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少し前のことになってしまうのですが、やはりあの感動を残しておきたかったので写真を載せることにしました(*^_^*)・・・と言っても私が感動を味わったのは写真でですが(^^;)9月の終わり、平日休みを利用して夫が一人、2泊3日で北アルプスの南部にある槍ヶ岳!に行ってきました。今までに何度、「槍」という言葉を聞いていたでしょう。こちらもいつしか「いつか・・・!」という気分にさせられていたのですが、女、子どもにも登れるか下見?ということで夫が単身出掛けていきました。上高地から入って槍ヶ岳まで往復で44キロ。小学生3年生の息子くらいあるずしりとくる重いザックをしょって、約1700mの標高差をほんとによく登ったなぁと思います。拍手です。300枚くらいほとんど隈無く撮ってきた写真は、どれもこれも晴れていたせいかめちゃくちゃ綺麗で、A4サイズ強あるパソコンの画面を見ながら溜息ばかりついていました。A4サイズくらいで見ると、迫力があってやっぱりものすごく臨場感がありますね。それが小さく切り取ってしまうと、雰囲気がぐっと褪せてしまうのが残念です。・・・1日目、2日目、3日目と説明つきで写真を見ていたら、山に登ったときの空気の感じとか足の痛みとか、太陽の照りつける感じなどいろいろな感覚が蘇ってきて、見終わった後に自分も登ってきたような?すごくお腹いっぱいな気分。あれ?もう登らなくてもいい? いえいえ、やっぱりいつか・・・! 上高地から明神岳を望む 遠くに槍ヶ岳。すごく長い道のりですね(>_
2007.10.06
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プラスチックゴミを石油に戻す装置を開発した会社があるのを知りました!今ころですが・・・(^^;)プラスチックゴミから70~90%の割合で石油が回収できるそうです。すごいではないですか!粉砕したプラスチックをその装置で450℃の高温で熱分解し、気化したガスを冷却すると石油を回収できるのだそうです。さらに、それを蒸留するとガソリン、灯油、軽油、重油と分けて取り出すことができるとか。もちろん燃料として使えるのです。(ただ今の日本ではこれを燃料として公道を走ることはできないらしいですが。)その70%~90%という回収率にも、発生するCO2のわずかさにも驚きました。プラスチックゴミって、生活をしているとたくさんの量がでます。買い物にいけば、なんとかならないかなと思うくらい、いろいろなものにプラスチック容器、トレー、プラ袋いろいろなものがついてきます。週に一度のプラスチックゴミの日(資源ゴミとしてリサイクルされます)にはかなり出すことになり・・・一度使っただけなのにもったいないなぁと思っていました。リサイクルされたとしてもその手間や使われるエネルギーを考えると割りに合わない気がして。とある本で知ったのですが、日本では 「焼却処理もリサイクル」 されたことになるんだそうです。自治体によって回収されたプラスチックゴミは大抵リサイクルしてくれる業者が引き取ってくれることになるのですが、自治体もお金を払ってプラスチックゴミを渡した後は、ちゃんとリサイクルされているか関知していないようだし、処理業者も秘密主義でどう処理したのか不透明。例え、焼却処理されてしまったとしてもリサイクルされたことになってしまうのです。え!!??っというような話でした。せっせと洗って分類しているのに。 リサイクルするのだって税金が使われているのに。ちょっと気になって我が市のリサイクルセンター(市の管轄)の人に聞いてみたんです。なににリサイクルされているんですか?と。そうしたら業者が秘密主義なので、はっきりしたことは分からない。いくつかは教えてくれましたが、しどろもどろな答えでした。怪しいなぁ・・・というのがその時の感想でした。そうなると本に書いてあったことすべてを鵜呑みにするわけじゃないけれど、有効利用されていないみたいで、プラゴミの分別にもなんとなく熱が入りません。(分別はしていたけど)だけどね燃やされていたとして、水っぽい生ゴミばかりのところへ、もとは石油のプラゴミが入るとよく燃えるんだそうです。・・・で、ずいぶん経ってからこの石油へ戻す装置のことを知りました。この油化装置だとちゃんと再資源になっている!やっぱりこういう前向きな話だと嬉しくなります。ゴミ処理場のなかったマーシャル諸島共和国ではこの装置を利用して、プラスチックごみの再資源化を行い、その燃料で車を走らせたりもしているとか。ゴミは減らすのが出さないよう工夫するのが一番だと思うけど、マーシャル諸島共和国のように国全体に浸透すればかなり無駄がなくなります。人の知恵ってどんどんよいほうによいほうに活かされるべきですね!
2007.09.12
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家族みんなで心待ちにしていた昨日も終わってしまいました。昨日は両親に会いに赤坂まで遊びに行っていました。(半日だけ)今年は娘の部活の関係で両親の住む九州に遊びに行けなかったので、向こうから遊びに来てくれて都内のホテルに泊まっていたのです。娘も息子も夫もおじいちゃん、おばあちゃんが大好き。一緒にいると楽しくなってしまって、娘などは喋り通しでした。夫は喋り足りず?半日では遊び足りずちょっと不完全燃焼だったみたい。昨日は・・・両親の宿泊先のニューオータニ東京でお庭(一万坪!緑が深くて心地よかったです)を眺めながら昼食をとり、そのあとホテルで催している宿泊者のためのツアー「エコツアー」に参加しました。母が申し込んでくれていて、宿泊者でない私たちもOKでした^^以下、驚いたことや、これは、と思ったことをいくつか。・厨房から出る排水はすべて地下に設けた処理場で濾過し、トイレや庭園の散水用にに再利用している。・・・ホテル全体の水の使用量はなんと一ヶ月6万トン!・厨房から出る生ゴミは100%ホテル内のコンポストプラントで堆肥化→→契約農家でお米や野菜を作っている。・・・今まで、お金を払って持って行ってもらっていた生ゴミが堆肥という資源になる。だから最初の設備投資にはお金がかかるけれど、3年間でとり戻せてしまうそうです。 ・古くなった家具は工房でリサイクル。そのほか無駄にしない工夫があちこちにみられました。が、ちょっとびっくりしたのは電気代。例えば今年の7月にかかった電気料は1億5千万円!5分の1の料金で済む深夜電力をおもに利用しているのに、です。無駄にしないようにしていても、やはりホテル・・・けっこうかかっているんですね。56℃というボイラー室に「うわっ!熱い!」と汗を流し、クーラーの入っていない裏方を1時間半じっくり見てまわり・・・・喉はカラカラ、けっこう疲れました。が、ツアーガイドの山本さんは、初めから終わりまでまったく疲れを感じない熱のこもった説明で、ツアー後には冷たいお茶を出してくれましたが、勧めても自分は飲むこともなく、まだまだよさを語りたいといった感じ。ニューオータニの社員としての誇りと自信を感じました。心配りも。それがこのツアーで特に印象に残りました。誇りと誠意?を感じたことがほかにもありました。お昼をとったホテル内の清泉亭で、お店のかたが誤って父のエプロンにおみそ汁を少々こぼしてしまいました。 洋服はどこも濡れていなかったし、父もあまり気にしていなかった様子。けれど、お店のかたにしてみればとんでもないことをしてしまった!といった感じだったのでしょうか。丁重に謝られたのはもちろん、お店を出たあとに知ったのですが、サービス料もお酒代もかなりの金額が引かれていました。誇りと誠意、ホテル内のエコだってそういうところからくるのですよね。・・・・が、比べる対象では全然ないけれど、山小屋ではそこにたくさんの人が訪れるけれど、使う水の量、電気ともにわずか~なものなのですよね。
2007.08.27
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異常な暑さが続いていましたが、今日は朝から一日涼しくてほんとうに気持ちのよい一日でした。窓を開けていても、ひんやりした風が入ってきて幸せ^^お盆辺りから昼夜問わず、うだるような暑さの毎日だったけれど、気がついてみたら子ども達の夏休みも残すところあと3日。とても速く感じた夏休み。夏休みが一週間ほど短縮されたのもあるだろうけど、家に子ども達がいる時間が短かかったからかもしれません。娘は中学に入ってから日曜日も関係なく毎日部活で、ほんとうの意味での夏休みはお盆をはさんだ10日間だけでした。息子は水泳教室に続き、とある教室に参加させてもらっていました。ご近所のかたが企画したもので、イベントが盛りだくさんな教室です。ほんとうは学童保育を卒業した4年生以上の子どもたちのための教室なのですが、ご好意?で3年生の息子も参加させてもらっていました。この教室は保護者のかたや、ボランティアのかたたちが先生役になって、得意分野で一日子ども達と遊んでくれます。その内容はそれはそれは魅力的なものばかりで、あるときは午前中スイカ割り大会、午後はジャグリングや風船の動物を作るのが得意なお姉さんたちが来てくれて、楽しませてくれたり・・・スライムづくりをしたり、ドキュメンタリー映画を観たり、工作をしたり、石鹸づくり、その他いろいろ。毎回「楽しかったー!!!」と言って帰ってくる息子の顔がほんとうに満足げでした^^そしてよいなぁと思ったのが、先生役の近所のおじいちゃんであったり、中学生や高校生のお兄さんお姉さんであったり、図書室の先生であったり・・・いろんなかたたちに関わっていただいたこと。なかなかこんな機会はありません。そして楽しかった!と帰ってくるこどもばかりでなく、学校に立ち寄ったとき近所のおじいちゃんのニコニコの笑顔を見て、こどもたちと遊ぶ側も楽しんでいる雰囲気が伝わってきました。時には戦争体験の話なども聞いたそうです。息子にとって、いろいろな体験ができたよい夏休みだったのではないかな。こんな素敵な教室をつくってしまった近所のかたに拍手です!3年生までの学童保育。でも、学童を卒業してもこんな楽しい教室が待っているなら、夏休みもわくわくですね。こどものために作りたいと思い、ネットワークを広げ市からの援助も受けて実現させてしまったその行動力。そっか、こういうのってやっぱり一人一人の気持ちから始まるんだなぁ~と改めて感じました。
2007.08.23
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「山に行ったら、ゴミは持ち帰る」は鉄則です。だからか、山に行くと落ちているゴミを見かけることはほとんどありません。でも先日海に行ったとき、あまりにもあちこちにゴミが捨てられているのに驚きました。堤防近くのうち捨てられた?ボートにはそこがゴミ箱かなにかのように、ペットボトルやその他のゴミが積み上げられているし、洞窟のような神秘的な場所も無数のゴミが散らかっていました。その中には波で打ち上げられたゴミもあるでしょう。でもあまりにもすごい状況に気持ちがげんなりしてしまいました。南国の赤い花が咲き、とても綺麗なところなのに。山に行くと、ゴミがほとんど落ちていないというのは、捨てないのが掟みたいなところもありますが、山を汚したくないという気持ちが皆の中で大きいからだと思います。一つ落ちていれば気になって、拾いたくなるくらい。それは人間の心理かもしれませんね。あれほど、たくさんのゴミを見ると、拾うというより目を背けたくなりますもん。そしてせっかくの綺麗な場所も、たくさんのゴミはそこに来る人の気持ちを表しているみたいで居心地が悪くなってしまいます。よいほうにも、悪いほうにも気持ちは伝染するもの。最初が綺麗だとゴミを捨てようという気持ちにはならないでしょうけれどね。海でゴミを拾うボランティアのかたたちの活動があったりするけれど、ここのゴミがなくなったら、ほんとうにいい場所だろうなぁと思いました。まだそういう活動に参加しよう!参加したい!というところまでには至っていません・・・が、やはり綺麗を維持するほうが、片づけるよりずっと簡単だということですよね。
