はにわきみこの「解毒生活」

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2005.02.06
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 エンジンをふかして一気にスタートしたのはいいが、腹の中はいまだにグツグツと沸騰していた。
恋人に振り回されるのはもううんざり。

 祥二とすっぱり別れたら気分がスッキリするのだろうか。末吉を相手にすげ替えたら私の恋愛は順風満帆に進むのだろうか。私はいったいどちらを望んでいるのだろう。

 この混乱に陥って初めて、私は占いを頼りたくなる女の気持ちが少しわかった気がした。

人に決めてもらう、というのとはちょっと違う。自分が何を求めているのか、冷静に判断できなくなっているのだ。落ち着いて、じっくり考えてみれば、答えは出る。誰かにそう言われたい。つきっきりで励ましてもらいたい、そんな気持ちになるものなのだ、と。

 私は進路を変えて姉のマンションを目指すことにした。善は急げ、だ。できるだけ早く旅に出られるように、義兄の協力をあおごう。会社に妊娠を告げた東華は、早めに仕事から上がっているはず。実家から車で10分という距離は、電話をかけるよりも直接訪ねた方が話が早い。

「あらっ。亜南、めずらしいわね、こっちに来るなんて」 
 昨日会ったばかりでこんな訪問をするなんて、それについての疑問はないのか? と思うのは私だけか。東華にとって私の行動は十分予想の範疇だったらしい。
 靴を脱いでリビングに通されると、東華は急須にお湯を入れた。


「違うわ。私、海外旅行経験の豊富なお姉ちゃんにお願いがあるのよ」

「あらら、一体何かしら。亜南はたしか、大学の頃にハワイに行ったきりよね」
 そう、そこで奈々にひどい目にあわされたのだ。だから私はずっと旅行を避けてきた。だけど今の私には、何か新しい突破口が必要なの。

「私、オーストラリアに行って龍ちゃんに会いたいの」
 東華の目がきらりと光った。
「そう! ついにそうする気になった?」
「このぶつぶつのおかげで、会社から休みをもらえそうなの。思い切ってでかけてみるのもいいかもって気になって」
「あたしも一緒に行かなくていいの? 一人じゃ不安じゃない?」

 はっとした。私は最初から一人で行くつもりだったのだ。
 英語に自信があるわけでもなく、旅慣れてもいないというのに。我ながら勇気あるじゃん、と胸が膨らむ思いだった。

「妊婦なんだから、無理しない方がいいんじゃない? 私だって子供じゃないんだから、一人で旅ぐらいできるわよ。でもまあ、経験はないに等しいから、いろいろ教えてもらえないかと思って」


 そうだった。10年前に一度使ったきりのパスポートの有効期限は5年間だった。今はすっかり期限切れのはず。
「可及的速やかに出発、が希望よ。どうしたらいい? パスポートを取るには何が必要なの?」
 あー、と口を開けたまま、東華は本棚からガイドブックを取り出した。

「戸籍抄本か謄本でしょ、顔写真でしょ、それに申請書に自筆のサインが必要なのよ。で、それを駅ビルの中にあるパスポートセンターに提出する。10年用のもので手数料は1万5千円ね。それからハガキが一枚。でも、どうがんばっても、申請してから土日を抜いて1週間から10日、だったかな。今日は金曜だから、一番早くて週明けの月曜に提出って感じ。それとオーストラリアの場合はビザが必要。もっともこっちはインターネットですぐ発行されるからなんの問題もないけど」

「そっか。土日は受付してないのか」

 パスポートの申請がどれほど面倒なことなのか知らないが、なにしろ東華のダンナは旅行代理店につとめている。まかせた方が話が早いだろう。私はその提案を受けることにした。
「ね、お姉ちゃんたちはオーストラリアに行ったことあるの? ガイドブックや何かの資料があれば見せて欲しいわ。参考になるから」
「オッケー。私たちが行ったことあるのはシドニーだけど、今回はどうなのか、博にも聞いてみる。スコッツヘッド、だったっけ? とにかくサーフィンで有名なところなんだろうね」
「悪いけどお願い」

「ちっとも悪くなんかないわよ。あたし、旅行の手配したり準備をするのが大好きなの! だって旅って楽しいじゃない? あたし自身はしばらくおあずけくらいそうだけど。あんたがようやくその気になってくれて嬉しいのよ。しかも龍ちゃんに会うつもりなんでしょう。ずいぶん思い切ったなって」

何か新しいことに挑戦しないと、手詰まりな気がしてね

 東華はふふふ、と笑うと、私を玄関にせき立てた。結局、お茶を飲むヒマもない。
「私はさっそく手配に取りかかるから! 博に電話しなくちゃいけないし、スーツケースとかカメラ用の赤外線防止バッグとか南京錠とかマネーベルトとか双眼鏡とかいろいろグッズを出してこないと。オーストラリアドルも少し残ってたんじゃなかったかしら。とにかく、明日の朝、どうにか写真を用意してきなさい。待ってるから!」

 早々に家に帰ると、母の作った食事を一緒に食べる。今夜も父は帰りが遅いらしい。母の仕事の話に耳を傾ける。私はもっぱら聞き役だ。自分の旅行計画はまだ口にする段階ではない。

 いつもよりも長風呂しようと、東華に持たされたガイドブックを手に湯船に浸かった。指定通り、自然塩をひとつかみお湯に溶かす。幸い、肌にも刺激は感じられない。
 お湯の中に毒が流れていくって言ってたっけ。確かに、今の私にはなんらかの解毒処置が必要に違いない。祥二とのやりとりではドッと消耗した。熱い物をあわてて食べて、口の中をやけどしたときに似ている。 心もまたやけどをおうのだ。私の粘膜は今どろどろに崩れてはがれそうになっている。

 気を取り直して、ぶあついガイドブックのページをめくった。
「オーストラリアは、日本の21倍もの広い国土があります。国内で時差がある数少ない国のひとつです」

 そっか。日本の四国にそっくりな形をしたこの大陸は、実はものすごくスケールの大きな広い土地なんだ。旅行プランのたてかたのページを見て腰が抜けそうになった。
最低でも1週間、ぐるりと周遊するなら2ヶ月は欲しい、なんて書いてある。

しかし、私の場合は行きたい場所はわかっている。龍ちゃんがサーフィンをしている街、スコッツヘッドだ。テントに暮らす彼を訪ねて、話したい、それが目的であって私は観光には興味がない。

 それにしても、その街は一体どこにあるというのか。目次にも索引にもその街の名前が見あたらないことに気づいて私は初めて不安になった。

 会社を休んでまで訪ねていくというのに。本当にその場所は見つけられるのだろうか。日本の21倍もの広さがあるその国の中で。

 姉の夫が旅行代理店勤務であることに、今ほど感謝したことはなかった。彼ならきっと私の要望を満たす旅のプランを提示してくれるにちがいない。プロの力に期待することにして、私はさらにページをめくった。





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最終更新日  2005.02.06 10:59:39


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