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ニューヨークのウオール街で2年間、 相場の世界を体験して一皮むけた健司は、 帰国してすぐ岡野という70歳くらいの 投資家の秘書になった。 時は1980年代前半ということにしておこう。 岡野は最後の相場師と言われる男である。 岡野は、 「もうすぐ今世紀最後の大相場が やってくる。どうだ・・・やってみるか」 と健司に尋ねた。 「はい・・・やらせてください」 「まず、証券会社をどこにするかじゃが・・・」 「大手はダメでしょう・・・会社の都合で動きますから」 「・・そうだな・・・次は担当者だが」 「男性はダメですよね・・・ノルマがありますから」 「そうだな・・・女の子はノルマがあってもたかが知れている」 「はい・・・だからボロ株を掴まされる心配は少ない」 「そこまで分かとるなら、ワシの担当の女の子で 勝負したらどうかな?」 「先生の?・・・」 健司は当時民営化されて初めて売り出される NTTの株を手に入れたかった。 多くの評論家は株価104万円は高すぎると 新聞雑誌等に書き連ねていたが、 岡野の意見は違った。 実力は日立製作所の3倍しかも 流通する株の量が極端に少ない。 だから、1株300万円くらいは行くであろうと予測していた。 健司は岡野の予測に従った。 岡野の担当という女の子は、Hホテルの ロビー横のソファーで待っていた。 か細い普通の女の子で、この子とともに 3年で100倍という大勝負を賭けるのは、 大いに不安な気がした。 「S証券の岡野悦子ともうします」 ハッキリとした言葉使いで挨拶した。 「岡野・・・って先生の・・」 「孫にあたります・・まだ、今年入社したばかりで・・・ウフフフ」 笑顔の可愛い子だなと健司は思った。 「どうしたんです?笑ったりして」 悦子は笑いを堪えるようにして 「でも、おじいちゃんの言ってたとおり、おじいちゃんの 若い頃の写真にソックリですね」 「そうですか?・・・」 健司は最後の相場師として名の知れた岡野が 孫とは言え、どうして、こんな新米を紹介したのか分からなかった。 しかし、そんなことを考えている余裕はなかった。 NTTの株を手に入れるには証券会社が取次ぎをしている 確率が20%と言われていた抽選に当たらなくてはならない。 健司は知り合いという知り合い全てにNTT株の申込書を書いてもらった。 すべての申込書を悦子に手渡し、 運を天に任せた。 「買えましたよ・・良かったですね」 悦子からの電話は勝利の女神は微笑みに思えた。 10日後、健司は首尾良くNTTの株を手に入れたのだ。 岡野の予想通りNTTの株は、 数ヶ月後300万円の高値をつけた。 「もっと上がるかもしれませんね・・・先生」 「いや。買うは安し・・売るは難しじゃ」 「はい・・・売る時が本当の勝負ですね」 健司は悦子に売りの電話を入れた。 予定通り1株298万円で売れた。 それから、健司はその金を元手に 株価の安い大企業株を買っては売り買っては売った。 予定通り利益が出れば、すぐに売る。 大商いとなり買ってから1週間で売った株もあった。 大相場での株は売り買いの回転のスピードが早い者が勝つ。 これも岡野の教えであった。 やがて健司の持ち株は20社を超えた。 もう電話では追いつかない。 健司は悦子のいるS証券の営業所の電光掲示板の 前に開店から閉店まで居座ることになった。 勝負事に女は禁物という格言がある。 女が絡むとどうしても男は見栄っ張りになるからだ。 でも、悦子に限っては格言は外れていると健司は思った。 悦子は健司にとっては勝利の女神だった。 理由は分からないが、面白いほど健司のカンは冴え渡った。 最初の頃は 「順調ですか?」 悦子の言葉はこの一言だけだった。 「おかげさまで」 健司の返す言葉も一言だけだった。 そのうち、気心が知れていろんな話をするようになった。 場が引けてからは、ささやかなデートするようになった。 映画を見たり、 コンサートに行ったり、 レストランで食事をしたり、 そして、バーで健司は夢を語った。 「成功して、ロケットに乗って宇宙に行くんだ」 悦子は 「私も乗せて下さいますか?そのロケット・・」 健司は両手を広げて 「グリーン車に乗せてあげるよ」 不器用なつき合いだった。 健司は、この相場に勝ったら悦子に プロポーズしようと心に決めていた。 そんな矢先の初めての出会いから1年くらい過ぎた ある日のこと、健司はあることに気づいていた。 初めて会った頃の悦子は痩せてはいたが 健康そうだった。しかし、最近の悦子は ヨロヨロと今にも倒れそうな事がある。 本人は「貧血で・・・」と言っていたが、 日に日に様子がおかしくなり、つい先日からは 松葉杖をついて歩くようになっていた。 恐くて本人には聞けない。 健司は、岡野に尋ねた。 「そうか・・・杖をつくようになったのか・・・ もっと早く知らせるつもりだったんじゃが・・・ ・・・あの子の命はあと1年持つか持たないかなんじゃよ」 というと岡野は白くなった眉に手をあてた。 悦子は全身の筋肉の力が衰弱して行く病気だった。 「バカバカしくてやってられない」 そう3年前、傷心でニューヨークに向かった時も、 健司は同じ気持ちだった。 「二度と人なんか愛さない」 あの日、滑走路を離れるとき誓い、 「信じられるのは金だけ」 と相場の世界にどっぷりと浸かった。 でも、やっぱり愛がなくては生きられなかった。 どんなにボロボロに傷つこうとも相場の世界は 数字という亡霊を放ち続ける。 甘い感傷など忘れてしまえと血も涙もない戦いは続いた・・・ 悦子と初めて出会った日から2年過ぎた頃、 健司は目標の金額を手に入れた。10人に1人儲かって いるかいないかと言われる株の世界で 信じられない大金を手に入れたのだ。 そんな健司の勝利を見届けるかのように悦子は、 健司の前から姿を消し女神になった・・・
2003.10.31
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この前の日曜日は、一日中近所の 緑地公園で過ごしました。コンビニで 買ってきた幕の内弁当食べたり 軽く走ったり疲れたら芝生の上で 音楽聞いたりしていました。 「おい、元気か?」 と声がかかったので振りかえると 中学の同級生の桧山君ではありませんか。 桧山君は読書家で有名でした。 聞くところによると彼の10数年間はこうでした。 「名門のS高校に受かって、 有名国立S大の医学部に入って、 一発で医師国家試験に受かって、 大学病院に勤めて、お父さんの残してくれた 土地の上に病院を建てて暮らしているそうです」 まあ、人が羨むような輝かしい人生です。 話していて、あんまり順調なので面白くありませんでした。 ごめん。 夕方頃、 「そろそろ帰ってきたら・・」 と携帯電話が鳴りましたのでトボトボと 帰り道を歩いておりますと 私の横を通り過ぎたミニクーパーが 前方10メートル地点で止まりました。 窓から顔を出したのは、タマ子さんでした。 彼女は今スナックのママをしているのですが、 「最近、店に来ないから心配してたのよ」 「ごらんの通り、健康管理中・・・」 京子さんは黒のジャージ姿の私を見て 「なるほど・・・そりゃそうと、 やっぱり別れてしもた・・・」 「ええ・・また別れたんか」 タマ子は、今まで5回離婚しています。 20歳の長男を先頭に高校生小学生と 子供が3人いるのですが、みんな、お父さんが 違います。でも、3人は不思議なくらい仲良しです。 ドラマチックな人生を歩むタマ子さんは、 お金に困ってサラ金から追いかけられたり 店の家賃を払わないと大家さんから 出ていけ!と言われても平気のへの字の人生です。 この前は、第4代ご主人が包丁を持って 「ヤイ、タマ子は俺の女や・・・」 とスナックになぐり込んできました。 勇敢なタマ子さんは第5代の御主人の前に仁王立ちして 「何言うてんの・・・私の惚れた男に 手を出すんやったら・・私を殺してからにして」 と大きなタンカを切ったのです。 この迫力に押されたのか、第4代御主人は ヨヨと泣き崩れ、バーテンさんが呼んだ警官に 連れて行かれました。 ここまでして獲得した男とアッサリ別れるなんて・・・ こんなタマ子さんは嵐を呼ぶ女かもしれません。 でも、いつもカラッと明るい彼女なのです。 平凡な人生も素晴らしいのですが、 デコボコで波瀾万丈になってしまったら そんなドラマを楽しんでもいいのではないでしょうか。 タマ子さんは 「梅ちゃん・・・かわいい子が入ったんよ・・・ 絶対、気に入ると思うわ・・・だから来週は寄ってな」 とシッカリ、コマーシャルをしながら、 たしか第4代御主人のプレゼントだった ミニクーパー飛ばし出勤して行きました。
2003.10.30
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「どうしよう・・・」 久美は途方に暮れていた。 泣き声は出なくとも、自然に涙が溢れてくる。 病弱な身体を押して父と別れてから10数年間、 中学3年の久美と小学6年生の弟を育ててきた母が とうとう入院してしまった。 久美が頼れるのは担任の安本先生だけである。 点滴を打ちながら眠る母の側で先生は言葉を噛み締めるように言った。 「希望を捨てず、頑張りなさい。 学校には必ず来るんだよ・・・必ずだよ・・・必ずな」 安本先生は社会の先生だ。涙もろくて情熱屋さんで 調子に乗ると教科書なんか放り出して、 ドラマチックな話を聞かせてくれる。 「勉強は面白くないけど、安本のオッサンの話はエエのお」 クラスの突っ張り連中も、安本先生の授業は まじめに聞いている。ガリ勉小僧たちも絶賛。 「安本先生やったら、予備校の先生にも負けないよ」 久美も安本先生が大好きだった。本当は、安本先生に 似ていると言われる××君が好きだったのだが、 フラれてしまったので、今は先生オンリーだ。 安本先生は、久美が学校を休むと必ず帰りに 久美たちの住むアパートに寄ってくれた。 「どうした・・・何かあったのか?」 久美は、学校が終わると隣町のパン工場でバイトしていた。 母子手当だけでは生活していけないからだ。 このバイト先も先生が探してくれた。その上、校則で生徒のバイトを 禁止していたので校長先生にも交渉してくれた。 そんな優しい安本先生にも頑固なところがあった。 久美が 「先生、お茶でも飲んでいって」 と勧めても、 「先生は、ここで失礼する」 と絶対に玄関から中に入ろうとしなかった。 こんなこともあった。 久美が深夜のアルバイトに疲れて何日も続けて学校を休んだので 心配して先生がやって来た。 久美は弟が母の見舞いに病院に行っていなかったので 先生の胸に飛び込んで泣く真似をした 「先生・私・・もう・・学校なんか行きたくないんや」 「バカ言うな・・もう卒業やないか・・・もう少しや」 久美の涙はいつのまにか本当の涙になった 「先生のことが好き・・・先生のお嫁さんにして・・」 「先生は・・・先生なんや・・・だから・・駄目なんや」 安本先生はポロポロ涙を流しながら久美を座らせて帰って行った。 いろいろあった久美の中学生活も終わりが迫っていた。 パン工場には、そのまま正社員として勤めることが決まった。 卒業式も終わり、久美は安本先生に 「いろいろありがとうございました。夜学に通いながら パン工場にお世話になります」 と報告した。安本先生は「そう・・がんばるんだよ」 と言いながらキョロキョロ周りを見回して小声で囁いた 「もう働かなくて良くなるんだよ」 それが先生のプロポーズの言葉だった。
