2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全6件 (6件中 1-6件目)
1
僕は今朝、昨日の文章を読み返してみた。その時、特に気になったのが、「長い文章を書かないと意味がない」や、「日記という意識はない」などと語っている辺りだ。明らかに僕は、「短くて、日記的な文章」は、ブログでは書かないような「そぶり」を見せている。そこで、僕は反射的に思った。ああ、これは……、これは完全に、僕に対する、●フリなんじゃないのか。お笑いの世界において、「書くな」は「書け」のことだ。昨日の文章は、”今日の自分”への挑戦状であり、キラーパスだった。だったら後は、シュートを決めるだけ。だから、僕は今、短い日記を書こうと思っている。そう、バカだから。↓【日記】<11月26日>今日は、東京ドームで行われた、ミスチルのコンサートに、スタッフとして行った。集合時間よりも現場に早く着いてしまった僕は、ドーム内にある「wins後楽園」という馬券売り場に行ってみた。馬券売り場というものに僕は初めて行ったのだが、凄い雰囲気だと思った。みんな、ピリピリしてた。まるで何かの試験会場に紛れ込んだのかと思った。僕は、煙草臭い場内の中を、一人、半笑いのまま歩き回っていた。すぐにレースが始まった。全員が固唾を飲んで場内テレビの前に集まる。緊張感は最後の直線を走るところでピークになる。馬がゴールする。すると、おじさん達は、「蜘蛛の子を散らすよう」という言葉通りの感じで、一斉にテレビの前から離れていく。その姿が、何か面白かった。僕は、蜘蛛の子の群れの中をよく見渡してみた。僕と同じ「半笑いの人」がいる。たぶん、この人は当たったのだろう。それ以外の負けた人達は、意外とクールだ。僕は彼らに、馬券を地面に投げ捨てて、頭を抱えて発狂するような姿を期待していたが、残念ながら、そんな人たちは一人もいなかった。ああ、明日もコンサートがある。多分僕はまた、馬券場に行くだろう。僕は、賭け事なんか大嫌いで、競馬も大嫌いで、オッサンも大嫌いだし、タバコの煙も大嫌い。ついでに言うと、ミスチルもあまり好きではないんだ。僕は一体、何のために生きてるんだろう?以上です(笑)。短い日記も意外と難しいですね。「起承転結」を考えると、このくらいの分量が限界です。もっと、文章力を磨かねば……。しかも、何か暗くなってるしね(笑)。ちなみに、今日の「思索日記」には・言葉の色彩(言葉を色でカテゴライズしていくこと)・ラブ(love)よりラフ(laugh&rough)をについてヒントを得たので書きました。なお、この「思索日記」は、半分以上が、言語ではなく●図解によって成り立っているため、ブログでは公開が難しいです。ではでは、もう眠いし(帰ってきたの12時過ぎですよぉ)明日もまた仕事なので、この辺にしたいと思います。おやすみなさ~い♪
2005/11/26
コメント(6)

<前半へはコチラ>さて、そろそろ僕が、何でこんなことを長々書き綴っているのか、疑問に思いました?実は最近、幼馴染なんかとこんな感じの昔話的会話をしていましてね、(本当は、もっとダークだったり、エロかったりするんですが(笑))何か今、全体的にノスタルジーモードに突入しているんですよ、僕。で、ベタ中のベタな感覚なんですが、僕はこう思うわけなんです。「子供の頃って、何であんなに世界が輝いてたんだろう」ってね。たぶん、みんなもたまには思ってるはず(笑)。あの頃は、見るもの全てが新鮮で、新しくて。でも、そんな景色も、今では見慣れた風景になって、つまらないものに見えてきたりもする。今はもう、あの頃のような新鮮なウキウキ感は、日常ではなかなか味わえないなぁ、なんて思ったりして。でもね、別に、僕はここで、「子供の頃は良かったなぁ」とか「あの頃に帰りたいなぁ」的なことをノスタルジックに述べようとしているわけではないんですよ。僕は、子供の頃と同じウキウキ感を、今でも、いつだって感じているんです。それは、何故か?「哲学」してるから、なんです。哲学とかいう言葉は、なんか小難しそうで語弊を生む表現かもしれない。それに僕の場合は完全に自己流だし、哲学と呼べるシロモノではないかもしれない。まぁこれは、あれこれ思索を練って遊ぶこと、程度の意味で取ってもらえば良いと思います。