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オリラジのあっちゃん(中田敦彦)が先日Youtubeで上げた動画『【カジサック夫妻①】家庭円満の秘訣はYouTube?カジサック家の子育て術とは?【伝説の夫婦】』『【カジサック夫妻②】妻から見た夫の面白さとは?5人の子どもがいる喜びは?【伝説の夫婦】』のアフタートークを『妻福田萌とのYouTube共演と夫婦関係を語る!』で語っているんだけど、それがまるでセルフカウンセリングで、自分の昔の状況や対応や感情を今の感情や感覚や考えと絡めてあっちこっちの違う視点から味わって眺めて、変化や大事な事に気付いた事を語っている動画。それがすごく大事な瞬間をこちらも一緒に経験しているような、丁寧で正直な語り口だから分かりやすくて納得の行く良い気持ちの動画だった。あっちゃんの気付きの時にこちらも自分の経験や感情を引っ張り出してこっち転がしあっち転がしして私の過去と現在までの変化や心の立ち方や向き合い方の違いに気付けたし、この数年感じていた事を具体的にしてもらった感じで幸せな瞬間を確認しやすくなってありがとうと思った。ありがとうあっちゃん。今日の幸せを送ります°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°【カジサック夫妻①】家庭円満の秘訣はYouTube?カジサック家の子育て術とは?【伝説の夫婦】【カジサック夫妻②】妻から見た夫の面白さとは?5人の子どもがいる喜びは?【伝説の夫婦】『妻福田萌とのYouTube共演と夫婦関係を語る!』
July 26, 2022
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急激な寒さの戻りで体調麗しくなく、なんとなく見ていた岡田斗司夫さんの切り取り動画で、改めて「魔女宅」の深堀りの要点だけ聞いていたら、気付いていなかった事、向き合ってなかった事、知らなかった事などなど、沢山気付いて我に返ったのだった。「魔女の宅急便」1989年7月29日 (日本)公開私はずっと「魔女宅」の面白さが分からんかった。片や「千と千尋」は面白い上に応援したくなる。どうしてそこまでぶちゃいく顔なのかと思っていても、すぐに顔なんてどうでも良くなっている。観る度に新しい気付きがあったりして、益々思い入れの強いアニメになっていたりする。改めて岡田さんの切り取り動画を見たら、(岡田斗司夫ゼミは数か月前に見ていた)親から否定されて育った私には、キキがぬるくて感情移入出来なかったんだなあ、と分かった。今までそこに向き合う事すら避けていたんだなあ、と分かった。いつもの私なら、自分の感情を根掘り葉掘りするだろうに、なぜ向き合う事すらしなかったのかな?初めて観た時(娘が子供の頃テレビで)楽しそうな絵柄と設定で、ワクワクして観ている娘が楽しそうだった。私は初めからあまり興味が持てずに観ていた気がするし、家を出るまでの所なんて、はしょって観ていた気がする。だってお父さんの高い高いなんて記憶にないんだよね。お母さんとのやり取りもほとんど記憶にないんだよね。楽しそうなアニメや映画は、身構えてしまうようなんだよね。「親から大事にされた人は耐力があるはず」って思っているようで、多分、自分の根性の無さや頑張れない弱さを親によって潰された自尊心の低さのせいだと思っていて、親から大事にされて育った人に対する妬みがあるんだと思う。そう思う事で、自分の弱さの言い訳にしているんだよね。ドラマや映画で、被害者が幸せな記憶にしがみついて前向きになれないのを見たりすると、幸せな記憶があるだけ良いよね~と思ってしまうんだよね。手放せないほど幸せな記憶なんて、恵まれているよね~と思ってしまうんだよね。こんな感情は誰にも言わないでいたんだけど、いつもどこかでひがんでしまう自分が嫌なんだろうな。そういう感情をかき乱されて不快だから楽しくて幸せなものって身構えてしまうんだろうなあ。いつもたゆたっていたいんだけどなあ。平常心でいたいんだけどなあ。でも、この30年くらい痛めていた脳細胞が少し復活して来たようで、くよくようじうじの自動思考がほぼなくなった。少し前までは、人が話している時に自分の感情が掻き立てられると人の話を奪って話さずにいられなかった。最近はだいぶコントロールが戻って来て、今は聞く時だよ、話す時じゃないよって自分に言えるようになった。そうよ、ストレスが長年過剰に加えられると前頭葉がやられて感情コントロールが出来なくなるのよ。最近、夫が色々と改善していて人間らしくなり、私をコントロールしようとしなくなったのがとても大きい。でもまだ緊張してしまうんだけど、過剰に怯えたりせずに済むようになってありがたい。それで、キキがまっとうにアイデンティティの喪失に苦しみ周りの人達にも助けられて、まっとうに乗り越えて行く健全な様にようやく向き合う準備が出来たって事なのかもしれない。私もようやく人間らしさを取り戻しつつあるって事かな。ありがたいありがたい、ありがたい事です。さて、私は今夜の「魔女宅」を観る事が出来るんだろうか?
April 29, 2022
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去年から岡田斗司夫のYoutubeをよく見るようになった。思いがけない視点で分解して上手に説明してくれるので、面白くて面白くて聞き続けてしまう。中でも悩みを解決する方法を上手に説明していて分かりやすい。始終混乱している自分のために、ここに載せて置くことにした。『岡田斗司夫ゼミ#315』(2019/12)95%の悩みを解決する思考方法~悩みのるつぼ卒業記念講演大阪より
February 1, 2022
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20140605 邪(よこし)まな臭いの声6~7年前から3~4ヶ月置きにオレオレ詐欺師から電話が掛かってくる。最初はまともに話していたけれど、最近は声を憶えてしまったので黙って受話器を置く事にしている。その男性の声は邪まな思いがにじみ出ている声で、やけに慣れ慣れしく話をする。今日は「叔母ちゃん」と言われてゾッとした。今の所、私が会う甥はまだ4才だし、従兄弟の子供達(十代)と交流はない。だから甥から電話は掛かって来ない。詐欺師の声はどう見積もっても40代である。もしかしたら30代だけど邪まさに操られて声が老け込んでいるのかな。それにその人と話しをしていると邪まな臭いがプンプンして来て受話器から臭い立って来るように感じる。それほど人を騙してやろう人から金を取ってやろう金をせしめてやろう楽して金儲けしよう騙された人の気持ちなんかこれっぽっちも感じないんだぞ、俺はそんな事気にしないんだぞ、おれは凄いんだぞと声からガンガン滲み出して来て私に向かって自己表示する。うちに電話して来る人の中でこの人ほど声に邪まさを湛えた人もおるまいと思う。人の思い・性向・大切なものは姿が見えないだけに、声だけの方が見分けがつくのかもしれないとこのオレオレ詐欺師から電話が来る度に思う。この冬には携帯電話の番号がどこかで流出したらしくて携帯電話にまで二回掛かって来た。でもこちらは電話番号が残るためかしつこく言って来ない。こちらからは決して名前を言わないし相手が分かるまで名乗らない。だからとっかかりがなくて電話を切るしかないように持って行く。この人もちょっと若い邪まな声で、もしかしたら電話と同じ人で家電と携帯のスピーカーのちがいかどうか。声は姿が見えない分だけ、電話って邪まさも誠実さも丸見えなんだよ。詐欺師からの数秒の電話でさえ邪まなものを貰ってしまい、数時間は穢れた気がする。聖書には「守るべき他のすべてのものに勝ってあなたの心を守れ。 命はそこに源を発しているからである。」箴言4:23と言う聖句があり、邪まな人と交流があるとその聖句の伝えている事が胸に沁みるのだった。そうすると、普段お付き合いがある人達の心の誠実さや清らかさが見えたりもする。ありがたい事だ。そして私はその邪まな声の人がどんな経緯があってその邪まさを身に着けてしまったのかと考えずにはいられない。世界中の犯罪者やバレていない罪人が何故そうなってしまったのか考えずにはいられない。その人達が撒き散らす憎しみや怒りや嘆きや絶望や混乱は何とか均衡を保って生きている人達を道連れにして世界の暗い穴をどんどん広げてしまう。そこに飲み込まれないように一人一人がしっかり踏ん張って生きていけたら良いな。2014年6月5日――尻しぼみな文章だなあ。飲み込まれかけているって感じていたのかなあ。最近は家電に出ないのであります。営業勧誘ばかりであります。●「邪ま」―〈心が〉正しくないこと。 ねじけていること。 「―な考え」 三省堂国語辞典 第二版 1980年12月1日 第26刷革装発行より
October 16, 2018
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また急激に暑くなったせいか肩こりが激しく痛くなり、頭痛に発展して思考力ゼロ状態の日々でした。今、少し楽になりました。先月1年ぶりに友人Sちゃんに会いに行きました。3時間くらい、こころや体について話し込みました。その翌日にSちゃんが花巻市の美術館に行って葉祥明さんの絵本に出会ったそうです。そこに前日話し込んだ大切な事が書いてあったと詩の一部をメールで送ってくれました。――――――――・―・―・――――――――きみは、苦しむためにこの世に 生まれて きたんじゃない。生きることの すばらしさを味わうために この世に 生まれて きたんだ。だれも きみを苦しめる ことなんて できない。きみは、自分で自分を苦しめている だけなんだ。「もう、苦しまなくていいよ」そう、自分に 言ってあげなさい――――――――・―・―・――――――――これを読んだらしばらく泣きました。返事を書こうと思って読んで、また泣きました。ネットで調べると、この詩を載せている人が沢山いました。この詩に癒やされて励まされた人が沢山いるんだなぁと思い、また泣きました。この詩がどの絵本に載っていたのか解らないので、探しているうちに「必ず出会える!人生を変える言葉2000」と言う本に載っているのが分かり、塩釜市民図書館にもあったので借りて来ました。【中古】 必ず出会える!人生を変える言葉2000 / 西東社編集部 / 西東社 [単行本(ソフトカバー)]【メール便送料無料】【あす楽対応】必ず出会える!人生を変える言葉2000【電子書籍】[ 西東社編集部 ]P316・1647葉祥明(絵本作家)「きみは守られている」とありました。この本の中には、名言も叱責もダジャレもゆる~い発言もありますが、私が一番気に入ったのがP289・1507・窓あけて窓いっぱいの春種田山頭火(俳人)「草木塔」でした(⌒_⌒)春が一気に到来した様子が見えるようです。他にもP12・36・山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆふべもよろし種田山頭火「草木塔」もよろし~~\(^ ^)/不眠症の私にぴったりなのがP113・564・夜の寝ぎわ、考えれば考えるほど楽しくなることだけを、 もう、心にありありと、描いて寝るようにしてごらん。 どれだけ命が強くなるか分からないから・・・。P113・564中村天風(ヨガ行者)「成功に導く言葉」(イースト・プレス)日本にヨガ行者がいたなんて知りませんでした。Wikipediaに1876年7月30日 - 1968年12月1日とありましたので、少し昔の人です。ウィキを読むと思想家・実業家とありますが、まあ凄まじい波乱万丈の人生です。こんな日本人がいたんだと驚きました。(6歳から家伝の剣術と抜刀術の修行を始め、 英語を習って文武両道を貫き、 強過ぎた剣道のせいで闇討ちされ、 復讐の最中に正当防衛で生徒を死なせてしまい、 16歳で陸軍の諜報員になり、 満州でコサック兵に銃殺される寸前に救い出され、 急速進展例の肺結核にかかり、 心を強くするためにアメリカに密航し、 コロンビア大学に入学して自律神経を研究したそうです! その後、ヨーロッパの各地で著名人を訪ね歩き、 1911年(35歳)答えを得られず、 日本への帰途の途中アレクサンドリアで出会った インドのヨガの達人カリアッパ師に弟子入りし、 ヒマラヤで2年半修行をして結核は治癒。 そして悟りを得て日本に帰る途中で、 孫文の起こした第2次辛亥革命に巻き込まれ 「中華民国最高顧問」として協力し 革命は失敗するも財産を得て帰国し、 新聞記者の後に銀行頭取などを経て、 一切の財産を処分して「統一哲医学会」を創設、 街頭で心身統一法を説き始め、 多くの著名人が入会して「天風会」と改称して 財団法人となり92歳で亡くなった。)これこそ波乱万丈です!あんまり驚いて細かく書いてしまいました。詳しくはネットでどうぞ!!中村天風気性が激しくて真摯で誠実な人だったようで、とことん追求探求する方なんですね。そしてヨガに出会った。実は私は38年前だったか、ヨガに出会って分厚い本を購入し一人で実践していたものの、何も体得できずにそのまま縁遠くなった人間なので、中村天風さんの凄まじいエネルギーと行動力と気迫に圧倒されました。はぁ~~、そして優しい言葉で命が強くなる秘訣を教えてくれたんですね。これは私、肝に銘じたいと思います。ついつい自分を責めてしまうので、大事な言葉だと思います。葉祥明さんの言葉と言い、自分で自分を許さないとね、と思いました。そして希望と喜びを胸に毎日を過ごしたいと思いますヽ(〃v〃)ノ
August 26, 2017
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2年前に買った柚子の苗木が去年は1メートル50センチほどに成長して喜んでいたのだったが、夏にキアゲハとの闘いに敗れて秋にはほぼ丸坊主になった。なぜキアゲハとの闘いに敗れたのかと言えば、毎日5個6個と卵を植え付けられ朝と晩に卵を取り除くのが日課になっていたが、たまたま体調が悪かったり、天候が悪くて油断したりが重なって、ある時ふと気付いたらキアゲハの幼虫が3匹成長していた。そしてせっせと柚子の葉を食べていた。まだ小さい柚子の幼木なのに、3匹があっと言う間に食べ尽くした。私は卵は取り除けても、幼虫になってにゃこにゃこむしゃむしゃしている爆発的なエネルギーを発散しながら生きている幼虫は駆除できなかった。何しろ本来はアゲハ蝶が大好きなので余裕があれば柑橘系の葉を差し出したいくらいなのだ。だけどほぼ裸になった柚子は冬越し出来るのかな?と怯えるほどに葉を失っていた。「自宅で柚子を育てて食べたい」との目論見は頓挫しそうだった。かろうじて柚子の幼木は何とか冬を越して春には綺麗で新鮮な新芽を生み出した。そこで今年もやって来たキアゲハとの生死を賭けた攻防戦である。卵探しが始まった。そして思った。これはもうどちらかを選ぶしかないのだと。生き物は殆ど大好きだが、優先順位をしっかり決めなくてはいけない。柚子の幼木VSキアゲハ蝶。うちの近所で庭に柑橘類を植えているのを殆ど見たことがない。キアゲハも子孫繁栄のために必死である。キアゲハを孵化させてあげたい!だけど柚子が枯れるかもしれない。ううううう。1年以上続いたジレンマ。そして気付いた。このジレンマは私の全てにおける状況なのだと。Aを救いたいけど、Bの居場所がなくなる。Cを守りたいけど、Dが窮地に陥る。どれも救いたい。私が身動きできない理由の一つはこの全部を救おうと思っているために抱え込んだ全ての重さと量に潰されそうになっているのだと、やっと自覚したのだった。そして思ったのだった。全てを救う事はできない。優先順位がある。それを無視して全てを救おうとするから私は常に混乱しているのだ、と。私は優先順位を決められない。他の人の問題も宇宙の問題も全部自分の中では同じ重みを持っている。どうして選べないのか。きっと自分を守る自覚が足りないせいかもしれない。ちゃんと自分を守ろう!それが最優先。それが出来ていないからいつも混乱している。ちゃんと自分に教えてあげなければ。「全てを救えるはずがない」そもそも自分さえ守れない人間が何かを救うなんて出来ようもない。だけど、例えば人間の皮膚ひと欠片にさえ驚くほどの情報が詰まっていて、そこにはその人の記憶も残っていて、遺伝子には連綿と続く人間の記憶も残っていると思うとチリでさえ愛おしくなってしまう。そんな訳で、世界や人間について解れば解るほど私は混乱の規模が大きくなるって言う・・・(T△T)それでも気付いたのだから、何かを選ぶ時には「自分を守れ!」と叱咤激励する事にした。無意識に色んな事を考えてしまうから。とにかく自分を守りましょうねと初心に立ち返るべく努力中です。最近は何とか昔の物を捨てても良いのだと思えるようになって来て、少しずつ家の中を片付けられるようになって来た。どうしても思い入れの強い物は写真を撮って処分する事を思い付いてから少しずつ捨てられるようになって来た。僥倖である!世界を救う前に自分を救おう。そうすれば自ずと道が見えるかもしれない。と、今頃気付いた次第。(^^ゞ
July 23, 2017
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先日『ナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔」トップ5』http://topics.jp.msn.com/wadai/pouch/article.aspx?articleid=865646の記事を読んでからじわじわじわじわ心の核に染み込んで来ている。様々な優先順位が混乱している私にはすごく解り易い選択位置だと思う。「これを今しなかったら、 死ぬ時に後悔するか否か?」「これをしたら 死ぬ時に後悔するか否か?」おおお・・・・・。何かが沸き起こって来るような気がして来た。希望?今まで押さえ込んで来た自覚していなかったエネルギー?自分で選ぶと言う自覚?まだ動けると言う感覚?Eテレ(元教育テレビ)で先週の日曜日から「コロンビア 白熱教室」の再放送をしている。http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/columbia.htmlこれはコロンビア大学シーナ・アイエンガー教授の講義で第5回まで行われ、選択と幸福についての非常に示唆に飛んだ面白い話なので録画していたのだが第1回の「あなたの人生を決めるのは偶然?選択?」の再放送もまた見た。とても面白くて「選択」について深い自覚を促されるものだ。自分の人生を後悔したくない、今からでも遅くない、これまで惑わされて来たものを振り払い自分が納得する生き方を巻き返したいと思っている私にはグッドタイミングな内容だった。今日の午後6時から第2回「選択しているのは本当にあなた自身?」の再放送も楽しみだ。それと『ナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔」トップ5』の死を身近にした人々の本音だからこそのずっしりと心に積もる思いは段々と私の曖昧な感情を刺激しているようだ。今するか、しないか。選択は自分で決めるもの。どんな今も自分が選択して来た結果。これからは自分に正直な選択をしたいと思う。でも思っても自分の正直な気持ちに鈍い上に今は行動力がないので周辺ばかりをグルグル巡ってしまうんだなぁ(´・ω・`)それも選択だよねぇ。
February 12, 2012
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私は自分に甘い人間である。真摯に向き合わず、感情論に走り、被害者意識に溺れて自分を見失うのである。そこで私の一番の理解者であり一番の指導者でもある「冷静な私」である「まいち」を高い所に配して己を見てもらおうと思った。(監視と言う檻ではなく、 あくまでも客観視と言う指針である)所が己が基本の指針なものだから大いにブレる。時として味方のいなかった子供時代の孤独に未だに苛まれて自己不信に陥る時、またしても無意識のうちによく考えもせずに他人を優先してしまう己の刷り込みに異議を唱えて欲しいのだが、俯瞰しているとは言えいつも怯える女の私に同情してただの同調者となってしまうのだ。本当に客観視する「まいち」になるには基本の私自身が強くならなければもう一人の私も中立を保つのが難しくなる。でも今のままでは己をしっかりと知る事は出来ない。このジレンマはグルグル巡るのである。一つだけ確かなのは「もう知らない!勝手にやってれば」と匙を投げて逃げ出す事はない。逃げる事はもうしないんである。――――――――――――――――――――――――以上、9月22日に思ったことでした。
