般若心経は超有名な経典です。大般若経600巻を276文字に凝縮したとされるものですが、その中に秘められたものは、結果的に文字通り秘められたままになっているのではないでしょうか。秘められたものに少しでも光をあてるために私が独断と偏見を持って恥じらいも外聞も捨てて般若心経の改造を試みました。なんと恐れ多いことでしょう。これも言論出版自由のなせるわざです。 (^_-)- ☆
まず般若心経は超省略の経典ではあるにもかかわらず、意外と説明が重複したり、余計な説明をしたり、余計な形容詞が多いのです。そして肝心の説明が抜けていて、欠点が多いように思われるのです。結果的に私が改造した般若心経は超省略経となりました。以下が私の改造般若心経です。
五蘊皆空 三仏無相 個我虚仮 羯諦 羯諦 波羅 羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
これだけになってしまいました。たったこれだけであれば誰しもが憶えて唱えることができるでしょう。それでは、これまでになった経緯を説明します。
まず最初の
摩訶般若波羅蜜多心経
これは般若心経が「悟りを開く智慧 " の真髄」であることを強調している形容詞で真理の内容ではありません。なので、いらないと思います。カット。
観自在菩薩 行深 般若 波羅蜜多 時
観音菩薩の概念は大乗仏教にしかありません。宗教学者によると「大乗仏教の経典は観音菩薩が釈迦の一番弟子であった舎利子に対して講釈を垂れる形のものが多く、これは観音菩薩を大乗仏教とし、舎利子を小乗仏教と見立て、大乗仏教の優位性を強調しようとしている。これは大乗仏教の小乗仏教に対するコンプレックスの表れである」と説明しています。般若心経も「同じ穴のムジナ」ということでしょうか。いずれにしても誰が、いつ、誰に、講釈を垂れたなど、真理の説明とは関係ありませんし、ましてコンプレックスであるとすれば般若心経に残すことはできません。故にカット。
照見五蘊皆空 度一切苦厄。
般若心経の中で一番光っているのが「五蘊皆空」だと思います。五蘊というのはバラモン聖典から派生しているもので , ここでの説明は長くなるので近日中に日記に載せたいと思います。ここでは五蘊を現象世界(物質の世界)と解釈してください。これは聖徳太子が辞世の言葉として残した「世間虚仮」と同じ意味です。つまり、この部分は「我々の住む現象世界が幻想であることを悟ると一切の苦しみは無くなる」と説明しています。現象世界が幻想であることは古代インド哲学の基本になっています。仏教は古代インド哲学の系統ですので、その哲学はしっかりと残っているということです。従って、五蘊皆空は残し、「照見」と「度 一切 苦厄」は「くどい」ので削除します。
舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。 受・想・行・識亦復如是。
さきほど説明したように小乗仏教代表の舎利子に対して観音菩薩が講釈を垂れています。この部分の説明は五蘊皆空の説明と重複しています。五蘊というのは色・受・想・行・識の五つのことですので、五蘊皆空と説明すれば色・受・想・行・識が全て空であることを説明したことになるのですが、又同じことを個々に説明しているのです。これは明らかに無駄な説明です。従ってカット。
舎利子。是 諸法 空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
又、舎利子の登場です。最初に全てが空であるとして、生まれるも滅するもない、汚いも浄いもない、増えるも減るもないと説明しています。この「不生不滅、不垢不浄、不増不減」というのは仏の世界が無相の世界であることを説明しようとする作者の意図が感じられます。しかしこれだけで仏の世界が無相であるという説明にはなりません。もっと直接的に説明したほうが良いと考えます。従って、ここは三仏無相に変えます。つまり過去現在未来に渡って存在する仏の世界は無相であるということです。ここで仏の世界が無相であることについて若干の説明をしておかなければならないでしょう。つまり無相というのは比較するものが無いということです。仏の世界は美しいものしかないと言えば分かりやすいかもしれません。この比較するものが無いという概念は比較するものが満ち溢れている我々の世界では理解されないことかもしれませんがバラモン聖典の時代から執拗に説かれている真理で、仏教では仏の世界が無相で現象界は差別相であると区分して説明されています。ところで現象界でも無相は経験できます。宇宙空間においては上下の概念は無相になっています。無重力の世界では上も下も無いのです。従って何等かの条件が変われば無相の世界はあるかも知れないという気持ちだけは持ちましょう。さて、「五蘊皆空」という言葉の中で現象世界が幻想であることを説明し、さらに仏の世界が無相であると説明して、それ故に全てが空であるというのが般若心経の本意であると思うのですが、説明している文面では順序が逆になっているし、言葉の使い方にも疑問を感じます。最初の「全てが空である」という説明の後に「不生不滅、不垢不浄、不増不減」が出てきてきますが、これでは順序が逆です。結論は、ここの部分は三仏無相だけにします。以外はカット。
