家族というものには、奇妙な呪縛がある。朝、洗濯物を畳みながら、ふとそんなことが頭をよぎった。「家族だから」という言葉に縛られ、知らぬ間に何かしらの期待を背負っている自分がいる。家族だから優しくしなくてはいけない。家族だからいつも一緒にいなければいけない。食事も一緒。助け合わなければいけない。喧嘩したら、すぐに仲直りしなくてはいけない。理屈では分かっている。けれど、それがいつの間にかただの義務感になり、優しさが義務に、助け合いが負担に変わっていた。
20代のころ、結婚にはもっと温かいものを想像していた。好きな人と一緒に暮らし、毎日が彩りに満ちているはずだった。一緒にやりたいことがたくさんあって、未来が無限に広がっているように感じていた。でも、いつからかそれは、忍耐を強いられるものになっていた。家族という名の下に、自由が奪われる感覚が増していく。もちろん、心地よい瞬間もある。家族がいることの安心感、共有する笑顔。だけど、それ以上に「家族であること」の重さに、心が折れそうになることも多い。
今、木枯らしが吹く公園のベンチに座り、一人ため息をつく。誰もいない、静かな時間。この静寂が、なんとも心地よい。家族という枠に縛られない一瞬が、まるで逃げ場のように感じられる。もう涙も出ない。ただ、心が乾いているだけだ。たくさんの感情を通り過ぎて、今はただ静かに空を見上げる。どうしてこうなったのか、答えはない。でも、家族というものが、必ずしも人を縛るものではないと信じたい自分もいる。
家族がいること、それは呪縛でもあり、同時に心地よさでもある。矛盾しているかもしれないけれど、それが人生というものなのだろう。答えを見つけようとしなくてもいい。ただ、風に吹かれ、静かに座っているだけでいいのかもしれない。人生はそんなふうに、たまには休んでみても、きっと大丈夫だ。
「家族とは、時に負担であり、時に力である。どちらも、同じ重さを持つのだ。」 — ジョン・ボーウェン
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