2007.08.20
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8月11日~12日の燕岳への登山は天候に恵まれ、ほんとうに美しい景色を堪能することができました。天候・・・これはとても大きな要素なので、以前突然の吹雪に見舞われた苦い経験を経て、夫もとても慎重に天気図を調べていました。九州の下のほうにある台風が長野あたりの天候に影響を与えたりするのですね。日程を延ばし延ばしにしながら選んだ日程だったけれど、この日に行けてよかった^^濃い霧や雨に一瞬ひやりとした時もあったけれど、朝から快晴で燕岳登頂のときに360℃の大パノラマを眺めることができて、ほんとうによかったなぁと思います。改めて撮ってきた写真を眺めながら、空よ、感動をありがとう。です。そんな写真の一部を抜粋してみました。こういうのも楽しい作業です。もっともっとずらずらと載せたいくらいです。雲海が朝陽で染まっています。雲海に浮かぶ山並みに天使のはしごがかかっていました。天界にいるよう。尾根の上に建つ赤い燕山荘がなにかほっとするような感じです。真ん中にとがって見えるのが槍ヶ岳!アルプス一万尺の歌の中にでてくる子槍もすぐそばに。白い花崗岩とハイマツの緑のコントラストがとてもきれい。こういう山は北アルプスでも珍しいそうです。白い砂礫の斜面にコマクサが群生していました。一目見たかった花だけに感動!どうして砂礫に育つのだろう・・・。だからこそよけいに可憐で優美に見えました。燕山荘ともお別れ・・・。天界から降りていくような感じです。
2007.08.15
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ほんとうにほんとうに久しぶりの日記になってしまいました。おとといの深夜、北アルプスから帰ってきました。まだ筋肉痛で変な歩き方をしています。 ・・・2日経ってもこんなに痛いなんて。息子が足につかまったりすると、ぎゃーっとなってしまうくらい。筋肉があちこち傷ついているのでしょうね。でも自分としてはよく頑張りました!今回登ったのは燕岳で、この山は北アルプスのなかでもビギナー向けと言われています。が、高低差で言えば、富士山の5合目から頂上まで登ったのと同じくらい。しかも最初から急斜面続きなので、すぐに息はあがるし、高校生時代テニスをやっていたときのように汗がぽたぽたと落ちて、最初の休憩場所に着いたときにすでにばて気味。あれ??という感じでした。まだまだ先は長いのに・・・。とにかくひたすら上へ上へと登っていくので、高度は稼いでいるんでしょうが本当にしんどい。新調したパックも頭の高さにくるくらいの荷物を詰め込んでいるので、より重力を増しているようです。汗をかくぶん、イオン飲料もどんどん体に入っていきます。行きだけで1.5L近く飲んだでしょうか・・・。天候は快晴。樹林帯を息を切らしながら登っているときにふと目に入る手元の苔が露をたっぷり含んだように瑞々しくて、それが目にはいるとちょっと涼むような、疲れが癒されるような感じがしながら登り続けました。そして見上げると、空が真っ青で緑がわっと鮮やかです。まさに真夏の迫力のあるコントラストです。そして、ようやく目指す燕山荘に着いたのでした。なんのかんの言いながら、途中途中でしっかり休憩はとったので約6時間半の行程でした。(休憩を入れないコースタイムは4時間くらいなのです)・・・到着までの行程で私は息があがりすぎて喋ることもままならなかったのですが、息子は・・・怪物?アルプス一万尺を手遊びをしながら歌い、とんぼを追いかけ、他の登山客とお喋りし、汗もかかず(ほんとうにかいていない!少なくとも顔には。)軽~く登った感じです。燕山荘ではふわふわの泡のきめ細かい生ビールが飲めるのがいいですね。夫は大ジョッキ、私は中、息子はイチゴミルクを注文して、たどり着いたことを喜びあいました^^近くの登山客との会話も弾み、肩の力も抜けきっていい気分です。夜中は満天の星空で、テントから外を覗いたときに流れ星が2回も流れていきました。そして山はみんな朝が早い。私が目を覚ましたのは4時半でしたが、夫によればすでに午前3時過ぎから朝の始まり!みたいなざわめきが広がっていたようです。それもなにかものすごくわくわくが伝わってくるようなざわめきなのです。こうはしていられない、ような。次の山を目指す人もいるでしょうが、私たちをそんな気持ちにさせるのはこれから上がろうとしている朝陽でした。そして、防寒具を着込み、燕山荘のテラスまであがったとき、その朝の光景にびっくりしました。前の日には霧がでていて見えなかった北アルプスの山々がくっきりと目の前に広がっていたからです。それは息を飲むほど雄大で、反対側を見れば、雲海の中を太陽が昇ってこようとしていて、まさに別天地でした。朝のうちに出掛けた燕岳山頂までの往復も(燕山荘から高低差60mくらい)大パノラマの中、ピクニック気分で足取りも軽くただただ楽しみました。濃い濃い空の青に映える北アルプスの山々は雄大すぎて見とれるばかりでした。高山植物の女王と呼ばれるコマクサもなんて愛らしくて可愛いんでしょう。そんなふうに足取りも軽く別天地を後にした私たち(私)でしたが、1300m下るうちに足ががくがくになってゆくのでした。疲れのせいか、バランスを崩しそうになりひやりとする場面もあり、ここでもし足を挫いたら大変、と一歩一歩慎重に降りてきました。2日経った今もまだ筋肉痛がひどく、今回、夫が買ってくれたサポートタイツ(筋肉をサポートしてくれる)がなかったらどうなっていただろう、とかやっぱりストックは絶対必要。などを感じ入っています。そして、こんなに筋肉痛がひどくても、もう山には行きたくない!とは思わないんですよね。
2007.08.14
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11時過ぎに帰って参りまして、落ち着いたところです。サントリーホール、舞台の右手からオーケストラを見下ろすそれが私たちの席でした。演奏しているかたたちの手の動き、表情などがよく見える^^今日のコンサートは、父から娘への卒業祝いのプレゼントでした。中学で吹奏楽部に入ることを待ち望み、PC上のお気に入りにいろんな楽器の演奏を入れて聴いている娘にとっては生のオーケストラを聴けるなんて小躍りするほど嬉しかったはず。しかも演目は日本フィルハーモニーによるベートーベンピアノ協奏曲第4番と交響曲第7番です。7番はあの「のだめカンタービレ」でもおなじみの曲です。「のだめカンタービレ」では最終回に演奏したのが、まさにこのサントリーホールでした。まぁ、そういう意味もあって娘の(私も)中で「わぁ~~~~~*^0^*」が広がっていったわけです。最初、指揮者コバケン(小林研一郎)のトークの合間にバイオリンのソロが流れたとき、そのなんの濁りもなく透き通るように響き渡る音色に心底びっくりしました。バイオリンの音色ってこんなにきれいなんだ!!こういう楽器を創り出した人も、その音を研ぎ澄ませて入った人も、すごい!!そして仲道郁代さんによるピアノ。密集した音が弾き出されて、ゆっくりの調べになったり、ものすごく早い旋律になったり・・・。目を閉じて聴いていると、ゆっくりのときは音に光るベールがかかったように優しく、早い旋律になると、音が会場中に弾け飛んでいくように・・・ふと演奏している顔を見ると、やはり旋律の世界に入り込んでいるんでしょうね。仲道さん、トークのときは落ち着いたお姉さんという感じでしたが、目は閉じ、口はぱくぱくし恍惚としたような、また時に物狂おしいように顔をしかめ、でも私も目を閉じて耳を開放していると気持ちのよい世界に入り込むようなそんな素晴らしさでした。ちょっと話はずれるのですが、映画館に行くと、どの映画館に行っても席に着いたとき同じ匂いを嗅ぐような気がします。大勢の人が集まるところはその人たちの発するものが混じり合って、結局は均一な匂いになる気がするのですが、今日演奏を聴きながら思ったのです。ここは映画館みたいな匂いがしないな、と。音色によって空気が清められ、さらにそれを聴いている人の内面まで清められるから全体が清浄な空気になるのかなぁ、なんて。第7番では、やはりティンパニーに躍動感を、オーボエの音色の美しさに感動し、・・・???娘に聞いた楽器名なのであっているかどうかは分かりませんが、とにかく素晴らしかったです。一つ一つの磨き上げた音の重なり、天才作曲家による旋律、細胞が活性化するような素晴らしいプレゼントでした。・・・って、娘へのプレゼントですよね。でも私まで楽しませてもらいました。夫は仕事だというのに。・・・そして息子は昼間遊びすぎてエネルギーを使い果たしてしまったのか、ずっと熟睡でした。娘はさすがに身を乗り出すようにして聞き入っていました。昨日、卒業式のあと高熱を出したというのに。絶対に、行きたい!!!その気持ちが熱も吹き飛ばし、打ち負かしたようです。
2007.03.23
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すっかり日記を書かない毎日になっていました。なんというか、息せき切ったような?毎日だった気がします。朝起きると、体がばりばり・・・でも起きて動いていると滑らかになってきて、次々に予定をこなしているうちに夜が来て、夜遅くになってバタン。(あ、寝る前に娘とお喋りはしていましたが)そして朝が来るという毎日。今はちょっと一息ついています~。でも体はばりばりしてます。ここのところは、ファミサポのお仕事が倍に増えたので朝、夕。に加えて日中のお仕事もあったりしたので隙間の時間で家事をし、その他の予定もびっしりだったので家をばたばたと出たり入ったり。そんな中で3月というこの時期、別れもありました。大事な友達とも、ファミサポでずっと関わってきた男の子とも。友達との別れは急激に今までの時間を振りかえさせられ、涙が出るけどまだ実感が湧かない感じです。お仕事のほうでは・・・たくさんの大事なことを学んだ気がします。男の子のご両親ともほんとうにまっすぐ温かい気持ちが伝わってくるかた達で、たくさんのキラキラした気持ちをもらいました。こちらも自然に出てくる言葉によって、相手の心の動きが分かるからよけいに嬉しかったのかもしれないし、「感謝する」という気持ちの素敵さをたくさん感じさせられた気がします。いつもこんな心持ちでいたいなぁと思う素敵なかた達でした。そうやって気がつくと、毎日私が出会う人たち、あの人もこの人もどの人もみんな愛を感じでしまう人たちばかりなのですよね。みんな愛しく思えてしまう。なんでしょうね。この感じは。でもみんながそれぞれ一生懸命生きていて、尊敬できるし、愛しく思えます。娘も小学校生活もそろそろ終わり。自分の地を出し切れるお友達に囲まれて、親が見ていても楽しそうです。その友達みんな個性的でいい子たちだな~~と思います。彼女たちを見ていると、真っ直ぐで吸収力がよくてたくましい。この子たち、どんな未来を創っていくのかな、って頼もしく思います。息子は昨日、全学年が集まるサッカー部で優秀選手賞のトロフィーをもらい、すごく嬉しそうでした。(私はえっ!!とびっくりしてしまったのですが)家で、ついつい声を荒げてしまう子ども達ですが嬉しそうな笑顔を見られるとやっぱり疲れが飛んでいきます。忙しくもあるけれど、いろんなことに感謝です^^。そして忙しいからこそ、一つ一つを大事にしたいです^^
2007.03.18
