酷さを見せ付けます。 それが彼を強く突き動かすのは、『新型ウイルス』を観たときです。 呼び起こされる記憶と、在りし日の能力。 分析し、触れることで、現実と自分の中のものがゆっくりと結びついていきます。 理論を組み立て、脳内でシミュレートを行うと同時に。 ”夢の残滓”が、確かな”夢”として生まれ変わろうとしているのを感じました。 ”意志なき力”であったプログラマーとしての能力に、夢が結びついていく。 人がその人生を変える瞬間に、私は魂が震えるのを感じました。 全てを終えて、彼は”夢”が己の中に生まれ変わったのを知ったはずです。 ”他にできることが無いから”突き進むのではなく、”それを成したいが為に”その場を目指すのだと。 その変化に戸惑うからこそ、一旦はその場を立ち去ったのだと思います。 でもこうなったら、彼は絶対に”オフィス”に戻ると思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 彼の”夢”には、”個人の資質”という確かな”力”と結びついています。 でも、信念はまだ伴っていません。 彼にあるのは、挫かれた信念のみ。 下手をすれば、彼の”夢”も『フロンティア』の抱えた欲望と同化するでしょう。 ”夢”と”挫かれた信念”と、そして”信念なき力”とを島男の中で掛け合わし、”夢”を新たな信念として昇華した時。 彼は”自分の資質”を本来のもの以上として振るうことができるのだと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ CG(コンピュータ・グラフィックス)の使い方が下手だ、というのは感じました。 勿論、IT産業物でCGを使うのは非常に正しいと思います。 ですが、金と時間を掛けるべきところの描写が下手で、要らないところに多用するのはまずい(汗)。 『ネオクーロンB』(鷹見一幸著 角川スニーカー文庫)のP.376の台詞に「お前、本当に解析やっているんだろうな? お前の答えを聞いてるとゲームにしか聞こえんぞ」というものがあります。 この『クラック(侵入)』『ウイルス』などのネット上の現象を描くのには、ゲーム的な映像描写が必須なんです。 コンピュータを触らない人には、はっきり言ってラストの山場は「???」の連続です。それを置いていかず、緊迫した状況を伝えるには、台詞による説明よりも視覚による描写が求められます。 現実と仮想現実が並行する様子を伝えるだけの力こそ、本来のCGの能力です。 ですが、ラストはその力をまったく引き出せてません(涙)。 CGでネットを描くのは、従来のドラマにおけるCG用法では足りないのかも知れませんね。 今からでも遅くない、『ニトロプ○ス』(新鋭コンピュータゲーム会社)とか、その方面に強い人たちに協力要請だしてください(懇願)。 …NHKのドキュメントばりのリアリティを、とはいいませんが、もう少しそれを意識した方が良いとおもいます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 島男の設定(昔の夢を、もう一度追いかける)というのは、これまでは脇役キャラに多い設定だったと思います(主人公に影響されて、夢を追いかけ始めるのが過去のパターン)。 だからかもしれませんが、私のツボを完全に刺激しました(←脇役好き)。 単なるサクセスストーリーではなく、『普遍的な切なさ』をも扱った物語というのも大好きなんです。 できれば6年前の夢を捨てるきっかけを、作中でリアルに描き出して欲しいです。 恋愛でも成功でもなく、”『普遍的な切なさ』をどこまでリアルに描けるか”、がこのドラマの明暗を示していると思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 主演が自他共に認めるアナログ男のためか、かえってタッピング速度にためらいが無く、早打ちのリアリティがありました(怪我の功名)。 うん、これなら実写版「トリニティ・ブ○ッド」の主役もやれる…スパコーンッ(←管理人、スリッパで叩かれる)。 まあ、それはともかく、プログラマーという設定は胸が高鳴りますね。 それも本来の意味で『ハッカー』という尊称の似合うキャラというのは、すんごく好きなんです。 現実でもプログラマーの皆様を尊敬してますし。(ちなみに、他者のコンピューターやサーバーに侵入することは、正しくは『クラック』といいます。 世間で言われる、他人のコンピューターへの違法侵入者は『クラッカー』が正しい)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『僕と彼女と彼女の生きる道』では、家族のために仕事を捨てる『小柳徹朗』を熱演した草なぎ君。 今度の『鈴木島男』は、”かって家族のために捨てた夢を取り戻す”という、ある意味で対極にいるキャラクターです。 私自身は『仕事と家族、両方を選んでこそ男の甲斐性!』という信念(←おひ。)なので、島男には頑張ってもらいたいですね。 仕事に矜持を持つ男性が、一番かっこいいですよね。 (『僕カノ』後半で主人公が仕事を捨てたことには、少し幻滅した) 確かにヒロインがどこか天然入ってるところも、好感を持ちます。 でも、仕事関係でこれだけ魅力的な要素が詰め込まれているので、むしろそちらを優先して描いて欲しいですね。 これまでの価値観や信念が崩れゆく危うい部分。6年という月日が消える一瞬。 主人公の心の揺れを、これからも”魅せてくれる”のを希望します。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ”夢の残滓”は本来の姿を取り戻し、”意志無き力”だったプログラマーの能力を呼び起こす。 彼は”失われた6年間”を取り戻そうとする。 ”夢”と”挫かれた信念”と、そして”信念なき力”。 彼は意志と信念を”己の資質”に与え、歩き出せるのだろうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4/19 追記。今回の演出に対して、鋭いツッコミがありました。ドラマに見る「緊急対応」に対する一般的イメージ 確かに、詳しい人から見たら、そうですよね(苦笑)。 コンピュータには詳しくないのですが、ここはこれからもチェックさせて戴こうかと思います。
