♪ 死してしも心を敲(たた)くドルフィーのこのバス・クラの切々たるを
今までこのLPを聴いてもそんなことは無かったのに、これはどういう訳だろう。何がそうさせたのだろうか。
彼が生まれたのが1928年。1964年6月29日に糖尿病で突如亡くなっている。36歳の誕生日を迎えた9日後、このアルバムを録音した6カ月後のことだった。
LPは持っていても今まではそんな詳細を知らずに、ただそのバスクラリネットの独特の音色とフレージングに魅力を感じて聴いていた。フルートも、他の誰よりも甘味でリリカルな魅惑的な演奏だと思って聴いていた。
しかし、この日は違っていた。訴えてくるものが切々として物悲しいのだ。彼の演奏のみならずサイドメンの音もフレージングもただならぬ気配に満ちていて、心の襞に喰い込んで来た。
貧困に喘ぎながら独自の世界を追求してきたドルフィー。このレコーディング時にはそういうものから醸し出される何かが反映して、ある種特別な境地にあったのではないか。死を予感していたのかも知れないとも思えるのだった。
今まで、この様なことを感じてジャズを聴いたことが無い。コルトレーンを聴いていて物悲しい気持ちになった事は有るが、それとはニュアンスが違う。何かがドルフィーのジャズにはある。
死の4カ月前の2月25日に録音したのが、名盤の誉れ高い「アウト・トゥ・ランチ」。そして、最後の吹きこみとなった「ラスト・デイト」の吹きこみが、死の27日前の6月2日だった。
僅か半年の間に残したこの3枚(私も持っている)のアルバムが彼の傑作となっている。61年録音したブッカー・リトルとの共演版「アット・ザ・ファイブスポット」で、彼はその存在を知らしめたが、それからたった3年後のこと。
ビル・エバンスにも通じる純粋さと気真面目さをもって、ブレることなく独自の世界を追求していたドルフィー。周りに迎合することなく時代の先をゆく人は、何時だって不遇のままアウトサイダーを余儀なくされる。
純粋な故に浮世との齟齬に悩み、孤立してゆく。死んでから評価されるのが宿命の様な、厳しくも危うい人生だ。
そんなこんなが去来して亡き知人の面影がないまぜとなり、何時にない感傷的な気分になったようだ。
私にとって、エリック・ドルフィーは心の鑑のような存在と言えるかもしれない。若いころ、自分の仕事の姿勢を指して「そんな人は早死にしますよ」と言われた事があった。
しかし私は、ドルフィーほど純粋ではなかったし弱い人間なので、幸か不幸かこの歳まで長らえてきている。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。
◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
◆2016年5月8日より「気まぐれ短歌」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
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