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今朝、自転車を走らせていたら昨日は「うぅぅ・・・」となってしまうくらい風が冷たかったのに空気がぬるい^^本当は明日歩くつもりにしていたんだけれど、「これはまさにウォーキング日和!」と気分が高まり、大急ぎで土手に歩きに行ってきました。・・・歯医者やら授業参観やらあとの予定がつまっていたので。でも「これから毎日歩こうかな。」と大胆な?血迷った?ことを思ってしまうくらい、気持ちがよかった。これからの季節はやっぱり歩きやすいでしょうね~。で、空を仰ぐと一瞬太陽の明るさに目がくらみそうになるんですが、それを通り越してよおく見ていると光の粒がどこを見ても舞っています。残像という人がいるかもしれませんが、私はやっぱりこれはオルゴンエネルギーだと思っています。前に本で読んだんですが、太陽が大気にこの「オルゴン」と呼ばれるエネルギーをチャージしているとか。人も緑もこのエネルギーを吸収しているのだそうです。食事より多くのエネルギーを得ているという話も。子どもって「ほとんど食べてないのに、よくこれだけのパワーがあるな。」と思う時期があったりしますが、まさに体の回路が開いていてこのエネルギーをたくさん吸収しているんじゃないかと思ったりします。うちのまわりにはボートコースが近くにあるせいか、今日も運動している学生をたくさん見かけました。その爽やかでエネルギッシュな姿を見ると、こうやって太陽を浴びながらエネルギーもチャージされていっているんだろうな、なんて。たくさん歩いて足の裏までポカポカになると、体の中にたまっていたものを外にほっぽりなげたような気分になって、やっぱり気持ちがよいです。そして一人で空を見たり、景色を眺めたりしながら、つらつらと考えている時間、こんな時間もまたよいものです^^
2007.02.28
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「数年で生態系変化」産経新聞で見た記事です。南極のラーセン棚氷・・・そこですごいスピードで生態系の変化が起きているというのです。ラーセン棚氷は、『不都合な真実』の中にも出てきたのですが、ここのところの気温上昇により崩壊が続いているといいます。映像で観たその速さはびっくりするものでした。そして新聞ではそれにともなって、本来深海にいるはずの生物が浅い層で見つかったり、と予測をはるかに超えたスピードで生態系が変化している、ということが書いてありました。人間活動によって気候が変化し、北極の氷が溶け出す、南極の棚氷が崩壊してゆく・・・私たちから少し離れたところで確実に恐ろしい変化が起きています。そして自然といつも密接にかかわっている生態系にも。生態系は複雑に絡みあってバランスを保ってきたので、何かがほころび始めるとそれが連鎖的に広がっていくのでしょう。バランスを保つために多くの時間を要したけれど、いったん崩れ始めるとそれはものすごいスピードで始まるのかもしれません。地球全体は繋がっているので、私たちにどんな変化が起きてもおかしくはないのですよね。実際に、たくさんの台風に見舞われるようになったし。ほんとに力を合わせて食い止めなくちゃいけませんね。
2007.02.26
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今日、娘と『不都合な真実』観てきました。崖っぷち、というより地球の崩壊がもうすでにどんどん進んでいる・・・そんな感じでした。最後の最後のほうの映像で、ある宇宙船が映した写真を見たのです。それは太陽系から65億キロ離れたところから地球を映したもので、地球はうすく光るほんとうに小さな小さな青い点でした。もっと近くから映した地球の写真は見たことがあるけれど、そんな小さな点としての写真は初めてでした。宇宙から見れば、本当に小さな塵のような星。でもこの星で私たちの時間感覚からすれば気の遠くなるような年月を重ねて自然がバランスをとりながらこの世界を創ってきたのですよね。私がそのとき思い出していたのは、小さいころ夏休み中を過ごしたおばあちゃんちの素晴らしく美しい世界。家族で行ったときに見た鮮やかな山の緑や空の青さ、それらがほんとうに危機に瀕しているんだということでした。私が今まで見た美しい世界がもうこの先、見られなくなるかもしれない。でも映画を見終わった後に、絶望的になったというより、きっと変われる!という想いが強くなっていました。それは動こうとしなかったアメリカでも州という単位でこの温暖化をなんとか止めようという動きが広まってきているということ・・・この状態をなんとかしなくてはいけない。それはまず自分が行動することを決めること、そういった想いがかならず広がっていく、なにか映画を観ていて確信めいたもの感じたからかも知れません。まず、この映画をたくさんの人に観てもらいたい。そしてみんなで行動を起こせば必ず美しい世界に戻すことができる!!!そんな気持ちです。・・・・家に帰ったら夫と息子が私の誕生日パーティの用意をして待っていてくれました。息子のあどけない嬉しそうな顔を見ながら、海でとれた幸をいただきながら、こうやって家族の笑顔を見ながらおいしい海の幸を食べられる。まだまだ地球はこうやって幸せを提供してくれているのですよね。それをものすごく感じて涙が出そうになりました。
2007.02.25
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私は低血圧です。 年に一度の人間ドックのときにしか計ることはないけれど、上が87、下が56というような数値でこの何年かひっかかっています。でも、低血圧の困った症状が特にあるわけでなく、そんなに気にしていませんでした。が、最近知ったところによると低血圧は癌や脳溢血を招きやすいとか・・・!話は変わるのですが、私は心拍数も多く、父からも「子どもみたいだな。」と言われたことがあるのですが、こちらのほうはずいぶん前にとあるテレビ番組で「哺乳類の心拍数というのは、一生のうちでほぼ回数が同じ。」ねずみだって、ぞうだって寿命は違うけど、心拍数はそうは変わらない・・・というのを聞いてということは、心拍数の多い私は寿命が短いんだ、と漠然と思っていました。つい先日見たテレビ番組で同じような話をしていて、SMAPの中居くんが一分間の心拍数が確か70台だったと思うのですが、それで計算すると寿命は58歳くらいでした。中井くんよりかなり心拍数が多い私は「じゃぁ、私の寿命は50歳くらい?? え!?あと十数年しかない!」とあせってしまいました。また話変わって、私は体温も高いのです。37℃あることが多く、36.5℃くらいだと「今日は低いなぁ~」という感じ。でも、手足の先は冷えやすい。この辺の体質に疑問をもって、かかりつけの医者に聞いたことがあるのですが、「体質だね。気にすることはないよ。」と言われそんなものかなぁと思っていたんですが・・・今朝、因果関係を考えてみたんです。低血圧だから、血液を全身に送り出す力が弱くて末端まで巡りにくい。そしてそれを補おうとして自然に心拍数(脈拍数)も多くなり、だから心臓付近・・・脇の下で計る体温は高くなる。体温が高いのはよいそうなんですよ。その分、免疫力が上がるから。ちなみに35.0℃くらいの体温はガン細胞が最も増殖しやすいんだそうです。でも低血圧で癌になりやすく、もしそのために心拍数が多くなっていて寿命を縮めているとしたら、低血圧を改善するしかない!で、ほかのことは調べても因果関係が見つけにくかったんですが低血圧の改善に関することはたくさん見つけることができました。運動! 低血圧改善の食材を選ぶ、塩分を多めにとる、など。私が勝手に自分の体質を結びつけて考えたものなので、ほんとうのところは?というのはありますが、(また調べてみるつもり)自分の中ではなぜか運動!という気持ちになっています。今日もウォーキングに行っていたのですが、これから陽気もよくなることだし、もっと体を動かそう。 血圧計も買ってみようかな。
2007.02.22
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その人が感じている、心の中のものが話していて心に伝わってくる。そういうのってありますよね。 心がそこに傾いて、自分の中からも思うことが湧いてきてそれがまた相手の中に染みこむのが分かる。先ほどファミリーサポートで送迎をしているお子さんのお母さんから電話がかかってきて、しばらくお話ししていました。電話を切ったあと、ちょっと不思議な感覚だったんです。30分くらいのことなんだけど、時間がちゃんと重なっていた・・・というか。このかた、玄関先でちょこっとお話ししたり、たまに電話でお話するくらいなんだけれど、なんだかすごく心が伝わってくるんです。相手に対しての心持ちが真っ直ぐなのか、なんだか心に入ってくるんですよね。そうして、するすると思うままに喋っているうちに、不思議とその言葉が相手の心にちゃんと入っていっている感じが分かるのです。1年前に突然、お仕事がもっとしたい!と思い喫茶店に駆け込んだ?のも、このかたとお話ししていて、そのぱっと輝く表情を見たから。今日・・・話をしていて最初は深刻な話だったのに、話しているうちに華やいできて、声のトーンがお互いにいつの間にかすっかり明るくなっていて、なんだかハッピーな気持ちで電話を切ったんです。「○○さんと話しているとすごくほんわかした気持ちになってしまう。」と言われたのも嬉しかった。人と人って不思議ですね。不思議なところで、一本のヒモが見えるみたいに繋がってしまうんだなぁと感じてしまう今日でした。
2007.02.21
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先日、「スーパーで、ちょっとサラダ油買って給油」という記事を見ました。いわゆるバイオ燃料車なのですが、けっしてハイテクなものではなく、中古のディーゼルカーの部品にフィルターを取り付けただけのもので、これを燃料タンクとエンジンの間につけるんだそうです。バイオ燃料の研究が進んでいる中で拍子抜けするくらい簡単な感じですが、サラダ油でちゃんとスムーズに走るそうです。濾過しなくてはいけないけれど、レストランなどから出る廃油でももちろん大丈夫で、これだとまさにリサイクルですね。開発したのは、サンフランシスコに住むフリードマンさんで、改造の趣味が高じて作るようになったようで、今までに1000台以上の改造を行い、サラダ油で走る車がロスの町をのんびり快走しているそうです。ただ、違法改造にあたるのではないか、と環境保護庁の声もあるようで・・・それに対し「僕は過激な環境保護論者でも、社会変革を目指す活動家でもない。ただ、こんな車が売れる社会になればいいな、と思っているだけさ。」という言葉が印象的でした。環境によいことを望んで選択していく人が増える社会になればいい・・ハリウッドの業界人の間でも環境へ気配りすることがブームになっているといいます。動機は分からないけれど、こういう雰囲気って広がりやすいだろうな、と思います。先日のバレンタインデーのときも、「フェアトレードのチョコレート置いていますか?」と聞く人が多かったそうで^^地球が大変なことになりつつあるという意識とともに、やっぱり地球を守りたい、他の国の人のことも考えたい・・・という気持ちがみんなの間にどんどん広がっていっているのかな~と感じます。情報化社会だし、誰かの強い意識とか行動からそういう雰囲気がひろがっていけば、その力はすごく大きなものになるだろうなと思います。
2007.02.17
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植物っていうのは、やっぱり微妙な気温の変化を感知しているのですよね?2月のこの時期、まだ寒いとも言えるこの時期・・・やっぱり春を感じるのは、梅の花が咲き出すことでもそうだけどベランダで育てている植物があきらかに動き出すんです。ほんとに何事もないような顔でいつも同じ場所で淡々と・・・朝陽を浴び、寒風にふかれ、夜も同じ佇まいでひっそりしているのにでもこの時期になると明らかに違う。じっとうずくまって休んでいたのが、ほんとに動き出す感じ。パンジーもビオラもキンギョソウも・・・一番分かるのはやっぱり球根類でしょうか。今日はヒヤシンスの葉っぱの間を覗き込んだらぎっちりつまった蕾が顔を見せていました。去年、植え替えのときに土の中からでてきた球根を一緒に埋めておいたらもう蕾をつけているし、(スイセンです♪)今年は暖冬だ、雪も各地で少なくて、いろんな話を聞くにつけ地球がおかしなことになってきている・・・と感じる一方で、ベランダの植物はいつもと変わらない感じで、この時期にいち早く春を感知し、いっせいに動き始めています。この感じだけはやっぱり例年と変わらなく、植物が動き出したと感じると同時に体の中の何かが騒ぎ出してしまう。春だーー!って。もう少し暖かくなったら、ゼラニウムを植え替えしてあげてのびのび葉っぱがのばせるようにしよう。そして、朝食のときにも話していたんだけど、ベランダの角の日当たりのよい場所に格子になった支柱をたてて、いんげん類・・・モロッコいんげんか?スナップエンドウあたりの種を蒔いてみよう。そして実ったら、とれたてをさっとゆがいていただくのです^^