2003.10.29
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朝起きて、いつものようにベッドの上で スーッと背伸びをしてアクビをする。 平凡な一日の始まりである。その朝、 高校1年生の美夏は大変なことに気づいた。 「お母さん、大変大変・・・ちょっと来て」 涙ながらに母を呼んだ。 抜けた髪の毛が数十本いや数百本、枕とベッドの 周辺に肉眼でハッキリ確認できるほど散らばっているのだ。 抜け毛の季節でも、こんなに抜けたことはない。 母が来る前に勇気を出して鏡を見た。 「なんともない・・・」 娘の只ならぬ声に、母はノックも中途半端に 部屋に入って来るなり、美夏の背から声を上げた 「美夏ちゃん、大変・・・」 毛が抜けたのは前頭部ではなくて頭頂部だった。 小さなハゲなら、髪型で隠すことも できるだろうが、てっぺんの煎餅大の河童のお皿のようなハゲは 帽子でもかぶらなくては隠し通せるものではない。 原因はダイエットだった。 このごろ、普段の半分しか食べていない。 夏の水着の季節までに どうしても5キロ痩せたかった。 体重は目標を軽くクリアしたが この頭では、上等のカツラでも あつらえなくてはどうにもならない。 医者は 「生理が止まる人もいます。 急激なダイエットは危険ですよ。 髪の毛のサイクルから考えると 全治には最低半年はかかりますね」 と規則正しい食生活に戻すようにアドバイスを受けた。 そして、オジさんたちが使いそうな発毛促進剤(医薬品) というのを朝晩塗布するよう言われた。 さすがに、その日は学校を休んだが 担任の先生が母くらいの年齢の女性で良かった。 最初、電話で話して放課後に家に来てもらった。 いろいろ相談して頭に包帯を巻いて行くことになった。 ところが、医者は反対した。 長い髪の毛と包帯で頭皮が蒸れて、さらに抜け毛が 激しくなってしまうというのだ。担任の先生は 「しかたないですね。登校時は帽子をかぶって 席は一番後ろにしましょう。クラスの みんなにも勇気を出して話しましょう。 その方がいいわよ。つらいけど・・・隠す方が もっとつらいわよ」 翌日、帽子をかぶって美夏は 担任の先生と一緒に少し遅れて教室に入った。 「どうしたの美夏?」 「おい・・・なんかあったのか」 「まさか・・転校じゃないよな」 「その帽子、どうしたんだ?」 「元気ないなあ」 クラスの皆はいろんなことを言ってくれるが 美夏には聞く余裕はなかった。 ・・・先生は大丈夫って言うけど、 みんなに笑われたらどうしよう・・・ そればっかりを考えていた。 「今日は、皆さんに大切な話があります ・・・・・・美夏さん、話してごらん」 美夏は頷いて 「昨日の朝、起きたら髪の毛がたくさん 抜けていて・・・」 ここから先は涙声になった。 クラスの半分くらいの男子も女子も一緒に泣いてくれた。 先生は、「みんなにも、いつ起こるか分かりません 是非、美夏さんの味方になってあげてください。 先生からもお願いします」 先生も涙声だった。 クラスの皆は気の良い人ばかりだった。 今まで、仲の悪かった人も 一度も話したこともなかった人も 美夏を励ましてくれた。 ある日、背の高い男の子が河童ハゲが見えないように 美夏の後ろを歩いてくれた。そして、 「そのハゲ治るまでの期限つきでも いいから俺と付き合ってくれ。 バカにするやつがいたら、ぶん殴ってやるから」 なんて言ってくれた。 美夏の河童ハゲは、翌年のバレンタインデーの頃には 産毛が生えて、ほとんど目立たなくなった。
2003.10.28
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新入学のシーズンです。 この季節になって思い出すのは、 私が小学校に入学する時のことです。 どこの家庭でも同じでしょうが いろんな道具を揃えるのです。 父と母は私を連れて 大阪心斎橋の大丸百貨店に行きました。 まず、ランドセルを探しました。 売り場には、いろんな種類の ランドセルが置いてありました。 男の子用には黒 女の子用には赤が主流でした。 ごく少数ですが 青や黄も置いてありました。 「みんな黒を買うから、 黄を買おう・・・ 黄は注意やから 交通事故にあわないやろ」 この父の発想に、その時の私は 特に何とも思いませんでした。 入学した小学校は 全校生徒2000名のマンモス校で、 全生徒中、黄色のランドセルは私一人で なるほど交通事故にも合いませんでしたが 何となく辛かったものです。 このランドセルは小学校3年生のとき、 捨ててしまいました。 それから、もっと強烈に印象に残っているのは 父と母は入学式の前日、 私の教科書一つ一つに 石鹸やお菓子の入っていた箱の底を 壊してブックカバーを作ってくれました。 そして、カバーの一つ一つに こくご・・・さんすう・・・りか・・・ などなど科目名を平仮名で 書いてくれました。 子供の頃、貧乏した父と母らしく きれいな教科書が貴重品に思えたのでしょう。 世間知らずで不器用な両親は、ほとんど徹夜で 自家製のブックカバーを作ってくれました。 でも、私にとっては みんなと違う教科書を 持っているようでイヤでした。 というのは、入学1日目には 「ハイ、国語の教科書は・・・」 と先生が言うと クラスの皆んなが一斉に ハーイと教科書を持った手を上げるのです。 その時、皆んなと色が違う・・・ カバーをつけている子は他にも いましたが、みんな透き通っているのです。 透き通ったカバーを持っている子が羨ましく 「なんで、透き通ったカバー付けてくれへんの」 なんて思っていたのでしょう。 親の心、子知らずデスね。 弱冠6歳の子供ですから無理もありません。 いつのまにか、カバーを捨ててしまいました。 今から思えば・・・ですけど、 ランドセルの色が違っても 透き通ったカバーでなくても 捨てなくても良かったんですね。 年老いた両親を見るたびに 黄色のランドセルも お菓子の箱で作ったカバーも 残しておけば良かったと 今、後悔しています。 子供の頃のことは別にしても、 人と違うことは悪いことでない・・・ 個性こそ最大の長所だ・・・ そんなことが分ったのは それから20年後でした。
2003.10.27
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日本ではサッカーを スポーツとして見ているが、たぶん。 海外では、負けて帰ると殺される事もある。 本当の話。 1938年ワールドカップ第3回大会。 当時のイタリアの独裁者ムッソリーニは、 選手にこんな手紙を送ったらしい。 「勝て、さもなくば死あるのみ」 本当に殺しそうな人から来た手紙。 命がけのファイトが実り、 この大会はイタリア優勝で終わった。
2003.10.26
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大学で考古学の研究をしている 教授の手伝いをした時の話です。 一見して、道路工事のアルバイトと 変わらない仕事なのですが 少しずつ土を削りながら遺跡を発掘する時の スリルは、まるでスパイ映画の主人公に なった感もあります。 その日の作業が終わって 教授に居酒屋で飲ませて頂きながら いろんな話を聞かせていただきました。 その中で今も印象に残るのが 「今の人間の文明以前に 別の人間が同じレベルか それ以上の文明を 持っていたかもしれない」 という話です。 以前の文明が滅亡した後に 私たちの文明が築かれたのかも しれないのです。 教科書に載っている歴史を 完全に否定する話なので、 学会で袋叩きに遭うから とても、公表できる話ではないと 教授は言うのですが、 少数ですが同じことを言う教授もいるようです。 というのも、現実に何億年も前の地層から 奈良時代や平安時代レベルのものが発見されることが あるからです。 多くの学者は地震か火山の噴火で地層が崩れたと 気にも留めていないようですが…… この教授が、ポツリと言った言葉が一番印象に 残っています。 「何の証拠もない話だが、 その文明が滅亡したとしたら 戦争だろうな」 私たちは、自分たちが生まれ育った国や世界の歴史を 学べば自分たちの中に流れている血統を理解することができます。 そして、やるべき事や大切なことが分かります。
2003.10.25
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タイムマシーンとは里帰りの事を言うのかもしれない。 亜紀子は、そう思った。 3人兄弟の長女に生まれ、 短大生の妹と高校生の弟がいる。 父も母も元気である。 ごく普通のサラリーマン家庭で生まれ育ち これと言った苦労もなく、 短大を出て1年、職場恋愛でゴールインだった。 そして1年経過、首尾良く第一子が生まれて 産後の2週間をノホホンと実家で過ごした。 何から何まで筋書き通りの人生で 平凡すぎるが、これが幸せと言うものだと 亜紀子はマジマジ感じていた。実家の様子は 結婚まで暮らしていた頃と何も変わっていない。 父は7時30分に家を出るし、 妹も弟も学年は上がったが 1年前も同じように妹は短大生だったし 弟は高校生だった。母も近所のスーパーで パートをしていた。 変わったのは自分だけだ。 この1年に娘から妻になり母になった。 名字も変わった。 住所も変わった。 産後の日立ちも良いようで、天気の良い 日曜日、夫と愛児と3人で我が家に帰ることに なった。夫は優しい良いパパになりそうな男である。 バスで30分も揺られれば、我が家である。 新興住宅街の一戸建てを夫の両親と 亜紀子の両親が半々ずつ負担して 二人の為に誂えてくれた。 バスの30分は立ち続けだとつらいが うまい具合に2人分席が空いた。 バスが動き出すと子供が泣き出した。 「どうしたんだろう」うろたえる夫。 「ミルクよ・・・」と亜紀子が ほ乳瓶でミルクを飲ませると落ち着いた。 新米のパパとママである。 これから、ちょっとしたことで 大心配しなくてはならない。 亜紀子が子供にミルクをやりながら 何気なく前の座席を見ると 居眠りしている男性がいる。 ミツオだ・・・間違いない。 眠っているから良いものの 起きていたら大変だ。 夫と赤ん坊といっしょの所を見られたら・・・ ミツオとは二人で夜の同じ天井を見た仲だった。 ミツオと亜紀子は、合コンで知り合った。 たぶん、ミツオは今年4回生だろう。 頭も良いしハンサムで優しい男。 そんなミツオに亜紀子はゾッコンだった。 ただ、ミツオは超短気だった。 カッと来ると、すぐに手を出す。 亜紀子も何度も殴られた。 何度か警察のお世話になったこともある。 そんなことでもなければ、 ミツオと今でも付き合っていただろう。 でも、偶然とは恐ろしいモノである。 やはり里帰りはタイムマシーンなのか・・・ 亜紀子は、自分たちがバスから降りるまでは ミツオが眠ったままでいることを祈った。 その時、急ブレーキがかかったのだ。 バス全体が大きく揺れた。 ア・・・大変・・起きちゃう・・・ 亜紀子の注意がミツオに集中してしまったからか、 ほ乳瓶が手から滑り落ちた・・・ ゴロゴロ・・・ほ乳瓶が転がる・・・ 子供が泣き出した・・・ 次の瞬間、目の前のミツオがサッと立ち上がり ほ乳瓶を拾って、亜紀子に微笑みながら手渡すと 「可愛い赤ちゃんですね」 とだけ言って、 そのまま次の停留所で降りて行った・・・ 隣の夫を見ると、何も知らずに スヤスヤと可愛い顔で居眠りしている。 ほ乳瓶を含ませると、子供はすぐご機嫌様になった。 亜紀子は、罪のない二人の可愛い子供?を眺めながら そういえばミツオは寝たマネが上手だったと思った。
