今でも「石女(うまずめ)」という言葉に泣かされているお嫁さんがたくさんいるようだ。
子供を持ちたくても持てない人にとってこの言葉は暴力そのものであるし、人格を無視した差別語だ。
訳有って離婚し、子供に縁のない生活をせざるを得ない人もいる。
道浦母都子の歌にはその辺りの事が詠われているものが有る。
「父母の血をわたくしで閉ざすこといつかわたしが水になること」
「取り落とし床に割れたる鶏卵を拭きつつなぜか湧く涙あり」
「産むことを知らぬ乳房ぞ 吐魯番の 絹に包めば みずみずとせり」
中東の国々では今でも子共が出来ない妻は離婚させられるというから、民族にとっての子共の存否は大問題ではある。
また、ナイジェリアでは子共の人身売買が絶えないといい、2012年だけでも400件が報告されているという。
とまれ、人は千差万別、価値観も願望も、目的意識も生活の仕方もまったく違う。子供を必要としない人もいれば、何が何でも欲しいという人もいる。何がどうあれ、どちらも批判すとことはできない。
問題は、国家が国民の希望と欲求を満たすだけの能力を持っているかどうかに懸かっている。その肝心の政策と義務が条件を満たしていないために、希望に添えない生き方を強いられているというのが現状だ。
少子化対策のために政府が考えた「女性手帳」の配布する案が廃案になったばかり。国家というものは国民の事を考えるのではなく、国家の事を考えるという立場から物事を発想するので、個人の尊厳や意思が蔑ろにされがちだ。
中国の「一人っ子政策」のようなとんでもないことを国策としてやるろうとする。その結果が想像できるはずなのにそうならないのは、目先の帳尻合わせにしか焦点を合わせないためだろう。
子供は「授かりもの」というのが自然な発想だが、「子供は預かりもの」という言い方もある。養子縁組・里親制度などもっとしやすくするための法整備が早急に必要だろう。
民族の宝として子供を育てるという発想・思想を広げていく必要もある。グローバル化が進む中では、欧米のように民族を越えたところで、「人類の子」という意識も必要になって来るでしょう。この部分で日本は先進国中ではずいぶんと遅れている。
10年以上経ってようやく少しばかりの花を付けたテイカカズラ。環境にやっと慣れたのか、木が成熟したからなのか咲いた理由はよく分からない。
自然に生きるとはこういう事だ。作為的にあまりあれこれと手を加えない方がいいと思うのは、何も庭木だけの問題ではない。
人の生き方もこう”あるがまま”にありたいと、この小さなテイカカズラの花を見ていて想った。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と
タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
◆ ジョーク、冗談、ユーモアは生活の調味… 2014.10.22
◆ 消えていってこそ虹 2014.10.21 コメント(2)
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