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[2001/06/30(土)]入院してちょうど1週間が過ぎた。看護婦さんから、病棟の外へ出てもいいと言われた。どうやら今までは、病棟の外へ出てはいけなかったらしい。知らなかった・・・それで検査に行く時は、車イスだったんだ・・・売店への買物や、タバコを吸うのに頻繁に病棟外へ出ていたんだけど・・・とにかく病院内を自由に歩き回れる許可がでた。点滴を引きずったままだけど・・・ 6:00 起床 7:30 朝食 9:30 検温・血圧(120/62)10:00 点滴1(~11:00)12:00 昼食18:00 夕食21:30 点滴1(~22:30) 水枕22:00 点滴3(交換)検査を一通り終え、病状も安定し、とりあえずは元気。病室はナース・ステーションから1番遠い部屋。入院生活がますます退屈になりそうな予感・・・
Jun 30, 2003
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[2001/06/29(金)]手足の指先の痛みを主治医に話したら検査をすることになった。末端まで血液が通っていないのかも・・・サーモ検査とは体温をチェックする検査で、両手と両足の指先をセンサーに当てる、温度を感知し、色として画像に表され、温度をチェックするというもの。冷たいところは黒く、緑、黄色を経て、温かいところは赤くなります。よく「あるある」とかにでてくる装置です。検査の結果は問題なく、ちゃんと血液が通っていました。一安心・・・検査後に技師の目を盗んで、手をこすってみたら、さらに赤みが増した。面白い装置である。 7:30 朝食 9:00 検温・血圧(120/58)10:00 点滴1(~11:00)10:00 体拭き10:30 洗髪12:00 昼食14:10 薬説明15:50 サーモ検査(両手足の指先) 心電図(~16:20)20:00 点滴1(~21:00)22:00 点滴3(交換)入院して1週間が過ぎた。時間が経つのが、早いような遅いような・・・
Jun 29, 2003
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[2001/06/28(木)]今日は眼底検査。散瞳剤という目薬を点眼することにより、瞳孔を広げて眼底を診察する検査で、視神経乳頭、動脈、静脈、網膜、脈絡膜などに異常が無いかをチェックします。以前に日帰り人間ドッグで体験済みなので今回は2回目。しばらく目がチカチカするのが難点かな。 4:00 点滴チェック 7:30 朝食 8:30 検温・血圧 水枕 9:00 散瞳剤点眼10:00 眼底検査11:00 点滴1(~12:00)11:30 回診12:00 昼食18:00 夕食20:00 点滴1(~20:30)24:00 点滴3(交換)眼底検査の結果は特に問題なかったが、手足の指先に痛みを感じる・・・心配・・・
Jun 28, 2003
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[2001/06/27(水)]<昨日の腹部CTの検査結果>病名4)脾臓梗塞自覚症状)なし 6:00 検温 6:10 採血 7:30 朝食10:00 点滴1(~10:45)10:30 体重測定(61.8kg)12:00 昼食14:00 病室移動(618号室:窓側右)14:30 心エコー(~15:30)15:30 回診18:00 夕食20:00 点滴1(~21:00)21:00 点滴3(交換)脾臓にも梗塞ができていた・・・他にも梗塞ができているのかな・・・全身ボロボロ・・・ところで脾臓って何・・・?
Jun 27, 2003
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[2001/06/26(火)]<昨日の主治医からの検査結果説明>病名1)左脳梗塞病名2)心室中隔欠損症病名3)敗血症入院期間)6/22~1ヶ月心室中隔欠損症による心臓内での血液の逆流で、心臓の弁に病原菌が付着し、その病原菌が左脳に飛んで梗塞ができているらしい。病原菌は絶えず血中に送り出されていて、全身的な感染を起こす可能性があるので、抗生物質の点滴により病原菌を押さえ込んだ上で心臓の手術も必要らしい。頭部以外の検査や、病原菌の培養による菌種の特定を行いながら24時間点滴をとりあえず1ヶ月続けることになった。 6:30 検温 7:30 朝食 9:00 シーツ交換 9:50 病衣交換10:00 洗髪10:20 点滴1(~10:40)12:00 昼食14:00 ベッド移動(廊下側左→窓側左)15:00 腹部CT(~15:30)15:45 回診16:45 眼科受診(~17:30)17:30 点滴3(交換)18:00 夕食21:00 点滴1(~21:30)病状も良くなってきていたので、手術をせずに、退院して外来の通院で点滴をして治療するわけにはいかないかと主治医に訪ねたら、「以前にも同じ病気で入院を嫌がった患者さんがいましたが、しばらくして亡くなられました・・・」と真顔で言われた。「・・・・・・・・・・」「・・・・・・・・・・」