2005/04/14
借金苦で首を括る行為が、逃げであると同時に、”責任転嫁”であるという事実を再確認しました。 ラスト三話は黒”明”出現で、一気に飲まれちゃいました。 これが単なる根暗だったら、「予想範囲内じゃん」の一言で済んでしまうところ。しかし実際は”負の感情”炸裂・暴走する明の姿に、完全に圧倒され、最後まで引き摺られてしまいました。 この辺り、脚本と明役の俳優さんががっちりはまってくれました。 最初の頃の「視てるの辛い…(涙)」という自分の気持ちはどこへやら。 その一方で、衛もラストへ向けてかなり愛着を持てる青年へ成長しました。 昔の衛(特に最終回、明の回想シーン)は本当に『こいつ、いっぺん締めていいですか(怒)?』というぐらい嫌な奴でした(笑)。…稲垣君、この辺りの演じ分けはさすがです。 でも、彼はいろんなことをこの出来事から学びました。 最終話で部長に「辞めるのではなく、このプロジェクトを最後まで成功させるのが”本当の責任”」と諭す姿に、発言のもう一つの意味を感じたんです。 衛の父親は”生きること”を辞めることで、借金の責任を取ったように見えます。しかし、それは”借金の責任”を他人に押し付けるだけのことでした。 そして、上司も”仕事”を辞めることで、プロジェクトに関する不祥事の責任を取ろうとした。 だからこそ、父親の二の轍を踏もうとする部長を止めたのだと、そう思うんです。 苦しさから手放すこと、逃げ出すことが決して”責任”の取り方じゃない。 その意味を衛は、ちゃんと分かったんだと思います。 ツッコミを入れたのは明に対する美沙の説得の言葉ですね。『これは絶対、説得失敗するだろ。おい』と思いました(ほんとに失敗したけれど)。『「復讐を止めて、私には今、安らぎがある」「あなたは昔の私と同じ目をしている。そんな苦しみだけの暗闇の中に、戻りたくは無い」 とか、その観点で説得しなきゃだめでしょうがっ!』と、全力で突っ込みましたよ(←どこで夢中になってんだ、自分)。 ドラマを最後まで視て感じたのは、”復讐と不幸の輪廻を止めるのは、責任の取り方であり、それに対する自覚なのだ”ということでした。 ”赦し”もまた、人としての”責任”の一つなのかなと感じました。 主人公親子に関しても『責任放棄』で巡り巡って不幸を生む辺り、因果な方々だと思います(おいっ)。 …自分も子供の頃、『被害者の振りして、しっかりあんたも人を傷つけてる』と言われました(…自分はそれから、少しは自覚するようになった)から、他人事では無いんですが(滝汗)。 でも最後に、衛はそれらの因果の糸を集め、多少なりとも受け止めることで、その輪廻を止めました。 衛や彼の行動に影響を受けた人々(美沙や部長、母親…etc.etc.)のように、一人一人が責任を持って、『悲劇』のきっかけを止めていくことこそ、重要なのだと思いました。 タイトルの『悲劇』は物語の分類ではなく、”人が自身の責任を手放すこと”で起こる出来事全てをさしていると今は思います。 私もまた、自らの『悲劇』を生み出さぬよう、このドラマのメッセージを心に刻んで生きていきたいと思います。追記: 『ノベライズ読破推奨』 ドラマの感動冷めやらぬまま覗いた常連掲示板で、思いっきり釘を刺された自分。 ただ今、本屋を回ってノベライズを探している最中です。 (…ドラマを補完するだけの展開や複線がすごく楽しみ。) 手に入ったら、また『コメント』という形で追記しますね。
2005/03/25
それではSMAP&ジニー関連の話題。 4月からのドラマ&映画情報がいっぱい出てきましたね。 木村君のドラマは前に語ったので、今度は草なぎ君から。 草なぎ君の今度のドラマは『お金が無い!』(フジ系)のIT業界版。『お金が無い!』が大好きだった自分としては、すごく期待が高まります。 現在の状況(フジVSライブドア)の下では、詳細の変更がありそうですね。その辺りの動向を静かに見守りたいです。 映画はもうすぐ『シャークテイル』が公開。 …まとまった時間を作って、『ハウル』ともども観に行きたいです…(涙)。 『シュレック』と同じスタッフということは、こちらにも色んなパロディが詰め込まれていそうで楽しみです。 (『シュレック2』は去年、旅行中に飛行機の中で見ました。古典ファンタジーへのアンチテーゼとして、すっごくよくできてましたっけ) 草なぎ君の吹き替え映画『ロボッツ』も決まりましたね。 …基本的に私は『世の不条理に惑う人々』よりも、『不条理を作り出す奴ら、全員ぶっ飛ばす!』的な話が大好きです。 だからレジスタンス物の匂いがする予告に、ドキドキしています。 すでに私の頭の中では『ロドニー』が『Reading 椿姫』の”有谷”の声で動いてます(←飛躍しすぎじゃっ!)。 香取君のインフルエンザは緩快したようで、ほっとしています。…でも全快はしていないかな(先週の『SmaStation4』の様子より)。 どちらにしても、SMAPの周りで流行しているようです。 他のメンバーも、気をつけて無理だけはしないで欲しいです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ジニー、<二人で>の快進撃おめでとう(嬉)! チャートではジニーの曲が上位に示され(一位のところもあり)、韓国での活躍を実感します。 なにより、たくさんの人が韓国で聞いてくれているということが嬉しい。 彼女の夢が、いろんな人に支持されていて、嬉しいです。 せっかくだから、チョナン、今こそジニーに会いに行けっ(←飛躍しすぎ)! 折角番組内で『毎月の韓国ヒットチャート』をやってるんだから、今こそいいきっかけです。 絶対話題が膨らむと思うんです。 せめて今週か来週の『チョナン・カン』で<二人で>を取り上げて欲しいです。
