『とんとこひ・セクスアリテ』

March 7, 2008
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カテゴリ: ヒジリ地名図鑑

「徒然王子」 (2008年3月7日朝刊掲載)より





隼人 (さつまはやと)の遠い祖先は 黒潮 に乗って、東南アジアからやってきた 縄文人 で、その血筋を引く彼らは濃い顔をしている。ハナはその遺伝子を受け継いだに違いない、と思った。この子は先祖返りをしたのだ。




(2008年4月24日朝刊掲載)


 ――このあたりにはヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトやクシナダヒメノミコトが祀(まつ)られた神社もあります。一帯を開拓したのは武蔵一族で、もともとはイズモの出身だったんです。ヤマトタケルも東征の途中、ミツミネ山に登り、この国を産み落としたイザナギとイザナミに思いを馳(は)せたそうです。




 ――そうですか。私の先祖はみんな戦う神々だったんだな。

 ――チチブからスワへは歩いてゆけます。スワ大社に詣でたことはありますか?

 ――あります。タケミナカタノカミが祀られているところでしょう。




 ――タケミナカタノカミは に関係の深い神です。狩猟や武術にまつわる信仰を集めてきました。 鍛冶屋 (かじや)の神でもあります。タケミナカタノカミはオオクニヌシノミコトが国譲りをすることに反対し、スワに逃れてきたと『古事記』にあります。実は私の先祖もイズモの出身で、スワに移って来たんです。ここに来る前、私はスワで 刀鍛冶 をやっておったんですよ。



 ――では、タケミナカタノカミと同じですね。代々、 刀鍛冶 だったんですか?

 ――先祖はそうでした。明治になってから、 刀鍛冶 は用済みになったので、しばらく途絶えておりました。私の父がイズモに修行に出まして、三代ぶりに復活したんです。私は跡を継ぎましたが、娘しかおりませんで、また私の代で途絶えることになります。



鍛冶屋というのはずっと同じ場所にいられません。 炭焼き と一緒に、各地を転々として暮らすものなんです。いい砂鉄の取れるところはそんなに多くはありません。それに を鍛えるには大量の炭が要ります。両方が手に入るところに「たたら」が組まれますが、同じ場所で精錬できるのは四、五年、小さなたたらだと、一年も を吹いたら、よそへ移りました。



鍛冶屋 が去ったあとは禿山(はげやま)になります。そこで焼き畑農業をやる人もいます。作る野菜を変えながら、五、六年、収穫を得ると、土地がやせるので、そのまま放置します。それから、二十年も経(た)つと、また元の雑木林や松林に戻るのです。






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Last updated  May 9, 2008 10:06:03 AM
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