Jun 26, 2003
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[2001/06/25(月)]今日は検査づけの1日。検査への行き返りは、車イス。運転手は看護婦さん。「歩けますから・・・」と言っても無理やり乗車させられる・・・病人になったようで恥ずかしい・・・っていうか病人である。 5:00 検温 水枕交換 7:30 朝食10:00 点滴1(~10:30)10:30 点滴2(~11:30)10:30 頭部MRI(~11:30)11:30 脳波検査・心電図(~12:00)12:00 昼食13:00 心エコー(~14:00)18:00 検温 夕食18:30 検査結果説明20:15 点滴針交換(ハードからソフトへ) 点滴1(~21:45)20:15 点滴(ヘパリン[血液をさらさにする]):以後「点滴3」検査結果の説明後、点滴をしたまま動き回れるように、点滴針がハードからソフトなものへと変わる。点滴2が無くなり、新たに点滴3が開始。点滴3は24時間つなぎっぱなし・・・
Jun 25, 2003
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[2001/06/24(日)]今日は日曜日外来が休みのため病院はヒッソリしている検査がないので看護婦の数も少ない違うのは見舞い客が多いこと 6:30 検温 7:30 朝食 9:30 検温・血圧 水枕交換10:15 点滴1(~11:00)11:00 点滴2(~12:30)12:30 昼食13:10 回診17:00 検温 水枕交換18:00 夕食20:30 検温21:00 点滴1(~21:30)21:30 点滴2(~??:??)23:15 水枕交換体が楽になってくると色々と考えてしまう・・・どんな病気なんだろう・・・この先どうなるんだろう・・・それにしても時間が経つのが遅い1日がとても長い・・・・・・・・・・退屈・・・不安・・・退屈・・・不安・・・退屈ッ
Jun 24, 2003
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[2001/06/23(土)]<昨日の入院時の主治医からの入院診療説明>病名1) : 脳膿瘍(疑)病名2) : 心室中隔欠損症 症状 : 頭痛,発熱治療計画 : 細菌感染→脳膿瘍の可能性があります。 基礎に心疾患があると感染性心内膜炎をもとに 全身に感染が起こることがあります。 抗生物質点滴,抗脳浮腫薬点滴,解熱剤内服を当面行います。検査内容及び日程 : 頭部MRI,心エコー,脳波手術内容及び日程 : 未定予定入院期間 : 約1ヶ月その他(看護) : 検査・治療に伴う苦痛と不安が和らぐよう看護します。 6:00 起床 7:30 朝食 8:00 水枕交換10:00 検温・血圧11:00 点滴2(~11:30[中断])12:00 昼食12:30 点滴2(続き~13:30)13:30 点滴1(~14:30)14:30 検温(37.9℃)17:30 検温18:00 夕食21:50 点滴2(~23:20)23:20 点滴1(~23:50)熱はまだあるが、41℃にくらべればかなり低くだいぶん楽になる。病状がとても気になるが、できるだけ考えないようにする・・・
Jun 23, 2003
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[2001/06/22(金)]またまた今日も仕事を休んだ病状は変わらず・・・午後になってから母に車で総合病院へ連れて行ってもらう以前に健康診断を受けた病院内科を受診血液検査・胸部レントゲン・頭部CT検査結果は即入院17:00 入院(内科病棟) 身長測定・体重測定(63.2kg) 入室(603号室) 病衣に着替え17:30 問診 点滴検査18:00 夕食(パン・牛乳・バナナ)[急の入院で準備できず、ありあわせ]19:00 点滴(抗生物質):以後「点滴1」19:30 検温(39.1℃) 解熱剤服用 水枕20:00 点滴(抗脳浮腫薬[脳の腫れを抑える薬]):以後「点滴2」 水枕交換22:30 検温(36.7℃) 着替え突然の入院に動揺しながらもやっと楽になれると思いホッとする。
Jun 22, 2003
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[2001/06/21(木)]今日も仕事を休んだ一向に良くなる気配はなく午後になってから再び内科医を訪れてまた注射してもらう医師からは総合病院での検査を受けるように勧められる自宅に戻り寝ていたら熱はだいぶん下がったが夜になるとまた上がり40度以上になる一時的に良くなってもすぐにまた悪くなる氷マクラはフル回転頭痛も相変わらずでとにかく苦しい明日、総合病院へ行こう・・・
Jun 21, 2003
