別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司

別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司

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2024.12.29
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●コメント・トラックバック・掲示板
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以前は、HPの掲示板への不良書きこ
みに悩んだ。
相手は、名前がわからないことをよい
ことに、まさに言いたいことを書き放題。
今は、BLOGの時代。しかしそのBLOG
のトラックバックにさえ、このところ、
不良書きこみが、絶えない。
しかも悪質、執拗、うるさい。
+++++++++++++++++
 現在、私は、R天のフリーサービスを使って、毎日、日記+BLOGを書いている。それはそれ
で、私の生きがいになっているが、少し前まで、掲示板への不良書きこみに悩んだ。中には、
良心的な書きこみをしてくれる人もいたが、大半は、中傷、悪口、誹謗、それにスケベ。
 セレブな人妻紹介。
 童貞、買います。
 今晩できます、などなど。
 そこで、私は掲示板を閉鎖した。コメントコーナーも閉鎖した。毎日、そうした不良書きこみを
削除する作業だけでも、たいへん。めんどう。
 ところが、である。R天のフリーサービスのばあい、トラックバックだけは、閉鎖することができ
ない。そのトラックバックをねらって、ほとんど毎日、同じような書きこみがつづく。しかも、5~1
0通、同じ文面のものばかり!
 そこでトラックバックの表示個数を、(1)に設定したが、それでも、それぞれの日記に、トラッ
クバックに書きこみがつづく。どうしたらよいものか。トラックバックがあるからこそ、BLOG。も
しトラックバックがなくなってしまったら、またもとの、(ただの日記)。BLOGがBLOGでなくなっ
てしまう。
 しかし、こうまで不良書きこみがつづくと、無視するわけにもゆかない。
 そこでR天サービスに直接相談しようとしたが、そういう方法は、どこにも書いてない。つまり
連絡先がわからない。で、今は、泣く泣く、そのままの状態。
だれか、トラックバックを閉鎖する方法を、知りませんか。もしご存知でしたら、お教えください。
お願いします。
Hiroshi Hayashi++++++++++Jan. 06+++++++++++はやし浩司
最前線の子育て論byはやし浩司(037)
【受験・不安の構造】
●不安を訴える、親たち
 寒さが緩んだ、ある日の午後。1人の母親が、私の教室へやってきた。M君、小学3年生の
母親である。「どうしましたか?」と聞くと、「ちょっとこちらの方へくる用事がありましたので…
…」と。
私「ハア、何か?」
母「実は、息子の進学の相談ですが、このままでいいのでしょうか?」
私「このままって……?」
母「一応、SS中学の受験を考えているんですが……」
私「はあ……。それで?」と。
 つまりM君の母親は、私の教室から、別の進学塾への移籍を考えていた。30年以上も、若
い母親たちに接していると、そうした心の変化は、雰囲気でわかる。
私「M君は、今、がんばっていますよ。成績も伸びてきたところですし、今は、自分で、5年生レ
ベルの学習をしています」
母「でも、国語が、苦手なんです」
私「国語、ですか?」
母「算数は、おかげで、クラスでもトップなのですが、国語の成績が、今イチなんです……」と。
 こうした押し問答がつづく。いつまでもつづく。
●よくなることしか考えない(?)