2003.10.24
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人前で話をするようになって、 もう10年以上になります。 最近は、特に原稿を作らなくても 1時間くらい話せるようになりました。 でも、10年前までは 1分も話すことができませんでした。 メモに書いた通り話すだけでした。 そんな短時間でも、顔は赤面して 汗がダラダラ、スーツの背中まで 汗がにじみ地図ができるほどの アガリ症でした。 そんな私にアドバイスをくれたのは、 父親と同じ年齢の大先輩でした。 大学の交友会で30分間スピーチを 任され悩んでいた私に先輩は こんなアドバイスをくれました。 「いつも使っている言葉で話せ。 アンタの言葉でな。 下手でも原稿見ないで 大きな声でゆっくりと話した方が 気持ちが伝わる」 今まで、どこかのアナウンサーが話すような 言葉を目指して無理して話していた私は 目がさめる思いでした。 「言いたいこと言ってやれ」 開き直りの気持ちで演壇に立ちましたが・・・ それでも、やはり多くの人前に立ったときの 緊張で足が震え、顔を汗がタラタラ 流れるのを感じながらの30分でした。 でも、 「やったら、やれた」のです。 人生30年間で一度もできなかったことが できたのです。長年の劣等感が吹っ飛んだ瞬間でした。 この時の自信は今の私のかけがえのない財産になっています。 たぶん、これは書くことにも通じると 思っています。文才のある方には笑われるかも 知れませんが。私の場合、立派な文章を 書こうと思うと、どうしても書けなくなって しまいます。だから、「毎日、一行でも 書くことが一番」と信じて 下手かも知れないけれど 気持ちだけ込めて素直に書くようにしています。 自分の言葉で。
2003.10.23
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真弓は、名前のとおり女の子である。 しかし、生まれたときから肌は色黒で 剛毛で伸ばしたくても伸ばせず短く刈った髪で 肩幅は広く筋肉質で胸も薄く まるでサルのように眉も濃くつながっている。 スカートをはいていると さすがに女の子に見てもらえるが ズボンで歩けば普通は男の子に間違えられてしまう。 クラブは柔道部でスポーツは万能、 男の子にも負けない自信がある。 高校生になって、普通の女の子なら 「一人旅をしたい」 なんて言ったら親が心配するものだが 「おまえなら大丈夫だろう・・・」 と笑顔で送り出してもらった。 旅先でも、大好物の焼き鳥の臭いにつられて 勇気を出して居酒屋で焼き鳥おかずに夕飯を食べていたら 店の主人が 「食べっぷりがいいなあ・・・スポーツやってるのか?」 「はい、柔道を・・・」 「へえ・・・最近の若い者は背は高いけど弱くてねえ・・・ 女の子ならヤワラちゃんと言いたい所だねえ・・・ 気に入ったよ・・・兄ちゃん・・・ 好きなだけ焼き鳥食べて行きなさい・・・ おごりだよ・・・おごり・・・」 と言われて、焼き鳥食べ放題はうれしいけど 喜んで良いのやら悲しんでいいのやら。 でも、そんな真弓にも彼氏はいるのである。 同級生で新聞部にいるヤツだ。 彼は、真弓と反対で細くて色白で 化粧でもすれば歌舞伎の玉三郎になってしまう。 告白は、これも信じられないが彼からだった。 「君には僕にないものがあるから」 確かに頷ける台詞だった。 付き合いは1年近くになるが 手も意識してつないだ事もないし キスなんて夢の夢だけど テスト勉強は秀才の彼といっしょでバッチリだし 弁当は毎日いっしょに校庭の隅の芝生で食べるし、 真弓の柔道の試合には新聞部の取材を兼ねてだけど 必ず彼は応援に来てくれる。 なんだかんだと言っても真弓は幸せ者だ。 ところで、 クラスのみんなは、こんな二人のことを 「なんちゃってカップル」と呼ぶ。
2003.10.22
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「歴史は繰り返す」 未来とは過去であって、 形の違いはあるが、 人間のやることや やろうとしていることは、 すべて過去に やり尽くされている。 「歴史を振り返ることが、 予言につながる」という評論家もいる。 だとしたら、 結果が分かっていることを、 やろうとしているのだろうか。 人間の歴史は、文明を生み出しては、 破壊するという繰り返しだった。 「いかなる生物も、いずれは消滅する運命にある」 そんなことを言う科学者もいる。 と言うことは、今の私たちの生活も いずれ、崩壊する運命にあるのだろうか。 そんなことはないと思う。 歴史は繰り返すのではなく、 私たち人間が、繰り返しているんだ。 過去の文明は、 正しい答えを出していないから、 また、同じ問題に挑戦しているのだ。 人間は、地球上の生物の中で 最高の知恵を持っている。 どんな大きな壁でも、挑戦する意欲がある限り いつかは乗り越えられるという最高の知恵だ。 この知恵がある限り、未来は変えられる可能性がある。 可能性を生かすか殺すかは、すべて一人一人の人間が 今をどう生きるかにかかっている。 本人が意識するとしないに関係なく、 私たちは、この世界を支えている一人なのだから。
2003.10.21
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山間の寂れた温泉町の診療所は朝も夜もない。 しかもヨロズヤである。いつ急患がやってくるかも しれないし、専門は内科でも麓の町まで持たない患者 ならば外科手術もしなくてはならない。 都会の病院を辞めてこの村に来て6年になる 田神和重はそんな僻地医療に命をかけていた。 「和重さん、急患よ」 と声を掛けてきたのは妻のコーリンである・・・ 田神は、この村に来る前は都心から1時間ほど 電車に揺られた所にある人口30万人ほどの 総合病院の勤務医だった。ある日、風邪を こじらせた肺炎で担ぎ込まれた若い女性の患者がいた。 かなりの高熱で、生死の間をさ迷っていた。 健康保険証も持っていないらしく名前も分からない。 チャイナドレスを着ていて、受け付けた看護婦が 「レジャーランドのチャイナクラブの人ですよ」 と言っていたので、おそらく中国人なのだろう。 病院の近くには、温水プールやサウナ、大浴場 スポーツクラブ、ホテルを揃えた総合レジャーランド があった。そのレジャーランドの施設に 中国人の若い女の子が酒の相手をしてくれる チャイナクラブがあった。あまり評判の良くないクラブだ。 1週間くらい過ぎた頃だろうか、 なんとか命を取り留めベッドで点滴を打つ彼女を回診した。 看護婦の話では、名前はコーリンと言うそうだ。 田神は始めて声をかけた 「もう、1週間もすれば、退院だな・・・」 「アリガトウ・・タスカリマシタ」 「日本には働きに来てるの?」 「チガイマス・・ニホンゴ、ベンキョウニ」 「え・・・でも、お酒の相手してるんだろ?」 「ハイ・・」 その後、退院まで何回かコーリンと話をするうちに 彼女は中国で日本語学校に通っている最中に アルバイトしながら日本留学できると 聞いて日本に来たということが分かった。 「それにしても、あのクラブは・・・」 そう、そのクラブは売春組織とも繋がって いる噂もあった。コーリンは、そんなことも 知るはずのない純粋な女の子だった。 「オサケ・・・ワタシ・・キライデス・・ ヨッパライモ・・キライデス」 どうやら、コーリンは騙されているようだった。 順調に回復したコーリンは退院して行った。 田神は担当の看護婦と彼女を見送ったが 1度だけ振り返った弱弱しい仕草が気になって 仕方がなかった。 その日、田神は宿直だったが急用ができたと 別の医師に代わってもらい、チャイナクラブを 覗いた。思ったより明るい店内の中央にはチャン ゼリアが輝き、そして大きな座りごこちの良さそうな ソファーが背を向け合っていた。 黒服が出てきた。 見たことのある顔だ。 たしか、この町のチンピラだ。一度大怪我を して担ぎ込まれてきた時、応急処置をしたことがある。 「いらっしゃいませ・ああ・先生・・」 「ひさしぶりだな・・どうだ加減は?」 「おかげで・・どうなさいます・・指名されますか?」 「コーリンっているか?」 「コーリン?・・・新しい子でしょう・・・お目が高い」 田神がソファに座って待っていると コーリンがやってきた。氷の入ったクリスタルを 不慣れ手つきで、目線も伏目がちだ。 田神が「コーリン・・・俺だ・・オレ」 と言うとコーリンは田神に気づいたようで 「ア・・センセイ」 と泣きそうな顔になった。 コーリンは田神に寄り添うように座り、 周りの様子を伺いながら小声で切々と訴えた 「センセイ・・ワタシ・・ヤッパリ・・・ダマサレタ・・ バイシュン・・イヤデス」 「そうか・・」 田神は、さっきの黒服を呼んだ。 「コーリンはいくらだ・・・」 「先生、5万なら一晩でも、ヘッヘッヘ」 「身請けだよ・・」 「えええ・・・身請け・・あいつ先週来たばっかりですよ ・・・1年くらいのお古なら300くらいですか ・・・あいつは1000は・・・」 「1000だな・・・とりあえず、今日は借りて行く」 田神は1万円札を数枚、黒服に渡すとコーリンを連れて 店を出た。どうして、俺はこんなマネするんだろう・・・ 田神は自分で自分が分からなかった。 ホテルにコーリンを連れてチェックインした田神は 「まあ、ゆっくりしてろ」 「ハイ」 それまで、黙って着いてきたコーリンは 見知らぬ国の男たちに弄ばれ消えて行く 自分の運命を悟ったのだろうか・・・ 窓から見える夜空を見上げていた。 「センセイ、ワタシ・・モウ・・イイデス・・ ・・ドウセ・・ボロボロ・・・シヌカラ」 田神は、もう一度「ゆっくりしてろ」と言うと 電話をかけていた。 「先輩・・・田神です。夜分、どうも、すみません この前の件ですが、はい、お引き受けします。 それで、支度金は800万でしたね・・ いえいえ・・・借金もありますんで・・ はい、よろしくお願いします」 その頃、田神は無医村に赴任することを迷っていた。 僻地医療に命を・・・なんてロマンを持って 医者にはなったが、いざ、話を持ってこられると 都会の独身貴族生活も捨てがたかった。 でも、コーリンとの出会いが田神の情熱を 呼び起こしたようだった・・・ 「中国に帰りなさい」 田神は何度か自分の気持ちに嘘をついて コーリンに言ったが彼女は首を振るだけだった。 緑の山々に囲まれた診療所生活も いつしか6年の歳月が流れていた。 今では先生の奥さんと呼ばれるコーリンと 「近いうちに中国に行くつもりです」 と言う田神の笑顔が眩しかった。
2003.10.20
