はにわきみこの「解毒生活」

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2005.02.03
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 電車を降りると、駅のそばに借りている月極駐車場へと向かった。

 私はいちいち急ブレーキを踏みながら心臓をどきどき言わせている。これは一体なにごとなのかしら。

 外は真っ暗だというのに、サングラスをかけたまま道を歩く。
 まるで、視力ががくんと落ちたかのような暗さだ。いっそこのまま、周りで起こっていることすべてをこんな薄暗闇のようにトーンダウンさせてしまいたい。私はいつも同じ道を歩く。少しくらい視界がわるくたって、歩くことに困ったりはしないのだ。

 そう、サングラスはブツブツが出ている顔のまま、人混みを歩くのには必須だった。これさえ身につければ、その下にある顔はいったい誰なのか特定しにくくなる。犯罪者の目の周りを黒い線で消すのと同じ。

 顔中にみっともない発疹が出ているのは、私ではない。少なくとも普段の私ではない。他人からみて、これが私だとわからなければそれでいいのだ。

 今日は風がまったくない。昼間もぽかぽかと温かかったが、夜の冷え込みもない。マフラーを出そうかどうしようか悩んだあげく、やめる。どうせあと50歩もあるけば愛車が待つ駐車場なのだ。

 こっ、こっ、とアスファルトを蹴りながら角を曲がる。バッグの中を探ってキーホルダーを取り出し、車の方にまっすぐ手を伸ばしてボタンを押した。ガション、と音がしてドアのロックが解除される。オレンジ色のライトがふたつ同時にウィンクする。サングラスをはずしながらドアに手を掛けると、突然、声がした。



 振り返った拍子に、敷地内一面に引かれた玉砂利の上にサングラスが落ちた。
「よっ。どうして携帯の電源切ってるんだよ」
 目をこらしてみるまでもない。聞き慣れた声は祥二のものだった。
「どうしてこんな時間にこんなところにいるの?」
「話をしようと思ったら、直接会いに来るしかないじゃんか」

 奴は、腰をかがめてサングラスを拾い上げ、私の手に持たせた。ところが、その手がびくっとひっこむ。顔のぶつぶつに気がついたらしい。

「その顔、どうしたの」
「べつに」
「アレルギー? それとも仕事の関係で?」
「敏感肌用の化粧品を作ってるメーカーなのよ。自社製品でこんな症状がでたらうちの会社は倒産だわ。試作品だってこんなひどいことにはならないわよ」

 よっぽど言ってやりたかった。私がこんな顔になったのはあなたにも責任があるのよ、と。 直接手を下さなくても、人の心を傷つけることはできるの。私のこの発疹は心の叫び、心に負った傷の大きさのバロメーターなのよ。


 昨日の女の存在をどう問いただしたものか、脳がフルスピードで回転する。まるで老朽化したパソコンの中で必死に働くハードディスクのように。頭の中でカリカリカリ、という音がする。

「昨日、オレの部屋に来たんだろ」
「行ったわ。そしたら風呂上がりの女のひとがいた」
「来るはずじゃなかったんだ」

 バッティングさえしなければいいと思ってるわけ。そういえば今までもそうだったよね。携帯が通じないエリアにいる夜。つながっても要領を得ない電話。追求してみればボロが出る行動はたくさんあったのよ。証拠が挙げられないから見逃してただけじゃない。

「カギまで渡してるなんて、今までとは扱いが違うんじゃないの」


 祥二はあごに手をやると、伸びはじめたひげを指でなぞった。

「あの人さ、雑誌の取材で知り合ったんだ。ヘンシューの人」
 祥二は、働く女性をターゲットにした雑誌名を口にした。そういえば雑誌に顔入りで紹介されてから仕事が増えたって言ってたっけ。実際は、注文してくる客の対応で忙しかったんじゃなくて、雑誌に載せてくれたお礼をするのに忙しかったのね。いいんじゃない。自分の得意分野で接待する。 肉体で接待。 ふん。

「取材のときオレの部屋で撮影もあってさ、なんか話も合うし、あっちはフリーだっていうし。ちょうどいいから、もっと雑誌で取り上げてもらえるまで引っ張れないかと思ったんだよね」
 私は黙っていた。 あなたがどんなつもりだったかなんて私には関係ないわよ。

「オレだっていつかは事務所から独立したいと思ってるからさ、これってチャンスだろ」

 そうよ、女性はネームバリューに弱いから。いとこの龍一だってあんなに大々的に取り上げられたら、これからしばらく仕事には困らないでしょうよ。それに女にも。いや、本人がそう望めばだけど。
 ――少なくとも私の記憶の中にいる龍一は、手当たり次第女をくいものいするような男じゃなかった。もっとこう、一本筋が通っていた。女の子には優しく。女の子は大事に。あれは女は無能だと見下したときの優しさではない。生き物の特徴を客観的にとらえた上での紳士ぶりだった――
 つい、遠くにいるいとこに思いがとんだ。それを現実に引き戻したのは、祥二の必死の言い訳だ。

「野心があるのはいいことだろ。もっと上を狙いたいと思ったっていいだろ」

 私はまだ口を開けずにいた。 あきれて物が言えない って言葉の意味がはじめてわかった。
 祥二は、一人でしゃべり続けている。

「なあ、機嫌直してくれよ。オレさ、あのヘンシューの人のこと、別に本気じゃないんだよ。少しの間我慢してくれれば、上手に別れてみせるからさ」

 堂々とふたまた掛けることにしたわけ。私の許可があれば正当化されると思ってるのね。

 私の心の中はいまや熱く沸き立つ泥火山のようだった。ぼこり、ぼこりと大きな球体が水面から浮き上がってばちんとはじける。周囲に濃い灰色の泥が飛び散る。首の後ろの発疹が、じくり、じくりと痛み出す。高層ビルのてっぺんについている、赤く点滅する照明のように。

 ついに私はその怒りを抑えこむことが出来なくなった。口から毒が漏れていく。

「だから私は妹っていう存在にしておいたわけ。あなたお兄さんはいても妹なんかいないじゃない。その編集者のひとを利用するためだけに寝てるんだったら、私と寝るのはどんな利用価値があるっていうの?」
「おいおい、よせよ。オレたち長いつきあいだろ。亜南のこと好きだから一緒にいるんじゃないか」

 確かに私は彼を有名にすることはできない。彼の仕事を手伝うこともできないし、一人暮らしの予定もないから部屋のリフォームを発注することもできない。だけど、彼にとって何らかのメリットがあったからこそ、この関係は4年も続いてきたのではなかったか。

 私はその理由を掘り起こそうとした。私にとっておもしろくないことだから、今まで避けてきた問題だったのだが。

「私は、祥二にとっては都合がいい女なんだよね。何かおごってくれって言わない。何か買ってなんてねだったりしない。仕事と私とどっちが大事なのなんて言わない。一緒に住もうって言わない。旅行しようって言わない」

 祥二の眉があがった。今はじめてそれらの事実に思い当たったらしい。
 そうよ、 私はあなたが望んだ自由な暮らしを妨げないように、あなたが嫌がる要素をすべて排除してきたの。

「そういえば。亜南が何か欲しがるのはベッドの上でだけだよな」
 瞬時に、体中の血液が頭に集まった。なんてデリカシーのない男! セックスのことを茶化すなんて最低! とんでもなく下劣。自分という存在が果てしなく安っぽくなった気がする。
 心の火山活動は、沸き立つ泥火山から、赤く光る溶岩へと変貌を遂げた。今にも頭からマグマが噴出しそうだ。





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最終更新日  2005.02.03 12:02:50


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