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[2001/06/20(水)]今日は仕事を休んだ体もだいぶん楽になっていて良くなってきていると思っていた夢を見た内容は思い出せないとにかく苦しい夢実際は夢なんか見てなくて苦しいだけの記憶かも・・・あれ・・・以前にも見たことがある・・・そうあれは小学校の時「ショウコウ熱」にかかり40度以上の高熱がでたときもうろうとしながらも何故か懐かしさを感じる気が付いたらまた頭痛がひどくなっていた熱を測ったら41度たくさん汗をかけば熱は下がり楽になる薬を飲んで安静に寝ていれば明日までには良くなるだろう・・・良くなるはずだ。
Jun 20, 2003
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[2001/06/19(火)]日帰り出張のため、夜明け前に起床。頭痛がするが、休めるわけもなく、会社へ。社長夫妻との自動車での出張で、運転手は有難いことに社長・・・時間調整も兼ねて、途中で朝食をとるが、頭痛がひどくて、ほとんど食べることができない。車内で休ませてもらったが、全然良くならずむしろ悪くなっているようだ。頭痛を我慢して目的地へ向かう。変な汗をかきながらも、なんとか仕事を終える。帰り道、急に空模様が怪しくなったかと思うと、バケツをひっくり返したような土砂降りの雨。視界が全然きかなくて、高速道路にもかかわらず、時速50km以下のノロノロ運転。頭痛はひどくなる一方で、座っていることもできなくなり、横になって寝込んでしまう。会社に戻ったときには、歩くこともままならない状態だった。体温を測ってみたら39度あり、あわてて帰宅。運転ができなくて、同僚2人に送ってもらい、自宅近くの内科へ。すでに診療時間が終わっていたが、帰宅しようと出てこられた医師にお願いして、解熱剤の注射と、薬を処方してもらう。治療代は明日で良いとのこと。感謝!感謝!である。自宅に戻り、そのまま寝込む。その後、注射がきいたのか熱は下がり、頭痛も和らいだ。
Jun 19, 2003
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朝起きると汗でシャツがずぶぬれの日々が続く。夜中に発熱しているらしい。日中には頻繁に頭痛がする。内科を受診。風邪?発病する3ヶ月前のことである・・・胸が痛い!内科を受診。肋間神経痛?腹が痛い!内科を受診。胃潰瘍?発病する2ヶ月前のことである・・・友人とスカッシュをする。1時間ぐらい激しく動き回り、かなり疲れる。帰宅途中の車内で強烈な寒気がして、暖房をガンガンに入れる。自宅につく頃には発熱し、そのまま寝込む。たくさんの寝汗をかき、朝までには回復した。病院へは行かなかった・・・発病する1ヶ月前のことである・・・
Jun 18, 2003
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苦しさで目が醒めた。体が動かない・・・金縛り・・・ではなかった。手足は動く。どうやら頭が動かないようだ。動かそうとしても痛みのせいで全然ダメ。頭が枕にくっついて離れない。枕もとの時計を手探りでみつけ、時間をみるとまだ夜明け前。家族はまだ寝ている。大声を出そうとしても、痛みで小さな声しか出ない。とにかく起き上がらねばと、奮闘が始まる。普通に起き上がろうとするが、腹筋の力だけでは起きれず、手も使ってみるが×うつ伏せになれば手足を使って起きれるかと思ったが横向きになることすらできない。ベッドだったので、体をずらして足を床に下ろし、頭を軸にし、両手両足を使って体を反転させる。額がベッドについたまま下半身をベッドから滑り落として、渾身の力で頭を持ち上げて、床に座り込む。そのまましばらく休んでいたら、痛みも少し和らいできた。さらにふんばって立ち上がり、家族に助けを求める。ここまで1時間以上の戦いであった。整形外科を受診したら、「頚椎椎間板ヘルニア」と診断される。椎間板(背骨の間に挟まっている軟骨)が押しつぶされて髄核(ゼリー状の物質)が飛び出し神経を刺激しているそうだ。原因は姿勢の悪さ・・・猫背・・・注射のために毎日1ヶ月以上通院する。仕事が忙しくて会社を休めなかったので同僚のTさんに毎日送り迎えをしてもらう。お世話になりました・・・就寝時は横になることができないので、臨時のイス型ベッドで眠る。ゴルゴ13もどきの私・・・
Jun 17, 2003