僕はよく、「お前は色んなことを考えすぎだよ」とか人に言われることがあります。(正直、かなり年上の大人とかにも、議論したりするとよく言われます)でもね、色んなことを考えることで、心の視界が広がる、新しい景色が見えてくる。そりゃ、ものごとは表裏一体だから、実際には、目を背けておきたいような景色も同じくらい見なきゃいけない。でも、そこで味わうドキドキ感は、子供の頃の「あの感覚」と何ら変わりはないんですね。僕は、自分で考えたりした思想や発想、心に引っ掛かった言葉なんかを、もう7年間以上もノートに書き留めていて、(たぶん、20冊以上になると思うんだけど)今でも必ず、毎日1ページくらいは何かを書いたりしています。要は、「思索日記」ですね。そのノートと一緒に、僕の心は成長してきた実感がある。で、その過程や歴史の中には、本当に色んな人との出会いがありました。その都度、僕の感性や考え方も大きく影響を受けてね、ある時は、自分の信じていた思想を破壊され、ある時にはそれ以上の考え方に出会い、とどまることなく変わってゆきました。(特に、ここ2、3年はね)哲学って、ただ頭でこねくり回すってイメージが一般的に強いんだけど、本当に実感を持って、その考え方や思想を心から納得するためには、やっぱり自分の経験と照らし合わせてみないと納得出来るわけがない。だから結局は、どれだけ自分が「体験」してきたことを「経験知」に変えられるか、だと思うんですね。それが、哲学することの本質だと思う。その辺を、多くの人たちはたぶん誤解している気がする。今、僕はかなり、ブログの更新が滞ってしまっています。まぁ、だいたいが、奴のせいなんですけどね。奴。そう、それはスポーツ。最近、僕は体を鍛えたりすることにもかなり力を入れていて、ブログで書きたいことは山ほどあっても、それらを全部書いていたらいくら時間があっても足りない、ってのがまずあるんです。じゃあ、短い文章を書けばいいじゃん、ってことなんだろうけど、僕が文章を書く一番の理由は、「書きながら新しい何かを発見する」ことであって、つまり、書きながら哲学する、ことであって、僕の場合、長く書かないと意味がない、と思っている。(←あくまで、僕の場合ね)だから実は、書きかけの記事が今10個くらい残ってたりするわけですが。でも、僕のブログは、ホントにただの趣味で、思索をしたくてやっているだけなので、自由にマイペースで別に構わないと思っているんですよ。(日記という意識も全くないしね)思索は、もうすでに僕のライフワークの一つになっています。飽き性な僕が、ほぼ毎日、欠かさず7年以上続けてこれたんだから、これはもう、別にブログがどうとかと関係なく、たぶん一生続けるんだろうなって思っています。毎日、色んな発見をするのが、今は何よりも楽しい。考えることを楽しんでいる。考えることを遊んでいる。哲学は、生きる上での考え方の根っこにあたるもの。それによって、僕の世界観は限りなく広がっているんです。哲学、世の中に、遊びは星の数程あるけれど、これが僕にとっての「今の遊び」.遊ぶ場所は、”外”から”内”に変化した。だから、見た感じは「昔の遊び」とは全く違うもののように映るだろう。でもそこには、確かに、あの頃の僕が、この世界に感じていたドキドキ感と●同じものいや、もしかすると、それ以上のものが、宇宙的な奥行きを持って広がっているように思えるんです。その中で、僕はいつからか遊べるようになった。それはまるで、言葉の森を、ルンルンと鼻歌交じりで探索しながら、イメージの海で、水とパシャパシャ戯れているような、そんな感覚。もちろん、人生には苦しいことも辛いことも沢山あって、闘い、そして血を流すようなことの方が多いことも知ってる。それでも、たぶん僕は、その苦しみや悲しみを乗り越えるようにして、いつも遊んでいるだろう。今も、昔も、そして、これから先も、ずっと。今はまだ僕自身、先人たちが辿ってきた道をただなぞっているだけなのかもしれない。オリジナルの思想などとは、全然程遠い。でも、僕はいつか、今まで誰も見たことのないような景色に、きっと、辿り着けるような気がしている。何故なら、僕はこんなにも楽しんでいるから。そう、前方に見えるのは、―遥かなる地平―それは、蜃気楼のような、僕の真実。←1日1クリックで、何の成長もない紅影を応援しよう!!