2005/02/24
日ぶりのUraraです(これを書いているのは24日。汗)。 溜まっているいろんな話したいことを纏めて語っていこうと思います。 まずは『Mの悲劇』Capter1~6まで。 3話で全てが明かされた時点で、普通に正視できるようになりました。 復讐される理由が『自分のエゴ優先した為に、他人が死んだ』と分かった時点で、衛への同情心が消えました。それが落ち着いて見れるようになった理由かな。 …管理人自身が”自分の被害や損害だけしか見えず、結果、他人を傷つけた”過去を腐るほど持ってます。だから衛の行動原理が嫌ってほど分かるし、だからこそ『絶対やるなよ…』と思います。 私も学生時代にたくさん釘を刺されたし、だからこそ『安藤衛』よりは多少自覚的に生きてきたつもり…です(それでも傷つけた方、ごめんなさい。陳謝)。 衛、とことん償え(←本気でそう願う)。 無関心ゆえの罪、というのは実は本当に重いと思います。 ドラマを観ている人の中には『衛、全然悪く無いじゃん』と思っている人がいると思います。 そんな方は、ぜひ『新・時空のクロスロード3 赤い心の女の子』(鷹見一幸著 電撃文庫)を読んでみて下さい。(当管理人によるレビューはこちら) 衛の罪の重さが分かると思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 衛に関しては、四話以降と以前とでは全く魅力が違いますよね。 美沙の勤め先に乗り込んだとき、『(手術代を出したのは)良心が咎めたからだろう?』と説得するシーンがありましたよね。 そのシーンでは思わず、「衛、その前に『母親は見逃してくれて、すまない』っつーのが先だろ!?」「自分の中に説得の言葉が無いからって、他人の行動からその内心を推し量るなっ! 土足で心の中に入り込む行為だぞ、それはっ!!」 とブラウン管越しに叫びました(汗)。 あれは、金を燃やしたくもなろう(←それは待て)。 そんなダメ人間な衛だけど、少しずつ人間として成長していきましたね。 第六話で、『僕が死ねばいいのか?』という時の表情はそれまでとはまったく違いました。 気がつくとお父さんと同じように借金まみれになっちゃう衛だけど、そのことに後悔は無いと思います。 本当に柔らかで、優しい表情でしたね。 (…ついでに役者にも改めて惚れ直したり。稲垣君の役者としてのふり幅に、改めて感動しました) 被害者ではなく、これからはただ一人の人間として、衛の再生と成長に期待したいです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ このドラマを観ながら思い出すのことは、上述の小説のほかにもうひとつあります。 ミヒャエル・エンデさんの戯曲『遺産相続ゲーム』の解説に、こんな一節がありました。「悲劇と喜劇は、実はまったく同じ造りなのだ。 『主人公が、手遅れになる前に真相を知るかどうか』 という一点だけが違うだけなのだ」 『遺産相続ゲーム』は、その一点をわざと無視した悲劇でした。 今回の『Mの悲劇』も、この戯曲のときのエンデさんと同じ”冒険心”を感じるんです。 衛と美沙の前に”真実”はいつ提示されるのか。 悲劇と喜劇の紙一重の境目を、どう見極めていくのか。 それらも含めて、見守りたいと思います。
2005/02/20
一月クール、始まってまもなく。 『Mの悲劇』、未だに怖すぎて正視できません(汗)。 でもなんで、私がここまで怖がるのかは分かりました。 …………主役のダメなところが全部自分に当て嵌まるからです(凹)。 保身第一で、周りをきちんと認識していなくて、ふとした正義感で墓穴を掘るきっかけを作り。 まさに”他人の人生で己の人生を振り返る”の状態です。『美沙』に当たる存在がいつ私の前に現れてもおかしくないと思う…。 ほんとに他人事だと思えないから、それが一番怖すぎるんですよ。 …頑張って衛君と一緒に人生更生を目指します…(地の底までずぶずぶと沈んでいく)。 木村君の来春ドラマも決定しましたね。 設定を見た段階で”『サイバーフォーミュラEX』+『タイガーマスク』?”と思ったアニメオタクは放っておいて。 かって我が周りの『”原作アンチ”にして己も(元)大学勤務医』という知人達を有無を言わせずに引きずりこみ、最終回で見事に黙らせた平成版『白い巨塔』。 その平成版の脚本・プロデューサーということが非常に心強いです。 また、井上由美子さんの脚本はすごく好きなんです。『GOOD LUCK』の時もいっぱい語っちゃってます(半分以上は”香田さん萌え(時に元萌え)”状態だけど…。汗)。(以降、過去日記。第1話 ・ 第2/3話 ・ 第4話 ・ 第5話 ・ 第6話 ・ 第7話 ・ 第8/9話 ・ 第10話) 私はこれから夏まで、稲垣君と木村君で振り回されまくっちゃう予定です。すっごく楽しみです!