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健康診断いわゆる日帰りドックを受ける。前の会社では1度も受診していなかったので今回がはじめての体験。病弱だったため、真新しい検査はなかったけど・・・1次検査の結果は予想通りで、心電図で引っかかり、2次検査で心臓超音波検査(心エコー)を受ける。心臓手術をしたことや、心雑音があったことで、小さい頃から、自分の胸に手をあてたり、鼓動を聞いたり感じたりすることが苦手だった。ましてや、他人に触られるなんて・・・20~30分もの間、マウスのようなもので胸を触られたり、心音を聞かされたりするのは、かなりの苦痛だ。心エコーは大嫌いな検査。2次検査の結果、「心室中隔欠損症」と「大動脈閉鎖不全」が認められ、循環器内科を受診することになる。「大動脈閉鎖不全」という病名は今回はじめて聞いた。不安が頭をよぎる・・・循環器内科で診てもらったら、心臓カテーテル検査(心カテ)を勧められた。しかし仕事が忙しく休めなかったので、しばらく様子をみることにした。どうせするなら、手術をした病院でしたい!という思いもあったから・・・しかしその後、心カテをすることはなかった・・・仕事に没頭し、事実を忘れ去ろうとしていたのだろうか・・・
Jun 16, 2003
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再就職してから1年が過ぎ、疲れがなかなか取れなくなってきていた。ある日、脇腹に痛みを感じた。尿管結石とは違う痛み、チクンチクンと刺すような痛み。患部を見ると水疱ができていた。下着などが擦れるとものすごく痛い。近所の総合病院の皮膚科を受診する。診断結果は「帯状疱疹」。小さい頃にかかった水疱瘡のウイルスが体の中に隠れていて、疲れや風邪などで抵抗力が落ちたときに再活動をはじめ、帯状に水疱ができ、痛みをともなうそうである。普通は高齢者に多く、若い人には珍しいと言われた。その後1週間ぐらいで治癒したが、「帯状疱疹」が、体が弱っているという、警告のサインだとは気付かなかった。
Jun 15, 2003
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都会でのプーを満喫し、ついに田舎に戻ることを決意。1998年のワールドカップ「フランス大会」の最中に実家へ戻る。ちょうど日本がクロアチアに負けた翌日で、退職から1年後のことである。地元での職探しをはじめるが、なかなか良い仕事は見つからず、半年後に、友人が勤めている会社で、プログラマーのバイトとして雇ってもらう。2ヶ月の期間後もバイトを続けないかと勧められるが、ソフトウェアの仕事を続ける気がなくて丁重にお断りする。しかしその後も仕事は見つからず、結局ソフトウェアの仕事を探すことになる。3ヵ月後、ハローワークで求人票を見ていて、ひきつけられる社名に出会う。仕事内容はOA機器の販売やシステム開発。条件もそんなに悪くなく、面接を受けてみる。社長の話を聞き、ぜひ働いてみたいと思う。社名が縁での再就職が決まった。仕事量は前の会社ほど多くなく、仕事にも徐々に慣れていった。2年間休養したおかげで、体調のほうもすっかり良くなり、心身ともに健康であった。故郷での第2の人生がスタートした。
Jun 14, 2003
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会社を辞めプー太郎生活がはじまる。体の調子が悪くなった原因が、年齢や運動不足による体力の衰えのせいだと思い、スポーツジムへ通い出す。体力測定後、自分に合ったプログラムが組まれ、5種類のマシントレーニングを日々行う。目標は体力増進。慣れてくると、決められている重さや回数では物足りなくなり重さや回数を徐々に増やしだす。数字を増やすことが目標に変わっていく。バイク漕ぎが、いつしかランニング・マシーンでの徒歩へと変わり、徒歩だったものが、軽いジョギングへと変わり、時間や距離を増やすことが楽しくなる。プールでの泳ぎもはじめた。とうぜん遊泳距離を増やしていくことが目標である。心臓への不安は少しずつ自信へと変わっていった。ある日のジムで、ホノルル・マラソンのツアー募集のちらしが目に入った。某テレビ局の24時間テレビの影響があったかどうかはわからないが、ぜひ走ってみたいと思ってしまった・・・達成感を味わってみたい気持ちと、抑制されていたマラソンへの反発心・・・マラソン好きの友人Yさんを誘い、即行で出場を決める。約8km/h のスピードで10kmは走れるようになったが、時間がなくなって、それ以上の練習はできなかった。家族にはマラソンをすることを秘密にしたまま、ハワイへと旅立つ。ハワイ到着後、バスでマラソンコースを一周する。42.195kmは想像以上に遠かった。バスで普通に走って1時間。こんなに走れるのだろうか・・・途中から顔面蒼白で、自信が無くなるが、スキューバー・ダイビングや前夜祭などで知り合った人達の話を聞き、開き直る。走れなければ歩けばいいんだ。徒歩だけでも8時間あれば・・・早朝5時のスタート。参加人数は約3万人。アカペラでのアメリカ国家斉唱。あまりの感動に鳥肌が立つ。花火の合図とともにスタート。しばらくは花火に見とれている。予想タイムの速い順に並ぶシステムで、控えめな後方に並んでいたため列は一向に進む気配が無く、5分ぐらいしてやっと動き出す。スタート地点を通過したのは約8分後のことであった。日の出前で涼しく、快調なペースで走る。空が白み始めたころにUターンしてきた先頭の走者とすれ違う・・・右に曲がると長くて緩い下り坂が待ち受けていた。