是故空中(前の文章「是諸法空相」と説明が重複しています)
無 色、 無 受・想・行・識 (仏教の重要教義である「五蘊」が無いと説明しています)
無 眼・耳・鼻・舌・身・意、 無 色・声・香・味・触・法 (仏教の重要教義である「一二処」が無いと説明しています)
無 眼界、乃至、 無 意識界 (仏教の重要教義である「一八界」が無いと説明しています)
無 無明 、 亦 無 無明尽、乃至 、無 老死 、 亦 無 老死尽 (仏教の重要教義である「一二縁起」が無いと説明しています)
無 苦・集・滅・道 (仏教の重要教義である「四諦」が無いと説明しています)
この部分が大きな問題なのです。仏教の重要な教義(文字の色が違う部分)を全て列挙し、それを無いとして否定しているのです。文面通りであるならば般若心経は仏教界から追放しなければならないでしょう。しかしこのことについて宗教学者は次のように述べています。
「この部分は仏教の教義を否定しているのではなく、小乗仏教に対しての批判である」
としています。これを私流に平たく説明すると以下のとおりになります。
「あのさあー、君たち小乗仏教の皆さんは釈迦の教えをクソマジメに勉強しているよね。勉強することは結構だけどー、大衆のことを無視して自分たちが悟りを得ることしか考えてないじゃないか。それは無いよ」
ということです。つまりこの部分は文面のとおりであれば仏教界から追放。善意に解釈して小乗仏教への批判だとすれば「愚痴」ということになります。従ってこの部分は般若心経から削除する方が般若心経自身にとってベターです。この部分を一字一句解説している本を時々見受けられますがナンセンスです。
無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。
この部分は
「小乗仏教では、教えを知ることもなく、悟りを得ることもできません。何も得ることはできないのです。しかし大乗仏教では悟りを開くことができるので心に障りがなく恐怖を感じず、一切の迷いから離れて安らぎの極致へと到ることができるのです。」
と説明しています。文面では大乗仏教という言葉はないのですが、大乗仏教の代表格の菩薩が悟りを開いたとして大乗仏教においてしか悟りを開くことができないと強調しているように見えます。この部分はあからさまに小乗仏教への批判となっているのです。宗教学者の間では般若心経は小乗仏教への批判書であるというのが通説です。いずれにしてもこの部分は「大人げない」ので削除します。
三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
この部分は「菩薩だけでなく、過去、現在、未来に渡って存在する仏もこの知恵(大乗仏教の知恵)によって、完全なる悟りを開かれました。」と説明しています。これも大乗仏教の優位性を強調している部分なので削除します。
故知、般若波羅蜜多、是大神咒、是大明咒、是無上咒、是無等等咒、能除一切苦、真実不虚。
これは「これから伝えるマントラは霊力があり、この上ないマントラであり、他に並ぶものがありません。このマントラは一切の苦しみを取り除き、真実にして虚しいところがありません。」と説明しています。
これはあまりにも大袈裟で気張りすぎの宣伝になっているので、般若心経に残すことに躊躇を覚えます。従って削除します。
故説、般若 波羅蜜多 咒。即 説咒 曰、
これは「悟りを開く智慧のマントラを伝えましょう。さあ、これこそが究極のマントラである」と再度、前置きしています。
この部分はパレードが始まる前に小太鼓をたたいて先兵が行進する形と似ています。真理の説明とは程遠い文面なので削除してもいいでしょう。
次に鳴り物入りでマントラが登場します。
羯諦 羯諦 波羅 羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