December 5, 2011
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先日ある方と話している時に巨人軍の会長の「鶴の一声」問題について私が詳しくもないのに発言し、「企業に属していたら当たり前の事だ」と言われた事がいつまでも巡っていてなかなか整理できないでいました。組織に属しているとはそう言うものだと言われて企業と言う組織から離れて長い私は外野席からの野次になるのかなと思ったり、自分の感情に焦点を当てるのが下手と言うのもあってしばらくもやもやしていました。船の舵取りをしている船長に船員が何を言っても責任を取るのは船長なので船長が全てを決定するのだと言われて、なるほどと思いました。でも一日考えて危険な時は船員でも進言するのではないかなとか横暴と独断と断行は同じではないのではないかなとか色々考えました。権力があって責任を取るから勝手に変更したり取り決めを無視して良い会社なら部下達はさぞかし惨めで虚しい思いをしているのではないかなと思いました。どう言葉にして良いのか解らないけれど私は独裁者は嫌いなので怒りばかりが募るのでした。何か資本主義国の屁理屈に思えました。どの国の企業や組織もそうなんだから独裁しても当たり前って、それは違うんじゃないかなと感じました。何だろう。言った方が一見温和で大らかで大樹のような方なので衝撃が大きいのでした。そしたら夜にBSでやっていた番組でブータン国王の「国民総幸福量は国民総生産量よりも重要である」を見て涙が湧いて来ました。理想だけじゃない実行している国があるじゃないか!うっかり忘れていた「国民総幸福量」と言う考え方。そうだった、これがあった!国王が自分の采配に現を抜かすのではなく国民の幸福を考えて政府を動かすとはなんと素晴らしい国王なんだろうと思いました。私は皆が幸せになって欲しいですが私は力も知恵も無い人間だけではなく自分すら救えない人間なので無力感が大きいです。長い間、世界は滅亡に向かっているように感じています。人々は便利さと物の豊かを追求して心の奥にフタをしているように感じています。だけど国を金持ちにする事よりも国民が幸せを感じる事を大事にしている国があるんだから希望はあるのではないか?と思いとても救われました。この世でも権力を手にしても大事なことを忘れない人がいる。そうだ、何を言われたとしてもどんな事が大手を振っていても私が大事なことを忘れなければそれで良いんだよね!!!心と身体が一番大事だと私が知っている事が大事なんだよね!それを知る良い機会でした。●国民総幸福量 (ウィキペディアより)(こくみんそうこうふくりょう、英: Gross National Happiness, GNH)または国民総幸福感(こくみんそうこうふくかん)とは、1972年に、ブータン国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが提唱した「国民全体の幸福度」を示す“尺度”である。国民総生産 (Gross National Product, GNP) で示されるような、金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考えから生まれたものである。現在、ブータン政府は国民総幸福量の増加を政策の中心としている。政府が具体的な政策を実施し、その成果を客観的に判断するための基準にするのが主な用途で、1990年代からの急速な国際化に伴って、ブータンで当たり前であった価値観を改めてシステム化する必要があったという。2005年5月末に初めて行われたブータン政府による国勢調査では、「あなたは今幸せか」という問いに対し、45.1%が「とても幸福」、51.6%が「幸福」と回答した。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E7%B7%8F%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E9%87%8F
November 28, 2011
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―――― 暗いです ――――10月21日、Leadの「絆」を観てから10時過ぎに新宿駅に戻り、楽天で長いこと交流のあるカエルさんと待ち合わせして初めてのジンギスカン鍋を食べに行きました。肉厚の羊肉とっても美味しかったです(*^▽^*)カウンターで食事って言うのも何十年振りな気がします。ピーも勿論全部初めてでした。そして勿論殆ど話さないピー(((((^m^カエルさんは初めてお会いしたとは思えないほど気さくで話しやすくてざくざく色んな事を聞いてしまいました(^^ゞこの度のTVの放射能報道についてとか某事務所による独占出演とかのTV業界についての疑問の話をガンガンしてしまいました。後で思うと私の悪い癖の人を追い詰めてしまう(と昔夫によく言われた)話し方をしたかもしれないとちょいと落ち込みました。話しやすい方だったのでねーー、つい関係者としての考えを聞いてしまったのでした。他にTV関係者の知り合いが全くいないのでガンガン聞いてしまいましたーー(^^ゞそうして雨の中、親切なカエルさんに高速バス乗り場まで送っていただき(ピーと二人だったらまた迷っていました)0時近くに無事に高速バスに乗ったのはいいけどなんとあの、口調は丁寧で上品なのにぶんぶん飛ばす運転手さんでした(=_= )つまり恐くて帰りも殆ど眠れなかった私とピーであります。無事に家に帰り着いたのが22日の朝6時半頃でした。それ以来かなりダウンしておりました。体調が戻るまで3日ほど。それから知人からの電話に触発されてもっとダウンしてしまいました。やっと快復して来ました。やーねーメンタル弱くて。強くなりたいです心。23年前~13年前のあの頃、苦しくて寝込むようになり床を這って移動していたりふいに泣き出したりしていつもいつも怯えていたのでした。恐怖症・不安症・パニック症状・着替えが出来ない・自分を責め続ける。慢性疲労症候群で動けなくなって買い物して寝込み、掃除して寝込み、ご飯作って寝込み、寝込む私を無視していた夫の強烈な嫌悪感と意地悪に混乱して怯えて苦しんでました。当時は何十人と言う人達と交流しており、具合が悪くなると共に段々と脳の処理能力が追いつかなくなり始めました。脳の働きがどんどん緩慢になり記憶力も判断力もすごく落ちました。若年性の認知症じゃないかと疑うほど一時期はひどかったです。そして自分を追い詰めていました。~しなければいけない。~するべきだ。~してはいけない。~はふさわしくない。まだ足りない。私は理解していない。私は何も解っていない。どうしてちゃんとできないのだろうか。みんなは平気そうだ。確信を持って行動しているように見える。私は何を基準にしたら良いか解らない。解らない解らない。自分がどこにいるのか解らない。求めていたのは真理だったはずなのにいつの間にか迷路を巡って自分を傷付けてしまった。あの時こう言えば良かったのに。あの時こうしていれば良かったのに。グルグルグル巡って静かな空間が恐くて一日中ラジオかテレビを付けて思考に隙間を与えないようにしていました。そうじゃないとグルグルグルグルあの時こうすれば良かった、あの時こう言えば良かった、どうして私はあんな行動を取ったのだろうどうして私は別の行動を取らなかったのだろうと自分を責め続けるので脳の中が真っ黒になって恐怖や不安に埋め尽くされてしまうのが恐くてそれ以来テレビっ子になってしまいました。そして病気三昧になり挙句に癌になってました。はぁ~~。まだ自分の中で解決していないからこんなに混乱するんですね。さて、ちゃんと向き合わないとね自分と。楽しい旅行から一転して整理していない過去の到来。そして新宿駅で見た小学生女子のホームレス。ぼさぼさの髪の毛。ぼんやりした表情。あの子を誰も助けてあげられないのでしょうか。家にいるより安心なんでしょうね。色々厳しい現実はあるんだけど、私も家が嫌いな子供だったけど、あんな小さい子がそれを選ぶなんて。帰りたい家がある人は幸いです。はあぁぁ~~。こう言う問題を自分の内部で整理してしゅっと切り替える事の出来る逞しい心が欲しいもんです(=_= )自分を受け入れて自分を許してそれはそれこれはこれと整理して喜びを純粋に喜びとして生きるようになりたいです。そして本格的な秋の到来と共にようやく心が起き上がって来ました。冬越し準備の鉢植え替えなどしつつ整理着手しようと思います(`・ω・´)
November 1, 2011
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先日夫と話をしていて言われた事がなかなか的を得ていた。ピーが傷付かないように私がその前にやってあげてしまうのでピーが追い詰められて必死になって自分に向き合うと言うチャンスを奪っているとK氏に言われた。なるほどその通りだと思った。私は人が傷付くのを見るのも辛い。だから人が辛い事になると思ったらその前に自分が頑張ってしまう、と最近気付いた。私には家族に味方がいなかったので庇われたり守ってもらった記憶がない。母にとってはしつけと言うスレス解消の対象にされたので大人に対しての警戒心が強い。と言うか味噌汁をこぼしただけでもガミガミ怒られて責められた。失敗や間違いは許されない大罪のように罵られ殴られて酷い目に合うので失敗は親に知られないようにしていた。だから私は何でも一人で対処した。だけど所詮は経験と知恵の無い子供の浅知恵でぶつかるものだから痛い目に合い、それは手酷過ぎる経験も多くトラウマがどんどん増えて行く。もの事は悪い方に転がるとどんどん悪い事が膨らむ事がある。それは子供一人で修復するには無理があり抱えるには重過ぎて身動き出来なくなり、非社会適合者がこうして出来あがる。そして中年になってようやく自分の状況を認識して今修復中な訳だ。私が欲しかった「親に受け入れてもらう」と言う事を自分の子供にはしてあげたくて、だけど私には良い経験が無いので程々と言う事を知らない。だから行動が極端になってしまう。私が欲しかった「味方になってもらう」「褒めてもらう」「励ましてもらう」「相談に乗ってもらう」「許してもらう」を自分の子供に必要以上に与えてしまったのだと思う。だからピーが他人を当てにしてしまう傾向は私がそうしてしまったからだ。これからはなるべくピーが自分で経験出来るように黙って見守っていようと心に強く思った。人間は痛い目に合って苦しんで初めて痛みを知るのだから。小さい子が転んで初めて転ぶと痛いと知るように、そして他人が転んだのを見てあれは痛いと思うように、経験はとても大切なので私は黙って見ていようと思った。ピーには自分で色々と経験してもらいたい。心地良い思いの他に、自分の失敗から経験値を増やしてもらいたい。失敗した自分も受け入れる人になったらどんな時でも生きて行けると思う。
October 9, 2011
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私の中の地雷についてピーがアニメ「WORKING!!」を見ていた。3~4話分溜めていたのをまとめ見していた。私はこのアニメが苦手である。女性陣が揃いも揃って非情な事をぬけぬけとやってのける。しかも皆に許してもらっている。それを見てピーは声を出して笑っている。いつも店の食品を好きな時に好きなだけ食べても良いファミレスの雇われ店長は働こうとすると物を壊すので何もしない方が喜ばれる。父親が可愛がり過ぎて男は恐いと刷り込んだために男性が近寄っただけで殴ってしまうファミレスの女子バイト。他にも極端だけどほにゃほにゃした女子やごり押しの女子、仕事が出来る我慢強い男子が出て来るファミレスのアニメなのだった。男性陣はその無茶苦茶を受け流すか殴られ続けても謝られると許して我慢している。私がこの殴られてばかりいる男性だったら理不尽過ぎてバイトを辞めてしまうと思うし、こんないい加減な従業員だらけの店が存続して行ける訳がない。ファミレスの大変さを舐めんなよと言いたくなる。大体この原作者が平素の不満をぶちまけて男性を困らせて喜んでいるだけなんじゃないかなと思ってしまう。ピーはアニメなんだから極端な設定なんだと言う。アニメだけど私はイライライライラして来るんである。だからその場を離れて台所仕事や洗濯物仕事を熱心にやる。それでも漏れ聞えて来る「また殴ってしまったゴメンネ!」「わーー気絶してる!」「今日はこれで3度目だ」それが聞えた時思わず心の声を発声してしまった。「お前が殴られてみろ===!!」何をそんなにカッカとなるのかと思う。若い人向けのアニメなので非現実的な設定や無茶なキャラはもう慣れていると思っていたけど、イライライライラするんである。そう言えばここまで酷くなかったけど「けいおん」も見ていてイライラしたのだった。何がイライラするのかその時にも必死で考えたのだが、忘れ物をしてもお茶をこぼしてもだらだらしても遅刻してもいい加減でだらしなくても全部許してもらえているのが許せないのかもしれない。私は全部許されないで責められて罵らせて殴られて育ったのでそれが許されてしかも自分が許されていると自覚していなくてそれが当然と受け止めていて思う存分だらだら生きている女の子にイライライライラしたのだった。私は何一つ許されなかったのにこの子は全部許されている。私が欲しかったものを全部持っているのにこの子はその貴重さに気付いてもいない。「WORKING!!」も同じ事に引っかかっているのだと思う。男性は許す側で女性が甘える側になっている。結婚してもそんなもの存在していなかったのでバイト先でこんなに許されるって事自体が有り得ないと思い、自分が何一つ持っていないと思うと腹が立つのかもしれない。だからこれは私の問題。アニメの問題ではない。私の問題。そして胸の奥が痛くなってシクシクシクシク痛くて苦しくなる。そんなこと小さい時から当たり前だったのでこんなに哀しい思いを抱えていたなんて気付かなかったのだ。社会人になってから学生時代の友人Kちゃんのアパートに仲の良い友人5人が集まった事があった。ご飯を食べてちょっと飲んでおしゃべりをして、奥の部屋に布団を並べて皆でごろ寝したのだけれど私はなかなか眠れなかった。するとまだ起きていたK子ちゃんが「眠れないの?」と聞いたのでそうだと答えるとK子ちゃんは私の横に添い寝して私の背中をトントンと優しく叩いた。私はそんな風に誰かに背中を優しく叩かれた事がなかったので驚いたのだった。私の体の中をK子ちゃんが叩く振動が優しく響き渡り隅々にK子ちゃんの優しさが染み渡った。いつの間にか私は眠っていて朝目覚めた時にとても心穏やかだった。しんとした暖かい朝だった。あんな暖かい思いで眠りに付いたのは初めてで最後だった。あのK子ちゃんの優しさを自分の子供達にあげたいと思っていたのだけれど私の場合は厳しさと言うバランスが無いのでただの甘やかしになった場合が多かった。子供達は私の地雷が解らないと言う。何に反応するか解らないと言う。私はいわゆる天然系で騙されたりからかわれても気付かない真に受けるタイプだから日常的にはふわふわしているのだけれど一旦何かに触れると爆発する事がある。誰も気付かない地雷を踏んでしまうのだ。その地雷は小さい頃から我慢して来た自分の「我慢した思い」「哀しかった思い」と言う地雷なので他の人には解らないのだった。この地雷をなくしたいと思うんだけど自分では大分撤去出来たと思っていてもこのアニメに強烈に反応したりするようにふいに浮上するのだった。私の中の地雷は私にしか解らない私だけの地雷で私だけにしか撤去できない地雷なのだった。あなたの中には強い怒りがあってそれはとても激しい感情だと夫が言う。普段は見えないで隠れているけれどちょっとした事で見えるそれはとても強い怒りだと夫が言う。この怒りを何とか緩和したい。生きるのが楽になるように怒りを少しずつ汲み出したい。この怒りが地雷となっているのだと思う。自分でも思いがけないほど激しい怒りと言う地雷。それほど我慢して生きていたのだなあ。今日、数年振りで会った知人も多分許されないで育ったのだ。彼女からは普段から小さい怒りが発せられて私は同類種の匂いがして切なくなるのだった。しかも彼女は周囲の人に完璧さを要求するのだった。それで泣いてばかりいた子供達が逃げ出した。彼女もそんな風に怒りを降り撒きながら生きていては辛かろうと思う。子供時代に刷り込まれた思い込みと無意識の価値観をどうしたら自分の必要に染め替える事が出来るのだろうか。文字にしたら少し落ち着いて来た。
October 2, 2011
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先週、地震後に初めて歩いて図書館に行きました。図書館で一人の時間を楽しむ心の余裕がありませんでした。でも最近になってようやく図書館に行きたいと思えるようになったので歩いて行くと、図書館が入っている壱番館の海側の古くからの商店街で津波にやられた所が3軒営業していました。すごく喜んでいたのですが今回の台風でまた冠水したらしいです(′;ω;`)今日確認しに歩いて行こうと思っていたらまた雨が降ったので止めました。塩釜は洪水に備えて何年間も海岸通りの下に大きな下水管を設置する工事をして来たのに役に立たなかったのでしょうか?地震で中はどうにかなったんでしょうか?今年から新たに「都市計画税」を徴収されたのですが、頑張る力が奪われそうな現実です。所で先週図書館に行った時、帰り際に友人Kさんの娘さんに声を掛けられました。ラーと同い年の娘さんでKさんとは家族ぐるみで23年ほど親しくしていただいています。人見知りが激しくて私から絶対離れなかったピーが4歳の頃に一人で初めてお泊りしたのがこのKさん宅でした。子供達が大きくなってからはちょっと話すくらいなのですが。Kさんはいつもニコニコしていてユーモアの豊かな方で大らかで温かい人柄なのでいつお会いしても同じ安定感があります。Kさんが車で娘さんを迎えに来るのを待ち、挨拶だけして帰ろうと思っていたら思わず話が弾んだので車に乗り込みその後何年間も人にしていなかった話を2時間お互いにワーーッと雪崩のようにしました。中傷にならないようにとこれまで人に言わないで来た事を私が話したら、彼女も話し出したのでした。13年まえに巻き込まれた出来事の話をするとKさんも似たような経験を7年前くらいからしていたらしく、しかも寝込んで動けなくなって心身が病んで癌にもなって逃げ出した私と違って彼女は癌になっても逃げずに闘ったのでした。それらはお互いに黙っていたので知っている人も少なく、Kさんも私もお互いがどんな状況にあったのか初めて詳しく知ったのでした。それはいわゆる権力のある人達が自分の思い通りに人を操作しようとしてKさんが抵抗した話でした。Kさんは人のいない所で蔑まれて意地悪されて、子供達もいたぶられてとても気の毒で聞いているうちに泣いてしまいました。でもKさんは「私は泣かなかったの。 だって私悪くないんだもん。 あの人達はいつか遠くに行くし 私は私のやるべき事をしていれば良いんだし 私は間違いだと思ったらはっきり言ったし 何を言われても私さえしっかり立っていれば それで良いんだもん。 だって失うものなんかないし、 だから皆が黙してても私は言う事を言ったの。 意地悪されたってアメとムチで翻弄されたって 私がやるべき事をやれば良いんだから」「よく逃げなかったね」と言ったら「これは意味があると思ったの。 意地悪されたり利用されても 学ぶべき事があるから 私達家族は皆で学んだの。 あの人達は人前では親切を装っていたから 気付いていない人が一杯いて 立派な人だと言われていて。 頭が良くて弁が立って 知識がすごかったから 尊敬してる人もいるし、 励まされて元気になった人もいるの。 その人はそれで良いと思うの。 やっと元気になったんだから わざわざ言わなくても良いと思ったの。 うちだけ酷い扱いされるんだから 信じている人はそれで良いと思ったの。 でも私はずっと闘ったの。 6年近く闘ったの。 だって他の人は関係なくて これは私の問題だから」その人達は人前では足の悪い彼女の荷物を持ってあげたりしたそうで皆はなんて親切な人だと思ったんだそうです。知識が豊富で弁が立つ人なので凄い人だと思われていたそうです。何だか非常に示唆に飛んだ話でした。その人達は遠くに引っ越したのでKさんはようやく話したのだと思います。私は権力を振りかざす人が大嫌いで、それは母から抑圧されて育ったのでちょっとでも権力の匂いがすると非常に敏感に反応するのです。そして自分が酷い目に合った事をずっと忘れないのです。その人が悪いと思うのです。権力を振りかざして自分の望み通りに人を造り変えるなんて余りにも傲慢だと思うのです。だからいつまでもその人への憎しみが残るのです。だけどKさんはその人達への恨みつらみではなく自分がどう捉えてどう行動するか・・・と言う方向に持って行ったのでした。権力のある人に同調してコロコロ変わる周囲の人に対しても冷静な目で見ていた訳です。この違いは何だろうと思いました。Kさんと私の違いは何だろう。きっとKさんは自分を被害者だとは思っていないのです。私は自分を被害者だと思っているからいつまでも傷付けられたと引きずって自分から立ち上がれないのだろうと思いました。私が自分を被害者だと思っている限りいつまでも立ち上がれないのだと思いました。それは全てに関わりのある事だと思いました。私のあらゆる事に関係していると思いました。Kさんの話を聞いているうちに目からウロコを感じました。私はどうしたら変われるのか。どうしたら立ち上がれるのかとずっと考えて来ましたが、きっとこの被害者意識からの脱却がとても大きいな変化をもたらすものになると思いました。何をどう経験しようと己が変わらずにいる人がいて、私のようにその都度ぐだぐだになる人がいるのは何故だろうとずっと疑問だったのですが、Kさんの対応や行動で見えた気がしました。私はいつまでもくよくよと己を被害者意識で傷を舐めるのは止めようと思いました。それで随分スッキリしました(*^_^*)歩いて図書館に行ったご褒美だと思いました\(^ー^)/
