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Kokoroプロジェクトの方から1月の祈りのお誘いをいただきました「こころ」の検索をしていたらここに辿り着きました。1月のお誘いを送らせて頂きます。被災地に祈りを届けましょう。よろしくお願いします。こころKokoroのサイトにはこのように書かれています。―――――――――――――――――――――――――もうすぐ1月11日です。国境や宗教、人種を超えて世界中で祈りが捧げられます。日本時間11日正午・NY時間10日夜10時から被災者の方の心に寄り添う時間を持ちませんか?●Invitation to our circle of prayer in January 1月祈りのお誘いhttp://311kokoro.wordpress.com/●1月祈りのお誘い Invitation to our circle of prayer in Januaryhttp://311kokoro.wordpress.com/%EF%BC%91%E6%9C%88%E7%A5%88%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%81%8A%E8%AA%98%E3%81%84-invitation-to-our-circle-of-prayer-in-january/―――――――――――――――――――――――――2011年3月11日の大震災と大津波で亡くなった方や今も苦しい、辛い思いで過ごしておられる皆さんのために11日12時に一緒に祈るプロジェクトです。非力な私にも出来るプロジェクトなので感謝しています。
January 10, 2012
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地震のために住めなくなった東南向かいの家が2軒、12月に入ってから取り壊し作業が始まり、年末ようやく更地になって静かになり見晴らしがよくなったと思っていたら今度は南西向かいと西隣が引越して行って2軒同時に取り壊しが始まろうという時に、真南向かいのおばさんが元旦に車に轢かれて亡くなってしまった。朝の5時半に起きて散歩をし、夕方5時には夕飯を食べて夕方の散歩をし9時前には寝る、早寝早起きの規則正しい人だった。毎日あちらこちらに出歩いて帰りに家の前の道で色んな人と話し込む友達が沢山いる元気な人だった。庭や植物の話を誰彼になくする気さくであけっぴろげな人だった。お互いの庭に無い花や木の枝をよく交換し合ったのだった。ペンギンみたいにえっちらおっちらと左右に揺れながら歩くユーモラスな姿が印象深く今もその辺を歩いているような気がする。外に出ると道の向こうや庭の向こうを探してしまうのだった。外を歩いている姿を見ない日がないほどだった。ここに引越した12年半前、一番始めに話掛けてくれたのが向かいのおばさんで、一番交流があった人だった。近所の色んな情報を仕入れては私にしてくれるのだった。私が庭仕事をしていると現れてあれこれ話をして行くのだった。猫のウンチ問題では少しこじれて面倒臭いのと何か言われるのが嫌で私が避けるようになってしまった。猫はウンチをしないと外に出さないようにしたけれど近所の地主さんの「猫いらずで殺す」と言う言葉をおばさん伝に聞いてから恐く感じるようになったのだった。だから最近はあまり話しをしていなかった。地震の直後に一度、一緒に買い物に行ったり庭仕事中に2~3度話をしたくらいだった。元旦の朝だったか大晦日の日中だったかおばさんが玄関の前にいるのを見かけたのだった。おばさんは近所のスーパーに向かう途中にある家から歩いて5分くらいの青信号を渡っていて横断歩道で車に轢かれてしまった。寒い朝だったから車のフロントガラスにはまだ氷が張っていて、運転手は下を見ていて前を見ていなかったそうだ。だからブレーキを踏んでおらずおばさんはほぼ即死状態だったそうだ。あんなに沢山の友達がいて健康のために毎日出歩いて人が訪ねて来て、いつも元気にのんびり歩いていたのに。あのT字路の交差点は歩行者が見えにくくて危険だと常々思っていた。私が歩く時には、信号が青でも運転手がちゃんと止まるのを確認して「歩行者も青なんだぜよ!」と言う脅しを込めたきつい目付きで睨んでから歩く。「歩行者優先なんだから来るなよ!」と目で脅しながら歩く。でも車を運転しない人やあの横断歩道を歩かない人はあの横断歩道の危険性を知らないかもしれない。歩行者専用信号を付けないとすごく危険だと思う。猫のウンチ事件の事は気にしないで話しておけば良かったと今さら思っても仕方ないのだけど、恐怖心や怯えに負けて生きている自分にガッカリしたのだった。おばさんと庭の話をもっとしとけば良かった。おばさんは亡くなってしまった。「あんだいの庭きれいにしてっごだ」と仙台弁で話しかけられる事はもうないのだ。こうして巨大地震で始まった事は近所の家が櫛の歯が抜けるように段々いなくなって淋しくなり私はすごくしょんぼりしてしまったのだった。人の命も暮らしも儚いものだと強く感じてしまってブログ更新をする気にもなれずにいたのだった。メンタル弱くてすみません。地震の時の恐さも交通事故の恐さも人の暮らしがいつ何時どうなるのか解らないものだと強く思ったので今を大事に生きたいなぁと思いました。今年は笑えるようにしたいのでトイレのカレンダーは猫川柳にしてニヤニヤしてます。 ものごとを斜めから見るって私のように直情的な人間には必要ですね。猫川柳を見る度に心の斜めな余裕を思い出して( ̄ー+ ̄)ニヤリと笑ってやろうと思います。今年のマシロさんも相変わらずのドスコイでイスの上に座る後姿はまるで白いアメフラシのようです(_≧Д≦)ノ彡☆ く~たんも相変わらずの差別猫で私が触ると悲鳴のような甲高い絶叫で私の愛情に応え、次にウーーーーーッ333と威嚇します。勿論噛み付かれたり猫パンチされるます。でも最近は私も負けてないですっ!負けずにちょっかい出すようになった少し成長した私ですっ(`・ω・´)そして夫に抱かれるとうっとりうっとりします。声も甘え~~た声になります。差別猫の差別猫たるゆえんのく~たんそのものです。 今年もこのメンバーで宜しくです(*^▽^*)良い事もあるもので、ピーは驚くほど元気でバイト続いてます。一日5時間から8時間労働に切り替えて働いてます。楽しい職場なのでクレーマーの客の嫌がらせがあっても何とか乗り越えられたようです。私の筋力トレーニングは寒さに負けて中断してます(´・ω・`)だからまた体重が増えてます(´・ω・`)寒いと食欲は刺激されるようで始終何かしら食べまくなってます(´・ω・`)アゴのラインがまた埋まって来ました(´・ω・`)そんな2012年の始まりです。ヽ(゚∀。)ノでも去年より寒がらずに済んでます(`・ω・´)昨日まで服は3枚しか着ていませんでした。余りの寒さに今日から1枚増やしました。一昨年は秋から4枚~5枚着てたのでかなり冷え性が改善された気がしてます(`・ω・´)そんな私を2012年も宜しくお願いしますm(_ _)m
January 9, 2012
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今日は気仙沼に出張しているラーが凍結道路でスリップして柵に突っ込み車がかなり壊れたと言う連絡から始まりました。後で写真が送られて来ましたが左のミラーが半分無くなってます。前や側面もあちこちやられてますが何故か屋根もぼこぼこになってます。どう言うぶつかり方をしたんでしょうか?夫が言うには直すと数十万掛かるので中古を買った方が安いとの事でした。でも、人を巻き込んだり怪我をしなくて良かったです。そして西隣の温かい隣人も今日、大きい家具の引っ越しをしました。奥様の仕事が辞められる2月には本格的な引っ越しをして更地にするそうです(′;ω;`)ご主人が脱サラして始めたペンションに夫婦揃って居を構える訳です。親切な人ばっかり移動して行きます(′;ω;`)南東向かいの家は数日前から重機が出て取り壊しがほぼ完了しました。午後には七ヶ浜国際村の仮設住宅集会所に行って初めてボランティアさん達にお会いして来ました。ストレッチや入浴剤作りに参加して、クリスタルボール演奏を聴きました。http://www.youtube.com/watch?v=YzhYvbGvztUこのクリスタルボールによる演奏は全ての物質が持っているバイブレーションそのものに影響するのでクリスタルボールの放つバイブレーションに全身で浸って、最高にゆるゆるしました。あらゆる音がボウォーンと間接的に聞こえて、気功のセミナーでチャクラを開いてもらってから気を感じるとビリビリする両手が今日もビリビリ反応していました。尖がった気持ちが柔らかぁ~くなりナーバスな感情があたたかぁ~くなりこの18年ほどずっとやっかいだった些細な事にやたらと過敏に反応する感情がふわぁっとのんびりしました。まるで泊まっての集中ワークの時みたいなふわふわぼんやりした現実離れしたいい気分でした。始めは臍の両脇がビリビリしました。次に額が熱くなりました。そのうち左前頭葉がむずむずして来ました。クリスタルボールのバイブの中でゆらゆらとたゆたいながらふわーっと心が軽くなりました。これは脳の細胞にも影響して求めていた状態になりました。ゆるやかなバイブに浸ったお陰と思いました。家に帰りがてらこれは身体にも心にもありがたいと思いました。これこそ癒しだと思いました。明日も国際村であるそうなので車を何とか融通して行こうと思います。 千葉からいらしたボランティアの方の91歳のお祖母ちゃんが一日に一足の靴下を編み、それをプレゼントしていただきました。ありがたくて涙が出ました。終わってからその場で仲良くなった人と話していたら、塩釜出身のヴォーカリスト高橋瞳のお祖母ちゃんに紹介していただきました(*^▽^*)高橋瞳 「青空のナミダ」http://www.youtube.com/watch?v=MpmacAHfi4k塩釜出身の有名人は高橋瞳の他にすっごい声優の山寺宏一(山ちゃん)ロックミュージシャンの大友康平(HOUND DOG)写真家の平間至くらいしか知らなくてゴメンなさい。色々詰まった一日でした。
December 17, 2011
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夫はPCとネット関係の仕事で深夜勤務が続いた後に朝になったり夕方勤務になったりその直後にまた深夜勤務と不規則この上ない勤務状況を続けて来て地震以来のストレス対処が大変になりいよいよ体調不良が軌道修正出来なくなったため仕事を先週で辞めて家にいるのですが、自室が寒いからとついに今日デスクトップのPCをリビングに移動して来ました。ノートPCは勿論コタツでパソコンしてます。わしぁ~どこへ行こうかこの寒さの中・・・(´・ω・`)やはりこれは転機だと思うのでありますっ(`・ω・´)でも今日は肩凝りと頭痛で何も出来ませなんだ・・・(′;ω;`)頭痛を我慢しながら4日サボった筋トレをやったのに血流問題ではないのか、頭痛は治らず辛いです。家の南側の短い私道を4軒で持っているのですが、そのうちの1軒が地震で家に住めなくなって千葉の息子さん宅にしばしば泊まりに行っていたのですが、とうとう一昨日引っ越して行かれました。家の中に入らせていただいたらこっちの床は盛り上がって障子も窓も閉まらず、あっちは下っていてと言う具合に家中が歪んでいて眩暈がしました。基礎と家が離れていて天井裏も亀裂だらけなのだそうです。「この年で引っ越すのはねぇ・・・ ずっとここにいたかったのに」とても温和なご夫妻で残念です。西隣のお宅も床が斜めになっていていつか引っ越して行きそうです。優しいご家族が引っ越されるのはとても残念です。東南のお宅のご家族は夏に引っ越して行かれました。そこも住めない家になりました。北東に2軒目のお宅は擁壁が全部崩れて恐ろしい事になってます。また大きい地震が来たら家が下に崩れ落ちて行きそうです。高台で津波には合いませんでしたが高台には高台の問題が発生しています。淋しい冬に負けないように体力造りを頑張ります。これは去年植えたばかりのまだ小さい月桂樹と老木になったローズマリーを切って乾燥する前に楽しんだものです。 素敵な香りです~~♪小さな蕾が一杯付いててこれはいつ咲くんでしょうね!冬越しで家の中に入れたナスタチュームはまるでバラのような香りがして八畳に入る度に癒されています(*^▽^*)ナスタチュームがこれほど香りが高いとは知りませんでした。私は花やハーブの香りが大好きです♪自然は厳しいですが優しくて癒してもくれてそこで私達は生きているのですね。
November 26, 2011
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10月11日(火)のkokoroプロジェクトのお誘いをお知らせします■10月祈りのお誘い■もうすぐ10月11日です。国境や宗教、人種を超えて世界中で祈りが捧げられます。日本時間11日正午・NY時間10日夜11時から被災者の方の心に寄り添う時間を持ちませんか?Invitation to our circle of prayer in October Posted on 2011/10/07 by ucanhealu On October 10th at 11pm NY time (Thursday 11th at 12:00 noon in Japan),shall we all have time to stand by victims with people from all over the world and people from the afflicted areas in Japan?2011/10/10 12:00pm (日本時間) 皆でひとつに Let us all pray togetherInvitation to our circle of prayer in October 10月祈りのお誘いhttp://311kokoro.wordpress.com/ 「こころ Kokoro」
October 10, 2011
