♪ パンを喰う今も齢は古びゆき身を賭すほどのもの見付け得ず
ミシェル・ペトルチアーニはフランスのオランジュ出身のイタリア系フランス人。1962年生まれのジャズ・ピアニストで、先天性疾患による障害を克服し、フランス最高のジャズ・ピアニストと評価されるほどの成功を収めた稀有の人。 (写真は18歳の時に出したアルバム)
その独自性の強いスタイルはビル・エヴァンスを彷彿とさせ、またキース・ジャレットとも比較される。武骨で大きく太い指先のタッチは強く、繰り出される音に甘さは無い。なかなか聞き応えがある演奏だ。
遺伝的原因から、骨形成不全症という障害を背負って生まれた。この障害のため、身長は成長期になっても1メートルほどにしか伸びず、骨はガラスの様にもろく、またしばしば肺疾患に苦しめられた。
同年代の少年が熱中するようなスポーツに加わることはできず、彼の関心はもっぱら音楽に向けられるようになっていった。
1982年にアメリカへ渡り、1980年代~1990年代を代表するジャズ・ピアニストの一人となる。1986年にはウェイン・ショーターとアルバムで共演もし、晩年のディジー・ガレスピーとも共演している。
フランス人としては最初に、名門ジャズレーベルのブルーノート・レコードと契約したピアニスト。1994年、レジョン・ドヌール勲章を受章、2002年6月にはパリ18区の広場が「ミシェル・ペトルチアーニ広場」と命名された。
「寿命は20歳程度まで」と言われていたが、1998年ツアー先のニューヨークで急性肺炎を起こして死去。36歳の誕生日から10日足らずだった。
ドキュメンタリー映画『情熱のピアニズム』が製作され(日本公開:2012年10月13日)、第37回セザール賞ドキュメンタリー部門にノミネートされている。
18歳でレコードデビューし、間もなく「天才ピアニスト」としてジャズ界にその名を轟かせるが、一時は自らの不幸を嘆いて自殺未遂を繰り返すという時期もあったらしい。しかし、後期にはそんな壁も乗り越えて、常にポジティブな姿勢で生きた。1997年には日本のブルーノートにも出演している。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。
◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
◆2016年5月8日より「気まぐれ短歌」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
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