September 23, 2011
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ピーが好きな佐藤健君が出ているドラマ「冬のサクラ」は録画予約をして、フジテレビのドラマ「スクール!!」を見ていたら三浦翔平君を見つけたので急いでピーの部屋に行って教えた。「録画出来ないから見て」と言った。どちらのドラマも全く情報無しだった。「スクール!!」はトンネル掘削現場の課長が小学校の校長になる話で、トンネル現場の次に小学生のいじめのシーンが出た時あ、まずいか・・・と思った。そしてピーからメールが「これは見ない」と来た。今もまだ問題に向かった学校ものは見れないんだと思った。そう言えばピーは、佐藤健君が出ていた「Q10」すらまだ見れていないのだった。「ドラマ見れるほど元気になっていない」と言っていたのだった。そうだった。ピーはまだドラマを見れなかったんだ。「Q10」はDVDにダビングしたまま私は誰ともあの素敵な世界観の話しが出来なくて残念に思っている。いつかピーとあの素敵な言葉とシーンについて話が出来たらいいなと思っている。「スクール!!」は現代日本の義務教育の膠着した世界を民間人ならではの感性でかき乱して行くのだが、いじめも諸問題も隠蔽する事が普通になっている世界が、臭いものにフタの日本の現状が上手く伝わって来た。そのうち自分がぶち当たった先生方、校長先生とのやり取りを思い出してしまった。毎日教室で授業や休み時間の生徒と担任のやり取りを関係者ではない唯一の大人の私だけが見て驚いた事を、おかしい事をおかしいと言ったら勘違いしているだけだと言われたり感じ過ぎるからだと言われた事を思い出し、ムカムカして来て苦しくなりそれでも逃げないぞと思って見ていたら喉の奥に何かが詰まったようになって息苦しくて胸をどんどん叩いた。くそうううう。まだまだ問題は自分の中に鎮座しており未解決なのだなと改めて思った。くそおおおお。だけど逃げないんだから。お父さんみたいに逃げたりしないんだからとそう思っている自分に気付いた。食物連鎖の最後に振りまいた毒が人間に戻るように、大人の歪みが全部子供達に現れていると思う。民主党のおかしさは一般人から見ても解るのに民主党の人達は自分が見えてなくて、一般人も自分の姿は見えないんだよね。大きな問題の前に立つと無力感で呆然としてしまう。ドラマの中の頼もしい校長先生が実在するかどうか解らないが、フタをしないで正面から向かう大人がいたらとても頼もしいと思った。フタはしないぞ私は!でもどうしたら良いのか解らないんだ私は。自分を信じてあげないと何も見えないし動けないんだなと思うんだけど、どうしたらいいのか解らないんだな私は。
January 16, 2011
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先々週、午前中から出掛けて用事に追われていた私は夕方になってお腹が空いたため、最近の贅沢「ファミレス一人外食」をしました。夫が仕事を変えてから収入が激減したため、仕事をしていない私は超節約生活に突入しました。ですが、何しろ24時間家族が家にいて一人になれる時間は外に出た買い物の時や、図書館に行った時など非常に限られているので一人ご飯はとても貴重な時間です。子供の頃いつも一人だった私は一人の時間がないと自分を見失いそうになるのです。それで超節約生活ながらもごくたまに一人で食事をして、時間や人目を気にしないで寛げるファミレスで本を読んだり手紙を書いたり考え事に集中したりします。家にいると目の前の事に追われ、テレビやPCに乗っ取られ、本来の自分に集中するのがとても難しいのです。ですから私にとってファミレスでの「一人ご飯」はとても大事で贅沢な時間になっています。勿論ほとんどの場合は図書館や市民センターでお金を掛けずに数時間を過ごします。その日の用事の中には図書館での本の返却や予約や借り出しもあり、自分を知りたいと思って借りて来た「パーソナリティ障害がわかる本―「障害」を「個性」に変えるため―」岡田尊司著、をファミレスで読んでいました。パーソナリティ障害がわかる本価格:1,575円(税込、送料別)某ジャスコにも用事があったので、そこの中にあったファミレスに入ったのです。ドリンクバーがあればゆっくりハーブティーでも珈琲でも読書しながら楽しめます。食事しながらタイプ別に書いてある「パーソナリティ障害・・・」を読んで自分がどこに当てはまってどこを自覚すべきかどう対処すべきかを考えていました。それと同時に、家族や友人や知人もそれぞれに当てはまる部分があって人はみんな何かしらを抱えて生きているんだなぁなどと感じていました。そしてドリンクバーに行って最後の締めに珈琲をカップに注ぎ、ウキウキした気分で椅子に座ろうとした時にそれは起きました。私がドリンクバーコーナーにいる間に私の隣のテーブルの席に着いた4人組の家族がいたのですが、手前の椅子に三~四十代の母親・母親の奥に中1くらいの長男・壁際のベンチ椅子の奥に小5くらいの長女・手前側に小2~3くらいの次男の四人組でした。3人の子ども達はよく話し、母親も早口にキツイ口調で突っ込んでメニューについて4人があれこれ語っていました。長男がメニューについて何かを話しました。すると母親が間髪置かずにスパーン!と頭を叩いて「おめぇはべらべらしゃべってんじゃねーよ!!」それは私が調度奥のベンチ椅子に座ろうと中腰になった時でした。あまりの勢いの叩いた音と母親の激しい口調に驚いた私は中腰のまま固まってしまったのでした。そのまま4人の会話は続いており、母親はイライラと一々罵っていました。私と逆の方を向いていた母親は私が途中で止まった事に気付きませんでしたが、私の方を向いていた長男が私が中腰のまま固まっている事に気付き、長男の様子で長女も私に気付きましたが母親と次男は気付きませんでした。母親の過激な反応は彼らにとって「いつもの事」なんだなと解り、しばらく経って私は努力して椅子に座ったものの、無意識のうちに左手に持った珈琲をテーブルの上に置き、右手で口を覆っていました。目は衝撃のために大きく瞠っていたと思われます。口を手で覆い気を鎮めようと思ったようです。その様子を長男と長女が見ているのが私の視界に見えていました。すると長男と長女の様子に気付いた母親が私を振り返って見ました。何かまずいと思ったらしくて母親は罵り言葉を止めて少し普通の口調になりました。私はまた努力をして口を覆った手を外し、まさしく自分のコンプレックスや生い立ちの歪みによって植え付けられた人格障害にどう対処するか、と言う内容が書いてある本を手に取り、何もこんな本を読んでいるタイミングでこんな過激な母親が隣に来なくてもと複雑な思いで読み始め、ノートにメモを取ったりしていたのですが心臓はまだバクバクしており、常に罵られて操作されていた叔母や私の子供時代の事を思い出して、この子達は将来どんな歪みを持って生きて行くのだろうか?と考えたりして、ぞっとしていたのでした。すると私が自分の事に集中したと思ったらしい母親が本来の自分を取り戻したらしく、メニューに感想を言っている子供達に(私にはののしりにしか聞えない)言葉を掛け始めました。「オマエ、足を上げてんじゃねえよ!」「しゃべんな!!」「うるさいよ!」「オマエはしゃべんな!!」「触んなよ!」イライライライラの口調で引っ切り無しに子供達に声を掛けている母親。(私には罵っていると感じる)次男が持って来たスープの量が多かったようでテーブルにこぼしたらしく、「ほれ、言った通りだろ! 多いんだよ! さっさとゾーキン持って来い!!」こぼしたくらいで罵られていました。私が子供時代の食卓は祖母が睥睨する中で静かに進み、やはり味噌汁をこぼしただけでひどく罵られて、些細な失敗も許されない恐怖が刷り込まれたのでした。隣の4人家族は、母親がいくらギャーギャー言っても子供達は一見何も気にしていないようでした。母親の言葉には反応せず自分が話したい事を話しています。子供達は普通の口調で話しているのに母親だけ早口に叫んでいました。何か、ちゃんとキャッチボールになっていないと感じました。昔、夫と話す時に感じていた違和感。私がベースボールで柔らかい曲線を描いたボールを投げるとバレーボールを全力で打ち込んだサーブが向かって来たように感じていた夫との会話。思いや思考を受け取ったり預けたり出来ない会話と交流。それを思い出したのでした。この子達の思いはどこに行くんだろう?この母親は自分もガミガミ罵られて育ったので罵るしか自己表現が出来ないんだろうか?この母親の思いはどこに行ってしまったんだろうか?迷子になっているのではないだろうか?長男が次男に向かって「お前、うるさいぞ」と言うと、母親が長男に向かって「オマエが黙ってろ!!」と叫ぶのを聞いて、私は内心あんたが黙ってろ!と思ったのでした。私の中に残っている子供時代の記憶がムクムク起き上がって来て、一々一々叔母の言動を罵る祖母やイライラを私にぶつけていた母の姿が隣の4人家族の母親と重なって見えたのでした。何がどうなってこんな表現になったのか。子供を罵る事しか出来ない、幸せには見えない母親。今思い出しても悲しくなり、思い出すと何か出来ないものかと思ってしまうのでした。家族の前では平気そうにしていてももしかしたら学校では同級生や下級生を罵っているかもしれない、操作しているのかもしれないと考えてしまうのでした。あんなに一々罵られて全く平気なはずがないです。親の歪みは子供に直球で伝わる事は私が自分の親の事や自分自身の事、自分の子供たちの事を知っているのでようく解るのです。今は平気そうな子供達も大人になった時に受けた傷は痛みを増して年々深く歪んで行くと思われ、私はあの母親も子供達も何か救う手立てはないものだろうかと思ったのでした。自分さえ救えない私だけど何か出来ないものかとそう思ったのでした。
December 30, 2010
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先日、寒い夜にご飯を作っていた時の事。家事を幾らかでも楽しいものにしたいと思ってmp3ポータブルプレイヤーのイヤホーンで音楽を聴きながら食器を片付けたり、台所で米を研いだり、おかずを作ったりしていました。最近mp3プレイヤーに入っているのはハウス系テクノやトランス・ジャズあれこれ。BOOM BOOM SATELLITES・Underworld・Radiohead。ニコニコ動画の歌ってみたの歌い手さん達clearさん・腹話さん・みーちゃん・しゃむおん君・hiroさん(この方はプロでもある)・そらるさん・neroたん・てんちゃん・nekoさむ・しろくろたん・スリーぴーすさん・amuたん・etcetc・・・そしてLeadが80曲ほどとUVERworld・三浦大知。Leadは元気が出る明るいハイテンポな曲が多く、曲を聴くとライブを思い出し自然に浮き浮きと体もリズムを取りながらニコニコしながらご飯を作ります。すると渋く始まったRadeioheadの「These are My Twisted Words」 。ギターがソッピースキャメルを彷彿とさせて実に暖かい音色で個性的。水面にたゆたいながら内面の深くに潜り込んでいく感じがします。ハイテンションから急に内向的に切り替わり、私も静かに音楽に聞き入りながらあれこれ考えに耽り出した所に流れた次の曲が「Everything in its right place」。これは実在の霊能力者が警察に協力している事実を素に作られているアメリカのドラマ「ミディアム」のオープニング曲でぞわぞわと恐さが伝わる不思議な曲です。私のmp3は曲の順番を操作出来ないため自分で流れを作れないと言う残念な所に起因している気分飛ばしの状況です。それでLeadのお祭りライブ気分から180度ひっくり返った深遠な気分で静かにご飯作りに専念していたら、いきなり顔の右側に誰かの顔が現れ、私は不意を突かれたために驚愕し、悲鳴を上げながらその時に持っていた水で戻してザルに上げたワカメの水切りをして溜まっていたボウルの水をその顔目掛けて振り掛け、台所の隅に走って行って丸くなり叫び声を上げていたのでした。私の心臓はキリキリと痛みを感じ動揺はしばらく収まらず、ヒイヒイと震えて丸くなっていたのでした。この反応は自分でも驚いたのでした。こんなに過激に反応する事は初めてかもしれません。落ち着いてから見るとそれは息子なのでした。息子は驚いて困って立っていました。ホラーみたいな恐い音楽に脳内が満たされていた時にあんな風にそっと近付いて顔の横に顔を突き出してはいけないです(`・ω・´)「お母さんは大げさだ」「ちょっとした事ですぐ驚く」子ども達によく言われます。そして私の過激な反応が面白いと子供達はよく隠れて私を脅かします。毎日、何度も脅かします。私が大げさに騒ぐから面白いのだそうです。ですが私はわざと騒いでいる訳ではないのです。私がどうして他の人よりひどく驚いたりちょっとした刺激にも過敏なのかずっと不思議だったのですが、私にはPTSDのフラッシュバックが未だにあるので人が驚かない事にも恐怖を感じたりニュースを見るだけでさえストレスを感じます。それだったのです。いつだったか心や精神病関係の本を読んでいた時に「PTSDの人は刺激に過敏であり、海馬が萎縮している」と書いてあり、非常に納得したのでした。おまけにPTSDの人は乖離に陥りやすいとも書いてあり、去年のEGCで乖離状態になった事を思い出し自分の状況をもっと把握して少しずつでも開放してあげたいと思いました。■ウィキぺディアより 心的外傷後ストレス障害(しんてきがいしょうごストレスしょうがい) またはPTSD(Post-traumatic stress disorder)とは、 危うく死ぬまたは重症を負うような出来事の後に起こる、 心に加えられた衝撃的な傷が元となる、 様々なストレス障害を引き起こす疾患のことである。私は記憶に映像を伴っている人でいつでも取り出して見れたのですが、今は新しいものほど消えて行き記憶力なんて当てのないものになりました。もう記憶するのは嫌だと体が言っているのかなと思うこの頃です。子供達には「私には重症のPTSDがあるので、 わざと驚かすのは止めて下さい。 心臓が危険です」とお願いし、私はもう人がいる所ではイヤホーンで自分の世界に没入するのは止めようと思いました。人が近付く音が聞こえていれば身構えていられるので驚かずに済むからです。そんな事があった数日後、フジテレビの「ごきげんよう」に出ていたピーターさんが初めてサーフィンに挑戦した時、大きな波に飲み込まれて波打ち際まで揉みくちゃに翻弄されて立ち上がろうとしたら引き波に引きずられて海に戻されてまた波にもまれて危険な目に合った話しをしていました。何とか浜に上がったものの頭が痛くてしばらく難儀したそうです。所がその翌年に仕事でホテルに泊まった時、お風呂に浸かった途端に頭が割れそうに痛くなり、ようやく浴槽から這い出て床に転がりこのまま死ぬのかと思ったそうです。何とかマネージャーに連絡をして病院に行って調べてもらったけれどどこも悪い所がなく、結局はサーフィンの時に波にもまれた恐怖のPTSDだと言う事が解りました。お風呂に浸かった時に脳が恐怖を思い出したらしいのです。人間の脳の記憶と言うものは自分で操作出来ず、自覚も出来ないと言う事の解り易い例だと思ったのでした。ピーターさんは時間が経って良くなったそうです。私も高校生の時に波打ち際にいて凄まじい波にさらわれた事があり、恐ろしい力で海の中をぐるぐる回転させられ何一つコントロール出来ない恐い思いをしました。髪の毛一本一本の間、耳の中、鼻の中、口の中、水着のあらゆる中に砂がみっしり入り込みシャワーで流しながら驚いたものです。共に波打ち際にいた友人2人も同じ目に合っており、静かな海辺で突然自然に噛み付かれ非常に驚いたのでした。ピーターさんはあれの何倍も揉みくちゃにされたのでしょうね。小さい頃に親から離れて育った事。家に戻っても居場所が無かった事。PTSDで世界が信じられない事。結婚しても敵が一杯だった事。そんなこんなで私は自分の中にしぶとい「不安」が住み着いている事をより深く知り、これを何とか和らげたいと思っています。毎日不安や恐怖感に襲われると「大丈夫、大丈夫」と声に出して自分を安心させます。「大丈夫、大丈夫」何とかなるさと声を出し。「大丈夫、大丈夫」自分が味方だよと声を出し。
December 19, 2010
