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当時、会社の同僚が何言ってるのかさっぱり理解できないし、ドクターや患者さんとのコミュニケーションなど考えられない状況が少しずつストレスに感じるようになりました。 心理学の中で、「全く環境の異なる状況下で長く生活し、そして、様々な体験を重ね、また、それが自らの意志とは基本的に相対する時、自らは知らないうちにフラストレーションが持続することによって、あらゆる生活感覚に否定的障害を生じる。」という理論があります。 筆者も短いドイツの夏が終わり、そろそろ秋風が身体を刺すころ、上記の症状に見舞われました。回りの人間がすべて敵のように想えてきて、深い疑心暗鬼に陥ったのです。その頃はひたすら自分を何かに没頭させようと、一生懸命技工に打ち込むことに精神を集中させ、夜はビヤ・ホールに通い、隣で飲んでいるドイツ人と会話を弾ませる毎日でした。 しかし、それも渡独後、1年足らずで消え去り、知らないうちにラボでの中心的な存在になっていたのです。それからは、さらにドイツ語とミリング(歯を造るテクニック)を学び、約3年で『これなら、マイスター学校を受験しても行けそうだなあ。』とヘルマン氏にも認めてもらえるようになりました。 そして、それに追随するように、ドイツを中心としたヨーロッパ各国での講演会、講習会、そして、執筆活動が軌道に乗り始め、週末はほとんど家を空けることが余儀無くなりました。 (続 ●『医歯薬出版/月刊「歯科技工」/「あの頃、、、」より引用』★下の写真は中部ドイツ、ミュンスターランドの「デンタル・ラボア・ボッヒャート」での講習会
Mar 31, 2005
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月曜日は初出勤です。ホテルは会社(ヘルマン・ラボ)からすぐのところに在り、モード・ショップの脇の螺旋階段を抜けた2階の扉を開けると髭もじゃで頭髪はやや栄養不足だが割腹のよい、それでいて眼光鋭いロルフ・ヘルマン氏の姿がありました。氏は優しく筆者を迎え入れ、様々なサンプル・ケースや今ある臨床ケースを見せてくれました。 どれもすべてオーラル・リハビリテーション(機能性を考えて歯全部を入れ替える症例)に近いケースばかりで、しかも、所々に自家製アタッチメントやテレスコープなどのミリングを施した高度な補綴物(人工的に製作された歯)ばかりで、筆者の眼を輝かすには十分すぎるほどの質と量でした。 それからはほとんど毎日、日本ではなかなか製作できないフルマウス(歯全部を入れ替える症例)を製作する事ができ、仕事的には有頂天にな頃でした。(続 『医歯薬出版株式会社/月刊「歯科技工」/「あの頃より、、、」引用』★クリスマス前には下の写真のように、焼き立てのフランクフルトを売る店など、街角に沢山の屋台が出て食べるには困りません。でも、クリスマスには街には殆ど人陰もなくレストランさえ閉まって餓死寸前になります、、、!