見通しが良く遥か前方まで見渡せる。道路には溢れんばかりの人の波。「がんばろう!」たくさんの人達と一緒に走っていることがとても嬉しい。20km地点で疲れを感じて路肩で一休み。膝の屈伸運動をしようとしたら、痛くて曲がらない。走るの控えて、歩きに切り替える。中間地点で折り返してきたYさんとすれ違う。「ガンバレ」という声援に「オー」と答えて走り出すが、ながくはもたない。歩きの私をすごい速さで追い抜いていく人がいる。それも走らずに・・・競歩である。あまりの速さに驚き、見様見真似でやってみる。けっこう速く歩くことができ、ゆっくり走っている人を追い抜くこともできた。給水地点では、スポンジで頭を濡らし、ドリンクを何杯もガブ飲み。遠くで救急車のサイレンの音が聞こえる。明日は我が身か・・・30~40kmが一番辛くて、「何でこんな所にいるんだろう」、「こんな辛い思いは二度としたくない」、などと思う。40kmを過ぎて再び走ってみるが、足がいうことをきかずすぐにやめる。ゴールが近づき、沿道での声援も大きくなり、知らない人からの声援に、涙が溢れそうになる。あと50m、最後の力を振り絞って走り出す。「ゴール!」抑えきれない嬉しさ、こみあげる達成感、心地良い疲労感。心臓も大丈夫。ゴール直後に撮って貰った写真には、最高の笑顔でアロハサインをする私。記録は5時間35分。(数年後に郷ひろみにあっさりと記録を抜かれる)「次は歩きなしの完走で記録を抜いてやる」と決意する。翌日のホノルル空港は、足を引きずる異様な人達で溢れ返っていた。
Jun 13, 2003
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退職のヒキガネになってしまった尿管結石。尿管結石とのはじめての出会いは出向中の頃。(笑)都会での一人暮らしによる、食生活の変化。父の死で、家族のために実家に戻り本社勤務するか、楽しい都会での生活を続けるかという葛藤によるストレス。それらが直接の原因かどうかはわからないけど・・・出向先での勤務中に、左の脇腹に激痛が走る。突然の痛みに耐えながらも、不安が頭をよぎる。「盲腸は確か右・・・何だろう・・・」イスに座っていることもできなくなり、宿直室を借り、休ませて貰う。痛みが和らいでから、早退し病院へ。「尿管結石」とのこと。腎臓にできた石が尿管を通って降りてくるときに痛みが起こる病気で、血尿や、排尿時の痛みなどが伴う。そう言われれば思い当たることはある・・・痛み止めと化膿止めの薬を処方される。ほうれん草を食べないよう注意され、水分をたくさんとるように言われる。痛みは石が動くことにより変化する。たくさん水を飲み、膀胱まで落としてしまえば治癒である。その後も何度か同じ症状に悩まされた。それも左右交互に・・・そして実家での入浴中に激しい痛みに襲われる。今までで一番の痛みで。しばらく風呂場で動けなかった。家族に車で近くの総合病院へ連れて行ってもらい、そのまま入院となる。病室は個室で、点滴をされる。病院の古さのせいか、はたまた過去のいまわしい入院の記憶のせいか、不気味で居心地が悪い。翌朝には痛みも治まり元気になる。点滴に慣れていなく、病室外のトイレにいったときに点滴を置き去りにしてしまい、管が外れた。血が逆流し、あっというまに血だらけである。血の足跡をつけながら、ナースステーションへ助けを求める。痛みも治まり月曜に退院。金曜夜の入院からの3泊4日。石が体外へ排出されたわけではなく、アパートの戻ったらまた傷みだした。実家へ強制送還され。専門の泌尿器科へ。レーザーを使っての、1泊2日の破砕手術をすることになる。担当の看護婦さんはかわいい人だったが顔は憶えていなくて、記憶しているのは、ポケットに入っていたドナルドダックのボールペン。手術といってもメスを入れたりはしない、よって麻酔もなし。患部を露出し下にして手術台の上へ。通常は背中だが、石がかなり下りてきていたこともあり、腹を下にして寝る。下には円錐形の装置があり、スライム状の物体が塗りつけられている。ガラス越しの部屋から医師が手術台を操作し円錐形の頂点に患部をあてる。なかなか場所が定まらない。さて想像してもらいたい、男性がパンツを脱いで下向きに寝ると、重力によりチ○チ○は下に垂れ下がる。へその左下を装置に合わせようとすると、チ○チ○が邪魔をする。スライム状の物体に何度もこねくり回されたチ○チ○は、やがて変化をとげるのであった・・・(笑)過去に行った、直腸検査や直腸バリウム検査も恥ずかしかったけど。今回が一番恥ずかしかった。手術自体は簡単で、患部に当てられた円錐形の装置から衝撃波を発射し石を砕くというもの。「コーン コーン コーン・・・」という鈍く重い音が腹部に襲いかかる。時間はおそらく20~30分ぐらいだろうか。手術後の排尿時にはどす黒い血尿がでて、治まった頃に石が排出される。トイレには金網が敷いてあり、石が流れないようになっている。採取された石は成分検査され、今後の治療に役立てる。記念に持ち帰る人もいるそうである。さてこの破砕手術。手術と言うだけあって、生命保険会社の手術給付金も支給される。私の保険では入院給付金の日額の20日分。病院へ支払った額の約3倍。お得な手術です。実はその3ヵ月後にも、また同じ手術をすることになり、保険金を荒稼ぎ。(笑)今度は右側だった。これを繰り返せば「尿管結成成金だ・・・」このときの担当看護婦は、ドナルドダックのボールペンの同じ人。V(^^)Vその後は、さすがに懲りて食事などにも気を使い、環境が変わったりしたこともあり、何度か怪しそうなことはあったが、手術には至っていない。男性が入管結石になったという話はよく耳にするが、女性の話はあまり聞いた事がない。恥ずかしくて黙っているのか、はたまた男性がかかりやすい病気なのか・・・
