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顕正会の皆さん、おいらは、決して顕正会を退転したから罰がでて、鬱とかになってブログが更新できなくなっている訳ではありません。ただ、億劫なのです。(笑)今回は、不思議な感じで、面白いホームページがあるので、皆さんに紹介したくて更新しました。(笑)生死の扉(妙法は究極の癒し)https://sakura-tennyo.jimdo.com/おいら的には、疑問があった部分なので、納得できる方が多かったです。内容の判断については、個々の読者でお願いします。
2017年07月15日
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顕正会叱狗論FC版です。 http://minamikaze465.blog.fc2.com/名前の変更も考えましたが、面倒くさいのでそのままにしました。(笑)更新頻度も変わりません(笑)
2013年03月16日
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浅井会長が次のようなことを云い出さないか心配です。(笑)「事実上の国立戒壇とは決してゴールインを意味するものではない。なにか終着点のように考えるのは、仏法の根本義からしても、正しくないと思う。……国立戒壇は、流れの到達点ではなく、流れ自体である」<(T◇T)>うぉぉぉぉぉ!!!おいらはの意見としては(浅井会長の過去の発言風に)六千万人が顕正会に入信したら、事実上の国立戒壇と言うならば、浅井会長のこの論法は、広布の達成すなわち「終着点」を曖昧(あいまい)にするために云い出したものである。(笑)広宣流布には厳然と終着点がある。すなわち「日本一同に南無妙法蓮華経と唱へ」て「勅宣並びに御教書」が申し下されるその一時点こそ、終着点であり、戒壇建立の時なのである。これをごまかそうとするから、日本一同にとも言わず、また残り半数近くの不信者には触れず、「事実上の国立戒壇」などといい、「いずれ時が来たら、詳しいことを申します。」となるのである。_( ̄▽ ̄)ノ彡☆ばんばん!
2013年02月11日
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宗旨御建立761年の新春、明けましておめでとうございます。数少ない読者(笑)の皆様、本年も何卒宜しくお願いします。おいらも「団結前進の年」に相応しいよう精進していきます。さて、顕正会員の皆さんは例年通り教学試験に向けて一生懸命頑張っているところでしょうね。試験内容も以前と変わり、浅井会長の武勇伝が主となってきているようなので、ここで予習でもしましょうか(笑)問題1.浅井会長が見破った日達上人が御遺命破壊の説法をされたのは?(1) 正本堂建設委員会(昭和40年2月16日)(2)臨時時局懇談会(昭和45年4月22日)(3)第33回創価学会本部総会(昭和45年5月3日)新しい会員の皆さん解りましたか?正解は(1)の正本堂建設委員会(昭和40年2月16日)です。浅井会長の解釈です。 そして昭和40年2月16日の第1回正本堂建設委員会における説法となる。この細井管長の説法は、正本堂を御遺命の戒壇と決定する理由を述べた、最初で唯一の説法であるから、ここにその主要部分を掲げる。『なぜ学会員は功徳を失ったか』38ページ( ̄へ ̄|||) ウーム 深い・・・・問題2.顕正会(当時妙信講)が、なぜ偽戒壇の正本堂御供養に参加した意義を述べよ。少し難しいかな?正解は正本堂の御供養には妙信講も参加した。今日から見れば、なぜこれに参加したのか不思議に思う人もいようが、当時はまだ誑惑が顕著ではなかった。少なくとも、管長猊下は一言も正本堂を御遺命の「事の戒壇」などとは云われず、もっぱら戒壇の大御本尊を安置し奉る建物であることだけを強調し、「供養の誠を捧げよ」と、宗門の全僧侶・信徒に呼びかけておられたのである。『顕正会「試練と忍従」の歴史』53ページ同じ説法で、こうも違う解釈ができるとは、とても凡人にはできませんね。どちらが正解か解りませんし・・・(ーー;).。oO(想像中)問題3.阪神大震災・東日本大震災と予言できなかった浅井会長ですが、かつて会員の安全を思い地震が必ず起こる断言した地震は?(1)南海地震(2)東海地震(3)小田原地震そう、正解は(3)の小田原地震です。では、浅井会長の発言です。「小田原地震、おそらく今年、これはもう間違いないでしょう。(中略)私はそれを知るゆえに、昨年12月から心を休めたことがない」『顕正新聞』平成10年1月5日号結果は、皆さん御承知のとおり小田原地震は来ませんでした。そして、小田原男子部の猛者たちが消えていきましたさ。┐(-。ー;)┌ヤレヤレ顕正会の皆さんいかがでしたか?勉強になりましたか?次は、おいらから顕正会の皆さんへ質問したいのですが、事実上の国立戒壇は何時頃の予定なのでしょうか?確信ある顕正会員は教えてくださいね。m(_ _)m
2013年01月03日
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偽善者は素晴らしい約束をする、約束を守る気がないからである。それには費用も掛からず、想像力以外の何の苦労も要らない。 エドマンド・バーク ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 冨士大石寺顕正会の基礎知識 より ・平成07年:「あと二十年」・平成08年:「六年後の十万人の国会請願」・平成09年:「大聖人のお待ちあそばす大法戦場へ、一結して勇躍出陣しよう」・平成10年:「最終段階の戦いは開始された」、「一千万をめざし大地ゆるがす大行進」・平成11年:「平成十四年の百万は必ず或る」、「一千万は必ず成る」・平成12年:「広宣流布は最終段階に突入した」、「百万が成れば一千万は必ず成る」・平成13年:「いよいよ最終段階を迎えたごとく」・平成14年:「国家財政の破綻も巨大地震の発生も時期を同じくし、早ければ二〇〇二年、遅くとも二〇〇五年」・平成15年:「百万達成こそ"日本の夜明け"」・平成16年:「大聖人御馬前の法戦場に到達した」、「御照覧直下の戦い」 ・平成17年:「最後の戦い」「残された時間はあと十有余年」、「広布の鍵たる三百万」・平成18年:「大聖人のお待ちあそばす大法戦場へ・・急ぎ駆け付けよう」・平成19年:「この五十年のうちに・・広宣流布・国立戒壇建立は、必ず成る」・平成20年:「広布最終段階」・平成21年:「残された時間は、あと十有余年」、「大法戦場に急ぎ到着しようではないか」・平成22年:「御本仏の待たせ給う大法戦場に馳せ参じなくてはならぬ」、「あと十二年」・平成23年:「広宣流布はすでに直線コースに入っている」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・来年には確か一千万人でしたよね。それが無くなり、いきなり六千万人ですか?大聖人様の絶大威力がないのか?浅井会長の大信力が足りないのか?それとも、会員の皆さんが悪いのでしょうか?大聖人様の法を下げているのは、浅井会長だとおいらは思うのですが・・・・ minamikaze119@yahoo.co.jp
2012年11月10日
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聖滅後何年にだまされるな! 浅井会長は、顕正新聞で大聖人滅後○○年とか、よく使用しているみたいですね。 会員のみなさんに、あ~ぁ、もう大聖人様が亡くなってから七三一年も経っているのに広宣流布ができてなくて申し訳ないようなことを言っているかと思いますが、何てことはありません。 会員の皆さんに、プレッシャーをかけ洗脳しているのです。 「もう、諸天が怒っている」とか「時間がない」と会員の皆さんが勝手に想像してしまいますよね。 冨士大石寺顕正会の基礎知識 櫻川さんのHPを見てください。浅井会長の変節の歴史が解ります。 因みに、御宗門では、聖滅後なんて言葉は使いません。 今はちょうど御会式の時期ですので、子供向けに 大聖人様が弘安五(一二八二)年十月一三日、武州池上(今の東京都大田区)の池上宗仲の屋敷においてご入滅(お亡くなりになること)あそばされ、滅・不滅、三世常住のお姿をしめされたことをお祝いする法要です。 「亡くなった(滅)ことを祝うというと、びっくりしてしまうかもしれませんね。このことは、とても難しいことなのですが、大聖人様は仏様ですから、そのお生命は永遠であり、常に私たちの近くで教えを説かれているのです。(不滅・三世常住)。」(妙教第241号55~56ページ) と教えています。 でも、今の顕正会では、大聖人様は信心がある浅井会長にだけに、教えを説いているんですよね?大川総裁なみですね。(笑) 大聖人様でさえなされなかった広宣流布時期まで、断言できるのですからね。(o¬ω¬o)アヤシイ
2012年11月05日
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久々に、顕正ネタ(笑) なかなか顕正会の情報がないのですが、面白い記事を見つけました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・事実上の国立戒壇その国立戒壇建立の鍵は国家意志の表明にある。そして国家意思表明の決め手は一国の総意にある。「 戒壇の大御本尊を守護し奉る 」 との一国の総意が国家意志となって顕われれば、すでに事実上の国立戒壇である。このとき日本は始めて侵略に打ち勝ち、救われるのであります。そして、この一国の総意を決するのが、国民の過半たる六千万の地湧出現であります。いま顕正会は、ただ大聖人様に応え奉らんと、この六千万めざし全く新たな死身弘法を開始した。いま顕正会は、ただ大聖人様に応え奉らんと、この六千万めざし全く新たな死身弘法を開始した。六千万の地湧出現は、大聖人様のお召し出だしにより、必ず一時に成る。ゆえに私は少しも心配していない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・浅井会長の総幹部会での発言らしいのですが、う~ん、正直なんだかな~って感じです。つまり、国民の過半数で国家意思を表明ですか・・・残りの人は?不信でもいいのでしょうか?確か、浅井会長は池田会長の「舎衛の三億」に対し結局、三分の二は不信であってもよいというデタラメ広宣流布である。しかもこの不信を許容することが「信教の自由を認めている証拠」というに至っては、語るに落ちている。「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」(124ページ)と、言ってましたので、顕正会の場合は、もちろん残りの6千万弱の不信は許容しませんし、信教の自由も無く国教化ですよね。(笑)そうでないと、学会立ならぬ顕正会立になってしまいますからね。しかし、「事実上の国立戒壇」と広宣流布の時の「国立戒壇」とは同じなのでしょうか?(笑)どの時点で、御遺命達成なのか?国民投票後?建物完成後?顕正会の御遺命の国立戒壇が曖昧になり区別がつかなくなるのでは?さらに、浅井会長はこうも言ってましたね。 御金言を拝せよ。大聖人は広宣流布の姿を 「剰(あまつさ)へ広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は、大地を的とするなるべし」(諸法実相抄)と示され、さらに戒壇建立の時を御付嘱状には「国主此の法を立てらるれば」と定め給い、三大秘法抄には「王仏冥合・王臣受持」の時と定め給うておられる。今日まだこの状態に至ってないことは、誰人の目にも明らかではないか。 白を黒といい、天を地といい、東を西というのを誑惑という。御本仏が「大地を的とする」と断言し給うた広宣流布を信ぜず、己義を構えて広宣流布を偽るものは、逆路伽耶陀(ぎゃくろかやだ)の一類といわねばならぬ。「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」(128ページ)仮に、浅井会長が云う六千万人が顕正会に入会し国会の議決を経たとしても、これが日本一同なのでしょうか?日達上人の「日本国人口の三分の一以上の人が、本門事の戒壇の御本尊に、純真な、しかも確実な信心をもって、本門の題目・南妙法蓮華経を異口同音に唱え奉ることができた時、その時こそ、日本一国は広宣流布したと申し上げるべきことであると思うのであります。」「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」(89ページ)より、人数が多いからよいのでしょうか?自語相違では?せっかくなので、会員のみさなんへ大聖人様の御金言や歴代上人の御指南から国民の過半数で広宣流布との文証を示してほしいですね。
2012年10月28日
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ブログを立ち上げた趣旨と大分違ってきていますが(笑) なんか、韓国をみていると顕正会と重なるんですよね。 事実を捻じ曲げ嘘が多く、やたら謝罪を求める。 嫌いな学会の新聞だろうが利用できるものは何でも利用するし・・ どうせ韓国みたいに許さないでしょ(笑) 誠意が足りないとか言って・・・・ 許す気持ちもないくせに・・・・ 自分が、ここまで中韓との歴史について拘るのは、未来の子供たちのことを考えるからです。 みなさん想像してください。100年後に不法入国者の子孫である在日10何世とかに「謝罪せよ!」言われている姿を・・・ 泣けてきます。 従軍慰安婦の嘘http://www.youtube.com/watch?v=fWDWrcR1tyY&feature=relmfu 従軍慰安婦の嘘2http://www.youtube.com/watch?v=XtHg4KfjDVU おまけです。この動画は、顕正会員にはいいかも? 【日韓歴史認識問題】それっておかしくない?http://www.youtube.com/watch?v=jW5-3j5sWaU&feature=related
2012年09月17日
