顕正会 『叱狗論』

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2009年06月29日
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お詫びして訂正いたします。

先日のブログで

日亨上人の

『唯一の国立戒壇すなわち大本門寺の本門戒壇の一カ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する』 (富士日興上人詳伝)

の御指南ですが、これは日亨上人の 御登座前ではなく、 御退座後 のものでした。m(__)m


でも、日亨上人は『三大秘法抄』を引用後に

『この御書に 初めて戒壇の義を示さるれども、その場所・その本尊・その儀相等は開示せられず、おそらく唯授一人の密伝となされたものであろう。』

つまり相伝であると御指南されているのです。これは間違いないです。(笑)




摧破異流義考  より


戒壇の建立は将未に属することである故、あらかじめ詳細を眼定することを避けられたものと拝せられる。さらに、これにつき五十九世堀日亨上人の『富士日興上人詳伝』には、

「大聖人は、 本門戒壇のあるべき所を 『富士山に』と定めて日興上人に内示 せられたけれども、将来のことであるから、『三大秘法抄』にも『霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を』等と下総の太田殿に示された」と。


すなわち、本門寺戒壇の御遺命は将来に属する事柄である故に、大聖人は、「富士山に」という御構想を、 御相承書たる『一期弘法抄』及び『百六箇抄』をもって 日興上人にのみ内示 せられ 太田殿に与えられた『三大秘法抄』においては、あくまでも 慎重を期されて「富士山に」という広い地名すら伏せられている のである。


いわんや、戒壇建立のさらに具体的な場所(例えば何郷・何村・何字というような場所の限定)、方角、建築様式等については「兼日の治定」を避けられた、と拝するのが当然といえよう。


かくて大聖人は、 「富士山に本門寺の戒壇を」という 御内意を唯授一人の付弟日興上人 に示され、その実現を後世に委ねられたのである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


山門入り口さん、コットンさん、たくチャンのパパさんごめんなさい。


今後は、慣れないことはしないようにします。(笑)





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最終更新日  2009年07月02日 17時36分49秒
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