2005/11/25
コメント(4)
いやいや、今日ね、僕の好きな「眞鍋かをり」さんが夢の中に出てきたんですけどね、何か色んな人と一緒に「かくれんぼ」していまして、押入れの中で、何となく二人っきりになったんですよ。ね?いいでしょ?そんで、僕がちょっとドキドキしていたら、なんと、キス……、ではなくて、「長細い針みたいなモノ」で、笑顔のまま、腕をおもくそ刺されました……。プッスリいかれましたぜ、兄貴。何故?(笑)体よりむしろ心の方がズキズキと痛かった、どうも、紅影勇輝ですさて、「かくれんぼ」という昔懐かしいワードがさりげなく出てきたところで、今日はまず、●昔の遊びについて少し語ってみたいと思います。というのも、さっき僕ね、「あんこ玉」食べたんですよ。知ってます?あんこ玉。あんこに黄な粉がかかってて、駄菓子屋で一個十円くらいのやつ。それを今日、ドンキホーテで箱でドカンと買ってきましてね、さっき一気に14個くらい食ってやりましたよ。いやね、子供の頃からの夢だったんですわ、コレ。「あんこ玉」を腹いっぱい食べたい、ってのがさ。それを今日、何となく思い出しまして、早々実現いたしました♪それにしてもねぇ、あの頃は、百円が、今の一万円、みたいな感覚でしたよね。もう、百円つったら、駄菓子屋で、10円:うまい棒、ヨーグルトの小っさいやつ、あんこ玉、糸飴(紐がついてる飴のクジ)20円:水あめ(練って白くなるほどウマい)、カードダス、指を擦ると煙がでるやつ、クジ全般30円:水風船(襲撃用)、ベーゴマ、火薬(敵の足元に投げつける)、メンコ50円:ヌーボー(最中みたいなチョコ菓子)60円:ガリガリ君100円:ガム、アイスいやー、無限の可能性でしたよね。ビバ百円玉でした。特に、クジなんかはよくやりましたよ~。とにかく、無駄に「1等」を当てたくなるわけです。だから、クジがもう残り少なくて、1等がまだ残ってる時なんかは、友達と力を合わせて勝負かけたりしましたよね。残りのクジを全部買い占めれば理論上は、必ず1等が当たるはずなんです。でもね、実際は、それでも当たらないんですよ。「おばちゃん、どっかに1等隠してんだろーーっ!?」とか、おばちゃんに泣きながら抗議したりね。で、結局、おばちゃんは不敵な笑みを浮かべたあげく、その残った一等、くれないんですもん。「欲しかったら買え」とかほざくんです。そこで僕たちは、「コレが大人の世界か…」と、子供ながら、その裏にある手口の汚さに、”社会の窓”を垣間見たわけです。つまり、1等のクジなど最初から捨てられていたんだ。これが大人のやり方なんだ。カードダスなんかの場合は、触ると柔らかさでキラ(輝いている特殊カード)かそうでないかが大体分かって、もう友達と20分くらい触りながら、キラを当てたりしてました。それで本当にキラが当たると、「な、言ったべ?俺、プロだからさ。」とか言って自慢して、今度から友達のぶんも引いてあげたりしてね。でも、最近は駄菓子屋さんもどんどんなくなってきましたよね。ホント悲しい限りです。(近所に3軒あったのが、もう1軒しかない)僕なんかはずっとこの”駄菓子屋的感覚”が染み付いていまして、ゲーセンとかで百円を使うのとかでも、中学生の頃は凄く抵抗があったんですね。百円使うのに2時間とか掛けていましたから(笑)。実際にゲームはやらずに、ずっとデモプレーに合わせてコントローラーいじってるんですよ。だって、もったいないから。。。「金銭感覚」の過渡期って、たぶん中学生くらいでしょうかね。高校入ってバイトしだすと急激に上がって、一万円くらい平気で使うようになる。でも、貧乏性って僕好きなんですよね~。テレビ番組の「銭金」とかも、見てて楽しいっすもん。あの番組に出るような人は、貧乏を楽しんでいる人が多いよね。あ、友達になれそうだ、とか結構思います(笑)。僕はこの感覚をいつまでも忘れたくないんです。僕が百円ショップが好きなのも、そういうことかもしれません。子供の頃にやった「お金のかからない遊び」といえば、●家にあったスケボーで坂を駆け下りるレース。