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中韓は愛国無罪?いや~、反日無罪でしょう!中韓は日本国(人)に対しては、何をやっても許されると思っているのでしょうかね。今、こういう状況になっているのは、捏造された歴史問題にあると、おいらは思う。切に安倍総理誕生を願う。安倍総理元総理は河野談話について「私たちの子孫にこの不名誉(慰安婦強制連行)を背負わせるわけにはいかない。国内、国外に対し、新たな談話を出すべきだ」きちんと、未来の子孫のことまで考えている。未来の子供たちに、いらぬ贖罪意識をもたす必要は全くなし。歴史をきちんと子供たちに教えることができれば、相手の難癖も論破できます。以前、「南京大虐殺は無い」って言って名古屋市の河村たかし市長が南京大虐殺を否定しましたね。しかも、南京で討論会までしてやるって河村村たかし市長が言ってんだから・・・「中共は山ほどある鉄壁の証拠突き付けてくれる」よね~?自分らの都合の悪いことは、無視ですか?国連常任理事国ですよね?政府は直ちに、中国在住の日本人に退去勧告をだし、そして日本人が虐殺された通州事件のようなことがあれば、断固たる措置を日本政府は講じると声明を出すべきです。 国際社会に、過去の中国人の残虐さを伝えることができる良い機会です。しかし、朝日新聞は本当に万死に値する。
2012年09月16日
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今回の東北地方太平洋沖地震の被災者の皆様には、心よりお見舞い申し上げます。白米一俵御書白米一俵・けいも(毛芋)ひとたわら(一俵)・こふのり(河苔)ひとかご(一籠)、御つかいをもつてわざわざを(送)くられて候。 人にも二つの財あり。一には衣、二には食なり。経に云はく「有情は食に依って住す」云云。文の心は、生ある者は衣と食とによって世にすむと申す心なり。 魚は水にすむ、水を宅とす。木は地の上にを(生)いて候、地を財とす。人は食によって生あり、食を財とす。いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり。遍満三千界無有直身命とと(説)かれて、三千大千世界にみてて候財も、いのち(命)にはかへぬ事に候なり。 さればいのちはともしび(灯)のごとし。食はあぶら(油)のごとし。(平成新編1544ページ) 上野殿尼御前御返事鵞目一貫給び候ひ了んぬ。 それ、じき(食)はいろ(色)をまし、ちから(力)をつけ、いのち(命)をのぶ。ころも(衣)はさむさをふせぎ、あつさをさ(障)え、はぢ(恥)をかくす。 人にもの(物)をせ(施)する人は、人のいろ(色)をまし、ちから(力)をそえ、いのち(命)をつぐなり。人のためによる火をともせば人のあかるきのみならず、我が身もあか(明)し。 されば人をいろをませば我がいろまし、人の力をませば我がちからまさり、人のいのちのぶれば、わがいのちののぶ(延)なり。(平成新編751ページ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・また、世間でも『情けは人の為にならず。』との諺もあります。情けを人にかけておけば、巡り巡って自分によい報いが来るということ。ろくな食事もできず、寒さもあり大変な状況みたいです。できるだけ多くの人が被災地のことを思い、手助けをしていきましょう!自分にできるのは募金ぐらいですが、精一杯やっていきたいです。被災地が一日でも早くライフラインが復旧し、被害を受けられた人たちが、衣食住に心配のない生活に戻れることを願っています。
2011年03月20日
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言論の自由 ある御僧侶の御話しに、高校時代に先生から 『自由には様々な種類があるが、一番大切な自由は言論の自由である。自分が言いたいことを自由に言える状況が、他の自由を守り、個人の尊厳の擁護と民主主義の維持に最も大切なものであるから』 と教わったとありました。 おいらも、同感です! 尖閣諸島問題で、sengoku38さんが、名乗り出ましたね。 民主党の隠蔽体質には、呆れるばかりです。 以前に海上保安庁の巡視船が北朝鮮の工作船と銃撃戦になった映像は、全く機密にも秘密にもならず、広く国民と世界に向けて情報公開されたことを考えれば、すごく気持ちは解ります。 海上保安庁の職員は命がけで国民を守っているのですから。政府の対応には呆れたことでしょう。 大聖人様は、 『王地に生まれたれば身をば随へられたてまつるやうなりとも、心をば随へられたてまつるべからず』(御書868ページ) 日本国に生まれた以上、日本国の法律には従わざろう得ないと仰せられているので、おいらもそれに従います。 ただ、今回の件が守秘義務違反に当たるのかは、専門家でも意見が分かれているみたいですね。 日本は法治国家ですので、法に則り手続きをしてほしいです。でも、とても国家機密に当るとは思えないが・・・ あと、sengoku38さんが、映像をユー・チューブに投稿したのは正解でしょうね! 既存のマスコミなら、間違いなく消されていた。そして数年後には、南京大虐殺をみたいに捏造されるところでした。国民が真実を知ることはできなかったでしょうし、そういう意味では感謝しています。 しかし、マスコミも節操がないね。普段は著作権を楯に都合が悪いのは削除申請しているのに(笑) 反中デモも報道しないのに、自分たちに都合が良ければユー・チューブも利用するのですね。 ┐( -"-)┌ヤレヤレ... 左翼系のコメンターは、自民党が政権時代には国民の知る権利を散々言っていたのに、民主党政権の場合は、国家が成り立たないと言うのですから、その変貌ぶりを見ていて呆れます。(笑) 小沢元代表が強制起訴された検察審査会のメンバーについてはオープンにしろと言っているが、朝鮮学校無償化の有識者メンバーについては、密室でやっているにも関わらずオープンにしろとも言わない。 ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ... しかし、民主党は酷い責任感が全くない。特にアカい官房長官こと仙谷官房長官は酷いね! 失敗は、みんな部下の責任ですもの・・・・ 官僚のみなさんも呆れていることでしょう。これが政治主導でしょうか? 『雨ふりかぜふき人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ』 (御書1246ページ) 普段以上に、雨が降ったり、風が吹いたり、人が妨害したりした悪条件にその人の本当の真心の姿が現れる。 これは、信心についてですが、 世間的にも悪条件になった場合に、本当のその人の心が見えるのではないでしょうか。会社でトラブルがあった時に前向きに対処する人もいるでしょうし、逃げようとする人、また他の人のせいにする人もいるでしょう。 "盗〇"問題 仙谷氏、取材規制強化に言及http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101113-00000120-san-pol地球市民として世界の人と仲良くしようとかを政治理念としているみたいですが、でも日本人は嫌いみたいですね(笑) 冒頭に書いた言論の自由ですが、社会主義者が理想を追うのは勝手ですが、その理想の為に、言論弾圧がかつての社会主義国家で行われていたことを忘れてはいけませんね。 そして、民主党政権ならネットも規制し言論弾圧もやりそうですしね。 国民の為に命を懸けて守っている海上保安庁の方たちの立場や日本国の立場を悪くしても、そして、那覇地検の越権行為も許し、とことん中国の立場だけを考え犯罪者である中国人船長の釈放を許したのですから。 おいらが、民主党を批判するのは、言論の自由の無い世の中には絶対なってほしくないからです。
2010年11月13日
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中国共産党さん、もっとどんどん反日デモをやってください!まだまだ、足りませんよ。 そして、日本人が共産党の一党独裁である中国という国とは、とても付き合いきれないと思うほどやってくださいね。 よろしくぅ(^o^)/ おいらは、とっくの昔に付き合いきれないと思っていますが、まだまだ、日本人がおとなしくしていれば、中国も変わると幻想をもっている日本人が居るみたいなので・・・・ ┐( ̄ヘ ̄)┌ ヤレヤレ・・・ それと、テレビや新聞の偏向報道はすごいですね!スポンサーの御意向かも知れませんが・・・ おいらは構いません。ドンドンやってください。日本国民が辟易するぐらいね! そうでないと、みんなマスコミに洗脳されていることに気づきませんから・・・ 今度、政権交代があったら、まずテレビ関係の報道を自由化してもらいましょう! 中立ではなく、放送局の好きなように偏向報道をドンドンさせる。今も現にそうですがね。今は一応は、中立を装っています。(笑) 親日の放送局、親米・親中・親韓の放送局を国民に分かりやすく、分別してもらいましょう!つまり、可視化ですね(笑) そうすれば、反対の立場の意見にも耳を傾けることができ、国民も比較検討ができますからね。今のような恣意的な情報統制もなくなります。 比較検討できないのは、国民にとってはつらいことですから。 これは、顕正会員の皆さんも共感できるでしょうかね? だけど、浅井会長は相手の反論などは、公開してましったけ? ヾ(--;)ぉぃぉぃ
2010年10月19日
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日蓮大聖人は『教機時国抄』に、 「四に国とは、仏教は必ず国に依(よ)って之を弘むべし。国には寒国・熱国・貧国・富国・中国・辺国・大国・小国、一向偸(ちゅう)盗(とう)国(こく)・一向殺生国・一向不孝国等之有り。又一向小乗の国・一向大乗の国・大小兼学の国も之有り。而(しか)るに日本国は一向に小乗の国か、一向に大乗の国か、大小兼学の国か、能く能く之を勘(かんが)ふべし」(御書 271頁) と仰せられ、国情を踏まえて布教することが肝要であると御指南されています。御書の中での「国」についての御教示は大きく分けて三通りあります。 地理的・社会的な情況の違い その第一は、一般的な国の種々相であり、教法を弘通するには、その国々の特殊性を考えなければならないことを示されています。 世界には多くの国がありますが、国によって気候風土の差、経済的な貧富の差、地理的な辺国・中国、大国・小国の相違、あるいは道徳的・文化的な観点よりの種々の段階があることが示されています。 さらに仏法流布の因縁において、小乗・大乗・大小兼学等の差別があることを説かれています。 これは、仏法を弘通するには、国を鑑(かんが)みよということであり、その国の気候風土の違い、経済的な貧富の差、地理的な辺国、大国・小国の相違、道徳文化の違い等と社会的な環境を考えなければならないということを示されているのです。 大白法第619号より転載 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これは、国によって布教の仕方を考えよとの御金言ですが、世間的付き合いを見てもそのとおりですよね。 差別つまり違い(区別)を認めることは大切なことです。 偸(ちゅう)盗(とう)国(こく)・一向殺生国・一向不孝国等之有り。 しかし、21世紀になっても現実としてこういう国もあるということも、認識しなくてはいけませんね。 それもなんと、日本の御隣りの国々のことではないでしょうか? 中国・朝鮮・ロシアそのまんまです。(笑) 他国の領土をも掠め盗ろうとするし、また、実際に盗っている。 自国国民を殺めることも平気ですから、他国の人ならさらに容赦しないでしょうね! 日本という国は御隣りさんにつくづく恵まれていないな~! でも、こういうもんかもね。お釈迦様の隣に提婆達多が居て、大聖人様には良観、平左衛門尉って感じで善悪不二で隣合わせだしね。 他力本願で米国が日本を守ってくれるなんて思わないで、現実をしっかりと認識しないとね! 自分のことは、自分でする。 当り前の事です!
2010年10月11日
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失政とはいえ、中国は横暴で、ならずもの国家であることを日本国民はやっと気付いたでしょう。しかし、人治国家は怖いですね。法なんて無視ですもん。力に物を言わせて相手をねじ伏せる。挙句の果ては、人質を取る。これって拉致じゃね~のか?これは、浅井会長も言っていましたが、『賢人は安(やす)きに居て危(あや)ふきを欲(おも)い、佞人(ねいじん)は危ふきに居て安きを欲ふ』(御書1168ページ)おいらは、浅井会長が主張する憲法9条を改正し自衛隊の国軍として認めることは賛成です。あとスパイ防止法もね。日本国民を守るために当然です。でも、顕正会員のみなさん、顕正会も中国と似たり寄ったりですよ。いうことを聞かないと恫喝し力ずくで入信勤行やりますもんね。あっ!情報統制も(笑)軍=悪とおもっている方が多いと思いますが、物は人の心の善悪によって変わります。おなじ火薬でも、花火は人の心を潤します。爆弾は人を恐怖に陥れます。おなじ火薬なのに・・・つまり、軍があるから戦争が起こるのではなく、人の心の善悪で戦争は起こるのです。しかし、元過激派の仙谷由人官房長官は「事業仕分けで文化大革命が起こってますよ」といってましたね。あれ?中国の文化大革命を支持していなかったけ?(笑)民主党の在日中国人にも、選挙権を与えるなんてホント狂気の沙汰です。
2010年09月29日
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たちあがれ日本VS民主 白真勲@新宿西口 http://www.youtube.com/watch?v=APlyq__le7I&feature=player_embedded http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/407688/差別がひどい日本に居住せず、差別のないすばらしい祖国にお帰りになった方がよろしいのでは?って思ってしまいますね。 おいらは、外国人参政権は絶対反対です!