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「そうか・・・わかった」 ・・・あなた、叱らないでね・・それでなくても あの子ガッカリしてるんだから・・・ 「男だしな・・・ガンと一発やってやるよ」 ・・・知りませんからね・・・・ 「おまえは落伍者をかばうつもりか・・・」 恵介はガチャンと妻からの電話を叩きつけるように切った。 どうやら高校生の息子は浪人が決まったらしい。 ベテラン弁護士の恵介は、挫折を知らない男だ。 東大を一発で合格し、司法試験も在学中に合格し 弁護士になった。20代で大手企業10数社の 顧問を受け持ったのは、彼の優秀さの証(あかし)だろう。 妻は先輩の娘だった。 息子恵一は幸い順調に育ち、間違いなく現役で 東大に合格し自分と同じ道を歩いてくれると確信していた。 だから、合格発表日の今朝も 「朗報を待ってるぞ」 と、いつものように恵一に激を飛ばして出てきた・・・ キャーキャーワーワー キャンパスは悲喜こもごも入り混じっていた。 恵一は、ショックだった。 模試では、全て合格可能性90%以上と 判定されていた。 しかし、本番では恵一の受験番号はなかった。 何度見てもなかった。 合格に喜ぶ連中の歓声が耳に轟いた。 冷静に冷静に・・・ 恵一は自分に言い聞かせた。 東大一本だったから、 予備校の手続きをして帰ろう。 とりあえず家に電話をかけた 「ごめん・・・お母さん・・・駄目だった お父さんになんて言おう・・・ 事務所にかけたら、駄目かなあ・・・ また怒るだろうなあ・・本当にごめん・・」 いつの間に涙声になっていた・・・ 恵介は新米の弁護士が手を焼いている 麻薬所持で捕まった女子高校生の 弁護を頼まれていた。 麻薬所持は重罪である。 「たまたま好きな彼がやくざで いつの間にか麻薬を打つようになって」 「反省はしてるね」 「うん・・・でも」 「でも・・何なんだ?」 「また・・・ここを出たら・・同じ事するかも」 「どうして?」 「どうしてって・・・・・」 その先は言わなくても分かった・・・ 若い女の子が、この手の犯罪にのめり込む パターンと言っても良い事件だった。 ”女は銀行員よりヤクザに惚れる” このパターンと恵介は決めてかかっていた。 しかし、恵介が女子高生の父親をともなって 面会に訪れた時に意外な展開が待っていた。 その父は、娘の顔を見るなり土下座をし 「おまえは、運が悪かっただけだ。 お父さんが、おまえの気持ち考えてやらなかったからだ ・・・申し訳ない」 うめくように言うと涙をポロポロ流して そのまま地べたに額を摩り付けた。 聞けば、その父は恵介と学部は違うが 東大出のエリートで 大手銀行の次期頭取と噂されている人物だった・・・ 代々木の駅を出ると大きな看板があった。 まさか・・・と思ったビルの中で 恵一は、予備校の入学手続きを済ませて受付を出た。 そこで、偶然クラスメートの美香と出会った。 「ええ?・・・恵一君・・・絶対合格すると思ってた・・」 「しくじっちゃった・・・」 「私も・・・」 「また、同じ学校に通えるね」 「うん」 たった、これだけの会話だったが 恵一のショックは吹っ飛んだ。 美香は恵一にとって一番のガールフレンドだった。 また1年続く戦いも彼女と一緒なら乗り越えられる。 そんな気がした。 ただ、父の恵介をどうするか・・・ いつもの調子で 出て行け!と怒鳴られるかな・・・ 恵一が玄関に入ると、父恵介の靴が先に戻っていた 靴もバカモンと怒ってるぞ、恵一はそんな気がした。 母が出迎えた。 「お父さん・・・帰ってきてから・・ ブスッと黙って、ビール飲んでるわ」 「うん?・・」 恵一は、頭に指を二本立てて父を鬼にたとえた。 母は「たぶん・・・」と小声で言った。 恵一が前に座ると 恵介は恵一をチラッと見た。 そして、 「まあ、飲め・・」 とコップを差し出した。 恵一は様子が少し変と思いながら ビールをゴクリと飲み込んだ。 ニガイ。 「はじめてか・・・?」 「いや・・・4回目か5回目かな・・・ でも、お父さんと飲むのは初めてだよ。 一応・・未成年だし・・それより・・」 あああ・・と恵介は「もう分ってる」と手で合図した。 「聞いた聞いた・・・お母さんから聞いた」 と言うと、 例の女子高生のこと。 その父のこと。 その父が、自分と同じ東大出と話を続けた。 「お父さんは、照れ屋だから土下座はできないぞ・・・ おまえも運が悪かっただけだ・・・ 気にするな・・・ 俺は父親としては半人前だな・・・ おまえに恐い顔してプレッシャーかけて・・・」 恵介はヨレヨレになるまで飲んだ。 かなり酔いが回っているのだろう何を言ってるのか 恵一には分らないままゴロリと転がりそのまま寝てしまった。 ただ、 「これから、1週間に一度・・・飲みに行こう」 と言った父恵介の気持ちがうれしかった。
2003.10.19
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お兄ちゃんは最近眠れない。 というのも、一番下の妹早智子は もうすぐ30歳というのに嫁に行かない。 両親が亡くなってから 親代わりに二人の妹と二人の弟の面倒を見てきた。 両親の病気でお兄ちゃんは自分が高校しか行けなったので、 下の4人は、何と言おうと大学に行かせた。 苦しいのに 「授業料は俺が何としても払うから・・・」 親がいないから学歴がないとは言われたくなかった。 お父さんのやっていた鉄鋼所を コンピュータの部品を扱う会社に立てなおし頑張ってきた。 そのお兄ちゃんも40過ぎて、先日夜間大学に入学した。 夜間大学の帰りに お兄ちゃんは早智子と居酒屋で待ち合わせた。 珍しく早智子の方から 「時間を作って・・・」 と言ってきたのだ。 早智子は東京のお嬢さん大学を出て 高校で国語の教師をやっている。 お兄ちゃんから見ても、とても29歳には 見えない早智子は決して美人ではないが 小柄で可愛いところがあって、 高校の同僚の男性教師からも 何度か縁談の話があったが全部断っていた・・・ お兄ちゃんが大学の英語の教科書を ペラペラめくりながら、ビールを飲んでいると 早智子がやってきた。どうやら連れがいるらしい・・・ 男だ・・・でもどう見ても20歳そこそこにしか見えない・・・ 「よお、早智子・・・誰だ・・その人」 早智子は、その男とお兄ちゃんの向かいに座った。 「この人・・・団野君て言うの・・・私の教え子なんだけど・・ 彼氏になっちゃった・・・でもね・・・お兄ちゃん 彼とは彼が卒業してからよ・・・学生の時は・・ 何とも・・・」 早智子は小さな体をさらに小さくして 申し訳なさそうに言った。 お兄ちゃんは、早智子が子供の頃に近所の 窓ガラスを割った時も同じ顔で小さくなって いたことを思い出した。 「まあ、飲めよ・・・君も飲むんだろう? どこに勤めてるの?」 「ガソリンスタンドっす・・・ 学生時代は、遊んでばかりっすけど 今は真面目にやってっす」 この青年は敬語を使い慣れないようだ。 「そう・・・で・・早智子? まだ・・・あるんだろう?」 お兄ちゃんは、お見通しだった。 早智子は、また小さくなった。 「ごめん・・・3ヶ月」 お兄ちゃんは膝を叩いた 「分かった・・・いくつ年下だ?」 早智子は、これ以上小さくなれない。 「8歳・・・いや9歳」 「そうか、兄ちゃんの嫁さんも9歳年下だ・・・ 仲良くやれ・・・あとのことは うちの嫁さんも交えてな・・」 二人は腹いっぱい食べて帰って行った。 特に早智子は、いつもの倍くらい モリモリ食べた。 居酒屋を出たお兄ちゃんは 携帯電話で嫁さんに大声で、 「おーい、早智子が嫁に行くぞ・・・」 「9歳年下・・・そんな人と・・」 「もう・・・いいじゃないか・・あいつも大人だ」 「あんたが、そう言うなら・・・」 「そう言うことだ・・・ すまん、今日はもう1軒行くから・・」 ヨロヨロのお兄ちゃんは そうか・・・そうか・・・ 早智子が・・・そうか・・ そうか・・・早智子が・・そうか・・・ 「そうか」と「早智子が」ばっかり呟きながら 二軒目へと向かった。
2003.10.18
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彼女が高倉を訪ねてきたのは彼が札幌市内に カウンセラーの診察室を開いて間もない頃だった。 心理カウンセラーの仕事は、患者以上に 患者のことを理解しなくてはできない仕事である。 季節で言えば、変わり目だった。北国の長い長い冬が 終わり、ちょうど短い春と夏の境目だった。 「先生、ご相談に乗っていただけますか?」 さほど心配事もないようなアッケラカンと した明るい笑顔の中年女性だった。彼女は 見た目が高校1年生くらいの男の子を あたかもペットのように連れていた。 親離れして当然の年齢なのに しっかりと母の傍らに寄り添っている不思議な 感じのする男の子だった。彼女は しばらく考えるふうをして、笑顔を無理矢理浮かべるように 「先生、ご相談ですけど・・・・・あ・・・」 なかなか話そうとしないのは通例である 優しい笑顔で高倉は対応した 「落ち着いて・・・」 彼女は吹き出しそうな笑いを堪えるように 「実は、お恥ずかしい話なんですが 私の息子の事なんですの?」 「はい・・」 「この子、若く見えますけれど 23歳になります。もちろん 恋人もいます。・・いえ、いました。・・・この子は 戸籍上は、もちろん男なんですが 相手の恋人も男の方で・・・ まあ、よく言う・・・この子はニューハーフですの」 「それで・・・」 「はい、この子の元恋人は奥さんがいる方で ・・・いろいろありまして・・・ 泣く泣くこの子別れることになりまして・・・ 慰謝料を分割で振り込んで頂いていたですが・・・ 急に振り込みがストップしましたので 先月、先方と話をしましたの」 「なるほど・・・」 「先方が言いますのには この子は、手術をしていますので 裸になれば完全に女ですの・・・ それで、女だと思って付き合って いたのにニューハーフなら 慰謝料払う必要ないだろう・・・ と言うのです」 高倉は、これは弁護士の所に 行く話だと思ったが、特殊な話だし 困ってあげく来たのだろう・・・ 知り合いの弁護士に事情を話すと もう一度裁判をやることになった。 それから、数ヶ月後、彼女は 上機嫌で、美人を連れてやってきた。 この美人が、いつかの男の子である。 どうみても女・・・女らし過ぎるほどの女と 高倉は思った。これなら、どこかの 誰かさんも血迷うのも無理はない。 彼女はどうやら裁判の結果を伝えに来たらしく、 小さな雪だるまの形をしたアイスクリームの詰め合わせ を手土産に持ってきた。 「ありがとう・・・ございます この子も、立派に女と認めて頂きました」 判決は男性側が知らないで交際していたとしても ニューハーフは女性と考えて問題なく 別れるまでの精神的苦痛に今回の プライドを傷つけられた苦痛が加わり 慰謝料は二倍近くにハネ上がったそうである。
2003.10.17