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庭仕事の疲れとここ2週間苦しんでいる背中の痛みが楽になった一昨日、ようやーーく叔母の銀行に行ってATMに反応しなくなっていた通帳を復活してもらいました(*^-^)ノ帰りに新港のアウトレットに行きお土産を買って7月の迷い三毛猫さんの所にその後を知りたくてお邪魔しました。飼い主さんは元気でした。三毛猫さんが行方不明になって1ヶ月、ご飯が食べられなくなって10キロ痩せたのだそうです。夜も眠れなくなって泣いてばかりいたそうで思い出して泣いて又してもものすごーく感謝されました。そんなに喜んでもらえるなんて全くビックリです。そして津波が来た時の話もお聞きしました。一人一人みんな違う経験をしたので助かった近所の人が集まると何時間でも話が出来ると仰っていました。砂押川の向こうとこちらでは天国と地獄くらいに違っていた事。静かにあっと言う間に満ちたので二階家の人は助かったけれど平屋の人は助からなかった事。二階建ての家に逃げ込んで助かった人がかなり沢山いた事。あちらこちらから「助けて」と言う声が聞こえたけれど2メートルの水に阻まれて助けに行けなかった事。高い所に流れて来た看板にぶら下がっていた若い女性がずぶ濡れで「寒いー助けてー」と叫んでいた事。でもこの女性は自衛隊に助けてもらったそうです。間近のコンビナートが二箇所で爆発していたので恐くて寒くて夜眠れなかった事。ジャスコの向こうにある神社の大木にしがみついて助かった人もいるけど30人くらいの方が亡くなっていた事。車の中で亡くなった方の家族が時々献花に訪れる事。家や樹木が無くなってみると新港が意外に近かった事。1100年前にはもっと高い所にある多賀城遺跡にまで津波が来た歴史がある事。店に車が突っ込んで品物が浮いて店内が壊れていたのでもう店は出来ないだろうと思った事。脇道に車が三段に重なって通れなくなっていた事。生き残った人でやって行こうと励まし合っている事。多賀城市は海に面した平らな地域に商業が発達した地域で仙台盆地の北端にあり、西に丘が連なって住宅が広がっています。地図を見ると津波にやられたのは多賀城市の3分の1でした。うちに来てくれる宅急便のおじさんも3月11日は地震で仕事にならないと名取の方に帰る途中で津波に合い、多賀城市のブックスなにわの駐車場に逃げ込んで津波で動けなくなった車の中で一晩過ごしたそうです。ブックスなにわの駐車場は少し高いので流されずに済んだのだそうです。ご自宅も津波で流されましたがすぐに内陸部のアパートを借りて仕事も1月経たずに復帰されていました。宅急便のおじさんがもう少し早く帰ろうとしたら海沿いの道を通る訳なので手前の地域にいて助かったのでした。このおじさんがうちに現れた時宅急便が来た!!!と驚いて日常性が少し戻った気がしたのと津波に合って家も流された話を聞いて泣いたのでした。一昨日、アウトレットモールからの移動で新港のすぐ脇の道を震災以来初めて通りましたがあちこちの工場の1階部分が無くなっていました。大きい建物ばかりなのですが三階建ての倉庫の三階部分がめくれていてビックリしました。船が突っ込んだのでしょうか。すごく高い位置でした。個人住宅は全部流されていました。家も樹木も無くなって初めて新港からジャスコや産業道路、国道45号線がすぐ近いと感じました。大きな建物が建っていたので海がこんなに近いとは認識していませんでした。三毛猫さんの飼い主さんは三毛猫さんが行方不明になってから余りにも落ち込んだので親族友人近所の人達に心配されて病院に行けと脅されるほど弱ったのだそうです。三毛猫さんが見つかったと解って皆に万歳三唱されたそうです(_≧Д≦)ノ彡☆泣きながら話しておられました。「思い出しても泣けて」と。きっと恐ろしい思いをされたのでちょっとした事もひどく堪えるのだろうと思いました。すぐに帰るつもりだったのに2時間くらい話し込んでしまいました。猫の話と津波の話は簡単に切り上げるのが難しいです。それに何と言っても飼い主さんの親族がうちの近所の方で私も知っている方だったんです!!世間は狭いって笑いました。三毛猫さんがそんなに近い所にいるとは知らず、私達が連れて行く数日前にもうちの近所の親族の家を訪ねていたそうです。不思議な縁みたいなものを感じました(*^_^*)パトロールに出かけていて三毛猫さんには会えなかったので次回は是非とも元気な姿を見たいと思いました。2時間ほども話し込んでしまったので帰りは夜になり、買い物をして塩釜の壱番館の所を通ったのですが先日の台風の被害は解りませんでした。以来、背中が痛くて苦しんでました。急に寒くなって血流が追いつかなくなったのかもしれません(=_= )
September 28, 2011
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そう言えば一昨日だったか地元のニュースで宮城県民にランダムに電話でアンケートを取った所、放射能の心配を男性は50数パーセントしていて女性は40数パーセントだったので女性は逞しいのか、はたまた現実を無視して自分が欲しい事実だけを見ているのかと非常に驚いたのでした。男性と女性では見る所も注意点も把握点も違うのだなと思いました。だけど男性にしても50数パーセントって少ないと思いました。テレビや新聞で報道していない沢山の事を知らないのかなと思いました。うちの近所の人も山形の母方の叔母もとてものん気で気にしていないんです。私の弟は、何しろ大雑把で当たって砕けろ的な私を見て育ったため反面教師となって大変用心深い石橋を叩いて渡る人になりましたので小さな子もいる事で食べ物は西と北から取り寄せているそうです。勿論ミネラルウォーターの買い置きは大量にしてあります。今度爆発したら奥様と息子を西か北に避難させるそうですが、実は皆さんが思っているより酷いことになっているのに皆さん気付かないようで・・・。福島原発事故は広島原爆の29,6個分なんです。新聞報道されていなかったのですが今も報道していないのでしょうか?NHK教育テレビでも原発事故について放送するようになり、先日の放送では津波襲来の4時間後にはメルトスルーに陥っていたと放送していました。大分前から地下水汚染が心配されていました。*メルトスルー 燃料の融解が進行し圧力容器・格納容器外に漏出するそれなのに国が保護してくれないってどうゆう事でしょうか。幾ら小さい国で逃げる所もなく甚大な被害、莫大な費用が掛かるからと言って基準数値を引き上げて誤魔化すなんて信じられません。東電と一緒になって国も隠していたなんて。さて野田総理大臣はどう動くのでしょうか。野田さんについては何も知らないです。はあ~~つれづれ語りになってしまいました。先月末に叔母の所に行った時、震災以来初めて東北自動車道を通りました。高速道路で塩釜から山形に行くには高速道の東道路を通り、途中から南道路を通り、東北自動車道を通り、山形道に入ります。その東道路が今回の津波の被害を食い止める役目をしたのでした。それでそこを見る勇気が無くて高速自動車道は避けていました。もう大丈夫かもしれないと思い午後に出発して海方向を左に見ながら進んだのですが、海沿いに並んでいた松林が乱杭歯のようにボロボロ欠けていたり残ったものも茶色になっていたりと運転しながら見えるのはそのくらいでした。帰りは夜の9時ごろでしたが、夜だからと油断していたので東道路の近くには街灯が点いているものの海に近付く程暗くなって走る車のライト以外は何もない事に気付いてしまい、運転しながら泣きました。高速道路近くの残った家々も真っ暗でした。東道路から東側が全部暗いのでした。途中まで規則正しく灯っている街灯と車のライト以外に人の気配は無いのでした。夜の方がその広範囲さに気付いたのでした。多賀城の国道近くになると灯が見え出し肩の力が抜けました。そんな感じにジワジワと生活に染み込む哀しさから何とか前に進みたいと思っています。音楽を友として自分の心を直に感じられるようにして日々を自己コントロールできるようになりたいです。だのに昨日珈琲を3杯飲んでしまい眠れない朝を迎えている私・・・(=_= )ううう・・・自己コントロールはいつ出来る事か(=_= )夏なのに3キロも太ったし・・・(=_= )あああ・・・理想と現実のギャップに眩暈がします(=_= )
September 12, 2011
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昨日、正確には一昨日の夜いつも買い物に行くカワチは塩釜市と多賀城市と七ヶ浜町の接点にあります。10日夜7時から七ヶ浜町で復興のお祭りがあり花火を上げると言うので買い物の帰りにピーと二人で寄ってみました。例年は7月に行われるのですが菖蒲田浜(しょうぶたはま)が津波被害で使えなかったため寄付を募って9月に行われたようです。夜であまり見えませんでしたが菖蒲田浜公園や近くの住宅はまるっと無くなっていました。高台にある住宅は助かり、そこ以外の所はかなり津波でやられたそうです。七ヶ浜町は小さな半島で塩竃市と多賀城市にくっ付いた形でぐるりと海に囲まれており、付け根には塩釜湾から仙台新港まで貞山堀が繋がっています。そんな地形なので七ヶ浜町は津波で海側をやられただけではなく貞山堀には塩釜湾と仙台新港からの津波が両側からやって来たため堀からも津波が来て町の総面積の5分の3ほど津波被害に合いました。 うちからは南東に5~6キロ離れているでしょうか。6月7月は例年より暑い日が続き、海からの風が強い日には腐った匂いや消毒の匂いがうちまで届いていました。カワチに買い物に行くと腐臭で息苦しい程でした。私が今も作って撒いている米のとぎ汁で作る乳酸菌と似た米ぬかで作る乳酸菌が配られ七ヶ浜町ではそれを撒いたのだそうです。瓦礫撤去も大分進んだ事もあるらしくて最近は匂いがかなり穏やかになって来ました。夜に菖蒲田浜に行くのは内心不安だったのですがやはり途中から記憶と一致しなくなって混乱しました。津波被害で住宅がや瓦礫が撤去されたため私の記憶と違って見えたのでした。でも家々が無くなって道路しか残っていないのでそこを走っていれば花火は見えたのでした。花火はその迷った気がした所で行われていて車を止めて見ていたら調度真上に打ち上がって生まれて初めて真下から花火を見ました。あんなに近くで花火を見るなんて!!火花が落ちて来そうに近い所で見た花火はまるで宝石のようにキラキラ輝いては消えてとてもとても綺麗でしたヽ( ̄▽ ̄)ノ普段はクールなピーも興奮して二人で感動しました。車や人が例年では近付きたくないほど混むのですが今年は車で何とか通れるくらいでした。木々は無かったですが夏草が生い茂り人間を見下ろしていました。草はどこでも繁茂して強いですね。西に20メートル程行くと高台が始まりそこからは家々が残っていて子供達が沢山歓声を上げていました。私の目の前を通った男性の背中におんぶされた3~4歳の男の子が花火と一緒に「バーン!」と叫んだのがとても楽しそうだったので、私が「バーン!」と返したらお父さんも男の子もすごく喜んでいました(*^_^*)中学生の男子達が自転車数台で街灯の無くなった砂利道を危険な走り方をして行きました。元気でパワフルでした♪そう、舗装道路が土の道になっていました。女子高生達が浴衣で歩いて行きました。大人も沢山歩いていました。私達は終わり近くに行ったので10分経たないうちにラストになり高台の子供達が拍手と「もう一回!」のアンコールを始めました。ここは東側と北側にも高台があるので南側の海から津波が押し寄せたのでしょう。24年前に住んでいた頃、生まれたばかりのラーと歩いた道でした。平らになって草だけになったけれど人々は頑張っていました。津波にのまれると漂流物にぶつかってそれで亡くなる方も多かったそうで、友人の知り合いの方は物が流れて来ると海に潜って難を逃れ助かったそうです。あの凄く寒い日に海に潜ったなんてそれを考えるだけで辛くなります。時間が少なかったので車の中で見ていたのですが最後だけは外に出て観ました。やぐらが組まれており、出店が幾つか見えました。すぐに終わったので渋滞が始まる前に帰って来たのですが「復興祭りなんだから、買い物すれば良かった」とピーが言っていて、私は早く帰る事しか考えていなかったのでちょっと反省しました(´・ω・`)ただで花火だけ観てすみません。帰りに以前住んでいた東宮浜に行ってみましたがもう家々が変わっていて何が何だか解りませんでいた。でも東宮浜は塩釜湾の内側にあるためか津波の勢いは削がれたらしくて家々は残っていました。浜でも場所によって随分違っていたようでした。太平洋側の浜は何も残っていないでしょう。火力発電所は残ったようですが津波対策は一切されていなかったので被害は甚大で再開出来ていないらしいです。今見ていたら、七ヶ浜の南西にある石油コンビナートが何故か仙台市になっているようです。七ヶ浜町の境界線になっている貞山堀を越えて半島に食い込んでいる仙台市。これまたきな臭い事実です。そのコンビナートは地震で火災が発生して地震と津波と停電で静まり返った真っ暗な夜の街を不気味に照らしていて、5日間ほども燃えていたのでした。5キロ離れたうちでさえ遮蔽物がないので爆発音も聞え、爆発した時の照り返しが凄くてうちや近所が明るく見えた程でした。とても恐かったです。いつまでもいつまでも爆発しながら燃え続けるコンビナート。見えない原発の放射能の恐怖。ライフラインや食糧確保の不安。緊張していたせいかあまり怯えてはいませんでしたが、毎晩寝る時だけポータブルmp3で音楽を聴き日常性を取り戻していました。電気が使えずサイレンが鳴り続け、その後動きが無くて無音の2日間を過ごした後に一日中ヘリコプターの爆音と救急車消防車パトカーが輪唱のように聞えていた毎日の中で音楽を聴くと砂漠に水が染み込むように心に染みて癒されました。音楽っていいですね♪
September 12, 2011
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明日の正午からの9月のこころプロジェクトのお知らせです。「毎月日本の11日に皆でひとつになりましょう」9月祈りのお誘いhttp://311kokoro.wordpress.com/「こころ Kokoro」On September 10th at 11pm NY time (11th at 12:00 noon in Japan), shall we all have time to stand by victims with people from all over the world and people from the afflicted areas in Japan?もうすぐ9月11日です。国境や宗教、人種を超えて世界中で祈りが捧げられます。日本時間11日正午・NY時間10日夜11時から被災者の方の心に寄り添う時間を持ちませんか?Invitation to our circle of prayer in September 9月祈りのお誘いhttp://311kokoro.wordpress.com/ 「こころ Kokoro」
September 10, 2011
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「この国と原発:第1部・翻弄される自治体(その2止)原発マネーが侵食」http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110819ddm010040004000c.html 行政が原発から離れられない理由が解ります。1千億以上の超高額の寄付は青森・福島・福井などですが、原発のある女川はいざ知らず、石巻にまで寄付があるので驚きました。―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―■自治体に流れた「原発マネー」総額(判明分)電源3法交付金総額 9152億8300万円道県の核燃料税 6749億6820万円原発に伴う市町村税 8920億1299万円電力会社からの寄付 530億3814万円合計 2兆5353億 233万円詳しくはこちらで↓「この国と原発:第1部・翻弄される自治体(その2止)原発マネーが侵食」―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―これでは癒着は続くばかりでさあ国民はどうしますか?