2007.02.16
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今日は豊洲のららぽーとに行って来ました。聞いたときは豊洲ってどこ?と思ったのですが、江東区の海がすぐ目の前という場所でした。真っ青な空に光る海というのは、やっぱり気持ちがいいものです。風が強かったけど、海風って体も心もすっーとするような気分になります。ららぽーとは色々なお店が入っていて、目を惹くものもたくさんありました。だけどついついお喋りに夢中になってしまい、何をしにいったんだか。あ、ハワイアン料理のお店に入って、ふんだんにお野菜を使った美味しいお料理はたらふく食べましたが。やっぱりみんなして喋るのが止められなくて、よく喋ったな。ほんとにおばさんの集まりみたいですね。でも喋って笑って解放するのはやっぱり大事な時間です。週に一度の友人とのウォーキングもにしても歩くのが目的でもあるんだけど、もっと大きな目的がお喋りになっているんだろうな。心身ともにすっきり!するから。というわけで、息子の幼稚園のときから仲良くしている4人で出掛けたわけですが、一人の子が・・・前々から北海道に転勤になるとは言っていたけど、あと一年はこちらにいるという話だったのに、急に、今年の4月から向こうに行くことになりそうだというではありませんか。・・・ということはあと1ヶ月半くらい。まだまだみんなでこうした時間がもてると思っていたのにあまりにも急な話でかなりのショックを受けました。すごく明るい性格で、いつも飛んでくるように近くに来て、堰を切ったように話をする人で、ほんとによく気がついてなんでもこなせる人なんだけど、彼女の表情とか行動を見ているだけで、なんだか可愛く思えて○○ちゃ~~ん、みたいになってしまうのです^^涙が出そうになって、気がついたんです。彼女のことが大好きだったんだなって。 これからも3人で会うことはできるけど、なんだかがらんとしたように寂しくなってしまうだろうな。はぁ~~な気分です。でも彼女のこれからを応援しなくてはね。
2007.02.15
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「子どもの奴隷が作るチョコレート」その話を知ったのも昨年の今ころでした。甘くて美味しいチョコレートの原料であるカカオにこんな背景があることを知り、胸が痛くなりました。そのときの日記はこちらから。フェアトレードというものを知ったのも、フェアトレードのチョコレートを知ったのもこのときからでした。このチョコレートのカカオはボリビアの個人農家の人たちが作った無農薬の自然農法のものを使い、砂糖はフィリピン、ネグロス島の農民たちが作った無農薬の黒砂糖を使用。最初に口にしたとき、楽しみに、そして想いが入っていた分よけいに美味しかったのを覚えています。今では色んな味が出ていて、私はまだ食べたことがないのですが、オレンジ味とかレーズン&カシューナッツ味なんていうのも出ています。バレンタインデーはもう明日!になってしまいましたが、バレンタインデーにこのチョコを自分にも、そして大切な人にも渡したら、もっと意味深くバレンタインデーを過ごせそうです。フェアトレードチョコレートでハッピーバレンタイン!が広がっていけばいいなぁ!と思います。
2007.02.13
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夫に勧められて娘と映画『ルワンダの涙』を観てきました。あまりのシーンに見終わってから言葉が出てきませんでした。アフリカ、ルワンダ国でのフツ族によるツチ族の大量虐殺。起きたのは娘が産まれるほんの少し前、1994年の4月のことでした。娘が産まれたその年に、こういうことが起きていたのをまったく知りませんでした。この映画は事実を元に描かれています。長年、部族間での争いが絶えなかったフツ族とツチ族、当時フツ族出身の大統領が飛行機事故に遭い、それがツチ族による暗殺ではないかということを発端にツチ族の大量虐殺が始まります。それがすさまじいものなのです。兵士同士の争いならまだ理解できる、でも民兵と化した一般市民による一般市民への虐殺。ツチ族のリストをもった人たちがツチ族と分かるや、子ども、女性関係なくナタや銃で殺していくのです。母親から赤ん坊を引き離し、赤ん坊の頭を死ぬまで木に打ち付ける。おびえて震えている人を弄ぶかのように、数人で茂みに連れて行き大きなナタを何度も振り下ろす。町中に死体が横たわり、その中でナタや銃をもったフツ族が獲物を待つかのように、あちこちで道をふさいでいます。恐怖に駆られて、また一個人に対する長年の恨みによる反動的な殺害、というならばまだ理解できます。けれど、自分と接点がないような人を殺していくというのが理解の範囲を超えていました。ツチ族というだけで、同じ人間。自分の両親、祖父母、娘、息子・・・そういった大事な人たちの顔と重ならなかったのか?血のしたたるナタをぶら下げて、ためらいのないような勝利したような面々に凍り付くような恐怖感を感じました。ツチ族が救いをもとめて、逃げ込んだ国連の平和維持軍の駐留する技術専門学校。徐々にフツ族に取り囲まれた国連軍は数日後、何も解決せずにツチ族を残して撤退を決めます。残されたツチ族はその学校でフツ族によって虐殺されるのです。1994年その虐殺の始まった日から100日の間に80万人のツチ族が虐殺されたといいます。「国連軍は何もしなかった。国際機関が紛争国の仲裁に乗り出すには二つの明確なルールがあるのだろう。その一つは当事者たちが白人であること、二つ目は当事者たちが西側が求める何かをもっていて、それが安全保障理事会の利益になるものであることの二つだ。しかし当事者が黒人で、貧しい国であった場合には関係ない。自分たち同士で勝手にやってくれ、となるのだ」とプログラムに書いてありました。私には、フツ族の冷淡な虐殺があまりにも衝撃的で、人間としての普通に育んできた感情(家族愛とか隣人愛とかから派生するもの)があまりに欠落しているようで、国連軍が関与して力で押さえつけたとして部族間の抗いが消えるのか?と思えてしまいました。この映画の中で実際にいた人物をモデルとして登場するクリストファー神父という人がいます。彼はこのような状況の中で(30年この地で過ごしてきた外国人の神父なのですが)、弱いものの近くで励まし続け、ツチ族の人たちの心のよりどころとなります。最後の最後まで、逃げることなく守り抜きます。このような人こそ、この状況を助けられるのでは・・・と思いました。フツ族によって撃たれてしまうのですが。ここまで民族間の争いが大きくなる背景には根深いものがあるのでしょう。でも、弱くも、ときには残酷にも姿を変える人間の中で、尊いもの、もっとも強くもたなくてはいけないものを感じた気がしました。まだまだ思考途中なのですが・・・。*******あとから調べて分かったのですが、もともとフツ族とツチ族の間にベルギーが関わり、ツチ族だけを優遇することによる人種差別意識の植え付け、フランスによるツチ族排除の助長などが民族間の争いに関わっているようです。
2007.02.12
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先日の新聞でブッシュ大統領が「10年間でガソリン消費を20%削減させる目標をうちだし、この”脱石油依存対策”が地球の気候変動という深刻な課題に立ち向かう助けになる」と語った・・・との記事を見ました。ブッシュ大統領が一般演説で地球温暖化に触れたのは初めてだそうです。環境問題に消極的な印象が強い大統領がこのような発言をしたのは、国民の意識変化が関係しているようです。カリフォルニア州知事のシュワルツネッガー氏が、州内の主要企業に排出削減を義務づける法律を成立させたり、他の州でも「中央をまっていられない」との声が高まったり、米主要企業の一部が排出規制導入を求める声を上げるようになったり、とまわりからの意識変化の声がブッシュ大統領のこれからの対策を変えざるを得なくしているようです。強い意識というのは、きっかけはどうあれ感染力があるのだなぁと思います。そして法となれば目に見えて大きな影響力があると思います。少し話は変わるのですが、一度便利な生活を経験してしまうと、それを不便な生活に変えるというのはなかなか困難なものです。でもたとえば物を大事にし、無駄なものをなるだけ出さなかった昔の日本のような生活にみんなで逆戻りしたならば、最初は不便さを感じるかも知れないけれど人間、じきに慣れるのではないかなぁ。突然飛躍していますが・・・。そして、その中で便利さだけでは味わえなかったものをまた再発見できるのではないかなぁ。
2007.02.08
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昨日、初めて宮脇昭さんの講演を聴きにいくことができました!横浜パシフィコで行われた会場にようやく間に合い、乾いた唇にリップクリームをつけようと思ったときに、宮脇さんが舞台に現れたので、遠い会場の端からでも失礼に当たるような気がして慌ててポーチにしまい、背筋を伸ばして聞き入りました。以前、『魂の森を行け』(一志治夫著)という宮脇さんの人生を描いた本を読んで、その強烈な生き方に魅せられて以来、その功績もさることながら宮脇さんというその人にお会いしてみたかったのです。79歳というお歳を聞いてびっくりしてしまったのですが、想像通り勢いのある、そして心をつかむしゃべり方で1時間。スピードの強弱はあるものの時々は早口言葉を聞いているような勢いで喋り通しでした。それでも話に谷と山があるみたいにおっしゃりたいこと、肝心なことはとても印象に残るのですよね。人生、自分の信じる道をとことんまっしぐら、それが今もなお続いているという感じを受けました。宮脇さんは今までに世界中に木を3000万本以上植えてこられたかたで、万里の長城の緑の復活も宮脇さんによるものです。そのほかにも1500か所以上で植林活動をされていて、その基本にあるのが「その土地本来の木で森を作る」です。その土地本来の自然植生を調べて作った森は幅1mの場所でも急斜面でもびっくりするほど奥行きを感じるうっそうとした森になります。殺風景な土地が8年もするとりっぱな森に姿を変えるのには本当に驚きました。土地にあった木を立体的な多層群落で植えることで3年もすれば、まったく手入れの必要のない森になるのです。今回は「学校にいのちの森を」というテーマでした。今まで小中学校あらゆるところで子どもと一緒に木を植えてきた森脇さんは、自分の手で植えた木が大きく成長していくのを子ども達が感じることが命を感じることではないか、とおっしゃっていました。ひとりひとりの体に自然の命の姿をすり込ませよう・・・徹底的な現場主義で、つねに土に、木に触れてきた力強い言葉でした。体で感じ取ったものは心にとっても作用しますよね。*****宮脇さんは昨年末、ブループラネット賞(環境国際賞)を日本人として初めて受賞されました!(ということを昨日知ったのですが・・・)*****昨日はまず家族で「みなとみらい技術館」へ行きました。ここも環境に関するブースや宇宙関係いろいろあり、とても面白かったです。ついつい見入ってしまうので、一階しかまわれませんでした。一日ゆっくり過ごしたいところです。そして講演会に行った後に20年ぶりくらいで中華街で食事をし、大観覧車にのって、瞬く光がいっぱいの華やかな世界を見回しました。それはそれでドキドキするような世界なのですよね。あと20年経って、ここから眺めた時、どんな自分でどんな風景をみているんだろう?
