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中國春秋航空高松~成田便就航記念キャンペーン桂林旅行 2014.10.24~28.行きたかった桂林観光がまたとない超安値で行くことが出来た。初日(10月24日) 岡山から倉敷へはJR、倉敷から高松空港へは無料送迎バスを利用した。ところが空港へ着いたところでデジカメを忘れてきたことに気が付いた。そこで高松で買おうかと思い出入りの電気屋に電話をして打診したところ高松の同業者にある在庫品は何れも充電していないので間に合わないという返事だった。然し日頃からそれなりに懇意にしていることと幸いにもこの日は出かける予定がないと言うことで何と私のデジカメを我が家から空港まで200Km弱をオートバイで持ってきてくれた。所が上海便が2時間遅れ上海での半日観光がつぶれた上に上海からの桂林便も1時間遅れてベットインは日付が変わっていた。
2014/10/29
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桂林旅行から帰国しました6万円弱の超安桂林旅行は春秋航空の高松~成田便運航記念キャンペーンです。初日高松→上海が2時間、上海→桂林が1時間遅れでホテルに入ったのは日付が変わっていました。桂林は思いの外暑くて持っていった衣類をミスった一方好天気で墨絵の世界を期待も外れましたが総じて悪くない旅でした。年ですね~ 3日目辺り疲労困憊で先が危ぶまれましたが桂林の足つぼマッサージが効いての何4,5日目は大分回復し何とか旅を終えることが出来ました。ぼつぼつ旅行記をアップします。
2014/10/29
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桂林に行ってきます今まで2回のチャンスに行き損じていた桂林へやっと行くことがかないました。しかも春秋航空のキャンペーンで4泊5日で6万円弱と超安値です。只心配なのが風邪気味で熱っぽさが今日まで直らないことです。今までにも同じようなことが何回かありましたが何時も旅行中に何時も間にか治っているので今回もそうだといいのですが。兎も角皆さん行ってまいります。28日には帰国します
2014/10/23
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大連~丹東個人旅 最終 2014.10.8~13. 4日目(10月12日) 今日は末永さんは李麗雲のガイドで大連観光をしたが私は清水さんとゴルフに出かけた。2人とも中国でゴルフをするのは初めてだった。実は大和の儘も参加するはずだったが先日転んで足を捻挫したため2人だけのプレーとなった。旅順の「湾山高YS夫」(YAは称のつくり)は高原コースでヘアーウエイもグリーンもよく手入れがしてあったがこの日は強風が吹きていておまけに貸クラブだったのでスコアーはひどいものだった。スループレーだったので2時過ぎには上がった。プレーフィーは日曜日でもあり750元と予想以上に高かく往復の車代300元、キャディーのチップを100元を加えると岡山の倍以上だった。しかしもう1度やってみたいコースだった。夜食は以前私が親しい中国人一家を招待したことのあった和歌山が本店の「中心屋」と云う日本式居酒屋で食べた。夜はまた昨夜同様賓館2階で過ごしたが酒を飲まない我々2人には350元と高くついたが清水さんのお付き合いなので仕方がないか。 6日目(10月13日) 今日は帰国の日である。早めにタクシーで大連周水空港に行き朝食を「神戸屋」の言う日系の喫茶店でピザを食べたが2人の日本人と同席した。土産に月餅等を買って登場手続カウンターに行ったら何と広島空港便が台風接近の為欠航になっていた。どうしようかと悩みガイドの李麗雲に電話して相談した後末永さんがカウンターの中国人服務員が日本語で対応しているのを聞きつけ行ってま所関空便に乗せて貰えることになって愁眉を開きエヤーチャイナと交渉してくれていた李麗雲に電話して事情を話してお礼を言った。と云う事で関空には広島便とほとんど変わらない時間に到着した。関空は台風とは思えぬ天候だったが新大阪行きの特急は既に運休となっていて天王寺までの快速に乗ったが何とこれが最後でおまけに天王寺から大阪までの環状線も大阪から新大阪までの電車も我々が乗ったのが最終と云う全くの幸運だった。もう少し遅かったら関空か大阪泊まりになっていた所であった。かくして岡山へは差ほど遅くならずに帰ることが出来た。しかし予報の通り岡山も夜になると風雨が酷くなり我々は如何に幸運だったかと思った。中国には40回以上行っているがこんなことは初めてだった。 謝謝。