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4日間、恐ろしく必死こいて叔母の引っ越しと手続きのあれこれを頑張って来ました(`・ω・´)! あんなに頑張ったんだからもう何でも出来るんじゃないか?と思いました。何しろ叔母はすぐに自分の世界に入り込んでしまうのでしばしば声を掛け、衣類を捨てるのか使うのか一枚一枚の確認をしたので時間がどんどん足りなくなり、積もり積もった十数年の塵や埃や生物のサナギや死体や菌類にまみれながら殆ど一人で片付けたのでありますっ(`・ω・´)! 整理も叔母が異世界に没入してしまうため殆ど一人でやったのでありますっ(`・ω・´)! 「馬車馬のように」もしくはハムスターのようにグルグルグルグル巡って働いたのでありますっ(`・ω・´)! 最後に、新しく買い替えた家電の使い方を紙に書き、普段使い用にダンボール紙に書き、3日間説明を十数回して、ようやく炊飯器やIHヒーターや電子レンジやテレビや冷蔵庫や洗濯機の使い方を理解したようなのですが、ガス風呂は種火を押し回しで点けて少し押したままにして、次に90度下に廻して次に給湯にレバーを切り替えて・・・と言う複雑さがネックとなりました。使い方を十数回話して2時間、どうしても理解出来なくて紙に描いて説明してもダメで、実際やりながら説明しつつでも押し回しが上手く出来ないやら、仕組みが理解の範疇を出てしまったようで本当に大変でしたーーーーー・゚゚・(≧д≦)・゚゚・帰り際にまた実地で教えたのですが、憶えたと叔母が言ってましたが出来ない時はケースワーカーさんが来た時にお湯を貯めてお風呂に入ってねと言いました。もうどこかで切りを付けないと果てしないのでした。ドクターの勧めと訓練により叔母が初めて一人暮らしを始めた十数年前、準備をして家電の使い方や、コンセントを必ず抜く事や、ガスの元栓を必ず締める事を教えたのは母で、それがあるから今も火事の心配をしなくて済むのだと解りました。昔、叔母が天童にいた頃はお茶を飲むためにお湯を沸かしている台所で自分の世界に没入し、目の前のピーピーヤカンがうるさく鳴っても気付かなくてヤカンを焼く事がよくあったのでした。母は教師だったので教えるのは得意でした。叔母の部屋を片付けていたあちこちに母が紙に書いた洗濯機の使い方とか、ガス湯沸かし器の使い方などが残っていて思わず胸が熱くなりました。母は祖母を憎んでいたので叔母の世話をするのは苦痛だったろうなぁと、叔母に新しい事を憶えてもらう大変さを実感して改めて思いました。お母さん、あなたは父が亡くなった後叔母の世話を頑張ってしました。叔母が一人暮らしをして私たちの足かせとならないようにと頑張ったんですね。今、叔母が天童の家で暮らしていたら弟はどうしていたろうかと思うのでした。弟は小学生の頃に既に叔母を見切っていたので、母の認知症によるドタバタ時代と亡くなってからを考えるとどんな事になったろうかとゾッとしたのでした。お母さん、あなたはズルイ所もあったけれどあなたはとても頑張ってくれました。ありがとうお母さん。叔母に同じ質問を繰り返し浴びて同じ説明をずっと繰り返しながらそう思ったのでした。そして衣類のダンボール箱5個を残して他は全部綺麗に整理し終わったので帰ろうとしていたら、新しい大家さんへの家賃の支払いを銀行引き落としに手続きするのを忘れていた事に気付き呆然としていたら、叔母が「今日も泊まて行ぐが~?」と声を掛けて来たので(4日も一緒にいたので、 私の存在に大分慣れたのだった)我に返り、このままではずっとここで叔母の世話に明け暮れそうだと青ざめ、出来ていない所は後で頑張る事にして取りあえず夜の8時半に叔母のアパートを出たのでした。そして実家に布団を返す道すがら車の中で音楽を大音響で聞く事が出来る幸せに酔い、一人で気ままに決めたり行動出来る幸せに酔い、誰にも気を使わなくても良い一人の時間に酔い、私はずーーーっと車の中でニヤニヤ笑ったり大声で歌ったりしていたのでした。4日間、殆どテレビも見ていなかったので深夜に帰った家でアフォーな番組を見たら馬鹿みたいに笑って下らないテレビを見られる幸せにも酔ったのでした。叔母はNHKの相撲と歌謡ショーしか見ないので私は自家製の音楽を脳内で巡らせていたのですが、無意識の脳内に4日間の殆どを巡っていた曲と言うのが韓国のガールズユニットの「KARA」の「ミスター」でした(_≧Д≦)ノ彡☆KARAの「ミスター」お尻を振り振りするダンスが印象的なエロ可愛い5人の女子の憶え易い曲です。私は叔母の引っ越しに行く前、あのお尻はどう動いているのか?と真剣になって画像を見てあれこれ研究していたので、そのせいかもしれないです(^^ゞ兎に角、気付くと「ミスター」が脳内で流れていて、たまにLeadの曲とニコ動のてんちゃんの「BLAZE」が流れるのです。Leadの「Speechlees」てんちゃんの「BLAZE」でも、気付くとまた「ミスター」が流れていて、私の好きな音楽のレパートリーはとても広いのに脳から離れないのは「ミスター」なのでした(((((^m^だから車の中で実際に音楽を流して一緒に歌う喜びは非常ーーーーーに喜ばしいのでした。叔母とは会話が殆ど成り立たないので独り言に近い説明状況、もしくは無言になり、気付かないうちに色々鬱積していたらしくて、家に帰り着いてご飯を炊いて待っていてくれたラーと二人でご飯を食べながら普通に会話のキャッチボールをしていたら知らないうちに涙が滲んでいたのでありますっ(`・ω・´)! いつもやっている事、営まれている生活のありがたさを改めて感じました。人生を変えるために「なんとか道場」でスパルタ式のワーク体験・・・・・みたいなものを以前テレビで見た事があったのですが、叔母の引っ越しはまるでそんな修行をしたような感じなのでした。いやぁ~~~会話のキャッチボールって凄いものなんですぜ===(`・ω・´)一々一々一々一々一々確認しないと何も決められないって苦痛なんですぜ===(。・`ω´・) 何で興奮し出すか解らないので内心ビクビクしながらサクサク作業をするのは凄く大変なんですぜ===(´・ω・`)好きなテレビを見たり笑ったりするのってとてもありがたいものなんですぜ===(′;ω;`)だからラーに向かって水道の蛇口みたいに話しまくってました(´・ω・`)ですが4日間一切パソコンに触れていなかったので目が良くなりましたっ(`・ω・´)!肩凝りも良くなりましたっ(`・ω・´)!時間も喰われずに済んでましたっ(`・ω・´)! 動くのが苦痛でなくなりサクサク動けるようになってましたっ(`・ω・´)! 凄いですねーーーー\(^ー^)/働く準備に最適でしたねーーーー(。・`ω´・) でも、秋から胃に違和感を感じるようになってゲップが止まらないほど出続けるようになり、叔母の引っ越しに行ってからは食欲も失せ、食べ物の味も失せてきっと胃潰瘍か胃癌か?と怯えが走りました。所が家に帰って光線治療をした途端に胃が軽くなり味も戻ったのでしたp(^-^)q現金とはこう言うものですね。体とは正直なものだと益々思いました。最近は息を吸うのが難しいのでこれからは呼吸を大事にして毎日を味わいたいと思ってます(*´▽`*)ノシ
November 21, 2010
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昨日の朝、車で娘を高校まで送って行き、帰りにそのまま病院に寄って期限が今日までの子宮癌検診に何とか間に合いました。家に帰ればPCとテレビで時間が過ぎてしまうので、そのまま市民交流センターに行って手紙を書いたり本を読んだり考え事をしたりしました。生活感のない所にいると大事な事が見えやすいんです。家にいると埋没してしまって大事な事を先送りにしてしまうんです。そして夕方、早目に娘を迎えに仙台に向かう途中「○○先生と○○ちゃんがサックス吹いてる!」と娘からのメールが入りました。○○先生はサックスを習い始めて1年。○○ちゃんはサックスを習い始めて2年。生徒の○○ちゃんの方が上手い訳で○○ちゃん指導の下、たまに放課後の教室でサックスの練習を2人でやるのだそうです。予てからその状況をうらやましく思っていたので「見たいです」とメールを送ったら「いいよ。教室に来たら?」との返事に狂喜してお邪魔しました。授業が終わって皆が帰った教室で仲の良い子達が4人残っており、久しぶりの放課後の教室と言う環境で生のサックスを聞くという贅沢!!先生と生徒が一緒にサックス演奏すると言う何て素敵なシチュエーション!!!興奮しないわけが無い!!!でも、ひっそり端っこで聞いてひっそり帰るものだと思っていたので油断していたのでした。演奏が終わって先生が話しかけて来た時ついつい興奮状態だったために好きなサックス奏者の名前を一杯言ったり、他の女子とダンス話しに花が咲いたりして、どんどん興奮状態になりハイテンションが止まらないよ~になり、しゃべりまくりのハイテンション母さんになってしまいました(=_= )こう・・・・・緊張すると話さずにおれないんです。シーンとした間が恐いんです。何故恐いのかまだよく解っていないんですが、シーンとすると必死になってしゃべり倒して間を埋めようと死に物狂いになっている自分に後になって気付くと言う・・・・・・orz教室にいた2時間、面白可笑しくずっと話し続けていた私。。。。。帰りも地元の方を車に乗せて来たのでその間も話さないでもいい事話し続け・・・・orzしゃべりまくりの3時間を過ごして家に帰り着いた時のすごい疲労感。やっちまったなぁ・・・ヽ(゚∀。)ノなぁぁぁ~んだ。私ちっとも変わっていないじゃん(=_= )全然コントロール出来ないじゃん(=_= )○○先生には次回から早目に学校に来て一緒に授業受けましょう、などと誘われてしまい・・・・・。うううむ。次回からは己を見失わないように客観的な自分を目の前に置いて・・・・・。次回こそは浮かれ天狗にならないように落ち着いたお母さんでいたいと・・・・・。次回こそは自己コントロールを意識してしょうもないテンパリ状態にならないようにと・・・・。はうーーー(´・ω・`)人間、そうそう簡単には変われないものですね(´・ω・`)
September 30, 2010
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●考えながら読んでいる本●「オプティミストはなぜ成功するか」マーティン・セリグマン著 訳=山村宜子 講談社 オプティミストはなぜ成功するか価格:660円(税込、送料別)セリグマン博士はペンシルバニア大学教授。オプティミスト(楽観主義者)とペシミスト(悲観主義者)の研究を25年間続けて来た。この本は本来他人には理解出来ない、他の人間の心と感情を分析して思考の仕方と言葉で説明した珍しい本です。長い間疑問だった、ある出来事が人にとっては笑い飛ばす事だったり同じ事が別の人にとっては大問題だったり人によっては軽く乗り越えられたり人によっては一生を左右する躓きの始まりだったり、余りにも違うその後と結果は何故引き起こされるのか?これの答えが詳しく載っている本だったのでこの本を紹介してくれたしゅうべえさんに感謝いたしますm(_ _)m自分の事、他の人々の事が随分理解出来るようになりました。少しでも自分や世界が幸せになって欲しい。(この悲観的な発想がすでにペシミストだわ)■理解を深めるためと、思い起こすために、 心に響いたり、納得したりヒントになった所を抜粋しました■その1()内は自分から湧いて来た思い。P18・ペシミスト(悲観主義者)の特徴は、悪い事態は長く続き、 自分は何をやってもうまくいかないだろうし、 それは自分が悪いからだと思いこむことだ。・オプティミストは同じような不運に見舞われても、 正反対の見方をする。 敗北は一時的なもので、その原因もこの場合にのみ限られていると考える。 挫折は自分のせいではなく、その時の状況とか、 不運とか、他の人々がもたらしたものだと信じる。(どう捉えて自分に説明するかと言う入り口で すでに真っ二つに分かれてしまうのだ)P19・悲観主義現象の核には、無力な状態がある。 無力とは、自分がどんな選択をしようと、 これから起こることに影響を与えることはないという状態だ。(そう言われてみれば、私の中にはかなり強い無力感、虚無感がある。 確かに物事を変える力があると思っていなかった)P31「成功と失敗を分けるものは何?」・もし、才能や意欲と同じくらい重要な第三の要素―― 楽観主義または悲観主義――があるとしたらどうだろう?・もし、私たちが必要な才能も意欲もすべて備えているのに、 ペシミストであるために失敗するとしたら、どうだろう?・もし、オプティミストのほうが学校でも職場でも スポーツでもよい成績を上げるとしたらどうだろう?・もし、私たちがこの技術を 子供たちに教え込むことができたらどうだろう? (自分の才能をよりよく使いこなせたら こんなにうれしい事はない。 ましてやそれを子供に伝えられたら)P33「健康を決定づけるものは何?」・私たちの考え方、とくに健康に関して どのような意見を持っているかによって健康状態が変わる。・オプティミストのほうがペシミストよりも感染症にかかりにくい。・オプティミストのほうがペシミストよりも健康的な習慣を持っている。・オプティミストのほうが免疫力がある。・オプティミストのほうが ペシミストよりも長生きであることが証明されている。(長寿の方々をテレビで見る限り、とても楽観的であり 現状を受け入れ幸せそうで満足している・・・と感じる。 これはいかに自分や現状を受け入れるかで 人生が変わると言う事の現れだと思う。 私は自分を受け入れ、人生を喜びたい)P35・自己コントロール理論――二つの基本的観念 無力感の習得と説明スタイル。・”無力感の習得”とは、あきらめの反応を指す。 自分が何をしようと事態は変わらないのだからやめようという考え。・”説明スタイル”とは、なぜこのような事になったのか 普段自分に説明する時の方法。 これは無力感の習得を大きく左右する要素。・楽観的な説明スタイルは無力感に陥るのを防ぐのに対し、 悲観的な説明スタイルは無力感を拡大してしまう。 日常、挫折や大きな敗北を経験した時、 自分に対してどんな説明スタイルを取るかによって、 どれほど無力感に襲われるか、 またを自分を奮い立たせることができるかが決まる。・もしペシミストであっても、悲観主義から逃れて、 必要な時に楽観主義を使いこなす方法を会得する事ができる。 第一ステップは自分の心の中の言葉を見つける事だ。(あらゆる前進に共通なものは、 きっと「自分を知る」事から始まるのだと思う) ―― 続く――
September 20, 2010
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昨日、一番お世話になった幼馴染と30年振りに会って来た。彼女は幼い頃から気働きのする切れ者で、裏表の無い言葉を吐く人でみんなの中心にいた人気者だった。相変わらず切れ者ででも深い気持ちを持ち、若い頃より落ち着いて魅力が増していた。だけど病気三昧で、子供が産めなかったから私がうらやましいと言う。子供が欲しいのに産めなかった人の思いはいかほどだろうか。私がネットでうろついたりパソコンで遊んだり、ライブを見に行ったりしている話しをしたら驚いたらしい。生活臭がしないので驚いたらしい。私も長い間具合が悪かったけれど大分元気になった話はしたのだけれど。まあ私は趣味が多過ぎる性質で家事が疎かなダメ主婦なんだけど(^^ゞうつ病が悪化しているのに私に会って長時間話をしたのでその後、かなり落ちたらしい。私が人に示す好奇心は旺盛過ぎるので刺激が強過ぎたのかもしれない。ちょっと反省した。今日は義姉から電話があり、夫が不在だったので長時間話しをした。次女を病気で亡くしている義姉の長女も病気と闘っており、義姉はバックアップに精力を尽くしている。ついつい私は、悲しみの渦に巻き込まれないように大げさに元気に話してしまうんだ。普通に話せないんだ。内心では逃げたくなってしまうんだ。哀しい思いを抱えている人と交流すると私が楽しているようで無駄に自分を責めてしまうんだ。何も出来ないどころか不快な思いをさせてしまったかもしれないと責めてしまうんだ。子供を産めなかった女性と、子供を失ってしまった女性と、それぞれが人と分かち合えない哀しみを持ってそれぞれの生き方をしている。私の思いだって誰にでも解るものではないから彼女達の思いから逃げたいと思ってしまう私は仕方ないよねと言い聞かせて自分を責めないように頑張っている。辛い思いをしないで生きている人なんていないんだと思うし。哀しい人の所に少しでもいたわりとか愛が届きますように。
August 20, 2010
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5月22日(土)・23日(日)に行われたバイオインテグラル・サイコセラピーの一日目、昼食後に「一人で川原に行って石を拾って来る」のワークで私が選んだ石は両掌にすっぽり入る大きさでした。 林の下に川原が広がっていました。これは二日目の雨の写真ですが一日目は晴れて気持ちが良く聞きなれない色んな小鳥の声が聞こえました。 ピーに持ってもらいました。小さくて複雑な成分の石も2つ3つ気になったのですが、やはりどうしても掌にすっぽり入るまあるい形とずっしりとした重みが忘れられずこの大きい石を持って部屋に戻りました。部屋に戻ると皆が拾って来た石は小指大や親指大ばかりで一番大きい人でも片掌に乗る大きさで、私の石が特別大きくて驚きました。皆に大きい大きいと笑われて皆の何十倍も大きい私の石のどっしりした様が自分でもおかしくなって笑って自慢していたら、なんと「その石は自分自身です」と講師の小原さんに言われ益々笑ってしまいました。この丸くて大きくて両掌にすっぽり入る石が自分かと笑ってしまいました。皆の何十倍も大きいぞと笑ってしまいました。その「石」を味わい、対話するワークではずっしりした重みが両手から伝わって来てこれが私かぁと思うと以外にもとても温かくて優しい気持ちになり愛おしい気持ちが湧いて来ました。集中したくなったので座っていた所から隅っこの壁まで移動して「石」を撫でていると、この「石」は大きくて重いので「石」と向かい合うために立てた膝とお腹の間に挟み込んで温めてあげたくなりました。体育座りをしてお腹に「石」を抱えているとまるで子宮に「石」を抱え込んでいるような気持ちになりました。これは自分を自分で産み直そうとしているのかなと思ったりしました。この「石」が自分なら自分を大事にする事が出来るようになるかもしれないと言う希望が湧いて来ました。石のワークや他のワークが終わった後も参加者の皆さんに「石」を掌に乗せてもらって撫でてもらいました。自分からお願いして手に取ってもらいました。するととても温かい気持ちになりました。無意識のうちに自分を後回しにしてしまい自分の本当の気持ちに気付かない事が多い私が自分という「石」なら大事に出来ると解ったのでまずは私と言う「石」を大切にする事から始めて段々自分を大事にする事を覚えて行けば良いと思ったのでした。そして行動した第一番目が私と言う「石」を手に取ってもらい撫でてもらう事でした。人に頼み事をするのが苦手な私が私と言う「石」を撫でてと頼めたのでした。参加者の皆さんに「石」を手に取ってもらい交流していると数人の方から「座布団を作ってあげたら」と勧められて名案だと思ったので、家に帰って来て落ち着いた数日後に見ただけで力が湧くマンダリンオレンジ系の温かい色合いの布を縫い合わせて座布団(実質はクッション)を作りました。 25cm×22cmの大きさです。これを、結婚26年経ってようやく手に入れた自室の机(ピーのお下がり)の上に置いて一人でニヤニヤしながらなるべく声を掛けるようにしています。 座布団の上の私と言う「石」最近私のインナーチャイルドは小学生は泣かなくなっており、高校生が泣いていましたが自分という「石」に話しかけているうちに保育園時代の事が思い出されてあの頃に漠然と抱いていた思いに改めて焦点を結ぶと、4歳くらいの私が泣いていたのでした。母の実家で大人の中、いつも一人でいた不安に気付いたのでした。自分の家が嫌いなだけだと思っていたら母の実家にいた時から一人で淋しかったのだとようやく気付いたのでした。それで4歳の私の頭を撫でるように「石」を撫でながら話し掛けています。「今まで気付いてあげなくてごめんね。 そうか~あの頃も居場所が無かったんだ。 この座布団の上にいれば撫でてあげるからね」なんて言ったり「ようマミイ今日は元気かい?」なんて大学時代のニックネームで呼んだりします。子供時代のニックネームで呼ぶと不快感が増すんです。だから大学時代の名前で呼びます。母に指図されたり否定されたり奪われたりする事から離れられた大学時代。色んな事があったけれど自分で決めて行動していたせいか今の所大学時代は大丈夫なようです。目標は思い出せない小学1年~3年までの3年間の記憶を取り戻す事です。保育園時代の私と小学4年の私ではまるで別人になっていたので、思い出せない3年間に何があったのか幾らかでも思い出して受け入れられたらこの心の奥にある頑なな恐怖感や不安感を緩和する事が出来るのではないかなと思っています。優しくて温かい色合いの上でまったりしている私と言う、少し黄色い部分があって変則的な所までいい感じの「石」は気持ち良さそうです(^ω^)撫で撫で(*^_^*)ノ゙ナデナデ「石」
June 30, 2010