2007.02.05
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越川 禮子さんが書かれている「江戸しぐさ」というコラムを読んで、よい気分になってしまいました。江戸の人たちの明るさ、思いやり、価値の置き所がとても見えて、人としての質の高さを感じてしまうのです。「江戸しぐさ」というのは、お互いが気持ちよく過ごせるよう、目つきや表情、話し方や身のこなしによって、思い(心)を表現する方法で、異文化のるつぼであった江戸でトラブルを未然に防ぐため町方リーダーたちの工夫によって生まれたものだそうです。代表的なものとして「傘かしぎ」・・・すれ違う際に相手の肩に雨粒が落ちないよう傘を人のいないほうにかたむけるというもの、また「こぶし腰浮かせ」・・・船などが混み合ってきたら、こぶし一つ分腰をあげて席を詰め、1人でも多く座れるようにするものなどがあります。これらは江戸庶民の処世術ですが、基本的な考え方は「相手への思いやり」「世の中への感謝」だと思います。江戸商人は初めて会った人に対して、10年の知己に会ったような目つきをしたそうです。「江戸には他にもお店があるのに、よく当店へ足をお運びくださいました。感謝いたします。」という思いが瞬時にしぐさになってあらわれました。そして旅籠などでは、旅人の足をすすぎながら、わらじの鼻緒が痛んでいるのに気付くと、道中で切れたら難儀をすると思いやり、新しいものを用意してあげたそうです。相手が望むことを察し、つねに一歩先を見越して行動することがくせになっていたのですね。とても印象に残ったお話に「人柄あらわす聞き上手」というのがありました。「江戸商人は、相手はどんな人なのか、何を望んでいるのかを真剣に聞き、察しようとしました。「聞き上手」とは、話す人の目を見て身を乗り出し、ひたすら聞くしぐさの人。話す人への敬意やエールが感じられ、話し手も熱が入ります。さらに、ほほ笑んだりうなずいたりして共感を示すしぐさや相づちは、聞き手の優しい人柄を感じさせますね。 反対に、私語はもとより、よそ見をしたり無表情だったりすると、相手の話す意欲をなえさせるし、何より失礼です。」このことは今にも通じる大切な心得ですね。聞くということは、自分の実にもなりますしね。「傍らを楽にする働き」というお話も当時の価値の置き所が見えてくるようなきがしました。江戸人は朝ごはんの前に、ご近所さんに困ったことが起きていないか様子をみて、その手当をするのが日課でした。朝ご飯を食べたら生活のために働き、「昼食が済んだ午後は人のため、町のために「はた(傍)を楽にする」働き、今でいうボランティアに精を出したそうです。職種にもよりますが、「江戸っ子は3~4時間しか働かない」というのは、どうもそのあたりから来ているようです。 夕方は、夏などはみんなで一斉に打ち水をして、明日も元気で働くために備えました。「あそび」に引っかけてこれを「明日備(あすび)」といい、リフレッシュ、レクリエーションの時間だったのです。 よく働きよく遊びストレスをためないというのが江戸の暮らし方だったようです。しかも人の評価は、午後の「傍を楽にする」働きの多い少ないで決まったそうです。 地位や財産でなく、自分以外の人や世間のために働くことに人間の価値をみる。「自己中」なんて言葉は、江戸にはなかったのでしょうね。」お互いに気持ちよく過ごすための心得が、きちんと人々の中に行き渡っていてお互いを高めあっていたのだなぁと感じます。このころ江戸を訪れる欧米人は日本人のほほえみのすばらしさに好感をもったとありましたが、思いやりももち、何事も陽にとらえて人生楽しく、そんな生き方が表情にも表れていたのかもしれませんね。このコラム、週一度、発行されているようなので次回号も楽しみです^^
2007.02.01
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ずいぶんと久しぶりの日記になってしまいました。今日は少し前から気になっていたお宅にお邪魔させていただきました。何が気になっていたかというと、下から見上げたときに木々が見える屋上。最近建て変えられたばかりのお宅で、屋上が国内でも類をみないほどの、ちょっとした植物園なみになっていると聞いていたからです。緑の種類は相当な数で、小さな滝があったり・・・ホタルを育てていたり、とご主人の思い入れがかなり反映されているそうで。たまたまお店にそのお宅の奥様がいらしたので、お聞きしたら「どうぞどうぞ、いらして。明日はいかが?」と誘っていただき、さっそくお友達を誘って行ってきました。滝と聞いて人工的な感じを想像していましたが、どうして。木々が植わった小高いところから石の間をぬけて水が落ち、溶岩石のような間をぬってせせらぎ、池へと続く水辺はとても自然に近いような感じでした。苔生した先の水の中にはなんと600匹のほたるの幼虫がいるそうです。石にまざって幼虫が餌にするというカワニナ(巻き貝の一種)もちらほら見えました。このホタルがはい出してくる4月頃・・・成虫になる前も光っているそうで、きっとその頃に屋上にあがるのがますます楽しみになるでしょうね。ホタルが舞う季節にも! ここはこれからの季節、緑が吹きだし、土中で眠っている植物が顔を出し、花が咲き、もっともっと居心地よくなるんでしょうね。想像するだけで、細胞が騒ぎ出すような気分になってきます。きっといろんな果樹が実り、紅葉の季節も。「春にも夏にもいらして。」と言っていただき、すっかりそのつもりになって楽しみにしています。とっても明るくて気さくな奥様と、爽やか~~な息子さん(一緒に説明してくれました)、そしてこのお庭を誰よりも作りたかったご主人(院長先生)、みなさんがとっても楽しそうな雰囲気で、それもとっても印象的でした^^
2007.01.29
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昨日はまた環境基本計画見直し懇談会でした。夜遅くまでの長丁場でしたが、ほんとうに楽しい!!楽しいという言葉が適当かどうか分からないけれど、充実の時間でした。みなさん行政や団体等に働きかけながら活動されているかたたちなので、どの話が出ても内容が濃くて頷いてしまうことばかり。現場からの声という感じです。しかも、それぞれことを話ながらやはり環境問題というのはすべて繋がっているのだということを感じさせられます。これからは決まった6つのエコプロジェクトについて、担当者を決め進捗状況を確認していくことになりました。私も担当を2つ決めました。エキスパートに混じって何ができるか分かりませんが、しっかり勉強しながらお手伝いさせていただきたいです。とても楽しみで、わくわくしながら帰ってきました。昨日、EMによる河川浄化の話をしたときに、実は反対しているという声があがりました。EMはよい菌だけを集めた一種の抗生剤のようなもので、水質によってはよい影響を与えることもあるが逆効果の場合もあるというのです。実際失敗例はあったようです。生ゴミを堆肥化したり、掃除などで家庭で使う分にはよいけれど大量に川に投入することは富栄養化を招くことになるし心配だ、と。種の多様性からいっても、特定の種のみ大量に増やすことに疑問はもっていたのですが、ここまで水質が悪化した状態では特効薬になるのでは・・・と思っていました。ですが、ずいぶんと広がりを見せたいろいろな話の中で、なぜそれほど浸透していないのかが分かったし、人間が自然に手をかけるときにはバランスを考えながら充分に気をつけなくてはいけないのだ、と思いました。様々な情報が得られることもとっても嬉しいことです♪考えて、行って、情報を得て、・・・それを繰り返していきたいです。
2007.01.17
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先ほどのニュースで、杉並区のサミットが区と地域協定を結んで、レジ袋の有料化に踏み切ったことを知りました。一枚・・・5円。 ちょっと高いというお客さんの声もありました。お店側もお客さんが一割減ると、お店の存続に関わってくるそうです。ということで、客が遠のくのをおそれて踏み切れないスーパーが多いそうなのですが、今後は区内のスーパーに広げていく方針だということでした。聞いてびっくりしてしまったのですが、杉並区では一年間に使われるレジ袋が3000トン。焼却費用に1億5000万円かかるそうです。この有料化で、お店には半数の人がマイバックをもってくるようになり、なかには昔はこれだったよ、と風呂敷を下げて嬉しそうな笑顔のかたや、「もったいないから」と一度使ったレジ袋を持ってくる人もいました。マイバックを、と推進するよりも有料化というのはかなり効果があるのですね。「もったいない」という気持ちを多くの人が感じるようになれば、それだけ無駄に使われるレジ袋が減るのでしょう。そういえば、私が幼いころは、ごみはほとんどが生ゴミで、コーティングしてあるような茶紙の袋にぎゅうぎゅうおしこんで麻のひもで結んで出していたような気がします。あの頃は今よりももっとごみが少なかったんだろうなぁ。
2007.01.15
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週末は久しぶりに自然の中へ行きました。・・・とは言っても近くのだだっ広い公園ですが。夫はたき火をするために、しばかり(木の小枝拾い)に。私はウォーキング、娘はハンモックのシュラフの中で冬眠、息子はリフティング練習、と思い思いに寒空の下で過ごしました。家に帰って、ベランダで夫と息子はたき火をしようとたき火用の台とチャコスタを使って、火を起こしていましたが、けっこう大変そう。でも本当にたき火が好きですね。夫と息子は。男の本能みたいなものなんでしょうか。キャンプに行っても、火の前でいつまでもいつまでも楽しんでいるのはあの2人。北風が吹く底冷えがするような寒い日だったのにもかかわらず、「え?寒くないよ。」とコートも羽織ろうとせず、夢中になっている息子。なんとか、マシュマロを焼いて持ってきてくれました。その日の日記には、その時の様子をくわしく書いていて最後に「すごくすごく楽しかったです。」と書いていました。話変わって、『森は生きている』(富山和子作)を読みました。20年以上前に書かれたものですが、子ども向けに書かれた本としてベストセラーになっています。子どもにもぜひ読ませたい本ですが、大人が読んでも読み応えがあって、自然環境と人間の生活の関わり合いや自然のサイクルがとても分かりやすく書いてあります。森林が作り出す土、水、酸素(火も酸素がなかったら使えません)・・・のほか畑の野菜だって海の魚だって森林の恩恵を受けています。気温調節、暴風、防雪ほか森林がもたらしてくれるものはきりがありません。山に行って、黒々としたふかふかの土に出合ったときに、触れて、踏みしめてなんとも言えない気持ちになったりしますが、これこそが生きている土なのですよね。死んでいたらカチコチですものね。人間が自然に頼ろうとしなくなってから、自然がどんどん破壊されるようになったといいます。森林がどれだけの恩恵をくれているかを、小さいうちからもっと肌で感じられるといいなぁと思います。
2007.01.15
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今、ファミリーサポートで送り迎えをしている子ども達が3人。いずれも6歳の男の子で、そのうちの2人の子は初めて会ってから2年以上になります。この子たち、みんなお喋りが大好き。毎日、かわりばんこで誰かしらに会うのですが、みんな一様に喋りたいことを喋ってきます。その表情が何かを見せたくてうずうずしている様子だったり、説明しているときの、頭の中にその世界が繰り広げられているんだろうな、というような真剣な眼差しだったり、ぱっと反応する笑顔だったり。この時間がほんとうに特別なのです。こんな子ども達の表情を見ていると、なんだか非常に満たされてしまって。一瞬一瞬今を感じている、そんなことはもちろん本人は意識していないでしょうが、一緒にいるとまさにそんな感じがします。言葉を超えて満たされて新鮮な気分になっています。ほんとに子どもって偉大^^ それで、そんな気分でいるとすごく心が穏やかになっていて、なんだか周りの見え方が違ってくるんですね。道行く人もごみ収集車のかたも、みんなで同じ空間を共有しているような優しい感覚です。子どもたち、みんな大好きだよ~~~~!!もちろん、うちの子たちもね。純粋に頭の中の世界を表情に出されると、それはとても圧倒的ですね。
2007.01.12