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子供ってのはかわいいものである。 そんなことは美津子だって分かっていた。 しかし、自分の腹を痛めた子の かわいさは美津子にとって想像を 遥かに超えるものであった。 美津子は女子大当時付き合っていた 一つ年下の医大生の彼と 結婚して1年後子供を産んだ。 「あなた、変わったわね」 人から言われるようになった。 「私のどこが変わった?」 「お母さんになったって感じね」 久しぶりに会った短大の同級生が言っていた。 ある日、 大学病院勤務をしている夫の愛人という女から電話があった。 「ご主人言ってたわよ。 いつでも、女房と別れるから 俺と結婚してくれって 会うたびに言われるから、 今日電話したの。 私、あの人と結婚するつもりないですから」 どうやらスナックの女らしい。 こんな電話があれば 子供ができる前なら 頭に血が上って 気が狂うところだが 「そうですか。主人のことをよろしくお願いします」 冷静に対処した。 こんなことで豊かな暮らしは捨てられない。 結婚前、父から言われた 「男ってヤツは子供だよ」 たしかに一つ年下の夫は、 もう一人の子供のようだった。 そう美津子は夫にとって妻よりも母なのだ。 「あなた、今日、あなたに結婚せがまれた 女性から電話がありましたわ」 「ええ・・・」 うろたえる夫。 「ご安心ください。これくらいで 離婚だと取り乱したりしませんので」 と一本釘をさしてやった。 そんな面の皮の厚くなった 美津子にも試練が訪れた。 かわいい息子が 明日から幼稚園に行くのである。 もう、あの紅葉のような手に 数時間ふれることはできないのだ。 まさか、子離れしていない 近所の奥様たちのように 幼稚園の門に連なる金網にすがり 我が子の姿を目で追う・・・なんて 美津子のプライドが許さないのである。 そう思うと急に寂しくなり、 抱え上げてダッコして チュウーをしたくなった。 しめしめ・・・我が息子は 目の前でおもちゃのミキサー車で遊んでいる。 どれどれ・・・と ミキサー車ごと抱え上げようと 踏ん張った瞬間、 腰部に激痛が走った。 「ゲー」 はしたない声を上げてしまった。 「ママ、どうしたの」 我が子の可愛い声も空しく 美津子は思わず四つん這いになり 涙もチョチョ切れてヨヨと崩れ落ちた。 無念。 美津子は誠に無念だった。 翌朝、入園式に向かう 我が愛する息子と やさしいパパを演じる夫を 玄関にて見送る・・・ 腰部にコルセットをはめ 冬を迎えたキリギリスのような 美津子は哀れなだけで プライドのカケラもなかった。
2003.10.16
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足の骨にヒビが入っていることが 分りサポーターで固めて歩いています。 歩くスピードは普通の人の3分の1以下でしょう。 朝のラッシュ、ビルの谷間を歩いていると どんどん追い抜かれて行きます。 人の目も気になります。 ショーウインドウに映る肩を揺すりながら、歩く自分の姿。 普段は誰よりも早足で歩く自分が こうなるなんて・・・ こうなってみて、やっと分かる気持ちがあります・・・ 彼は元気だろうか。 彼とはS君のことです。 S君とは小学校4年生の時、同じクラスでした。 S君は何でも一生懸命でした。 生まれてすぐに病気をしたそうで 足が不自由で太っていた彼は走れば、いつもビリでした。 それでもS君は足を引きずりながら シャツを汗びっしょりにしながら追いかけてきました。 妙に気の合った私とS君は、彼の家の近くのテニスコートで キャッチボールをしたり、サッカーをしたりして 毎日のように遊びました。足は遅いけれど、 S君はサッカーだけは上手かったのを 覚えています。今から思えば、 生まれてすぐから小学校3年生まで、 お父さんの仕事の都合で 南米で暮らしていたのだから当然です。 ある日、学校の帰りでした。 同じクラスのいじめっ子がS君を 「ブーちゃん、ブーちゃん・・・」 とイジめているのを見かけました。 後から来て少し離れたところで見ていた私は どうしてでしょう?・・・ボーっとしてたのでしょうか? S君をかばうわけでもなく、 そのまま、家に帰ったことを覚えています。 たぶん、どうしても見たいテレビ番組が あったのでしょう・・・ 情けない話ですが、家に帰ってから、 S君が目に一杯涙をためて帰って行ったのを 鮮明に思い出したのです。 自分を意気地なしと思う気持ちと S君に申し訳ない気持ちが溢れてきたのです。 父にも母にもおばあちゃんにも その話をすると皆同じ意見でした。 「どうして助けてやらなかったの・・・」 「一緒に逃げてもよかったのに・・・」 「S君は、一番良い友達と思うよ・・・」 いつもケンカなら誰にも負けないと 言ってるくせに大切な友達も助けられないなんて。 キャッチボールしたり サッカーしたり、 誕生会にも呼んでもらったのに・・・ その後、どう言うわけかS君と遊ぶことは なくなってしまいました。 たぶん、当時の私は 「僕はS君に嫌われた」 とかってに思いこんでいたのでしょう。 5年生になるとすぐ、S君は信州へ引っ越して行きました。 たしか優秀な彼は付属小学校に行ったと思います。 私の心に後悔の二文字は刻まれたまま・・・ それから、1ヶ月くらい過ぎたある日、 どういうわけか、S君から手紙が来たのです。 「君を最高の親友と思っています・・・ これからは文通とか電話で仲良くやりませんか?」 そんな内容の文章でした。 当時の私は 助けられたような・・・ 重い重い心のわだかまりが取れたような気持ちでした。 S君との文通は中学になってからも続きました。 高校になってからはお互いにクラブ活動で忙しくて いつのまにか疎遠になったけど、 きっと、彼のことだから優秀になって また私の前に現れる気がして仕方ないのです。
2003.10.15
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先日の町内会のことです。「学校給食を考える会」なる会合に 数人出席してほしいと役所から連絡があったそうです。 みんな、ああだ・・・こうだ・・・、と言って行きたくないようなので くじ引きで決めることになりました。 幸か不幸かに当たってしまい、私が参加することになりました。 「ご苦労様です」と市役所の受付を通り立派な会議室に通され いくつかの町から来た人でしょう30人くらいの男女が すでにスクール形式で整然と座っていました。 全体的に年配の方が多く、平日の午前中ということもあり、 30才代は私の他二人くらいの様子でした。 「一体、何をさせられるのか?」と身構えておりますと 係りの方の説明によりますと 「給食を食べてアンケートを書くだけ」 とのことホッと肩をなでおろし 久々の給食の到着を待ちました。 まだ全員集まらないらしく、手持ち無沙汰でしたので 隣りに座った去年定年退職したという 60歳くらいの紳士と世間話をしておりました。 「いやあ、小学校6年生からですから かれこれ20数年ぶりです・・」 紳士は 「わしは、50年ぶりですわ」 とにもかくにも懐かしく思いながら頂きました。 出てきたのはパン1個と牛乳、ミニハンバーグ そして、フィッシュバーガー ううん?そしてそしてコールスローサラダ、フルーツ。 最近の給食は豪華になったものです。 まず、パンのおいしいこと・・・ ただのコッペパンですが、 私の頃と小麦の質が違います。 モゴモゴした食べにくい食感はなくイースト菌臭さもなく、 市販されているパンと何ら遜色ありません。 フィッシュバーガー、学校はマクドナルドか! 安心しました。小さなコッペパンに白身の魚のフライが 入ったものでした。そして、驚いたのは コールスローサラダ (たまねぎキャベツにんじんを小さく刻んだ冷たいサラダ)。 「こんなハイカラなものは私の時代にはなかったです。 ジャガイモと切りハムのサラダばっかりですよ」 そんな感じで結構満足して食べておりますと 市の教育なんとかという肩書きの方が前に立ちまして 「学校給食が始まって50年になるそうで 市によっては財政難や好みの多様化で給食を廃止する という意見も出てきています。 現在、廃止派と存続派が議論しているところで 皆さんにも食べていただいてアンケートで ご意見を伺いたいのです」 私の隣りの紳士はシミジミ話していました。 「50年前、給食が始まった時は マカロニとサラダだけだったんです。 主食のごはんは持ち込み、 その持ち込みの分も、ほとんどの生徒が 持って来れなかったそうです。 それでも当時は大変なごちそうでした」 私から見ても、大変豪華になった給食も 生徒と保護者の半数が不満を漏らしているそうです。 こんなこと言ったら、 古臭いのバカじゃないのって 言われそうですが、 世界では飢え死にする人が 今でも毎日何万人もいます。 ”おいしい”とか”まずい”とか 財政がどうとか。 いろいろ言うけれど クラスの皆で同じものを 一緒に「いただきます」と言って食べることができる国、 そして、そんな国に住んでいる私たちは、 なんて幸せなんでしょう。 いろいろ問題あるのは分かったけれど 私個人としては、 何とか給食は続けて欲しい・・・ とアンケートのその他の意見欄に書いてきました。 時代の流れかもしれませんが、 少し考えさせられました。
2003.10.14
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小学校6年生の夏休みに 初めて東京に行った。 大阪から東京まで 新幹線3時間10分の 初めての一人旅はドキドキだった。 東京には友達がいた。 幼なじみのトオルだ。 父親の転勤で東京に行った悪友だ。 東京駅に着いて東急インというホテルに一泊して 荷物を置いてトオルと待ち合わせをした。 トオルは日暮里の学習塾で夏季講習を 受けるらしく、待ち合わせ時間は午後2時になった。 上野の街を行く宛てもなく うろうろしていると ガード下で 「君、自衛官にならないか」 とグレーの制服を着たオジサンに 呼びとめられた。 しばらく話を聞いていると 私が小学校6年生と分って 「なんだ・・・小学生ならだめだ。 中学卒業したら・・・ぜひ、たずねて来い」 と名刺を渡された。 変な人に声をかけられたくないので 人通りの多い駅前を歩いていたら 若い兄ちゃんに声をかけられた 「君、アンケート協力してよ」 アンケートくらいなら・・・ と思った私が答えていると その兄ちゃんは 突然やってきた婦人警官2人に 「キャッチセールスは禁止」 と言われ引きずられるように 交番に連れて行かれた。 どうやら悪い人のようやな・・・ と理解した私は 山手線に乗って 夏休みの読書感想文の課題図書だった 「ジョン万次郎漂流記」を 読むことにした。 冷房も効いているし 環状線なので乗り越しても、 また1周回って戻ってくるから安心だった。 ユラユラとした 電車の振動が心地よく 前日深夜までテレビを見ていた睡眠不足も重なってか いつのまにか眠っていた。 たしか3周回ったが、 目を覚ますのは どういうわけかお茶の水だった。 待ち合わせ場所は上野のビッグボックス? と言うところだった。 その中のゲームセンターで遊んでいると時間を 忘れて夢中になってしまった。 気がついたら10時前だった。 慌ててホテルに帰ると オヤジから電話が入っていた。 「どこに行っていたんだ、 すぐに帰って来い」 9時には帰って勉強している約束だった。 罰として 5泊の予定が2泊3日に されてしまった。 帰ることになった翌日、 トオルは夏季講習をサボって 新幹線改札口まで 見送りに来てくれた。 もう少し遊びたかったが 小学生の身である。 オヤジに怒鳴られれば 帰るしかない。 「久しぶりに会ったのに 残念やね」 トオルも私も目に涙を溜めていた。 「しばしの別れよ さらば友よ」 とトオルはカッコつけやがった。 トオルに背中を押されるようにして 私は新幹線に飛び乗った。 そのあと、どんな感じで 帰ったかは思い出せない。 ただ、最近上野の街を歩いても あのガード下も あのゲームセンターも あの新幹線の改札口も みんな無くなっていた。 ちなみに そのトオルは 3年後に大阪に戻ってきて 同じ高校に通うことになる。
