ヒヤシンス*朝カフェ:感動したことは必ず人に話す☆人間は一番近くにあるものに影響を受ける

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2021年01月25日
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 過去の日記を整理している。下記は去年二〇二〇年の五月の日記だが、あれから半年以上が過ぎた。部署は数名の人数から十数名に膨らんだところまで記載されていたが、現在は三十名以上になり、次々拡大され新人が増え続けている。つまり、辞めていく人達も出てきていた。去年の最後に私の仕事は評価されるようになっていて、男上司 H 氏とは十二月末に一分程度対話する機会があった。「一位じゃないですか。その評価の中身というのはかなり厳しいもので それって凄いことなんですよ…」「 H さんのおかげです 」「いや、ぼくは何も 」「いいえ、いろいろ指導していただきました 」「いやいや 」という一分程度のやりとりがありました。いま、こうして文章を書く事に意識が戻ってきたのは、タイピングを早く正確にしていこうと、一日十分を心がけようとしているからである。

 さらに再度の読み返しをしていて気づいた。ああ、この話の奥底にあるのはラマダーン、断食での病になろうとしている元凶を、病気になる手前で取り除いたという話だったのだなあ。今年、私は、大殺界の最後の一年の年回りを挑もうとしている。すでに始まっている。一日が無事に過ぎてくれますように。一日をへりくだって、へりくだって、氷の上を歩くように、そろりそろりと進んでいく。

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 五時半だ。今、書く時がきた。ああ、そうか、そうだったか、私が日々、タイピングの練習をしているのはこのような自動書記をするためだったか。先日、 I と会った。一緒にうどんを食べた。まず、彼女の話をたっぷり聴いて、次に自分の話を聞いて貰った。話の最後はペコパのネタの話になった。否定的な場面の咄嗟に出る言葉が肯定的、前向き、前進的、明るいのがいい。不意を突かれた、と思わず笑いがこぼれる、というネタの精神がいい、という話に流れが変わった。Iが「マイシーズン」を読んだかと聞いてくる。うん、読んだよ。アブラハムが結局は明るい作品に行き着いたと言ってたねという。どんな内容だったか、家に帰ってから、読み返してみようと思った。やはり、いつでも家に帰れば本があるというのはいい。しかし、家になくても徒歩十分圏内に多賀城図書館があり、もしくは通勤路線、仙石線の陸前原ノ町下車、改札を出てすぐに宮城野図書館がある。あるいはメディアテーク仙台市図書館、または榴ヶ岡図書館となるが、家に図書棚があるのがいいと認識したのは「知的生活のすすめ」を再読したことから本を手元に置く主義になった。

 Iと会おうという運びになったのは他愛ない流れだった。Iの携帯がいよいよ故障となって、メールができなくなった。それでIからこういう事情であると葉書がきた。明日には機種変更しにいくつもりだと記載あり。投函日は昨日の六月二十一日の消印。機種変更に一緒について行ってあげようか、と思い家のポストに入った直後、即座に見た際、固定電話の番号が記載されていたので電話した。彼女は東京から仙台に引っ越してきたばかりであるから、近くのスーパーや家電量販店などの情報を教えてあげた方がいいかもしれないという頭が働いたからである。最初、Iの携帯にかけつながらず、次に固定電話にかけてみた。即座にIが出た。無料通話の十分が近づいたので、架け直すと言っていったん切り、携帯に架け直した。音質が鮮やかになった。すぐそばにいるかのようだ。もう携帯替えてきたところだよ。何の機種?〇〇だよ。そうか、お手頃価格で良かったね。そうそう。こっちが世話を焼かなくてもIは一人で判断して行動していく、そうかそうか、そりゃよかった。もし、求められたら、即座にシャワーを浴びて着替えて彼女の買い物に付き合おうかと思ったが、その必要がないと知って安堵した。電話のあと、続きの時間を自分の好きなことに使える。よかったよかった。そうそう。いま、自分が熱中していることというのは聖書のタイピングテキスト作り。Iの世話を焼かなかったおかげで今日はヨハネの第一の手紙一章からユダの手紙までの聖書十頁分を文字入力したことになる。その作業を一日しながら、こんな楽しい時間の過ごし方があるだろうか、脳がとろける味わいに浸っている。コロナ対策自宅待機の期間ひたすら家にいて一日パソコンの前に座ってこの作業に時が過ぎるのを忘れた。

 そんでさあ、I、会おうよ。うん、いいよ。じゃあ、仙台イオンの地下一階の食堂どう?注文しなくても座って休憩できるフリースペースがあるからそこどう?地下二階には食料品売り場もあるよ。十八時半どう?うん、いいよ。こっちはさ、仕事終わってから歩いて三十分で着くと思うから。わかったよ、じゃあ、二十四日の十八時半ね。と電話を切った。そもそも電話嫌いで電話しない、コロナ鬱の引き篭もり状態で人と対面しようなどとは、露ほどにも思っていなかったというのに。人と会いたいと思ったのにはわけがあった。対面したくないだけではなく、あらゆることに心が閉ざされていた状態になっていた。それで、Iに会って話したかったことは、いまこんなに自分は無気力で何もしたくないし、ただ会社と家の行き来だけで、他は何もしたくないという湿った心の状態を取り出して、おひさまにあて干したかったのだ。人の前にさらすといい案配に乾いてまた、心の家に取り込む。ただ、これをしたかった。