Jun 12, 2003
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いつのまにか体調も良くなり、以前の生活を取り戻していたが、気が付けばまた同じことの繰り返し。仕事量はさらに増え、責任も重くなった。毎日のように遅刻し、頻繁に休む。有給休暇は使いはたしてしまい、欠勤扱い。本社への出張。用事があった為、自宅に泊まる。風呂に入っていたら、突然脇腹に激痛が走る。家族に近所の病院へ連れて行ってもらったら、「尿管結石」で入院となる。金曜の夜だったので、月曜まで退院できなかった。治療は痛みを抑えただけ。月曜の午前中に退院し、夕方本社へ行く。出張が終り、アパートにもどったが。また脇腹が痛みだし、会社へ行けなくなり、上司に実家へ強制送還される。実家で「尿管結石」を治療し、治療後は、本社で勤務すように言われる。自分の中で何かが音を立てて崩れ去った。治療後は本社に出勤せずアパートに戻った。その後、会社を退職。会社には、たくさんの迷惑と心配をかけてしまった・・・病気のことは家族には秘密・・・
Jun 11, 2003
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4年間の出向を無事終えて、東京支社勤務となる。はじめは、同じ会社の人達と一緒に仕事ができるということで、とても楽しかったが、それも長くは続かなかった。だんだんと仕事量も増えて、責任も重くなっていった。いつの頃からか疲れが取れなくなり、体がだるい。休日に外出することがなくなり、一日中寝ていた。夜になかなか眠ることができなくなってきて、さらに悪循環に陥る。遅刻が頻繁になり、休むことも多くなった。忙しさに怠けて病院にもいかなかった。さすがに見かねた上司に勧められてやっと病院へ。内科を受診した結果、心臓に雑音があるとのこと。今までの経緯を説明し、主治医から問題ないと言われていることを告げる。心臓以外では異常はないということで、心療内科を紹介される。心療内科の先生に自分のことなどを一通り話しただけで、診断結果がでた。「自律神経失調症による鬱病です・・・」「ビタミンEをたくさんとって、日光に当たりなさい」「そして病気のことを家族に話して、田舎に戻りなさい。」病気になったことを、自分で認めて受け入れることで、病状は改善するそうだ。でも田舎には帰りたくなかったので、家族には話さず隠し通すことにした。会社に診断書を提出したら、病気を治すために、不規則な勤務体系を認めてくれた。水曜日を休み、平日も定時で帰宅。仕事もSE(システムエンジニア)から営業補佐へと変わった。会社のはからいにより、体調は少しずつ回復し、少しずつ元の生活へと戻っていった。
Jun 10, 2003
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短大卒業後の春休みに、県外の総合病院で定期検診を受ける。中学に入学してからは初めてで、実に9年ぶりだから、定期検診ではなく、ただの検査かも・・・?駅近辺にあった病院は、何年か前に郊外へ移転され、綺麗な外見の建物に変わっていた。病院に行ったときに感じていた重苦しく暗いイメージは、どうやら建物の古さが影響していたようだ。自分の中では最後の検査。問題なければ二度と来る気はない。検査結果はいつも通りの特に問題なし・・・就職先はOA用のオーダーメイドでのソフトウェア開発を主とする地元の会社。就職試験の面接で「東京で働いてもいいですか?」の質問に、受かりたい一心で「はい」と答えたことで、3ヶ月の研修期間後に東京支社へ転勤。さらに某印刷会社へと出向。先輩から仕事を引継ぎ、後輩へ引渡すまでの4年間を、出向先で1人で過ごす。いつの頃にか憶えたタバコ。1日に1箱は吸っていた。弱いくせに飲んでしまう酒。よく吐いていた。自炊が面倒で、朝は抜き、昼は外食、夜はコンビニ弁当。偏った食生活。少しずつ、仕事も忙しくなってきた。不規則な生活サイクル。健康な人と同じように生活し、心臓病のことは忘れようとしていた・・・
Jun 9, 2003
