『とんとこひ・セクスアリテ』

January 21, 2008
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カテゴリ: ヒジリ地名図鑑
 あけましておめでとうございます
  2008年もどうぞよろしくお願い申し上げます

部落探求は昭和始め菊池山哉に始まり此処に終わる

同和地域の開放
---事故死宣言---



被差別村落の歴史

松本英一代議士に捧ぐ・・・ 矢切止夫

(いまの酸性印刷用紙では本は数年しかもちません。
中性紙が普及するまで私の前代未聞の三百二十点の各著作権は
全部放棄しますゆえ覆刻事由です)

奈良西大寺裏旧宿村の名残り(屋根板ぶき)


裏日本の日本原住民四ツは馬鹿。
阿呆と八ツ太平洋岸土着民侮称被別
大宝律令で全人口5%が良、残は賤民。
この区分制が賤民の棄民移民となる


*「第三部
・・・・・・ひと息ついてください
八切史学誕生は敗戦満州」より抜粋



 が芸は身を助けるというが、その几帳面さがたたって、利口な人ならさけて通ってきた部落問題や、これまで誰もが尻ごみしていた前人未踏の解明にふみこんでしまったのだともいえる。
・・・生母が二十八歳で肺結核で死んだので自分も多分二十歳までに死ぬと思いこんでいた。「わが命いまだありやとふと思い、かそこけことを想いしものか」と唯それだけだった。・・・
 なにしろヨチヨチ歩きの時に、自分では死ぬ気でナフタリンをたしか十四個かじったのを初め、闘牛士みたいに列車にとびこんで風圧ではねられたり、こりずによく繰り返した。・・・



 日本を執筆禁止第一号として追われて満洲へ行ったら、関東軍長谷川少尉閣下のおかげで零下四十度の新京の総司令部営庭つまり屋外へ一晩放っておかれ透視しかけたが、・・・自分で死ぬよりは他から殺して貰う方が遥かに楽だから、あたらせっかくの機会を与えて貰ったのを、逸してしまった口惜しさが未練たらしく、しまったと後悔をしているようだ。・・・

 終戦になってしまうと誰もいなくなった奉天北春日在郷軍人会の唯一人きりだけの分会長になってしまった。・・・
 が、北春日小学校が北満からの難民の収容所になると、次々と逃げてくる人々のために働かねばならなくなった。



 マイナス二十五度から三十度に気温の下がる冬が近づくと、発疹チフスで次々と体力のない者から仆れていった。郊外の北陵に日本人墓地はあったが、とても危険でそこまでは行けずスベリ台や遊動円木の並ぶ校庭に屍体を野天積みをした。土を掘って埋めたくても凍っていてシャベルでは何ともならなかったからである。が、十段積みぐらいに土畳みたいに、ぐるっと積みだした頃から、寒さに意識づくのか、まだ仮死状態の儘で積んでしまったのが、ピイッと笛みたいな悲鳴をあげて屍体の山の中から、抜け出してくるのが多く連夜のことだった。



 すぐ熱い白湯を呑ませコーリャンがゆを当てがって戻すのだが、せっかく蘇生しても体力の限界がきているから回復はむりで、殆どが何日も生き続けられず完全にまた動かなくなって屍体の山へ逆戻りの有様だった。・・・
 高級軍人は家族もろとも早く逃げてしまっていたが、官僚は残されていた。が日本人なのに、まったく難民には関心を示されず堪りかねて医薬品や彼らの保管食料を貰いに行くと、
 「彼らは、もともと棄民ではないか」と相手にもしてくれなかった。終戦までは彼らは、
 「・・・御国の為に」の一点ばりだったのが、今では打って変わって態度も変えてしまい、
 「占領軍の命令により」と、在留邦人に女性供出を割り当ててきた。・・・



 「せめて一俵でいいから頂けませんか。分量が多くなるものと交換して配給したいんです」
 高級官舎を廻って歩いて土下座せんばかりにして、北春日小学校主要所のため頼んだ。が、
 「彼らは棄民として国策で送られてきた・・・死んでも構わん連中ではないか」と、法務官の高級官僚は、葉巻をくわえた儘で窓から顔を出し言い放つと面倒そうにガタンと締めた。
------大宝律令の良賤の区分が、五族協和をうたった満州国でも本国からの出向官僚には、厳然として、まだ伝承されているのかと、ただ唖然とさせられただけのものだった。
 自分の為ではなく、飢えて辿りついた難民たちのために物乞いして歩いたゆえ、客観的にいうか冷ややかに差別が明確にあるのは痛いくらいに釘打機で叩きこまれるみたいなものだ。