Mar 31, 2005
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3月末とは言え、まだまだ、日本の真冬を想わせるドイツで50kgほどの大荷物をぶら下げて、ヨーロッパの古いレストランや飲み屋が立ち並ぶ、デュッセルドルフ旧市街の一角にあるホテルにチェック・インしたのは土曜日のまだ夜が明けだしたばかりの頃でした。 少し休んで、右も左もわかりませんが取りあえず生活に必要なものを買わなければならないので街へでて雑貨屋を探しました。ところが、アーケード街はことの外静まり返り、立ち並ぶ店々のドアはことごとく閉ざされています。取りあえず、空腹を癒そうとブルスト(フランクフルト・ソーセージ)屋の焼きたてのフランクフルト・ソーセージを頬張りながら少し街を散策し、ホテルに戻りました。その夜は泥のように寝むりました。 日曜日は買い物に行こうと思っていたので早起きしていそいそと出かけました。ところが、アーケード街は昨日よりも静まり返り、店々のドアはやはり堅く閉ざされています。後で知ったことですが、ドイツでは店で働く人々が他の人々と同様に休みを取ることができるように、商店の閉店時間は土曜日が午後2時まで、日曜日は完全閉店制だったのです。 続) 『医歯薬出版株式会社/月刊「歯科技工」/「あの頃より、、、」引用』 ●霧にむせぶ Neue Schwanstein Schloss 下
Mar 30, 2005
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異国の土地で暮らせば暮らす程、いろいろな問題に遭遇することはまず間違いない事でしょう。筆者も裁判ざたになったり、牢獄に入れられたりなど、ここでは描ききれない程のいろんな体験をしました。(この内容は後日紹介します) そうする内に、フラストレーションは限界に達し、総てに於いてネガティブな感覚を持つようになるのは筆者だけではないでしょう。しかし、その不安材料と戯れることのできること、また、プレッシャーと正しく向き合い楽しみに変えることが重要です。 ただし、海外で成功する云々の以前に、もっとも大事なこと、それはその国を良く理解することです。言い換えれば、その国の歴史、文化はさながら、その国を愛し、そこに住んでいる人々を愛することです。 下の画像はマイスタースクールのサッカー大会の写真です右下1番目が筆者です。いや~ドイツ人は強い!!この日は活躍度ゼロでした。↓
Mar 29, 2005
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ドイツ語でのこれらの試験勉強には非常に苦労させられましたが、経営者・指導者には、リーダーシップとともに、物事を総合的・多角的にとらえ評価することができるオールラウンドプレイヤー的、かつ、総監督的な要素と資質が求められるのがドイツという国なのです。 そのマイスターを目指して学んだことや、それらの知識の基づき幅広い見地から物事をとらえる考え方は、帰国後の今日も、ヨーロッパ・ドイツとの比較考察のもとに、冷静に日本の歯科界・歯科技工士界の行き先および自分のなすべきことを導き出すうえで役に立っています。 続) 『医歯薬出版株式会社/月刊「歯科技工」/「あの頃、、、」、および、(株)クインテッセンス出版、QDT 1993,Vol.18,No.8 より引用』★この写真は 授賞式で全2004名の新マイスターの中から10名が年間最優秀マイスターとしてステージの上に上がることができ、筆者は日本人として初めての受賞者として表彰されたものです。↓
Mar 28, 2005
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「Hr.Ohata・・・!!」試験委員会が合格者を読み上げます。仲間たちから歓声が湧き上がる。 1992年11月30日、筆者はドイツの歯科技工士マイスターの称号を手にした 歯科技工士マイスターには、歯科技工士としての技術や歯科的専門知識のみならず、財務・経済・法律・教育・・・・といった幅広く、しかも深い一般教養が求められるます。マイスター試験においてもこれらの筆記試験および口頭試験が占める割合は非常に大きいのです。 続)『医歯薬出版株式会社/月刊「歯科技工」/「あの頃、、、」、および、(株)クインテッセンス出版、QDT 1993,Vol.18,No.8より引用』★下の画像はマイスター授賞式の写真です 155種の各種新マイスター、2004名が一斉に集いました↓
Mar 28, 2005
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21世紀 多くの日本人が海外で働いていますね そして今後より多くの人々が夢や憧れを抱いて海外で生活をしていくことでしょう そういう私も海外生活に憧れ歯科技工士としてドイツ留学をしてきました。言葉の壁や文化の違いなどに戸惑いつつも15年の歳月が流れていました。 このブログでは今後海外に行きたい人や現在外国に住んでる人達の参考になればと思い悪戦苦闘したドイツでの生活を趣味で撮った画像と共に紹介していきます あとちょくちょく歯科界の現状や歯科の最新情報なんかも織り交ぜながら更新していこうなんて思ってます。よろしくー
Mar 27, 2005
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