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私は一昨日、人に同情してもらいたいと思っているんだなぁと自覚した。私の中には「被害者意識」があって色んな悲惨な出来事や状況を母や夫や私を利用した人のせいにしているのだと思う。何があっても人のせいにしていると自分の実情を見ない。自分の実情を見ないと現実から逃げて向き合おうとしない。向き合わないで逃げているから現状が良くならない。現状が辛いから現状の悪さを人のせいにしてしまう。そう言う悪循環になっているじゃないかと思った。私は「被害者意識」を捨てない限り今の私から変われないし納得も満足も得られないんじゃないかなぁとそう思った。「被害者意識」を止めたいと強く思った。前に進みたいから自分を可哀想だと思うのを止めたいと思った。
April 22, 2010
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昨日久しぶりにTちゃんと長時間話をして今日思い返したら私は聞き下手だと思った。聞いているうちに自分の事に置き換えてしまって話を中断するし自分の話に持って行ってしまうし。ラーに「お母さんは聞き下手だ」とハッキリ言われた事はあるんだけど昨日の会話を思い出して本当に下手だーと思った。人の話に寄り添って聞くのが出来ないんだなぁ。そして2年間参加させていただいてたクローズド・エンカウンター・グループカウンセリングの話をしているうちに少しずつ思い出した。Tちゃんと話しているうちにあの場から離れてから浮上して来た思いやどう感じていたのかを思い出した。Tちゃんと話しているうちにあの最中には解らなかった思いがあの日々の後ろにあったんだなーと気付いた。でもTちゃんと話さなければ気付けなかったかもしれない。もやもやとした霧状の思いが漂っていただけで意識もしなかったかもしれない。日々の生活に流されてしまって感じた事や思いが埋もれてしまっているんだと思った。一人で自分を客観的に見つめるのはなかなか難しいもんだなと思った。そして私はやはりいつもどこかに人から受け入れてもらいたい・好かれたいと言う思いが入り込んでいて浅ましい感じがあるなぁと思った。無意識のうちに「良い人」を演じてしまうんだなぁと思った。Tちゃんとの話しをいつかリベンジしたいと思った。夜には義姉から電話がありあれこれ話しているうちに義兄の話になった。義兄と義母の共依存、人に凄いと思われたいために大風呂敷を広げる所。小さい頃に家を出されて苦労しただけ義姉には妥協や甘えがない。「あの子(義兄)は 甘えている事に気付いていないのよ。 誰かが何かをしれくれる事を待っているだけの お坊っちゃんなの」義姉の言葉は的を得ていて適切でかと言って非難しているのではなくただ思った事を言っているだけなので淡々と胸に響いた。それを聞いていてズキンとした。ああ、私も待っているだけで自分から突き進んで行かないお嬢ちゃんだなぁと思った。私も待っているだけで動かないんだとそう思った。「だめだよ、自分を信じてあげないと」って義姉に言われて自分を信じられなくて動けないでいる自分が本当に残念だなぁーと思った。どうしたら自分を信じられるようになるんかな。自分を信じられなくて動くのが恐いんだな。いい子ぶってる恐がりなんだな。
April 21, 2010
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今日は2008年の春から始まって2年間続いたクローズドのエンカウンター・グループカウンセリング最後の日でした。自分が作り上げた殻の中の自分を探り出すという大変な作業をカウンセラーのMさんと共にほぼ7人で約2年間、切り拓き、泣き、叫び、のた打ち回り、這いつくばり、胸を叩き、頭を叩き、様々な感情や思いと共に皆で話し合い語り合い少しずつ成長して来れたグループカウンセリングでした。自分がこれほどコミュニケーションが下手な人間だと改めて自覚し、その不安が常に自分を恐怖に陥れていたと自覚したのでした。他人への恐れ。これを乗り越えたいものです。そのためには自分を受け入れたいです。てっきり違う集まりに発展するのだろうと思っていたので、全く何も無しで終わって散会し、家に向かう車の中で「そう言えば次回からの話が無かった」と気付いたのでした。そして家に帰り着いてから非常に疲れて、悲嘆に暮れている自分を発見したのでした。もう、この混乱を受け止めてもらえる場が無いのだと言う不安が喉元にこみ上げて来て、私は迷子の犬のように行き場の無い人間になったのだと途方に暮れたのでした。いつもギリギリまで心を開いて話し合うので帰って来ると2~3日はダウンして2週間は引きずっているのでしたが、その理由や自分の感情についてじっくり考えたり、眺めたり味わったりするので生活の中で忘れてしまう自分を見つける事が出来るのでした。これからは自分を見失わないようにしっかりと自分で自分を観察していなければなりません。泣いても背中を撫でてくれたり弱音を吐くと励ましを与えてくれる場が無いと言うのはこんなにも心細いものなのかと驚いた次第です。今まで学んだ事をしっかり踏ん張って自分で育てていかないとと新たな気概を感じたりもしました。でもとりあえずは夜の雨の中で迷子になっている犬のような気持ちです。こんなにも皆に甘えていられたんだと初めて気付いたのでした。ありがとう「Aの会」の皆さん。私を受け止めてくれてありがとう。
March 14, 2010
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先週の固定メンバー制のエンカウンター・グループカウンセリングで私が記憶に固執している点について数人の方から記憶している事で自分を苦しめていると言われた事がいつまでも残っていてどうにも腑に落ちない思いがしました。私の記憶は私だけのものですが、だから完全なものだと思っている訳ではなくただ、記憶を失ったら自分を失ってしまうほどの恐怖があるのは確かです。それは、自分を支えているのは記憶なのかもしれないと思ったほどです。今回の事がなければ、記憶がこれほど自分にとって大事なものだとは気付かなかったかもしれません。楽しい記憶も、辛い記憶も、苦しい記憶も、頑張った記憶も、全部私が自分を応援しているよと後押しするためのものなのかもしれないと思いました。問題なのは記憶ではなくそれをどう受け取っているかと言う点ではないか、と思いました。1月から少しずつ考えつつ読み進めている「オプティミストはなぜ成功するか」マーティン・セリグマン著(しゅうべえさんから教えて頂いた本)の中で、「悲観的な人は諦めが早く、無力感に陥ってしまう」「辛い状況を自分にどう説明するかによってオプティミスト(楽観主義)にもペシミスト(悲観主義)にもなる」などの所を読んでいて思ったのですが、私が記憶している事が問題なのではなく私が記憶の内容を自分に対して行っている説明が苦しいものだから私は苦しむのではないかと思いました。その点について一昨日読んだ所には、「悲観主義的で嫌な記憶を反芻する人は、最もうつ病にかかる危険性が高い」とあり、私は嫌な事や自分の失敗を何度も何度も思い巡らしては落ち込むので記憶と感情の反芻を行っている事がうつ病を悪化させているのだと思いました。うつ病になりやすい思考癖から抜け出るための指針として、「新しい説明スタイルを用いることによって、連鎖反応を断ち切る」「憂鬱な事から気持ちをそらす方法を学ぶ」「自分と楽観的な対話をするテクニックを身に付ける」など、今の私に非常に有用な事が書いてあり、早速ここ数ヶ月間自分を責めていた内容を考え直して「私の発言や行動が気に入らなくて反応した人の思いはその人の思いだから、私の責任ではない」「私は私なので感性が合わない人に気に入られなくてもそれは私が悪い訳ではないので、自分を責める必要はない」「人の問題まで私が抱える必要はない」などと他人にアドバイスする時の事を考えつつ置き換えてみたら随分楽になりました。私は何か悪い事があると全部自分が悪いのだと反射的に反応してしまうのです。この自分を追い込んで苦しめるだけの悪い癖を意識的に直して行きたいと思いました。自分に客観的な説明をしたたった二日で、私は随分楽な気持ちになり穏やかな精神状態を得ました。この、ハウツー本のような題名の「オプティミストはなぜ成功するか」は、研究者が自分の理論を実験やデータ収集で論証したもので、私には有用なだけではなく面白い本です。しかも20年以上も前に書かれたものなのに、精神科でも心療内科でも私の経験では全く反映されていないですね。もったいない。全くうつ病に苦しむ人や、自己肯定が難しい人や、自分の才能をうまく出せない人や、社会に適合しにくいと思っている人にとってとても有用な本だと思います。アマゾンで3円で買ったもんね。毎日持ち歩いて少しずつチェックしてノートに書き込んだりしてます。良い本を紹介下さってしゅうべえさんありがとうございますーーm(_ _)m
March 3, 2010
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昨夜、ラーが初めてニコ動の歌の事を聞いて来たのでついでに今日ネトラジ音源について話をしたら「興味はない」と言うのだけど、その言葉や態度の端々に私への軽蔑が現れていてラーと興味が違うからと言ってどうして軽蔑されなくちゃいけないのかなと怒りを感じてしまった。それでピーにラーが私を蔑視すると言う話をしたら「でもお母さんが2チャン用語を話すのは 未だに違和感がある」と言うので、私が「コテハン」(固定ハンドルネーム)と言う事のどこがそんなに違和感を感じるのか?と聞くと「この手の話をすると お母さんが不機嫌になるから」と言おうとしないので「相手が不機嫌になろうとどうしようと 言うべき事は言うべきだし、 言わないで溜め込むと誰にも良くないよ。 私は当座は不機嫌かもしれないけど ちゃんと考えるから言って」と言ったのだが、しばらーーーーーーく考え込んでいたピーは「よく解らん」と言って立ち去ってしまった。ラーの蔑視混じり態度もピーの含みのある言葉と逃げもこれまでの私と夫の対応や生き様を見て出来たものなんだろうけど私は何をどうしたら良いのかと悶々考えてしまった。だけど音楽は好きだし、若い人達の活動的な様子を見るのも交流も好きだし、洋楽も好きだし、ラップも好きだし。なんだよ、私の趣味だよ。同じ年代の人と趣味が合わないからって何が悪いってんだよ。なんて考えていたんだけどこんな風に考えるのはなんでだろう?と思ってちょっと横にズレて見てみたらなぁぁぁーーーんだ、私は私で良い訳でラーやピーの反応に一々反応している私が問題なんだーーー( ̄□ ̄;)!!と気付いた訳でした。ラーの偉そうな蔑視もピーの含んだ思いもそれはラーのものでそれはピーのものなんだから私は私で生きていくさ!!!人の感情は人のもので私のものでも私の問題でもないんだ!!私は人の反応を気にし過ぎているだけ。こんな簡単な事にようやーーく今頃気付いたと言う鈍い人間です。でもああ、これで鬱の重しが取れた気がするーーーー\(^ー^)/
February 22, 2010
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久々に寝込んだ。雪道の峠が恐いので電車で山形に行き中学の同級会に出て、心身共に混乱して寝込んだ。山形は雪と氷が一杯で寒くて暗かった。中学卒業式以来初めて会う人が殆どで、新鮮な反面状況が読めなかった。私は高一まで農村地帯で育った。私の両親は教師だったので近所では非常に少ない勤め人だった。今では同級生の殆どの人が山形市の中心地に住み、勤め人や自営業をしていて農家の人はいないようだった。幼馴染の一人のTちゃんと話をしたら、お互いの環境をうらやましいと思っていた事を知り非常に驚いた。彼女が欲しかったのは安定した生活と都会の物。私が欲しかったのは彼女の暖かくて穏やかな家族。だけどうちはお金も食べ物もなかったよと言ったら彼女は驚いていた。うちの隣のKちゃんはうちの惨状を良く知っていたからTちゃんの話を聞いて笑っていた。K「Mちゃんとは随分遊んだよね」私「Kちゃんちのゆべしは美味しかった。 Kちゃんのお兄ちゃんも一緒に遊んでくれたよね 大きな小屋の二階にお兄ちゃんの第二の部屋があって そこから地域が全部見渡せた。 夏の青い空と雲が綺麗だったね」K「よく憶えているね!」私「子供の頃の記憶はすごく鮮明に覚えているよ」T「私達が子供の頃は、 ゴム飛びやかくれんぼや鬼ごっこや木登りをして 一日中外で遊びまわっていて 恵まれていたよね。 今の子供達は外では遊ばない」私「テレビゲームしかしない時代になったよね。 私はTちゃんちの田植えや イチゴのこも掛けを手伝わせてもらって すごく貴重な経験をしたよ。 Kちゃんちの蚕は小さいうちは家の二階で育てて、 暖かくなると庭に大きなテントを張って そこで育てていたよね。 馬もいたよね。 トマトやきゅうりを畑からもいでもらって食べて、 あれは甘くて美味しかった」T「でもMちゃんはスキーウエアを来て スキー板でスキー滑ってたよね。 私達は肥料袋に座って滑ってたのに。 私はうらやましかった」M「スキーはお父さんの趣味」T「ハイソックスをはいていたのは Mちゃんと○ちゃんの二人だけで 二人共勤め人の家だったよね。 オシャレでうらやましかった」M「あれはお母さんの趣味」T「Mちゃんちは 両親が働いて安定したお金が入って来るから お金の心配しなくて良いのがうらやましかった。 うちは両親が朝から晩まで働いたって 農家の収入なんかたかが知れているから。 だから私は大人になったら自分で働いて お金に困らない生活をしようと決心したんだよ」M「でもお給料はおゆうさんが没収して 両親共お小遣いしか貰えなかったから 服も食べ物もなかったよ。 私はお小遣いも貰った事がないから 皆がアイスを買っているのを見ているだけだった。 ご飯も量が決まっているから食べられないし、 野菜や果物も家になったから、 梅干の葉を竹の皮で包んで舐めてたよ。 いつもKちゃんにたかってた。 お金の心配のない生活は今までなかったなぁ」T「そうかー。うちはMちゃんちから少し離れているから 知らなかった。 豊かな生活をしているんだと思ってた」 M「私はTちゃんの家族が 仲良く協力し合って働いているのを見て うらやましかったよ。 うちは沈黙の闘いか、 罵り合うかでいつも恐ろしかったし、 お母さんは私が優等生じゃないのが気に入らなくて いつも否定ばかりで 褒められた事が一度もなかったから 居場所がなかったんだよね。 言う事をきかないとお母さんには往復ビンタされたし、 お父さんにもみぞおちに蹴りを入れられた。 だから高校生の時にぐれたよ」T「私はぐれ方が解らなかった。 うちの母は小学校しか出ていないから 私が良い点を取るとすごく喜んでくれて 何をしてもいつも褒めてくれたから 母に心配掛けられないと思ってた。 だから悪い事は出来なかった」そうかーーー。だからTちゃんは真面目で勉強家で優等生でしっかりした働き者だったんだ。中学生の頃には近寄り難い雰囲気がしたので親しく出来なかったんだけど、大人になったTちゃんは軽口を叩いてH君と夫婦漫才みたいにぽんぽん口から冗談を連射しまくる非常にゆるゆるのお調子者になっていた。私は軽口が叩けないんだよね。何故だか、冗談のやり取りに混ざれないんだよね。あの優等生だったTちゃんがこんなにイケイケ風の人になるんだなぁとビックリした。人は変わるものなんだな、大人にならないと解らない。そして私が知らない間に私の両親と交流を持っていたらしいT君は私の混迷の人生について語り、私を諭したのだった。その雰囲気は申し訳ないけど気持ちが悪かった。なんだろう、あの雰囲気は。獲物を逃さない狩猟者的なT君は一見丸くなったように見えたけどやはり本質は変わっていないんだなぁとそう思った。自己陶酔が見えて気持ち悪かったんだよね。それを真面目に聞いている自分も気持ち悪かったんだけど。T君は強引な口調で、せっかくの機会なんだからみんなとこういうラフな集まりにもっと参加しろと言い、二次会でゆっくりして行けと言い、最終の電車に乗れなくなるなら山形に泊まれと言うので抵抗して帰って来た。天童までの交通手段も冬の山形の夜は少ないのだ。外見も雰囲気も全く変わっていない人もいたしすごく変わっている人もありでなんとも色んな人生ありだなと思った。氷に閉じ込められたような山形では寒さに凍えて早く青空の見える太平洋側に帰りたいと思った。寒いのがきつかったのか、中学の同級生の中にいて疲れたのか帰ってからずっと背中が痛くて頭の中がグルグル混乱してひどく苦しくなり久しぶりに寝込んでしまったと言う訳。でも、冬に叔母に会えたのが一つは良かったと思った。Tちゃんが見ていたもの私が見ていたもの。自分が持っているものには気付かずに人が持っているものが自分に足りないものとして見える。Tちゃんの話を聞いてそんな事を考えた。何度も自分の営業成績の凄さを語っていたT君はコンプレックスがあるから自慢したいんだろうなぁと思った。そのコンプレックスの強さを自覚しないで語っているのでなんだか気の毒な気もした。余裕のあるH君やTちゃんはずーーーっとふざけた話だけだった。なんかなぁ。それで寝込む私もね、外に出て仕事するのはまだ無理なんだろうか。とにかく疲れた。
January 5, 2010
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先日録画していたロンドンハーツ3時間スペシャルを見ていた時の事。芸人の「本当は大した事なさそうな男」のコーナーを見ていて狩野英孝(僕イケメーンの人)と私が似ているなぁと思った。物事の受け取り方や表現の仕方が真っ直ぐでふり幅が無い所とか真っ直ぐ過ぎて奥行きが無い所とかフェイントが無いからツマラナイと言うかそう言う所が似ていると思う。と言ったら少し考えていたピーがこうのうたもうた。ピ「・・・・・・愚直だな」言われておおおおおおーーーーっと感動が走った。自分に似た人を通して自分を見るとなんとよく見える事か!「愚直」なんて適切な一言ヽ(^。^)ノいつもの自分と違う角度から見るといつもは見えていないものが見えてあまりにも適切に言い切った一言に感動してまたしても床に転がって笑っていた私でした(((((^m^なんつーか、頭の中が短絡なのよねぇ。何でもそのまんま出すのよねぇ。計算とか出来ないのよねぇ。面白い事もなんも出てこないのよねぇ。そのまんま入って来てそのまんま出て行くのよねぇ。ひねりも何にもないのよねぇ。こんな風に見えるって、自分を横に置いて物事を見るって事が出来ない事と通じる所があるかな?かな?それにしてもピー様の今日の一言はとても適切だったわぁ。あ、狩野英孝さんツマラナイなんて言ってごめんなさいm(_ _)m同じ穴の狢(ムジナ)同士で宜しくですーーー(^^ゞ
December 25, 2009
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今日、友人の所に行く約束をしていたのにすっかり忘れて寝ておりました。実は、先週も約束していたのに疲れて寝ていたので電話で数時間話をしたのでした。何故私が必要かと言うと友人の知り合いが鬱病なのでどう対応したら良いのか解らないので私から色々聞きたいと言うのでした。鬱病・不安神経症・恐怖症なら私が詳しい訳です。で、頑張って起き出し友人宅に出かけて行ったのですが、以前よりは幾分落ち着いて話せるようになったのかなと思っていたらしゃべるしゃべる。相手に寄り添うのなんてどこに飛んで行ったのかと言う・・・┓( ̄∇ ̄;)┏まあ、たまに我を取り戻して軌道修正をする時もあったのですが。そう言えば先週に数年振りで会った知人とやはりしゃべるしゃべる・・・( ̄⊥ ̄lll)相手に寄り添って話を聞くのはちっとも身に付いていないと実感しました・・・゚゚・(≧д≦)・゚゚・人はそんなに簡単には変わらないですね(・ω・`)それで私は自分に鳥肌が立ってぞっとしてる訳です(´-ω-`)残念な訳です(´-ω-`)
November 9, 2009