●家の横にあるコンクリートの崖を、走って無駄に上まで登ろうとするチキンレース。●秘密基地を神社に作って、生活してみる。(当然、エロ本を持ち込む)●秘密の空き家を発見して、そこに住んでみる。などなど。こんなんは、不思議とみんな同じことやってるんすよねぇ。あ、ちなみに、以前、記事にも書き、子供の頃からの因縁でもあったルービックキューブ。今や、2分以内に全面揃えられるまでになりました!!やり方さえ覚えれば、意外に簡単。(テレビとかに出てて一分を切る人たちがいるけど、ありゃ無理だ)暇があったら今度は、4×4のヤツに挑戦しようと思ってます。他にも、ベタな遊びで●鬼ごっこ。●高鬼。●色鬼。●芋ほり●どろけいなんかは、よくやりましたね。(何か「鬼」がつくもん多いな……)これは、近所に「象さん公園」ってのがあって、そこでよく、知り合いの兄ちゃんとかも含め7、8人くらいで遊んでいまして、そこで、小4くらいまで、飽きずにまぁ色々とやっていました。そのことで今でも何となく覚えているのは、スカートを履いた女の子がブランコに乗っている時に、このブログでも度々登場する「幼馴染のケロ」が、しゃがんでいっつもパンツを覗いてるんですよ。それが正直、凄く羨ましくてねぇ(笑)。(僕は意外と硬派で通ってたので、そんなんは出来なかった)あと、●メンコとかは、ドラゴンボールとかキャラモノを集めるのが凄く流行っていて、友達と勝負して裏返すと、そのメンコをもらえるルールでね。だから、メンコにガムテープ巻いたり、ロウを塗ったりして勝つために意地でも重くしようとして頑張ってました。メンコは重さが命ですから。●ベーゴマは、僕が無理矢理小学校のクラスで流行らせた遊びの一つ。今は「ベイブレード」なんてのがありますけど、やっぱ元祖の鉛のヤツでやんなきゃね。僕は、独自の糸の巻き方を開発し、最強を誇っていました。<字数制限により「後半」へ続く>
2005/11/25
コメント(0)

<最初から読むにはコチラをクリック!!>勇輝;(「やれやれ、うっとうしい」という顔で)誰ですか?あなたは……。こっちがキレイに締めようというところに。マリオ;すまん勇輝。こいつ・・・・、弟だ・・・。ルイージ;そうさ、俺はルイージだ!!いっつもいっつも兄さんばっか目立って、兄さんばっか目立って・・・・ズリィんだよぉ!!勇輝;・・・・。(何か面白そうなので半笑い)ルイージ;あのなぁ、おたくら、さっきから聞いてりゃ悲しみだなんだとゴタク抜かしてっけどよぉ、俺なんかルイージって名前だよ?マリオ兄さんと●「類似してるよね」っていうだけの名前だよ?それでルイージだよ?分かるかなぁ、この辛さ・・・。ワッカンネェだろうなぁ・・・。つーか、任天堂!!任天堂のクソッタレ!!テメェラ調子乗っとんなぁ・・・。ずーっと前から言いたかったんだけどよぉ、そもそも・・・「スーパーマリオブラザーズ」って何やねん!!あぁ?どんな説明されようが、そのネーミングセンスはワシ理解でけへんぞ。絶対に理解でけへん・・・。わしはアレか・・・「ブラザーズ」に含まれとんのか……。「ブラザーズ」の複数形の「S」とかにワシゃ含まれとんのかって聞いとんのじゃボケェーーっ!!マリオブラザーズ。直訳すれば「マリオ兄弟」やな。あれれ?おかしいぞ……。「マリオ兄」っていうのは分かるけど、この「弟」って何だ?ねぇねぇお母ちゃん、この「弟」って誰なん?しっ!黙っとき。あんまり大っきな声で言うと聞こえるで?でもなぁ、お母ちゃん、この「弟」っていうの気になるやんか。あかん!あんまり言うと、怖ーい、怖ーい、「弟」さんが、そこの草むらの中から、緑の帽子の保護色に溶け込みながら、そろーり、そろーりと・・・・、アッちゃんの首狙ってやってくるんやで?うわーっ!!そんなんいやや!!怖いのは嫌いや。もう聞かん、もう聞かんから母ちゃん許してーや!!・・・・。・・・・・・・・・・。勇輝;何じゃそりゃ!!ルイージ;こっちが聞きたいわ、アホ!!怒っとんねん!!フリが長くなるくらい、こっちは怒っとんねん!!つーか、「アッちゃん」って誰やねん。