2005/01/28
決して保守的ではなく、攻めであること。 それこそがSMAPの本質であり、原動力だと思います。 今回のファンタジー・ドラマも、冒険であり、彼らの姿勢の表れだと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、今回は語ります。相当の長文になりますが、ご容赦ください。 …といいますか、このファンタジー狂いでSMAPファンの猪管理人が止まるはずがありません(汗)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ドラマが始まる前は『期待するな』と言い聞かせるのが精一杯。 なぜならこの管理人は『ポーラー・エクスプレス』級のCG(最低でも劇場版『仮面ライダー555』級)と『ロード・オブ・ザ・リング』級の重厚・複雑な展開を期待してしまう阿呆だからです(←この撮影期間でできるか、んなもんっ!)。 でも、開始直後に凝りまくったセットにぽーっとなり。そして数分後に映る街の全景&怪しげなマシンの造詣が映った途端。「クリット(一部のゲームファンが使う、改心の一撃の隠語)―――――――――!!!」と、心の中で絶叫。 途中、『ジュニア』と『マスター』の会話シーンで、『マスター』の正体が分かった途端、「うぉぉぉぉぉ……(既に言語にならない状況)」と、撃沈。 挿入歌のフレーズ『本当の自分に戻りたい』で、『マスター』が服を抱えて奥に引き込んだときなど、歌詞との相乗効果で管理人の思考回路(特に情緒関連)が崩壊開始。 その後、怒涛のように壊れていく中では、”手袋”という少女の過去ごと愛する宇治養父母の愛(子供をあるがまま全てを愛せる両親)がまた心の急所を直撃し…。 主題歌はしっかりドラマの内容とリンクし(脚本家さんが書くメリットでもある)。おかげでドラマパートが完全に終わるまで、現実へ帰還できずに泣いてました。 (SMAPではなく、ドラマのキャラクターが歌って踊っているようにしか見えなかった。) そして、『CGや凝ったセットをたっぷり使った、ファンタジーな世界で動くSMAPが見たい』という長年の夢が果たされ、管理人は本望です(昇天)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 確かに筋立てだけを取り出すと、『天才テレビくん』などのNHK教育テレビの子供向け特撮ドラマにありそうな展開だったりします。 ギャグと道徳的要素、山場の詰め込み方やキャラクターの立て方などが、よく似ているせいかもしれませんが(←教育テレビのドラマを知っている自分が怖い…)。 その点と、複線の詰め込みの少なさがちょっと苦手ではありました(どちらかというとハード・ファンタジー好きなので)。 もっとキャラクター(役柄)を掘り下げて、過去を隠喩する小道具や台詞を散りばめてもいいんじゃないかな…。 しかし、話の運び方がちょっとベタであっても…。 絵の中に描きこまれた手袋(レオと寅之助の象徴)が、『マスター』の腐り方が、管理人の涙腺を決壊させました(汗)。 …状況の描写方法に、私の涙腺は左右されるのだという事実を改めて再確認しました(再汗)。 いや、ケンタウロスのコントですら動揺する自分が、”草なぎ君がサンタ二世”と言う時点で、壊れないはずがないでしょう(キッパリ)!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ まずは愛しき凶暴トナカイコンビ(←待て、その呼び方)から。 いや、アジーとオットーの宇治宅での暴れ方は、まさに野生のトナカイ(←言い切るな)。ちょっぴり怖かったです(笑)。 この二人が互いを兄弟と言い合うようになったきっかけが、気になりますね。 アジーはある意味では、私の中の木村君像そっくりでした。 兄貴風。ぶっきらぼう。でも実は真面目で説教もしちゃうし。熱かったり、天然で騙されるところもあり。でも自分に降りかかる不条理にはしっかり突っ込み返せるから、安心していじりたくなるんですよね(微笑)。 『不幸なお知らせがあります』などの表現も、彼っぽいですよね。 オットーはちょっと足りない弟っぽさが、すっごく可愛いです。そして美化されまくったメイドさんビジョンのオットーとのギャップが最高です。(…メイドさんの妄想は少しばかり、自分を見るようでもありましたが。汗)。 個人的には棒付き飴とカレーを一緒に食してしまうところに注目。…まさか他のご飯も一緒に食べたりしないですよね(口の中の味を想像したくない。汗)。 二人とも、必死で孤児コンビを庇い助けようとしていたのが、いい奴らだな…と感心しちゃいました。 ジュンサはダメ公務員(犯罪者を見逃したり、かばったりしちゃダメでしょ…)。 おまけの映像になると、完全おっさんルックだったのがまたびびっちゃいましたけど(笑)。 でも、金持ちが交番を覗き込むシーンで、さっと腕を伸ばしてレオが飛び出すのを阻止したのがツボ。さり気に自分なりの筋を持っているのを感じますね。それがかっこいいと感じました。 ジュニアで管理人のツボに入ったのはアラビア語です(←言語フェチが…)。 