2010年06月25日
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主義についての錯覚 何主義とか、かに主義とかいふことは今に始まった訳でもないが、此頃は特に一つの流行性ををびてきて、しかも何か主義を持たなければ時代人として一人前ではないかのやうに思はれるにいたってゐる。主義を持つとか、主義に生きるとかいふことは強ちにとかくいふべきではないと思ふが、近頃のやうに主義を絶対的に考へるやうになると其処に弊害も現はれることになる。 いふまでもなく主義といふことは一定の基準を立て、其れによって一切を律して行かうとするものである。しかし世の中は多岐多様であって、一つの主義で割切れるものではない。若しさうしやうとすれば必ず無理ができるのである。其の無理を押切らうとすると争闘が生ずる。主義といふものは一つの物の見方であり、一つの考へ方であって、どこまでも相対的なものである。これが主義の主義たる限界である。故に一つの主義が真理であり絶対であり、他の主義は迷ひの非真理であると考へるのはその考へ自体が誤ってゐるのである。例へば個人主義にとって社会主義は誤ってをるといふならば、その考へはいづれも誤ってをる。世の中に於ては個人主義も成り立つし、社会主義も成り立つのである。個人を無視した、社会を無視して個人といふものもあり得ない。故に要するに主義といふものは目的や必要によって立てられるもので、いはば一面観に他ならない。従ってその限界と意義とを自覚して主義を立てるならばそれは真理として肯定される。しかるにそうでない場合はかへって非真実となるのである。世界は、人間は主義より広く大であるからである。 仏教に於ては凡ゆる人生についての考へ方が挙げられてゐるが、その中に於て法華経と法華以前の諸教とに於て前者は実教といひ後者は方便といひ権教といはれる。それは何故かといへば権教の権教たる所以は、物の一面観に終始してそれを絶対と考へるからである。物の全体を知らずして一面観に捉はれるならば、それは権たることを免れないといふのである。此れに対して法華は全体を教へる、而してその全体の上に於て権教は一面観なることを教へるのである。そこで権は権であって実となるのである。部分を知って全体を知り、全体を知って部分を正しく考へることができるといふのである。 由来西洋の物の考へ方は承前的であり別教的であるから鋭くもあるが必らず行詰りを生ずる。畢竟それは権であるからである。全体の視野の上に主義の分際をしるときこそその主義が真実なものとなり円通なものとなる。 現代の人々はあまりにも全体的な実相を知ろうとせず、いきなり主義を学ぶ。そのためにその主義は権の主義に堕する。現在の世の中の険悪さは其処から発生するのではなかろうか。 現代の一切の人に法華経を読み、世の実相を知り、人生についての考へ方を学ぶやうに切望する。妙法蓮華経の中にこそ人類の幸福と平和への光明がある。昭和二十八年三月(大日蓮)(日淳上人全集 下 1167ページ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・久々に書いてみた。アセアセ...A=´、`=)ゞおいらは、社会主義や共産主義のような言論の自由がない世の中は御断りです。おっと!浅井会長を国師とする顕正会も当然御断り。(笑)顕正会でいきなり国立戒壇論から学んでしまったので、別に建築屋でもないのに建物建造主義者になっていました。(笑)一応は、一念三千、依正不二も学んでいたのですが、個別の状態にばかり関心が向いてしまい、全体を把握できない状況となり、細かなどうでもいいことばかりが気になっていました。┐(-。ー;)┌ヤレヤレこれからは、森を見て木も見る、という両者の観点から物事全体を洞察できる力を高めたいですね。(。・_・。)ノ
2010年05月22日
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これを見て、私は思った。四〇年間、中国の政治・軍事を研究し続けてきた学者の警告として、「二〇二一年、台湾統一」という結論はまことに重い。 そしてこの年が、顕正会が「あと十二年」の御奉公を誓い奉った平成三十三年、すなわち大聖人御入滅七四〇年に当ることに私は驚いた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・先日の日記に書きました、浅井会長の指導ですが、どっかで聞いたフレーズだなぁ~と思っていたらありました。(笑) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 大聖人様が教えて下さった ところが、昭和六十三年の春、ふとしたことがきっかけで、宗門・学会の機関紙をはじめ内部資料を丹念に読み返す機会があった。 心を沈めて読み進むうちに、ハッと恐るべきことに気が付いたのです。気が付いてみればすべてがつながる。かくて鏡にかけてくもりなく、陰謀の全貌を見抜くことができたのです。 このことはまさに、大聖人様が私の迂闊を叱り、そして教えて下さった以外には、考えられぬところであります。 顕正会の歴史と使命(121ページ) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ こういう風に、会員の妄想を駆り立てるのですよね(笑) 本門寺の陰謀については、正信会から情報をもらっていたとか?のウワサがありますよ。会員の皆さん、当時の顕正会・正信会のお互いの機関紙の内容がソックリだったそうですよ。 でも、今回の予言?は、はずれても平松氏の間違いですから安心ですね! よかったね。会員の皆さん。(笑) ヴイ♪ ( ̄m ̄*)V しかし、おいらは思うんだよなぁ~。 なぜ、ことごとく予言をはずす浅井会長を、大聖人様は御叱りにならないんだろう! なぜ、大聖人様は諸天も動かす大信力の浅井会長に国立戒壇建立の日を教えてあげないんだろう!って。( ̄ .  ̄;)サ、サァ? だって、予言をはずすと大聖人様の仏法が嘘と思われちゃいますもんね。 それか、顕正会が嘘つきの団体と思われちゃうんじゃない! (・・∂) アレ? そう思いませんか、ねぇ会員の皆さん。 σ( ̄、 ̄=)ンート・・・
2010年03月22日
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平成二十七・三十三年に向かって 皆さん、こんにちは。平成二十二年「広布前進の年」を迎えて半月が経(た)ちました。 「一年の計は元旦にあり」と言われますが、お正月に立てた目標を、既に忘れている人はいませんか。自分(じぶん)で立てた目標にどんどんチャレンジしていきましょうね。 さて、日蓮正宗では新たな御命題に向かってスタートしています。 新たな御命題とは 御法主日如上人猊下は、昨年七月二十六日に開催された「七万五千名大結集総会」において、 一、平成二十七年・二祖日興上人御生誕七百七十年の佳節(かせつ)までに、すべての法華講支部が現在の講員数を五十パーセント増加すること 二、平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の大佳節までに、法華講員八十万人の体勢を築(きず)くこと との新たな御命題を御指南(ごしなん)されました。まずは、五年後の平成二十七年をめざして取り組んでいくことになります。 御命題の大事 日蓮大聖人様は、私たちに、「広宣流布を達成しなさい」と命じられています。これを御遺命と言います。 広宣流布とは、「南無妙法蓮華経」の正しい教えを全世界の人々に弘(ひろ)めて、安穏(あんのん)で平和な社会を築くことです。したがって、私たちは広宣流布に向かって多くの人々を折伏していくことが大切です。 しかし、世界中のすべての人々が信心するには遠く長い道のりです。日本の人口だけでも一億二千万人もいます。 そこで、御法主上人猊下は時に適(かな)った御命題(具体的な目標)を御指南あそばされ、確実に広宣流布へ歩みを進めていくために私たちを御教導されています。 大聖人様は、 「一丈(じょう)の堀(ほり)を越(こ)えられない人は十丈二十丈の堀を越えることはできません(趣意)」(御書 一〇五八ページ)と仰せられています。新たに賜った平成二十七・三十三年の御命題は、広宣流布の長い道のりに対して一丈(約三メートル)の堀なのです。この一丈の堀を確実に越えていけば、広宣流布の時は必ず近づいてきます。 ですから、御命題を絶対に達成させなければなりません。 唱題と折伏に励もう そこで御法主上人猊下は、今年一月度の広布唱題会において、「折伏を実践するために大切なことは唱題であります。唱題は仏道修行の根本(こんぽん)をなすもので、成仏のための大切な行(ぎょう)であります」(大白法 七八一号) と、御指南あそばされました。一年の初めの元旦に広布唱題会が行われ、さらに総本山においては「一月唱題行」が御法主上人猊下大導師のもと執り行われています。ですから、皆さんもなすべき目標に向かって、まず唱題行に励(はげ)みましょう。 この唱題行の功徳が満(み)ちてくると必ず何事(なにごと)も成就するのです。折伏も同様(どうよう)です。大聖人様は、 「私の唱(とな)える南無妙法蓮華経は、自分も救われるが他人も成仏させる功徳があります(趣意)」(御書 一五九四ページ) と仰せられ、御法主上人猊下は、 「大事なことは、唱題も折伏も一体(いったい)であり、唱題行が、ただ唱題行だけに終わるのではなくして、その功徳と歓喜をもって折伏を行ずることが最も大事なのであります」(大白法 七八一号) と御指南されています。御命題達成の主体となるのは折伏です。 さあ、皆さん。一生懸命に唱題して仲のよいお友達やまだ入信していない家族や親戚の方々を折伏していきましょう。一人でも入信すれば、それは広宣流布に一歩近づいたことになるのです。 皆さんは、平成二十七年になると中学生や高校生になりますね。平成三十三年になると立派な大人になる人が大半でしょう。 その時代を迎えたとき、皆さんは青年部員として後輩となる小学・中学・高校生のよき手本となり、また、八十万人達成のため、折伏・育成(いくせい)に支部を背負(せお)って立つ人材にならなければなりません。 これから、朝(ちょう)夕(せき)の勤行や唱題行において必ず、 「平成二十七年・第二祖日興上人御生誕七百七十年を期(き)して、法華講員五十パーセント増を名実ともに必ず成就なさしめ給(たま)え」 と御祈念を行い、一日一日、一年一年を大切に充実した生活を送っていきましょう。 大白法・平成22年1月16日刊(第781号より転載) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最近は顕正新聞も読んだこともないので、情報もない。見たいとも思わないが、ネタがないもつらい(笑)そこで厳虎さんのブログより 勝手に拝借しました(笑)http://white.ap.teacup.com/ganko/ 厳虎さんごめんね!m(__)mこれを見て、私は思った。四〇年間、中国の政治・軍事を研究し続けてきた学者の警告として、「二〇二一年、台湾統一」という結論はまことに重い。 そしてこの年が、顕正会が「あと十二年」の御奉公を誓い奉った平成三十三年、すなわち大聖人御入滅七四〇年に当ることに私は驚いた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 驚いている場合じゃないでしょう~が!(゚-゚;)ヾ(-_-;) オイオイ... つ~か、大聖人様御生誕八百年の平成三十三年を、中途半端な御入滅七百四十年と教えていることに、こっちが驚いたつ~の(笑) (|||ノ`□´)ノオオオォォォー!! 顕正会員の皆さん。浅井会長の指導を鵜呑みにして、そのまま言っちゃうと法華講の子供たちにも「何ずれていること言っているの?」と思われちゃうよ!┐( ̄ヘ ̄)┌ ヤレヤレ・・・
2010年03月21日
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真央ちゃんには、精一杯頑張ってほしい!もちろん、安藤さん、鈴木さんもね! なんか、三人とも内面の美しさを感じてしまう。
2010年02月25日
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顕正会in...黒蓮華の!? http://blog.goo.ne.jp/damepo-4649 あずみん(`・ω・´) さんが、新しくブログを開設しました。 オメデトーσ(⌒▽⌒) みなさん、ぜひ読んでくださいね。! ヨロシク(^○^)/
2010年02月24日
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ホント、民主党と顕正会って似てますな(笑) 誇大広告・ハッタリ・騙し打ちを得意とする。相手のことをボロクソ言うくせに、都合が悪くなるとダンマリか論点をすり替えて説明責任を果たさない。(笑) 幹部を使い矛盾を感じさせない。民主党の場合はコメンテーターですがね。 http://www.youtube.com/watch?v=pRr7hF7BMLE&feature=PlayList&p=9D9AA384C58FFBB1&playnext=1&playnext_from=PL&index=34 こうやって、洗脳していくのですね。テレビを見るとバカになるって本当かも(笑) え~と顕正会の場合は、ビデオ放映ですね。これは必ずバカになります(笑) あと、小沢氏は定期預金は無いのに沖縄に土地約5200平方メートルを購入したらしい。ホント、政治家か不動産屋か分かりませんね。政治活動に必要なのだろうか? http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100129/crm1001290151003-n2.htm 総理は脱税王、幹事長は不動産王(笑) これが、国民目線らしいです。 ・・・( ̄  ̄;) うーん 浅井会長も、たまには会員目線で見ると良いかもね! 思いつきの発言は会員をこまらせますから・・・ Y(>_<、)Y ヒェェ!
2010年02月15日
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日本の国は今や再建に当って政治、教育、産業、経済社会機構等と諸般の面に着々と改選が行はれ、既に相当程度身に着いてきたが、此の間於いて、ひとり道徳の問題は猶未だ低迷のうちに置き去られ、全く五里霧中の有様である。則ち終戦と共に従来の道徳は封建道徳として一擲された。而してそれに代わるべき指標を見出せず、各自は勝手な方向へ歩みを進め、混乱衝突を惹起してをる。それがために陰惨なる空気は益々深刻になって社会不安は日を追ひて増大してをる。或る者は自暴自棄となって身を亡ぼし或る者は亡者となっていかがはしい宗教へ走りこむ。折角の改造も単に表面の形にすぎず、その基盤を為すべき精神は動揺に動揺を重ねてをる。此れが現在の実情ではないか。此の現象について原因を探求すれば種々挙げ得らるゝであろう。しかしその根本原因は社会に於ける人生観の分裂である。相互の関係の上に成立する人類社会に於て、その考ふるところが相反したものの集合であるならば到底平和ではあり得ない。それ故にこそ社会の通念となるべき道徳が要求せられるのである。 人生の一切は道徳的信念が基調となって決定づけられてゆかねばならない。社会に於ける平和の基礎である相互の信頼はこの道徳的行為の上にのみ存在する。今や世界の風潮は道徳を侮蔑し力にのみ頼らむとするものの如くである。はたして此れで安住の世界を建設することができるであらうか。我々は一言以て否と答へざるを得ない。 茲に於て我が日本に於ては先づ道徳的理念が再建されねばならない。それが為には従来の道徳が封建的であったことについて鋭い吟味を加へ、而して真に普遍妥当なる道徳が見出されるべきである。 いふまでもなく是までの道徳は儒教道徳であった。此の道徳は、現在一端の事象の上にのみ立て君臣、父子、夫婦の関係を天の命とし、此の局限された視野の上に人生を規律したもので当然服従的なものにならざるを得ない。(しかし此れは武家政治には重宝なるものであった) かくの如き考へ方に於ては個人の平等と自由と尊厳とが無視されるのは当然である。新しい日本がかゝる道徳から脱却することは充分な意味がある。といって我々は日常生活に於て父子、夫婦、主従、師弟といふ関係の上に立っているのが実際であり、人間自然の本性である。若し之れを否定して、個々の存在の平等を主張するならば、理念的に正当であっても到底堪へ得られるものではない。寧ろ平等なる理念は虚妄に堕するものとして受け入れられないであらう。 今我々に課せられた問題は個人の平等と自由と尊厳と一方、男女、父子、主従等の関係との間を如何に理論づけ如何に行動するかといふことである。我々は先づ個人の平等、自由、尊厳といふことを闡明にし、その真実なる姿相を把握しなければならないがこの問題は一見簡単の如くであるが実に難しい問題である。短的にいって此の問題の解決は仏教によってのみ到達することができる。それ以外には此の地上に於て道はない。仏は正見と正知とを以て三世を十方の法界を尽して久遠の生命を開明し玉ひ、そこに此の問題の帰結を説き示し玉ふた。しかし此の境地より現実を照見し来って崇高の世界を知見せしめられたのである。茲にこそ正しい人生観があるのである。 いま日本が再建せんとする平和、文化、道義の国家は、仏法就中妙法蓮華経を基盤としてのみ始めて築かれることができる。 世人は遍見を去って仏法を学ばなければならない。日淳上人全集 下(1063ページ)
2010年02月11日
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正月の一日は日のはじめ、月の始め、とし(年)のはじめ、春の始め。此をもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあき(明)らかなるがごとく、とく(徳)もまさり人にもあい(愛)せられ候なり。(御書1551ページ) ************************* 大聖人様も、一年の一切の初めである正月を大切に迎える人は、その志によって自身の福徳を豊かにすると共に、人からも愛され慕われていくことを述べられていますので、なかなか更新しないブログではありますが、今年は一応、更新しておきますね。(笑) それでも、大分遅れましたが・・・明けましておめでとうございます! 顕正会員の皆さん、法華講の皆さん、本年も宜しくお願いします。 ヨロシク(^○^)/
2010年01月01日
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ねずきちの ひとりごとhttp://nezu621.blog7.fc2.com/またまた、すばらしいブログを発見しました。日本の素晴らしさを伝えています。みなさん、ぜひ読んでみてね!
