逃げる太陽 ~俺は名無しの何でも屋!~

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2026.03.05
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辛いんだけど、奥の方に甘味が隠れてて、和らげられた辛さがまたマイルドに刺激的で。爪を隠した辛さにやられて、白いご飯が美味しくってたまらない。箸休めならぬスプーン休めの、冷えたトマトとさらし玉葱のサラダも最高。オリーブオイルを使ったドレッシングはもちろん手作り。

勧められるままにお代わりもいただいて、デザートの、新鮮な桃を細かく切って混ぜ込んだプレーンヨーグルトもきれいに平らげてしまう。

お腹満足の火照った身体を冷たい麦茶でなだめながら、ふと息を吐く。──はー、俺、何であんなに動揺してたんだろう、たかが似たような本を見つけたくらいで。それにしても……いや、今は満腹で何も考えられない……それがとても有り難い──。

「ごちそうさまです。美味しかったです!」

お皿を下げに台所に消えていた真久部さんが戻ってきたので、改めてお礼を言う。きっと、自然に笑顔になってる。

「どういたしまして。何でも屋さんはいつも本当に美味しそうに食べてくれるから、振る舞い甲斐がありますよ」

にっこりと、古猫の笑み。お昼は素麺で済ませました、みたいに涼し気な顔してるけど、この人も俺と同じくらいがっつりカレー食べてた。いつも思うけど、本当に見かけによらないというか、見かけ通りじゃないというか。

「ところで、今日は何だか|影《・》|を《・》|背《・》|負《・》|っ《・》|て《・》|い《・》|た《・》|け《・》|ど《・》、何かあったんですか?」



「いえ、大したことは、何も。ただ──」

ただ、何だっけ……? そう、続けて落とし物を拾っただけなんだ。そのうちの一つが、三度も俺の前に現れたから戸惑っただけで……同一人物、いや、同一本ではなく、単純に同じタイトルの別の本かもしれないし、常識的に考えたらそうなんだろう。だけれども、そんなものがあちこちに……、まるで俺に見つけてほしいかのように落ちてる意味がわからない。一度目は何も思わず交番に届けて、二度目は不思議に思いながらもやっぱり交番に届けて、そして三度目の今日は……。

「実はですね……」

一昨日からの落とし物について、俺は語ってみた。標準装備の胡散臭い笑みを薄く浮かべたまま、店主は黙って聞いてくれている。

「百万円のほうはいいんですよ、落とし主とは警察で会えたし、喜んでたし、この件はすっかり解決しています。でも、あの本のほうは……、三回目に見つけたときは、さすがに怖くなって拾わなかったんですけどね……」

放置とはいえ、自転車の荷台に置いてあるように見えたから、誰かがそこに置き忘れたんだと思うことにしたんです、と付け加える。

「そういうことですか……。だから駅前で見掛けたとき、あんなに顔色が悪かったんだねぇ」

真久部さんはうなずいて、そんなことがあったら気味悪く思っても仕方ないですよ、と同情を示してくれる。

「何でも屋さん、まるで何かに追いかけられているのかと思ったくらい、何度も後ろを振り返りながら歩いてるから、どうしたのかと思ったけれど。とにかく、放っておくと赤信号で交差点を渡ったりしそうだったから、まぁとりあえず、|ここ《慈恩堂》に連れてきたというわけですよ」

ちょっとコンビニへ、って出掛けていて良かった、と続ける。

「お昼の時間帯は基本的にお仕事入れないようにしてるんでしょう? 時間があるなら、ゆっくりしていってください。──うちの店よりも、そのよく分からない本のほうが怖いみたいだしねぇ?」



「……」

止めて! 言われてみれば確かにそうだったけど! 意識するとダメっていうか!

……古時計の音に重なる、かすかな水しぶきの音。聞き取れないほどと思えるのに、秒針たちの合い間を縫って、木霊のように響いてくるような……。古道具の影から立ち上る、陽炎のような気配はゆらゆらと、目ではなく心が錯覚を起こすように、不可思議な何かがふわりと|解《ほど》けてどこかに溶けて消えてゆく──。

『見ない見えない聞こえない。全ては気のせい気の迷い』慈恩堂店番時の極意、今こそ心に宿せ! ……店番はしてないけど。
だけど、真久部さんの言うことも本当だ。俺、ここの店番するより、あの|落とし物《本》見つけるほうが怖い──。


つづく…





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最終更新日  2026.03.05 06:53:06
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