設定はベタだけど、サンタを否定しながらサンタと話していたという矛盾なキャラという点も好きだったり。 そしてジュニアも手鏡をチェックしていた辺り、稲垣君のデフォルトになってるのかも。 ドラマの後、”親バカになっているのでは”という説がありますが、それはありうる…。 そして、『マスター』。 …昔から”トラウマやひねてるという理由で、本来の姿を出せないすごい人(精霊・妖精・妖怪・神…etc.)”という設定は大好きでした。 アニメであっても特撮であっても、老若男女に挙句は非人間まで、どんなキャラでも思わず抱きしめたくなっちゃうんですよね。 それが、草なぎ君の設定で、実は精霊(妖精?)で、しかもその衣装が似合っていた日には…(管理人、再崩壊中)。 草なぎ君ってSMAPの中では一番いろんな役に染まりやすい分、脚本や監督の思い入れを投影する役柄を割り当てられやすいんですよね。(『僕が僕であるために』も、草なぎ君の役は脚本家の友人(故人)の実名であり、メッセージそのものであったし…。これはノベライズの後書き参照) 本当の所、サンタ衣装を着けた全てのシーンがツボにはまりました。 しかし、マスターの寿命とかどうなってるんだろう? それにタモリの小父さんとの関わりは? その辺りを掘り下げても、新しいエピソードが出てきそうですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回は普段良く観るようなドラマではなく、CGを多用したファンタジーでした。 分野として確立されているとはいえ、『TAGBOAT』スタッフ(監督・脚本他)のトリッキーな映像世界はまだマイナーであります。 それを二時間ドラマにしてしまうのはやっぱり冒険です。 冒険的な要素を大事にしつつ、実力派俳優や個性派芸人で固め、菅野よう子さんという専門家を招聘する。 そして最高のものを作り上げていくのが、今のSMAPの流儀なのだとも思います。 この中から、次へ繋がる原動力が紡ぎだされていくのを、信じています。 スケジュールを調整したマネージャーまでも、その功労からスタッフロールに乗る異常事態。これから察するに、今回は相当時間が無かったようです。 それにあわせてCGという非常に時間の掛かる作業を加えたので、ドラマの時間が短くなってしまったのは残念でした。 もう少し時間があったら、『ジェットそりがジュニアの車に激突。事故責任を追及してくっついてくるジュンサも乗っけ、ジュニアを息子の下に届ける。もちろん、そのまえにトナカイと子供達もチャーター済み』というシーンがあったのかもと、妄想したり。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 菅野よう子さんのメロディーと、ドラマにリンクした歌詞がツボにはまった主題歌。 振り付けも香瑠鼓さん(チョナンカンや慎吾ママ、そしてブラック・ビスケッツの専属振り付け師さん)という管理人号泣物のメンツであり、幸せです。 ポイントになる仕草とか、至近距離の踊りなど、香瑠鼓さんらしさ全開で懐かしさまでこみ上げる始末です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ なんだかんだいっても、私にとっては最高でした。 ではでは、ドラマ・リピートに行ってきます!
2004/12/26
今、『遥かな祈り』(唄・三重野瞳、作詩・芹沢類、作詩・菅野よう子)を聞きながらこの文章を書いています。すごく透明感のある歌詞に、それを更に膨らませるメロディーがすごく素敵なんです。 そして何より、映画『レジェンド・オブ・クリスタニア』での、この曲を背景とした物語の静かな始まりが未だに忘れられません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 月曜の朝、このXsmapの新曲速報が着ました。 …まあ、この猪管理人の狂喜乱舞の遠吠えは想像にお任せするとして(汗)。「作詩は麻生さん…ケミストリーに提供した”やるせない”系は上手いし、なんだか”らいおんハート”の世界観を拡大したような歌詞はツボにはまりそうだし(←当サイトの『フードファイト』小説の主題のひとつと被る)。 んで、作曲は菅野よう子さんって人か。 …聞き覚えがあるような…」 熟考することしばし。「!!!」 聞き覚えがあるなんてものじゃない。 私、下手すればSMAPよりもこの人の作った歌を聴いた回数が多い!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ スポーツ誌にはアイドルソングの提供者と書かれていましたが、菅野さんはむしろ『アニメ挿入歌・BGM』の楽曲提供の方が多いと思います。 有名どころでは『カウボーイ・ビバップ』でしょうか。このアニメは松田優作さんの『探偵物語』にも通じるクールさがあって、大人の鑑賞にたえられます(…といいますか、大人の方がはまります)。この中の曲は本当にかっこいい。 そのほかにもいろいろアニメ楽曲を提供しています。 当方、マー坊レベルの古いアニメから香取君年代よりも新しいものまでアニメを観てましたから(←いや、『デカレンジャー』観てる己はしっかり現役だっての…。