2009年12月12日
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法華経 -唯一真実の教法- ◇ 法華経とは ◇ 法華経は、釈尊が成道の後、四十二年の権経(爾前経)を経て、最後の八年間に説かれた経典であり、一切衆生の成仏を明かされたものです。 この法華経は、釈尊の入滅後、梵語によって書き綴られ、更に中国に伝わって漢訳されましたが、現存するのは『妙法蓮華経』『正法華経』『添品法華経』の三種類です。 この中で、鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』八巻二十八品が、釈尊の真意を最も正しく伝える経典として尊重され、広く用いられています。 天台大師の「法華三大部」といわれる『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』などは、羅什訳『妙法蓮華経』を講釈して、弟子の章安大師に筆録させたものです。 ◇ 法華経の特長 ◇ 〈一乗真実〉 まず、仏がこの世に出現する理由について考えてみましょう。 釈尊は『法華経方便品第二』に、 「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以 っての故に、世に出現したもう」(開結 一六六ページ) と説かれています。 すなわち、釈尊がこの世に出現されたのは、衆生に対して仏の知見(智慧)を聞かせ、示し、悟らせ、入らせるためなのです。これを「開示悟入の四仏知見」と言います。 更に方便品において、 「如来は但一仏乗を以っての故に、衆生の為に法を説きたもう。余乗の若しは二、若しは三有ること無し」(同 一六七ページ) と説かれ、ただ一つの真実の教え(一仏乗)のみが、衆生の成仏のための教法であり、それ以外には二乗も三乗もないのだと宣示されています。 釈尊は、法華経以前の諸経において声聞・縁覚の二乗、それに菩薩を加えた三乗の教えを説かれましたが、それらは衆生を一仏乗(法華経)の教えに導くための方便であって、最後に一乗(仏乗)に帰着するということを明かされたのです。 したがって、真実の成仏の法は、法華経に限るのです。このことを「三乗方便・一乗真実」と称します。 爾前経では永く成仏できない、と嫌われた二乗も、最後に法華経を信解したので成仏を許されたのです。 〈久遠実成〉 釈尊は、権大乗の方便を打ち破って法華経の迹門を説かれましたが、この迹門までの教主釈尊を始成正覚の仏と称しています。 これは、釈尊が浄飯王の太子としてインドに生まれ、十九歳で出家された後、三十歳で伽耶城の近くで始めて悟りを成じ(始成)、仏陀(正覚を得た者)となり、八十歳で入滅された有限な存在であると考えられたからです。 しかし、法華経本門の『如来寿量品第十六』には、 「我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり」(同 四九六ページ) と説かれ、インド応誕の釈尊は、実は久遠(五百塵点劫)の昔に成道された仏であることが明かされ、三世常住の仏身の相を示されたのです。 すなわち釈尊は寿量品において、本国土妙・本因妙・本果妙の三妙を明かされ、釈尊の成道された国土(娑婆世界)と、成道の原因(本因妙)と結果(本果妙)の真実の上に、仏の三世常住の姿を顕わされたのです。 この本門の教主釈尊を久遠実成の仏と称します。この久遠実成の釈尊に対すれば、爾前迹門を説かれた釈尊も、諸経に明かされた毘盧舎那仏・大日如来・阿弥陀仏その他の諸仏も方便の仏であって有限の存在なのです。 釈尊は寿量品において、自らの久遠の本地(仏の三身即一の真実の在り方)と因果を顕わし、その寿量品の教えを過去の下種を調熟してきた在世の衆生に聞かせて成仏せしめたのです。 すなわち、法華経迹門以前の仏身は仮の姿であったのに対し、法華経本門寿量品では真実の姿である久遠実成を説いて衆生成仏の真実の根拠を明かしたのです。 〈法華経の付嘱〉 法華経という真実の教えを、単に哲学・思想の範囲のみでとらえることは、釈尊の本意ではありません。法華経の一乗妙法は、普遍的な真理であると同時に、仏の人格(智慧)に具わる法でもあるのです。むしろ、法華経の真理(妙法)は、権教で説かれるような単なる理念・理法ではなく、法華経の本仏の人格(智慧)の上に具有され、かつ三世の一切に遍満するものと拝すべきです。 法華経の付嘱(相伝)が重要視される意義もここにあります。 釈尊は『法華経如来神力品第二十一』において、四句の要法を以て、 「要を以って之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」(同 五八一ページ) と付嘱の精髄を示され、地涌の菩薩の上首たる上行菩薩に三大秘法を付嘱されました。 すなわち法華経では、最終において本法所持の本仏が秘説されており、更に本法の付嘱と、仏と衆生との因縁に基づいて、一切衆生の成仏が説かれているのです。 この付嘱と因縁(因果)という重要義を否定したり看過したりすれば、仏法の因果を無視した邪見、増上慢に陥り、成仏することはできません。 末法御出現の大聖人は、法華経勧持品の「悪口罵詈」「刀杖瓦礫」「数数見擯出」の経文を身を以って読まれて、釈尊の法華経とその付嘱の真実を証明されたのです。それ故に大聖人を、末法の御本仏と仰ぎ、外用において上行菩薩と拝する所以もここにあります。 ◇ 熟脱と下種 ◇ 以上、主に釈尊の法華経について、その特長を述べてきましたが、釈尊の説かれた法華経は、仏法の種熟脱の三益に約せば、熟脱の法華経です。それに対して、大聖人が『秋元御書』に、 「種熟脱の法門・法華経の肝心なり、三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」(全集 一〇七二ページ) と仰せのように、大聖人が末法衆生に下種された南無妙法蓮華経は、末法下種の法華経といいます。 大聖人は『上野殿御返事』に、 「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(同 一五四六ページ) と仰せです。法体の上から、末法においては、大聖人の下種本門の大御本尊こそが成仏の本源であり、末法の衆生を成仏させる、真実の教法なのです。 (大白法第389号)
2009年12月02日
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あまりにも、似ているので一部引用してみます。(笑) 中国、メディアにピリピリ 「貧富格差」報道 4紙に処分指示http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/329890/ 【北京=野口東秀】中国当局が、中国メディアの報道に過敏な反応を示している。激化する貧富の格差に関する報道を「虚偽」として、4紙に関係者の厳重処分を指示した。民主化や人権問題など政府批判を高めると予想される内容に対しても統制を厳しくしており、社会矛盾をめぐる世論の反応に神経質になっていることがうかがえる。 顕正会本部?が、顕正会破折ブログや掲示版に過敏な反応を示している。激変する浅井会長の過去の指導と現在の指導の格差に関する暴露話を『侮辱罪』として、ブログ、掲示版関係者のプロバイダーに削除を依頼した。顕正会批判を高めると予想される内容に対しても統制を厳しくしており、顕正会矛盾をめぐる現顕正会員らの反応に神経質になっていることがうかがえる。 中国新聞出版総署はこのほど、「国外の研究機関によると、中国の富の70%は人口の0・4%の富豪が握る」との情報を引用した記事を掲載した4紙に、虚偽報道に関する通知に基づく警告を与え、関係者を処分するよう指示した。24日配信の国営新華社通信が伝えた。 プロバイダーはこのほど、『元顕正会員らの機関は、顕正会の会員の95%は退転済みで会員数の5%しかいない』『顕正会の本尊は偽本尊である』『平成25年までに会員1000万人』との情報を引用した記事を掲載したブログや掲示版に、『侮辱』報道に関する通知に基づく警告を与え、関係者に対し告訴も辞さないとの圧力があることを語った。(笑) 顕正会と中国共産党は一緒ですよ。思考経路も粛清体制も似ています。 中国は、国を挙げて情報統制。顕正会は、幹部を使って情報操作(笑) 会長さんの、昔の指導が載っている書籍は見せません。 やっていることに、大差はありませんから・・ 昭和57年に開催された第一回武道館大総会にてに「あと25年で広宣流布しなくては、人類は核戦争で滅亡」 (゚〇゚;)なぬ????? 滅亡しませんでした(笑) ( ̄ー ̄?).....??アレ?? 昭和61年に行なわれた「大総会」の席上、「百万を最初の10年(平成8年)で、一千万を次の7年(平成15年)で、一億をそのあとの7年(平成22年) 平成16年8月23日に横浜国際会議場で行なわれた「幹部大会」の席上、平成10年9月に東京国際フォーラムで行なった「還御を祝し奉る」なる集会で固く誓った「一千万をあと15年(平成25年)で」 平成21年8月23日に長野・エムウェーブで行なった「男子部大会」で、「顕正会三百万と男子十万を12年後(平成33年)に」 ┐( -"-)┌ヤレヤレ... 先生が仰っているのは『決意』であって、『預言』ではない! d( ̄  ̄) ヾ(^o^;オイオイ・・・ 会長想いの幹部さんたち・・ (/_<) ナケルネェ まぁ、顕正会内では日本で唯一独走する団体で、飛ぶ鳥を落とす勢いですからね(笑) 明らかに違う意味で、独走しています! こんな団体に所属していたなんて・・・ (T▽T)ダァー
2009年11月29日
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仙谷大臣が仕分け作業を「政治の文化大革命」と「自画自賛」? http://www.news.janjan.jp/government/0911/0911143154/1.php あ~あ、なんちゅうこっちゃ! 情報統制をしている浅井会長でも、文化大革命は否定しているのに・・・ それを一国の大臣が、文化大革命を肯定的な意味で使うことを許される言葉ではありませんね。 粛正の嵐で、その際に死亡した人は三千万人とも六千万人とも言われているのですから。 マスコミも問題発言だと、追及しないのですからオカシナもんですね。 浅井会長の言うとおり、中国が攻めてくるかは分かりません(笑)が、 ただ、不安を煽るつもりはありませんが、中国共産党の思想統制、言論統制には用心しないといけないですね。危険な思想であることには、間違いありません。 え~と、心臓が悪い方は、けっして見ないでください。 冗談ではないですからね。 http://www.youtube.com/watch?v=6S7ZBkQF2RA 民主党は、こういうのと共同体を叫んでいるのです。
2009年11月23日
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ネットのありがたさ! ネットについて、会長さんも顕正会員も便所の落書きとか言っていますね。もちろん落書きのようなものもあります。 『マスコミも信用できない』ってね。これは、正しいと思います。都合が悪いのは報道しませんから(笑) しか~し、顕正新聞も十分信用できません。似てますね(笑) 都合が悪いのは報道しませんから、あなた方も一緒です。マスコミの悪口を言っていますが、その手法はパクッてますね(笑) 世論は、マスコミによって作られているということも、顕著に分かる。 顕正会員も、浅井先生によって作られている(笑) 良い例がこちらの 関門海峡での海上自衛隊護衛艦くらまと韓国籍コンテナ船の衝突事故でも、自衛隊護衛艦がさも悪いような放送であったが、韓国籍コンテナ船が悪いと分かったら、何事もなかったように放送せず。また、マスコミは韓流といって韓国の悪いところは放送しない。 『外務省 海外安全ホームページ』http://www.anzen.mofa.go.jp/info/info4_S.asp?id=003 脱税総理の献金問題や外国人参政権の質疑があるときは、公共放送も中継しません。 『外国人参政権』については、まるで国民に知られないように・・意図的に放送しません。怖ろしいですね。 顕正会員はネットをバカにしているが、ほんとネットの情報はすごい! 話は変わりますが、 最近、歴史に凝っていろんなところのHP拝見させてもらっています。法華講員のHPに限らず、真実を未来の子供達に伝えようと頑張っている方が多いのには、正直びっくりしました。 在日外国人問題についても非常に勉強になりました。強制連行、従軍慰安婦等・・・http://makizushi77.hp.infoseek.co.jp/SEIKATUHOGO.htm 今でいう拉致被害者ですよね。それをなぜ韓国政府が助けないのか?そう考えると合点がいきます。 そこで発見したのが、なんと韓国・北朝鮮と顕正会が非常に似ているということです。 日本人は嘘をつくことに後ろめたさを感じて嘘をつきますよね。 だからばれると直ぐに謝罪して時には責任を取ります。ところが韓国の社会では「騙されるほうが悪い」という通念が一般化されているそうです。もちろん、すべての韓国人がそうとはいっていませんよ。 つまり極端な言い方をすれば、ばれなければ正義の文化です。中国も同じです。「騙されるほうが悪い」という精神でつく嘘は精神的動揺が全くなく平気で嘘がつけます。つまり嘘を抑える歯止めがありません。 どこぞの名誉会長が『嘘も百遍つけば本当になる』と言ったとか(笑) 嘘は、何遍言っても嘘です。(笑) 顕正会も同じようなことをしていませんか? みずから、破門になった原因を作りながら、すべて宗門のせいにする。感情にまかせて宗門や御法主上人や宗門に対する怨念(おんねん)・憎悪(ぞうお)をつのらせています。自分で物事の本質を見つめることができず、冷静に判断する理性(りせい)を失った顕正会員は愚癡(ぐち)そのものであり、畜生(ちくしょう)界の姿です。 日蓮大聖人は貪・瞋・癡の三毒について、『観心本尊抄』に、 「瞋(いか)るは地獄、貪(むさぼ)るは餓鬼、癡(おろ)かは畜生」(御書647頁) と仰せられています。 日蓮大聖人は『諫暁八幡抄(かんぎょうはちまんしょう)』に、 「八幡の御誓願(ごせいがん)に云はく『正直(しょうじき)の人の頂(いただき)を以(もっ)て栖(すみか)と為(な)し、諂曲(てんごく)の人の心を以て亭(やど)らず』等云云」(御書1542頁) と仰せられ、八幡大菩薩(だいぼさつ)をはじめとする諸天善神(しょてんぜんじん)が、「正直の人」を守護(しゅご)する誓(ちか)いを立てていることを御教示(きょうじ)されています。 さらに、この「正直」について、 「正直に二あり。一には世間の正直、(中略)二には出世の正直」(同頁) と仰せられ、世間的な偽(いつわ)りがないという意味の「正直」と、仏法のうえで正しい教えを行ずるという意味の「正直」との二種があると説かれています。 創価学会員への折伏教本から引用しました。(笑) 浅井会長は「正直」ですか? 教義は日蓮正宗からパクリ、歴史を捏造する。そして誹謗中傷を加える。通名で冨士大石寺の名を騙る。日本人とは思えません。日本は相互信頼主義(信義則)を根本とする国ですよ。 おまけです(笑) http://photo.jijisama.org/Pakuri01.html http://photo.jijisama.org/Pakuri02.html
2009年11月21日
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おいら今年の漢字は、是非 『脱』 にしてほしい(笑) 民主党のマニフェストでしたか 『脱』官僚ではなく、『脱』官僚依存だったらしい笑) 『脱』税も、一国の総理が率先していますしね! しかし、公務員の人件費削減もしないで・・ たばこ増税案や環境税案で、国民増税、 ぼく『脱税』ときたもんだ(笑) 自民党の棚橋泰文衆院議員(46)が、鳩山由紀夫首相を「脱税総理」と"口"撃した。 http://video.search.yahoo.co.jp/video/9239e38c69ef566875d54d87273bcf17?p=%E8%84%B1%E7%A8%8E%E7%B7%8F%E7%90%86&tt=c&ei=UTF-8&from=srp&rkf=1&r=8 『脱税総理』、う~ん名言だ(笑) 鳩山由紀夫vs 鳩山由紀夫 自らの献金問題を厳しく追及!!http://www.youtube.com/watch?v=ehZ-4dUgKO4 【還著於本人(げんちゃくおほんにん)】の典型ですな(笑)
2009年11月21日
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歴史を知るということ これまで、日本の歴史に対して興味がなかったが、自由民主党から自由を取った名前の民主党が政権を執ったおかげで興味を持ち始めました(笑) 大聖人様がお生まれになった、どんどん日本が好きになっていきます。 それと浅井先生の仏法史観に感謝 (笑) O(-人-)O アリガタヤ・・ でも、今まで知らなかったことが分かると、なーるほどねぇ~て面白いです。 ちょっと面白いものを見つけました。 日本の歴史教科書はキリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事は教えないのはなぜか?http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/812.html 中にはどうか?と思う内容もありますが、奴隷として売っていたことは事実でしょうね。 おいらなどが教科書で教わったのは、1. ポルトガル宣教師が来た。2. 鉄砲を伝えた。3. 秀吉がバテレン禁止令を出した。4. 踏み絵が行われ、キリシタンが弾圧された。くらいの話でした。 秀吉は非人道的みたいな(笑) なぜ、弾圧されたかは教えてもらえませんでした。 これを読むと納得ですね。 (-_-;ウーン
2009年11月12日
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因果応報か? 浅井会長と鳩山総理が重なって見えてしまう(笑) 故人献金も一緒だし、金の為なら何でもありですね。 私は政治家と秘書は同罪と考えます。政治家は金銭に絡む疑惑事件が発生すると、しばしば「あれは秘書のやったこと」と嘯いて、自らの責任を逃れようとしますが、とんでもないことです。政治家は基本的に金銭に関わる部分は秘書に任せており(そうでない政治家もいるようですが)、秘書が犯した罪は政治家が罰を受けるべきなのです。http://archive.mag2.com/0000074979/20030723200000000.html議院議員鳩山由紀夫メールマガジン「はあとめーる」 2003年第29号(通算第104号) ブーメラン(笑) 言ったことには責任を持ちましょうね(笑) しかし、情報統制というか・・・ 外国人参政権については、公共放送も中継せず、民放も伝えず。いったいどうなっているんでしょうか? その内容については、こちらで見れます。日本が好きな人のブログ ちなみに、おいらは右翼ではありませんよ。(笑) 本物の右翼はこちらです。http://www.geocities.jp/uyoku33/ 「島国根性」と言われようと、日本を「移民」の国にしてはならない! 守るべきものは守るべし! 軒を貸して母屋を取られるようなことになっては、いけないのです!