あのさぁ、君らには・・・・、人を思いやる心はお持ち合わせではないのですか?僕が傷つくことくらい最初から分かってたでしょう?国民も国民だよ。それが分かってんなら、「それじゃルイージが可哀想だ」せめて、●「マリオとルイージ兄弟」ってタイトルに変えてやれ、という署名運動が全国各地で起きてもよかったんじゃないですか?「ブラザーズ」の「S」に含めちゃうのはあまりに可哀想だ、と。オイ、鬼太郎。ルイージの身にもなってやれ、と、小さい湯船に浸かりながら言ってくれても良かったんじゃないですか?ねぇ、あなたがたにとって・・・・「優しさ」って何かね?「愛」って何かね?「愛は地球を救う」君らみたいなうすらトンカチは声高に叫ぶわな。でもな、俺みたいな人間一人満足に救えずにいて、どうやって地球救うんじゃボケェ!!愛なんてもん見たことねぇなぁ・・・。そんなものあるんですか?誰が持ってるんですか?よぉし、お前ら全員、今から目ぇ閉じろぉ!!(出席簿で机をパンパン叩きながら)そして、もし、「愛を持っている」という人がいたら、先生の前で正直に手を挙げて下さい。(金八風に髪をかきあげながら)先生、誰にも言いません。誰にも言わないから、正直に手を挙げて下さい。観客;はい。(ざわめく場内)ルイージ;ほう、君。(ニヤリとして)名乗り出るとは良い度胸だ。名は何と言う。観客;クリトリスです。ルイージ;クリトリス・・・、ほう、「クリスチャン」みたいな語感をしている割には、なかなか見事なエロスっぷりだな。勇輝;・・・・・・・(笑)。ルイージ;君は・・・アレか?本当に愛を持っているというのか?クリトリス;はい。ルイージ;ほほう・・・。ボガッ!!ドス!!ドガン!!(突然、無言で全力で殴り始めるルイージ)(半殺しになるクリトリス)ルイージ;やり返さないのか?(上から見下ろすようにして)俺はお前を本気で殺そうとしているぞ。やり返さないのか?クリトリス;はい。ルイージ;それがお前の言う愛か?クリトリス;愛です。ルイージ;「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」ってか・・・。面白い。確か、愛の教えは、「自らの敵をも愛せ」だったよな。その敵が、今の俺に当たるわけだ。そんなんで、そんなんでこの俺を、本当に救えるとでも思っとるのか?クリトリス;・・・・・。ルイージ;ドガン!!(再び殴る)そんなんじゃ、俺を救えねぇな・・・。そんな弱っちぃもんじゃあよ!!クリトリス;世界を救えるのは・・・、愛だけなんです。ルイージ;うるせぇ!!ザコは消え去れ!!それでも、お前は「愛」を貫くって言うんやな?では聞くが、お前、「恋人」はいるのか?ルイージ;…………。先日、婚約したばかりのロザーナが。ルイージ;そうか、そうか。(ニヤリとして)実は、偶然なんだが俺もそのロザーナのことが好きなんや。もしよければ、その娘を今からでも俺に譲ってくれないか?頼むよ。一生のお願いや。クリトリス;・・・・・。ルイージ;どうした。クリトリス;・・・・・。ルイージ;愛のある人間は、そこでどう行動するんだ?「汝自身を愛するように隣人を愛す」お前は。どうした、愛の実践者!!見せてくれよ!!俺への愛情よりも、彼女への愛情を優先するのか!!そんなセコイ愛情で、本当に地球を救えるのか?クリトリス;・・・・・。ルイージ;ふん。所詮、「万人への愛」と「個人への愛」は矛盾するのさ。どちらかを取れば、どちらかが消え去る運命だ。結婚は「愛の独占」によるもの。だから、「万人への愛」を取るならば、結婚など出来やしない。宗教の教祖たちがみんな独身なのも、そういう理由かもしれないな。「愛は地球を救う」と言って、「万人への愛」を取る奴らが世界中に溢れたら、人間はどうなると思う?誰も子孫を残せずに、●人類は絶滅だウハハハハハハ!!愛なんていらねぇよ、夏・・・・。マリオ;おい、ルイージ!!ルイージ;???????<「スーパーマリオ心理学8~マリオと愉快な仲間<後編>~」へ続く!!>←1日1クリックで、何の成長もない紅影を応援しよう!!
