『頭ぐしゃぐしゃ』の彼方に・・・

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chang-wei

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February 20, 2003
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カテゴリ: カテゴリ未分類
なんか知らんが誕生日になってて、オマケに500アクセスオーバーしとる!!


とにかく、皆様ありがとうございます。m(_ _)m

同じ誕生日の著名人は、スポーツ界ではナガシマさんとイノキさん。
お2人が私の歳には、すでにもっと大それた存在として世の中を明るくしたり動かしたりしていた。
それに比べたら、はるかにノロマな自分は、ノロマを自覚しつつ当面は安全走行の予定。

それは前置きとしまして、最近、むかーし読んだ小説とか本などのことを思い出し、「あれ、あんな内容だったっけ」と思いつつなかなかそれを確かめることができなかった。

今、そう感じているのが、遠藤周作氏の『沈黙』と『死海のほとり』。
なぜにかというと、彼、クリスチャンでもあったのだけれど、この両作品の中では、イエス・キリストの奇跡を否定というか、別の解釈をしているのが凄く印象に残っていて、彼の描くイエスこそが、もしかしたら「名カウンセラー」だったんじゃないか、と、最近ふと思ったことなのです。


自分が踏み絵をしない限り、自分についてきた信者は次々と彼の目の前で処刑されていく中、彼は何度となくイエス・キリストに問いかけるのだけど、イエスは常に「沈黙」を続けるのだ。
最後、踏み絵に応じる決意をしたヴァリャーノの心の中に、イエスが「それでいい」と微笑みかけ、彼を罪悪感から解放する、といった話ではなかったかな。

『死海のほとり』は、作者がイエス・キリストの足跡をたどって、その生誕地からイエスが生活してきたというガリラヤの町などをめぐりつつ、さまざまに考えをめぐらせる、という私小説(?)。
その中で、「イエスは奇跡を起こさなかったのではないか」ということがいくたびとなく記されていたと思う。

私はクリスチャンではないけど『聖書』は読んだ。
『新訳聖書』がキリスト教の教典なわけであるけれど、そこでイエスは、たとえばハンセン氏病患者の手に触れてたちどころにそれを治してしまったり、飢えた人々の前で、数少ないパンや魚といった食料を何倍にも増やして人々に与えたり、といった「奇跡」を繰り返し、ゆえに人は彼を信奉し、あがめたてまつる。

だけど、『死海のほとり』での遠藤氏の解釈は、イエスはそんなことしなかったという。ただ、街中に座って、彼に悩みをうちあける人の話を聞いてあげた、それによって救いを得た人がいて、やがてイエスの周りに人が集まるようになったのだと。

『聖書』がすべて真実を語っているとは思えない、とかいったら世の中のキリスト教の人たちから袋叩きにされるかもしれないけれど、遠藤氏の解釈(本当にこんなんだったか怪しい)は、まんざら的をはずしていないように思うのです。

この年齢(何歳かはヒミツです 笑)になって、いま一度、とくに『死海のほとり』は読み直してみたい。
なんといっても、これ読んだの高校生、大学生の頃だから。
あっ、そんなに昔でもないか(<しらじらしい)。



それでは特別ゲストの春一番さん、よろしくお願いします。
「イーチ、ニー、サーン、ダァー!!」





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最終更新日  February 20, 2003 07:38:56 AM


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コメント新着

野鳥大好き @ Re:ちょいと試みに・・・(11/21) あのな…、解ったよん。
chang-wei @ Re[1]:やれやれ・・・(11/20) 野鳥大好きさん >やれやれ…でしたね。あ…
chang-wei @ Re[1]:やれやれ・・・(11/20) setattiさん >私のPCも時々おかしくなる…
野鳥大好き @ Re:やれやれ・・・(11/20) やれやれ…でしたね。あはは、赤ちゃんなん…
setatti @ Re:やれやれ・・・(11/20) 私のPCも時々おかしくなるから困ってるん…

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