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10月31日(土)から11月1日(日)に掛けて一泊二日のベーシック・エンカウンターグループに参加して来ました。●非構成的(ベーシック)エンカウンター(ウィキペディアより)● クライエント中心療法の理論を健常者グループに当てはめ発展させたもの。 グループで感じた事を思うままに本音で話し合っていく。 ファシリテーター(グループをまとめる役)によって進行する。 ファシリテーター役はよく訓練された専門家でなければならない。午後1時半から午前10前までと言う短い時間でしたが、大変濃厚な時間を過ごし沢山の刺激を頂きました。特に私は泊り掛けのエンカウンターはまだ3度目だったのと、いつも女性だけのエンカウンターで少しずつ自分を知ったり出したり出来るように訓練中なので、男性がいる所でどれだけ自分でいられるだろうかと思いましたが、不安感は全く無く、始めに身体のワークを少しして心と身体の準備をして始めたせいかとてもとても心が落ち着いていました。そして最近の目標「人の心に寄り添う」を前半は出来たと思います(^ω^)!参加者13人中、初めて会う方は3人。東京方面の遠方からの参加者が4名。うち、いつもカウンセリングに参加しているクルーズドのメンバーが5人だったのですが、シーンとした間が苦手で焦って取り合えず話しで間を埋めようとしてしまう○さんと私が静かに聞き役側になり、必要にならない限り聞き役になっていたり最後に促されて話し出す○さんと○さんが最初に話したり、積極的に話しをしているのを見て私は非常にうれしくなったのでした。私達はクルーズド・エンカウンターグループで今まで1年半集まってそれぞれが抱える問題に立ち向かい、苦しくて苦しくて産みの苦しみを味わいましたがしっかり自分の問題をクリアしつつあるんだと実感したのでした。普段滅多に交流しない方や初めての方々の中で、自分の目標をクリアしている事を実感出来た事は大変な充実感や達成感を得る事が出来ました。春からはクルーズドはお終いにして、オープン形の交流の場を設けたいと言う話が出ているのですが、実は問題を抱えている私が事務局など出来るのだろうか?と言う不安と7年前まで自分の問題さえ自覚していなかった私のように、困って苦しんでいる人が沢山いるので焦りも感じてもいました。その点で今回のBEGに参加して初めての人やたまにしかお会いしない人達の中で自分の目標をクリアしつつ自分を見る事が出来たのは大きな収穫でした。それに今回は短い時間ながらも参加者がみな素敵に輝いている人達でとても面白く楽しむ事が出来ました。まだまだ問題がありますが娘が不登校になって7年半、自分を取り戻しつつあると思えるようになって来ました。「自分らしく生きること」=「納得して生きること」そして心から幸せだと思える生き方をする、この目標に少しずつ近付きたいです。
November 7, 2009
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うちの今晩のご飯は焼きソバでした。夫は居間で私に向かって話してました。私は台所でうんうんと聞きつつ、キャベツを洗って切って、ニンジンとピーマンを刻んで、玉ねぎとウィンナーも刻んで、生姜も刻んでモヤシも台所に用意しました。野菜の準備が出来たので居間(茶の間化してます)のテーブルにチラシを敷いて大きいホットプレートを置き、オリーブオイルを垂らして焼きソバや皿をテーブルに置いてから生姜とひき肉を台所から持って来て転がし、火の通りにくいニンジンとピーマンも持って来て入れてかき混ぜていたら夫が菜箸持ってかき混ぜの手伝いをしてくれました。普段、一人で料理や準備をやっている私は非常に喜びました♪そしてお箸と塩を取りに隣の台所に行き戻って来たらなんとニンジンとピーマンしか入れていないホットプレートに夫が焼きソバを放り込んでいた======3333それを見た私はパニクって思わず地団駄踏んで叫んでしまったのだ!!「だめーーーー!!!まだーーーー!!」多分、生まれて初めて地団駄踏んだです。なんてこった。こんな事で生まれて初めての地団駄踏むなんて。だけどちょっぴりのニンジンとピーマンだけの焼きソバなんて見た事も食べた事もないだよ。考えた事も無いだよ。最低でもキャベツ・ニンジン・玉ねぎ・モヤシ・ウィンナーだけは入っているのを私はずーーーーーーーーっと作り続けているんですよ。そりゃ夫は焼きソバの具なんて見てもないし意識もないし気にもしてないんですが。だけどニンジンとピーマンだけの焼きソバ?!!無い無い無い無い!!!あぷあぷしながら皿を持って来て麺を皿に戻してもらい、玉ねぎを入れながら「ニンジンとピーマンだけの焼きソバなんて 今まで作った事ないでしょう? キャベツやモヤシの入ってない焼きソバなんて 無いでしょう?」「ああ、油断したーー。 まさかここで麺を入れられるとは 思ってなかったーー。 油断したーー」と言ってキャベツやモヤシやウィンナーを入れていたら「こんな事でそこまで言われるんだったら 二度と手伝わないぞ」と夫が言ったのであります。以前の私なら内心でブツブツ言いながら我慢していたのですが、今回助け船のラーがいない事もあって一人で頑張りましたっ! 「そこは違うと思います。 『次回はもう野菜は無いの?と聞く』 とか 『次回は気をつける』とか 言うべきだと思います。 『もう手伝わない』なんて 脅してはいけないと思います」私は頑張って言いました!!!口に出して言いましたっ!!!すると夫は苦笑いしていました。ふん!!ヽ(`・ω・´)ノ私だって言う時は言うように頑張るんば====3333もう、脅しに負けないんどりる=====333具無し焼きソバで生まれて初めての地団駄踏むと言うのはちょっと何ですけれども(^^ゞ少しは自分を主張出来るようになったんばりん♪
October 8, 2009
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昨日だったか、「笑っていいとも!」を見ていたら、「年の差カップル」のご主人が確か44歳で、24歳年の差カップルと言うので二十歳の女性が出て来るのだろうと思って見ていたら、何と奥様は68歳の十代の子が着るような服も似合う可愛いらしい年上の女性だった!!!結婚して16年と言うから出会った時は男性が28歳で女性が52歳だった訳ですよ!!!!!!(∥ ̄■ ̄∥) (∥ ̄■ ̄∥) (∥ ̄■ ̄∥) 「どっちがモーション掛けたの?」と聞かれてイケメンご主人が「僕です。 だってほら、可愛いでしょう?」とうれしそぅ~~に言ったのであった。68歳に見えないキラキラ笑顔の奥様はほんと可愛らしかった!!!Σ( ̄□ ̄;)十代の子が着る服もしっかり似合ってた!!!Σ( ̄□ ̄;)私はこのカップルを見て、私の中には固定観念とか既成観念とかこうあるべき、あああるべき、が染み込んでいる人間なんだなとつくづく思った。24歳年下の男性から可愛いと思われるような自分を素直に生きている女性がいるんだなぁ。24歳年の差なんか関係無いその人の魅力をそのまんま受け入れる男性だっているんだなぁ。と、とても衝撃を受けた。どちらもキラキラした笑顔でとても素適な関係が感じられた。私は母から「こうしろ」「ああしろ」「常識はこうだ」「あなたは非常識だ」と言われ続け、それに反発し続けて生きて来たと思っていたけれど、やはり私の中には母の言い続けた「世間の常識」と言うヤツが無意識の認識の奥底に脈々と受け継がれているのだなと気付いた瞬間だった。私の中にある無意識の価値観のあれこれをもっと解きほぐして楽々と生きたいと思った。知らないで自分を縛り付けている事のなんと多い事!!年齢にふさわしい服装、年齢に見合った行動を当然だと思い込んで何でもOKを自分で縛り付けていた。だから同年代と合わない私の音楽の好みの事でこんなに居心地が悪かったんだと思った。この居心地の悪さを作っていたのは自分の固定観念だったんだと今更、思ったんだーーーーああああああああああああああああ( ̄Д ̄
August 15, 2009
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そう言えば「シネコン」って「シネマ コンプレックス」の短縮語で、どうして「シネマ」と「コンプレックス」がくっ付いて映画館が一杯集まったようなあの造りになっているのかな?「コンプレックス」って劣等感と言う意味じゃないのかな?なのにどうして複合映画館なのかな?と言う素朴な疑問が浮かび調べてみたら、面白いサイトを見つけました。立花裕希さんと言う方の「きまぐれコラム」と言うサイトの『劣等感とコンプレックスの違いって?』のページに色々気になる事が載っていました。英語の「コンプレックス」の意味と日本で使われる「コンプレックス」の違いや劣等感について書いてあり、それがとても興味深かったのです。劣等感=所属感の欠如=孤独への恐怖つまり、私の孤独感やどこにいても私がここにいて良いのか?と違和感を感じたり、常に自分が失敗していると感じる事の起こりが所属感の欠如であるかもしれない事を読んでいて自覚したのでした。皆が出来る事が自分だけ出来ないと言う劣等感で私が惨めになるのなら、自分がしっかり立っていれば、周りばかりを意識し過ぎて自分の心を孤立せずに済むと言う事になるのではないかと、そう思ったのでした。勿論、自分がしっかり立っていればそう、軸がぶれなければ自分らしくいられて自分らしく生きられると解ってはいたのですが。その事と劣等感の生まれる所が繋がって私が向かうべき所に焦点を当てられたと言うか、気持ちの行き所をハッキリさせる事が出来たと言うか。もやもやした塊がしっかりした輪郭を持った気がしました。他にも『メサイア・コンプレックスと新興宗教』『感情移入と転移性治癒』『とっても迷惑なナルシシズム(ナルシズム)』『防衛機制ってなあに?』『神経症と不安障害について』『常識についてのお話』『子供に「かわいそう」と言うのは精神的な虐待』『感情転移と転移性治癒』 などなど、非常ーーーーーーーーーに興味深いお題が並んでいて自分を褒めてあげたくなりました(^ω^)!しかも解り易くて広範囲に網羅してあります。うん、これを端から端まで読んでみようと思います。
July 7, 2009
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●読みながら考えている本●■本の内容については 「人はなぜ破壊的な感情を持つのか」その1 ダライ・ラマ、ダニエル・ゴールマン共著 に書いてあります。に続き、抜粋や感想などを。「なぜ人は破壊的な感情を持つのか」その2ダライ・ラマ、ダニエル・ゴールマン共著本の概要について(私のまとめ)この本はダニエル・ゴールマンがダライ・ラマの著書「幸福論」を読んで、感情に関する最新の研究とダライ・ラマの論文の関連性に心を惹かれてダライ・ラマと数度の話し合いを持った時に、ダライ・ラマから仏教における否定的な考え方を科学における脳レベルでは説明できるのかといった質問を受け、破壊的感情について科学分野で研究したものを書籍にしたものです。■第一章 実験室の僧 (抜き出し)エーザー師(仮名・ヨーロッパで生まれ仏教に改宗して30年間、ヒマラヤで修行を積んだ僧)の脳画像化装置(fMRI)による瞑想者の脳内活動を調べる試みが2001年5月21・22日にアメリカ、ウィスコンシン州マディソンで行われた。 ▲P31~ 脳の右脳と左脳▲EEG脳電図(1度目は128個、2度目は256個)エーザー師が「あわれみの瞑想」中に中央左寄りの前頭脳回で、ガンマ活動が劇的に活発になった。以前、200人近くが参加して行われた実験によりこの場所は幸福感、熱狂、喜び、気力の充実、警戒などの感情を抱いている事が突き止められており肯定的感情を司る場所とみられている。この実験では対称部位の右側の前頭前野で起こる高レベルの活動は辛い感情と関係している事が解っている。より高レベルの活動が右の前前頭部位、低レベルの活動が左の部位で起こる人は、悲しみ、心配、悩みなどの感情を多く感じる傾向にある。前頭前野における活動の比率が極端に右側に片寄った人は、人生のある時点で臨床的抑鬱か不安症を患う確率が非常に高いと予想される。強い不安を訴える鬱状態の人はこうした右の前頭前野の高レベルな活性化が見られる。誰しも日々、活動によって気分が揺れ動くが、比率が左側に片寄るほど機嫌が良くなる傾向があり、気分を高揚させる体験は、一時的であれ、左側への片寄りを生み出す。たとえば過去の記憶から楽しい出来事を思い出すよう求められるとか、面白い映画や心あたたまる映画を見た場合、ほとんどの人が、比率の中で肯定的な変化を示す。通常、こうした変化は微々たるものだが、エーザーの実験結果は、活動が大きく左側に片寄る変化を示し驚くべきものだった。エーザーのあわれみの状態の脳の変化は、極端に”楽しい気分”を反映している。他人の幸福を望むというあわれみの行為が、本人のなかにより強い幸福の状態を作り出している。これはダライ・ラマがよく口にする見解「すべての存在に対する あわれみの瞑想を行っている人は、 受益者である」に科学的根拠を与えるものである。*エーザー師が実験で行った瞑想は六つあり、 第一段階として「視覚化」「一点集中」「あわれみの感情を起こす」。 次に「帰依の瞑想」「恐怖のない状態の瞑想」「開かれた状態」 が選ばれた。▲私が思った事▲結局、常に私が鬱々と過ごす日々の私の脳の中では喜びの左の前前頭葉が活動せず、つらいだの悲しいだのを反映する右の前前頭葉が活発化していると言う事が解った。逆に「あわれみの瞑想」中だったエーザー師は至福感の中にいたと思われ、なんともうらやましいと思った。この辺を読んだ時に私は長年低レベルで沈んでいるであろう左の前前頭葉を活発化させたい!と渇望するようになった。鬱々している人は皆主に右前頭葉だけが活発化していると言う状態になっていると思う。これは病人だけに限らず社会に対して不満を持っている人もそうなのだろうと思う。何を見ても喜べない人は右側が活発で左が停滞しているのだ。そう思うと意識的に左を活発にさせたいと思わないだろうか?今のこの状況から抜け出したい人は特にそう思うだろう。最近ピーは鬱々していてアトピーが悪化している。彼女も脳内で右寄りになっているのだと思う。「あわれみの感情を起こす」事を考える事が喜びに繋がると言う点は聖書の「受けるより与える方が幸福」を思い出し、また夫とのやり取りを思い出した。数年前に車で移動中に、急な坂道を苦心して上って行く足の悪いおじいさんを見た時、車に乗せてあげたい!と私は思ったけれど、今の時代では知らない人間が声を掛けると不審に思われるかもしれないと思って諦めてしまった事がある。その事を夫に話すと夫は、私が人に親切にする事で自分が良い人だと思われるから親切にしてあげたいのだ、と言った。人に言い切られるとああそうかと単純に信じてしまう傾向のある私はそうなのかな~と思いつつ、それでも抵抗を感じたのでしばらく自分の心の中を探ってみた。そして、そんな気持ちでは無いと思ったので、何故そうしたいのかは解らないけれど親切な人だと思われたくてそうするのでは無く困っている人が喜こぶ様を見たいだけなんだと言ったのだが、夫には幾ら話しても全く通じなかった。「人は自分への見返りがない限り 行動はしない」と夫は当時言い切った。でも私は見返りが欲しくて困った人を助けたくなるのではないとずっと思っていた。でもその感情が何なのかよく解らなかった。それでこの本のこの部分を読んだ時、人は見返りが無くても人の幸福を願うだけで喜びの脳の部位が活発化するんだ!と知ってとてもうれしくなった。人のために考えたり行動すると自分がうれしいんだ!と解ったわけだから。これで夫にも自分にも人は見返りが無くても人のために何かをするとうれしくなるんだと説明できる。人は他の人の幸せを願うだけで喜びを得るのだ♪
June 20, 2009
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●読みながら考えている本●脳についてすごい本に出会ってしまったのでこれから自分に大事だと思った事を抜粋したり、感想を書いていこうと思う。「なぜ人は破壊的な感情を持つのか」ダニエル・ゴールマン ダライ・ラマ 加藤洋子=訳 アーティストハウス■この本の趣旨人間はなぜ破壊的になるのか?そして、それはどうすれば抑制・克服できるのか?精神哲学、心理学、神経科学、仏教学の精鋭が、インドのダラムサラにあるダライ・ラマの私邸に集まり、”破壊的感情”をテーマに、5日間を徹して、あらゆる角度から白熱した議論を展開する、西洋と東洋の知を結集した、第8回「心と生命会議」の全貌をダニエル・ゴールマンがあまるところなく記録!会議参加者―――――――――――――――――――■ダライ・ラマ チベット仏教の精神的指導者。 1989年ノーベル平和賞受賞。 西洋科学についての造詣が非常に深い。■ダニエル・ゴールマン 作家、ジャーナリスト。 今回の会議を企画し、司会進行を務める。 著書「EQ――こころの知能指数」は世界的ベストセラー。■オーエン・フラナガン 哲学者。デューク大学哲学科長。 心理学と神経生物学の教授も務める。 変わり種の哲学者。■マチウ・リカール チベット僧。フランス生まれ。 ヒマラヤ旅行をきっかけに僧侶となる。 ダライ・ラマの仏語通訳も務める。■ポール・エクマン 心理学者。 顔の感情表現の世界的権威。 カリフォルニア医科大学人間相互関係研究所所長。■リチャード・ディヴィッドソン 神経科学者。 脳と感情の関係を研究。 ウィスコンシン大学マディソン校の情動神経科学研究所所長。 ■ジーン・ツァイ 心理学者。 ミネソタ大学心理学部助教授。 文化と感情の相互作用を研究。■マーク・グリーンバーグ 心理学者。 ペンシルヴァニア州立大学人間発達促進予防研究センター所長。 社会的感情学習プログラムの開発者。■フランシスコ・ヴァレラ 神経科学者。 「心と生命会議」創設メンバー。 パリ国立科学研究センター研究長。 認知と意識の生物学上の構造を研究。■アチャン・マハソムチャイ・クラサチット タイ高層。特別ゲスト。 マハチュラロンコーン仏教大学で、 仏教と比較宗教学を教える。■アラン・ウォレス 仏教学者。 今回の会議の共同企画者・通訳者。 第1回「心と生命会議」より参加。 インドとスイスの僧院で修行を積む。 ■トゥプテン・ジンパ チベット僧。 ダライ・ラマの海外旅行にかならず随行する首席英訳者。 チベット古典研究所所長。――――――――――――――――――――■目次・序文―――ダライ・ラマ――――――――・プロローグ 人類のための挑戦・科学的共同作業 アメリカ、ウィスコンシン州マディソン 2001年5月21日・22日 第一章―――実験室の僧 第二章―――科学者ダライ・ラマ ・第1日 破壊的感情とは何か? インド、ダラムサラ 2000年3月20日 第三章―――会議が始まる 第四章―――仏教サイコロジー 第四章―――怒りを変容する・第2日 日常生活における感情 2000年3月21日 第六章―――感情の囚われ人 第七章―――精神をかき乱すもの・第3日 脳に開かれた窓 2000年3月22日 第八章―――脳の”感情”地勢図 第九章―――わたしたちは変われるか ・第4日 心を鍛錬する 2000年3月23日 第十章―――文化の境界線 第十一章――感情学習カリキュラム 第十二章――あわれみを伸ばす・第5日 楽観論のすすめ 2000年3月23日 第十三章――意識と体験 第十四章――脳が見せるいくつもの姿・あとがき 終わりなき旅
June 19, 2009
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私の頭は固くて無意識のうちに決まり事で縛り付けているんだなぁとつくづく思った。頭が固い事は知っていたんだけど思った以上にガチガチなんだと昨日気付いた。私はストレートしか投げられない投手のようだ。変化球もわざと外したボール球も投げられないストレートだけの球しか持ち合わせていない攻撃範囲が狭い投手。だから守備範囲もすごくせまくてフェイントや予想外の球には反応出来ない。そんな性格で、それは生まれつきなのか環境で育まれたのか今の所は解らない。なんてね、思ったんだ。この生き辛さは自分で作り出しているものなんだってやっと自覚したんだ。
June 18, 2009