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『椿山課長の7日間』(浅田次郎著)という本を読みました。これは、娘が「ぜったい面白いから読んで!」と言うので読み始めたのですが、意外にも言葉の表現が難しかったり、男女の微妙なシーンが出てきたり・・・。娘が面白い!というイメージとはかけ離れていて少々驚きました。でも確かに読み進めるうちにぐいぐいと引きこまれ、読み終わった後には爽やかな後味が残る本でした。登場人物はサラリーマン、やくざ、子ども、寡黙なおじいちゃん、ほか職業も個性も性格も立場もばらばらだけど、何か共通のものを感じました。その人を思い浮かべたときに、愛おしくて胸が熱くなるような何か。その人を形取っている中に浮かぶ脈々と流れているけっして変わることのないもの。そういったものに揺さぶられました。うまく表現できないのですが、誰かを思うときに浮かぶのは意外とそういう漠然としたイメージだったりします。心の奥底で感じるその人の雰囲気のようなもの。それが温かったり、安心感があったり・・・。本質的な人間のぬくもりのようなものを感じた本でした^^娘がこの本をすごく面白く感じたというのは、それだけ成長したのでしょうね。だったら、やはりぜひとも『博士の愛した数式』(よい本だった!)を読んでもらいたいと思うのです。
2007.01.10
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年末年始の長いお休みが終わって、今日から喫茶店でのお仕事とファミリーサポートのお仕事が始まりました。お休みの間には本もたくさん読めたし、普段できないことをやった^^感があります。 でもやっぱりお仕事が始まると、気分が乗ってくるというか、調子が出てきます。動いている方がよいみたい。お店ではまず、表を綺麗に掃いて、たくさんの種類の花や植物の鉢に水をあげて・・・これも元気のなかったものがこの寒い季節になって俄然生き生きしていたり、色もついていない蕾だったものが開きそうになっていたり、花好きの私には発見のある楽しい作業なのです。店内の居心地のよい空間を掃除して、コーヒー豆を挽き、アイスコーヒーを落とし、ランチのための仕込みをします。去年の1月から始めたこのお仕事も1年。お店はママさんと2人なので話をしながら、開店前の仕事を進めつつ、すっかりここが私の持ち場だな、という感覚がします。が、今日は突然に環境基本計画見直し懇談会で進行役を務めているかたが入ってこられてびっくり!今まで知り合いの人が突然入ってきても、こんなにびっくりすることはなかったのに、ドキドキしている自分にびっくりしてしまうほどドキドキしてしまいました。これは・・・心のどこかで今後の身のふりかたを考えていたからでしょうか!?(か、どうかはともかく)「できましたよ。」と見せてくれた環境基本計画書は分厚く、「これを作るまでが自分たちの仕事なので、あとは頑張ってもらいますよ。」と言われました。 私が参加していたのは、市の環境基本計画書の中の一部、市民と事業者によるエコプロジェクトを作るための懇談会だったので。私に何ができるだろう。でもそう言われて気持ちがむくむくと高まってきました。懇談会を通して、この市で環境のために地道に頑張っている人たちがいることを知って、とても心強く感じていました。まだまだ市内のことでさえ、知らないことがいっぱいなのです。私も参加して応援したい!そしてEMに関してはもっと活用範囲を広げて、掘り下げていきたいなぁと思います。懇談会メンバーの中から、エコプロジェクトを作っても絵に描いたもちで終わっては仕方がないから、それぞれのプロジェクトを監視する担当をつけ、進捗状況を定期的に報告し合おうという意見が出ていました。どんな形でも積極的に参加していきたいです。喫茶店のお仕事にしても、ファミリーサポートのお仕事にしても、この環境に関する活動に関しても、体も心も動かすことができるのは楽しいことです^^
2007.01.09
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またこれも夫に勧められたられた本『博士の愛した数式』(小川洋子著)を昨日の夜中、ずっと読んでいました。小説って、出てくる人のもつ雰囲気や空気感がどんどん染みこんできて先へ進めずにはいられなくなります。読み終えて・・・うまく言えないけれど、自分の中に思い描いた雰囲気がとても美しく感じた小説でした。家政婦とその息子である10歳の少年と、数学者である博士とのお話。かなり不思議な設定で、博士は17年前に出逢った事故のため、長く記憶する力を失っています。事故以前の記憶はあっても現在進行形の記憶はきっかり1時間20分ぶんだけ。それ以上経過すると、それ以前の記憶はみな消えてなくなってしまいます。だから毎日顔を合わせている家政婦も、朝、博士のもとに行くときには自分はまったくの見知らぬ人になっているのです。自分はずっと共に時を重ねているのに、相手は1時間20分たつとその共有した時間がリセットされてしまう、そんな不思議な時間の重ねかたでした。けれどどうしてこんなに心の中に美しく残ったんでしょう。短時間でリセットされてしまうばらばらの時間の中でずっと変わらないものがありました。博士の中で繰り広げられる、数式・・・数なんて無機質なものだと思っていましたが、それを話すときの博士は相手まですっぽり自分の世界に包んでしまうような数や定理に対する愛情に満ちていました。博士の口から出てくる素数やら友愛数とかはもう単なる数字ではなく、手触りのあるような、そこに様々な雰囲気をもつとても美しい姿になっていました。この本を読む前に読んだ本・・・『国家の品格』という本の中で著者の数学者でもある藤原さんが数学には美的情緒がとても大切である、と言った意味が少しわかるような気がしました。そのくらい、一つの定理を真実をもとめてたどり着く旅は数を単なる数でなくしていました。そしてそのたった一つの真実をもとめて旅する博士のもう一つの絶対的に変わらない真実が小さい者に対する純粋な愛情でした。博士の中では小さきもの(家政婦の息子)の存在は絶対的で、数学の世界に漂っているときのような純粋さと幸福感に満ちていました。何かに純粋に心をかたむけているということは、もう絶対的なのですね。なにもかもそぎ落とされて、その感情を光でいっぱいに満たしてしまうような。だから父親のいないこの少年も博士に絶対的な感情をもつようになります。この小説自体の表現がけっして飾ってあったわけでなく、淡々と心の動きが分かるといった本でした。でも絶対的な美しい感情のようなものがとても心に残る本でした☆
2007.01.07
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前の日記に書いた本を読んで、またいいこと探検家さんの日記、eco拓也さんの日記を読んで、環境問題というのも一人一人の心のあり方に繋がっているのだ、と改めて思いました。日本ははっきりとした四季にめぐまれ、また自然の脅威から自然の美に対する繊細な感受性をもち、儚さ・・・もののあわれという独特の感性をつくってきたのだということを書きました。かつての田園美は訪れた欧米人のほとんどに「こんな美しい国で一生過ごしたい」「日本の道は夢のよう」などと言われたそうです。自然は征服するものではなく、自然と調和しながら独特の文化を創ってきました。慈愛や誠実、忍耐、正義、勇気、そく隠(弱者・敗者・虐げられたものへの思いやり)、そして卑怯を憎む心などの武士道精神は武士だけでなく町民、農民にまで浸透していました。例えば、戦争も・・・卑怯を憎む心があれば、弱小国に侵攻することをためらうし、また占領した国の文化・伝統・歴史を粉々にしてしまうこともためらう。美的感受性があれば、戦争がすべてを醜悪にしてしまうことを知っているから、どんな理由があろうとためらいます。故郷を懐かしむような人は、ほかの国の人々の想いも理解できるから戦争をすることをためらいます。きっと環境問題も同じなのではないかと思います。自然と調和してきたかつての人たちは、きっとその恩恵に感謝し、自然を慈しみ大事にしたのでしょう。日中戦争あたりからその美徳がどんどん失われていったようですが。物質的な豊かさ、便利さはとても魅力的なものです。でも、日本人がかつてもっていたような自然に対する美的感受性や道徳心は環境問題にもつながるとても大切な要素だと思いました。家では・・・環境問題について語るよりも、子ども達に美しい自然をなるべくたくさん見せてあげて美的情緒を育てたい。そして、家庭で心を豊かに育てられるようにしてあげたい、と思います。まず、自分からですね。
2007.01.06
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新しい年が明けてから、少し日にちが経ってしまいましたが「新年、明けましておめでとうございます!」夫から、『国家の品格』(藤原正彦著)という本を薦められて読み始めたら、この本の影響で日本の名作と言われるものを非常に読みたくなってしまい、読んでみたらばまさにこの本にあるような、かつての日本人の品格というものがしっかりと存在していました。かつての日本・・・昭和の初めくらいまでは、長期滞在した外国人が一様に絶賛するほど素晴らしい国だったようです。「自然への感受性や美を感じる心という点で日本人に勝る国民はいないでしょう」や「日本に数ヶ月も滞在していると、どんな外国人でも自分の国では道徳的教訓として重荷となっている善徳や品性を日本人が生まれながらにして持っていることに気づく。最も貧しい人々でさえ持っている」などの言葉の通り、日本人は特有の繊細な自然に対する感受性や、道徳心(武士道精神)を持ち尊敬されていました。繊細な自然に対する感受性を育んだのは日本のはっきりとした四季であり、台風や地震、洪水など1年を通じての自然の脅威でした。そんな「悠久の自然と儚い人生」という無常観が虫の音に感じ入るような感性や、潔く散る桜の花へ人生を投影したり、紅葉を愛でる感性をつくっていったのでしょう。さらに、俳句なども自然と心を通わせる、もののあわれという感性から発達したようです。このような感性は世界中の誰もがもっているものなのでしょうが、特異な風土が生み出したものらしく、日本人がとりわけ鋭いようです。お茶にしてもお花にしても中国から入ってきた字にしても、日本人は茶道や華道や書道という芸術にしてしまう。文学作品を見ても、洗練された文化をもっていました。そして日本人の持つ道徳心・・・武士道(慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気)は町人や農民にまで行き渡っていました。庶民から尊敬されていた江戸の武士は権力と教養はもっていたものの、お金はもっていなかった、金銭よりも道徳を上に見るという精神性の高さに外国人からも驚かれています。そして精神性の高さが日本という国の品格を作っていたようです。そう、こんな話しもありました。江戸時代末期の識字率は50%で(近代的なロンドンでも20%だったのに)アメリカやイギリスは日本の開国当時、植民地化しようと思えばできたのに、江戸の町に来て、町人があちこちで本を立ち読みしている姿を目の当たりにして「とてもこの国は植民地にはできない」と諦めてしまった、そうです。品格がある国だったから、植民地化されずに済んだのかもしれません。けれども今の日本は羨望はされても尊敬される国ではなくなってしまっています。藤原さんは言います。国際人を作るなどと言って、小学校から英語教育をするよりも国語をしっかり勉強させなさい。表現する手段よりも表現する内容を整えるほうがずっと重要だ、と。とにかく国語。一生懸命、本を読ませ、日本の歴史や伝統文化について教え込むこと。それから・・・いじめがあるからカウンセラーを置くんではなく、「大勢で一人をやっつけることは文句なしに卑怯である」ということをたたき込まないといけない。卑怯を憎む心(武士道精神でもある)を育てるには家族の絆が必要だ、と。美しい情緒、武士道精神からくる形を身につけることで、それが国家の品格となり品格の高い国に対して世界は敬意を払い、必ず真似ようとする、それは文明国がみな苦悩している荒廃に対する解決策だと思える、とおっしゃっています。これを読んで、私は親から学んだようなものを子どもに渡せているんだろうか、と思いました。少しでも子どもの中に大切なものを残せるような親でいたい、ととても思うのでした。それとやっぱり多くの美しいものを見せてあげたい!
2007.01.04
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フリーになった昨日から大掃除を始めました。手始めは玄関から。石の床をひとめづつ、隅から隅までたわしで磨いたあと、水を流すと「おおっ」汚れがきれいさっぱり流れていく感じ。玄関扉も壁も棚も拭いて、すっきりさっぱりしました。玄関って家の入り口なので、ここが爽やかになると、家の中まで瑞々しい空気が入ってくるような気がします。気をよくして、台所のコンロも磨いた後、お風呂磨きに取りかかりました。天井、壁、浴槽、床、とにかくひたすら磨きつづけて、夫いわく「モデルルームのお風呂みたい」くらいに綺麗になり、すごく満足。トイレも同じように磨いたので、手を使いすぎたのか今朝起きたら、腕がこわばって痛くなっていました。けれど手を使って間近に汚れを見ながらそれを落としていくという作業は、落ちていくのが目に見えて分かるし、何か達成感のようなものがあります♪今日は洗面所とベランダ。そして台所を終わらせたら、あとの掃除は家族に任せて、年賀状書きに取りかかることにします。(まだやっていない!)