 「みんな、同じ日本人ではないか」といった尤もらしい建前とは、まるで違うものを感じたのが「八切史観」となって、これが発想の芽生えになったといっても過言ではないだろう。・・・
 日本人は、人の下に人を作って共に連帯の輪を作ることはせぬ奴隷のなりあがりの者が多すぎると、もし生きて戻れたらば、この恨みつらみで、真の日本史をやろうと決意した。・・・



 機械を拭ったような赤黒い旗をたてたソ連の重戦車が、奉天へ入ってくる二日前、・・・逃げこんできている兵は数多く二百はいたが、・・・もはや手分けして探しても食糧も敗残兵への武器など入手できない状態なので、・・・「お詫びのために、さきがけして死のう」と案はきまったが、佐官待遇といっても素人の私が心配らしく、まっ先に割腹をする順番になった。北春日神社に三宝があったのでもってきて、見よう見まねで、刀をつき刺したら、確かりしている筈なのに甘皮でまいただけの三宝が、尻の下でペチャンコになり引っくり返り、私は左腹へつきたてたまま気を失い、二日ぐらい意識を失っていたが、重戦車のキャタビラがコンクリート道路を物凄く揺るがすのに気づいた。



 私の切腹の仕損ないをみて、皆が落胆したのか怖気をふるったのか、医者をよびにゆくと出かけ、それっきり唯の一人も戻ってこないという、世にも哀れな終戦を私は迎えた。
 もちろん辛うじて生き残れたからして三十年かけ恨みつらみの八切史観はやれたのだが、又しても死に損なったのは相当にショックだった。なにしろ十四回目の失敗だったからである。





*「第四部(日本歴史解明は部落研究しかない)」より抜粋


 日本では四ツを馬鹿と蔑称。中国の高位の者か馬を群臣にみせ、鹿であろうといって拝礼させたという話は、坊さんの手作り創作噺で、則天書や明書の類をも奉天時代に調べてみた。
 アは、アラブ語の水を意味する言葉ゆえ「阿呆」とよばれる。さすが尾張や美濃のアの本場では、「アーボウ」転じて阿呆はつかわず、「他家」という。これが「たわけ」となるのである。



 この前とうとう倒れた時は、名医野村直弘先生が平塚から車をとばして来て下さったが、採血して頂いたら極度の栄養失調で蛋白質がまったくないからと御注意を受けた。・・・だから最後のつもりで 「補遺日本の裁判」 をかいたが後学のためにこれをも残す。・・・
サンカのものにしろ被差別のものにしろ、あまりにも他の本は、何かの命令によってか本人の不勉強のせいなのか、皆どれも違うから困ったものである。
 まあ唯一の参考になるのは全国をカメラを担ぎ廻った菊池山哉先生の実証ものゆえ、それへ戻るが、反体制の仏教資料しか残存せぬので、そこで引っ掛かっておられるが仕方ない話。






シベリア抑留「地獄の苦しみ」 京都地裁弁論 国、賠償棄却求める
3月18日23時19分配信 京都新聞

 第二次大戦後、旧ソ連のシベリアに抑留されて過酷な労働を強いられたのは国の「棄兵・棄民政策」が原因として、京都などの元抑留者30人が国に総額3億3000万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が18日、京都地裁(山下寛裁判長)であった。原告は「約60万人が地獄の苦しみを受けた。わたしたちをソ連に労働力として差し出した政策は絶対に許せない」と意見陳述した。
 原告団はまた、京都や大阪などに住む79-86歳の8人の追加提訴を発表した。国側は、これまでの3回の同種訴訟で元抑留者側の敗訴が確定していることに触れて、「解決済みの問題の蒸し返しだ」と棄却を求める答弁書を出した。
 意見陳述した大阪市旭区の照屋林昇(しげのり)さん(84)は「上官の指示で武装解除し、何日も貨物列車で移動した。貨車のすき間から見えた海に、皆が『日本海だ』と歓声を上げたが、バイカル湖だった。深い絶望感に襲われた」と振り返った。
 シベリアで炭坑作業を課され、事故や栄養失調で死者が続出した状況も詳細に語り、「わたしたちが生き残っている間に歴史の真実を伝えたい。ゆがめない判決をお願いしたい」と結んだ。
 国は答弁書で、旧憲法下の国の不法行為に賠償請求権を認めない「国家無答責の法理」を主張した。原告の弁護団は「法理を退けた判例もあり、形式的な判断は避けるべきだ」と反論した。




★ 旧ソ連抑留画集 ~ 元陸軍飛行兵 木内信夫 ★





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Last updated  March 19, 2008 11:01:10 AM
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