神との対話と故郷への旅

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ジャッキー35 @ Re:ソフトを知る(06/18) 初めまして! そうですね!確かにソフトで…
iamjoy @ その結果… はい、その結果今のようになりました(^^♪
菜恵ちゃん @ iamjoyさんへ 相手がどう思うかではなくて、iamjoyさん…
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iamjoy

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2006.10.19
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カテゴリ: 思い
二元性のことについては、先日も書いたが、あることから数年前に自分の中から出た言葉がクローズアップされてきた。

今思えば当然だが、私は機敏で、何でも苦なくこなすような子供だったので、息子の様子は容易に受け容れられるものではなかった。「何故、私の子はよりによって何もできないの?どうしたら、こんな緩慢でいられるの?周りに迷惑かけて!周りが全く見えてない!」これらの言葉が心の中で繰り返されるのは日常茶飯事だった。
その日もサッカーの練習を見ていて、私の中ではその様子にイライラ…自分に問いかけた。

「何故息子はこんななの?何故?何故なの?苦しい~!!」

-だから、周りの子が光るんだよ。-

当時はわかったような気もしたが、結構?????
つまり腑に落ちていなかった。あまりにも遠まわしな表現!
私達の視点はこうやって大体比較、判断などのところをうろうろしている。


私達はこんな世界にも生きているし、またこれを客観的に見る自身ともつながることができる。そして、この二元性に捉われている時はイライラ、ドキドキ、めそめそ…当然、これらの反対の二元性での判断に基づいた嬉しいなどの感情を経験することもしばしばある。
私達はどうやらこれらの視点の中間に生きることが望ましいようだ。

二元性の判断に基づいた喜びではなく、生きることそのものの喜びを私達は感じたいのだろう。
生きることそのものの喜びを感じるために理由はいらない…





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Last updated  2006.10.19 10:53:46
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