August 19, 2011
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大震災から5ヶ月経った8月11日。正午に世界がひとつになって祈るプロジェクトに一人でひっそり参加した夜、花火が上がりましたヽ( ̄▽ ̄)ノ夏は海端の町々が花火を上げて高台にあるうちにはしょっちゅうバンバンと音だけ聞こえるのですが、今年の花火は諦めていたのでビックリしました。うちは高台だけど仙台湾の花火は南の高台の杉林が邪魔で見えず、塩釜港の花火も東の丘の高台で見えず、他の地域の花火も高台のくせに見えなくて音だけ聞こえます。所が11日に上がった花火は真南に上がりベランダから初めてはっきり見えました。調度仕事から帰って来たラーと、私とピーとで騒いで見ていると西隣の方も仕事から帰ってベランダにやって来て「被災地で鎮魂の花火を上げているんですよ。 確か福島と宮城と岩手の数箇所で上げてるそうで テレビでもやっていますよ」と教えてくれました。ピーは早速テレビを付けてチェックしましたがうちのアンテナのせいで映りが悪い東北放送だったのでそのままベランダで見ていました。私のへぼいデジカメとへぼい腕で撮った写真は殆どボケボケの滲んだものばかりでしたが一部何か解る程度に撮れたものを上げておきます。印象だけでもお受け取り下さい(((((^m^ これが一番マシに撮れました。 これは可憐でしょ(*^▽^*)何かジーンとしてしまって胸が熱くなりました。「みなさん、よく頑張りました」と言いました。皆さんは本当によく頑張りました。花火の後でフジテレビでやっていた「忘れない」と言う大震災の津波の検証の番組を見てまたジーンとして「皆さんはよく頑張っています」と言いました。独り言で誰にも聞えないけど言いたくなるんです。「皆さんはよく頑張りました。 そして今も頑張っています」つい大震災の事を書くと感傷的になります。8月4日に車が使えたのでピーと二人で松島から海沿いを走って石巻に行って来ました。 これは塩釜の千賀の浦のあたりで一見何も異変がないように見えますが、右側に船が上がったままです。樹木はみんな茶色になって枯れています。歩道は道路から浮いています。松島の商店街は復興が早いようで一見大震災前と変わりないように見えましたが、海岸は瓦礫で埋まっていました。そして何故か野蒜(のびる・奥松島)は雲が地面まで下りていて真白でした。 これは野蒜駅の端っこです。野蒜は壊滅状態でした。野蒜には友人が数人いて学生時代にはよく泊まりに行きました。交流は殆どなくなっており、彼女らの実家がどうなったのか恐ろしくて電話出来ないでいます。石巻は去年、石ノ森章太郎記念館を見に友人と待ち合わせして行きましたが、東松島からずっと津波にやられていました。 石巻の海に近い住宅地は廃墟の町になっていました。でも瓦礫はキレイになっていました。少し内陸に入った商店街は閉店したままの店と頑張って開店したお店とがあり大分賑やかさが快復している地域もありました。去年友人と待ち合わせして食事を摂った店の近くで津波の爪あとが残っていました。 この辺は腰の高さまで津波が来たようでした。本当に皆さん頑張っています。
August 14, 2011
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2011・8・11 12:00(日本) 皆でひとつに Let us all pray together今日で大地震から5ヶ月になります。もうすぐ皆でひとつに祈る「Kokoro」プロジェクトが始まります。今日はしっかり準備してます。・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・Invitation to our circle of prayer in August 8月祈りのお誘いPosted on 2011/08/06 by Kokoro On Wednesday August 10th at 11pm NY time (Thursday 11th at 12:00 noon in Japan), shall we all have time to stand by victims with people from all over the world and people from the afflicted areas in Japan?もうすぐ8月11日です。国境や宗教、人種を超えて世界中で祈りが捧げられます。日本時間11日正午・NY時間10日夜11時から被災者の方の心に寄り添う時間を持ちませんか?Invitation to our circle of prayer in August 8月祈りのお誘い・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・Homepage: http://311kokoro.wordpress.com/
August 11, 2011
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5月11日に「皆でひとつに」Kokoroプロジェクトのブログを書いていた事で先日「こころ」スタッフの方からメールが届きました。8月11日(木)の「皆でひとつに」Kokoroプロジェクトのお知らせのメールで長文のお誘い文が付いていましたので目に留まったどなたでも拡散していただければと思いますm(_ _)m全ての境界線を越えてみんなでひとつになって祈れたらいいですね。・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・皆様:「こころ」は、月に一度、世界中の人が、人種、宗教、国境を越え、被災者の方々と共に祈る会です。今月はNY時間8月10日(水)午後11時<日本時間11日(木)正午>に祈りを捧げます。どうか、お時間が合えば参加してください。 『アレクセイと泉(Алексей и Крыница)』という、ドキュメンタリー映画があります。舞台は、チェルノブイリの原発事故後、強制移住地区となった小さな村ブジシチェです。坂本龍一が映画音楽を手がけたこの名作は、第52回ベルリン国際映画祭で数々の賞を受賞しました。原発事故後、地図上から事実上姿を消してしまったこの村には、今でも尚、55人の老人とアレクセイという青年が住み続けます。彼らの生活を支え続けているのが、この村にある不思議な泉の水。辺り一面放射能に汚染されているのに、この泉の水からは何故か放射能が検出されることは決してありません。日々の暮らしの中で、村の人々はこの奇跡の泉に感謝と祈りを捧げます。泉の水が、皆に力を与えるように。皆を守り続けるように。何故、この村だけが大丈夫なのでしょうか。 泉の水が、100年前に湧き出た水だったからでしょうか。…それだけでしょうか。とても不思議な、本当の話です。世の中には、うまく説明のつかないことがあります。 祈りも、そのひとつなのかもしれません。だけど、『アレクセイと泉』のような奇跡が実際にあるのであれば私たちは今、福島のために祈りを捧げたいと思います。美しい福島を守りたい。愛する日本を守りたい。愛する人たちを守りたい。今月の「こころ」は、NY時間8月10日(水)午後11時<日本時間11日(木)正午>です。福島のために、皆で心ひとつに祈りませんか。このお知らせは、どうぞご自由に転送して下さい。 こころスタッフ一同 Homepage: http://311kokoro.wordpress.com/Facebook: http://www.facebook.com/311kokoroTwitter: https://twitter.com/#311kokoro---------------------------------------------------------------------------------------------Dear all: "Kokoro" holds a circle of prayer once every month with people from all over the world and people from the afflicted areas in Japan. On Wednesday August 10th at 11pm NY time (Thursday 11th at 12:00 noon in Japan), we ask you to join us.There is a documentary called "Alexei& the Spring" (Алексей и Крыница). The score is by Ryuichi Sakamoto, and the movie won awards at the international film festival of Berlin. The film takes place in Budische, a village that endured a forced evacuation after the Chernobyl accident. Despite the government's injunction, fifty five village elders and one young man, Alexei, remained. The surrounding area quickly became contaminated, yet no radiation was detected at a single spring in the village. Every day, those that remained in Budische offered prayer and thanks to the spring, praying the water would give them strength, protection and healing. Somehow, miraculously, they did not get sick. In this world, there are some things we don't know how to explain: the spring in Budische is one of those things, and prayer is another. If such miracles as "Alexei& the Spring" exist, now we would like to pray for Fukushima. We would like to protect our beautiful Fukushima. We would like to protect our beloved Japan, and its people.This month, "Kokoro" will hold a prayer on Wednesday August 10th at 11pm NY time (Thursday 11th at noon, Japanese time). Let us all pray for Fukushima together as one.Please forward this e-mail to your friends.Arigato(Thanks), Kokoro Homepage: http://311kokoro.wordpress.com/ Facebook: http://www.facebook.com/311kokoroTwitter: https://twitter.com/#311kokoro
August 8, 2011