2009年11月07日
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大乗非仏説論 仏教を非難する説として古来、小乗経典のみが釈尊の本当の説法であり、法華経などの大乗経典は仏滅後、四、五百年頃より、誰かによって作り出されたものであるという、いわゆる「大乗非仏説論」があります。 ◇ 非仏説論のおこり ◇ 釈尊の滅後百年頃、インドのマトラ国に大天(摩訶提婆)が出現して、当時の仏教界、いわゆる小乗教団は釈尊の本意から逸脱していると非難しました。大乗経典が仏説ではないという説は、この大天の小乗仏教に対する非難から始まったと言われています。その後、馬鳴・龍樹・提婆の時代を経て、仏滅後八、九百年頃の無著・世親の時代には、仏説・非仏説論をめぐって大乗と小乗の対立が顕著になりました。 ◇ 日本における非仏説論 ◇ 中国においては大乗非仏説論はほとんど見られませんでしたが、日本では江戸中期に、富永仲基の「出定後語」や、服部天游の「赤裸々」、国学者の平田篤胤の「出定笑語」などに大乗非仏説を発表され、国学者や神道学者による、仏教攻撃の大きな原動力となりました。 これら大乗非仏説論者の主張は、次の三点に要約されます。 •一、原始仏教(小乗)の思想が、時代を経るにしたがって、より高度な大乗思想に発展した。 •二、小乗経典の簡単な言葉が、次第に高度な意味の言葉に作り変えられて大乗経典となった。 •三、釈尊滅後の天才が仏の霊感によって大乗経典を作った。 これらの非仏説論に対して明治以後になると、仏教学者の間に、歴史学文献学によって大乗仏説を証明しようという動きが出てきました。 その代表的なものに、村上専精の「仏教統一論」、前田慧雲の「大乗仏教史論」、伊藤義賢の「大乗非仏説論の批判」、姉崎正治による法華経信仰者としての立論などがあります。 これらはいずれも非仏説論者を論破するのには十分な立証はできませんでした。 ◇ 仏説論の要旨 ◇ 一、口伝による伝承方法 このような非仏説の論議が起こる原因は、どの経典も釈尊自らが書かれたものはないということです。 経典には二つの成立形態があります。一つには釈尊の滅後、弟子たちが大勢集まって編集したもの。(経典の結集)もう一つは釈尊から聞いた教えを師匠から弟子に、更にその弟子に伝えるという口伝形式によったもの。前者が小乗経典、後者が大乗経典です。 この口伝を疑って、科学的文献学のみによって、仏説か否かを解明しようとする者には、大乗経典は仏説とは認め難いかもしれません。しかし、当時のインドにおいては、暗誦や口伝による伝承が一般的な方法でした。ましてや不妄語戒(いつわりの言葉を禁ずる戒)を守る人にとって、口伝による伝承は正確で純粋なものでなければならなかったのです。 二、小乗・大乗の区別の存在時期 「小乗」の語は大乗側より原始仏教をさげすむ意味の用語であり、もともとそのような言葉はなかったと非仏説論者は主張します。しかし、阿含経の中に「仏の境界や不可思議などのことは、小乗の知るところではない」との文や「大乗経は遠大な菩薩たちが用いるものであるから、これらは雑蔵しておこう」という文が見られます。 これらのことは、大乗小乗の区別は原始仏教時代から存在していたことを示しており、大乗経典は「雑蔵」の言葉のとおり、時至って世に出現したものといえます。 •三、小乗経典に大乗を内包 仏の教説は、一語一語に深い意味があるため、同じ説法を聞いても機根によって、受け取る内容が異なる場合がありました。ですから、機根の熟した者は小乗の教えを聞いて、そこから大乗の悟りを得、それをそのまま仏の教えとして経典に残したこともありうることでした。 •四、地方・部派の多様性 大乗経典に異本が多いのは、口伝によって伝承されてきたことと、その口誦がそれぞれの地方や部派の方言の違いによったためで、異本の存在は非仏説論者がいうような多くの人による創作の証拠などではないのです。 •五、教主の優劣 非仏説論者は小乗教の四諦・十二因縁・八正道のみが仏の教えであるといいますが、これより優れた大乗の教えを説いた人は仏といわないのか、大乗を説く方を仏といわないならば、小乗を説いた釈尊も仏ではなくなります。故に小乗経が仏説ならば、それより高度な大乗経を説いた方も仏であるといえます。 ◇ 天台の教相判釈 ◇ 経典の成立や発展経過は、単に歴史学文献学的に研究されれば事足りるものでもなく、歴史上の人物の哲学書や文学作品を研究することとも違います。 仏の教えは三世にわたって一切衆生を教化し、救済するものであり、信仰と実践がなければ経典の真意や存在理由も理解することはできません。 この意味において、天台大師が五時八教の判釈を立てられたことは大変重大な意義がありました。天台大師は法華経を中心として、仏教全体の綱格を明らかにし、小乗・大乗・実経の立て分けと従浅至深の関連性を説き明かしました。これは小乗経のみの教えでは真実の仏教ではないということを示唆しています。 ◇ 大聖人の仏法より非仏説論を破折 ◇ 大聖人の仏法より大乗非仏説論を見るとき、次の二点から論ずることができます。 第一点は、日蓮大聖人が末法に出現することは二千三百余年を隔てた「法華経」に予証されているという現実です。これは「法華経」が仏の悟りによって説き明かされた経典であり、現実世界に生きている経典であるということです。 第二点は日蓮正宗における御本仏は日蓮大聖人であり、大聖人の御教示は御書として留められ、御法門の極理たる戒壇の大御本尊と血脈相承は、今日まで連綿と継承されているということです。 従って、大乗経典が釈尊の説か否かという議論は他宗と異なり、当宗にとっては直接関係ある問題ではないといえます。 (大白法第387号)
2009年11月01日
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素晴らしい、ブログを発見しました。 みなさん、読んで見てね!
2009年09月30日
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歴史の自虐史観もいいですが、顕正会員のみなさんはとりあえず、顕正会の歴史については、いまある事実だけを確認していくのも、ひとつの良い方法かもしれませんね。浅井会長こそ、自虐史観に陥っていることに気付くことでしょう(笑)まずは、浅井会長の主張からね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・虫払会御書講での正論(折伏理論書改訂版195頁)三日後の四月六日、総本山の年中二大法要の一つである御虫払会が行われた。席上、満山大衆を前にして細井管長はこう述べた。「王仏冥合の姿を末法濁悪の未来に移し顕わしたならば、必ず勅宣並びに御教書があって霊山浄土に似たる最勝の地を尋ねられて戒壇が建立出来るとの大聖人の仰せでありますから私は未来の大理想として信じ奉るのであります。」と。建築が進みつつある正本堂を眼前にして、三大秘法抄に御遺命の戒壇を「未来の大理想として信じ奉る」と明言されたのである。これは明らかに正本堂の誑惑を否定するものであった。ちなみに、後年学会と抗争に陥った阿部管長が「日達上人の昭和四十五年四月六日の虫払会御書講での御指南こそ、宗門僧俗の根本的信念であります」等と学会に釈明したのは、この説法を指したものである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・とありますね。つまり日達上人は正本堂は御遺命の戒壇ではないと御指南したとあります。浅井会長もそれについては認めていますよね?でも、あたかも顕正会の主張する国立戒壇については何も述べていないように小細工しているのです。なんと、浅井会長は日達上人の大事な部分を省略しているのです。御覧になってください。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・自称冨士大石寺顕正会会長浅井昭衛の悪書 「最後に申すべき事」を砕破す より日達上人は、その御付嘱を受けられたお立場から「本門寺の戒壇」について、有徳王・覚徳比丘のその昔の王仏冥合の姿を末法濁悪の未来に移し顕わしたならば、必ず勅宣並びに御教書があって霊山浄土に似たる最勝の地を尋ねられて戒壇が建立出来るとの大聖人の仰せでありますから私は未来の大理想として信じ奉るのであります。(中略)「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して」のお言葉を良く拝しますれば、時代に於て王の名称も変ってきます。国に於てそれぞれ変りがあります。然し乍らその言葉は、即ちみんな全部の人が共に信心をするという広宣流布の姿を申されておるのでございます。今将に世間で噂されておる国立戒壇などと云う言葉に惑わされず、ただ広宣流布の時に始めてできる戒壇であります。それが王立であろうが国立であろうが民衆立であろうが全ての正信の信者が集まって戒壇の大御本尊を拝し奉る処こそ、何処でも事の戒壇でございます。(日達上人猊下御説法七~八頁)と仰せられて大聖人御遺命の戒壇は「未来の大理想」であり、その名称についても、「王立」「国立」「民衆立」等の可能性に言及されつつも、断定はしておられないのである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これが、事実ですよ。
2009年09月26日
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富士丸さんがブログ再開しました。みなさん、よろしくぅ(^o^)/
2009年09月23日
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こちらで、御返事いたします。ニシケンさん、こんにちは。まず、嫌な話に対してコメントありがとうございます。(笑)>同感です。>ただ、日本に来ておられる外国人の方々の苦労も解ります。>参政権を持たせるのではなく、生活権て言うのでしょうか、日本人と同じ様に税金や医療・>福祉を受けられるようにしてあげたいですね。>仕事が中々見つからない、お給料なども格差があったりして人権を無視している所もあります。そうですね。法律に則りきちんと就労・納税している外国の方にはその件に関しては私も同意見です。でも、税金は行政サービスやインフラサービスなどの対価だと思うでのすよ。それに対しては、日本人とか外国人の差別はないと思っています。 三重県の自治体の一部は特権で、住民税が半額免除になっていたのが実情です。それは、逆に日本人に対する差別だと思いますよ。例えば、私も外国に行けば現地で物を買えば消費税を取られるだろし、物によっては関税も掛かる。その国で働くと私(外国人)であっても所得税を取られるだろうし。それに日本の場合、外国人でも居住する地域の区役所等で国民健康保険に加入手続きすれば、保険診療における自己負担額(定率負担金額)は総医療費の30%となります。自分たちと何ら変わりません。保険料は収入がないことを申告すると減額になります。それも自分たちと変わりません。ただ、日本に1年以上在留する者は加入が義務づけられていますが・・・給料の格差については私も痛切に感じており、申し訳ないと思っています。日本人の経営者の資質にもよるでしょうが、なくしてほしいですね。日本を素晴らしい国だと、夢を持って来ている方もいると思いますし、政府は徹底して指導してほしいですね。給与が少ないのであれば、医療費・保険料を割引するなり、仕事を見つけやくするよう職業訓練施設等を充実してほしいですね。高速道路無料化より、日本とっても外国人にとってもよっぽどいいです。年金については、年金の掛金を払ったか否か、問題はそれだけです。日本人であれ、外国人でも一緒です。どの国であっても「税金を払っているんだから年金掛け金を払わなくても年金寄こせ」って主張は通らないと思います。日本政府は、外国人の為に年金制度への加入を勧めたそうです。1982年から年金制度に入ることを希望した外国人のうち25年間の納付期間を満たせない者にカラ期間という特例措置を設けて、外国人には最大20年間分の納付義務を免除しました。つまり、外国人に対し1982年から最低でも5年間年金掛け金を納付すれば年金支給が受けられるに特例措置を執りました。この特例措置によって1982年の時点で55歳までの外国人が年金制度に入ることができるようになったそうです。そもそも、外国人の救済義務はその外国人が所属する国家が第一義的に責任を負わなければならないでしょうし、その国の政府が社会保障の救済義務を負っていると思います。日本政府としては、最大限の配慮を示し特例措置をとった訳です。そこから漏れた外国人がいたからといって、その責任が日本政府にあるなんてことは絶対にないと思います。しかし、漏れた外国人を救済する『外国人高齢者給付金』なる制度があり、年金代替措置として自治体から給付金が支給されているようです。もちろん、日本人には年金代替措置なんてありません。なんと、全国820以上の自治体がこの『外国人高齢者給付金』なる制度を取り入れているらしいです。もちろん、この給付金の財源は地方税で、「無年金でも救済されない」日本国民の税金が「掛け金を払ってこなかった在日外国人無年金者」の救済のために使われているそうです。これでも、日本は差別国家でしょうか?私には疑問ですね。逆に至れり尽くせりだと・・思います。あと、おいらは、民族主義者ではないですよ(笑)日本人は日本人らしく誇りを持ち、外国人は外国人らしく自らの国に誇りを持ってください。『郷に入れば郷に従え』です。法華経の『諸法実相』も事相差別の諸法と平等真理の実相という、二面の関係を表しているそうです。人間社会のみならず、この世に存在する一切のものに、現象的な差別観と普遍的な平等観の両面があるそうです。日本人と外国人の関係も、日本国においては、平等な部分もあり、差別(区別)される部分もあって当然だと思っています。個人的意見ですが、自分たちだけではなく子孫のことも考え、守るべきところは、きちんと守ったほうがいいでしょう!
