「きらりの旅日記」

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2022.09.18
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カテゴリ: 話題の人
イギリス新国王「チャールズ3世」・・・とはどんなお方?

次男:ヘンリー チャールズ3世 カミラ王妃

ロンドン「マダムタッソー蝋人形館」2013年撮影時


チャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージ
Charles Philip Arthur George

チャールズ3世


1948年11月14日(73歳)

蠍座の男

イギリスのウィンザー朝第5代国王

およびその他14か国の英連邦王国

および王室属領・海外領土の君主。


最初の妻:ダイアナ・フランセス(1981年〜1996年)




長男:ウィリアム

次男:ヘンリー


1948年 11月14日 、​ バッキンガム宮殿にて、

父:エディンバラ公フィリップ

母:公爵夫人エリザベス王女

第一子(長男)として誕生。

12月5日、 宮殿内で洗礼。

生まれた時の名は、Winsor「ウィンザー」

当時の国王ジョージ6世は、

初孫のチャールズを皇子とする。


1952年 2月6日 、​ 国王ジョージ6世(祖父)崩御。

イギリス女王に即位。

長男:チャールズは、推定相続人として王位継承権1位。

コーンウォール公爵、の称号を得る。


幼少期から国王となるべく父から厳しい教育を受け、

父の母校で中産階級の児童と就学、




1958年
、​
母女王からガーター勲章を授与。


1966年 、​ アストンマーティン工場見学。

同社の車を母王女から誕生日にプレゼントされ、

その後も同社の車を愛用。


1967年 10月 、​ ケンブリッジ大学入学。

入学時にイギリス王室の習慣で、

イギリス海軍とイギリス空軍に入隊。

大学在学2年目、​ ウェールズ大学入学。


1968年 (21歳 )、​ ウェールズ公としての叙任式。


​1970年 、​ イギリス議会上院の貴族院に議席を得る。


1971年 3月以降 、​ 飛行訓練を受け、

ジェット輸送機などの操縦を行う。


イギリス海軍学校でも訓練を経験し、

イギリス海軍の駆逐艦に乗務。


1976年 2月 、​ 掃海艇の艦長となる。

この頃より、国内の貧困問題解決に取り組む。

貧困層の若年者に対する学業の機会や

職業訓練の活動を与えることを目的に

「ザ・プリンス・トラスト」を立ち上げる。


イギリス連邦諸国からの

移民の貧困問題解決に取り組み

さまざまな形で支援を行う。


環境問題の関心を抱き、

自ら所有する別荘の家庭菜園で、

有機農法を実践する。


1979年 8月 、​ 幼少から慕った海軍元帥

ルイス・マウントバッテンがテロで爆破され死亡。

チャールズは、大ショック!!落ち込む日々。


1980年 7月 、​ 悲しむチャールズを慰める人物登場。

近くのカントリーハウスでバーベキューをしていた時に


スペンサー伯爵令嬢:ダイアナ・フランセス が、

「貴方の寂しさは理解できるし、

 貴方には誰かが必要だ」


と慰めたことに心を打たれ、

その後に交際することとなる。


1981年 2月6日 、​ チャールズが、

ウィンザー城でダイアナに求婚した


チャールズは、

「スキー旅行に出てる間、

 どんなに貴女に会いたかったことか」

と述べたうえで・・・


​「私と結婚してほしい」​

と簡潔に求婚したが・・・


ダイアナは、

​冗談だと思って笑っていた​ 大笑い


チャールズは、

真剣な求婚であることを強調し、


「貴女はいつの日か、

 王妃となるのだ」

と述べたという。


ダイアナはこのプロポーズを受け入れた


1981年 7月29日 、​ セント・ポール大聖堂で挙式

ハイド・パークで12000発の花火の打ち上げ

全国民は歓喜し国中がお祭り騒ぎとなる。


結婚式は、全世界にテレビ中継され、

ダイアナのウェディングドレスのデザインは注目され、

純白でなくクリーム色の長いドレスはその後のトレンドに!


新婚旅行は・・・

王室専用ヨット「ブリタニカ号」で、

地中海とエーゲ海のクルージング


その後、夫妻は世界各国を訪問。

日本にも訪問し東京では、

オープンカーに乗り多くの人が集まり歓喜した。


​1982年 、​ (長男)ウィリアム誕生。

​1984年 、​ (次男)ヘンリー誕生。


しかし、幸せそうな時代は突然・・・どん底へ


「1984年に次男ヘンリーが生まれた時点で、

 気持ちの上での2人の関係は終わっていた」


とダイアナの発言。


​1984年〜1986年 、​ チャールズは、

コーンウォール公領のハイグローヴ邸で居住することが増える。


​1987年 、​ ケンジントン宮殿は、チャールズ不在状態。

ダイアナが事実上の女主人になっていたという。


チャールズは・・・婚約以来、

カミラ・パーカー・ボウル との関係を断っていたが、

この頃から、交際を再開。


ダイアナも・・・複数の男性と不倫。


1992年 12月9日 、​ チャールズとダイアナの合意で

​「王太子と同妃が別居生活に入ること」​

が正式に発表される。


ダイアナが暮らすケンジントン宮殿からは、

チャールズの私物や痕跡が消され!


チャールズが暮らすハイグローヴ邸からは、

ダイアナの私物や痕跡が消された!


1993年 12月3日 、​ ダイアナは、

​「王室における公務からの引退」​

を宣言。


1996年 2月28日 、​ チャールズとの会見を終えたダイアナは、

​「離婚の合意に達したこと」​

を発表。

「今後とも実の母親として

 王子2人の教育に関する全てに携わり続け、

 また

 プリンセス・オブ・ウェールズの称号を維持し、

 ケンジントン宮殿にも留まり、

 セント・ジェームス宮殿にある

 執務室も運営し続ける」

旨を主張した。


その後も、

ダイアナとの離婚交渉は4ヶ月にわたって続いてたが、

8月28日、 離婚確定判決をもって、

正式にチャールズとダイアナは「離婚」。


その後、ダイアナは・・・

ハスナット・カーンとドディ・アルファイドとの二股交際。


チャールズ・・・テレビ出演・伝記出版。

ダイアナ・・・反撃に王室批判でマスコミ出演。

ともにイギリス全土を騒がせる王室スキャンダルに!


1997年 8月31日 、​ ダイアナはパリにて交通事故死。

交際相手のアルファイドと同乗していた。

パパラッチに囲まれ逃れるためにスピードを出し過ぎとの

報道であったが、

車に乗る直前のビデオ映像が

生々しくテレビに映し出された。

ダイアナは暗殺されたのか?

この事故に対しても多くの疑問が取り沙汰された。

(・・・つづく)



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最終更新日  2022.09.18 00:10:12
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