 こういうケースでは、親たちは、自分の子どもが、(今の状態)より、よくなることしか考えてい
ない。「やれば、もっとできるはず」と。
 しかし可能性としては、フィフティ・フィフティ。やり方をまちがえれば、成績は、さがる。が、そ
れですめば、まだよいほう。親の希望には際限がない。「B中学へでも入れれば……」と言って
いた親でも、その子どもがB中学へ入れそうだとわかると、今度は、「せめてA中学へ……」と
言い出す。
 さらにそのA中学へ入れそうだとわかると、今度は、「もう少しがんばらせて、S中学へ……」
と言い出す。
 子どもがそうした親の期待に、従順に(?)、応じている間は、それなりに、親子関係も、うまく
いく。しかしそんなケースは、10に1つもない。理由は、簡単。
 こうした親の期待には、あるいは欲望と言ってもよいかもしれないが、それには、ここにも書
いたように、際限がない。が、それ以上に、『だからどうなの……?』という部分がない。「いい
中学へ入ったから、だからどうなの?」と。
それがないまま、子どもを追い立てても、子どもには、負担になるだけ。その(負担)が、やがて
親子関係を破壊する。
●過剰期待
 何が子どもを苦しめるかといって、親の過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。それは
たとえて言うなら、馬の前にぶらさげられたニンジンのようなもの。いくら走っても、馬は、その
ニンジンを、自分のものにすることはできない。
 が、人間は馬ではない。やがてすぐ子どもは、それに気づく。こんな例がある。
 あるとき電話で、こんな相談をしてきた母親がいた。私の知らない人だった。
 「うちの子は、プリント学習を、毎日3枚することになっています。しかし2枚しかしません。3枚
目になると、とたんに、いやがります。どうすれば、3枚目を子どもにさせることができます
か?」と。
 プリント教材を売り物にしている教材会社があるようだ。
 で、私は、こう答えた。「では、2枚でやめることです」と。
 もしその子どもが、スイスイと3枚目をしたら、親は、きっと今度は、こう言い出すにちがいな
い。「明日からは、4枚しなさい」と。
 子どもも、それを知っている。だから、2枚目が終わったところで、しぶり始める……。
●自我の同一性
 わかりやすく言えば、(やりたいこと)と、(現実にしていること)が、一致している子どもは、表
情が明るい。伸びやか。それに安定感があって、情緒も落ちついている。
 しかしときとして、その(やりたいこと)と、(現実にしていること)が、遊離し始めることがある。
そうなると、子どもは、とたんにある種の緊張感に包まれる。これを心理学の世界でも、「同一
性の危機」という。
 ある講演会場でその話をしたとき、1人の母親が、そのあと、こんな質問をした。「それはどう
いう心理状態ですか?」と。予定外の質問だったので、少し戸惑ったが、私はこう答えた。
 「それはですねエ~。たとえて言うなら、顔を見るのも、声を聞くのもいや。肌に触れられるの
もいやという男性と結婚した、女性の心の心のようなものではないでしょうか」と。
 あとで考えて、我ながら、名答だったと思った。
 もっとも、それほど深刻なケースではないにしても、同じ仕事でも、(自分で進んでする仕事)
と、(いやいやする仕事)では、能率はまったくちがう。とくに、自分が納得しない仕事を押しつ
けられたときは、そうだ。
 子どもも、そういう状態になる。親は、「いい中学へ入れ」と、せき立てる。しかし子どもには、
その意思がない。少しでも成績がさがったりすると、親は、「サッカーをやめなさい」「ゲーム
は、取りあげます」などと、子どもをおどす。とたん、それまでの親子関係は、崩壊する。
●『だから、どうなの?』
 こんな例がある。もう15年近くも前のことだが、夏休みが終わったころ、2人の女子高校生
が、私のところにやってきた。そしてこう言った。2人とも、私の幼児教室のOBである。
 「先生、私たち、横浜のF大学に入ることにしました」と。
 声は明るかった。それにF大学なら、私も知っている。それで「よかったね」と。で、そのあとこ
んな会話をした。
私「ところで学部は……?」
子「……国際関係学部……です」
私「国際……カンケイ、学部……?」
子「そう……」
私「フ~ン。ぼくは昔の人間だから、法学部とか経済部とかいうのはわかるが、その国際関係
学部っていうのは、何を勉強するところ?」
子「……私にも、わかりません」と。
 その2人の女子高校生たちは、「何を勉強するのか、わからない」と。当時は、「大学遊園地
論」が、あちこちで騒がれていた。だから私は、すぐこう思った。「この子たちも、大学へ入った
ら、遊ぶのだろうな」と。
●夢、希望、目的
 子どもを伸ばす三種の神器といえば、(夢)、(希望)、(目的)である。この3つが、子どもを、
前向きに引っぱっていく。