2006.12.29
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「昨日のシチュー、美味しかったなぁ。」私もすごくそう思っていたので^^夫の言葉に嬉しくなりました。昨日はクリスマス・イブだったので、かねてから食べてみたかった、無肥料栽培の野菜を「ふきのとう」から取り寄せクリームシチューを作りました。無肥料栽培というのは、化学肥料や有機肥料などの肥料は一切使わず、畑の力「地力」と植物自身の生命力だけで農作物を育てる方法です。もちろん農薬や除草剤なども使いません。哲人秀さんの畑で育ったその野菜は、評判通りの味でした。これが土のもつ力と植物の生命力で育った味なんでしょうか。人参などはとても濃い味がしました。でも何か、爽やかなのです。玉葱はとろっと、ジャガイモは黄色くてほくほくしていて優しい味がしました。なんだか思わずこの野菜が育った大地に思いを馳せてしまうような味でした。このシチューに合うように、ホワイトソースも手作りしたのでよけいに優しい味がして・・・うん、すごく美味しかったのです^^一口一口をしっかり味わいながら食べた夕食でした。今日はその野菜を使って肉じゃがを作りました。作っているときからいい気分です。・・・が、美味しかったんだけれど、みりんと砂糖をちょっと入れすぎてしまったのか甘みが強かった・・・。野菜の味を充分に味わいたかったので、今度はぜったい薄味で作ろう。でも、ご飯はね、これは実家から送ってきたものなんですが、もう最高に美味しいのです!艶々としていてしっかり口の中で弾力があって、たまらずお代わりしてしまいました。こういう時間をもてるって、やっぱり幸せ^^「ふきのとう」から送られてくるメルマガを読んでいるのですが、人間の体のしくみがよく分かる健康の話はとても参考になります♪
2006.12.25
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一つ前の日記の続きです。前述の日記で書いたボランティア団体は今や大きなネットワークを作っていて、市の施設から出た生ゴミから作った堆肥を市内で使うほかに他県3県に届けているそうです。ちょっと詳しくは分からなかったのですが、他県のかたとの交流や繋がりはもしこちらに大震災などが起きて被災した場合に、疎開先として受け入れてもらえるかもしれない、という考えも一つにあるようです。個人から始まったネットワーク。市民と学校や行政を繋ぐ大きな役割はもちろんのこと、その繋がりが他県にまで広がっているという話しを聞いて、ネットワークのすごさを感じました。コストの面では運搬費(CO2排出の原因にもなりますね)がかかるので、できれば市内で循環させていければ、というのが一番のようですが実際、農家が少なすぎて使い切れないというのが現状のようです。せめて県内でもよいのですけれど。でも、こうやって循環の中から生まれた肥えた土を通しての他県とのお付き合い。なんだか強い信頼関係が生まれそうです。
2006.12.23
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市の「環境基本計画見直し懇談会」に参加して知ったことの一つに、ボランティア団体による生ゴミの堆肥づくりがありました。市内の小学校、中学校、公共施設に生ごみ処理機の設置を進めていて、市内の公共機関に置かれた生ゴミ処理機から出た生成物を肥料メーカーで成分調節してもらい、有機肥料として各店舗で取り扱っています。また、この有機肥料をつかって市内に花を植える活動をしています。もともと気心の知れた仲間の交流のなかで生まれたのがこの活動だったようです。それが徐々に大きなネットワークに広がり、今ではかなり市に浸透しているということを不覚にも!?今ころ知りました。このかたたちは地域の先生として小学校の授業にも協力されています。このネットワークがごみ問題からまちづくりにどんなふうに取り組んでいるのか、地球温暖化問題、ごみが循環していくことなど身の回りの環境問題をより身近に感じてもらうお手伝いをされているようです。気心知れた仲間ではじめた・・・とおっしゃっていたかたも私が何度か行ったことのある商店街のお店のおじさんでした。うちでは、同じくボランティアからはじまったEM菌による生ゴミ処理の活動にとても注目していました。実際、そのかたたちに月に2回、EMぼかしで処理した生ゴミを回収していただいて堆肥化や河川浄化として役立てていただいているのを実感していたので、ほかにもこのようなボランティア団体があるんだ!と驚いたのです。実際、両方とも今では市の協力も得て大きく成長しています。EMのほうは市との共同事業としてかなり広範囲で活動されているのですが、聞いたところによるとこれまで家庭から出る生ゴミ30トンを資源化し、生ゴミの減量化による約7トンのCO2を削減したそうです。どちらも個人の意識からはじまり行動を経て、行政を動かすまでになっています。すごいなぁと思うのです。やっぱり自分からだなぁって。そしてその行動力はまわりの意識まで変えてしまう力をもっているんだなぁって。
2006.12.23
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音楽番組を見ながら娘とお喋りをしていたら、なんだか止まらなくなってずっとたわいのないことを喋っていました。まぁ、喋り出したら止まらなくなるのは娘なんですが。でも学校での様子、お友達の性格いろんなことが分かります。最近はよく同じ子の名前が出てきて、どうも非常に気が合うらしいのです。娘は大のお笑い好きで面白いことが大好き。それと絵を描くのも大好き。絵といってもコマ割りマンガで、のほんとした自分をとりまく生活をマンガにしていて、オチがついています。これは娘の家での様子、学校での様子がものすごくよく分かるマンガでかなりおかしいです。とにかく面白いことが大好きで、そういうことを喋るのも好きなので、何かのときに聞いたのですが私に話すときでさえ面白さが半減してしまったら台無しなので言葉がつかえないように気をつけているとか。それと・・・音楽(トランペット、リコーダーを吹くこと)、動物も大好きで頭の中でそれらのことがまわりを忘れるくらい繰り広げられているんだろうな、というのを感じます。好きなことから取りかかるので、何回言ってもけっこう片づけないで出しっぱなしというのが多いし。で、最近とても気が合っちゃって♪というお友達は好きなことがとても似ているんですね。話しを聞いていると、盛り上がっている様子がよく分かります。娘はどうも自分を全開にできる人と、抑えてしまう人がいるみたいでやっぱり自分をさらけ出してしまう人と気が合うみたい。たとえば同じマンションのお友達のように自分を全開にできるお友達だとほんとうに生き生きしています。先ほど、れおなるどてんぷうさんの日記に伺って「自分がのびのびしている状態が一番好きだ。 また のびのびしている人が好きだ…」というのを読んで、ぱっと浮かんだのが娘の顔でした。いつも娘のだらしのないところばかり目について、また、中学生を前に成績も気になるところ(けっして悪くはないんですが、内心お友達と比べてしまったりして・・・)でもこんなにのびのびと好きなことをたくさんもっている娘って、いいじゃないってまた思いました。好きなことに夢中になっているときって、それがなんであれ一番自分に素直で、一番自分を解放していて、わくわくしているときなんですよね。そんな時間はやっぱりたくさんあったほうがいい。それは一番娘に望んでいたことだったな、ってお喋りをすると気づかされるんです。
2006.12.22
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もうすぐクリスマス。ファミリーサポートで送迎をしているこどもたちに 今年はクリスマスカードに加えて、ささやかなプレゼントをあげたいなぁと思ってクッキーを作りました。ほんとうは最初は「ヘルプ!白クマさんキャンドル」・・・地球温暖化によって深刻な環境の変化にさらされている北極グマを守ろう、地球を守ろう、というメッセージをこめたかわいいキャンドルをピープルツリーのカタログで見つけ、ねらいをつけていたのですが、あっという間に完売してしまったそうで残念。 でもプレーンのクッキーと友人からもらった「ホワイトクリスマス」というホワイトチョコレートとアプリコットの香りのする紅茶をクッキーに混ぜ込んで紅茶のクッキーを作って、味わい深く?おいしく焼けました^^ 今、送迎している3人の子はみんな偶然にも年長さんの男の子。4月になったらみな揃って、小学生になるので送迎もあともう少しです。小さいころの息子を見ていてよく「なんて無駄のない毎日なんだろう」なんて思っていました。わんわん泣いたと思ったら、もう笑って次の興味へと移っている。感情をさっさと出してしまうから自分の内側にためこむこともなく次の楽しいことへと集中して、夜はぐっすり。今送り迎えをしている子たちも、見ていると楽しいことがいっぱい詰まった毎日なんだろうなって思います。ほんとうに無邪気な嬉しそうな顔で、しゃべりたいこといっぱい喋るんですよね。その表情は世界は自分のもの? うーん、うまい表現ができせんが、とにかくキラキラしています。子どもだから、ちょっとだだこねたり、生意気なこと言ったりというのもありますが。でも、その表情を見ながら話しを聞いているだけで、6歳の頭の中の楽しい^^世界が伝わってきてなんだかこちらまで温かいような楽しい気分になってしまいます。そういう意味では、クリスマスカードとクッキーは日頃のありがとう♪をこめて、なのかもしれませんね。このクッキー作りにはこういうのが大好きな息子が参加して、雪だるまを作ったり星に顔をつけてくれたりしました。娘は・・・自分もお友達とのクリスマス会にもっていくので一緒に作ると言っていたのですが、ほとんど味見ばかりに現れていたような。お友達に作った?と聞かれたらしく電話口で「うん。味見とかで。」なんて答えてました。ったく。
2006.12.20
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今日は市の「環境基本計画見直し懇談会」の3回目でした。休憩もとらずに3時間半の長丁場。家に帰り着いたのは夜の10時を過ぎていました。でも、中身が濃かった~。eco検定で勉強したことは、知識としては多少は身に付いたけれど、やはり長年地元に密着しながら活動してきたかたたちの話は別物です。ばらばらの知識ではなく、いろんなことが繋がっていて、そしてこの市のいろいろな状況、各団体の試みなどなどについてまた知り得ることができました。以前は絵に描いたもちで終わってしまったらしい「エコ・プロジェクト」。でも今回、理想論で終わらないように推進していける具体的な案がかなり活発に出されました。ほんとうに無駄のない説得力のあるお話ばかりでした。今回はほとんど最終のつめの懇談会だったので、次回は出された案を市でまとめたものを確認するための懇談会になります。このような懇談会に参加させていただいて、ほんとうに勉強になったし、やはり実践を通して学びを展開させていく大切さをとても感じました。
2006.12.18
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エコプロダクツでは「竹の高度利用研究センター」のブースにも行きました。そこで・・・竹は生長が速い(3年で成長する)、旺盛な繁殖力のためどんどん利用できる。かなりの強度がある。そして、ポリ乳酸(でんぷんを発酵させてできる乳酸を重合させたもの)と竹の繊維を混ぜるとても強度の高いプラスチックのような素材になる。(展示してあったボートもそういった素材から作られたものでした。)ちょっと興味をもったので調べてみました。するとやはりこんな竹の特徴が目に入りました。↓・ 木よりも成長が早いため森林破壊を軽減することができる・ プラスチック等の石油資源のように有限ではなく、汚染の可能性も少ない・ 捨てる部分がないのでゼロ・エミッション(無廃棄)につながる紙の原料になったり、竹炭(脱臭効果)、竹酢液(抗菌効果)、自動車のパネル、内装材、建材などなど活用範囲がとても広い。世界の木材伐採を減らすためにも、プラスチックの原料の石油の利用を減らすためにも繁殖力、生命力の強い竹は 有効利用ができそうです。実際、繁殖力が強く、根をどんどん張るので山を荒らす原因にもなっているそうなので、竹がいろいろな形で有効利用されたら一石二鳥ですね。
2006.12.17
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昨日、「エコプロダクツ2006」で「もったいないツアー」に参加したときに行った「吉野檜」のブース。吉野檜の断片をいただいて紙ヤスリでこすりつつ、ふわ~っと安らぐようなよい香りを嗅ぎつつお話を聞きました。(この檜はお土産にいただきました^^)まず最初にクイズ。直径20センチくらの檜を輪切りにしたもの(その大きさで180歳だそうです。・・・これでも間伐材)を見ながら、年輪は内側からできていく、外側からできていく、どちらだと思いますか?外側! ・・・・正解!真ん中あたりは180年前に生まれたものなんですね。割り箸はどの部分を使うと思いますか? 1、外側 2、中間あたり 3、中心外側(自信なく)。 ・・・・正解!建材などをとるためにカットした端っこの部分(木の皮に近い部分)を捨てたらもったいないというので作り始めたのが始まりだそうです。こういう割り箸の取り方なら無駄なく使えるので、とてもエコなんだそうですが、たとえば中国では割り箸を作るのに、端っこだけでなく木をかつらむきにしていって全部つかってしまうそうです。昨日聞いた話では日本人が年間使う割り箸の量は200膳。(私は割り箸はほとんど使わないので、ちょっとびっくりする数字でした)で、そのうち196膳が中国製だというのです。中国のものは菌にとても弱いので、防腐剤がたくさん使われているとか。そんなお箸を金魚鉢にいれたら、金魚が死んでしまうそうです。でも、そんなお箸でお弁当やらうどんやらを食べているんですよね。ちょっと怖くなるお話でした!