 悩みながら過ごしていた、という話をしだした。「何に?」そう次の言葉を引き出してくれる相手が必要だった。何の為に書くのか、そもそも自分は書く事が好きというほどでもないし、自分には関心がないし、今、書きたいと思っている作品の草案は韓国の十二歳天才トロット歌手をモデルとした物語だが、こんなに若くして脚光を浴び有名になって財、地位、名誉を得て、少年の名前の道路「チョンドンウォンキル」という三十キロにわたるサイクリング道路に少年の名前がついてしまった。この先の試練と、傲慢と、エレベーター人生を思うと先行きが心配でならない。そんな思いが押し寄せて、全く作品がまとまろうとしない状況。こんなくどくどしたことは実際には話さなかったけど、自分の心の状態も先が見えないということをただ、表明したかった。

 そういえば、私がイスラームのラマダーンをしているという話をIに前々から話していた。それが終わる間際の五月二十二日(金)この日、私は最悪な一日を過ごしていた。コロナ対策シフトで何と、部署内は苦手な男性上司Hと二人だけだったのだ。同じフロア内で人はぽつんぽつんとは座っている。通常三メートルは席の距離があくように座っているが、その日は、出勤予定の人も休んで、二人だけとなったのだ。私は姑に粗捜しをされいびられている嫁のような気分を味わっていた。息が詰まった。些細なミスの指摘にわざわざ私の座席に近づいてきてネチネチ小言を言ってきた。それはあまりにも陰湿ではないか、私は一瞬、鬱になる前に電話相談をという窓口があったはず、縁がないと思ったが、この機会にその窓口に相談してみてはどうか、とトイレに座りながら思案したりした。絶対にこの人はおかしい、信じられない、こんな対応があり得るだろうか。

 絶望と、湿った気持ち、不運の運気に忍耐し、家に帰ってきた。夜、夫と時間を過ごしながら、夫がいつになく私に対して否定的だった。よもや、まさかの言葉が夫の口から出たときには、目が点になるって、こういうこと?耳を疑った。「アマリニモヒドスギル」と、この言葉は、日中、男上司から言われたこととピタリと同じフレーズだった。えっ、えっ、えっ、何が?なにがそんなにひどいですか?夫がいうには、シャワーを浴びたら、露の時期なのだから黴が発生しないように、T字の器具で水滴を取って換気扇をまわすようにいっているのにしてくれない、というような些細なことだった。もちろん、そう言われてからはその作業はできるだけ忘れないように習慣化した。

「アマリニモヒドスギル」その一言をきいた、その瞬間、私は気づいたのだ。ははーん。私は自分のことを棚に上げて相手に問題があることだけを嘆いていたが、問題は相手ではなく、どうやら自分にあったらしい。原因を作っていたのは、こっちの方だったのだ。夫が言うのだから、夫の言うことは正しい。夫ほど妻の美点を理解してくれる人はおらず、妻ほど夫の美点を理解している者はいない。というリスペクトが互いにあると思い込んでいるこちら側としては、夫の言葉は常に効果的だ。私は考えを全面的に改めた。私が間違っていたのだ。ああ、どうやら、私は人に迷惑をかけていたようだ。ああ、なんてこった。私は真実にあまりにもひどいひとだったのだ、と自覚した。

 自分に嘆いた、あ、あ、あ、あ、あ、なんとなんと、、、。そうしたあとには、相手の男子はもしかすると凄い人かもしれない。自分が正しく判断できなかっただけなのだ。とたん、その人の姿が韓国の弥勒菩薩に似ているような気がしてきた。弥勒菩薩像は日本の広隆寺の像が最も美しいと思い込んでおり、写真も飾っていたほどだが、韓国の弥勒菩薩像はちょっとコケティッシュ。ウルトラマンのような顔、しかし、もしかすると相手は立派な人なんじゃないかと意識が転換すると、相手の顔が輝かしい存在に見えだした。それが五月二十二日の夜から二十三日にかけて起こった私の心の変化だったのである。

 ところで、ラマダーンっていつまで?と夫がきく。たぶん今日までかな。と言って、二十三日の朝の目覚め。ラマダーンあけの祝い「イード」を検索すると、五月二十三日までがラマダーンで、祝いの「イード」は五月二十四日とわかった。二十三日を一日断食しラマダーンがあけたのは二十四日。二十三日、二十四日、二十五日、二十六日までがコロナ対策自粛休暇を含めた四連休を経て、四日ぶりに出勤した。会社内に変化が起きていた。私が休んでいた間に新人が十人ほど増えていて、研修がはじまっていた。隣の部署がフロアの奥の奥に移動していて、新しい新人さんたちの研修の場となっていた。
 私はとたんに先輩のベテラン扱いとなり、新しい人たちのお手本を示す立場になっていた。えっ、四日前には、あれだけ、徹底してのダメ出しだったのに、職場の空気がガラリとチェンジしていた。そして、潰れた私の胸の内も、カラリと晴れ上がっていた。頑なに凝り固まっていた壁が解けたのだ。原因が自身にあったことを自覚できたことから、「申し訳なかった」この一点、この心境に行き着いたことで、仕事ぶりが俄然、進化を遂げたらしい。隅々にわたって、何をどうすればいいか、紐解けて行ったのだ。






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Last updated  2021年01月25日 07時27分50秒
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