 しかし今、その(夢)、(希望)、(目的)をもっている子どもは、少ない。いろいろな調査結果を
みても、小学校の高学年で、30%もいない。勉強にしても、親に言われるから、ただ勉強して
いるだけ……といった子どもが、ほとんど。
 で、よく誤解されるが、今どき、よい中学、よい高校、さらには、よい大学へ入るなどということ
は、夢でも、希望でも、目的でもない。親にとっては、そうかもしれないが、少なくとも、子どもに
は、そうではない。
 この数年だけでも、自ら、進学先の学校のレベルをさげる子どもが、どんどんとふえている。
「A高校なんか入って、勉強でしごかれるくらいなら、B高校で、のんびりと高校生活を楽しみた
い」と。「約60%の子ども(中学生)がそうですよ」と、HK市にある中学校の校長が、笑いなが
ら話してくれた(05年)。
 昔なら、「名門」というブランドにあこがれて、そこへ入ることを目標にした子どももいたかもし
れない。しかし今は、いない。また、そういう時代ではない。
●勉強しかしない子どもたち
 せっかく(いい中学)(いい高校)へ入っても、中退して自分の道を選ぶ子どもも、ふえている。
ここに例を書くまでもなく、あなたの周囲にも、1人や2人は、必ず、いるはず。
 むしろ勉強だけして、スイスイと、(いい中学)(いい高校)そして(いい大学)へと進学して子ど
もほど、どこか、ヘン(失礼!)。そういう子どもは、勉強しかしない。勉強しかできない。たしか
に成績はよいが、よい成績をとることが、その子どもにとっては、趣味のようなものになってい
る。
 頭の中は、偏差値という数字でいっぱい。もちろん弊害もある。
 このタイプの子どもは、人間の価値そのものすら、その(数字)で判断する。そこでおかしなこ
とだが、本当に、おかしなことだが、今の日本の教育システムの中では、人間的にも魅力があ
り、人格的にもすぐれた子どものほうが、むしろ、受験競争から、脱落していくという傾向がみ
られる。
 このことも、あなたの周囲を見渡してみれば、わかるはず。あなたの周囲にもいろいろな人
がいる。が、受験とは無縁の世界を生きてきた人ほど、心暖かく、人間味が豊かであることを、
あなたも知っているはず。
 もちろんだからといって教育を、否定しているのではない。つまりこうした弊害を、教育者自身
が、気がつき始めている。そしてそれに合わせて、教育制度、さらには受験制度そのものも、
変わり始めている。
●点数から人間性へ
 この静岡県でも、いろいろな試行錯誤があったが、全体として見ると、より内申書重視の入
試方法に変わってきている。欧米の例を参考にするなら、これは当然のことである。
 たとえばアメリカでは、いくら成績がよくても、その成績だけでは、有名大学には入れない。推
薦権をもつ、教師や学校の推薦がなければ、入れない。そしてその推薦するかどうかは、その
子どもの人格や人間性を見て、判断される。
 日本でも、最近、学歴不問という会社が現われつつある。入社試験でも、面接官は、こう聞
く。「君は、何ができるかね?」「君は、わが社に、何を貢献してくれるかね?」と。
 こうした話は、恩師のT教授(元東大・副総長)からも聞いたことがある。20年ほど前の話
で、今は、そういう学生も少なくなったと思うが、T教授は、こう言った。
 「林君、東大へ入ってくる学生の、3分の1は、頭がおかしいよ」と。そこで私が、どこがどうお
かしいですかと聞くと、T教授は、こう言った。
 「実験中にね、かんしゃく発作か何かを起こして、ビーカーなどの実験道具を床にたたきつけ
て、割ってしまうのがいる」「そこで親まで呼んで、自主退学を勧めるのだが、親のほうが、猛然
と拒否する」と。
 そうした反省もあって、そのあと、入試方法も、大きく変わった。学力テスト1本という入試方
法から、面接重視の入試方法へ、と。とくにそのT教授は、退官後、東京R大(私大)へ移り、東
京R大の入試方法そのものを変えてしまった。
 「参考書、辞書、持参は自由」というのが、その入試方法である。この入試方法は、そのあ
と、いろいろな世界で、大きな話題になったので、ご存知の方も多いと思う。
●不安の構造
 何ゆえに、親たちは、不安になるのか? とくに自分の子どもが受験期を迎えると、言いよう
のない不安感に襲われる。
 自分の子どもが選別されるという不安。子どもの将来への不安。が、それだけではない。日
本人には、体質として、明治以来の学歴信仰がしみついている。それに拍車をかけるように、
この日本には、不公平が蔓延(まんえん)している。
 そうした不公平を、親たちは、日々の生活を通して、いつも肌で感じている。
 だから親たちは、子どもを受験競争に駆り立てる。今の今でも、「勉強しなさい!」「うるさ
い!」の大乱闘を繰りかえしている親子は、多い。
 が、ここで注意しなければならないのは、不安に思っているのは、親だけということ。子ども