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志望の高校に無事入学。とうぜん、運動部には入れないので、また物理部に入部する。またの名はアマチュア無線部ではなく、ただの物理部。後日、友人に誘われ、「エイケン部」へ移籍。英語検定クラブではなく、正式名称は映画研究部。(略して映研部)高校のイベントには、遠泳は当然なくて、マラソン大会などもなかった為、制限を意識しない、楽しい学生生活を過ごすことができた。が、平穏な日々も長くは続かなかった。大学受験という孤独な戦いがはじまった。(笑)志望大学に、ことごとく玉砕し、予備校へ進学。(笑)リベンジである。しかし翌年も惨敗し、補欠の補欠で引っ掛かった技術系の短大へ進む。勉学に励んだ記憶もなく、2年間を無駄に過ごすが、就職活動では、運が良かったのか、なんとか就職先が内定。苦労しらずの青春時代(死語?)である・・・このころ新たに知り合った人に、必ず言っていた決まり文句。「心臓に穴があいていて、雑音あるけど問題はない。もう一回手術すれば完全に直るんだけど、手術しにくい所に穴があいているから、今度は背中から切らなければいけない。でも前後に傷跡があるのは嫌だから、手術はしない!」心臓手術は胸部からしか切開しません・・・
Jun 8, 2003
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中学では、かなり体も丈夫になり普通に生活していた。禁止事項を除いては・・・遠泳については、せいぜい50メートルぐらいしか泳げなかったので問題なし。問題はマラソン(長距離走)。スポーツをやりたかったが、運動部に入れば当然ランニングをあるので、運動部は×。しかたなく文化部の中から「物理部」を選択。またの名を「アマチュア無線部」。世界中の人と話したいから・・・という理由からではなく、QSLカードを集めたかったから。(QSLカードとは交信した人と交換する名刺みたいなもの)単なるコレクターである。(過去に切手,TVキャラクターのカード,メンコ,ベリカードなどを収集)勉強以外は楽しい中学生活の中で、唯一の大嫌いなイベント・・・マラソン大会。この時期になるとクラス中の話題がマラソン大会。「イヤだねー」「ずる休みしようかな」「一緒に走ろう」などと話している。みんなは嫌そうに話しているが、私にはとても楽しそうに聞こえる。「まことはいいよね、走らなくていいから。」大会当日は先生達や他の不参加の生徒達と一緒にゴールで待機。ぞくぞくとゴールしてくる生徒達はみんな苦しそうだけど輝いている。クラスにもどってからの話題はもちろんマラソンのこと。楽しそうに話している友達の中で、1人だけ蚊帳の外、誰も話し掛けてこない・・・運動部には入れなかったけど、運動神経は悪いほうではなく、運動会の短距離走ではいつも1~2番。(身長は20人中で前から7~8番目)3年生の体力測定の時期には、体もかなりできてきていた。脚力がわりと強かったこともあって、垂直跳び,走り幅跳び,短距離走で高得点。最後の種目は1500メートルの持久走。1・2年のときはもちろん不参加で、総合得点は低かった。かなり悩んだが、走ることを決意。200メートル以上は走ったことがなかったので未知の体験。できるだけゆっくり走ったが、かなり苦しかった。なんとかゴールできて、総合結果は150人中で19位にランクイン。とても嬉しかった!その後も心臓は特に問題なし。
Jun 7, 2003
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この頃には、だいぶん健康になって、元気に過ごせるようになりました。クラス単位での集団登下校。私のチームは3人。他の2人は仲良しで、いつしか口喧嘩するようになった。2対1ではどうしても劣勢の私は、自慢話を切り出す。「僕は一度、心臓が止まっているんだぞ!」『まことは2度死ぬ』である・・・(笑)それを見ていた友達がみかねて、学級会の議題に提案してしまった。「まこと君がイジメられています」クラス全員での議論の末。別チームへの移籍が決定。嫌いじゃなかったんだけど・・・小学校を卒業した後の春休みに、手術をした県外の総合病院で心カテを行う。「心カテ」とは「心臓カテーテル検査」の略で、カテーテルと呼ばれる細い管を、動脈から心臓へ入れて行う検査のこと。1泊2日の日程での検査。ストレッチャーで検査室に運ばれる途中で、しばらくの間、昇り階段の隅に留められた。階段を見上げていたら、看護婦さん2人が階段を降りてきた。突然「キャー」という叫び声・・・一種の覗き行為である。(笑)生まれてから2度目の全身麻酔で、気が付いたときにはすでに夜。翌朝ベッドから起きると、右足が痛くて上手に歩けない。カテーテルを右足の付けねから入れたから。当時は傷跡もはっきりしていたが、何年もすると簡単には傷跡を見つけずらくなった。検査の結果は、「良好です。長生きしますよ。」「ただし、マラソンや遠泳は禁止です」
Jun 6, 2003