滝汗)、この人の曲は何度も聞いています。 一時期はアニメの挿入歌アルバムを何枚もレンタルして聞いていたので、だから覚えてたんです。 8年前にポケビに出会わなかったら、まだ私はアニメ・ソング(以下アニソン)中心の音楽生活だったかも知れない(←アニソン卒業のきっかけとなったのが『YELLOW YELLOW HAPPY』。怖)。 でもそれだけはまったおかげで、子供向けドラマにおける主題歌の重要性がわかるつもりでもいます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回のドラマは”SMAP”と”クリスマス”という安全パイを組み合わせただけに見えて、実は”CGドラマ”とか”ファンタジー”とかの冒険要素がすごく多いんです。 ”ファンタジーが日本の風土に根付いていない”、というのはこのサイトでも繰り返し言っていますが、今回はその”ファンタジーに馴染みが無い”人々にも観てもらわなくては話になりません。その馴染みが無い人たちへの突破口は画面であり、音楽です。 その音楽面を支えるには”ファンタジー”や”大人・子供両方の鑑賞”と言った要素に慣れている人じゃないと、正直きついと思います。 だからその主題歌・BGMに大人向け・子供向け両方のアニメに楽曲提供する専門家に白羽の矢を立てたんでしょうね。 …菅野さんを選んだ方、本当にいい仕事してます(感服)。 私は『大衆に迎合するのではなく、それにそっぽを向いて突っ走るのがSMAPの本質』だと思っています。そして突っ走る彼らに、また一つ良い条件が加わったのがすごく嬉しいです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回の曲は私のポンコツPCではダウンロードできないようですが(回線も狭いし…)、結局ドラマを猿リピートして聴き続けるつもりまんまんなのでそんなに問題ないです。 何よりSMAPの新曲が25日に聴けるという事実だけで充分! 菅野よう子さんの曲をSMAPが歌う日が来るなんて思っていなかったので、それだけで幸せです。 早く来い来い25日。猪管理人が幸せのあまり知恵熱出す前に(←待て)。
2004/12/20
新撰組が終了しました。 本当、長くて密度の濃い時間だったと思います。 始まる少し前から、私も予習とばかりに色んな本を買い込み(こちら参照)、伊東甲子太郎のにわかファンになったり、斉藤一や永倉や市村鉄之助に思い入れができたりしました。 ただ自分の予習癖も、TRPG専門店で『上海退魔行 新撰組異聞』のルールブックを買いかけたときはさすがにヤバイと思いましたね(汗)。さすがに”新撰組による中国の吸血鬼狩り”のゲームは異端過ぎる…。 新撰組が始まった当初は”大河はドキュメンタリーでも教科書でもなく、ドラマなんだ”と叫びまくりつつ、かなり真剣に見入ってました。 『ハングマン』(テレビ朝日系)のグレン役で大好きになった佐藤浩一さん(←どこまで古い作品を見てんだ、己。汗)が演じる芹沢鴨がすごく渋くてぽうっとしていたことや、人斬りについてとまどう勇に感じ入ったり、どんどんはまっていったことを思い出します。 自分が一番印象に残っているのは、贔屓の伊東甲子太郎の死。 裏切り者でもあり、策士でもあったのは事実です。でも”脱退後も近藤と何度も語り合っていたり、薩長とも話し合う”という史実が、彼の信念や人徳を示してたと思うんです。彼は新撰組の価値や近藤の人柄を見抜き、失いたくないから、本気で薩長側に引き入れようとしていたんじゃないかな…。本当はどんな相手だろうと、どんな立場だろうと分かり合おうとしていた人だと思うんです(←伊東ファンの贔屓目)。 そこまで思い入れていたからこそ、ドラマの中でどう彼の死が描かれるかはドキドキでした。 そして、三谷さんの描く彼と勇の最後の会話はもろにツボに来ました。勇の根底に触れることができた伊藤は、ドラマの中ですごく重要なポジションだったからです。それだけ良い扱いを受けたと思うと、伊東ファンとしては本望です。 土方と山南のコンビの友情もすごく好きでした。死線を潜りながら育った、この二人の喧嘩仲間のような関係が素敵で。 私が重度の伊東びいきじゃなかったら、私も山南にはまっていたかもしれない(微笑)。 山南の最期と、其のときの土方の涙は絶対に忘れられません。 永倉も最初は『童顔じゃない、大人じみた永倉は嫌だ~!』とか言いつつ、最後には完璧に惚れこんでましたし。 斉藤は小説『FIGHTER』の関西人イメージを払拭してくれました。この小説の警官・斉藤が好きな自分にとっては、最終回の彼は最高にかっこよかった。 武田勘流斎も、せこくて見得張りで、ひねてるけど善人である部分がすごく愛しく、それだけにその最期は辛かった。 他にもいろんな登場人物の一人一人が愛しく、魅力的でした。 出番が瞬殺だった榎本ですら、最終回の会話で呼ばれるだけでその存在感を増しましたし。 彼らを追いかけるうちに、いつしか最終回に導かれた気がします。 これが三谷さんの脚本の一番素敵なところなんですよね。 昔、故ミヒャエル・エンデ氏の戯曲についての本を読んでいるときに『喜劇と悲劇は、情報の出す段階が違うだけで、後は同じなんだ』という内容を読んだことがあります。 それは『喜劇を書くのも、悲劇を書くのも、技術的に同じ』という事なのかもしれません。 そして、三谷さんの脚本もコメディタッチでありながら、『新撰組』という”時流に逆らった人々”の悲劇も描ききっていたと思います。 出演者・スタッフの皆さん、素敵な作品をありがとうございました。