2003.10.13
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「大変だあ・・・」 台湾から日本にバナナを運搬する為に港を出たばかりの T-ONE号の船内は大騒ぎになっていた。 何でもアメリカに向かうはずの学生の晋さんが、 間違って乗りこんだ挙句、 どういうわけかバナナ貯蔵庫に閉じ込められた と言うのだ。 しかも、バナナの貯蔵庫はバナナの腐敗防止のため 窒素充填されていて、人間は30分もすれば 窒息死するのだ。その上、運の悪いことに 貯蔵庫はタイマーでセットされていて 台湾の港を出てから日本の港に到着する明日まで 開かないようになっている。 船長の目は血走っていた 「だれか・・・タイマーを解除できないか」 「誰も分りませんよ・・・バナナ運ぶだけの船だもの・・・ ・・・みんな機械オンチばっかりで・・・・ 会社に電話すれば・・・ヘリコプターで来てくれるかも・・ 30分で来れるかどうか」 「とにかく呼んでくれ・・・」 貯蔵庫の中は、オレンジ色の明かりが灯っていた。 ドンドン・・・ 「オーイ・・オーイ・・・開けてくれ・・」 晋さんは、必死で鉄の扉を叩いた。 「苦しい・・・空気が薄い・・・少しずつ意識が薄らいできた」 バタン・・・ 力尽きたのかバナナの山の中に晋さんは倒れた。 「母さん・・・俺このまま死ぬのかな・・」 その時、 「オイ」 と声がした。 「どこにいるんだ。誰だ?」 「おまえこそ誰だ」 なんと晋さんの頭上のバナナだ。 「うそだろ・・・」 「バナナがしゃべって何が悪い」 「俺も終わりだな・・・」 「何しに俺たちの部屋に入ってきた」 「トイレと間違えたんだよ それと、乗る船も」 「この舟は日本に行く・・・ 日本人はバナナが好きだからな でも・・昔ほど、俺たちの立場は 良くない・・・俺たちは 台湾バナナと言って、 バナナの王様だった。 いや、果物の王様だった。 小ぶりだが、程よい品格ある甘さが 日本人に受けた。 病院に見舞いに行くときは 必ずいっちょ噛んだものだ。 バナナ全体の地位が低下したこともあるが いろんな果物が進出してきたからな。 キウイは、まだ許せるが ナタデココって何だ? あれが出てから、 俺たちの立場は全くなくなった・・・ ところで、おまえはアメリカに 何をしに行くんだ?」 「金持ちになりに・・・ 成功する為に・・・ 母さんを呼んで・・・ 豪邸に住んで・・・ でも、夢だった」 「諦めるんじゃない。 袖すり会うのも他生の縁だ。 できるだけのことは しようじゃないか。 バナナを見くびっては駄目だ。 特に台湾バナナをな。 間違いかもしれんが 日本行きの船に乗ったんだ。 行く以上、何か目的を持たないと もうすぐ死ぬぞ」 「そうだ・・・日本には 姉さんがいる・・」 「そうか・・・何処にいる」 「横浜の中華街・・・と手紙に 書いてあった・・・」 「ちょうどいい・・ この舟は横浜に行く」 「でも、くるしいよ・・・」 「元気出せ・・・ 俺を食べるんだ・・ バナナは、すぐにエネルギーに 変わる・・・マラソンの35キロ地点には 最近、バナナジュースが置いてあるのを 知ってるか?酸欠状態には 消化吸収抜群のバナナが一番だ・・ 特に台湾バナナはな・・・ 俺を食べるんだ・・・」 「いいのか?・・・」 「袖すり会うのも他生の縁と 言ったろう・・・ ひと思いにやってくれ・・・」 バナナは目に涙を一杯浮かべて言った。 「すまん・・・」 晋さんは、バナナの皮をむき パクつき気を失った。 30分後、バナナ貯蔵庫の扉は開かれた。 船員たちが中に倒れていた晋さんを 担ぎ出した。 「しっかりしろ・・・大丈夫か・・・」 船長が晋さんの身体を揺する。 晋さんは、気がついたようで 「はい、バナナさんのおかげで・・・」 船長と船員たちは 「苦しかったんだろうなあ・・・かわいそうに」 と顔を見合わせた。
2003.10.12
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テレビの対談を聞いていると 素晴らしいゲストなのに 何となく面白くない事があります。 これは、ちょっとした一言が足らないから起きるのです。 テレビ画面に映し出される数秒間に アシスタントが話す「ふーん」とか「そうですね」のような そんな一瞬の言葉で番組が良くなったり 悪くなったりするものです。 いい番組には良いアシスタントが必ずいるのはそのためです。 この手の言葉の特徴は、長い時間考えて決まったセリフをではなく、 その一瞬のひらめきから、生み出されるのです。 私たちの日常生活でも、 ちょっとした一言が大切です。 言葉も野菜と同じで 新鮮が一番です。 ひらめいた時に 使い道を 考えないと 鮮度が落ちてくるのです。 そして、なるべく早く使うことです。 あの時、 言っておけばって、 後で悔やむことありますね。 その一言がなかった為に 大切な人を 失うことってありますね。 ひらめいた小さな言葉は、 その時使うために生まれてきた言葉です。
2003.10.11
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私は寝付き寝起きとも悪いですので 子供の頃から、いろいろと工夫しました。 特に夜は眠れませんでした。 羊が一匹・二匹・三匹・・・ と数えていると、だんだん眠くなると いうが、これは本当でしょうか? 初めて試したのは、 たしか小学校6年生くらいの頃でした。 たしか100匹くらいまでは 覚えているのですが、それ以降の記憶が ないということは・・・ たぶん、そこで寝てしまったのでしょう。 何日か、羊で寝てみましたが、 だんだん飽きてくるのです。 「もっと、おもしろいのはないのかなあ・・・」 と考え出して、他のパターンを試し始めました。 そこで気づいた最大の問題は、 百とか二百になった場合のことです。 羊ならば噛まれ殺される心配はありませんし、 子供の頃の童話などで羊飼いの少年が羊を遊ばせておいて 気持ちよさそうに草の上に眠っている 光景を聞かされていますから、何となく眠りやすいのでしょう。 たとえば、猫なら、どうでしょうか? 試してみました・・・ その日は、たまたま寝付きが悪かったのでしょう・・・眠れなくて 「3百匹も猫がいたらニャーニャーと うるさくて眠れそうにないなあ・・・」 と思い、安全策の羊にすると50匹台で眠れました。 犬も考えました。 しかし、犬は、百匹とかになれば、 噛まれそうで恐ろしいのです。 たった一人で百匹ほどの野良猫に 遭遇したときの恐ろしさを想像して いただきたいのです。また、秋田犬にするか スピッツにするかシェパードにするか ブルドッグにするか、いろいろパターンを 想像しましたが 「これは、パス」 としてその日はまたしても安全策の羊にしました。 その他、馬は蹴られそうですし ライオンやトラは恐いですので、 思いきってパターンを変えて海の生物の 鯨とかイルカを考えてみました。 これは水泳の得意な方には、おすすめしたいですね。 ですが、私の場合、小学校時代はカナヅチでしたので、 苦手な水泳の時間を思い出しそうで 数日でやめてしまいましたが良く眠れました。 特にイルカは今でも水族館に行った日には世話になっております。 その他では、昆虫も考えましたが気色悪いと、 試さずにすぐにあきらめました。 そうそう、花も良いように思えますが、 私は上手く行きません。 たしかに好みの花を頭に浮かべると よく眠れそうなのですが。私は野に咲く白ユリが 好みなのですが、今は、やめています というのも、ある女性を思い出してしまい 興奮して逆効果になり朝まで目がパッチリとして 「ああでもない・・・こうでもない」 なんて考えてしまうのです。 たぶん、恋愛短編小説なら10本は書けてしまうでしょう。 翌朝、通勤電車に揺られ定時に 仕事に行く我が身としてはパスしたいものです。 では、歴史上の人物を想像しては? これは私の場合、その人と話込んでしまうから たちが悪いのです。先日は、坂本竜馬と 高校生のミニスカートについて 激論となり夜を明かしてしまいました。 それでは、動物をやめて机やイス、本なども考えましたが、 あまり良い夢を見れそうもなのでやめています。 現在、もっぱらやっているのは、 好きな漢字を頭に浮かべながら眠るパターンです。 これは連想ゲームのようなもので、 たとえば、 「夢」なら、子供の頃からの夢を 順番に思い出して行くという感じで 頭の中でミニ映画会を開催して楽しんでいます。 ここまでくれば不眠マニアと呼ばれそうですね。 まあ、いろいろ試して来て思うのですが、 やはり羊が一番簡単で安全に眠れるようです。
2003.10.10
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健一の持ち時間は8時から9時の1時間だった。 バーの客がほろ酔い気分になる頃である。 6年間、定休日の日曜日を除いて毎日 バイオリンを奏でている。時々であるが健一の バイオリンを見て驚く客がいる。 健一のバイオリンは時価数千万と言われる 日本では数台しかない名器である。 祖父からの莫大な遺産を引き継いだ母は、 健一がバイオリン奏者として 世界に羽ばたく日を夢見ていた。 しかし、それは母の夢で健一の夢ではなかった。 高2の春、健一は駆け落ちした。 そして、この見知らぬ街の寂れたバーでの バーテン兼バイオリン奏者の日々が始まった。 バイオリン漬けの日々から逃げ出したはずの 健一の飯の種がバイオリンだったのである。 何度もバイオリンをヘシ折って捨ててやろうと 思ったか知れない・・・でも、捨てられなかった。 だから、荒れた。 殴る蹴るの暴行に一緒に駆け落ちした女も 「意気地なし」 と叫び1ヶ月で逃げ帰ってしまった。 それから酒酒・・・酒浸りのチンピラ暮らしが続いている・・・ 「健一、そろそろ実家に帰ったらどうだ?」 「いや、もう・・いいんです」 「いいって、もう6年だぞ。 お母さんも心配してるだろう・・」 「はい、でも・・・」 「どうしたもんだろうねえ」 人情家のマスターは心配している。 健一は3年くらい前から月に一度、 市民オーケストラの演奏会を聴きに行っている。 昼間は時間を持て余すことが多い。 金もある方ではない。 ナンパをするほどサバけた性格でもない。 結局行くところは音楽の世界だった。 「いつも来ておられますね」 声をかけて来たのは紀子の方からだった。 3年後には目が見えなくなるという彼女の運命を知ったのは、 初めての出会いから半年くらいたった頃だった。 初めて健一が紀子に会ったとき、彼女の目は おぼろげながら見えていた。健一の顔も確認できた。 「私がもうすぐ見えなくなるから優しいのですか? 同情なら勘弁してください」 良家の令嬢の紀子は悲しい運命のことなど 鼻にもかけていない強気で通していた。 「俺が治せるわけないし」 そう思っても自然と健一の足は紀子の居る方向へ向いた。 1年前から紀子はほとんど見えなくなり 光を感じる程度まで視力も落ち込んでいた。 「健一さんと私は違うはね・・・ 私はバイオリンを捨てられない・・・ バイオリンは私の光なのよ」 「え・・・光」 「そう、私のバイオリンが奏でる時、 その瞬間だけ・・みんなと同じものが見えるの。 そう、私が放つバイオリンの音色という光を みんなが見てくれるの」 そう話した彼女の指が何気なく健一の手に触れた。 健一は手に微かなしびれを感じた。 数日過ぎても、紀子の指の感触が手に残っていた。 カウンターの中でボトルやグラスを触っても バイオリンをひく時も 手にはジーンとした感触が残っていた。 健一の中で何かが変わろうとしていた。 嫌いだったバイオリン。 人生を狂わしたバイオリン。 そのバイオリンを自分の光という人がいる。 「マスター、俺、もう一度 バイオリンの勉強しようと思ってるんです」 「6年も遊んでたのにか」 「だからこそ、やりたいんです」 健一は再起を誓った。 何度やめようと決心しても やめられなかった酒にも 不思議と目が行かなくなった。 この街へ来て6年・・・ やっと探していたものを見つけた。 夜の星や月の光よりも 太陽の光よりも もっと明るい光を見つけたような気がした。 そして、何よりも健一はそんな光を教えてくれた人の光になりたいと思った。
