はにわきみこの「解毒生活」

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2005.01.17
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「アナンさん! 私と結婚を前提としたおつきあいをしていただけませんか?」

 口元に運んだカプチーノのカップが、ぐらりと傾いて前歯にガチンとぶつかった。熱々のミルクの泡が押し寄せて、上唇にビリリと刺激が走る。手が滑って、カップがテーブルに落下した。
 がちゃん、と音を立ててソーサーの上にカップが不時着した。中身は真っ白なコットンのテーブルクロスに飛び散る。キャンドルは茶色い液体の直撃を受け、ジュッと音を立てて消えた。

「すっ、スエヨシさん? 今なんておっしゃいました?」
 私は、大抵のことでは動揺しない。あと2ヶ月で30歳の誕生日を迎えるという大人の女なのだ、ケツの青い小娘とはわけが違う。
 しかし今回は特例と認めよう。これは驚きに値する発言だ。
 何しろ私は彼とまだ3回しか食事をしたことがない。いや、それどころか手をつないだとかキスを交わしたとか肉体関係を持ったとか、そんな実績が何ひとつない状態での申し出だ。驚かない方がおかしい。
 っていうかこのおじさん、大丈夫? 何考えてんの! いきなりこんなこと言って、私がビビるとは思わないわけ?

「私本気なんです。亜南さん、これからの私の人生に、あなたが居てくれればそれだけで幸せだ。こんな歳になって、しかも10以上も歳の若いあなたにこんな申し出はいかがなものかとは悩んだ。悩みました。でもね、私は思うんですよ。自分の気持ちに正直にならないと、悔いが残る生き方しかできないと」


 心持ち紅潮しているそのほほを見る限り、たちのわるい冗談ではなさそうだ。てことはこの発言は本気ということに。一体なぜそんなことに? 文字通り開いた口がふさがらない。

「末吉さん、あまりに突然なお話で、私、なんて言っていいか」
 お願い、冗談だといって。私を困らせないで。
「まだ何も言わなくていいのです。だけど、口元のミルクのひげは拭いたほうがいい」
 はっとして、膝からナプキンを取り上げ、口の周りを抑えた。

「あなたが私について知っていることはごくわずかです。末吉貴一48歳。広告代理店勤めをへて独立。ちょっと歳食ったベンチャー企業家、ってところでしょう」

「そうです。うちの会社のホームページやインターネット通販システム作りを担当してくださっている、頼りになる方ですわ」

「初めてお会いしたときから、ぐっと惹かれる物を感じていたんです。亜南さんはクールでソリッドだ。冷たいのに強力な磁石のようだ。砂鉄が引きつけられるように、私の細胞はあなたの方へざああっと流れていってしまう。自分ではとても止められないのです。これは一種の自然現象だ。地球の引力から離れられない月と同じなんだ」

 末吉は、テーブルの上で組んでいた私の手を、両手でぐっと包み込んだ。

「あなたのことを知りたい。もっと一緒に時間を過ごしたい。だからこそ、最初に誠意を見せたいと思った。どうか引かないでください。私たちの時間はこれから始まるんですから」

「カプチーノをお持ちしました」

 私は、カプチーノの泡をスプーンでぐるぐるとかき混ぜながら、どう言葉を継いだものかと考えていた。とにかく即答は避ける。いきなり断って仕事に支障がでるのは困る。

「末吉さん、ワインに酔ったんじゃありません?」
「今日の私はあなたと同じ物しか飲んでいませんよ。サンペリグリノ。あなたと食事をすると炭酸水ですらワインに勝る甘露だ」
 さすが広告代理店でならしたコピーライター、口の達者な男だ。

「お酒を飲まれるかたは、私みたいに一滴も飲めない女と食事をしてもつまらないでしょう。バーで語らうことだってできないし。いつもシラフでいるからおもしろみに欠けるでしょ?」



 くそっ、マイナス面すら考慮の上か。もっとも、お酒がダメだとわかっていても3度まで食事に誘うってことは、気に入られている証拠でもあるけど。
 しおらしく攻めてみるか。

「でも、私はあなたにふさわしくない女です」
「どうして。私こそ、あなたにふさわしくない理由がある。離婚歴ありで、中学生の息子が一人いる。育てているのは元の妻です。父親として中途半端な男なんです。だけどあなたに何の問題があるっていうんです。おうちもしっかりしているし、何よりあなたは仕事熱心でまじめだ。どんなに遅くなってもご両親の待つ家に帰って安心させてあげているというじゃないですか。旅行にだって出ないそうですね。仕事が生き甲斐で、家族を大事にする人なんだ」

 確かに私は外泊をしない女だ。でもなんでその話を知ってる?
「…私のこと、調べたんですか」
 勝手なことを!
 声が固くなる。血の気が下がって顔が能面のようにフラットになっているのがわかる。
 私に近寄らないで光線が自動的に発射され、彼のひたいにつきささった。
 さすがの末吉もたじろいでいる。

「調べたなんて、そんな! 気を悪くしないでください。私はただ、武岡さんにあなたのことを聞いただけです。上司としてだけでなく、プライベートでも仲良くしているというので」

 タケオカ~!
 よけいなことを!
 どうりで今日は様子がヘンだった。定時のチャイムと同時に私を会社から追いたてた。
約束の時間まで余裕があるから1時間は残業しようと思ってたのに。
 タケオカの陰謀か。ヤツのことだから、結婚をにおわせろ、というアドバイスをしたに違いない。私のことを、結婚したいのにできない気の毒な女だと思いこんでいるのだ。ひょっとすると、自分に責任があると気に病んでいるのかもしれない。なにしろ、祥二に出会ったのは武岡宅でのパーティだったのだから。





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最終更新日  2005.01.18 09:17:41


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