♪ 氷山の一角なるをマスコミの報道しない自由を呪ふ
マスコミは営利事業だという事を思えば、経営にとって不都合なことは取り上げられないのは当然と言えば当然の事。視聴率が上がるもの、読者が興味を持つであろうことが、さも重大事であるかのように取り上げられるのは営業上の常とう手段だ。週刊誌も報道番組や新聞も、なんら変わるものでもない。
その辺りの事も含めて、 三橋貴明 (株式会社経世論研究所代表取締役社長、国家ビジョン研究会経済財政金融分科会副会長)氏が、YouTubeで長々と述べている。
ネットで様々な意見や情報を得ている人にとっては、吾々が知らされていない事実がいかに沢山あるか、報道は全体のほんの一部でしかない事など、納得する部分も多いと思う。
一部分しか報道されていないものを闇雲に信じてしまうのも危険なことだ。
また、故意に隠ぺいされているものが有るのも事実で、何故、事実が報道されないのか隠ぺいされている本当のところは良く分からない。
★今の日本が、如何に戦前の状況によく似ているか、先日の朝日新聞の「時流に抗う 作家・辺見庸さん」の取材記事に、辺見さんのこんな発言が載っていた。
「ぼくは、未来を考えるときは過去に事例を探すんです。むしろ過去のほうに未来があって、未来に過去がある。そういうひっくり返った発想をしてしまう。いまの局面をなぞらえるとしたら、すべてが翼賛化していった1930年代じゃないですか? 南京大虐殺が起きた37年前後のことを調べて、つくづく思いました。 人はこうもいとも簡単に考えを変えるのか、こうもいとも簡単に動員されるのか、こうもいとも簡単に戦争は起こるのか ――と。 現時点で、もう37年と同じような状況に入っているのかもしれません 」
マスコミの偏った報道によって操られ扇動されて、ノーと言えない雰囲気が作られる。そうなった時に周りに逆らって一人だけ「ノー!」と言い通せるだろうか。
「01年のアフガン空爆のとき、朝日は社説で『限定ならやむを得ない』と書いた。それに抗議の声を上げた記者がいたことを、ぼくは知っています。あれは別に全社挙げての民主的な討論を経て書かれるわけじゃないですよね。しかし、それは違うんじゃないかって執拗(しつよう)に言い張ると『困ったちゃん』みたいに扱われる。場違いなわけです。ただ、場違いなことが、どれだけ大事なことかという気がします。ささやかな抵抗のほうが、国会前での鳴り物入りのデモよりも頭が下がります」
「そうしたことを冷笑し、馬鹿扱いすることが、時とともに組織や社会をどれだけ悪くしていくことでしょうか。コンフォーミズム(大勢順応主義)の傾向はますます、きつくなっている。だから場違いなことを試みるってことこそ大事なんじゃないかな。衆議に従って、ではなく緊急動議的に発言していく勇気って言うんでしょうか。勇気なんて、あんまり好きな言葉じゃないけどね。おずおずとした発言でいい。かっこ悪く、ぶつぶつでいい。自分がそういうことに直面したときに、果たしてどれだけ誠実でいられるかという問題だと思うんです」
インタビュー「時流に抗う 作家・辺見庸さん」 全文
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
◆ 満10年となりました。 2016.05.07 コメント(2)
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