2005/11/16
コメント(15)

マリオ;このゲームに終わりはあるのか?あの時から俺は、その疑問に自分なりの納得いく答えが出なければ、この心の空白も終わらない気がしていました。俺を縛り付けるものとは一体何?俺をこの悲しみの地平に縛り付けるものとは・・・。その答えは、愛だろうか?夢だろうか?たぶん、全て正解じゃないか。でも、今の俺が一番思うのは・・・、チャレンジスピリット、挑戦心。何かに挑戦すること。あらゆる困難に立ち向かうこと。それが全て、のような気がするんです。そこに生きることの「充実感」が生まれる。充実感はイコール幸福感です。人それぞれ課題は異なる。それに向けて、それぞれが走ったらいい。「死にたい」と思っている人は、とりあえず「生きる」ことを課題にしてみたらいいと思います。「生きる」ことそれ自体にチャレンジしてみるんです。そのうちに、次から次へと新しい課題が見つかるはずです。俺はある時、すんでのところで気付けたんですね。ファミコンは、ゲームソフトがなければただの箱。ゲームソフトは、ファミコン本体がなければただの箱。この意味が、分かるでしょうか?これは、「マリオ」とプレーヤーの「あなた」との関係にも当てはまります。あなたは、俺という存在がいてこそ、このマリオワールドを楽しめる。俺も、プレーヤーの「あなた」がいなければ、そこでただ立ち尽くすばかりです。つまり、「あなたのおかげで、俺がいる。俺のおかげで、あなたがいる」それは決してお互いを”縛り付ける”関係じゃなくて、お互いを”活かし合う”関係。そう、コントローラーである神は、俺を縛っているのではなくて、俺を解き放っていた。そう気付けた時、俺は、空白なんかじゃなかった。それどころか、俺という存在は、「この世の全て」に等しい価値を持つ。そして俺は、十分に自由だったんです・・・。自由。それは一体、何のための自由でしょうか?世の中にはその自由すら重荷に感じる人がいる。誰かに支配されて、誰かの言うことにホイホイ従うことに慣れきっていて、「でも、その方が良いじゃないか」と言う人がいる。「別に自由なんて必要ないよ」と言う人がいる。その方が楽だからね。でも、俺はそうは思わない。それじゃあせっかくの自由が台無しだ。何のための自由か?俺は「ジャンプ」するためにあると思う。高く高くジャンプするために。ジャンプするためにはどうしたらいいか。思い浮かべてみて下さい。一旦、立ち止まって、グッと膝を曲げ、力を溜める瞬間が必要です。それが悩んだりする時期なんじゃないかと思うんだ。俺は悩んだりしている人に向かって「そのままの君でいいよ」とか「そんなに悩んでもしょうがないよ」とかいう生ぬるい言葉はあまり掛けたくない。そんな言葉を簡単に吐いてしまう奴はハッキリ言って、真剣に悩んだことのない甘ったれた人間が多いと思う。だってさ、悩んでるってことは●「変わりたい」っていう心のサインじゃない。だから、どうしたら変われるか、それを一緒に考えてあげたらいいんだ。むしろ、徹底的に悩み抜くこと。死にたくなるくらい悩めばいいんだ。そのくらい悩み抜かないとダメなんだ。沈み込みすぎて起き上がれなくなったとしても、次のジャンプ地点が見えてればさ、本当に死んだりはしないはずだよ。もう一回、落ち着いて助走から始めればいいだけのこと。次にはもっと大きなジャンプが出来るはずだからさ。ジャンプは希望なんだ。そして俺たちは、さらにその先へジャンプする。貧富の差を越えて健常者と障害者の差別を越えて国と国との国境線を越えて敵と味方の区別を越えて君と僕との境界線さえも越えて俺たちはジャンプする。俺はね、あの【?】マークのアイテムボックスの中に入っている「スター」は、本当はそのことを意味していると思うんです。コンドームなんかじゃなくてね(笑)。