2014/10/23
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大連~丹東個人旅行 2 2014.10.8~13. 3日目(10月10日) この日は観光でまず抗美救朝記念館に行った。此処は私も初めてだった。あの朝鮮戦争の際の中国人民義勇軍がソ連製の武器を持って北朝鮮を援護して如何に戦ったかを大きなパノラマ形式で展示したものであった。当時の様子が分かった。無論例によって中国の自画自賛だったが。次で錦江山公園に行った。此処は元の安東神社で所で桜の名所であり今でも春には多くの中国人も訪れているとのことである。此処で数人の定年になった中国人たちが何と口琴(ハーモニカ)を吹いていた。そこで私は車に置いていた口琴を取に戻って彼らと数曲合奏をした。予想外の出来事で思わぬ経験をしたが惜しむらくは彼らの名前すら聞くころを忘れていた。 救朝抗美美術館 見知らぬ中国人と口琴共演 朝鮮冷麺の昼食をした後私は午後も観光する末永さんとガイドの曾さんと別れて岡山で親しくしていた元留学生で現在は結婚して子供を産むために丹東へ帰っている藩園と彼女の家族に会う頃にした。このため彼女にホテルまで迎えに来てもらって彼女の祖母の家へ行った。実は彼女一家と知人の元日本料理店の主人王千さんとを市内のレストランへ招待する心算でいたのだが彼女が赤ちゃんを連れては行けないからうちで母や伯母の手料理をご馳走したいと云うので受けることにしたのだが銀行の李さんも加わったので困って彼女に云うと没問題=構わないと云ってくれたので遠慮なくご馳走になることにした。そこで私は彼女の父親以外の家族と会った後一旦ホテルに帰って李さんと王さんを待った。所が李さんは約束の5時にホテルへ来たが王さんがなかなか来ないので電話をしたが通じないので止む無く3人で出かけた。行ってみると王さんから藩園に「事情があって少し遅れるが必ず行く」と電話があったようだ。それまで電話が通じなかったのは彼の携帯に不具合が生じていたらしい。食卓にはカニやエビ、魚と丹東名物?の蛹などとても食べ切れないほどのご馳走が並び大歓待を受けた。末永さんはきっと蛹に辟易するだろうと思ったが以前中国に来た時食べたことがあると云って平気な顔をしていた。逆に王さんの日本人の奥さんは怖がって今だに食べないそうだ。仕事で遅くなって父親が帰宅せず再会が出来なかったのが残念だった。と云うのは彼女の父親が私が一昨年来た時当時大連に居た藩園も一緒に丹東へ来て私の観光に車で案内してくれたので今回是非再会してお礼を言いたかったのである。 藩園のご馳走になった一同歓談は尽きなかったが皆さん明日の仕事もあり我々も大連に帰るので早めに辞した。なお李さんは私がお土産に浮世絵柄の小風呂敷をあげたら中国のストラップを返礼してくれたので幾つか末永さんに分けてあげた。無論我々は他の皆さんにもそれぞれ日本の酒や化粧品等々の土産を用意していた。この夜我々はホテルで曾さんに手配して貰ってマッサージを頼んだが1時間半200元と今迄で1番安かったわりに若い女性のマッサージは結構良かった。 4日目(10月11日) 朝比較的ゆっくり出発して大連に向かった。昼過ぎに到着し清水さんが待っている今夜のホテルである大連賓館に直行した。チェックイン後2階の喫茶店「大和」でコーヒーだけ飲んで夕方まで休息した。此処は元満鉄が経営していたヤマトホテルでスタッフも喫茶店の服務員もみんな日本語で対応してくれるが些か設備が古いので悪いと云う話だったので今回初めて利用してみたがやはりシャワーの湯がぬるかったりで良くはなかった。夕食は錦州会の清水さんと「大和」で一緒だった山口のFさんと近所の日本レストラン「日光」行った。やはり日本語が通じて料理も悪くなかった。夜は昼間の喫茶店がスナックに変身している「大和」に李麗雲を呼んでカラオケに興じた。勿論日本の歌も多かったが折角なので私はテレサテンの曲を2曲中国語で歌った。他の2人はまだ残ったが私と末永さんは疲れても居たし共に酒が駄目なので早めに引き上げた。