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週間現代が独自に調べた福島の3月~6までの大気の放射性物質についての記事を簡単にまとめてみた。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/13228週刊現代が調べたのは3月11日以来100~200km走行した小型車から中型車までの4台のフィルターで、それをイギリスの研究所に送って調べた。ガイガーカウンターによる放射線量測定は、0.12~0.17マイクロシーベルトとそれほど高い数値ではなかったが、ガンマ線分光器を使った調査ではセシウム137・セシウム134・ヨウ素131・テルル129mなどが検出された。いずれも一定量以上内部被爆すれば癌や白血病などを引き起こす。中でもテルル129mは半減期が33日と短いのに、原発事故から3ヶ月以上経った6月に採取したフィルターから検出されたのは核分裂が今も続いている可能性があると言う。しかも、強い発がん性があるプルトニウムやウランは特殊な検査でなければ調べられないため今の時点では検出されたかどうかは解らず検査は続いているため油断はならない。何故ならアメリシウム241が検出されたからだ。原子炉内にあるウラン238が中性子を吸収してプルトニウム239となり、さらに段階を経るとアメリシウム241になる。つまりアメリシウム241が検出されたならプルトニウムが出ている可能性があると言う。――――――――――――――――――――要約するとこんな感じだった。結局、6月の1ヶ月以内にも再臨界したかもしれないと言う事だ。風向きと雨には今も気を付けないさいと言う事だ。放射能を食べる乳酸菌は毎日撒きなさいと言う事だ。政府も東電もこれらを調査しようとしないのは余りにも酷い状況を隠そうとしているためだろうか。国際的な面子を保つためだろうか?それとも莫大な費用がかかるため自国民を騙すためだろうか?どちらも愚かな選択だと思う。私は中学2年生の頃に政治に興味を持ち毎日新聞を読み漁っていたことがある。それで思った事は、田舎に住む無知で経験の少ない中学生でさえ選択を誤っていると思う事ばかりの政治経済。何故田舎の一子供の私が解ることを繰り返し繰り返し選ばれた大人達は失敗しているのだろうか?何故正しい事を後回しにして無知蒙昧としか思えない事を選ぶのだろうか?プロのはずの政治家が?知恵も知識も豊富なはずの大人が?理解できないまま2年ほどで政治への興味は失せ、私の一人空回りは終わったのだった。その後20年ほど経って、子供を産んだ後でまた政治を理解しようと思った時期がある。毎日子供の世話をしながら国会中継を端から端まで見ていた。見ていて意味が解らないのは自分の知識不足からだろうと思ってニュースもドキュメントも出来る限り見ていた。これも2年くらいで収束した。結局、欲や見栄やに目がくらんだ人が自分を守るために行動するため他人の私に理解出来る訳はなく、つまりその程度の事であって私が思うほど大人は大人ではなかったと言う結論に達して諦めたのだった。こうして中学生の頃の疑問は三十代で終止符を付けて私は政治にも大人にも世界にも希望を失った。人間だもの。に行き付くまで、その後が長かったが、自分を守ることしか頭にない人達が動かしている国なのでこの混乱低迷振りは手を付けられない。つまり、国民が選んだ国会議員であり、国が守っている大企業なので、つまる所は国民に跳ね返っているだけなのかもしれない。だけど今の仕組みでは政治家の本性を見抜くのはとても難しいし、見抜いた所で選ぶ方も自分の利益だけのために動くかもしれない。やはり自分に跳ね返るのだ。今回のこの取り返しがつかない程の事態に陥っても現実を見ようとしない人が多いのでまたしても私は希望が殺がれたのだった。私は人間に大きな期待を持っているのだろうか。人間だもの。って上手い言い訳にしか聞こえない今の私はひどく悲観的になっているからだろうか。
July 29, 2011
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http://gendai.ismedia.jp/articles/-/13228ここに週刊現代が福島市の大気を独自調査した記事が載っている。福島で走っていた車のフィルターをイギリスに送って調査したものだ。一雑誌社が調査出来て何故国が調査しないのだろうか。今誤魔化しても何年後・何十年後に出てくるのは目に見えているのに。これはロシアよりずっとひどい対処だ。これが日本の現状なのだ。莫大な費用がかかるから避難地域を拡大しないのだろうか。日本はどんな重荷を未来の子供達に残すつもりなのだろうか。――――――――――――――――――――衝撃スクープ!福島市の大気 恐るべき検査結果を初公開国がやらないなら週間現代がやる本誌が英国研究所と共同で独自検査http://gendai.ismedia.jp/articles/-/13228――――――――――――――――――――
July 25, 2011
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ご無沙汰しています。近況報告なんかを(*^▽^*)仙台・七ヶ浜・塩釜に住むようになって学生時代を含めると33年くらいになりますが、6月に31度を越すと言う初めての暑い夏到来で勿論クーラーなんかないので、素で節電に貢献できている我が家は暑さで青息吐息してます(^^ゞラーは5月末から派遣で荷下ろし?のバイト中で石巻や東松島や塩釜の浦戸諸島を中心に毎日炎天下で仮設住宅の荷持運びや掃除をして赤黒く焼けておりますが、とうとう疲れが出たようで昨夜から39度の熱を出して倒れました。ラーが仕事を始めてから車を使うようになりすると夫が私の車を使い、車の無い私は余りに暑くて自力では外に出られなくなってます。あの陽射しの中を荷物持って歩いたら倒れそう。毎年、最高が24度・26度なんて言うとても寒い夏を経験してきたので暑い夏は体が馴染んでません(=_= )この暑さでキュウリは育ちが良く毎日のように収穫して食べてとても新鮮なものを頂いているのですが、収穫しそびれてヘチマくらいに巨大化しているのもあります。もったいないからスライスしてサラダにして食べていますが何か良い料理法はありますでしょうか?トマトは今日初めて一個収穫しました(*^-^)ノわーいわーい楽しみだーー\(^ー^)/常に蚊取り線香と共に移動し、蚊に刺されながらの戦いの庭仕事になってます。刺されたら即塩でゴリゴリこするのです。すると腫れたり化膿したりせずに何とか赤くなるだけで治まります。薬より何より、塩でゴリゴリやるのが一番です(`・ω・´)水遣りだけで8箇所くらい刺される残念な体質の私には夏場の庭仕事はストレス満載です(・ω・`)今日はラーが倒れて車を使えたるので久しぶりにピーと車で出かけました。中野栄のBOOK OFFに行く途中、高速道路インター付近の地震と津波で閉店していたダイソーが営業していたのに気付いて立ち寄り、うるうる泣きそうになりつつ買い物しました。昨日、津波が近くまで来た友人宅から来た道とは違う海端を通って帰ると津波で人が住めなくなった町が暗くて廃墟みたいだったのでしょんぼりしてしまったのでした。地震や津波でやられた店や家が頑張ってやり直しているのを見るとうるうる来てしまって一人でこっそり拍手するのです。中野栄のBOOK OFFも津波にやられたのだと思います。よく頑張りました、と心の中で思いながら店内をうろつき一冊だけ選んでカウンターに行き会計を済ませ、レシートとお釣りを頂きながら店員さんを見るとなんとピーの小中学校の同級生でした\(^ー^)/中学3年までよくうちに寄ってくれたAちゃんでした。挨拶だけして車に戻るとピーは落ち込んでいたのでした。「同級生には会いたくない」と言うので理由を聞くと「自分だけ前に進んでいないのが 身につまされて辛い」と言ってその後はしょんぼりしていました。ピーは去年になってようやく小学校時代に自分を陰で意地悪をした友人について正面から考える事が出来るようになったばかりで、整理が出来ていないし心の傷についても自覚したばかりで、自分の中のインナーチャイルドの存在に気付いて間もないため複雑でデリケートな思いがあるのでした。でもピーが「自分は友人の行動で傷付いていた」と自覚する事は始まりだと私は思うので前に進んでいると思うのですが、ピーはずっと小学生のままでいると感じていて7~8年みんなに遅れていると思っているようです。だから同級生には会えないとピーは言うのでした。7年もの間凍結していた傷がようやく解凍されて、血が滴っているのかもしれないので辛いとは思うのですが、辛いと自覚出来る事こそ始まりだと思うので「あんな事、あの子らしいよ。 平気だよ。気にしていないよ」と言い続けていた時よりずっと光が近付いているのではないかと私は思っているのです。そんな私こそ自信が無くて動けないので毎日つい自分を責めてしまっています。今日も何もしなかった・・・(=_= )毎日反省しています。最近は「ながら族」を止めようと思い、PCは自室に置いています。台所仕事や家事以外にリビングでテレビを見たりベッドで本やマンガを読んだりするとPCに向かう時間が無くなって、mixiのアプリをちょっとやるとあっと言う間に時間が経つのでブログを書く時間が無くて、思考や考えや感想は自分の頭の中だけになっています。最近は何故か思いや思考を文字にする気力が無いと言うかどこかに飛んでいってしまうと言うか。この、自分の心を探らない状態が続くときっと何か反動が来るに違いない!と思いつつも、自分に向かいたくなったら向かうんで良いさ~~( ̄ー ̄)とゆるゆる思ったりもしています。最近はまとめて眠れなくなっています。理由は自覚してません。目的の無い人生を送っていると思いまた自分を責めてしまいます。何と言って良いか解らない模様描きに半日掛けている時もあります。PCから離れたのは私の始まりかもしれないと思ったりもしています。6月に書いた手紙をまだ出せなかったりします。予定を立てても何となく流れてしまいまた自分を責めたりしてます。ピーと話していてセルフカウンセリング系の本を紹介したついでにまた自分で読み直したりしています。7年前や5年前に読んだ時より違うものが見えたり気付いたりして読み返しは大切だなあと思いました。北隣家は崖側が沈下したようで6月に入ってから工事が始まりました。まだ続いています。こんなに続くとは思いませんでした。何しろ日中は休憩以外の時間ずーーっと発電機のガーガーいう音が鳴り続けています。一番可哀想なのは夫で、夜勤や夕方勤務が多い夫は朝方や昼に帰って来て日中寝ている事が多いのです。気付いたら夫は具合悪いと言い、何がどう具合が悪いの?と聞くと説明できないようでしたが、先日ようやく「眠れない」「ウツが悪化して悪い事がグルグル巡る」と言ったので睡眠不足から来ているのかなと思いました。寝ている間中うるさい機会音がしていたら熟睡出来る訳がない。ゲッソリ頬がこけて皮膚が垂れ下がり実に具合が悪そうです。昨日訪ねた友人の夫も地震以降不安感が増して眠れなくなり最近は仕事を休んでいるそうです。不安感は心や脳を追い詰めますね。寝不足なると脳が整理整頓出来なくなり、混乱が始まり、心が混乱して悪化するのだと思います。北隣家はウッドデッキをずらして家の土台を修理しているらしいです。いつまで続くのか聞いてみようと思いつつ暑いのと面倒臭くて動きたくないのとでうだうだと日が過ぎていて私の生産性の無い日常はこうして消費されて行くのでした。最近は音楽専門チャンネルとイギリスのミステリドラマをよく見ています。ずっとPCやりながら見ていたのですがあまり憶えていなかったりしっかり理解していなかったりで見ている意味がないと感じて今はちゃんと見ようとしています。相変わらずテレビに毒されており子供を産むまでテレビなんて殆ど見なかった人だったと思い出すと何が私をこう変えた・・・と考えてしまいます。今の私が欲しているもの。自分を生きる!!自分を生きろ==3生きてない気がするのでそう思うんですね。庭ではすっと立って咲いていた菖蒲が終わりに近付き、どこから湧いたのかカンゾウが1本咲いています。苺は終わりバジルが勢い付いてます。生ゴミ堆肥を撒いた所からまたぞろカボチャがぞろぞろ生えて来て庭を埋め尽くさん勢いです。マシロとく~たんは脱走しては外で寝ています。家の外の方が涼しいからです(((((^m^家の中は生え変わりの猫の毛が廊下を転がって行きます。そんな日常です。
July 14, 2011
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知人の知人の方がボランティアで地震で痛んだ所をどうしたら良いか見に来て下さると言うので、この3日ほどお掃除おばさん化してまだ6月なのに真夏日を呪いつつ、放置していた八畳間と六畳間を汗とホコリまみれになりながら頑張ってお掃除したのであります。外はあちこちヒビが入り亀裂がありますが、家の中も六畳間の障子が2枚とお風呂場がやられているので家の中を見られてしまうため必死で頑張ったんであります。追い詰められると人間なんとか出来るもんですね。ああ数年振りの美しい八畳六畳+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+日常的にお掃除していればこんなに気持ちが良いんだなぁとつくづく思いました。掃除が出来なくなってから何年経つ事やら。PCに日常を乗っ取られて何年経つ事やら。そしてこの暑さで急成長したキュウリを4本収穫しました。甘くて美味しかったです~~~(*^ ^* )V毎日現実逃避で音楽やバラエティの動画三昧しておりました。音楽は良いのだわ、音楽は♪少しずつ気力も戻りつつあります♪
June 24, 2011