2009年09月21日
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サボっている間に、予想通り政権交代が起きてしまった。つ~か反応が遅過ぎ!ヾ(- -;)顕正会時代の洗脳なのでしょうか?反共(中)の意識は消えませんね(笑)だって、独裁国家は信仰の自由がないもんな~!さらに言論の自由がない。尖閣諸島も含む沖縄本島近海(琉球)も勝手に中国の領土だと学校の教科書で教えているし~!また、もう一つの韓国は民主主義だが親日発言しただけで財産没収だそうだ。他国の国旗を平気で国会議員が踏みつけるし。"く(""0"")>なんてこった!!"そんな状況の中で、民主党の東アジア共同体なんて恐ろしすぎる。法華講員は、反自公で民主党へ投票されかたも多いでしょうが、しかし、おいらは自民党に投票しました。公明支持ではなく反法華講?のプチ保守派です(笑)民主党にも保守主義で好きな議員さんは居ますが、社会主義の方は好きになれません。日の丸も平気で斬り貼りし党旗とするぐらいですから。日本国民の為に政治を行うとは思えません。16日に首相官邸で行った記者会見で、国旗に一礼は7人だけ…官房長官「あ、そうですか」http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090918/plc0909180143005-n1.htm自民党であれ民主党であれ、ブルーリボンのバッチをつけている議員さんは尊敬できます。顕正会員の鶴丸バッチじゃないよ(笑)民主党の無駄遣い削減とかは賛成ですよ。子供手当の現金直接給付(授業料・給食費無料ならOK)、高速道路無料化は反対ですが・・しかし、これから出てくるであろう、民主党の裏マニフェストついては絶対反対です。外国人参政権中には自民党議員にも賛成している方はいるようですが、民主党議員が圧倒的に多いですし、公明党議員は全員賛成で何度も法案を提出しているようです。おいらは日本国の将来に関しては、日本人で決めるべきだと思います。国家と命運を共にするのは、日本人ですから決して差別ではありませんし、節目は大切だと思っています。また、信仰とは別次元の問題です。人権擁護法(人権侵害救済法)人権委員会を設置し、日本から言論の自由を無くすことまでできるような強大な権力を与える法案ですし、悪用されてしまうことも十分ありえるのですから、諸刃の剣です。このブログは、浅井会長から「人権侵害だ!」と訴えられる可能性もありますからね。(ーー;).。oO(想像中)最近は、法華講からの折伏に対して逃れるために、会員も警察にも頼っているみたいだし、牢獄行きになっちゃうと、批判もできなくなっちゃうよ。(笑)あと、他の政治家は創価学会の支援をうける公明党議員を責めるだけでなく、自ら信仰している宗派については堂々と情報公開してほしいですね。特定の宗教団体に便宜の供与をしなければ政教一致とはならないでしょうから。国政も結局は政治家本人の思想が大きく関わってくると思っていますので・・・自民党にも悪い部分があったのは確かでしょう。反省して日本の良き伝統を守ってほしいです。保守党としての復活を願っています。今は残念ながら、既成政党を支援することしかできませんので・・・ブログの趣旨と少し違いますが、おいらの個人的意見を書いてみました。
2009年09月20日
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長らくお待たせしましたm(__)mさて、いよいよ本門の戒壇ですよ。その前に、折伏理論書を振り返ってみましょう!日蓮大聖人が弘通あそばした仏法は三大秘法である。ゆえに法華取要抄には「問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」と。三大秘法のそれぞれに「本門」の二字が冠せられている意は、この三大秘法は本門寿量品文底の秘法であり、また久遠元初の独一本門の大法なるがゆえである。(折伏理論書・改訂版122頁)「三大秘法のそれぞれに「本門」の二字が冠せられている」とありますよね。本門の本尊は「事の一念三千の本尊」本門の題目は「事の一念三千の本尊」を信じて唱える。でっ!戒壇は?もちろん「本門」の二字が冠せられていますよね?もう一度、折伏理論書を振り返ってみましょう!三大秘法は本尊と戒壇と題目の三つに分かれていても、合すればただ本門の本尊の一大秘法となる。そのわけは、本門の本尊おわします所が本門の戒壇であり、またこの御本尊を信じて南妙法蓮華経と唱えるのが本門の題目である。すなわち戒壇も題目もすべて本門の本尊より発するゆえである。ゆえに「本門戒壇の大御本尊」を、三大秘法総在の本尊と申し上げる。(折伏理論書・改訂版124頁)つまり、戒壇だけが義(理)であるということが、道理が通らないのです。合すればただ本門の本尊の一大秘法と言っておきながら、本尊も事(本門の本尊)+題目も事(本門の題目)+戒壇は義(理)=三大秘法にはなりません。また、合すればただ本門の本尊(事の一念三千)の一大秘法 となりますか?現在の浅井会長の主張なら、国立戒壇までは事の戒壇がないのですから、(本門「事」の戒壇)が欠けることになりますよね?だから、二・五大秘法と言っているのです。顕正会員のみなさんは、そこが理解できていませんよね。三大秘法ではないですから、もちろん六大秘法にもなりません。まあ、三大秘法が未完成で、本門の本尊も『義の本尊』、本門の題目も、『義の題目』なら道理が通りますが・・・ね。(笑)ですから、本門の戒壇についてだけ義(理)ということには、ならないでしょうが!また、小乗戒壇 奈良の東大寺、下野の薬師寺、筑紫の観世音寺、延暦寺の迹門の理の戒壇に対しては、日蓮正宗は本門の宗旨ですから事の戒壇とならないと可笑しいですよね。顕正会員のみなさんにお聞きしたいのですが、仮に天台宗から大御本尊御安置の戒壇について詰問された場合に、義(理)の戒壇と答えるのでしょうか?顕正会員のみなさんには、難しいかもしれませんが読んでみてください。・・・・…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・摧破異流義考 よりかかる「事」の二重の意義を、初めて体系的に明示あそばされたのは、日達上人であられるが、これを浅井の息子の克衛あたりが、小生の初めてなした大誑惑、と喚いているらしい。じつに恐るべき無知という以外ない。そもそも、本尊・題目については「事」の二重の意義を認め、戒壇についてだけは認めない、というならば、三秘それぞれの円融相即性を否定する邪見となり、理の通ぜぬ闇者と呼ばれてもしかたがないではないか。およそ、広宣流布以前に事の戒壇がなかったり、広宣流布によって初めて三大秘法・六大秘法が成就するなどということは、よくよく考えてみれば、大聖人が宗旨を成就せられぬまま御入滅されたことになってしまうのであり、本仏日蓮大聖人の円満無欠の御化導において、かかることがありえよう筈がない。もとより三大秘法・六大秘法は、悉く一大秘法たる弘安二年の大御本尊に収まり、大聖人一期の御化導中において究竟しているのである。ゆえに日寛上人は、『依義判文抄』に「三大秘法総在の本尊を明かすなり、総在の本尊とは題目・戒壇の功能を具足する故なり、亦一大秘法の本尊と名づく、題目・戒壇の功能を具すと雖も但是れ一個の本尊なるが故なり」(聖典八六七)と仰せられているのである。また、事の戒壇について明かされた『三大秘法抄』に、「此の戒法(※事の戒法・事の戒壇)立ちて後、延暦寺の戒壇は述門の理戒なれば益あるまじ」(御書一五九五)と仰せられている一節についても、広布を待って初めて事の戒壇が顕われるというならば、それまでは述門の戒壇によっても益がある、ということになってしまうではないか(むろん、すでに延暦寺には真言の邪法が混じり、像法適時の述門戒壇という意義すら喪失していたのが実態ではあるが)。やはり、大聖人によって末法適時の大法たる事の一念三千・三秘総在の大御本尊が開顕せられた時、すでに大御本尊の当体のところに根源の本門事の戒壇は具足していたのであり、同時に、日輪の光明に月の明かりが消えるごとく、述門の理戒もその一切の利益を失ったのである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・顕正会員のみなさん、少しは自分の頭で考えてみてね!
2009年09月20日
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つづいて、本門の題目です。 (正像の題目) 正法には天親菩薩・竜樹菩薩、題目を唱へさせ給ひしかども、自行計りにして唱へてさて止みぬ。像法には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行の為にして広く化他の為に説かず。是理行の題目なり。(三大秘法禀承事・御書1594頁) (本門の題目)自行化他にわたる本門の題目 「今(いま)日蓮が唱ふる所の題目は前代に異(こと)なり、自(じ)行(ぎょう)化他(けた)に亘(わた)りて南無妙法蓮華経なり」(三大秘法禀承事・御書1594頁) 正法の竜樹(りゅうじゅ)や像法の天台(てんだい)も題目を唱えましたが、自行のみで化他には説きませんでした。しかし末法の大聖人様は、自行化他にわたって南無妙法蓮華経と唱えられたのです。 このように、同じく南無妙法蓮華経と唱える題目でありながら、自行と自行化他といった行相に違いが表れる理由は、どこにあるのかと言えば、それは唱える題目の本体たる妙法法体に、理(り)と事(じ)の相違があることによります。正像の竜樹・天台等は、文底下種・事の一念三千の妙法の付嘱がなく、また時も機根もなかったため、「理行の題目」と仰せのように、ただ自行観心の一行として、文上熟脱・理の一念三千の妙法を唱えたのです。 つづく
2009年07月28日
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では、本門の本尊についてから、いきましょうか!(正像の本尊)大聖人様は正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し、権大乗並びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず。(観心本尊抄・御書654頁)と御指南されていますよね。また、日寛上人も『観心本尊抄文段』(御書文段203)には若し天台大師は止観の四種三昧の中には弥陀を以て本尊と為し、別時の一念三千の時は南岳所伝の十一面観音を以て本尊と為し、正しく法華三昧の中には但法華経一部を以て本尊と為す。若し伝教大師は迹門戒壇の本尊は四教開会の迹門の教主釈尊なり。根本中堂の本尊は薬師如来なり。但し多くの相伝有り云云。ここは、代表的な像法時代の迹門の伝教大師と比較してみますね。(天台宗の本尊)特に一尊一仏に限定せず、久遠実成無作(くおんじつじょうむさ)の本仏とする。※延暦寺内だけでも「薬師如来」「大日如来」「釈迦如来」「阿弥陀如来」等が祀(まつ)られているみたいです。何が本尊でも良いよう感じですね。 で、大聖人様が御顕現された御本尊は、(本門の本尊)『寿量品』に建立するところの本尊「本尊とは法華経の行者の一身の当体(とうたい)なり」(御義口伝・御書1773頁)「無作(むさ)の三身(さんじん)とは末法の法華経の行者なり。無作三身の宝号(ほうごう)を南無妙法蓮華経と云(い)ふなり」(御義口伝・御書1765頁)「寿量品に建立する所の本尊は、五百塵点の当初(そのかみ)より以来(このかた)、此土有縁深厚・本有無作三身の教主釈尊是なり」(三大秘法禀承事・御書1594頁)と御教示されています。 『寿量品』には、釈尊が説いた在世(ざいせ)脱益(だっちゃく)のための文上『寿量品』と、末法下種のための文底『寿量品』があります。以下は、御宗門の日寛上人の六巻抄と日寛上人と興学より引用してみますね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・問う、文底独一本門を以って事の一念三千の本尊と名づくる意如何。(六巻抄47頁・文底秘沈抄第二)答う、云云。重ねて問う、云云。・(47―末)次に、「但文底独一本門を以て事の一念三千の本尊と名づける意はどのようなものか」という問いを設けられていますが、その答えには堅く口を閉ざされました。(日寛上人と興学より)問う、修禅寺決に曰わく、南岳大師一念三千の本尊を以って智者大師に付す、所謂絵像の十一面観音なり。頭上の面に十界の形像を図し、一念三千の体性を顕わす、乃至一面は一心の体性を顕わす等云云。既に十界の形像を図し顕わす、應に是れ事の一念三千なるべきや。・(48-3) しかしこれについて、今度は『修禅寺決』を引いて、別の角度から問いを発せられます。それは南岳大師(天台の師)が天台智者大師に付した、十一面観音の絵像があります。 頭上の面に十界の形像が図された、全体で一念三千の体性を顕すと伝えられています。 一念三千の具象化として事相にあらわされたものと言えますが、これが事の一念三千の本尊になるのかという問いです。(日寛上人と興学より)答う、之れを図し顕わすと雖も猶お是れ理なり、何んとなれば三千の体性、一心の体性を図し顕わす故なり。應に知るべし、体性は即ち是れ理なり。故に知んぬ、理を事に顕わすことを。是の故に法体猶お是れ理なり、故に理の一念三千と名づくるなり。例せば大師の口唱を仍お理行の題目と名づくるが如し。若し当流の意は事を事に顕わす、是の故に法体本是れ事なり、故に事の一念三千の本尊と名づくるなり。(六巻抄48頁・文底秘沈抄第二)・(48-6)日寛上人ははっきり否定されます。 そもそも十界の体性とは、あくまでも心の中に思い描いた観念であり、それを事(形)に顕わしても、元々の法体が理であれば、事の一念三千とはなりません。 天台大師も題目を唱えましたが、これも「理行の題目」で、「事行の題目」でないことは、大聖人が『三大秘法抄』(新1594)などで仰せられている通りです。 いわば、理論・理屈である「理」に対して、「事」はその具体化・具象化であるという短絡的な理解に対して、以上の例を挙げて日寛上人は否定されたのです。・(48-9)こうした論旨をふまえた上で、日寛上人は「事の一念三千の本尊」の締めくくりとして、以下のように示されました。 「若し当流の意は事を事に顕す、是の故に法体本(ほったいもと)是れ事なり、故に事の一念三千の本尊と名づくるなり」(日寛上人と興学より)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大聖人様の御本尊は、理の一念三千の本尊ではなく、事の一念三千の本尊であることには、顕正会員も異論は無いですよね。つづく
2009年07月19日
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折伏理論書からその2最近、浅井会長は正本堂のことを偽戒壇と言っているみたいですね。(笑)なぜ?だと思いますか、顕正会員のみなさん。もう、顕正会の主張である事の戒壇、義の戒壇では法華講員に太刀打ちできないからです。古くから在籍している会員なら戒壇論も分かるので、ある程度は法華講員と法論?ができます。そこで顕正会の誤りに気付くのです。おいらが考えるに、浅井会長はそこで法華講員との法論?というか会話?対話?自体が成り立たないようにする為に、きっと方向転換したのでしょう。御書名変更もそうだと思う。(笑)これからの会員は、もう顕正会がこれまで主張していた事の戒壇、義の戒壇の意味さえ知らないようになるでしょう。日蓮正宗が基本的に本門の宗旨(文底独一本門)であることも知らず、また、迹門の戒壇(大乗戒壇)を知らない幹部もでてくるでしょう。実際に知らない幹部もいた。"o(-_-;*) ウゥム…顕正会のみなさん、事の戒壇・義の戒壇の意味を分かりづらくしているのは、実は浅井会長なのですよ。(正法一千年)・(像法一千年)・(末法万年)ということは、顕正会のみなさんは理解していますよね?折伏理論書・改訂版(326頁)にあります。正法(一千年)・像法(一千年)・末法(万年)の三時弘教の次第から、個人的には、そこから戒壇論をみていくと分かりやすいと思っていますので、御宗門の書籍から勝手にツギハギしながら引用してみますね。(笑)では、つづきです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・折伏理論書・改訂版 第十章 御遺命守護の戦い細井管長と対面 細井管長の面にみるみる怒気がみなぎつた。 「あんた、二座の観念文には何とある。『事の一念三千』とあるでしょう、戒壇の御本尊は事の御本尊です。だから、その御本尊まします所は事の戒壇なのです」 「お言葉ですが、『事の一念三千』の『事』とは、文上脱益・理の一念三千に望んで文底下種の一念三千を『事』とされたのであって、これは法体の上の立て分けかと思われます。いま戒壇における『事』と『義』とは、次元が異なるように思われますが ・・・・・」 「いや、ここに書かれているように、大御本尊まします所は、いつでも、どこでも事の戒壇です」 怒気を含む強い調子で、これだけは譲れないというように、同じ言葉を何度も繰り返された。(折伏理論書・改訂版193頁)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・でも、浅井会長もこう言ってますよね。三大秘法のそれぞれに「本門」の二字が冠せられている意は、この三大秘法は本門寿量品文底の秘法であり、また久遠元初の独一本門の大法なるがゆえである。(折伏理論書・改訂版122頁)三大秘法は本尊と戒壇と題目の三つに分かれていても、合すればただ本門の本尊の一大秘法となる。そのわけは、本門の本尊おわします所が本門の戒壇であり、またこの御本尊を信じて南妙法蓮華経と唱えるのが本門の題目である。すなわち戒壇も題目もすべて本門の本尊より発するゆえである。ゆえに 「本門戒壇の大御本尊」を、三大秘法総在の本尊と申し上げる。(折伏理論書・改訂版124頁)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・浅井会長の言う通り、文底の秘法、独一本門の大法、合すればただ本門の本尊の一大秘法となる。これが、基本かなぁ~。顕正会員のみなさんは、なんとなくでもいいですから何かを掴んでほしいですね。つづく。