2004/12/12
『ファンタジー』。 朝のワイドショーでの一言が全ての眠気を振り払った。「SMAP五人でファンタジー(notオムニバス)!」 ファンタジー狂いの猪が近所迷惑を顧みず、歓喜に吼えた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、危ない”猪”こと管理人です(←待て)。 SMAPファン暦も8年以上ですが、ファンタジー歴はその二倍近くある自分としては、このコラボは最強だったりします。 (↑新聞は”ファンタジック”と言っているが、誰も”本格”ファンタジーとは言っていない) この話題で日記を書かないわけにいかないですよね! もう私の頭の中では「月とヤドリギの魔力に拠りて請う!(箒の上で)」だの、「イザナギとイザナミの盟約の下、全ての穢れを祓わん!(玉串を振るう)」だの叫んでいるメンバーが…(←ファンタジー感が歪みすぎ。汗)。 ひたすら間違った想像をしている奴は放っておいて。 私は『The HOTEL VENUS試写感想』や、『OF-MARin 黄泉がえり感想』を見てもらったら分かるように、ファンタジーにはちょっぴりうるさいです。 あと、過去の日記の『黄泉がえりのシナリオのダメ出し』あたりも(汗)。 そんな自分を満足させてくれるだけのファンタジーを要求するのは、無茶だとは分かっているんですけどね。 まあ『ヴィーナス・エンジェル(ケディ出演の特撮)』を超える”Z級”SFファンタジー・ドラマは絶対無いから(←ケディファンとして、断言できるのが哀しい。血涙)、結局どんなものでも受け入れてしまいそうです(…それはそれで待て)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 自分の予想としては『街外れの教会に住む五人の神父。その実体は懺悔の内容を元に裁きを下す、異能者集団だった』とかかな。 …テレビ朝日向きのネタしか思いつかない自分が悲しい…(←フジテレビが最も不得手とするネタ)。 やっぱり無難に『地上に降りた天使』ネタでしょうか? ちなみに管理人のSMAPに対するファンタジーなイメージは下に。これに対する苦情、批難、文句、抗議は全て当管理人Uraraにどうぞ(←待て)。(『ダブルクロス』はFEARの著作ゲームです。現代日本・異能者もののTRPG。出版社は富士見書房他)異能力者(ゲーム『ダブルクロス』での名称)鳥人物(付加能力)妖怪呪術系列中居君時間・空間操作系(オルクス×バロール)鷲(鉤爪による怪力)藁人形金剛密教木村君発火能力系(サラマンダー)鷹(遠視)黒天狗神道稲垣君誘惑・幻影・治療系(ソラリス×エンジェルハィロウ)白鳥(水上歩行)妖孤陰陽道草なぎ君獣化・死者蘇生系(キュマイラ×ブラム・ストーカー)燕(軽業)ジーンズ版小袖の手キリスト教香取君錬金術系(モルフェウス)梟(暗視)白蛇(先祖返り)ソロモン系召還術・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 繰り返しますが『ファンタジーなドラマ』とは報道されましたが、『本格ファンタジー』とは報道されていません(←これ重要)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ とにかく五人共演のSMAPドラマ、すっごく楽しみです。 いろんな想像(←妄想だろ、上の記述のレベルは…)などをしつつ、12月25日を楽しみにしたいと思います。
2004/11/16
やっと、やっと五年間、思い続けて観れました、『ナトゥ2』! 当時はTVのメイキングだけを観て、映画館&DVDを涙を飲んで見送りましたっけ…(当時は映画館は両親同伴。しかもウリナリ目当てにDVDや映画館を利用するには中途半端な年齢だった)。 よく考えたら、『2046』と『ナトゥ2』はクランクイン時期が同じなんですよね。同じ多国籍・マルチジャンル映画といっても、ここまで違うんですね。多国籍映画の可能性を感じるとともに、SMAPやウリナリのメンバーが辿ってきた5年間をしみじみと振り返ってしまいます。(余談ですが、チョナン・カンの映画プロジェクトを最初に聞いたとき、『ナトゥ』路線だと思っていました。…いや、オカメインコのアクションシーンという最初の企画がもし通っていれば、間違いなくこれとタメを張れる作品が出来ていたでしょう。汗)(ネタバレ。 放送開始五分で腑抜けてしまう自分(壊)。 ケディの露出に飢えていたんだと実感します。海馬の”ケディ音声”メモリーが擦り切れてましたから(←訳分からない比喩をするなっ!)、声が聞こえただけで幸せになる始末。 ナトゥが南インドの浜まで警護すると告げたときの、ケディの憂い顔が一番綺麗(可愛いではなく)でした。 