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手術後は順調に回復し、小学校にも無事入学。ガリガリ・背が小さい・色白の3拍子揃った病弱者だったけど・・・とにかく痩せていて、クラスで一番のもやしっ子で、学年(約200人)でも、1~2位の座を誰かと競っていた。身長はクラス(約20人)の中で前から2~3番目。(前習えで腕を前に伸ばした記憶があるから)クラスの係を決めるときに、「色白で清潔そうだ」ということで無理やり『肝油配り係』に任命・・・(笑)病気がちで、すぐに風邪などをひいてしまうし、プールに入ると、すぐに唇が紫色に・・・健康というにはまだほど遠いかな・・・小学校に入るとプールや身体検査などのために人前で裸になる機会が多く、胸の傷のことをよく聞かれた。「心臓の手術をしたんだ」と答えるが10人中3人ぐらいは「しゅじゅつ」と発音できなくて「しゅるつ・・・しじゅつ・・・しるつ」などと苦戦していた(笑)まこと=手術 の方程式の確立である。1年に1回の通院毎年恒例の小さな楽しみ、日帰りの小旅行。駅構内にある金太郎の人形と巨大な壁画が印象深い。診察後の主治医のセリフは決まって「雑音があるけど問題ない。良くなっています」
Jun 5, 2003
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1ヶ月半ぐらいの入院でやっと退院。子供は骨がくっつきやすく、傷の治りもはやいそうだ。胸には傷跡に沿って板が当てられている。しばらくは自宅で安静にしていなければいけなかったんだけど、4歳の子供に、おとなしくしていろというのは無理な話で、飛び回って遊んでいたらしい。(痛くなかったのかな?)そのせいかどうかはわからないが、左の肋骨が少し出っ張っている。保育所を長い間休んでいて、久しぶりに行ったときには、家に戻りたいと泣きじゃくった。保母さんに抱きかかえられて、家族との短い別れ・・・(笑)家にいるのが大好きな、体の弱い内気な子供。周りでは同じ病気の人が多く、同い年のいとこ、近所の同級生、親戚の10歳ぐらい年上の人と、相次いで手術した。伝染するのかな?妊娠中に風邪薬を飲んだから、という噂もあったらしいが、原因は不明。3人とも手術は成功し、術後の経過も良好。
Jun 4, 2003
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入院中の記憶は3つ。毎日の注射、それも1日に何回も・・・泣き叫んで嫌がっていた。白衣の看護婦さんは恐ろしい存在。天使じゃなくて悪魔のような・・・恐い記憶。窓際のテーブルの上にあった「水のみ鳥」のオモチャ?コップの水にくちばしをつけてやると、前後に揺れて、自分で水を飲み、揺れて、飲んで・・・ずっと水を飲み続けていた「水のみ鳥」はある日、窓から外へ消えた・・・落ちてしまったのだ。どうして落ちたかは憶えていない。窓から下を見ると残骸が・・・高さは4~5階のイメージだが、実際はもっと低いかな?悲しい記憶。同じ小児病等にいたA君(名前は不明)大きな「ゴモラ」?のオモチャを持っていた。私の「ゴジラ」とは良いライバルだった。元気になってから、毎日一緒に遊んだ。ある日、仲良しのA君は突然いなくなった。長い間、A君は亡くなったんだと思っていたが、最近、家族に確認したら、元気に退院していた・・・記憶違いである。楽しい記憶。
Jun 3, 2003
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鎖骨の真中から肋骨の下まで真っ直ぐにのびた線と、線の下部にある左右対象の丸い点。胸にある手術の傷跡。物心ついた頃には既に胸に付いていた。綺麗だったころの胸の記憶は残念ながらない。先天性の心臓病で、左右の心室間の壁に穴が開いていた・・・病名は症状通りの「心室中隔欠損症」風邪を引いて町医者に診てもらったら、心雑音が聞こえるとのこと。当時は心臓手術が始まった頃のことで、県外の病院を紹介される。県外の総合病院で診てもらったら、手術することになった。入院前に自宅前で撮った家族写真、みんなが暗い顔をしている中に、1人だけ満面の笑顔で写っている男の子。手術で憶えているのは1つだけ。氷が敷き詰められた透明なカプセルの中で寝ていたこと。冷たかったなどの感覚的な記憶は一切なし。手術が終わり、主治医から家族への説明。「手術は成功しましたが、穴が開いていた場所がとても手術しにくい所で・・・」家族の記憶がはっきりしなくて、実際に何と言われたのかは未だに謎?わかっているのは、まだ心雑音が残っているという事実だけ・・・手術前後でどれだけ心雑音が減ったのかも不明・・・
Jun 2, 2003
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2年前からの心臓病での闘病生活を、2年遅れの同じ月日で再現する日記です。6月19日に発病します(笑)。過去のメモをもとにして、何を考え、何を思っていたのかを、思い出しながら書いていきます。とりあえず発病までの間は、2年前までの経過を書いていきます。暗い日記になるのか、それとも明るい日記になるのか?こうご期待!
Jun 1, 2003
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