は、何も、不安に思っていない。もっと言えば、親が、自分の不安感を、子どもにぶつけている
だけ。
 こうした親は、一見、子ども思いの、よい親に見える。しかしその実、身勝手な愛(?)を、子
どもに押しつけているだけ。こういうのを、私は、「代償的愛」と呼んでいる。つまりは、愛もどき
の愛。それはたとえて言うなら、ストーカーが口にする「愛」に似ている。
 子どものことを考えているようで、結局は、子どものことなど、何も考えていない。どこまでも、
ジコチューな愛、ということになる。
●失敗してはじめて気づく親たち
 しかしどの親も、ほとんど例外なく、自分で失敗するまで、自分が失敗したと気づかない。だ
いたいどの親も、自分が失敗するなどとは、思っていない。
 だから親は、子どもを、「あなたはやればできるはず」「もっとできるはず」と、子どもを、追い
立てる。が、いつまでもこんな異常な状態がつづくはずはない。
 H市にS県でもナンバーワンと呼ばれる進学高校がある。その進学高校の教師が、私にこう
話してくれたことがある。
 「うちの高校でも、高校入学時にすでに、バーントアウト(燃え尽き症候群)している子どもが、
5%はいます。3年生で、20%はいます」と。
 有名大学となると、(こういう言葉は、本当に不愉快だが……)、もっと多い。「大学へは入っ
てはみたけれど……」と。
 が、その程度ですめばまだよいほう。引きこもりや、家庭内暴力、さらには、心そのものまで
ゆがめてしまう子どもも少なくない。
 が、親というのは、不思議なものだ。親子関係は完全に崩壊している。子どもも、「大学へは
入ってはみたけれど……」という状態になっている。しかしそれでも、他人の前では、「おかげ
で、いい大学へ入ることができました」と喜んでみせる。
 この段階で、失敗を認めるということは、親にしてみれば、自己否定につながる。世間的に
は、それだけは何としても避けたい。そうそうこう言っていた母親もいた。
 「毎日、毎晩、小5の娘と大乱闘です。しかし娘も、目的の中学へ入ってくれれば、そのとき私
の気持ちを理解し、私を許してくれるでしょう」と。
 が、残念ながら、それで親に感謝する子どもなど、ぜったいに、いない。
●変化する子どもたち
 進学塾へ入ったとたん、目つきの変わる子どもは、少なくない。何割か、あるいはそれ以上
の子どもがそうなる。
 親は、「自覚ができました」「緊張感ができました」と喜ぶ。が、それですむわけではない。受
験競争が長くつづけばつづくほど、そしてそれがはげしければはげしいほど、おかしな競争
心、おかしなエリート意識、そういったものが、子どもの心を粉々に破壊する。
 概して言えば、温もりのある子どもらしさが消え、心がドライになる。冷たくなる。点数だけで、
人を判断するようになる。それを指導する講師が、そういう姿勢だから、子どもの心など、生贄
(いけにえ)に差し出された子羊のようなもの。
 さらに言えば、指導する講師にしても、それだけ子どもの心を知った上で、指導しているかと
いえば、それは疑わしい。
 派手な宣伝、広告、チラシ……。そういったので発表される合格者数の裏で、いかに多くの
子どもたちが、もがき、苦しみ、自信をなくしていることか。ほとんどの親たちは、勝つことだけ
を考えて、負けることは考えていない。
 「うちの子にかぎって……」「そんなはずはない……」と、子どもを受験競争に追い立てる。し
かし成功するか失敗するかということになれば、失敗する確率のほうが、はるかに高い。
 しかしそのときになって、子どもの心を再び、取りもどそうとしても、もう遅い。一度こわれた心
を、もとにもどすには、その何倍もの努力と時間が必要となる。
●日本の特殊性
 日本がもつ構造的な異常さというのは、日本だけに住んでいる人には、理解できない。ある
いは、逆に、「欧米も、日本と似たようなもの」と思っている人も多い。
 しかし、ちがう。まったくちがう。5、6年前に書いた原稿(本で発表済み)の中から、一部を抜
粋して、紹介する(全文は、この原稿のあとに添付)。
 『つい先日、東京の友人が、東京の私立中高一貫校の入学案内書を送ってくれた。全部で7
0校近くあった。が、私はそれを見て驚いた。どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先
が明記してあった。別紙として、はさんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。
この話をオーストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。そ
こで私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してくれた。
 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。そこはチャールズ皇太子