2006.12.17
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本日が最終日だった「エコプロダクツ2006」に行ってきました。限られた時間しかなかったので、一点集中で、中川誼美(なかがわよしみ)さんがガイドの「もったいないツアー」に参加しました。 「もったいない」をテーマに出展されているたくさんのブースの中からいくつかテーマに沿ったものをチョイスし、説明してくれるというものです。でも、まずこんなふうに仕切られたたくさんのブースを作り、終わったら大量のゴミが出るだろうなぁと思ったそうです。エコだったらブースなんて作らずに、原っぱかなにかでやってもよいのにって。便利な暮らしのために、より少ないエネルギーでというようなブースはたくさんあるけれど、どうも「もったいない」というテーマに沿ったものがなかなか見つからず、それでもいくつか昔ながらの知恵を見直すような場所や、身近な自然のものを生かすような場所に案内してくれました。中川さんご自身がテレビも冷蔵庫も置かない生活を送っていらっしゃるそうで、たとえば冷蔵庫などのウィーンという機械音が嫌なんですって。テレビなんかもたまに見ることがあると、吸い込まれるように釘づけになってしまうそうで、その支配力・・・あれはもう脳をジャックされてしまうようだなんてお話されていました。ご自身がそういう文明機器に犯されない心の豊かさに重きを置いた生活を送られているせいか、連れて行ってくれた場所もお話も興味深いものでした。その中で「口マメ、手マメ、足マメ」なんてお話がでてきました。もてる秘訣としてあるかたがそんなふうにおっしゃったそうなんですが、口マメというのはたくさんの会話を交わし、相手を喜ばせる。手マメは筆を動かし、手紙をマメに書く。足マメはとにかく自分の足で出向いていく。今は便利なメールなんてものがあるけれど、実際に交わす言葉、気持ちがこもる自分で書いた手紙、そして会いに行くことは心を温かくしてくれる栄養剤・・・つまり相手に心が伝わる(もてる秘訣?)ことになるのかな。「生活の粋」のコーナーでは、まさに昔ながらの生活の知恵がいろいろと。昔はエアコンなんてなかったから、風鈴をさげて涼を感じたり、夕方になるとそれぞれの家で打ち水をして涼しくなったところで縁台を出して将棋をさしたり。いろいろな知恵とともに、人と人との繋がりが感じられる温かさを感じました。あとは竹利用のブースで竹のすごさを、吉野檜のブースで、檜をやすりでこすっていい香りを嗅いだりエコグッズを見たり、楽しいツアーでした^^中川さんがやっていらっしゃる方法で、蜜柑の皮の蚊取り線香というのも教えてもらいました。蜜柑の皮をパリパリに乾燥させておいて、火をつけると少しずつ燃えて人の体にも優しい蚊取り線香になるのだそうです。しかも、ほのかに良い香り付きで。お風呂に入れるというのは知られていることだけど、こんな方法もあるんですね。語り継がれていないいろいろな知恵が実はいろいろとあるんではないかな、と思いました。新技術ももちろん素晴らしいけれど、昔ながらの知恵って心のゆとりも生み出しそうです^^
2006.12.16
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先日、タイトルの記事を見ました。地球温暖化の原因となる二酸化炭素などの温室効果ガスの増加をこのまま放置すれば、北極の氷はこれまでの4倍のスピードで減少、2040年夏にはほぼ消滅してしまうというのです。(米国地球物理学連合の学会誌「地球物理学研究レター」より) 今までにも氷が溶けてきている、というのは言われてきたことですが予想以上のスピードで溶けてしまう可能性があるようです。氷が縮小するにつれ、北極海に暖かい水が流れ込み、広がった海域は太陽光を吸収してさらに水温が上昇、より氷が溶けるという悪循環が起こると分析されています。 それは海水面が上昇して海抜の低い地域の水没といった被害だけでなく、農業、漁業への影響が地球規模の食糧難を招いたり、生態系に、ひいては私たちの暮らしに取り返しがつかないくらい深刻な影響を与えるでしょう。 北極圏の氷の減少は気候の自然変動によるものが大きく、温暖化の影響は即断できないとする専門家もいるそうです。・・・が、CO2排出に関しては地球に住むみなが注意を払わなければいけないこと。 聞くところによると日本の家庭における平均的なCO2排出量は、一世帯あたり1年で3.4トン。かなりの量を出しているんですね~。温暖化の大きな原因となっているCO2を全家庭が減らせば、どのくらいの量のCO2が減らせるんでしょう。とても大きな数字になると思います。うちではまず、2割削減を目指します。 今、行っているのは・・・エアコンをできるだけ使わない。短時間で料理できる圧力鍋の活用。生ゴミの堆肥化(ゴミの減量)。レジ袋をなるべく断る(一部はゴミ袋としてやっぱり必要)。必要のない電気はすかさず消す。あとは郵送されてきていたカタログ類を断るとか? きっとどのお宅でも節約の面からもいろいろと工夫されていると思いますが、私もほかにもできることがあればどんどん取り入れていきたいなぁと思っています。少し遠いところへ車ではなく自転車を使うようにする、というのは課題です。 来月は電気代、ガス代などの数字でチェックしてみよう。イギリスでは2050年までにCO2排出量を60%削減するという目標を掲げているそうですが、そのくらいの心意気、姿勢こそが今後訪れるであろう状況を打開するのでしょうね。ほんとうに自分事としなくてはですね。
2006.12.15
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用事があって手芸屋さんに行ってふわふわの毛糸を見たら、娘にどうしてもマフラーが編みたくなってしまいました。その衝動は止められず、編み出したらこれも止められず、おとといの夕方から編みはじめて昨日の夕方完成しました!実は編み物なんてしたのは約20年ぶり。編み物というのは、なぜか体質に合わないのか昔は編んでいるうちに、どうもおしりがもぞもぞして落ち着かなくなる。でも一度だけ大作に挑んだことがあるのです。学生のころ手のこんだセーターを今の夫に。 頑張って編み上げたセーターの感想は「きつかった。」 でした。がーん。それ以来、編んだことはなかったのですが、今回はおしりがむずむずすることもなく、一気に編み上げ一仕事終えた感じです。娘も嬉しかったみたいだし。さて完成したところで次に向かおう。読んでおきたいもの、調べたいこともいろいろあるしお仕事しっかりやりたいし、娘や息子とのお喋りの時間もしっかりとりたい、友人との時間も必要だし、いろいろやりたいと思うとどうしてもできなかったこともでてきて・・・。どうも時間が足りなくて、自分の要領が悪いのかなぁなんて寝る前は反省気味だったのですが、でも今目の前にあることを大事に、そして夜眠るときには「できた」と思うことを胸に眠りにつくようにしたいと思います。
2006.12.12
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昨日、「自分の中にある可能性の光を、体いっぱいそれ以上に広がっていくように、イメージしながら意識しながらいきたい☆」と呟きました。で、そのすぐ後に翼さんから来ていたメールマガジンを見て、お!!!となりました。まさに、「星のように輝きたい」というテーマで、今日から翼さんの描く絵のクリスマスセールがセルフヒーリングイラストレーションのお店「リュミエール」で始まるのです!メールマガジンの中で、「他者と比較することなく、一人一人が自分を輝ききって生きる」ということを書かれています。それは自分自身でこそ感じられる満足感や充足感ですよね。少々悩んだって、疲れることがあったって、私たちはへこたれない力をもっているはず。自分の心に素直に、そしてたくさんの経験を輝ける材料にできるように、自分の中にあるはずの光を感じながらいきたい、そう思います。実は・・・以前に翼さんに描いてもらった絵があって、目に入る場所に飾ってあるので、この絵を見るたびに絵を受け取ったときの感覚を思い出すのです。そしてまた「そうだそうだ」と力が湧いてくるのです。だから昨日呟いたことも、その作用がずっとあるからなのかもしれませんね。今日からのセールでは新作も発表されるそうで、楽しみです。絵にのっている想い、感覚を刺激されるような色合い、体に染みこんでくるようなのですよ☆
2006.12.09
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体の中心に誰もがもっているはずのキラキラ光る星。私は四方八方に光りが伸びていく星をイメージしているのですが・・・その可能性の星の光が体いっぱい、それ以上に広がっていくようにイメージしながら、意識しながら行きたいと思います☆独り言でした☆
2006.12.08
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昨日、金曜ロードショーで「ALWAYS 三丁目の夕陽」を娘と一緒に観ました。始まると同時に懐かしいような街並みが・・・。そうそう、昔はこんなんだったんだなぁ。道が土で、その道をはさむように駄菓子屋や昔ながらの商店が並んでいて、蕎麦屋の自転車、ランドセルを家に放り投げて紙飛行機を飛ばす子ども達。その子ども達にふと笑顔をむける前掛け姿のおばさん。温かくて、街がエネルギーに溢れていて、人と人が繋がっているという雰囲気。そこに住む人たちは個性派揃いで、口が悪かったり、少々情けなかったり、むきになったり・・・いろいろなんだけど、みんなが飾らずありのまんまで生きているからありのまんまで、すごくストレートだから泣くときも、温かい気持ちになったときも、嬉しいときもその感情がものすごくストレートにこちらにまで伝わってきて泣けてしまうのです。娘と二人で何度もぼろぼろ泣きました。人と人が一つの場所で居心地よく繋がっていたんだなぁ。娘も何度も「すごくよかったねぇ。」「いいなぁ。こんな時代に生まれたかったなぁ。今、うちのマンションでも顔知らない人いるもんね。」なんて言っていました。今は親しい人との付き合い以外は、個々になりがちだけどああいうみんなが一つの場所で共有しあっているような感覚の時代って、なんだかとっても安心感があって、温かくていいですね~。
2006.12.02
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昨日は市の「環境基本計画見直し」の懇談会の2回目に行ってきました。環境基本計画書の中の、市民・事業者によるエコプロジェクトの見直しというのが本当の主旨です。すでにそれぞれが提出してあった案をもとに、説明や話し合いが行われました。こういう機会を得て、私なりに市の、というより人が住んでいく場所の理想像を描くことができたし、そのためにどうしたらいいのかをたくさん考えることができました。私が思っていることを伝えることができたし、またほかのかた達からの有意義な提案をいろいろと聞くこともできました。私が深く関心を持っていなかったプロジェクト内容のお話も、深く関心を持っている方の説明を聞くと、なるほどそれは素晴らしい!とそれが実現したときの様子をありありと思い浮かべることができたり・・・。また地元ならではの特性をどう活かしていくか、その辺りのお話もずっとこの市に住み移り変わりを見てきているかたからの提案はとても頷けるものでした。それと地元でお仕事として携わっているかたの意見も興味深いものでした。で、いろいろなお話を聞いて感じたことはやはりばらばらだった市民が少しずつ繋がりあえる体勢を作っていくこと。その中で意識の向上をはかることが、この市民・事業者によるエコプロジェクト見直しの重要部分かなぁと思いました。地元の環境に携わっているかたたちの生の声を聞くことができて、とても勉強になったとともに、まだまだ地域のことを含めて知らないことがたくさんあるので、もっともっと知りたい!そう強く思いました。
2006.11.28
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今日は楽しみにしていた「ビジョン実現セミナー」に行ってきました。いいこと探検家さんこと立山祐二さん、そしてれおなるど・てんぷうさんこと原克之さんのお二人による第一部、二部にと分けてのジョイントセミナーです。会場の出入り口のところで参加者に案内をしてくださっていた立山さんを見るなり、うわっと思いました。6月のセミナーに行ったときにも感じたのですが、すごく輝いていらっしゃる!ブログを通して、また立山さんの著書を通して環境問題に大してだけでなく、生き方や、ものごとに対するとらえ方などたくさんの気づきをいただいていますが、立山さんの生き方や内面が外にまで滲み出ている・・・そんな感じがとてもしてしまうのです。そして、セミナーは・・・内容を書くことは今後セミナーを受けるかたのためにも控えさせていただきますが、なるほど!とまた気づきがありました。れおなるど・てんぷうさんのセミナーはよく通る声で、静かに無駄のない語り口でどんどん引きこまれていく感じでした。セミナーでありながら、ワークショップのようでもあり、自分がどんなふうに考え、どうありたいのかを改めて考える機会にもなりました。ビジョンをもつ、最終的に本当に自分のやりたいことは何なのかをはっきりさせることは、私にとっては難しいことでした。今までいつも何かしら夢中になることがあり、そうしながらそれらが自分の中でどれも大事な部分として繋がってきていたので、できれば今自分のやりたいことをやりながら、そこから展開させていきたいという気持ちが強かったのです。けれど、短時間の中でいろいろなことについて書いているうちに自分のやりたいことがより具体的になって見えてきました。そのためにはどうしたらいいか・・・やはりいつもそれを考え、積極的に行動していくことですね。限られた時間を無駄にしないように。今日は、とても充実した時間を過ごせました。そして、明日も立山さんとおぎゃりんさん、eco拓也さんによる「環境セミナー」があります。明日も有意義な時間を過ごしてきます^^
2006.11.25
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環境学習にEMを取り入れている学校は約300校、何らかの形でEMを活用している学校を含めると3000校を超えるようになったそうです。環境マガジン「Eco Pure」には、EMによる河川浄化を体験してきた上浦小学校の6年生の子ども達の紹介をはじめ、学校でEMを活用しているたくさんの子ども達のレポートが載っていました。上浦小学校の子ども達は上浦の海の現状を調査し、海を汚しているのは自分たちの家から出る生活排水だということを知り、「EMっていう環境をきれいにするのがあるよ。やってみよう。」と教頭先生からの提案を受けて、ヘドロがいっぱい溜まった潮溜まりの浄化に挑戦。保護者や町役場の人も巻き込んでの大事業。2年間の活動で約44tのEM活性液を投入した結果、なんと約1800tのヘドロが減少したそうです。現在、上浦町では定期的にEM説明会を行い家庭からの環境浄化を啓発していて、その説明会では子ども達の作ったEM活性液が参加者に配られます。「参加者に使用法を聞かれて困っていたら、横で聞いていた6年生がテキパキと使い方を説明してくれた」と役場の人も子ども達の活動に一目おいているそうです。ヘドロでいっぱいだった海が変わっていく。自分たちの手でそれを変えた子ども達はきっと得難いものを得たんだろうな、と思います。自分の住む町の海が好きだろうし、自分のまわりの環境が気になる大人に成長するんだろうなぁと思いました。ほかにも、「生ゴミって、ごみじゃなかったんだ!」と題して、給食の食べ残しをEMで堆肥化し菜園で野菜を育てている学校の紹介や、EM活性液でトイレをピカピカにしている生徒たちの紹介などなど・・・から、EMを活用しながら環境学習をいきいきと実体験している様子が伝わってきました。「驚き「発見」「すごい」といった感じです。それとEMのすごいところは、環境汚染源を環境浄化源に変えることができるということです。汚水を活性液で処理すれば、流れていく先でも浄化作用があるし、生ごみは資源に蘇らせることができるし、その資源を使って有機農業を行えば作る人も食べる人も健康になる。こういうことを教室の机の上で習うのでなく、実際にやってみて目で見て分かる、食べて分かるというのは、やっぱりとっても大きい^^と思います。
2006.11.23
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