2003.10.09
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酒で失敗したと言う話は 以前お話しましたが、これは酒で うまく行った話です。 ぶどう酒の赤を初めて飲んだのは 少し遅く?高校2年生の時でした。 「酒やビールはあかんけど ワインならええぞ」 と父に言われ、寝る前に コップに3分の1くらい飲んでいました。 たぶん、学校で何かあった日でしょう 失恋かもしれません。自棄酒ならぬ 自棄ワインで丸々1本を一人で飲んでしまいました。 翌日、さすがに体調がおかしく病院に行きました。 私は子供の頃から野口という医師のお世話になって おりました。当日、診察していただいたのは 野口先生の息子さんで、名医と謳われたお父さんとは 正反対で大酒飲みと噂されている方でした。 (誤解の内容に言っておきますが、かの有名な野口英世博士 とは全く無関係です。) 先生の前に座った時、気づいたのですが、 よく見ると私の両腕に赤い小さな斑点ができています。 「先生、これ、風疹かな?」 と私が言うと野口先生は酒の臭いをプンプンさせながら 「最近、流行しとるからな。 よし診断書書いてやるから・・・」 と話のわかる野口二世です。 おかげで私は1週間学校を休んで 毎日映画を見に行くことができました。 風疹なら高熱にうなされる筈ですが 全く平熱で赤い斑点も翌日には ほとんど目立たなくなりました。 しかも、休みだけど休みにならない 公休扱いで。そうです。ご存知の方も 多いかと存じますが、風疹は感染症ですので公休なのです。 それから3ヶ月後、私は困っておりました。 もうすぐ期末テストなのですが、クラブの 試合が近づいていましたので、練習をしなくては なりません。試験で疲れては困ります。 体力を温存し試験休みを迎えたかったのです。 当時、私は野球部と陸上部の 両方に所属しながら、バンドをやっていましたので 超忙しかったのです。 何とか良い方法は?と思案しました。 そこで、浮かんだ作戦が”ワインレッド作戦” この作戦名は今つけたのですが・・・・・ 思い出して見てもこの作戦は大変なギャンブルでした。 まず、テストの前日に赤ワインを一本飲み干します。 これは、気合でできます。 しかし、私の身体にワインへの免疫ができていたら没です。 ヤッター!私には運がありました。 翌日、私の腕には赤い斑点が3ヶ月前より少ないけれど できていました。そして、野口医院へ行って 野口二世に診察してもらわなくてなりません。 野口一世では、未成年の二日酔いと たちどころに見破られてしまいます。 彼はそれほどの眼力の持ち主でした。 そして、3ヶ月前に私が風疹になっていたことを 忘れてもらわなくてはなりません。野口二世なら 忘れているはずなのです。風疹は免疫ができるから 3ヶ月後にかかるはずがないからです。 私には、またまた運がありました。 医院では、酒臭い!!おぼっちゃま先生がおられました。 私は先生の前に座るとまるで誘導尋問のように 「先生、赤い斑点ができてますね・・・風疹かなあ」 と白々しく言いました。 先生は催眠術にかかったように 「風疹やな・・・診断書書いておこう」 大成功!私は見事公休を勝ち取りました。期末テストは 後半だけ受けました。休んだテストは 中間テストの平均点でオーケーでした。 ちなみにワインレッド作戦は、あと1回成功して その後はワインに免疫ができた為、作戦不可能になりました。
2003.10.08
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「平和を運んでくれる神様がいたら・・・」 「どんな争いも仲裁できる超能力があったら・・・」 どんなにすばらしいだろうと 思うことがあります。 世界のどこかで 傷つき、飢えて死んでいく人々の話を聞くたびに 「神様なんて本当はいないんだろうな」 とガッカリします。 でも、耳をすませば、 「そうじゃないんだ 気がつかないだけなんだ」 そんな声が聞こえてきます。 気のせいでしょうか。 報道カメラマンのS君が 黒海とカスピ海の間にある グルジアという国に 取材に出かけたときの話です。 内線の続く国内を 走り回っていると バンバンという銃声を 聞かない日はないそうです。 至る所に、死体が放置されていて 目をおおう場面に何度も 出会いました。 「もう、疲れた・・・」 彼は、同行した通訳に 泣き言を言い始めました。 「人間は、バカだよな」 投げやりにもなりました。 もう発狂しそうになり 「アー」と大声をあげたくなりました。 そんなとき、 悲鳴でもない、威勢のよい声が聞こえてきたのです。 吸い込まれるようにして 彼らは、その建物の中に入っていきました。 なんと、市場です。 闇市でしょうか。 「にいちゃん、この魚どうだい?」 明らかに肌の色も違う 異民族の彼らに何の抵抗もなく セールストークを連発するのです。 「今朝、とれたところだよ。 活きがいいよ」 それにしても、肉に野菜、魚 何でもある・・・ この1週間世話になった、公営市場には 缶詰しかなかったのに・・・・・ この市場では、どこの誰であろうと 商品を買いに来た一人の人間なのです。 宗教の違い?、肌の色の違い?、 言葉の違い?、民族の違い? そして、いまわしい過去も この市場では関係ありません。 「おっと、あんた ドルだね。うれしいね。 このハムも持っていきな。 毎度あり」 あっちこっちで平和を呼ぶ声が響きわたりました。
2003.10.07
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売れっ子音楽家Tは、新幹線個室で待っていた 私「久しぶりやなあ・・・」 T「久しぶり、君と会ったのは そうそう東梅田のスナックで どんちゃん騒ぎやってからだろ」 私「すると・・・15年ぶり」 T「そうなるな・・それにしても 君は変わってないなあ」 私「おまえは変わった。たいそうな活躍だな。 この前、たまたま買った週刊誌に君のこと載ってたよ デビュー前の若い女の子に1500万円キャッシュで ポンと出して、ベンツ買ってやったって」 T「おいおい、おまえまで そんなバカな噂信じてないやろうなあ」 私「事実は、どうなんだ?」 T「どうもこうもないよ。 そんなことできるわけないよ。 スタッフだけで30人いるんだ。 華やかに見えても、30人とその家族食わせるのは結構大変だぞ。 まあ、芸能界は、そんな浮き世の垢を見せてはいけない所でもあるんだが」 私「夢を売る世界だからな。 ところで、曲作りも締め切りあるの? 小説家とかみたいに」 T「あるある・・できないときは、 海外逃亡も考える(笑)それとか 関東大震災でも起きて、レコード会社だけ 大被害とか・・・本気で考える」 私「でも、結局できるんだろ?」 T「うん、今の所は」 私「たとえば、年末売れてた曲は、どんな状態でつくったの?」 T「できない、できない、って100回くらい スタッフの前で叫んで、涙がでそうなくらい絶望的になって ふーっと息吐いたら、天から降ってきた。 売れる曲って、そんな感じ、うんうん唸って考えて作った曲より パッと浮かんだ曲だね・・才能ですねってスタッフに言われた」 「ふーん、そうなんだ・・・君の言う才能あるヤツって、 どんなヤツ?」 「そうだな・・・自分のこと才能あるって思ってるヤツも 才能あるんだろうけど。結構、掘り出し物というか化けるヤツは、 自分のこと才能ないと思ってる人の中にいると思う。 俺も、そうだしな。年から年中、限界説を唱えている」 私「なるほど、どこか弱味がある方がいいのかもな」 T「まあな」 どんなに才能がある人も、 人が人である限り心を揺らすものかもしれない。。。
2003.10.06
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田村は、貿易会社を経営して10年になる。 おかげ様で、こんな不況の中でも東南アジア 向けの輸出が好調で、上機嫌だ。 そんな田村のところへ美容師をやっている という23才の公夫が、話を聞いてほしいとやってきた。 公夫は、田村の妻の弟にあたる。 公夫「兄さん、僕、会社の社長になりたいんです 貿易の仕事、教えてください」 田村「一流の美容師になるんじゃなっかったの?」 公夫「はい、そう思ってました」 田村「桃栗3年って話したの憶えてるかな」 公夫「はい」 田村「まだ、2年だろ」 公夫「はい。でも、見込みのない仕事を 続けても仕方ないので」 田村「それでも3年やってみなさい。きっと、あとで役に立つから」 公夫「全国に美容師って30万もいるそうなんです。 実際に美容室を利用する人は3000万にくらいだから 単純に数えると1人の美容師に100人の客です。でも、有名な 美容室の美容師は1日に10人相手にする人も いるんです。そしたら、平均して1ヶ月に1回来店する として、僕たちのような新米には1日に1人の客も 来ない日もある勘定になるんです」 田村「数学の先生みたいだなあ。 だったら、公夫君も人気美容師になればいい。 カリスマ美容師っているじゃないか」 公夫「カリスマ美容師になっても、美容師定年説って 知ってます?あの、たとえば、30才の美容師は 20才から40才の客を相手するんです。 40才になれば、30才から50才を相手に するんです。つまり、年齢プラスマイナス 10才までが、美容師の許容範囲なんです。 とすると、普通の女性は50才を過ぎると ほとんど美容院に来なくなりますから、 40才すぎた美容師は、だんだん客がいなく なるんです。実質40才すぎたら、自分で 美容室の経営するか。他の仕事に代わる人が 多いんです。美容室に来るお客さんは、 セットやパーマに来るというより、 お話しに来るんです。セットの腕なんか差はないですから。 カリスマ美容師って言われる人は 女性をいい気分にさせる話術にたけてるんです。 そんな人でも10才以上の年齢差は埋めるのは難しいですよ」 田村「公夫君は、評論家だね」 公夫「・・・・・・・・」 田村「そんなことは、私が貿易やってても同じだよ。 40才すぎたら、体力は落ちる。 記憶力だって、新しい製品を憶えるのは、 だんだん難しくなってくる。同じだよ。 そこを工夫して、経験でカバーして やってるんだ」 公夫「昨日、イヤなことあったんです。 僕の彼女が店に来てくれたんです。 うれしくって、うれしくって、 何とか彼女をキレイにしてやろうと張り切って どんなヘアスタイルにするの? って聞いたら、携帯電話するのに 似合うヘアスタイルって言うんです」 田村は、手を叩いて笑った 「なぞなぞだな・・ハッハッハハ・・・で、どうしたの」 公夫「僕、分からないですから、どうするんの? って聞いたんです。そしたら、彼女 怒っちゃって・・・自分で考えるのが 美容師じゃないのって言うんです。 で、僕は、テレビのカリスマ美容師でないから 短くするとか長くするとか言ってくれないと 分からないんだって言いました」 田村「で、彼女納得したの?」 公夫「口を閉じて眉毛つり上げて、 納得しませんから・・・・・ 困ったんで、うちで一番指名の多い先輩に 代わってもらったんです」 田村「先輩は、うまくやったんだろ?」 公夫「そうなんです。先輩は髪をブラッシングしながら どっちの耳で携帯するの?って聞いて 彼女が右ですって言うと、 じゃ、髪の毛で携帯が隠れるようにしようか、 そうすると、携帯切った後で、髪をかき上げる からセクシーにも見えるし・・・なんて言いながら あれよあれよと言う間に、彼女を夢心地に しちゃったんです。悔しくて悔しくて・・・」 公夫は、泣きそうな顔になった。 事の次第を見取った田村は、 「そのうち、公夫君にもできるようになるから・・」 と、励すしかなかった。