「無敵状態」だってさ、全部越えちゃえば無敵じゃない?あらゆる困難に立ち向かい、自ら越えること。そこに本当のゲームクリアーの鍵があるんじゃないかと思うんです。いつか必ず、「夜空に輝くスター(星)」に手が届くと信じて、俺たちはジャンプする。「そして俺はいつか、俺自身さえも越える」俺はスーパーマリオ。マリオはフランス語でマリオネット(marionette)。「操り人形」という意味。スーパー(super)は「越える」という意味。「操り人形を越える」これがスーパーマリオの本来の意味。この名前は、たぶん任天堂さんから俺に向けての熱いメッセージだろう。俺はスーパーマリオ。もう誰にも操り人形だなんて呼ばせない。「俺は、俺自身の力でジャンプする」ジャンプすることを、宿命づけられた男。そう、俺はスーパーマリオなんだ!!!!(タイタニックの船先での飛ぶシーンのマネをする。勇輝が後ろから支える)飛ぶんだよ、みんな!!(あり得ないほど満面の笑み)(二人で深々と舞台上でお辞儀をして)以上です。ちょっと理屈っぽい部分が多くなってしまいました。長々としたスピーチを聞いていただき、本当にどうもありがとう。皆さんの最高のジャンプを見られることを、心より楽しみにしています。あ、ちなみに、窪塚君みたいなジャンプはとりあえず止めとこうね(笑)。勇輝;ェグ・・・、ウェグ・・・あ、ごめんなさい。(涙を拭う仕草)えー、そうですね。マリオの持っている精神性、精神世界、興味深く拝聴させていただきました・・・。マリオ;(勇輝をじっと見るマリオ)おい、勇輝。手ぇどけてみろよ?お前泣いてないだろ、ほら。涙出てないだろうが……。勇輝;(バレたか・・・という顔)ははは、まぁね、演出上の一環です。マリオ;このガキ……(笑)。勇輝;皆さん色々と感じること考えることあったかと思います。僕みたいなもんがその話の後に語ることなんか一っつもありません。今日はこの余韻のままに、それではこの辺で、お別れしたいと思います。それでは、バイバイきーん!!・・・・・・・・。・・・・。<?>;オイオイオイ、ちょっと待てやぁぁーーーーーっ!!勇輝;ん????????<「スーパーマリオ心理学8~マリオと愉快な仲間~」へ続く!!>←1日1クリックで、何の成長もない紅影を応援しよう!!
2005/11/16
コメント(4)

<最初から読むにはコチラをクリック!!>マリオ;ちょっと予定外の邪魔が入ってしまい、熱くなってしまいましたが、話を続けたいと思います。マザコンのクッパを倒して、めでたくピーチ姫に会っていた時のことです。(注:クッパがピーチ姫をさらったのは、彼の持つ「母親への歪んだ愛情」、マザー・コンプレックスが変形したものと思われる)俺はある時、ピーチ姫とこんな会話をしたんです。俺は彼女にこう問いかけました。「なぁ、このゲームに終わりはあるのかな?」彼女は言いました。「ゲームが終わるから、こうしてマリオと話せるんじゃない」「いや、俺が言ってるのは、そういう決められたゴールじゃなくてさ、もっと何ていうか、こう、本当のゴールってやつで」「何それ?」「だってさ、このゲームって結局は繰り返しの連続じゃんか。何度君を救い出してみても、気付けばリセットで、ハイ、また再スタート、最初から。まるで積み木崩しを永遠と繰り返しているみたいだ。全てが再び戻ってくる、ニーチェの言った永劫回帰と同じだよ。それってものすごく恐い事じゃない?」「うーん、言ってることが良く分かんないけど、いいんじゃない?このままで」「助けてもらえるからそんなことが言えるんだ……」「どういうことよ?」「少しは助けてる俺の気持ちにもなってくれってことだよ。俺がどんな気持ちで助けてるのかくらい」「何?その言い方。偉そうに。分かんないわよ!!あんたの気持ちなんて。