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5月15日にNHK教育で放送した「ネットワークで作る放射能汚染地図 福島原発事故から2ヶ月」 の動画をアップしているサイトを見つけました。この番組は原発付近の放射線を調べた一研究者に密着取材した貴重な番組です。凄まじい数値を見たら、専門家じゃなくてもメルトダウンの可能性は考えたろうと思います。国や専門家が国民を騙し続けていた事が解ります。早目に教えてくれていたら小さい子のいる家庭や身を守りたい人は外出時の注意点を本気で考えたろうと思いますし、避難や移住も考えたろうと思いました。パニックを起こさないように小出しにしたと言うよりは余りにも甚大な被害を補償しきれないためにたいした事じゃないんだよと騙しているようにしか思えません。チェルノブイリでさえ280キロ圏内避難だったのに今回の事故ではチェルノブイリより高い数値もあったのがこの番組を見て知りました。本当は100キロほどの塩釜でも避難しなければならないと思いますが、保障も保護も何もなしで非難となると生活が出来ないです。今だってギリギリで生活しているので。先を考えると恐ろしいです。あまり先ばかり考えると恐ろしくなり自分の心身すら守れないので今をどうするかを考えたいと思います。見そびれた方や興味のある方はごらん下さい。You Tube動画「ネットワ―クで作る放射能汚染地図~福島原発事故から2ヶ月~」●話題!ニュース365 動画 5月17日●http://news365news365.seesaa.net/article/201723982.htmlそこに放射能物質降下量の数値グラフがありました。●放射能物質降下量●https://spreadsheets.google.com/pub?hl=en&hl=en&key=0AjgQ0pwrXV8YdGJORHAzdi1qMlFldUMwRkl4V3VfN0E&output=htmlhttps://spreadsheets.google.com/pub?hl=en&hl=en&key=0AjgQ0pwrXV8YdGJORHAzdi1qMlFldUMwRkl4V3VfN0E&output=html全国の放射能積算量が書いてあるのに宮城県のデータがありません。東京がすごい量になっています。これは地震被害による計器の不備が関係しているんでしょうか?ああ、福島が当日以外データがありません。きっと発表出来ない凄い量なのかもしれないと思うのは下衆の勘ぐりでしょうか?そうすると宮城もすごい量なんでしょうね(=_= )庭に植えた野菜どころか何年も育てているハーブ類も食べない方が良いの?宮城県の測定位置が80メートル?!!●宮城県の放射線測定位置は 地上80メートルの県庁屋上●http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011052801000058.htmlこちらは信用できるかもしれない●放射線・原子力教育関係者有志による 全国環境放射線モニタリング●http://www.geocities.jp/environmental_radiation/●東北関東大震災・非公式・放射性物質モニタリングポストMAP / Japan quake radioactive material monitoring post MAP●http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&oe=UTF8&msa=0&msid=208563616382231148377.00049e573a435697c55e5
June 5, 2011
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先日、放射能について読んでいたら非常に興味深い事を勧めている方がいらした。飯山一郎氏と言う方が米のとぎ汁を発酵させて作る乳酸菌液を水で薄めて噴霧器で霧にして肺に吸い込むと、放射性物質が痰になって出てくるからやってみなとツイッターで書いてそれを読んだ沢山の人が挑戦して見事に赤茶色の痰を出して空咳や喉の痛みから解放された・・・とコメントしているのだった。中にはずっと続いていた頭痛が治まった人もいた。米のとぎ汁から作った乳酸菌はマクロファージなので放射性物質をバリバリ食べ、痰になって外に出るのだそうだ。これはやってみなくちゃと思い立った。震災後、最近庭仕事をやるようになってから非常に珍しい事に下痢が続いた。喉も違和感があり、いつも痰がからんでいる。企業や国の利潤追求の犠牲者になるのはもう真っ平なので、何か自衛したいと思っていたのでこれはやってみる価値ありと思ったのだった。その前に買い物をしなければいけなかった。そして買い物から帰ってみると何故か夫が米を研いでしまっていた。それで米のとぎ汁は翌日まで待たなければならなくなったので買って来た米ぬかと水をペットボトルに入れて挑戦してみた。以前、バラの病気を調べていて出会ったバラ愛好家のサイトがあるのだが、その方が米ぬかを水で溶いたものを庭に撒くようになってからバラが病気をしなくなった、と書いていたのを読んでから米ぬかに非常に興味が湧いて米ぬかだけ買っておいたのだが不精な私はぐずぐずと物置に仕舞ったままにしていたのだった。今回はそれとは別にスーパーで見かけた米ぬかを飯山さんのサイトを読んだ後だけに気になって何とはなしに買ってしまったものだけれど、これが意外にも上手く行った( ̄ー+ ̄)ニヤリ一番目の米のとぎ汁をペットボトルに入れて常温で一週間。臭いと失敗で、酸っぱいと成功。と言う簡単なレシピである。米のとぎ汁は翌日から挑戦中でまだ味見していないので成功したかどうか解らない。私の米ぬか液は早くも4日目で発酵が確認されたので味見すると心なしか酸っぱい\(^ー^)/それで5日目の昨日、まだ早いのだけれど試したくてうずうずしていたため布巾で漉して水で薄めて噴霧して吸ってみた。ついでにコップに2センチほど飲んでみた。 夕方、ピーと語らっていたら透明な痰が3回出て、以来喉の違和感と痰がからんだ感じが治まった気がする。下痢や腹痛も治まったようだ。 ついでに米ぬか乳酸菌で豆乳ヨーグルトを作ってみた。非常に粘りが強くてコクがあり甘くてクリーミーな素晴らしいヨーグルトになったヽ(〃v〃)ノ♪豆乳の味のクセも全くなくて家族にもとても評判が良い。今日になると酸っぱさが本格的になって透明度も増して立派な乳酸菌になっていた。ジョウロで敷地に撒いた。噴霧器で霧吹きをやると風の流れが良く解り、うちの庭に来た今日の風はあまり着地せず西隣に向かってうろついた後で崖下に行くようだった。噴霧しているとマシロが逃げ出した。猫は雨や水が苦手である。そして私は全身乳酸菌まみれである。後で気付いたのだが、顔がモチモチしていた(_≧Д≦)ノ彡☆庭で乳酸菌噴霧を続けたら私の老化した肌に何か変化があるのだろうか?(((((^m^数時間経ったら痰が3度出た。鼻も出た。私が調子良ければ家族にも勧めてみようと思っている(*^ ^* )V飯山一郎氏のサイトを3月まで遡って読んでみると枝野さんや大学教授だのがテレビでただちに問題はないと言っているのは嘘だ、と最初から真実を見抜いておられた。しかもメルトダウンしているとか放射能汚染されているとか、しばら~く経ってからちょろりちょろりと小出しにされた事実も飯山氏は言い当てているのだった。非常に面白くて頼もしい人物だ。興味のある方は読んでみて下さい↓●飯山一郎氏サイト●http://www.asyura2.com/09/health15/msg/344.html
June 4, 2011
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最近、原発について毎日色々調べていたら虚無感や絶望感が募って、どんどん不安感が増してしまって精神的に非常に不安定になって来て不眠症にもなってしまって、そんな中で夫の実家で沢山の親族に会ったら情報量が多かったらしくて情報処理が出来ずに帰って来てから混乱していて、やたら敏感になって怯えてしまってまたぞろ戒め的な自己反省ばっかりしてしまって。夕方、津波の経験を書いた小学生の日記を読んでわーわー泣いた後、久々に過敏性腸症候群になって胃腸が痛くてのた打ち廻って、しかもやはり非常に久々に低血糖になってぷるぷる震えが来たので、これはもう私の限界だなと思い、残念ながら私のメンタル面はとても敏感で弱いので現実からしばし戦線離脱しようと思います。正面から闘うにはエネルギーが足りないです。一時期「津波」「海」の文字を見ただけで恐怖感に占領されそうになったけど、今回も「原発」「放射能」と言う文字だけでパニック起こしそうなので、癒し期間に入ろうと思います。残念ながら。弱いの私。
May 25, 2011
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放射能汚染の事を調べていてすっかり気持ちが折れてしまっていたら、たまたま見つけた震災当時のツイッターつぶやきの励まされる動画があって見ていたら励まされて泣きました。ありがとう。感動してウルウルしていたら、滅多に鳴らない電話が来た。出たらいつものオレオレ詐欺の男性だった。いつものように馴れ馴れしく「あ~もしもし○○さん?オレだよオレ」何度も話したので声を憶えてしまった馴れ馴れしくて狡さを含んだ声。腹の底から怒りがこみ上げて来て「こんな時に 何やってんのあんたは!!」と自分でも驚くほど凄みのある怒声が出ていた。苦しむ人々のために骨身を惜しんで働く人あり。反面、保身のために国民を欺く政治家・企業家あり。嘘つきの政治家・報道関係者・企業家はオレオレ詐欺と同じレベルだと思った。年俸半額で3500万て、どうれだけ暴利を貪れば気が済むのか。麻痺している。ああ、感動的な励ましの素敵な日記にしようと思ったのにやっぱり怒りが付いてまわる(=_= )
May 20, 2011
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今夜10時から教育テレビで「ネットワークで作る放射能汚染地図 福島原発事故から2ヶ月」と言う放射能汚染についての番組があります。―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・ETV特集「ネットワークで作る放射能汚染地図 福島原発事故から2ヶ月」番組では福島原発事故発生の直後から、第一線で活躍する科学者たちとともに、詳細な放射能汚染地図を作成してきた。調査プロセスの中で出会った人々の混乱と苦悩を伝える。―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・NHKの姿勢を知りたいです。何が起きたのか事実を知りたいです。これからどう注意したら良いかも知りたいです。これまで知った色んな事と照らし合わせたいと思います。興味津々です。 震災3日目に生協の外に4時間並んでいた時、「今放射能が降るかもしれないので 店内に避難して下さい」と店の方に言われて並んでいた約100人くらいの人達が電気が来ていない暗い店内の商品棚とレジの間のスペースに避難しました。そのうちに店の人が持って来てくれたダンボール箱を床に敷いてそこに座ってまんじりともしないで待っていました。何が起きたのかも解らず、何も出来ず、ただただ不安感だけが募りました。ずっと一緒に並んでいた近くの人達と「地震に津波に今度は被爆?」と思わず言うと、「そうなったらみんな一緒だ」「みんな一緒でどうしようもない」と笑いながら話していました。彼女達は震災当日、海端のマンションから急いで逃げて助かった人達で2日間ほどは避難所で過ごし、避難所にいても仕方ないと前日にマンションに戻った人達でした。津波が来ると言われて車で逃げて助かった人達なので度胸が座っている感じがしました。「ヘドロが凄く臭くて気持ちが悪い」「この辺は空気が良くていいね」「生きた心地がする」「建物も一見すると傷んでいない」「ホッとする」と、ドロの付いた長靴を履いてそう言うのでした。100キロ近く離れた塩釜で避難するほどに放射能が広がっているのであれば、日本はもう半分以上被爆地帯になるのではないか?これからどうしたら良いのだろうか?日本は大丈夫なのだろうか?と暗澹たる不安に駆られるばかりの20分ほどを過ごし、その間ラジオの近くの人が耳をそばだててニュースを聞いていましたが、私の所までは聞えて来ませんでした。パニックは起きませんでしたが、一様に不安と戸惑いに見舞われていたと思います。そして店長さんが、「先ほどの指示は相馬市の生協に対するものでしたので 塩竃は避難の必要はありませんでした。 ご迷惑をお掛けしました。 並んでいた所に戻って下さい」といったような事を言い元いた場所に戻ったのですが、何故か後ろにいた人達が沢山前に来ていました(=_= )そして列の後ろが短くなっていました。嘘つきは泥棒の始まりだよプンプン店の人が誘導してくれたらあんなに数十人が誤魔化して前に行くと言う事も無かったと思いますが、人間誤魔化せるものならいつだって誤魔化したいって事でしょうか。残念でした。この日は合計で5時間並びましたが30分は無駄に並びました。でももう少しの所でラーがやって来たので私と一緒に並ばせててもらったので私も同罪でしょうか(=_= )ラーは4時間前に一緒に並んでいたのであまり考えないで買い物してしまったのでした。この日は一人5品限定で食事に繋がるようなものは果物だけでした。それで、家にあるものを創意工夫して食事を作る事が求められ非常に脳を使う良い機会になりました。やれば出来るんらーーー(。・`ω´・) ノそうして間違いだったとは言え恐怖の時間を過ごしたので放射能汚染の不安はそれから一層募ったのです。言葉に出さなかったけれど毎日毎日、原発が爆発して日本が汚染される恐怖におののいていたのでした。で、本当に爆発していて汚染されていたと後で知りどうしてその時に教えてくれなかったのかとか何をしているべきだったのかとか、今はどうなのかとか、益々怒りと不安は募っています。福島原発のそっちもこっちもメルトダウンしてこれは非常に由々しき危険状態なのにちょっとした事故みたいに報道している?受け取っている?感じがして納得いかないです。テレビで政治家や専門家と言われる人達が大丈夫大丈夫と安直に言っていた時、ネットでは危険を訴える専門家が叫んでいたのに報道は潰されてしまって、危険を伝えたジャーナリストは首を切られたのです。子供達に地獄を残そうとしている日本と言う国をちゃんと見つめなければいけないと思います。さて、町内会の総会があるので行って来ます(^ω^)5月15日今日の放射能予報図●日本気象庁による放射能分布予報図。http://www.jma.go.jp/jma/kokusai/EER/eer_latest.pdf●ドイツ気象局予報図●福島原発放射性粒子分布予想 05/13-15 http://www.youtube.com/watch?v=adXTTHQ0R8Q今日は宮城秋田に降り注いでいるようです。一号機のメルトダウンを知った後では尚の事、恐怖です。