も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒1人ひとりにあわせて、学校がカリキュラムを
組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。木工が好きな子ども
は、毎日木工ができるように、と。そういう学校をよい学校という」と。
なおそのグラマースクールには入学試験はない。子どもが生まれると、親は出生届を出すと同
時にその足で学校へ行き、入学願書を出すしくみになっている。つまり早いもの勝ち』。
●子どもを信じて伸ばす
 では、どうすればよいのか。現実に、この日本には、不公平が蔓延している。学歴制度もあ
り、受験競争もある。こうした現実に背を向ければ、そのまま外の世界へ、はじき飛ばされてし
まう。
 こんな笑い話(?)がある。東京に住んでいる、ある女性が話してくれた。
 「ある母親は、自分の子ども(小学生)を、近くの公園へ連れていった。そしてそこで生活して
いるホームレスの人たちを見せながら、こう言ったという。『あんたも、しっかりと勉強しなけれ
ば、ああいう人になるのよ』と」と。
 とんでもない指導だが、だれがこの話を聞いて、笑えるだろうか。その母親は、この日本で
は、まさに現実主義者ということになる。笑いたくても、笑えない。
 その一方で、今、この日本でも、価値観が、多様化してきている。そして「幸福」に対する考え
方も、変わってきている。そこで重要なことは、子ども自身が、自らの力で、自分の道を切り開
いていく力をもつようにすること。学歴などというものは、あとからついてくるもの。かりにどこの
大学を出ようとも、そこで(勉強)が終わるわけではない。
 むしろ本物の実力が試されるのは、社会へ出てからということになる。もちろん今でも、過去
の学歴にぶらさがり、のんべんだらりとした生活を送っている人は多い。悪しき学歴社会の、
亡霊のような人たちである。50代、60代以上の人に、とくに多い。
●夢から目標へ
 子どもには、子どもの夢がある。その夢をじょうずに育てながら、それを目標につなげていく。
 子どもが「花屋さんになりたい」と言ったら、「そうね、それはすてきね」と。子どもが「バスの運
転手さんになりたい」と言ったら、「そうね、それはすてきね」と。
 「夢」を育てる姿勢が子どもの中にあれば、(夢の内容は、そのつど変化するものだが…
…)、子どもは自分で伸びていく。
 もし子どもを伸ばす方法があるとするなら、それしかない。またそれが王道である。親にでき
ることがあるとするなら、その目標に向って進む子どもを、側面から支えること。イギリスの格
言にも、『馬を水場に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない』というのが、あ
る。あとの判断は、子ども自身に任せるしかない。
 そのとき重要なことは、それがどんな道であろうが、子どもが選んだ道であれば、親は一歩
引き下がった状態で、子どもを支える。そしてそれが良好な親子関係を保つ、王道でもある。
 私がM物産という会社をやめて、幼稚園の講師になるという道を選んだとき、それを母に告
げると、母は電話口の向こうで泣き崩れてしまった。
 決して母を責めているのではない。母は母で、当時の常識に従って、そうしたにすぎない。し
かしあのとき、母だけでも、私を支えてくれていたら、その後の私の人生は、大きく変わっただ
ろうと思う。もっと自信をもって、私は、自分の道を進むことができただろうと思う。
 そういう私を支えてくれたのは、実は、オーストラリアの友人たちである。オーストラリアの友
人たちは、みな、「すばらしい選択だ」と言って、私を支えてくれた。つまり、こういうところにも、
意識のちがいがある。
 今でも、「幼稚園の講師?」と言って、吐き捨てる日本人は、多い。しかしそういう日本人を超
えるようにならないと、この日本はいつまでたっても、教育後進国。校舎や教師がいくら立派に
なっても、中身は旧態依然のまま(?)ということになる。
 つまりは、私たち1人ひとりが、そういう意識を変えていくしかない。
 冒頭にあげた母親とは、それで別れた。その母親との間には、越えがたいほど、遠い距離を
感じた。「どこからどう説明しようか」と考えているうちに、どうでもよくなってしまった。
 M君が私のところを去るのは、時間の問題だろう。しかしそれも卒業。
母「これからも、よろしくお願いします」
私「わかりました。おいでになる間は、一生懸命、教えさせていただきます」と。





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Last updated  2024.12.29 17:30:35


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