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昨日のクローズド・エンカウンター・グループカウンセリングでの出来事とその後について考えてみた。大分曖昧にしか憶えていないのだが、先月のグループカウンセリングを私が休んだ原因についての話をした。私は理不尽な対応をされたと言う感情がいつまでも残っていたのだがお互いのコミュニケーション不足による誤解が原因と解った。私は良かれと思った事が原因で誤解をされると言う経験は高校生の頃からやたらと繰り返しひどい思いをしたせいか恐怖心や悲しいと言う思いだけで気持ちが塗りつぶされてしまい、話をしているうちに泣き叫んでいた。人前で初めて大声で泣きながら叫んでいた。私は弟のように自分を有利にするために泣くと言う事は絶対にするまいと小学4年生の頃に決めたし、悪感情をぶつけ合い罵りあう祖母・母のようになりたくないと言う気持ちからやはり小学4年生で私は感情的にならないと決めていたので、この人前で感情的な素の自分を曝け出して泣き喚くと言う行為は大変な事だった。ようやく私もハードルを乗り越えたんだなとその後は少し気が楽になった。予想していた罪悪感や嫌悪感はそれほど感じなかった。午後は私がとても辛い経験を淡々と語る所が辛い内容と高い声に違和感がある、と言われ同じ感想を持った人が何人か私が感情を抑えている事について話をした。話の内容は辛いのに私の感情が伝わって来ないと言われた。私が辛い話をする時いつも母から否定されていた子供の私が今辛い事の責任を取らされているみたいで可哀想だと言う人がいた。するとそれはその子供が悲しんで今訴えているんだと思うと言う人がいた。それを聞いているうちに私は味方のいない子供の自分を守るためにいつも必死で生きていて生きるために今のような感情を排除した平気そうな表現の仕方を身に付けたのだと言う思いがわき上がって来ていた。私が高校生の時に感情的な発言をした時友人から「迷惑だ」と言われた事がある。それ以来自分の正直な気持ちを表に出す事が出来なくなったのだと思う。親から否定され教師達から好奇と先入観の目で見られ友人達からも敬遠されて私は完全に行き場を失っていた高校時代。幼い私があれ以上、何が出来たと言うのだろうかと思っていると胸が重たくもやもやして来てすごく苦しくなった。それを我慢していると胸の苦しみが増して行きみんなの話し声がどんどん遠くに聞こえる様になった。息をするのも苦しくなって浅い呼吸をしていたように思う。みんなの話し声がどんどん遠くになって行くのを感じた時「私は離人症になる」と思ってノートに走り書きした。離人症の事をよく知りもしないのに。そうしてみんなの話を聞くのが辛くなって「放っておいて欲しい」「うるさい」と感じていたら明るさが辛く感じたので目を閉じた。目を閉じると暗い所がとてもうれしかった。そしてみんなの話声や存在が遠くに感じた。私の周りに水の壁が出来て皆が水の向こうにいて歪んで遠く感じた。Mさんが近くに来たようだったがやはり水の壁越しにいるように感じた。水の壁越しに私に呼吸を深くするようにと言った。深呼吸をして下さいと言われたが私は深呼吸が出来なかった。水の壁の向こうで皆の存在がぼやけて感じるので少し安心した。きっと私は私の心を守っていたのだと思う。脳の中で周囲の状況を切り離したのだと思う。Mさんが周りがどう見えるか尋ねた。きっとMさんは私に何が起きているのか解ったんだと思う。「水の中にいるようです」と私は言ったと思う。「皆が遠くに感じます」と言ったかもしれない。非現実的なふわふわした状況だったのでよく憶えていない。胸が重たくてぎゅうぎゅうに詰まっていて苦しかったので呼吸がうまく出来なかった。左手に持ったサインペンの端っこを親指の爪でガツ・ガツ・ガツ・ガツ・・・と弾き続けていたのは憶えている。その音だけに集中しているとすごく楽な気がした。何ももういらないと思った。Mさんが「どうして欲しいですか」と聞いた気がする。「放っておいて欲しいです」と私は答えたと思う。私は放っておかれたかった。もう何かを色々言われたくなかった。私は今だって昔だって死にそうになりながら必死で生きて来たのだし間違った選択をいっぱいして来たけれどそれでも私に出来うる限りのぎりぎりの所で生きて来たのだ。人から色々言われたくない。否定されているように感じる私の癖だと思うけれど私はまだそれを耐える事が出来ないのだと感じた。だから水の壁の中にいて私は周りから遮断されて守られている気がした。少し安心したら両目から涙が流れた。そうして自分を守っていたのだと思う。心を現実から隔離して自分を守っていたのだと思う。左手に持ったサインペンの端をガツ・ガツ・ガツ・ガツ・・・・・とずーーっとリズミカルに親指の爪で弾き続けていた。このままずーーっと水の中にいたいと感じていたのだと思う。静かになった部屋の中でサインペンを弾く音だけが響いていた。水の中のくぐもった音。また涙が左右の閉じた目から流れ落ちるのを感じた。その中で静かにしていると少しずつ気持ちが楽になった。重くて苦しい胸が少し楽になった。Mさんが「目を開けてこちらを見て下さい」と言った気がする。私は目を開ける気力はなくずーっと目を閉じていたがかなり暫く経ってからようやく目を開ける事が出来た。薄い現実感の中で皆が薄く見えた。Mさんと何か話しをしたような気がするがその後の詳しい事は記憶が曖昧だ。少しずつ現実感が戻って来たのだと思う。その後はふわふわした感じで爽やかな気持ちもしていた。一日経って昨日私の身に起きた事は何だったのだろうか?と調べてみた。解離から調べた。どうやらやはり「離人症」らしい。「心的外傷への自己防衛として、 自己同一性を失う神経症の一種」と書いてあった。アダルトチルドレン・PTSD(心的外傷ストレス障害)・虐待を受けた子・犯罪や災害や事故や戦争体験者がなりやすいと書いてある。どうしてあの時離人症になると解ったのだろうか?多分、昔に調べた事を脳の中で記憶していたのだろうと思う。あちこち調べていると私のやたら詳しい記憶の中で小学1~3年の期間だけ抜け落ちているのは解離性健忘と言うらしいと解った。自分を守るために辛い事は忘れるらしい。自分を守るために現実から切り離すらしい。調べながらまた胸が苦しくなり惨めさと悲しさに支配されてしまった。また離人症になるのかと怯え半年以上飲んでいなかった坑欝剤を飲んだ。今日の私は、安定剤だけでは守れない。本当に打たれ弱い人間だ。自分で自分を守り切れない。内心で「くそう!」「くそう!!」と毒づいている。離人症を調べいていて思い出したのだが高校生の頃はよく寝ていて天井の近くに浮いたり床をすり抜けて階下や地面の下にまで落ちて行くような普通の感覚ではない状態になった。あれも離人症だったようだ。やはり当時も必死で自分を守ろうとしていたんだと思う。高校生の頃は毎晩泣いていた記憶しかないが、あの頃だって今だってあんまり変わっていないのかなと思うと残念なのと私は私だと言う思いの両方の気持ちがする。そういえば19歳の時も1ヶ月くらい霞のような世界で生きていたのを思い出した。現実味の希薄な頼りない世界でK子ちゃんの優しさを頼りに生きていたのだった。そうやって限界ギリギリで自分を守っているんだな脳はと思う。偉いな脳はと思う。本人の自覚無しでしっかり自分を守っている。
May 31, 2009
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昨日、元気になりたいと思って「アダルトチルドレン」のコミュニティや「PTSD」のHPをハシゴしてあれこれ読んでいたら現実の厳しさにどっぷり浸り過ぎて心が折れました(∥ ̄■ ̄∥) そのせいかどうか、今朝方腹痛で目が覚めて何度も何度もトイレに駆け込みましたぁ~~~。・゚・(ノД`)・゚・。その後、腹痛に耐えつつコタツに転がってました。ううう、厳しい朝でございました。一日力が出なくてほにゃらほにゃらしてました(^^ゞ腸の強さは自信があるので青天の霹靂でした。体が吐き出したい思いがあったのかしら?と思いました。人の苦しみも自分のもののように感じてしまう所があってまだまだ人と自分の区別が付かないようです。あああ、みんなが幸せになりますように。困難を乗り越えてより強く逞しく深い心を宿した人々がいつか幸せになりますように。
May 24, 2009
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昨日クリミナルマインドを見ていて、最後の格言の所で胸に刺さった詩です。――――――――――――――――――「草花の栄光」 ワーズワースあの草原の輝きや草花の栄光が帰らなくても嘆くのは止そう残された物の中に力を見出すのだかつてのあのまばゆい輝きが今や永遠に奪われても例え二度と戻らなくても――――――――――――――――――これまでの訳詩は草原の輝き 花の栄光再びそれは還(かえ)らずとも,なげくなかれその奥に秘められたる力を見い出すべしと言うものだったけれど、今日聞いた訳詩は解り易くて励まされました。「輝きが永遠に奪われても 残されたものの中に力を見出す」後ろばっかり振り返っている私に最適な言葉だと思いました。記憶の中にキラキラと光輝く草原が見えて来て希望が湧いてくる詩だなあと思いました(*^_^*)
May 14, 2009
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「ミディアム 霊能者アリソン・デュボア」を見る度に思うんだ。なんてこの人は自分に正直なんだろうと。自分が感じた事、思った事を正直に外に出して行くんだ。始めは大騒ぎするから私は見ていてイライラする。私は黙って一人で抱えるのが癖になっていてそれが良いと思い込んでいるらしい。だからアリソンがいつも自分の思った事をそのまま出してそのまま核心にたどり着くまで自分を曲げないで周りを巻き込むから、私には無い事だらけなのでドキドキハラハラしてしまう。だけど最後にはアリソンが正しい事が解って解決するのですごいなぁと思う。自分を信じる力が凄いなぁと思う。脚本を書いている人が凄いんだろうけど。自分を表現する力が凄いなぁと思う。夫と正面から話し合ってぶつかり合っても嫌悪感は残さない。本気で思った事しか口に出さないから心に不快なものが残らないのだ。いつもその場で整理清算しているからぐずぐずと残る不快は無い。夫も本気で話合いをするし妻を愛しているから信頼関係が深くてお互いを尊重し合っている。信頼しているからケンカになっても嫌悪感や悪意を残さない。だから本気でぶつかり合って和解し合えるんだろうと思う。最後にはいつも最初の大騒ぎの理由がしっくりと理解出来るんだけどそこに行くまでの謎解きがいつも家族を巻き込んでの大騒ぎでアリソンに振り回される。でも家族は信頼関係で結ばれている。だから最後にはいつも愛と信頼関係を深める結果になる。勿論脚本家や監督が素晴らしいんだと思うんだけど。私はこんなに大騒ぎをしない、と思う。どうしてこの人はいつもこんなに自己主張をするんだろうと思う。アリソンが正しいのは解っているのに私には出来ない事だと思う。私は人を巻き込むのが恐いし人とぶつかり合うと後々まで不快な気持ちや不信感が残ってしまうから。人を傷付けてはいけないと思い込んでいるから。このドラマを見ていると私はもっと自分を主張すべきなんだと思う。私は遠慮し過ぎて一人で勝手に我慢しているんだと思う。だから人とコミュニケーションが上手く出来ないんだろうと思う。私の中に植え付けられた「子供は黙っていろ」「女は黙っていろ」「妻は黙っていろ」「子供を優先に」「夫を優先に」「他人を優先に」が無意識のうちに私を縛り上げているのだと思う。私はもっと自分の気持ちをその場で自覚してその場で出すべきだと思う。私はこのままでは惨め虫のままになってしまうから。でも難しいんだなぁ~~。小さい頃に刷り込まれ大人になって洗脳され自分を見失っていた私にはとても難しい事なんだなぁ~~~。う~~~~ん。もしかして、私は自分を信用していないのかもしれない。これは困った。これはとても嫌な事だ。これは困った。
May 5, 2009
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去年の秋に弟の奥様が赤ちゃんと一緒にご実家に帰られた時ピーと私は二人で弟の息子ちゃん(当時1ヵ月半)に会いに行ったのですが、その時楽しい他に何か違和感を感じたのでした。それは弟の奥様が赤ちゃんの扱いに慣れていなくてその分、奥様のお母さんが赤ちゃんをずっと抱っこしたりあやしたりして扱っているのを見てもやもやと感じたのでした。お風呂もお母さんが入れておられると言っており、奥様は「扱いが恐くて」と仰っていました。奥様は帝王出産だったのでご実家のお母さんが来てくれて赤ちゃんを扱ってくれたそうですし、お風呂も弟が入れていたそうです。私が赤ちゃんを抱いているのを見て奥様が「流石に慣れてらっしゃいますね」と言ったんです。私は2人育てたので抱くくらいはまだ出来る訳です。それで思い出したんですがそう言えば私は初産のラーを産んだ後で実家に帰って一ヶ月間過ごしました。その間、お風呂に入れるのもオムツも勿論おっぱいもむずかった時に抱っこしてあやすのも総て私が一人でやったのでした。私の母は私のご飯を作ったり洗濯物を洗ってくれたのですがラーについては全くタッチせず抱っこすらしませんでした。ピーの時もそうでした。ラーとピーが小さい頃に密着していた所を見た記憶がありません。ラーに関してはちょっと抱っこした事があったかもしれませんが。私は小さい頃から「自分の事は自分でしろ」と言われ続けて来た事や大事な時に親が傍にいない事や相談すると些細な事でも怒られたり後でまとめて非難されたりしたので、「困った時ほど親は避ける」が身に付いていたのだと思います。だから、実家の母が新生児に一切手を出さなくても全く気にならなかったのでした。だって、私のあの母だもの(((((^m^でも、弟の奥様のお母さんを見ていてそう言えばドラマや映画や友人や知人や近所の人は赤ちゃんが生まれるとお祖母ちゃんが随分手を掛けるものだったと思い出したのでした。でもあの母だからと自分の中では「これが家の普通」と気にしていませんでした。所が弟の奥様のご実家に行って突然それが気になったのでした。私の子供達と母は距離があって私を通してしか交流しませんでした。先日ピーにその事を言うと「だってお母さんがお祖母ちゃんの恐い話を一杯するから 仲良くしようが無いじゃん」と言われて祖母と孫の間を引き裂いたのは私なのか?とショックを受けました。ですが思い起こせば母からこんな目に合った、あんな目に合ったと子供達に言うようになったのはここ5~6年です。その前は何も言っていませんでした。私は全部一人で飲み込んでいました。だから母と私の子供達の間の距離は私が作ったものではないんじゃないかと思いました。そして私は母に抱きしめられた記憶がないと言う事に気付いたのでした。何かあった時にお母さんに抱きしめられて受け入れてもらうという心安らかな経験がないのだなと思いました。ただし、2歳以下の記憶と小学1~3年までの記憶が抜け落ちているのでその間に抱きしめられた事があるかもしれないですが、何しろ母が亡くなってしまったので聞く事が出来なくなってしまいました。私は母の「許し」「受け入れる」をずーーーっと待っていたのかもしれないなぁと思いました。私が長い間抱えて来た孤独感はこれだったのかもしれないと思いました。そしてこれからは私が自分で孤独な子供の私を許し、受け入れて行く事だと思いました。そうしていつか自由に羽ばたきたいです(*^_^*)そうだ具体的に羽ばたいている所をイメージトレーニングしようと思います\(^ー^)/
May 4, 2009
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微熱とだるさと混乱とで日常生活が惨めになっているのでこれは私の中で一体何が起きているのだろうかと考えて自分の中に聞いてみる事にした。それで昨日お風呂に入った時に最近の推移と自分の思いをずーーーっと考えてみた。私は子供時代に家族から否定され非難され、罵られ、嘲笑われ、命令されて育ったので人から少しでも非難を感じると私全てを否定されたと感じてしまうようだ。残念ながら人の対応や言葉は簡単に私の心に突き刺さる。私が勝手に大問題にしてしまう。頭で考えてそれはその人の問題。これは私の問題。と解るのだが感情が恐怖心と嫌悪感に満たされてしまう。今回は私が人を見下したように感じ取られてしまった事が私をひどく打ちのめした。私が人から攻撃されたり非難されて打ちのめされるよりも私が加害者と思われる方が恐ろしく自分を痛めつける事を自覚した。祖母と母と弟のように絶対なりたくなかったんだろうなぁ。私はあんな自分勝手で他人への思いやりが全くない人にはならない!と決めてその決意を支えとして彼女らの攻撃に耐えて来たんだろうなぁ。だから私が祖母や母側の人間に見られる事は大打撃だったのだと思う。だけどこれは私の問題。あの人が私を偉そうに感じたのはあの人の問題。私の動機はただ心配だっただけなんだから。そんな風に考えていたらどうして心配して送ったメールを誤解されるんだろうか?とまた堂々巡りになり悲しくなってしまって、涙がじんわり出て来た。私はわんわん泣けない。泣けないんだよ。私は小学中学年で泣かない事に決めたので今も泣けないんだよ。頑張ってみてもじんわりしか泣けない。それでも悲しい思いの中にいたら私のインナーチャイルドが見えた。8~9歳で下を向きしゃがんで膝を抱えて泣いていた。私の代わりに泣いてくれているのかなと思い、頭を撫でてみた。「ごめんね、苦しい思いばかりさせて。 マイちゃんは悪くないんだよ」と声を掛けてみた。「居場所がなかったんだもんね。 頼る人も理解してくれる人も 味方もいなかったんだもんね」と声を掛けてみた。頭を撫でてみた。私は親から頭を撫でられた記憶が無い。もしかしたらうんと小さい頃に父から撫でられたのかもしれないけど。母からは叱責と命令と嘲りと往復びんたしか受けた記憶が無い。それでも買い物に行くと私は母の腕に腕をからませて買い物したものだった。私は本当にのんきな性格でどんなに罵られてもしばらくすると母を許していた気がする。そして油断して色んな話をしてしまって後になってその内容についてガミガミ怒られるのに。何度同じ事を繰り返しただろうか。私は油断だらけのとりあえず人を信用してしまう子供だった。人を疑ってはいけないと思っていたのは母や弟が疑り深くて信用してくれなかったからかもしれない。私は信用して欲しかったから人を信用する事にしていたのかもしれない。そんな風に考えていたら私の中の子供が急に「金色のガッシュベル」みたいにギラギラした目とギザギザの大きな歯だらけの口の相貌になりガッ!!と睨み付けて長くて鋭い爪で暴れ出した。周りの柔らかい壁を引っかいたり蹴飛ばしたり噛み付いたりした。「あーーーーーーーーーーーー!!」と叫び声を上げながら周りを傷付けていた。すると私の胸の真ん中が痛み出した。ズッキン、ズッキン痛み出した。私の中の子供が暴れて傷付けているのは私の心の内壁だった、と気が付いた。子供の私が住んでいるのは私の心の中でそれは胸の真ん中に直結しているんだと気付いた。そして小さい私が付けた傷で私の心の内壁は血まみれになって痣だらけになっていた。傷だらけ、血まみれの肉の壁の中で子供の私は怒りを発散させて獣のようになっていた。私はしばらくその状態でいたけれど家事をする時間になったのでその子はそのまんまにして家事をした。胸が痛くて痛くて苦しくて辛かったけど家事をしなくちゃいけないから頑張って家事をした。時々心の中を覗き込むとやはり怒り狂った獣じみた小さい私がうなり声を上げて怒りを発散していた。だから私はずっと微熱とだるさと無気力感と恐怖感とで何も出来なくなっていたのだなぁと思った。だから私は辛かったのだなぁと思った。今日も肩凝り、背中の痛み、頭痛と無力感とでただただパソコンに向かっているだけの私。今も私の心の中には獣化した怒りの権化みたいになっている小さな子供の私がいる。じっと睨み付けているだけだけど全身から怒りを発散させている。さあて、どうやって怒り狂って獣化した子供の私の感情を吐き出させてあげられるんだろうか?これを乗り越えないうちには何も出来ないんだろうなあと思った。叔母の世話をしに山形に行かなければならないのだけど。このままではクローズド・エンカウンターカウンセリングにも怖くて行けなくなってしまうなぁと思う。もう逃げるのは止めたいのだけど。この怒りを何とかしたいものだなぁ。