May 15, 2011
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Lake様の所で教えていただいたクリックだけで募金出来る所(*^-^)ノ●ユニリーバ東日本震災募金http://www.unilever-sabd.jp/main/クリックするだけで無料で1円募金になります。●ツイッターでつぶやくと1円募金になりますhttp://www.unilever-sabd.jp/twitterホームに貼り付けて毎日コツコツやろうと思いました(*^-^)ノ今頃気付いたにぶちんでゴメンなさい(=_= )
May 11, 2011
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今月もKokoroプロジェクト「皆でひとつになりましょう」が11日(水)正午にあります。毎月忘れずにいたいと思います。―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―皆でひとつに Let us all pray togetherOn the 11th (Japan Time), let us all pray together as one.毎月日本の11日に 皆でひとつになりましょう。Next prayer date: May 10th (11pm NY time) , May 11th (Noon, Japan time)次回は、5月10日(NY時間 11pm)、5月11日(日本時間 正午) です。Please refer below to check your time zone各都市の同時刻は下記アドレスをご参考に。http://www.timeanddate.com/worldclock/fixedtime.html?iso=20110510T23&p1=179―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―Kokorohttp://311kokoro.wordpress.com/
May 10, 2011
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住所を入れてクリックし、そこから何キロ圏内になるのか調べられるサイト。http://www.nanchatte.com/map/circleService.html福島1号原発の住所福島県双葉郡大熊町大字夫沢字北原22福島原発放射性粒子分布予想 04/25-26 Fukushima Radioactive Particle Spread Forecast http://www.youtube.com/watch?v=UECUA-gSu4Q&feature=related宮城県も危険が一杯。
May 8, 2011
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いつの間にか5月になっていていつの間にか桜も散っていた。今年は桜見てなかったなぁ。今頃ようやく地震を振り返るメモ。2011・03・11(金)震度7と04・07(木)震度6弱の地震で出来た家の外部の損傷記録。 駐車場から4段の階段を上った所にある門扉の門柱と塀の間に隙間が出来ていた~(=_= ) 南西角の部屋の外に亀裂が入っていた~~(=_= ) 西側のブロック塀が北との角から10センチ浮いていた~~(=_= ) 亀裂の向こうに隣家が見えてる~~(=_= ) 北側のフェンスが千切れていた~~(=_= ) 南側の出窓の下が土台から切り離されたらしい~~(=_= )上にも亀裂があるし、他にも色々亀裂があるのである~~(=_= )これはこのまま放置なのかな?どうするのかな?家の中はトイレ西側にちょっと亀裂が入りタイルが1こ剥がれた。お風呂場のタイルも亀裂が入り、隅々にヒビが入った。私の部屋の障子が1枚きつくなって窓の鍵が開けられない(=_= ) 家自体は注文住宅なのでしっかり作ったらしいが土地が崖の近くなので、西側の埋め立てた所が落ちたらしい。西隣は出来たら引っ越したいらしい。優しい隣人さんが引っ越すのは残念。家の近所は崖だらけなのでごっそり擁壁が崩れ去ったお宅もある。塩釜の商店街では津波にやられた上に余震で止めを刺された店が沢山あった。3月よりひどい事になっていた。郵便局の本局近隣は潰れたり傾いた家が沢山あった。塩竃のホームセンターは津波でやられて再開できず、利府のホームセンターは地震でやられて閉店してしまった。泉まで行かなければならなくなった。車がないと買えない距離である。1月にTSUTAYAの会員になったばかりなのにジャスコ利府店のTSUTAYTAは3月に閉店してしまった~(=_= )塩釜のTSUTAYAは津波に襲われたイオンの2Fにあるのでいつ開店になるか解らない。多賀城のTSUTAYAも津波にやられたのでいつ開店か解らない。なので山形に行った帰りに仙台の田子TSUTAYAでCDを3枚借りて来た。今の所田子が一番近いTSUTAYAなのだった(=_= )直線距離で5~6キロくらい?あ、そんなもんなんだ。へーー。でも一番近い橋が地震で不通になっており、遠回りするためにもっと遠いかな。今TSUTAYAの営業店舗を見ると塩釜も多賀城も営業中止になっていないからもしかしたら営業始まったのかな?でもイオンタウンはまだ休業中だからやっぱり開いていないんじゃないかな???確認に行ってみよう。借りたCDはSHINeeの「2009.YEAR OF US」RADIOHEADの「RAINBOWS」相対性理論の「シンクロニシティーン」これは娘っちの。田舎で聞きたいCD探すのは難しいだよ。地デジもまだなんだよね。そろそろテレビ買いに行こうか。いつ買いに行く~?と相談していた所での地震なので1年伸びてホッとした。家電は津波にやられた多賀城で買っていたのでね。さて余震も大分落ち着いて来たのでそろそろちゃんと考えねばの。
May 3, 2011
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JR九州の新幹線TVCMに称賛の嵐!! 「元気が出る」「涙があふれた」http://www.hollywood-ch.com/news/11042210.htmlこの記事を読んでとても興味が湧いたので動画を探したら本当に励まされて涙が出た。人を励ますのは希望だと思った。人の喜ぶ姿だと思った。You TubeのCMはこちら↓
April 22, 2011
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昨日、ようやく仙台市立病院に行った。薬が少なくなって危険なのと、半年に一度の定期健診が3月17日で地震により取り消しになってしまったのとでそろそろ病院の混乱も落ち着いたかなと長時間待つ覚悟で行った。ピーは本屋に行きたいと言うので仙台駅近くで下ろし病院に着いたのが11時10分頃で、採血の後のドクターの診察は3時過ぎになると言われたのが11時半ごろ。外に出てゆうちょ本局に向かいつつピーにメールを送ってお昼を一緒に食べる事にした。4時間待ちは覚悟だったのでぷらぷら仙台の街の中を歩いた。たまに建物が傷んだ所もあったが一見すると殆ど痛んでいないようだった。仙台までの卸団地やその近辺の土地が柔らかい所では建物や道路やブロックが地震でボロボロにやられていたので地盤が硬いか柔らかいかの違いを実感した。私の薬は甲状腺を休ませておくためのチラーヂンと言うホルモン剤で、この薬を作っているのが福島県のいわき市にあり津波で被災したため在庫だけでしのいでいるそうだ。6月以降に生産を再開出来るらしいがそれまでは1ヶ月分しか出してもらえず、来月も薬だけを出してもらうために病院に行かなければならないのだった・・・(。-`ω-)いつもは半年分出してもらうのでかなり面倒臭いと思ってしまってすみません、贅沢言って(´・ω・`)全てが終わって駐車場を出たのは4時過ぎでいつものように産業道路を通って多賀城に向かった。津波が浅い所はもう綺麗になっていたが多賀城のジャスコに近付くにつれて汚泥やゴミや潰れた車がどんどん増えた。よく食べに行ったラーメン屋もテレビでよくコマーシャルしていたパチンコ店もユニクロや電気店や薬店やリサイクルショップやバイク屋やGSがみんなメチャメチャになっていて車が刺さったりぶら下ったまんまだった。大きなトラックがあちこちに放置してあり濁流の凄まじさを感じてビクビクしながら帰って来た。ラーの親しい友人が車を捨てて逃げた場所を聞くと何とジャスコの近くだった。津波が濁流となって車や店を破壊した付近だった。私は津波は被災していないのに「海」と聞いただけでゾッとするし一度は動画で波の音に近い音を聞いただけでパニック症状が起きて恐怖感に囚われた。地震の半月後くらいから毎日津波の動画を見まくった。怯えて恐くて悲しいのに最近まで動画巡りを止められなかった。そして津波恐怖症みたいになっていた。先日、発言小町の「被災してもいないのに、調子が悪いです 」と言うスレを読んで日本中の女性が地震や津波の被害者への共感からか具合が悪くなっているのを知ったのだった。被災しなくてもウツになってしまうと知ったのだった。沢山の女性が苦しんでいるのだった。その人達は余りにも悲惨な現状の沢山の人達を思い、被災していないので申し訳ないと感じているのだった。男性は多分殆どいなくて、みんな女性なのだった。女性は共感力が強いのだよね。だから苦しんでいる人達の事を思うと自分も苦しんでしまうんだね。発言小町のスレのコメントを読んでこんなにも沢山の人達が悩んでいるだと知って胸が痛くなった。楽しく過ごして欲しいと思った。でも自分が書く地震や津波のブログを読んで落ち込む人がいるかもしれないと思うと私まで落ち込んでしまった。自分のブログで人を悲しい思いに引き込んでしまうかもしれないとか、悲しくなるのを避けるために訪問しなくなる人もいるんだなと考えると反対に淋しく感じたりした。そして悶々と考えていたら地震の直後みたいに眠れなくなった。で、得意の自律訓練法をやったり自分に話しかけたり、心の中を自分に吐露したりしたら眠れたのだった。そうやって一山ずつ乗り越えて逞しくなれたらいいなぁ。共感力の強い心優しい女性達と一緒に逞しくなれたらいいなぁ。●「被災してもいないのに、調子が悪いです 」●http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0316/394982.htm
April 15, 2011