いやだから何で同性タレントにここまで壊れるんだ、自分(滝汗)。 一番活躍するのはやっぱりナトゥ(南原清隆さん)なんですが、それがちょっぴり残念。ケディにもっと殺陣シーンを下さい(←ラブシーンじゃないのかよ!)。 次は映画そのものについて。 映画らしく画面はとても華やか。インド映画らしく唄が怒涛に流れ続けるのですが、ダンスの迫力があって気になりません。歌は使いどころを間違えると映画を間延びさせますからね。 ただ、子供向けらしく『忍者フォース』とか、大人になると付いていけないシーンも多々あり。クライマックスの『ドラゴン』は失笑しちゃいましたし。 その点を割り切ると、気楽に見れてしかもスカッとした後味の映画です。 あと、『へっぴり腰の優男が成り行き任せで逃げ惑っている間に、ピンチ脱出』というシーンが大好物なので、そういう意味ではかなりツボでした。 自転車のアクションも良かったですね。 ビビアンやジニーやユニの三人の共演も見れてかなり嬉しかったです(ちなみに韓国娘ズが作っているチャイは私も好物です)。) 個人的には大満足&ツボ満載の映画でした。 さあ、ビデオをリピートしてきます。
2004/10/20
9月2日。 見てきました、『NIN×NIN the Movie 忍者ハットリ君』! 奪肉換骨(←絶対、字が間違っている)というのでしょうか。原作のメインテーマとなる友情を、設定のいろんな部分を置き換えて作られたこの映画。自分的に大ヒットでした。 アニメは、古くは『ベム・ベラ・ベロ』から、現在は『キム・ポッシブル』まで。 特撮は現行戦隊物『特捜戦隊デカレンジャー』(←チープな昭和テイストが、ノスタルジーを引き起こすんですよ)に嵌っている自分(…アニメオ○クって指差してるの、誰?!…否定できませんが。涙)。 そして『ミモー・マモー愛のテーマ』からNANIWAかりゆしBAND(←大阪の超ローカル企画物バンド)まで、企画物ソングをほとんどカバーしている自分には、主題歌にもかなり嵌っていたりします…。 そして上映直前、『ハウル』に『2046』の予告まで流れて、管理人の中のアニメ好き・企画物好き・オマージュ好きの血が最高潮に沸きあがった頃、上映が始まりました。 語りたい事はいっぱいあるのですが、ネット自制中につき少しだけ。(ネタバレ劇場に見にいって正解でした! 最初十数分は特撮アクションたっぷりで燃えました(萌えにあらず)。 香取君の殺陣もすごく良かったです。 忍者の剣術というのはいわゆる暗器術、つまり暗殺術なんですよね。 近藤勇が使う天然理心流は侍らしく、正面から撃破する技術です。しかし、忍者の剣術は背後などの相手の死角を狙い、返り血を浴びぬようにするもの。だから構え方(逆手持ち等)も全く違うわけです。 香取君って体格がいいんで、殺陣やアクションがすごく様になりますよね(上気)。 一番オイシイ役どころって、佐藤先生(あえてケムマキとは言わない)と黒影ですよね。…といいますか、はっきり言って、こういうキャラクター(役)がツボなんです(キッパリ)。 ゴリさんの滑舌と声質がいいことを今回初めて知りました。…ともすれば、佐藤先生に惚れてしまいそうになる自分がいたり。映画版のケムマキはシニカルで屈折しているけれど、そこがかっこよく昇華されてます。 展開は分かりやすく、黄金パターンなんですよね。だから先の展開も、台詞も読める。読めるのに…。『行かないんですか? あなたは彼と同じ匂いがします』『よい主を持ったな』『(同じ甲賀の)ケムマキに渡せ』 …etc. これらの台詞に完全撃沈、涙腺が崩壊寸前…。 下手な『切ない』路線映画より、私はフィクション搦め手の方が弱いんです(自爆モード)。こう言った台詞は、SFやアニメの方がすんなりと聞きやすいと思います。 ハットリ君の設定でオリジナル要素もいいですよね。”大人が演じるハットリ君”を、香取君らしさを出す事でデメリットをメリットに昇華してます。 今回はオリジナルの設定部分でも一番製作者側の意図が詰まっているのが甲賀忍者の設定。”理由があり、自分達の生き方を捨てる。そのために黒影の要求を突っぱねた人々。 最後には主人公もその理由を理解するようになる。” はっきり言って、主人公置いてけぼりの、おいし過ぎの設定です(笑)。だからこそ大杉連さんの突っぱねるシーンもすっごくかっこいいし、他の甲賀忍者の人々にもドラマがあるんだろうな…と思わせて、世界観が広がります。 …いや、草なぎ君が「お得意さんに手を出したら、死ぬよ(嘲笑)?」と言っている想像も、すでに頭の中を回ってたりしますし(汗)。 甲賀忍者メインで、外伝小説書きたくもなっちゃいましたよ(…でも私が書くと、『妖魔夜行』(妖怪もの)とか『ダブルクロス』(異能力者もの)の劣化版になっちゃうので、自粛)。 ここまで来ると、製作者サイドの甲賀忍者への愛を感じました(←なんじゃそら。微笑)。 ハットリ君のあのぶっとんだ主題歌が、しっくりくる展開がすごく楽しかったです。 あえてテーマについてコメントするのは野暮なので、一言だけ。 アニメ好きな人は、絶対嵌ります。ぜひ!
2004/09/02
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