2009年07月14日
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折伏理論書を、久々に読んで見た。(笑)戒壇について、おいらなりに少し考えてみた。顕正会員のみなさん、登用試験を思い出し、一緒に勉強してみましょう!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日蓮大聖人が弘通あそばされた仏法は三大秘法である。ゆえに法華取要抄には「問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。」とこの仰せのごとく、三大秘法とは、本門の本尊と、本門の戒壇と、本門の題目である。三大秘法のそれぞれに「本門」の二字が冠せられている意は、この三大秘法は本門寿量品文底の秘法であり、また久遠元初の独一本門の大法なるがゆえである。(折伏理論書・改訂版122頁)三大秘法は本尊と戒壇と題目の三つに分かれていても、合すればただ本門の本尊の一大秘法となる。そのわけは、本門の本尊おわします所が本門の戒壇であり、またこの御本尊を信じて南妙法蓮華経と唱えるのが本門の題目である。すなわち戒壇も題目もすべて本門の本尊より発するゆえである。ゆえに「本門戒壇の大御本尊」を、三大秘法総在の本尊と申し上げる。(折伏理論書・改訂版124頁)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( ̄Λ ̄)ゞ んむっ 納得しますよね。では、御宗門ではどうかといいますと・・・三大秘法とは本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇をいいますが、本門の題目とは大聖人が建立遊ばされた一閻浮提総与の大御本尊に向かって唱える題目のことであり、本門の戒壇とは、この大御本尊が安置され、しかも一切の人々が修行する場所をいいます。したがって三大秘法のなかには「本門の本尊」が中心であり、本門の本尊なくしては題目も戒壇も存在しないのです。このゆえに本門の本尊を「三大秘法総在の御本尊」とも尊称します。(正しい信仰と宗教より)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・やはり、ほぼ一緒ですよね(笑)ただ、戒壇論(修行の場所)についての説明が、折伏理論書には無いというところでしょうか。なぜ、顕正会員が御宗門の戒壇論について、理解できないか個人的に検証してみたいと思っています。つづく
2009年07月12日
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『迷走する顕正会を斬る』を一通り読んでみた。御宗門、創価学会、顕正会との、それぞれの主張が年代別に掲載されていて読みやすかったです。「妙信講は、元は『戦う法華講』であったが役目を果たし終え、その名と共に歴史から退場した」哀しくなりますね。歴史を知る方からすると、妙信講の精神は今の顕正会には受け継がれていない・・・おいらは、櫻川さんは純粋に妙信講が好きなんだな~っと思った。(笑)妙信講時代は、老若男女を問わず共に戦ってきたんでしょう!講員を大家族とし、みんな異体同心してね。実はおいら、御宗門に帰伏前に、櫻川さんのHPに一度だけメールしたことがある。もう、教学も教えない顕正会ではやっていけないというような内容だったかな?で、返事はなかった。(笑)でも、顕正会員にもこんなすごい人が居たんだと、驚いたことは事実ですよ。でも、浅井会長や顕正会本部が、何故、顕正会員に 『御遺命守護資料館 櫻川茶寮』を見ることを薦めなかったか?不思議でしたね。櫻川さんが、新しく「迷走する顕正会を斬る」を開設したみたいです。これは是非、顕正会員のみなさんは見てみてね。
2009年07月06日
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お詫びして訂正いたします。先日のブログで日亨上人の 『唯一の国立戒壇すなわち大本門寺の本門戒壇の一カ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する』(富士日興上人詳伝)の御指南ですが、これは日亨上人の御登座前ではなく、御退座後のものでした。m(__)mでも、日亨上人は『三大秘法抄』を引用後に『この御書に 初めて戒壇の義を示さるれども、その場所・その本尊・その儀相等は開示せられず、おそらく唯授一人の密伝となされたものであろう。』つまり相伝であると御指南されているのです。これは間違いないです。(笑)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・摧破異流義考 より戒壇の建立は将未に属することである故、あらかじめ詳細を眼定することを避けられたものと拝せられる。さらに、これにつき五十九世堀日亨上人の『富士日興上人詳伝』には、「大聖人は、本門戒壇のあるべき所を『富士山に』と定めて日興上人に内示せられたけれども、将来のことであるから、『三大秘法抄』にも『霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を』等と下総の太田殿に示された」と。すなわち、本門寺戒壇の御遺命は将来に属する事柄である故に、大聖人は、「富士山に」という御構想を、御相承書たる『一期弘法抄』及び『百六箇抄』をもって日興上人にのみ内示せられ、太田殿に与えられた『三大秘法抄』においては、あくまでも慎重を期されて「富士山に」という広い地名すら伏せられているのである。いわんや、戒壇建立のさらに具体的な場所(例えば何郷・何村・何字というような場所の限定)、方角、建築様式等については「兼日の治定」を避けられた、と拝するのが当然といえよう。かくて大聖人は、「富士山に本門寺の戒壇を」という御内意を唯授一人の付弟日興上人に示され、その実現を後世に委ねられたのである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山門入り口さん、コットンさん、たくチャンのパパさんごめんなさい。今後は、慣れないことはしないようにします。(笑)
2009年06月29日
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日亨上人の『唯一の国立戒壇すなわち大本門寺の本門戒壇の一カ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する』(富士日興上人詳伝〕顕正会員が、よく出してくる文証ですよね。でも、顕正会員のみなさん知ってましたか?これは、日亨上人の御登座以前の御指南だってことを。実は、この後の御指南に 『この御書に 初めて戒壇の義を示さるれども、その場所・その本尊・その儀相等は開示せられず、おそらく唯授一人の密伝となされたものであろう。』とあるのです。( ̄▽ ̄;)!!ガーンこれを切り文といいます。(笑) つまりこの段階では、日亨上人はまだ血脈相承されていないのです。戒壇については、唯授一人の密伝されているのだろうと、御指南しているのですから。それを、いかにも御法主の立場で御指南されていたかのように、顕正会員に伝えるのはどうか?と思いますが・・・みなさん、どうでしょうか?(笑)
2009年06月25日
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新編・摧破異流義考--さいはいりゅうぎこう より”国立”といえば、むろん、国家予算の中から国費をもって立てることを意味するが、大聖人がよく過去の例証として挙げられる、伝教大師(日本天台宗の祖)が日本に法華経を流布し勅許を得て建立した迹門戒壇は、国費をもって立てたものではなく、当時の日本天台宗の宗門で立てた以上、これが国立戒壇ではないのは当然で、日本天台宗でもこれを国立などと称していない。 これを指摘したところ、浅井等は、 「自分達が、いつ、国費で戒壇を建立せよなどと云ったか。国立といっても、国費で立てるわけではない」と、苦しい言い逃れを始めたが、それなら伝教大師の迹門戒と同様、”国立”には当たらないから、国立戒壇というまぎらわしい名称は自ら捨て去るべきである。.....................................................................顕正会員のみなさん、浅井会長や上長から教えてもらったことありますか?迹門戒壇の戒壇が、天台宗で立てたってこと。・・・( ̄  ̄;) うーんつまり宗門立だってさ。く("0")>なんてこった!!おいらは宗門に来るまで、てっきり桓武天皇が勅許を下し立てたものだとずっと思っていました。(笑)だって、誰も教えてくれないもんな~!
2009年06月22日
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~Detox~目指すは…六根清浄http://plz.rakuten.co.jp/asforoneday/友人が、ブログ開設しました。♪(b^ー゜)是非、みなさん読んでみてください。ヨロシク♪( ̄▽ ̄)ノ"おいらは、もう少しサボります(笑)
2009年05月27日
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大聖人様の御名前 幼名「善日麿(ぜんにちまろ)」 大聖人は幼名を善日麿と称されます。その名前の由来は、大聖人の母、梅菊女(うめぎくにょ)が、大聖人の誕生時にご覧になられた夢に由来しています。『産湯相承事』(御書 1708頁)には、まず大聖人のご両親が、大聖人ご懐妊のときにご覧になった不思議な夢について記されています。 母の梅菊女は、比叡山(ひえいざん)の頂(いただき)に腰掛け、琵琶湖の水で手を洗うと、富士山から太陽が昇り、その日輪を梅菊女が懐くというものでした。またこのとき、大聖人の父、三国太夫(みくにのたいふ)も、夢に、虚空蔵(こくうぞう)菩薩(ぼさつ)が肩の上に見目美しい子供を乗せて現れ、「この子は上行(じょうぎょう)菩薩といい、一切衆生を導く大導師である。この子を汝に授ける」と言われたというものでした。 また、大聖人ご誕生時にも梅菊女は不思議な夢をご覧になられました。それは、梵天(ぼんてん)・帝釈(たいしゃく)等の諸天善神が現れて、「善哉(ぜんざい)善哉、善日(ぜんにち)童子(どうじ)、末法(まっぽう)教主(きょうしゅ)勝釈迦仏(しょうしゃかぶつ)」と三度唱え、礼をして去っていかれたというものです。 それにより、大聖人は「善日麿」と名付けられたということです。ちなみに「麿(まろ)」とは、鎌倉時代では子供を示す言葉です。 さらに大聖人は、この母の夢について、母の物語と思ってはならない。仏の言葉と拝しなさいと、日興上人に語られました。つまり「善日」という名は大聖人ご誕生以前より、諸天をして、そのように呼称されていたということです。 出家の名「是聖房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)」 善日麿は十六歳の時、清澄寺(せいちょうじ)の道善房(どうぜんぼう)を師として出家し、「是聖房蓮長」と名乗られました。 蓮長は清澄寺において、師匠や先輩の浄顕(じょうけん)房・義浄(ぎじょう)房などから薫陶(くんとう)を受け、勉学に励まれました。そこで蓮長は仏教の盛んな日本で何故戦乱や天変が続くのか等の原因を深く尋ねるため、鎌倉や比叡山に学ばれました。蓮長はその研鑽(けんさん)の中で、釈尊の説く仏法の本懐(ほんがい)は法華経であり、その法華経に予証された末法の一切衆生を救う上行菩薩こそ日本に生まれた自分であるとの確信を深められたのです。しかも是聖房の「是」とは、「日」の「下(もと)」の「人」と表記されるのです。 さらに蓮長は、 「日本第一の智者となし給へ」(御書 443頁) 「末代の衆生の為(ため)には何をもって本尊とすべき(趣意)」 等と虚空蔵菩薩に願いを立てられました。すると虚空蔵菩薩より「智慧の宝珠(ほうじゅ)」を右手に賜り、一切経の勝劣・浅深が手に取るように明らかとなり、また本尊については、 「汝の身を本尊とせよ、明星の池を見給え(趣意)」 と告げられたということです。そこで蓮長は御自分の姿を「明星の池」に写したところ、そこには大漫荼(羅(まんだら)本尊が現れ、末法の一切衆生を救済する方法は三大秘法(さんだいひほう)の広宣流布(こうせんるふ)であるという確信を得られるのです。 「日蓮」の名乗り 御自分こそ、末法の一切衆生を救済する仏であるとの確証を得られた蓮長は、建長(けんちょう)五(一二五三)年三十二歳の御時、下種(げしゅ)仏法の立宗を宣言あそばされました。このときに当たって、「蓮長」の名を「日蓮」と改められました。 まず三月二十八日には順縁(じゅんえん)というべき、師匠の道善房と少々の大衆に御法門を示し、また四月二十八日には、逆縁(ぎゃくえん)の衆生を導くため念仏の強信者等にも念仏無間等の法門を説かれました。 それにより、怒った念仏者達は大聖人に刀杖(とうじょう)を加え、悪口(あっく)を浴びせましたが、大聖人の信念は決してゆらぐことはありませんでした。 法華経には末法出現の御本仏の衆生救済の御化導(けどう)について、次のように記されています。 「日月の光明の 能(よ)く諸(もろもろ)の幽冥(ゆうみょう)を除くが如(ごと)く 斯(こ)の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」(法華経 五一六頁) 「世間の法に染まざること 蓮華の水に在(あ)るが如し」(同 四二五頁) つまり、日月の光明が一切世間を平等に照らして、闇を除くように、末法出現の御本仏は、人として世に生まれ、そのお振る舞いは、まさに太陽のような存在として一切衆生の闇を除くのであると。またその仏は汚泥のような世間の中にあって、常に清らかな蓮華のごとくであると、予言されているのです。 また大聖人御自ら『四条金吾殿女房御返事』に、 「明らかなる事日月にすぎんや。浄き事蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華経と名づく。日蓮又日月と蓮華との如くなり」(御書 464頁) と、日蓮こそ法華経に予言された本仏であり、日月のごとく衆生の闇を照らし、濁悪の世にあって常に蓮華のごとく清らかに法を説くのであると御教示です。 このように、「日蓮」の名とはすなわち御本仏の名称なのです。 さらに、日蓮正宗では「日蓮大聖人」と尊称いたしますが、大聖人は、『開目抄』に、 「仏世尊は実語の人なり、故に聖人・大人(だいにん)と号す。外典(げてん)・外道の中の賢人・聖人・天仙なんど申すは実語につけたる名なるべし。此等の人々に勝れて第一なる故に世尊をば大人とは申すぞかし」(同 529頁) と仰せられています。すなわち「大聖人」という呼称には、過去から未来にいたる三世の生命を正しく見極める「聖人」と、一切衆生を成仏へと導く偉大な仏様という「大人」の意義が込められているのです。他の日蓮宗等では「聖人」や「大菩薩」という呼称を用いますが、日蓮大聖人が一切に勝れた仏であるという意義を顕すことができません。つまり「聖人」という呼称では過去に聖人と言われた人と同列になり、混同する嫌いがあり、また「大菩薩」では、仏様を「菩薩」と下(くだ)す謗法となるのです。 私たちは、末法の御本仏は「日蓮」の御名前をもって御出現された大聖人以外にはおられないという大確信をもって信心に励むことが肝要です。 大白法(第674号より転載)