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一昨日、リュックを背負って近くのスーパーに買い物に行った。家を出てすぐに、前方を見たことのある婦人がよたよたと歩いていた。すれ違う前にこのおばさんが南向いの隣人だと気付いて声を掛けた。この南向かいのAさんは3月11日の巨大地震の翌日もいつもと変わらぬ生活を過ごしていた。Aさんは毎朝5時半に起きて散歩をし、夕方日が暮れる前に散歩をし、早め早めに食事をして夜の8時には眠るんである。太陽と共に起きて散歩をする実に健康的でエコな生活である。土曜日には、数年前からの町内会の取り組みであるダンベル教室に参加していて、帰りに家の前で友達数人とおしゃべりを楽しむ。そこここで町内の人達と交流をしてゲートボールも楽しんでいる元気な老人会の一人なんである。Aさん達は巨大地震の翌日の3月12日の昼時、いつものようにダンベル教室からの帰りにAさん宅の前でいつものようにおしゃべりをしていた。私はそれを見て日常性を失わない彼女らに驚愕したのだった。勿論電気が来ていなかったから海岸地域でどんな恐ろしい事が起きていたか全く知らなかったのだと思うし、寒い集会所でのダンベル教室だったと思われる。でも楽しそうだった。そうして見ていると3月12日は状況を知るためか道路には年配の人達がそぞろ歩きしているのがことの他多く見られたのだった。若い人は見られず年配者ばかりだった。13日になると若い人も外に出て買出しや水の補給に出歩くようになった。そのうちこんなに若い人がいたのかと思うほど若い人を見るようになった。普段塩竃では、若い人はみんな電車や車で仙台に行くか大型店で用を足すので地元で買い物をしたりしない。こんな住宅街で若い人だらけの道を見たのは初めてだった。先日、西隣りさんとも話しをしたのだが、非常時における老人会の婦人達の常と変わらぬ日常性に何か違和感を感じたのだった。逞しくて凄いね!でも変だね、と西隣りさんと共感したのだった。あんなに大きな地震でライフラインが切れても普段と変わらない生活が出来るのは何故なのかな?とずっと思っていた。そして一昨日、道を歩いていた南向かいのAさんに追いついて(Aさんは足が遅く、私は歩くのが早い)話をすると、なんと具合が悪いと言う。眩暈がひどくて入院した事もあると言う。4月7日(木)の大きな余震の後で散歩に行った多賀城の遺跡で意識が朦朧として倒れたのだと言う。散歩している人に頼んで携帯でご主人に連絡を取って迎えに来てもらったのだそうだ。検査したが特に悪い所は見つからなかったのだそうだ。いつもの眩暈なら吐いてしまうのに今回のは違っていたと言う。そして私が会ったこの日の朝、またしても眩暈がして倒れたのだと言う。倒れると危険で心細いから散歩はしないし外には出ていないと言う。最近はずっと家の中にいるそうでこの日はスーパーの敷地内のATMに用事があって覚悟を決めて歩きで出たらしい。夜も少しでも揺れると目が覚めるのだそうだ。一緒にゆっくり歩きながら話しているとAさんに巨大地震の時の落ち着きは無く、不安と恐怖が伝わって来たのだった。スーパーの前でAさんと別れて買い物をし、荷物をリュックと袋に詰めているとAさんがやって来て帰り道も一人は不安なので一緒に帰ってくれと言う。こんなAさんは初めて見たので内心驚いたのだった。いつも自分の世界が確立されていて興味のないものは排除され自分に都合の良い世界で暮らしている感じがしていた。だから庭や花の話は沢山出来てもそれ以上の話は全くした事がない。Aさんの中に実生活以外の興味は全くないようだったので関われないのだった。そのAさんも巨大地震やライフラインが切れた不便さはいつもの調子で乗り越えられても、続く大きな余震や原発の不安はもはや無視出来ない状況なのだろうと思う。さて心細げなAさんと話ながらAさんのような年配の人達や若い人達の心に今回の大震災はいかな影響を与えたのだろうかと考えた。多分これまで無視しながら生きて来た事を今回は無視出来なくなってしまったけれど直視すると心が折れてしまって生きていけないから折衷案として目の前の事だけに集中して地震前の状況に戻ることをひたすら待つ。そんな所だろうか。現実を直視するのは大変なエネルギーと強い思いがないと負けてしまうんだね。だからみんな都合の悪い事は無視して生きているんだね。だけど視界に入ったものは脳に残っているから体がその辛さや恐怖を訴えるので病気になって現れるという訳だ。「検査しても何もないって、病院から出されてしまって」Aさんは言うのだった。「それは今回の不安な毎日のストレスじゃないですか?」と言ってみた。「んだいが」(そうだろうか)Aさんは一見普段と変わりなく見えたけれど心の奥と体には不安が一杯詰まっていて自分がその恐怖に気付いてあげないといつまでも体が発信し続けるんだと思う。「動いた方がストレス発散に良いので 散歩は少しでもした方が良いんじゃないですか?」「んでも倒れるどおっかない」「出歩きたい時お付き合いしますよ。 声掛けて下さい」「出る時はおとさんの車があるから」でもあんなに朝夕に散歩をしていたAさんが歩かない生活になってしまうのでは益々体調を崩しかねない。こんな風に健康を害していく現状もあるのだなぁと驚いた次第だった。みんな限界が近いのかな。メンタル面が弱くてすぐに体に出る私だが今回は揺れると心臓がギュン!と縮み上がり全身にアドレナリンが巡る以外は大丈夫そうで、揺れる夜も眠れている。それとも何か、いつもの鈍さから半年後とかに反動がやって来るのだろうか?( ̄_ ̄|||) そうして今度は福島が揺れに揺れている。地震・津波・原発の三重苦にあえぎ続ける福島が気の毒でならない。毎晩零下1度の寒い4月を過ごしているのだが、それでも春は確実にやって来ている。?庭にやって来た春? この育てやすくてよく見かけるけど脚光を浴びないピンクの花を今回調べてみた。「ベルゲニア・コルディフォリア」と言う大層な名前だった。絶対憶えられにゃい(・ω・`) 水仙だよ!水仙が咲いたんだよーー!!!春だよ!春がようやっと来たんだよーー!!! いつの間にかこんなに咲いてた。沈丁花の香りは強くて素晴らしい。 これは放置していた白菜が菜の花を咲かせていたのだよ\(^ー^)/「くえっから、つまんでゆがいて」とAさんが教えてくれたので帰ってから早速この白菜の菜の花を写真に撮ってから食べたら甘くて美味しかったよおおおヽ(´ー`)人(´∇`)ノ新鮮なものに勝る野菜なしだね。そして怠慢で怠惰な所業もたまにはいい事を生み出す事もあるってばよヽ( ̄▽ ̄)ノ
April 13, 2011
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「毎月日本の11日に皆でひとつになりましょう。」と言う世界中の人達による祈りのプロジェクトがFacebookを中心に広がっています。世界中の人々が3月11日の震災の被害に合われた日本を励ましてくれるプロジェクトです。世界中の人が、人種、宗教、国境を越えて月に一度日本時間の11日(NY時間の10日)に被災者と共に祈る一大プロジェクトだそうです。もうこれを知って読んだ時点で目頭が熱くなっています。そのまま添付いたします。心強いプロジェクトをありがとうございます。――・――・――・――・――・――・――・――・――・―― 「こころ」について On the 11th (Japan Time), let us all pray together as one. 毎月日本の11日に 皆でひとつになりましょう。 「こころ Kokoro」は、 2011年3月11日に起こった 東日本大震災をきっかけに生まれました。 世界中の人が、人種、宗教、国境を越え、 月に一度日本時間の11日(NY時間の10日)に 被災者と共に祈る一大プロジェクトです。 大地震と津波が東日本を襲った後、 NY時間3月12日午後11時(日本時間3月13日午後1時)に 世界中の沢山のひとが、被災地に向け同時に祈りを捧げました。 「離れていても日本のために何かがしたい」と強く願う人たちの 心が一つになった瞬間でした。 震災は、メディアの中であっという間に「過去」となっていきます。 でも被災地では、なかなか「過去」にはなりません。 世界の色々なところで、それぞれが日々祈りを捧げていることでしょう。 そんな中、毎月日本の11日に皆でひとつになることで、 私たちひとりひとりに何が出来るのかを模索し、 アイディアを出し合い、それを具体的に形にしていき、 長期に渡り、精一杯被災地を応援していきませんか。 ひとりひとりに出来ることは本当に「小さなこと」なのかもしれません。でも、その「小さなこと」が沢山集まれば、それは必ず大きな力になるはずです。 被災地にいらっしゃる方にもこのプロジェクトのことを知って頂きたいです。 世界中で被災者の方々のことを祈る人たちがいることを 心が疲れたときに思い出して頂けたら嬉しいです。 そして、お時間が許すのであれば是非この祈りに参加してください。 毎月日本の11日に 皆でひとつになりましょう。 実施日:NY時間の毎月10日午後11時/日本時間の毎月11日正午 (それぞれの地域の時間はここをクリック)http://www.timeanddate.com/worldclock/fixedtime.html?iso=20110410T23&p1=179――・――・――・――・――・――・――・――・――・――・――●「こころ」について http://311kokoro.wordpress.com/about/大きな余震があった7日(木)以来私は外に出ていないので知らなかったのですが、今日ラーがハローワークに行き、夫が仙台の若林区に行き、二人が見て来たのは酷い状態だったそうです。道路に大きな亀裂や凹凸が出来ていたり通行禁止になっていたり、建物の壁が落ちていたり、大きな建物のガラスが割れていたり、ブロック塀が軒並み倒れている地区があって、3月11日(金)の地震よりも建物や道路は激しく損壊したようです。多賀城から仙台への産業道路はまだまだ車も壊れた物も片付いていなくてまるで爆撃の跡のようだと夫が言っていました。私が住んでいるのは海の近くだけれど高台にあり、高台だけれど岩盤があって揺れはひどくならないようです。復旧に尽力して下さっている皆様の心が折れませんように。
April 10, 2011
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ここまで危機的な状況だとは知らなかった。殆どのマスコミが東電と癒着していて事実を伏せているため、私達は知りようがなかったのだが知ったからには何とかしなくちゃ。http://live.nicovideo.jp/watch/lv45754820?from=lv45744832これでは本当に日本が転覆しそうだ。胃が痛くて吐き気がして眠れない。何が出来るのだろうか。
April 6, 2011
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今更なんだけど、福島原発が炉心溶解していたんだと今頃知った( ̄_ ̄|||) 政府会見では私のような鈍い素人は遠廻しの言葉ではぐらかされてしまう。●4月4日の大前研一氏の記事「炉心溶融してしまった福島原発の現状と今後」http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110404/265766/?ST=business&P=1大前研一氏のスカパー放送●3月13日放送東日本巨大地震 福島原発半径20km以内の住民に避難指示http://www.youtube.com/watch?v=U8VHmiM8-AQ●3月27日放送「福島第一原発 現状と今後とるべき対応策」http://www.youtube.com/watch?v=5mBlngPiaSYスリーマイルより日本の原発は悪い状態なのだったΣ( ̄ロ ̄lll) ガーンどうしてこんなに危険なものを扱っているのに専門家が常駐していないんだろう?それは危険だから理解している人は近くで働かないと言うこと?原発の清掃のアルバイトでさえ自給1万2千円だそうで、専門家ほど危険だと理解しているため近寄らないのだろう。東電は自分の従業員は大事にして出入りの業者を使い捨てにしている。大前さんの話はとても解りやすかった。どこをはぐらかされていたかも解った。こんなに福島原発1号機の危険性を知る人がいてこんなになるまで放置されていたなんてどう言うことだろうか。やはり知れば知るほど人間が扱ってはいけないモノだと思う。学者が凄いモノを発見したのでそれを利用した凄いモノを造ってそれを世界に知らしめたかっただけのモノ?政治家や企業家がそれを利用しただけじゃないかなと思った。ようやく原発に向き合えそうになって来たのでこの際、しっかり勉強しようと思う。余りにも恐くて、地震と津波で参っていたから近寄れなかったんだよね(=_= )
April 6, 2011