これは私も最高のマントラであると思っています。その理由を説明する前に、言葉の意味を説明します。このマントラはサンスクリット語をそのまま音写したもので漢字に意味があるのではなくサンスクリット語の言葉に意味があります。訳しますと。
羯諦 (ガテー) 悟りました
羯諦(ガテー) 悟りました
波羅(パーラ) 真理を
羯諦(ガテー) 悟りました
波羅(パーラ) 真理を
僧(サン) 本当に
羯諦(ガテー) 悟りました
菩提薩婆訶(ボーディ、スヴァーハー) 感謝いたします。
実に単純なマントラですが、ここには宇宙真理が秘められています。「引き入れの法」というものがあって「願い」ではなく現在完了形で想念を宇宙に何度も発信すると、そのとおりになるというのです。例えば「お金持ちになりたい」と宇宙に発信すると、今現在はお金持ちでないことを宇宙に発信することになるので、いつまでたってもお金持ちになれないというのです。「悟りを得たい」と宇宙に発信すると今現在が悟りの境地でないことを宇宙に発信することになるので、そのまま、いつまでたっても悟りは得られないことになる訳です。だから感謝の気持ちを込めて「悟りました」と発信しなさいということです。人間の最高の目的は「悟り」だと思います。とすればこのマントラは最高のマントラということになりませんか?。従ってこの部分は般若心経に絶対に残すべきでしょう。
さて般若心経に肝心の重要仏教哲学が一つ欠落しています。それは「無我」です。バラモン聖典においては普遍我(ブラフマン)と個我(アートマン)は同じものであり、個我の自我意識は錯覚であるとしています。錯覚ですから無いと言えば無いのですが、その錯覚が無ければ「私はあなたを愛する」というステージが生まれません。従って普遍我の愛を表現するために、自我意識の錯覚は必要なものであるとしています。それが仏教では無我の哲学として継承されているようですが。この般若心経では、何も記述がありません。従って「個我虚仮」を追加させていただきます。
般若心経
経典の最後にある文字ですが、これは敬具の意味でしょうから削除しましょう。
さて最終の改造(解体?)般若心経を再度登場させていただきます。般若心経に敬意を表して出来るだけ本文を残そうと努力しましたが、残ったのは五蘊皆空と羯諦 羯諦 波羅 羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶だけでした。
五蘊皆空 三仏無相 個我虚仮 羯諦 羯諦 波羅 羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
「現象界が幻想であることを念じ、仏の世界は無相であることを念じ、自我意識は錯覚であることを念じ、生きとし生けるものの幸せを念じつつ、感謝の心を込めて、マントラを唱える」これに尽きると思うのですが、いかがでしょうか?
私はこのマントラをジョギングの時に唱えています。100万回マントラを唱えると悟りの境地になれると伝えられていますが、実際100万回唱えた人がいて、結局悟りには至らなかったとのこと。私の場合は計算すると75歳頃で100万回に達しますが、おそらく75歳過ぎても、「スケベ」で「飲んだくれ」の「おじいちゃん」のままでいることは確かでしょう。
尚、何故、大乗仏教が執拗に小乗仏教に優位性を示そうとするのか?それには理由があります。それは後日をお楽しみに。長い時間の精読ありがとうございました。
般若心経の原文(参考)
【全文】摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。
受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。
無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。
無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。
三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神咒、是大明咒、是無上咒、是無等等咒、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多咒。即説咒曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。
般若心経
縁起と四諦の原点 2015年11月15日
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