先のことばっか考えてて、あんた一体何歳なのよ。それに、話が抽象的すぎるの!!そんな無意味でツマンナイ話、聞きたくない」うつむきながら、俺は言いました。「無意味……か。ごめんな。でもさ、俺も同じことを話してるんだよ。お前なら分かってくれると思って話してる。ちゃんと聞いてくれないか?」「・・・・・・」「ピーチが俺の話を無意味だと思っているようにさ、俺も、このゲームは無意味なんじゃないかと思ってるんだ。つまりね、俺たちにも実は隠された”本当の生きる意味”ってのがあってさ、それが見つかれば、この繰り返しが終わるんじゃないかと思ってるんだよ。俺が話したいことの本当の意味、分かんないかな?」一度頷いた後、彼女は言いました。「分かる。分かるけど、本当の生きる意味なんて、そんなのあるわけない。探すだけ無駄だよ」「俺はそれを必死で探しているんだけど・・・」「あはは、バカみたいだね」「やっぱり・・・」「え?」「やっぱりお前も・・・・、もっと現実を見ろ、とか言っちゃうんだろ?」しかし、彼女の言葉は意外なものでした。「マリオ……。そんなに欲しいんだったらさぁ、自分で作ってみたら?」「え、何を?」「マリオの言うその、生きる意味ってやつ」驚きました。生きる意味を、自分で作る?生きる意味を作るのは神様の仕事じゃないのか?俺たちは、それを見つけるしかない・・・・。そこで俺は「はっ」っと思い直したんです。・・・・待てよ。この現実の中で、本当の生きる意味を知りえないのだとしたら・・・、神であるプログラマーの作ったプログラミング言語を直接知りえないんだとしたら、自分で作るしかない・・・。ピーチ姫は続けて言いました。「生きることって確かに同じことの繰り返しかもしれないけど、その一回一回を大切にしていけばいいんだと思う。私は逆に、色んな冒険が出来るマリオが羨ましいよ」結局、「空白のキャンパス」にどんな絵の具を塗るかだけ……。人生は自分で選択したい。人生は納得して生きたい。彼女のその言葉をきっかけに、俺の本当の冒険が始まった気がしました。それは生きる意味を自分で作っていくという、●心の冒険と呼べるものでした。俺は再びピーチ姫に問いかけました。「なぁ、ピーチ。凄い照れくさいんだけど、この際だから聞くな。俺のこと好き?」少しの沈黙の後、彼女は答えました。「うーん、自分でもよく分かんない。だって、もうマリオに会うのが当たり前すぎてるから」「ウザいかもしれないけど、もうちょい聞くね。しいて言うなら、どっち?(笑)」「たぶん好き、かな。つーか、そんなの当たり前だから。わざわざ言わせないでよ」照れくさそうにハニカむ彼女の笑顔が印象的でした。その一言だけで俺は救われたんです。彼女が想像していた俺が「どんな俺」だったのかは分からない。そして、俺がイメージする俺と彼女がイメージする俺はきっと食い違ってる。心が二つあれば、その二つがすれ違うのは当たり前だから。でも、とにかく、その一言がね、確かに、俺の全存在を許してくれた気がしたんですよ。例えそれがどんな錯覚でも嘘でも良かったんです・・・・。「二人は可能性」一人でもいれば、俺を信じてくれる人が、俺の他にたった一人でもいれば、俺にとってその可能性は●無限大に等しい。ゼロはずっとゼロのままだけど、一は百にも千にもなる可能性がある。ひとりぼっちで冒険を挑む俺にとって、彼女は唯一、俺を信じてくれる存在でした。ゼロじゃなかったこと。一人いたこと。そこから全てが始まる。そして俺は、あの時、彼女と約束したんだ。「お前のことを、俺は一生守り続けるから・・・」<「スーパーマリオ心理学7~本当のゲームクリアー~」へ続く!!>←1日1クリックで、何の成長もない紅影を応援しよう!!
2005/11/16
コメント(2)
全6件 (6件中 1-6件目)
1


![]()