1

「おおひら歴史民俗資料館と白石家戸長屋敷」『おおひら歴史民俗資料館』は 栃木県栃木市大平町西山田898ー1。『大中寺』の側にある、資料館なんだ。 大平町周辺の発掘品や、遺跡について展示してんだけんど。 中でも、『下野七廻り鏡塚古墳』から出土した、『舟形木棺』は、圧巻だど。 全長5.5m。幅1.03m。高さ42cm。 一階の部屋を占領するほど、でっかいど。 一見すると、丸太をくりぬいてこさえた船みたいな形さ、してんだ。 ほぼ完全な形で出土したものでな。貴重品なんだ。 資料館の隣には『白石家戸長屋敷』がある。 これは正面の『長屋門』。 あ、ここは入場料さかかるかんな。 見学すっときは、隣の資料館で、入場料さはらっとこれね。 でもな。心配すっほど高くねえど。 隣の資料館とあわせて、200円だかんな。 歴史的建造物の保存料にしちゃ~、安いべ~。 これが『母屋』『戸長屋敷』は江戸時代に大庄屋をつとめていた『白石家』の屋敷を移築したもんなんだ。『母屋の裏側』 表は藁葺き屋根だったんだけど。こっちは板葺きみたい。 こっちの景観も、よいね。 石庭、かな? 整備作業中だったんで、よくみてこなかったんだけど。 みほれっちゃうような石が、みっちりだっぺ。 もう少し近くから、みたかったっぺ~。 奥には『蔵』もあったど。 それから、映画の撮影に使えそうな『奥座敷』。 全部で6棟ほどの建物が再現されてるど。『母屋』では、毎月イベントも行われてるみたいだから、 近くさ行ったら、覗いてみとこれね。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.28
閲覧総数 365
2

「手水舎(てみずしゃ。ちょうずや)」 神社にお参りする前に、まずやることは、手や口を清めることだべな。『神門』を潜って、辺りを見回すと、左手に立派な『手水舎』があった。 みんなと並んで、さっそくお浄めしたど。 ひんやりとした水が、きもちいがったべ~。 これが、二荒山神社の手水舎の水盤。 龍の口んとこから、水が流れて来るようになってんだ。 実は、今回、二荒山神社さ来た理由は、2っつあってな。 1つは初詣なんだけんど、もう一つは、この『水盤』だったんだ。 一見、普通の『水盤』に見えんべな。 うん。作りが特別ってわけじゃあ、ないんだど。 なにが特別なんか、っていうとな。『水盤』を寄進した人が特別なんだ。 横んとこに、名前さ掘ってあんだ。『枝源五郎・天明5年』ってなってんだけど、わかっかな。『枝源五郎』って人はな。 1750年ごろに、宇都宮に存在した侠客で、旅籠屋『松屋』の倅なんだどもな。 仁義に厚く、困っている人を見かけると、放っておけなくなる人だったんだ。 その性格を見込まれて、目明しにもなったんだど。 後に、江戸へ行ったらしいんだどもな。 ここでも、大親分と呼ばれる大人物になったって、言われてるんだ。 いろいろな逸話が、残ってんだどもな。 歴史的な資料は、少なくってな。生没年もはっきりしてないんだよ。 宇都宮に残ってんのは、二荒山神社に寄進した水盤と、慈光寺ある生前墓だけ。 ところが、この『水盤』も、本物じゃあないんだと。 戊辰戦争で焼けちまって、のちに醸造替えされたもんなんだって。 う~ん、残念だべな。 そうそう。『枝源五郎』の逸話で、一番有名な話はな。 慈光寺の入口に、大きな赤い門をこさえたことだっぺ。 これは、書いとかなくっちゃな。 安永4年(1775)宇都宮城下で万人講を作って資金を集め、3年がかりでこさえたんだと。 だども、本物は1945年の第2次世界大戦で焼けちまってな。 今あんのは、復元されたもんなんだ。 『赤門』って呼ばれる門は、真っ赤な大門なんだと。 当時の様子をしっかり残して、作られたみたいでな。 そっちも、いつか見にいきたいべ。 って、ことで。 二荒山神社にある『水盤』は、『枝源五郎』に関する数少ない貴重な証拠なんだってことが、わかってもらえっかな。 もし、二荒山神社さお参りに行く機会があったら、ぜひ、じっくりと、見とこれね。《参考》【送料無料】宇都宮城物語価格:1,575円(税込、送料別) ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.01.08
閲覧総数 305
3