2009年01月14日
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御登山の意義について 登山の本義 日蓮正宗では、総本山大石寺に参詣(さんけい)することを登山と称します。 総本山大石寺には、大聖人の御魂魄である本門戒壇の大御本尊と、大聖人以来の血脈相承を御所持あそばされる御法主上人猊下がいらっしゃいます。登山の本義は、大聖人の御魂魄、本門戒壇の大御本尊にお目通りし、御法主上人猊下の大導師のもと、真の世界平和と広宣流布を祈り、また私たちの罪障消滅と即身成仏を期することにあります。 大聖人は『南条殿御返事』に、 「此(こ)の砌(みぎり)に望(のぞ)まん輩(やから)は無始の罪障忽(たちま)ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん(中略)参詣遥(はる)かに中絶せり。急ぎ急ぎに来臨(らいりん)を企(くわだ)つべし。是(これ)にて待ち入って候(そうろう)べし」(御書一五六九頁) と仰せです。この書は、南条時光殿が大聖人のもとに御供養の品々を送られた御返事として賜(たまわ)った御書です。 この御書で大聖人は、御供養のお志はたいへん尊いけれども、真の罪障消滅と即身成仏は登山参詣によって得られるから、速やかに登山参詣を期しなさいと、南条時光殿に対し、登山が遠のいたことへのご注意を促(うなが)されたのです。 総本山第五十六世日応上人は、本門戒壇の大御本尊について、 「此の御本尊は久遠(くおん)の本仏日蓮大聖人の御魂(おんたましい)で御本体なるが故に、直々霊山に詣(もう)でゝ生身の日蓮大聖人様へ御目見(おめみえ)し奉(たてまつ)る事よと存じて、臨終の夕べ迄(まで)も忘れ奉らざる様に信敬すべきなり」(日応上人全集一巻七頁) と御指南されています。 まさに戒壇の大御本尊こそ常住不滅(じょうじゅうふめつ)の御本仏日蓮大聖人の御当体なのです。南条時光殿が大聖人のもとに登山参詣を尽(つ)くしたように、私たちも戒壇の大御本尊を生身の大聖人と拝(はい)し、機会あるたびに登山参詣するよう心がけましょう。 本門戒壇の大御本尊は一切の御本尊の根源 日応上人は、 「当宗に於(おい)て授与する処(ところ)の御本尊は、一切衆生に下し置(おか)れたる此の御本尊の御内証を、代々の貫主(かんず)職一器の水を一器に写すが如(ごと)く直(じき)授相(じゅそう)伝(でん)の旨(むね)を以(もっ)て之(これ)を写し奉り授与せしむる事なれば、各の其持仏堂に向ても直に此の御本尊を拝し奉る事よと相(あい)意得(こころえ)」(同一巻九頁) と御指南されています。 日蓮正宗では、寺院や信徒宅など、いずれの場所に御安置されている御本尊に対しても「本門戒壇の大御本尊」と拝し奉り御報恩謝徳いたします。 その理由は、日蓮正宗の御本尊は、すべて御法主上人猊下が本門戒壇の大御本尊の御内証を書写して授与された、本門戒壇の大御本尊の分身だからです。したがって、本門戒壇の大御本尊に対する絶対の信心をもって御本尊を拝することが、あらゆる功徳を享受(きょうじゅ)する源泉ですから、日頃から常に総本山参詣を求めるという気持ちをもって、信行に励むよう心がけたいものです。 総登山会等への参加の意義 大聖人は『上野殿御返事』に、 「抑(そもそも)今の時、法華経を信ずる人あり。或(ある)は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり。聴聞(ちょうもん)する時はも(燃)へた(立)つばかりをも(思)へども、とを(遠)ざかりぬればす(捨)つる心あり。水のごとくと申すはいつもたい(退)せず信ずるなり」(御書一二〇六頁) と信心の心がけについて御指南されています。 この御書も南条時光殿に与えられた御書ですが、私たちの信心ははかないもので、ややもすると怠(おこた)る気持ちが生まれてきます。 「とを(遠)ざかりぬればす(捨)つる心あり」と仰せられた意味は、総本山および所属寺院への参詣から遠ざかっていては、仏法を捨てる気持ちが生じて、ついには退転してしまうということです。常日頃から積極的に所属寺院の行事に参加し、また総本山への参詣を志すことは、こうした意味からも非常に大切なのです。 大聖人御在世当時も、日興上人をはじめとするお弟子方が、各地で布教に当たっていました。特に南条時光殿は日興上人から常日頃より教化を受けていたのです。 一方で『曽谷殿御返事』には、 「今年一百余人の人を山中にやしなひて、十二時の法華経をよましめ談義して候ぞ。此ら(等)は末代悪世には一えんぶだい(閻浮提)第一の仏事にてこそ候へ」(同一三八六頁) とあり、百人以上の弟子檀越(だんのつ)が大聖人のもとに集って法華経を読誦(どくじゅ)し、大聖人の法華経の講義を聴聞していたのです。当然、南条時光殿も参加し、大聖人より直々に御講義を受けたことでしょう。 こうした大聖人御在世当時の信心を、今日の私たちの信心修行に当てはめてみると、南条時光殿が日興上人から様々な薫陶(くんとう)を受けたように、まずは所属寺院の御講や勉強会に参加して御住職より仏法の有り難さ、信心の大切さなどを伺(うかが)って、自らの信心向上に励むことです。 そして、大聖人の御もとで、直々に御講義が開かれたのと同じように、法華講連合会の総登山や、夏期講習会の登山に参加して、大聖人以来の唯授一人の血脈を御所持あそばされる御法主上人猊下より、直々に御講義を受けることです。こうしたことが現代の「一えん(閻)ぶ(浮)だい(提)第一の仏事」に当たるといえるでしょう。 師弟相対の信心 日蓮正宗総本山大石寺には代々の御法主上人猊下が、師弟相対して大聖人以来の血脈相承を受け継いでこられたことにより、大聖人の仏法が寸分違(たが)わず伝えられています。 したがって総本山に登山し、御法主上人猊下に師弟相対の信心を取ることはまことに重要ですから、その機会を軽(かろ)んじてはいけません。 先ほどの『上野殿御返事』に、「水のごとくと申すはいつもたい(退)せず信ずるなり」と仰せられた、水の流れるようなたゆまぬ信心は、総本山参詣・寺院参詣によって得られるのです。 逆に、大聖人様の「とを(遠)ざかりぬればす(捨)つる心あり」との御言葉は、総本山への登山参詣を軽んじ、所属寺院の信心活動から遠ざかり、自分一人で信心をしていたのでは、いずれは退転してしまうということです。 私たちは、「水の流れの如きたゆまぬ信心」を信仰の基本姿勢として据(す)え、常に仏法を求める心、総本山参詣・寺院参詣に努めていきましょう。 大白法 (第722号より転載)*************************************遅ればせながら、皆さん新年明けましておめでとうございます。明日は、初登山会ですね。残念ながら、おいらは参詣できませんが・・(T▽T)あっつぁさんのブログを見ると、去年顕正会から日蓮正宗へ帰伏した方も参加されるみたいですね。きっと、大感激するでしょうね。本物はやっぱ違うよ~!では、参加される皆さんお気を付けていってらっしゃいませ~!(^^)/
2009年01月03日
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「両眼滝の如し」から引用させて頂きました。11月度総幹部会「阿部日顕の誑言」では、貫首になった阿部日顕は、このとき何と言っていたか。当時、彼は教学部長だったが、こう言っている。 「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現御法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、始めてその実現の大光明を顕わさんとしている」と。 どうです。彼一流のネチネチとした言い方だが、まさしく、正本堂建立によって大聖人の御遺命たる広宣流布・事の戒壇建立が実現する--と断言しているではないか。 だが、このあと私が「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」の諌暁書を以て、強烈な諌暁を繰り返し、責めた。その結果、学会代表がついに「確認書」に署名した。***********************************う~ん、浅井会長は、懲りもせず何度同じことをくりかえすのでしょうか?ォョョ(ー_ー;)正直いって疲れますね。(笑)以前にも、「日蓮正宗青年僧侶邪義破折班」に破折されていることでしょ!************************************自称富士大石寺顕正会会長浅井昭衛の「重ねての対決申し入れ書」の悪義を破折す浅井の正本堂誹謗は自語相違の誑言 そこで貴殿は“再悪書”において更なる邪論を展開する。 すなわち昭和四十二年十月の正本堂建立発願式について感想を寄せられた阿部教学部長(当時)の、宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立(大日蓮昭和42・11)との文言を取り上げ、“昭和四十七年完成の正本堂を指して直に《御遺命の戒壇》といっているではないか”とはしゃぎ、昭和四十三年一月の、此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります(大白蓮華昭和43・1)との御先師日達上人の御指南を挙げては、“細井管長も、曖昧さを捨てて大それた表現をするに至る”と誹謗する。 この頃、たしかに昭和四十年二月の第一回正本堂建設委員会における御先師日達上人のお言葉、御供養趣意書による啓蒙などの後、宗内にかかる意識が高まったことは事実である。しかし、それは貴殿らが処分されるはるか以前のことであって、当時の創価学会の折伏大前進の姿の上に広布の事相を冥鑑遊ばされた御先師日達上人の大慈悲の御指南がもととなり、宗門が正本堂建立へ向け、意識が高揚したことについて、貴殿らがあながちにそれを誹謗することは、事実の経過からみて筋道に合わず、自語相違に当たるのである。 なぜなら貴殿も昭和四十年には、すでに広宣流布の時はきております。(富士昭和四〇年八月号)と、当時が、すでに広宣流布の時である、との認識を示していたからである。貴殿にこのような発言があることを知ったら顕正会員はさぞ驚くに違いない。 また、当時貴殿らは正本堂建立の意義にも賛同し、正本堂の御供養に参加することを顕正会(当時妙信講)員に推進していたではないか。このことは前回の書面でも指摘したが、再度示しておく。すなわち、昭和四十年五月二十五日の総幹部会において、貴殿は、今回、総本山において御法主上人猊下の御思召により【まして、いよいよ意義重大なる】正本堂が建立される事になりました。【戒旦の大御本尊様が奉安殿よりお出まし遊ばされるのであります。この宗門全体の重大な慶事に、】妙信講も宗門の一翼として、講中の全力を挙げ、真心を込めて猊下に御供養をさせて頂く事になりました。実に日蓮正宗の生命は大聖人出世の御本懐であらせられる戒旦の大御本尊にてましますのであります。この大御本尊は大聖人様より日興上人へ御付属せられて以来、広布の時を待ち、歴代の御法主上人によって厳護せられて来たのであります。今までの七百年はひたすら時を待たれて御宝蔵の奥深く秘せられてまいりました。唯そのスキマもる光を拝して、一部の宿縁深厚なる信者が許されて猊下より内拝を賜っていたのであります。その御本尊様がいよいよ時を得て徐々に大衆の中に御出ましになる、御宝蔵より奉安殿へ、更に猊下の深い御思召により大客殿の奥深き正本堂へとお出ましになるのであります。【その深い意義は凡下の我々のみだりに窺がう所に非ずとはいえ、容易ならぬ事であります。いよいよ大衆の中に人類の中にその御姿を徐々におあらわしになる。私共はこの猊下の御思召に同心し奉ってたとえ微力たりとも赤誠を奉りたい。先生は千載一遇のお山への御奉公だと申されております。全講を挙げて歓喜の御供養をさせて頂こうではありませんか。】(富士昭和四〇年七月号)と、御供養を奨励し積極的に推進する言葉を述べているのである。この発言は、『顕正会「試練と忍従」の歴史』(富士昭和六一年八月号)掲載の折には、【 】内の文言を削除しているが、かかる文章の改変は、顕正会(当時妙信講)が正本堂建立に賛同した厳然たる事実を隠蔽せんとする卑劣な行為と断ずる。顕正会(当時妙信講)も歓喜の御供養に参加すでに広宣流布の時はきております意義重大なる正本堂戒旦の大御本尊様が奉安殿よりお出まし遊ばされるのであります。この宗門全体の重大な慶事実に日蓮正宗の生命は大聖人出世の御本懐であらせられる戒旦の大御本尊にてまします・・・・その御本尊様がいよいよ時を得て・・・・正本堂へとお出ましになるのであります先生は千載一遇のお山への御奉公だと申されております。全講を挙げて歓喜の御供養をさせて頂こうではありませんかなどの認識は、当時の宗門僧俗とまったく同様であり、今さら貴殿が当時の宗門僧俗の発言をあげつらって誹謗することは、まったくの的はずれである。 これらの昭和四十年における正本堂建立に賛同する発言に対し、後に都合が悪くなった貴殿は、当時はまだ誑惑が顕著ではなかった。少なくとも、管長猊下は一言も正本堂を御遺命の『事の戒壇』などとは云われず(富士昭和六一年八月号)などと会員を欺誑するが、実は昭和五十二年に貴殿は、時は昭和四十年二月十六日、正本堂建設委員会において同上人は、正本堂が御遺命の戒壇に当る旨の説法をされたのである。(富士昭和五二年八月号)と、全く正反対の事を述べているのである。 この発言によれば、貴殿ら顕正会(当時妙信講)は、この御先師日達上人の昭和四十年二月十六日、第一回正本堂建設委員会における御指南を拝して、その意義を、「正本堂が御遺命の戒壇に当る旨の説法」であると領解していたことが明らかだからである。すなわち、貴殿らはこの御指南を拝し、その重大な意義に感激して、先に掲げた、すでに広宣流布の時はきております意義重大なる正本堂等の御供養推進の啓蒙を会員に行ったのである。その状況を証明する発言がこの他にもある。当時、貴殿ら顕正会(当時妙信講)は、この御供養は、宗門の歴史をつらぬく大事で、猊下を通して戒旦の大御本尊様への御奉公であり、私達の生涯に二度とはない大福運であります。(富士昭和四〇年七月号)とも述べていた。この「宗門の歴史をつらぬく大事」で「私達の生涯に二度とはない大福運」と、さきの貴殿の昭和四十年八月の「すでに広宣流布の時はきております」との言をあわせて考えれば、貴殿らも、広宣流布の時を迎えて建立する御遺命の意義を含む正本堂との認識を表明していたのである。 要するに、血脈相承の深義に基づき広宣流布の事相に即応された御先師日達上人の御指南に対し、この当時の宗門は、貴殿らも含め、信伏随従し奉って御奉公したのであり、その本宗僧俗の正しい信仰のあり方の上からの発言の中に、今日から振り返って行き過ぎの面があったとしても、それらはすでに、昭和四十七年に発令された「訓諭」によって是正されているのである。 故に「訓諭」以前の発言を取り上げて誹謗に使用することは、貴殿ら自身の発言に照らしても、筋が通らない欺瞞なのである。***********************************まあ、バリバリの顕正会員のみなさんは、会長さんの御遺命守護の一念を四万二千余字の強烈な「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」の諌暁書を読んでみたいですよね。なぜか、会員には読ませてもらえませんが・・・・(笑)「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」を会員に読ませると、法華講員も一網打尽ですけどね(笑)でっ!顕正会員のみなさん。実は、、、b(¬。(* ̄∀ ̄*)なんと!ピクミンにんじんさん のブログ、『大日蓮華山の麓へ』に「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」の内容があるので、読んでみてね!!(o^-^o)ワクワク♪しか~し、会長さんの自語相違にショックを受けても、おいらには関係ないよ(笑)
2008年12月20日
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