顕正会 『叱狗論』

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2007年01月04日
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顕正会員の時に数珠に関しては、∞(無限大)の形となるから、すごい力があると教わりました(笑)


しかし、開眼供養をしていない数珠は無限大ではなく、無間(無間地獄)では、ないでしょうか。


では、御宗門では、どうかと言いますと、結構深い意味があるんですよ。


1.念珠について

 数珠とは、私達、末法の衆生を仏法僧の三宝に引き合わせ、修行を成し遂げる大切な法具であります。数珠はそのまま妙法の五字、妙法を信ずる者の一身、仏を表しております。

 数珠の左右の大きな珠は「親珠」と申しまして、左を「父珠」右を「母珠」と申します。またこの二つの珠は、境と智、妙と法を表しております。

 百八の珠は人間の百八の煩悩を表し、その中の小さな四箇の珠は上行・無辺行・浄行・安立行の四大菩薩の徳(常・楽・我・浄)を表し、煩悩の中にこの四大菩薩があることで煩悩即菩提を表します。

左右の房の長きことは、一閻浮提広宣流布して、この妙法を一天四海へなびかす意であります。



 数珠の掛け方は、左手中指に房二本の方を掛け、中央で交差するよう、内側にひねって、右手中指に房三本の方を掛けます。

 古来、「数珠は仏の如くせよ」と示されております。大切にいつも身に付けておくことが肝要であります。決して畳の上に置いたりしてはいけません。又、もむことも避けた方がよろしいでしょう。

 数珠は必ず開眼供養をしてから使用すべきであります。開眼供養の際は必ずお寺にご持参ください。

引用(1)『戒法門』

「態(わざ)と妄語(もうご)をさせて世の中を損じさし、人をも悪道に堕さん料(りょう)に、天狗外道平形の念珠を作り出だして、一遍の念仏に十の珠数(たま)を超(くり)たり。乃至一万遍をば十万遍と申す。是れ念珠の薄く平き故也。是も只(ただ)申すにあらず。

念珠を超(くる)に平念珠を禁(いまし)めたる事諸経に多く候。繁(しげ)き故に但一二の経を挙(あ)ぐ。数珠経に云わく、応(まさ)に母珠を越ゆべからず諸罪に越ゆ数珠は仏の如くせよ。勢至菩薩経に云わく、平形の念珠を以る者は此れは是れ外道の弟子なり我が弟子に非ず。

我が遺弟(ゆいてい)は必ず円形の念珠を用ゆ可し。次第を超越する者は因果妄語之罪に依って当に地獄に堕すべし云云。此等の文意を能々(よくよく)信ずべし。平たき念珠を持て虚事(そらごと)をすれば、三千大千世界に人の食(じき)を奪ふ罪也。

其故は世間の人の虚事をする故に、春夏秋冬たがひて世間の飢渇(けかち)是より起り、人の病これより起る。是れ偏(ひと)へに妄語より始まれるなり。」 (新19)


引用(2)『当家三衣抄』(第二六世日寛上人)

「問う、数珠の由来(ゆらい)如何(いかん)。

答う、夫れ数珠とは此れ乃(すなわ)ち下根を引接して修行を牽課(けんか)するの具なり、木?子経(もっけんじきょう)に云わく、昔国王有り、波流梨(はるり)と名づく、



仏言さく、大王若(も)し煩悩を滅せんと欲せば当に木?子(もっけんじ)一百八箇を貫き、常に自ら身に随え志心に南無仏・南無法・南無僧と称(とな)え、乃(すなわ)ち一子を過ごすべし云云。応(まさ)に知るべし木?子(もっけんじ)の円形は是れ法性の妙理を表すなり、

玄文第一に云わく
理は偏円(へんねん)を絶(た)つるも円珠に寄せて理を談ず云云、弘五上に云わく、理体欠くる無し、之れを譬うるに珠を以ってす云云、土宗の平形大いに所表に違うなり、一百八箇は百八煩悩を表するなり、

数珠は須臾(しゅゆ)も身を離す可からず、故に常自随身と云うなり。

南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量品の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用(じじゅゆう)報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。



南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人、南無一閻浮提座主、伝法日目上人、嫡々(ちゃくちゃく)付法歴代の諸師。

是(かく)の如き三宝を一心に之れを念じて唯(ただ)当(まさ)に南無妙法蓮華経と称え乃(すなわ)ち一子を過ごすべし云云。

行者謹んで次第を超越する勿(なか)れ、勢至経の如きんば妄語の罪に因(よ)って当に地獄へ堕(お)つべし、亦復(またまた)母珠を越ゆること勿(なか)れ、数珠経の如き過(とが)諸罪に越ゆ、数珠は仏の如くせよ云云、母珠を越ゆるの罪何ぞ諸罪に越ゆるや、

今謂(い)わく、蓋(けだ)し是れ名を忌(い)むか、孔子勝母(しょうも)に至り暮る而(しか)も宿らずして過ぐ、里を勝母を名づくれば曽子(そうし)入らず等云云、外典尚(な)お然(しか)り、況(いわん)や仏氏をや。」

『迦陵頻伽声』(1頁)より

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最終更新日  2007年01月04日 22時36分44秒
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