「丸墓山古墳の頂上」 やっと『丸墓山古墳』の頂上さ、ついたど。 ありゃ? なんにもない。 想像してたのと、違うな。 綺麗にならした広場と、周りを囲む林。 あ、生垣みたいのまで、ある。 ここだけみたら、小さな公園と変わんないな。 とても、マンション5階分の高さがあるなんて、思えないべ。 のどかだな~。 おお~っと。 ほげっとしてる場合じゃ、ねがった。 こっから見たい景色さ、あったんだ。 さてさて。どこかな? め~るかな? 東のほうさ、見てみっと。 あ、古墳がめ~る。 さっき登ってきた『稲荷山古墳』だな。 真ん中のくびれ。あんなに角度さ、あったんだ。 はっきりめ~るよ。すげ~。 あ、あっちにも。 あれは『将軍山古墳』だな。 そして手前に『梅塚古墳跡の茂み』も、め~るよ。 足元の崖下を除くと、 おお、『丸墓山古墳の周辺を囲む堀』が、はっきりと解るど。 下でみたときにゃ、 葦みたいな草がいっぱいで、わかりにくかったんだけど。 上からみたら、ばっちし、だね。 だども、ほんとの目的は、これじゃない。 こっちだよ。方向は北西になんのかな。 『丸墓山古墳』はな。 1590年に『石田三成』が、『忍城』を水攻めしたときにな。 陣を敷いた場所だって話が、あんだよ。『丸墓山古墳』の上から、『忍城』さ見たんだって。 ほんとかな~? ほんとにめ~るんかな~? だって、おんなし行田市にあるっつってもな。『忍城』は、市の中心部近くにあんだよ。『丸墓山古墳』は『さきたま古墳群』の中じゃ、 北の端っこにあっから、一番、市の中心部に近いけんど。 かなり離れてんだど。 手元にある地図で確認してみたら、 直線距離で、約4キロメートル、あんど。 ほんとに『石田三成』は、こっから『忍城』さ見たんだべか。 確認してみんべ。 おお~。ラッキ~! 行田市がよくめ~る。 間にゃ大きな建物もめ~ないし、 山や林のような、邪魔になりそうなものも、ないよ。 と、いっても、これじゃ、どれだかわかんないな。 あ、正面の棒みたいなもの。 あれは案内板に乗ってたのと、おんなじだ。 あの辺を探せば、『忍城』あっかな? じ~っと見る。じ~っと見る。 じ~っと・・・ あ、あれかな? あれだ! 写真じゃぼけちゃって、わかりにくいけど。 肉眼でみっと、もっとはっきりめ~るよ。 まわりが四角い建物ば~りだから、 方向さえわかれば、すぐめっかるはず。 へ~。こんな風にめ~るんだ~。 あの辺を中心に、城の曲輪や屋敷などの建物が、 広がってたんだね~。 や~。『忍城』丸見えじゃんっ。 っつうか、『石田三成』は、あそこまで、 一面水浸しに、するつもりだったんだべか? ・・・どんだけ、水貯める気だったの? 規模がでかすぎて、想像できないね。《参考》 埼玉県立 さきたま史跡の博物館 見学のしおり ガイドブック さきたま (将軍山古墳展示館で購入)*********************************************************************** 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村 ************************************************************************
2015.12.20
閲覧総数 133