2003.10.05
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もう、かなり昔のことでございます。 事の発端は昭和の初め頃と思って頂ければ 大きくはずれることはありません。 平成の今でこそ、野球はプロ野球となっておりますが 昭和の初め頃は、プロ野球よりも 人気のある野球があったのでございます。 今の東京六大学野球、中でもK大とW大の 3連戦は、国を挙げて二分するような、それはもう 大そうな盛り上がりだったのございます。 リンゴ事件は、こんな喧噪の中で起こった事件で ありますが、その事件の影で二人の男と 一人の女の心と心の葛藤があったとすれば 血で血を洗う乱闘事件もしばしのロマンに 浸ることもできましょう。 当時のK大のスター水田3塁手は、のちにプロ野球でも 大変なスター選手になる男ですから、野球通の方は 「ああ・・・あいつの事だな」 と、すぐに目に浮かぶ事でしょう。 その水田が恋を致しました。 相手は神田神保町の三栄堂という本屋に奉公に来ていた 多津と言う娘でございます。 多津は、たしか16歳で元々は信州の須坂という町の出の まだ幼さの残るほっぺの赤い女の子でございました。 実は、多津のことを気にかけていた男が、もう一人おりました。 W大の鈴木という男でございます。 彼は、戦後有名なアナウンサーになります。 息子さんは、かつての二枚目俳優のTさんとも聞きます。 この鈴木も水田も、毎日のように多津に一目会うために 三栄堂に通っておりました。 立ち読みしながら大の男二人が、店の掃除や本の整理に 走り回る小娘をチラチラのぞき見る姿は、微笑ましいものであります。 鈴木は、当時からマスコミを目指していたようで、新聞部に 所属しておりましたから、水田を三栄堂で見かけた時は すぐに分かったようで 「おお、K大の水田三塁手ではないか。君のような体育会系と こんな所で会おうとはなあ」 「そう言う君は?」 「W大新聞部の鈴木だ。覚えておいて損はないぞ」 「新聞記者の卵か・・・」 と言う、当たり障りのない会話が交わされたのでありますが 何度となく、顔を合わせるうちに、お互いのライバル 関係に自然と気づいたのでしょう。このような会話が交わされた ございます 「今度のWK戦で、W大が勝てば、俺が身を引こう」 と水田が言えば 「しからば、S大が勝てば、俺が身を引こう」 と鈴木が言う。そのような展開になったのでありますが、 そんな二人の会話を影から見ていた多津が憤慨致しました。 「この私の気持ちを無視して、お二人で、勝手なお約束。 私の相手は、私が決めます。野球の試合などと関係なく」 そう呟いた多津、かねてより心に決めていた水田の下宿に 押し掛け女房として住み込み始めたのあります。 このような噂は、矢のように広まのは今も昔も同じであります。 もちろん、鈴木の耳にも入ります。 「おのれ、水田の卑怯者め」 事情を知らぬ怒り心頭の鈴木は、もう原稿を書く気にもなりません。 悶々として、眠る気にもなりません。 酒浸りで眠れぬ夜を明かした鈴木の気持ちなど知らぬと、 宿命のWK対決の火ぶたは切って落とされました。 さあて、恋の覇者には勝利の女神も味方するのでありましょうか。 試合の展開は、4番水田の3ランホームランで K大リードのまま9回の裏、W大最後の攻撃もすでに2アウト。 その時です。 3塁を守る水田めがけて、 「おい、水田・・・これでも食らえ」 と何を思ったのか鈴木がリンゴを投げたのです。 水田は、「水田、危ない」という誰かの声での振り向きざま 何とかリンゴを受け止めるやいなや、すばやく鈴木めがけて リンゴを投げ返しました。 信じられないスピードで飛んでくるリンゴに 鈴木は、何とか身をかわしました。 勢い余ったリンゴは、コンクリートの角に 当たり、砕け散りました。 その破片は、ただでさえ敗色濃厚で虫の居所の 悪いW大応援団数人に当たったのであります。 さあ、ただでは済みません 「投げたのは、誰だ」 「水田だ」 3塁側スタンドからW大男子学生がグランドに飛び降ります。 それを見た1塁側のK大男子学生も 「おい、水田が危ないぞ」 と次から次へと飛び降ります。 どちらの誰が先に殴り懸かったのか、分かりません。 無数の学生が入り乱れての大乱闘。 警官隊出動の事件となりました。 これが世に言うリンゴ事件でございます。 数年後、第二次世界大戦勃発。 ダッダッダッダッダ・・・ 雨の神宮外苑を行進する出征兵士の中に、 プロ野球の大スターとなった水田二等兵がいました。 これも、国策だったのでございましょう。 戦況悪化の折り、”水田、お国の為に闘う”の号外ビラは 全国津々浦々に至るまで、バラまかれました。 それを見送るもんぺ姿の婦人たちの中に 水田の妻となり二人の男の子の母となった多津もいました。 そして、報道席でラジオマイクに向かうズブ濡れの国民服姿鈴木。 国民放送報道部にいた彼の目に、広告塔となり戦地に赴く水田 と涙を堪え幼い二人の子の手を引く多津はどのように映ったかは、 平和な今となっては絵空事なのでありましょうか。
2003.10.04
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社長として一番大事な仕事雇うのは誰でもできます。その会社に向かない社員を辞めさせることができますか?別の道を探した方が自分のためだと悟らせることができますか?
2003.10.03
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ピカソの絵の展覧会があったので 行ってきました。ピカソは若い頃は普通の絵を描いていたようですが だんだん絵がゆがんだり、ひっくり返ったりするように なってきました。ピカソには、モデルがそう見えるそうです。 ピカソが描いたのは心でした。 心の奥に潜む複雑な心理を絵にしようとしたのです。 いくら表面でカッコつけても、心の奥はガタガタな人は多いです。 心の顔は気持ちしだいで美しくできるのです。 どんなに傷ついても。 見た目の容貌は、どんなに美しくとも時と共に飽きられて いずれ枯れて死んでしまいます。しかし、心の顔は永遠に飽きられることなく 年をとっても永遠に美しくできるのです。 その人の過去にどんなに辛いことがあってもです。 心を美しくする力を意志の力という。 「志」という字は、「こころざし」と読みます。 何の為に生きるのか、それが分かれば、心はいくらでも美しくできます。 それが本当の自分の姿であることが分かって来ます。 そして、「こころざし」を支える最大の力が愛の力であることも分かってきます。 だから、最後に愛は勝ちます。
2003.10.02
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関ヶ原の戦い以前から、徳川家に仕えた武士 たちで大名になれない者たちは、旗本と呼ば れて江戸城の近くで屋敷を持つことを許され、 少禄ながらも、今で言う固定給をもらって まずまずの生活を送っていた。そんな代々旗本の 太田弥之助は、お城から勘定方の仕事も頂き 恋女房のおゆきと幸せに暮らしていた。 しかしながら、弥之助のような長男ならともかく、 次男三男などに生まれた者たちは、 運良く養子縁組の話などあればよいが、 多くの者はとくに仕事をするでなく、 悶々とした日々を送っていた。 五郎太は、名前のとおり旗本家の5男で、 とくにお城での仕事もなく暇を持て余していた。 五郎太は、かねてより、おゆきに惚れていた上、 これと言った仕事のない自分の身の上からか、 弥之助を快く思っていなかった。 「弥之助の奥方は、昔、俺の女だったんだ」 そんな根も葉もないことを酒の肴に 暇を持て余している不良旗本たちに言いふらしていた。 悪い噂は、すぐに広まる。 弥之助が、その噂を知ったときには城内で 知らぬ者がいないほどであった。 「なんだと・・・」 弥之助は烈火のごとく怒り狂った。 冷静に考えれば分かることではあるが、 プライドの為なら、切腹もする武士の世界である。 弥之助は有無を言わさず、おゆきを離縁した。 さて、当時の武家の娘は離縁されれば、 命を絶つか尼にでもなるしかない。 おゆきは、命を絶とうとも考えたが 年を老いた両親に 「親より先に死ぬことほどの親不孝は あるまいて・・・何とか生き延びてはくれないか」 と泣かれ近江の国の大津にあった寺にこもった。 尼になって、自分の非を改めようとも思ったのであった。 「精一杯夫に仕えたつもりだが、 こうなったのも何か私に落ち度があったのでは」 とも考えたのである。そうとも考えねば、女一人 生きていけない時代だったのである。 数年経って、見る影もなく落ちぶれた弥之助が おゆきの居る寺にやってきた。 「わしが、悪かった。戻ってくれないか」 おゆきは 「私は、今では仏に仕える身・・・」 と、涙をこらえて断った。 弥之助は諦めて帰って行った。が、 おゆきにとっては、それからが地獄の苦しみだった。 迎えに来てくれてうれしい。 また、以前のように弥之助と暮らしたい。 そんな気持ちを隠して忍び泣いていた。 それを感づいた寺の主である和尚が 「気持ちを偽って御仏がお喜びになると 思うのか。馬鹿もの・・・」 とおゆきを叱った。おゆきは 「と申されましても、あの人は帰ってしまいました。 もう、遅いのでございます・・・」 と泣き崩れた。 その時である。 寺の小坊主たちがガヤガヤ騒ぎ始めた。 「何事じゃ」 和尚が叱ると、一番年長の小坊主がやってきた 「はい、うす汚い侍が、どうしても尼様にお会いしたいと・・・」 うす汚い侍とは弥之助だった。 一旦は江戸に戻ろうとした弥之助だったが、 おゆき恋しさに、途中から引き返して来たのだった。
2003.10.01
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