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今日は郵便局と銀行に行き、港の近くを見ようと歩いていたら、お気に入りのカフェが営業していたので地震後初の外食をしました\(^ー^)/メールでピーを呼び出し、ピーも一緒に食べました+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+ サラダ♪ スパゲティ♪これに珈琲がついて850円でした。美味しかったーーーー(⌒¬⌒*)贅沢~~~~(*^▽^*)もうこんな外食できない~~(*^▽^*)そしてあんまり節水しているようには実のところ全く感じなかったのでした。トイレの小の水を流さず、茶碗を洗う時もペットボトルに入れた水でちょぼちょぼ洗う・・・なんてまさかうちだけって事ないですよねーー( ̄_ ̄ i)街の中は歩いている人で一杯でした。子ども達が自転車で風のように走り抜けて行きました。子供が元気で和みました♪半袖Tシャツの少年がいて元気をもらいました。ようやく津波の後を見に行く覚悟が出来たので二人で港の方に歩いて行くと、仙石線の本塩釜駅近くの商店街は道路にヘドロや波をかぶった家具や壊れた物が山積みになっていました。かなり片付いていましたが、あちこちの隙間に車がはさまっていたり高い所に引っかかっていたりしました。建物の壁に津波の後が付いていました。倒れたフェンスに干からびた草みたいなものが一杯引っかかっていました。ここにも津波が来たのか、ここまで波が届いたのかと驚きながら歩きました。友人の家に寄るとたまたま家の前の車の中にいました。津波で車を流され、1階をやられた友人は憔悴していました。いつも笑顔で明る過ぎるくらいの人なのにげっそりやつれて痩せていました。観光桟橋はブロックやアスファルトが散乱して殆ど片付いていませんでした。船が家に引っかかっていました。ピーと二人でしっかり手を繋いで歩きました。厳しい映像なので写真に撮りませんでした。ヘドロの匂いが満ちていました。塩釜神社の階段下近くまで津波は来た跡がありましたが、波が来た端っこの店や営業所や酒蔵なんかは早くも綺麗にして営業を始めた所がありました。あちこちに貼ってある「がんばろう 塩釜」のポスターを見ると胸がギュっとしました。ぐるっと歩いて多分5~6キロ歩いて家に帰り着いて休み、夕方に獣医さんとこでく~たんのストルバイケア(尿結石路用のキャットフード)を買ってから塩釜駅前の交番に行きました。自転車盗難の届けを出そうと思ったのですが、「鍵は掛けたんですか?」と婦警さんに聞かれ、「息子は忘れたようです」と言ったら「鍵は掛けてもらわないと困ります」と言われてしょげました(=_= )そんなの言われなくても解るけど。。。。ラーは気が利く人間なのですが大きな穴があちこち開いているので肝心な事を忘れたりするのです。ラーが自転車を盗まれたのはこれで3度目であります(汗)婦警「どこで盗難に合ったんですか?」私 「エスプです」婦警「何日の何時ですか?」私 「13日の3時から4時頃だそうです」婦警「はっきりした時間は何時ですか?」私 「あの頃大変だったのではっきり憶えていないそうで」婦警「場所はエスプのどこですか?」私 「駐輪場だそうです」婦警「駐輪場のどこですか?」私 「え?あの扉の所だと思いますが」婦警「現場検証するのではっきり場所が解らないと困るんです。 息子さんは今日どこにいるんですか?」私 「出かけていますが」婦警「何時に帰って来るんですか?」私 「解らないです」婦警「書類に書けないですね。登録書見せて下さい」差し出した登録書を見もしないでじっと何かを待っている婦警さん。何がどうなっているのか解らずに婦警さんを見る私。何もしない婦警さん。じっとしている婦警さん。あれ、なんだろうこれ???ああ・・・・用がないから帰れって事か。私 「・・・・本人が来るようにします」婦警「そうですね」私 「お手数おかけしました」最初に本人がいないと書類が書けないって言ってくれれば良かったのに。何でじっと待っていたんだろう?何かすごく意地悪された感じがして帰りはしょんぼりして帰って来ました(=_= )そりゃラーが行くべきだったね、今思うとね。なんで私が行ったんだろう・・・(´・ω・`)ラーは今朝起きると携帯が体の下敷きになっていて携帯が逆くの字になっておりコードだけでぶら下がっていたんだって( ̄ー+ ̄)ニヤリ壊してやがんの(((((^m^で、友人誘ってauに出掛けたのでした。明日私は頑張って夫の実家に行くのです(`・ω・´)(20日振りに車運転するのです。 義兄が苦手なのであります・・・)ラーにも頑張って交番に行ってもらいます( ̄ー ̄)V
April 1, 2011
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今日、思わぬ客人が訪れた。私は2日前から疲れが取れず、ぐったりしてだらだらしていた。午後にアールグレイを煎れてラーの部屋に持って行き、ピーの部屋を覗いて、膝にマシロを乗せたピーに紅茶を飲むかどうか聞いて階段を下りるとチャイムが鳴った。結婚当初の我が家は毎日数人の客が訪れた賑やかな家だったが、子供が生まれ、私の具合が悪くなってから客は月に一度か二度くらいになっている。だから玄関先に客人が訪れると非常に緊張する。昼前に訪れた客人はラーの同級生のお母さんで、同じ地区のラーの同級生が石巻で亡くなっていた事を教えて行った。女性でラーと特別仲が良いわけでもなく、中学卒業後は会っていないのでラーに知らせが廻って来なかったらしい。私は中学のPTA役員をしたので名前はしっかり憶えていた。ラーは学校関係の誰かが犠牲になっているかもしれないと時々口に出して言ってはネットで名簿を調べたりしていた。ごく近所の同級生が亡くなっていたと知って私もラーも言葉がなかった。その数時間後にまた人が来たので内心ドキドキしながら戸を開けると、なんと11日の地震後にラーが情報収集のために行った近所のコンビニで知り合いロウソクを分けてあげると家に連れて来た女子高生とそのお母さんだった。その女子高生の家は東仙台で地震後に電車が動かないから歩いて帰ると言っていた。電車なら10分ほどで着く距離だが、歩くとなると3~4時間は掛かると思われた。折りしも時間は午後の5時半過ぎで暗くなっていた。情報は皆無だったのでまさか恐ろしい津波に海岸端が飲まれていたなんて全く知らなかった。暗くなるまでにロウソクや懐中電灯を探し、割れた食器やガラスを片付けてご飯を食べられるように準備していた。丸いロウソクは沢山あるのでその女子高生に分けてあげたのだが、夜道を女の子が一人で歩いて帰るのはとても心配だったのでラーに送って行けばと夫と言った。若い娘を持つ親として電気が消えた町や田んぼの中を娘さん一人で歩かせるのは恐かった。そしてラーはその女子高生を送りに出たのだがなかなか帰って来なかった。エコラジオのハンドルをガリガリ廻して雑音の中からようやく聞えて来たのは宮城県は全域で停電のためにあらゆる所で渋滞と言う事だった。だからラーが帰って来たのは9時半だった。女子高生の家はマンションで家族はまだ帰って来ていなかったが慣れた場所なら何とかなるだろうとラーは帰って来たのだった。「道路がそこらじゅうヒビ入ってて、 橋の所は段差が凄い。 停電で信号が点かないから 渋滞で車が動かない」暗くて道路以外見えなかったけれど地震の傷痕は思った以上に凄いとラーは感じたのだった。そして私は7時ごろ、親しい親族や友人からメールが届いていた事に気付き返事をしたついでにあちこちにメールで無事を知らせた。私の携帯のメールは8時頃まで受送信出来たのでだった。そのメールで知った津波の凄まじさ。夜にラーのワンセグでテレビを見ると津波が田んぼを飲み込んで行くのが小さい画面で見えた。海岸沿いが軒並み凄まじい被害に合ったと知ったのは実は電気が来てテレビを見るようになってからかなり暫く経ってからだった。まさか軒並みやられているとは思いたくなかったのかもしれない。あの映像を見た世界中の人達がショックを受けたと思うが、私も現実を拒絶したい思でいたんだと思う。多分許容量を越えていたのだと思う。事実が染みとおるまで時間が掛かった。何日もしてからあちこち被害に合ったのではなく、全部の海岸線がやられたのだとようやく気付いたのだった。マスコミが報道していない所は無事だと思いたかかったのかもしれない。ひどい被害に合った所にも泥棒が入り込み、二重に被害を深くした。原発は恐ろしい状況を続けており恐怖感と無力感に苛まれている。今回の経験で、報道は一部しか事実を伝えていないんだなとよおく解った。原発の事にしても避難所での事にしても。自分でしっかり調べなければと思った。今は携帯やツイッターで今のリアルを現場から伝えてくれるから。昨日私は、郵便局や銀行に行こうと思っていたのに体が重たくて気も重くて何かを頑張る気力が無くてだらだらしていた。すると、ネットで長年のお付き合いの方から主に猫達用の美味しいご飯がレターパック2個にぎゅうぎゅう詰められて届いた。ご自分の買い物も大変なのに苦心して送ってくれてとても心配してくれてありがとうーー\(^ー^)/今まで一度も買い与えた事がない高級品をいただいたので、猫達にあげたらフガフガ鼻を鳴らしながら食べていたんだ(((((^m^ 今日も何故か脱力で頑張れなかった。そろそろ緊張感が緩んで疲れを感じるようになったのかなと思った。何と言うタイミングか、中学時代の同級生の訃報が届いて衝撃を受けた。雨も降って低気圧が強かったし、無力感一杯だった。そして訪ねて来てくれた女子高生とお母さん・゚゚・(≧д≦)・゚゚・すっかり忘れていただけに沢山のご褒美をいただいたようだったヽ( ̄▽ ̄)ノテレビでは町の残骸の中で漁に出た漁師さんが「全部失くしたけど、やる気は100パーセント!」と笑って言っていた。うううう・゚゚・(≧д≦)・゚゚・なんて力強い励ましなんだーー!!すまん、こっちはずっとずっーと恵まれているのに。炊飯器を届けに来てくれた友達や米と野菜を届けてくれた友達もいて色んな人に助けてもらって生きているなあとつくづく思うこの頃なんである。明日は晴れるそうだし、気を取り直して明日は用事や買い物に頑張るよ(*^▽^*)よ(*^ ^* )V
March 31, 2011
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昨日市報の号外が届いていました! 塩釜郵便局は海の近くの平らな所にあるため津波の被害を受け、郵便物は全く届かず期待していなかったので郵便受けを見る習慣がなくなっていました。一昨日、七ヶ浜に住む友人の娘さん達が顔を見に来てくれて、沢山いただいたからとコーンビーフの缶詰を分けてくれました。お返しする物が何もなかったです(=_= )七ヶ浜町は塩釜市と多賀城市に地続きで太平洋に突き出た小さな半島です。ラーがお腹にいた時と出産後1歳半までの2年間、七ヶ浜の東宮浜と言う所に住んでいました。今回、七ヶ浜の海岸沿いのぐるり全部が津波にやられたそうで、ネットで探してみたら島の面積の三分の一ほどに津波が届いていました。真ん中にある汐見台と言う新興住宅地と高台の家以外は軒並み流されたらしいです。そんな大変な所から娘さん達が2人、自転車で私達の様子を見に寄ってくれてお互いの状況確認を駐車場で話していたしていた25日の午後、何と郵便配達のお兄さんが赤いバイクで配達していたのです!!(`・ω・´)!「あーーーっ!郵便屋さんだ!!!」「本当だー。良かったですね!」塩釜港や仙台港からの津波は湾の海底に溜まったヘドロをも連れて来たため、塩水に浸かったり流されただけではなくドロが堆積し、悪臭がして、水も出ないと来ては綺麗にするのが大変だったろうなぁと思われ、うちに廻って来た郵便局のお兄さんに涙ながらに声を掛けて感謝したのでした。配達のお兄さんも元気な笑顔で「配達始めました」と答えてくれました。もうね、元から涙もろかったけどこの巨大地震からは最高に涙もろいです。市報号外を見ると見慣れた街が破壊された写真や塩釜湾に点在する浦戸諸島の壊滅的な様子が目に入り、目頭が熱くなり胸が苦しくなりました。亡くなられた方が26人行方不明者が36人と書いてあり、もっと苦しくなりました。塩釜と松島は入り組んだ地形のお陰で他所の海沿いより津波が高くなかったようですがそれでも建物は破壊され亡くなった方や行方不明の方がいらした。今日まで塩釜の被害人数は知らなかったので衝撃を受けたのでした。これが万単位で亡くなったり行方不明の所はどれほどの重さなのでしょうか。それから行政からの地震の詳しいデータを初めてはっきり見ました。●東北地方太平洋沖地震・平成23年3月11日 14時46分・発生マグニチュード(暫定値)9,0・本市の震度(市役所に設置の震度計)7・最大潮位 16時02分370cm 塩釜は震度7だったんだ!!だからエスプのガラスが割れたのかーー!それにしては民家が潰れずに凄い事だと思いました。うちの西隣の脇が10メートルほどの崖なので西隣や西向かいの敷地にひび割れが沢山出来て家も一部ヒビが入りましたが、倒れる事はありませんでした。聞いた所によると古川では家が倒壊したそうで強制退去になったらしいですが、その後はどうなったでしょうか。津波の余りの壮絶さに地震の被害は殆ど触れられていないです。でも古川や栗原が震度7で大変だったろうなと思っていたのですが、まさか塩釜まで震度7だったとは。では地震後に出たデータはあまり確かでは無いと言う事でしょうね。海沿いの国道45号線が津波によって使えなくなっていたため暫くはうちの近くの道路や塩釜駅前の道路を緊急車両が走り回っていて何日間もずっとサイレンが何十台分も聞こえていました。11日と12日は防災サイレン以外何も音がしませんでした。今思うと地震被害で大変な所に津波による壊滅状態で行政関係も民間人も全く動けなくなっていたのでしょう。街中にある防災サイレンの切羽詰った音と、緊急車のサイレンが重なって一日中恐ろしい音が鳴り響いていました。中学校の校庭に緊急ヘリが離着陸を繰り返していました。もう建物の間からヘリが現れても誰も驚かなくなっていました。塩釜の消防署も津波にやられました。走っている救急車や消防車は殆どが遠い所のものでした。それを見て心の中でありがとうございますとお礼をしていました。遠い地までやって来て不便で不自由な中走り回って下さりありがとうございますm(_ _)m家や家族や大事な方をなくした方々が希望を失くしませんように。
March 27, 2011
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