April 21, 2009
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苦しくて悲しい気持ちを文章にしたので苦手な人は読まないで下さい|ω・)・・・私が高校生だった頃、大人や同級生達から誤解されて集中的に色んな事を全部私のせいにされた時期がある。私の知らない所で話が膨らんで行って私の知らない事の原因にされていた。教師達は私を奇異な目で見、授業中も私に向けて差別発言をした。同級生達も何かあると何でも私のせいにした。それに至るには色々事情があるのだけど殆どはKと言う同級生が自分に都合の悪い事を全部私のせいにして話していたから私の知らない間に色んなウワサや陰口が広がっていたのだった。私は無邪気で無防備な幼い女の子だったのでビックリした。自己表現が下手だったのでそんなの知らないと上手く言えずみんなに言って廻る知恵も無く高校3年の時には学校でも親の中でも別の私が出来上がっていた。私は「くまのプーさん プー横丁にたった家」の(ディズニーではなく、A・A・ミルン原作のくまのプーさん)木の洞の家に住みたいと思っていた。クリストファー・ロビンと友達になりたいと思っていた。 私は15歳でもそんなだった。17歳の頃にはみんな困ると私に相談に来た。毎日よその高校の子の相談も受けていた。一日に何時間も電話で相談に乗ったり家に来る子には外で話をした。私は毎日友達のために奔走していた。だけど私には私の悩みを相談する相手がいなかった。本心を言うと迷惑だと友達に言われたから。だから想像で友達を作った。私は誰にも言えない悲しい事や淋しい事や理不尽に感じた事をその人に話した。声に出して話した。うちは夜になるまで誰もいないから私は声に出してその人に話をした。やっと気兼ね無く甘える相手が出来てうれしかった。その人は名前はなくて少し年上の金髪の白人の男子だった。彼はいつも立っていて傍で私の話を聞いてくれた。彼が何故日本人じゃなくて白人なのかずーーっと謎だったのだけどもしかしたらクリストファー・ロビンを大きくした人だったのだろうか?と今思い至った。「くまのプーさん プー横丁にたった家」の世界は私にとって理想の世界だったのだろうなぁ。私の高校生時代は惨めで孤独だったし誤解や偏見で満ち満ちていたけれど私は自分にしか見えない友達を自分で作って自分を助けたのだと思う。そうして今また単純な思いつきや行動を悪く取られる事になるなんて思っていなかった。これはきっと去年から感じていたのだろうけど鈍い私は最近ようやく確信したのだ。やめて。私を自分の色で見るのはやめて。私は私なんだから邪推するのはやめて。私は人を傷つけたくなんだからそんな風に考えるのはやめて。邪推されてものすごく傷付いて何故こんなにも苦しんで寝込むほどにひどく苦しむのかと考えていたら、高校生の頃の周り中敵だらけで勝手に悪い事の原因にされていたあの惨めな頃を思い出した。そもそもの敵が親だったので誰も味方がいなかった。担任の先生だけ味方だったけど私は学級委員や生徒会執行部として期待される方が大きかったから甘えたり共感をしてもらえる人ではなかった。今回の事を考えていたら邪推される惨めさを思い出し、これが苦しかったんだと気付いた。何故邪推されるとこんなにも苦しくて惨めで悲しいのだろうかと考えてみた。親から否定されて育った私は人から少しでも否定されると存在全てを否定されたように感じてしまうようだ。残念ながらそこからまだ抜け出せないでいる。「私は私」と立ち上がって胸を張って邪推を弾き飛ばす強さが欲しい。自分を責めて寝込んでしまうのではなく外に向けて行けたら良いのだろけど、人を攻撃するのも嫌いだから難しい。攻撃ばかりされて育った私は人を傷つけたくないから怒りを飲み込んでしまう事を身に着けたようだ。私はずっと攻撃されて育ったし夫にも攻撃されていたので人に自分の感情を怒りや攻撃以外のどんな方法で出せるのか解らないのかもしれない。人の怒りや憎しみはとても怖い。私をずだずだにしてしまうからとても怖い。だから私は人を攻撃したくない。人を傷付けたくない。でも黙っていると怒りや悲しみを飲み込んでしまう。それを攻撃ではない方法で私が納得行く方法で表現出来る術を身に付けたい。木登りが大好きだった私は未だにツリーハウスに住んでみたいと夢見ているそんな大人で。人とバランスの取れた付き合いが上手に出来ないそんな大人で。いつまで経っても生きているのは苦しい。
April 6, 2009
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今日はスローズド・エンカウンター・グループカウセリングでした。朝早く起きて頑張ったのでもう眠くて眠くて。気付きや学んだ事は明日書きます。おやすみっどないとぐっどないとですヽ(゚∀。)ノ
March 20, 2009
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一昨日の「自己表現セミナー」は苦手な朝起きを頑張ったせいか一日中眠くて疲れたらしく昨日からぐったりしています。昨日の内容は盛り沢山でまだ何一つまとまっていないですが【自分についての積極的自己表現】で自分が書いた事が面白かったです。普段考えない事なので出て来た内容にびっくりしたのです。さて、そこにいるあなたも紙とペンを用意して書き出してはいかがでしょうか♪そうして一杯褒めてあげるんです。1、たいていの人よりも、うまくできると思うこと。(何かあるはず・・・)2、これまでで、「よくやった!」と自分を褒めたいこと。(遠慮なく・・・)3、最近、頑張っていること。(一つに絞ってもOK、いろいろ挙げてもOK。)4、あなたの個性として、一番認めてほしいこと。(人それぞれのよさがあるものです。)あなたはどんな事を書きましたか?私は1、たいての人よりも、うまくできると思うこと。は「人の良い所をみつけること。 観察力がある。 文章を書くこと。 自然を楽しむこと。」でした。私は人を観察するのが好きでその人の個性を楽しむのが好きです。自分と違う面を見つけると面白くてうれしくなります。だから良い所も見つけるのが上手だと思っています。文章については最近ブログを書くようになってから褒めていただく事が多いので得意なのかなぁ~と思いました(*^_^*)私は忙しくても空を見たり空気を感じたりします。昔、子供が生まれる前に働いていた時も電車が去ったホームで美しい夕陽に見とれていた事があります。そして立ち止まって西を眺めている私の周りを沢山の人達が家路を急いで帰って行きました。すぐ目の前に素晴らしい光景が広がっているのに誰も気付かず誰も私が立ち止まった事を気にしてもいませんでした。私一人がホームに残されていました。こんなに美しい夕陽を味わう人が誰もいないなんて、と私はひどく驚いたものでした。急いで歩きながらでも目の前の夕陽を見る事は出来るだろうにととても残念に思ったのでした。だからこれは今もこっそり一人で楽しんでいます。いえ、ピーには報告して綺麗なものを分かち合うので今の私にとってすごく贅沢な状況なのかもしれないです。2、これまでで、「よくやった!」と自分を褒めたいこと。は「生きるのを止めなかったこと。 自分を支えてきたこと。」私は自分に向かってよく言うんです。「よく生きて来たよ、偉かった」誰も褒めてくれないので自分で自分を褒めてあげるのです。子供時代に味方がいなかった私は自分で自分を守るのが下手です。無防備で要領が悪く変に真っ直ぐでそのくせ怯えていて物事がよく解っていなくて幼い人間だったので自分を守り切れませんでした。それでも生きるのを止めないでよく自分を支えて来たなあと思っているようです。実はこれが一番びっくりした内容でした。まさか生きている自分を褒めたいと思っていたなんてとびっくりしました。確かに生きるのは大変だと思っているので、もっともっと褒めてあげても良いのかなと思いました。私は頑張って生きているよ!!!(笑)3、最近、頑張っていること。は「自分を知ること。 外に出て一人の時間を味合うこと(家では一人になれない) 自分を許そうとすること。」自分を知ることは少しず~つ出来ていると思います。でも自分を許すことはまだまだ難しくて出来ないです。 4、あなたの個性として、一番認めてほしいこと。は「感受性」本当は「私全部」、と思ったのですが何故か絞らなくちゃいけないと思い込んでしまって絞り込んで絞り込んで「感受性」にしました。今こうして思うに母から一番否定されたのがこの感受性かもしれないです。「あなたは皆と違う」と非難されても私は自分の感受性を信じていたから母と闘って自分を守って来たのかもしれないなぁと今思いました。これらは普段の私の生活の中では出て来ないかもしれない事なのでこんな機会に見つけられた自分の一部に「こんにちは♪」と今日は明るく挨拶をしています。あなたは何か知らない自分が見えましたか?
March 16, 2009
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日本トランスパーソナル学会 東北支部主催の「さわやかに・・・自己表現!! ~心を言葉にして相手に伝えるコミュニケーション~」のセミナーが3月14日(土)10:00分~16:30分仙台にてあります。内容はI先生のお話とワークです。自分を知り、自分を表現する・・・事に関して興味のある方はホームの左側下の方からメールを下さい。お知らせまで。
March 11, 2009
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以前、友人に誘われて一緒に楽しんだ後で「私なんかのために時間を使ってくれて ありがとう」と言うメールを送ったのだがこれが友人にとってショックだったらしい。せっかくの楽しい時間が「私なんかのために」と言われて吹き飛んだらしい。私の中にはいつも「私なんかのために」と言う思いがある。だからショックだと言われて改めて考えてみた。私は少し前まで人の犠牲になりたいと強く願望する所があった。それは例えば、私が独身時代に通い詰めていたロック喫茶で凶暴な人が客と店員を人質に取って立て篭もった場合、私はみんなの犠牲になって死んであげようと思っていた。みんなが助かったらそれでもう良いのだと思っていた。私なんかが死ぬくらいで済むならそれで良いと思っていた。例えば駅に通り魔がいたら私が犠牲になってあげようと思っていた。それで他の人の代わりに傷ついたり死ぬんだったらそれが良いと思っていた。そんな事を考えている事は恥ずかしいので誰にも言った事がない。恥ずかしいと思うのはきっと自分の行動を英雄的に見てもらいたいと思っているからなんだろうなと思う。自覚はないけれどどう考えてみても恥ずかしい理由はそれしかない。そんな思いに取り憑かれたのは二十代からだった。最近までずーーーっと私が何故そんな事を考えるのか解らなかった。私は何故人の犠牲になりたいのか解らなかった。多分、私は私の存在を肯定出来ないので人の犠牲になる事で人々から肯定してもらえそうな気がしていたのかもしれない。命を投げ出さないと自分の価値が無いと思っていたらしい。人の代わりに殺されたり乱暴される事で自分を認めてもらえると思っていたらしい。自分で自分を肯定しろよ。最近はそう自分に言ってみる。そうしないと自分が自分でいられないよと最近はそう自分に言ってみる。
March 7, 2009
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去年の夏頃だったか、ピーと話をしていて私「自分のためだと手抜きするけど、 人のためだと頑張れるんだよね」ぴ「え~~~! それって逆じゃない?」と言われた事がある。私の仲の良い友人は殆ど中年であり、お母さんだったり親の介護をし続けていたりで他人優先、自分が最後の人ばかりなので、例えば夕ご飯に誰もいなければ卵ぶっ掛けご飯にして後はだらだらしているのが最高に贅沢だと思ったりする訳で。家族がいるから頑張ってご飯をあれこれ作って家事をする訳で。一人だったら気ままに思いのままに過ごすであろう事は確信がもてる訳で。ピーに言われてつくづく私はお母さんになってしまったんだなぁと思った。育った環境でも自分が一番最後の優先順位だったので人に断る事が出来ずにいたのが今では残り物が当然と思っている自分がいる。そこから始めなくちゃいけないと思った。独身時代に自分の思考や行動を認識していた事を思い出し「お母さん」から「私」に戻りたいと思った。
March 4, 2009
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一昨日の「エンカウンター・グループカウンセリング」について思い出しながら考えていると自分の中には「見捨てられ感」が強くてだからとこにいても「私はここにいても良いのか?」と不安に思うのだと思った。誰からも受け入れてもらえない何の必要もない人間だと感じてしまうのだ。それで「見捨てられ感」で検索した一番目に出た所が「見捨てられ感と、町沢静夫が治療に失敗したケースについて」http://homepage1.nifty.com/eggs/etc/essay/misuterare.htmlと言うあるHPの「エッセイ・時評・雑文」の中の1ページだった。読んでいるうちに泣いてしまい、見捨てられ感で自殺した女性とカウンセラーとしての問題点についてこんなにも見事に見つめて考えて分解している人は誰なのだろうか?と思ってHPを見るとなんと、ネットを始めた頃に一方的にとてもお世話になった「境界例と自己愛の障害からの回復」さんのHPだった。http://homepage1.nifty.com/eggs/index.htmlあああああああ。どうりでと思った。どうりで感情に流されずに客観的に隅々まで観察してしっかり分析しているわけだと納得した。最後に書いてある自分への呼び掛けで泣いてしまった。ここにも私と同じ人がいるんだと思って泣いてしまった。だからここに載せておきます。―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・― 最後に、私が「自分への語りかけ」のページで書いた言葉を、ここでもう一度掲載しておきます。親や他人から言われたからって、自分で自分を見捨てる必要はないんだ。自分で自分を見捨てなくてもいいんだ。お前はもう充分自分を見捨ててきたじゃないか。お前はもう充分自分を傷つけて苦しめてきたじゃないか。もう充分じゃないか。お前はもう自分を見捨てなくてもいいんだ。幼いころに間違った考えを刷り込まれたお前は、一生懸命頑張って自分で自分を見捨てて来た。幼かったお前は、疑うことを知らず、けなげにも教えに忠実であろうとしてきた。刷り込まれた教えに従って、本当に頑張って一生懸命自分で自分を傷つけてきたし、一生懸命自分で自分を無視してきた。誰も褒めてくれなかったけど、お前は本当に良く頑張った。頑張って自分を見捨ててきた。一人で大変だったね。辛かったろうね。誰も認めてくれなかったけど、本当によくやった。でも、もういいんだ。お前が教えられたことは間違っていたんだ。間違ったことを刷り込まれていたんだ。お前はもう自分で自分を見捨てる必要はないんだ。それは間違いだったんだ。お前は、もう親とは別個の人間なんだ。もう間違った教えに従わなくてもいいんだ。間違った仕事はこれで終わりにしよう。これからは自分で自分を大切にしよう。これからは自分で自分を育てよう。新しい仕事に取りかかろう。 ―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・「見捨てられ感と、町沢静夫が治療に失敗したケースについて」http://homepage1.nifty.com/eggs/etc/essay/misuterare.html・「境界例と自己愛の障害からの回復」HPhttp://homepage1.nifty.com/eggs/index.html
February 3, 2009
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私は、10年くらい前から私の中に「泣いている子供」がいる事に気付いていた。何も無い真っ暗な空間で、手を少し丸めて人差し指側を目に当ててしゃがんで泣いている6歳くらいの女の子がいた。私はその女の子の頭を撫でてあげたかった。でもどうしたらその女の子を救えるのか解らなかった。その後、娘の不登校に伴って教育相談会やカウンセリングに行き自分を客観的に見る事が少しずつ出来るようになった。その頃にインナーチャイルドと言う考え方を知った。その頃の私の中の女の子は6~8歳くらいで立ち上がって泣いていた。やっぱり暗闇の何も無い空間で両手を目に当てて泣いていた。私はその子の力になってあげたかった。でもどうして良いのか解らなかった。最近の私はいつも心の奥の奥に怒りがある事に気付き始めた。そして今日、私のインナーチャイルドについて考えていると私の中の子供はもう泣いていない事に気付いた。もう泣いていないけど私の中の8~10歳くらいの私はとても怒っている事に気付いた。私の中の子供の私は泣いていた頃より少し大きくなっていて前を向いて睨んでいた。こちらを向いて怒った顔で睨んでいた。両手をぐっと握り締めて両腕を真下にぴんと張り詰めて、足を肩幅に開いてブラウスとスカート姿の私は全身に怒りをたぎらせてこちらを睨んでいた。怒りが伝わって来て私は私の中の女の子がとても怒っている事に初めて気が付いた。私の中の女の子はもう泣いていない。でも、すごく怒っている。理不尽だと怒っている。私の中の女の子は初めて自分の感情を外に向けて出し始めたのかもしれない。今までは成す術も無くただただ突っ立って泣いていた小さい女の子が、自分に向けられた理不尽さにようやく気付いて怒りを発し始めたのかもしれない。「どうしてこんな目に合うの?!」「私は何も悪い事をしていないのに?!」「何故こんなに頑張っているのに 一度も認められた事が無いの?」「お母さんは、 どうして弟にだけ優しいの?」「お父さんは、 どうして助けてくれないの?」「お母さんが憎んでいる 意地悪なお祖母ちゃんでさえ 私の弱さ故の惨めさに 同情してくれた事があるのに」「どうして私は与えるだけなの?」「どうして私には与えられないの?」「どうして私が私じゃいけないの?」「どうして私は お母さんの言う通りにしなくちゃいけないの?」「どうして私は お母さんの思い描く子供じゃないからと言って いつも非難され 否定され けなされ 罵倒され 嘲笑されなくちゃいけないの?」「そんなに世間体が大事なの?」「私が優等生じゃない事が そんなに恥ずかしい事なの?」「勉強勉強って言うけど 私にとって勉強より 心の方が大事なのに お母さんには全く通じない」「どうして弟には許されて 私には許されないの?」「いつも我慢する役廻りなのが 私なのはどうしてなの?」「私が私らしさを出すと お母さんは私を憎むのは何故?」「外面が良くて 家では鬼のくせに」「お母さんの心はどこにあるの?」「お母さんには 私の良い所が一つも見えていない」「お祖母ちゃんとケンカするのは止めて」「いがみ合い、 罵り合うのは止めて!」「お父さんもお母さんも 尊敬出来ない」「弟とは心の話が出来ない」「自分の利益の事しか考えていない ずるい弟とは通じるものが無い」「親族に心が通じ合う人はいない」「誰も味方がいない」「どうしてこんなにいつも孤独なんだろう?」「淋しい淋しい淋しい淋しい淋しい」「周りに人間がいる気がしない」「居場所が無い」「どうしてこんな目に合うんだろう」「私は純朴な子供と言うだけなのに」私の中の女の子がそんな風に怒りを募らせながら言っていた。つばを吐きながら言っていた。私はどうしたらこの女の子の怒りをなだめる事が出来るんだろうか?私はこの女の子の怒りを受け取って和らげてあげたい。あなたが怒っていたのは当然なんだよと言ってあげたい。あなただって幸せになって良いんだよと言ってあげたい。そうして幸せになって欲しい。
January 21, 2009
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