2014/10/22
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大連~丹東2人旅 2014.10.8~13.我が生誕地丹東へ行くのは何回目になるだろうか。丹東には中国人の知人も多くてみんな何時行っても熱烈歓迎してくれるので何回も行く事になる。今回は先の大戦の終末を丹東で迎えた長春生まれの知人の末永さんとの2人旅である。初日(10月8日) 岡山から福山までは新幹線に乗り福山から広島空港へはリムジンバスを利用した。エアーチャイナ154便はほぼ定刻に大連に到着し顔見知りのガイド李麗雲の出迎えを受けこの日の宿の大連勝利広場に近い翠詩酒店(スイッシュホテル)へ直行した。78歳と75歳の2人連れ故に無理は禁物でスケジュールは出来るだけ緩やかに組んでいる。一休みした後夕方明日の丹東行バスの乗り場を確認しておこうと勝利広場に向かい乗り場を確認したあと帰路を間違ってしまった。大連の街は丹東や長春と違って広場を中心に斜め通りが多いので一つ間違うと気が付かないうちにかなり方向がずれることになるのである。このため2人とも歩き疲れた為夕食はホテルの傍にあった日本で云えば吉野家のような食堂で済ませたが私はここでも失敗した。メニューの写真を見て注文するのだがキュウリだと思った料理が私の嫌いなオクラだったのである。仕方がないので末永さんが注文した料理と交換して貰った。主食のエビの水餃子が予想以上に旨かったのが救いだった。 2日目(10月9日) ホテルの朝食は☆5だけあって和洋中が揃っていて旨かった。昨夜確認していたので迷うことなく無事予約してあったバスにのれた。予想通りバスは満席だったが豪華バスを謳っていたほどのものではなくシートベルトは壊れており背もリクライニングの程度は少なかった。道半ばの庄河でトイレ休止があり私は大好きな瓜種(ひまわりの種)の原味(妙な中国風の味をつけていないもの)を1袋買った。此処は今は綺麗なトイレとコンビニ風の店があるが9年前に来た時はただ道端に例のニイハオトイレ(小便は1列に並んでするタイプで大便所は境も扉もない開放的で屋根があるだけ)が有っただけだった。バスの運転手は事前に出発時間を告げることもなく乗客の人数をチェックもなくスッと出発するので乗り遅れると大変なことになるのだが不思議なことに今迄そのようなことはない。大連を出発して4時間15分ほどで丹東へ着いたが何と降車場が予告なくバスターミナルから駅前広場に変わっていた。此の為私は一瞬どうしようかと心配したが丹東ガイドの曾慶凱とこの日付き合って貰う2人の邵さんも程なく現れ無事出会えた。中国ではこのようなことは日常茶飯なので3人ともすぐに対応出来るのであろうか。この日は同行の末永さんが戦後直ぐの避難生活により亡くなった妹さんの供養をするのが第1の目的だった。ただ彼は当時まだ7歳で妹を埋葬した場所が特定できていなかったので事前に私は以前私が生まれた家の場所を満州時代の安東の住所から探し出してもらったことのある元丹東公安の2人の邵さんに私同様旧安東時代の住所をもとに調べてもらうよう依頼しておいた。しかしその場所が私と違って市の郊外だったので、当時は元日本の幾つかの工場とその社宅があっただけで周囲は殆ど高粱畑だった所なので特定が出来ていなかったが目標の元甲山と称する小さな山に近い所だと迄は分かった。我々は昼食も食べずガイドの車でそこへ向かった。其処は今も当時の古いレンガ造りの家や工場の建物が数棟残っていた。末永さんは甲山(現帽盔山=ボウクイシャン)を少し登った雑木林の中の適当なところに持参してきた妹の写真を置き線香をつけて手を併せ私も一緒に拝んであげた。(中国人たちは普通このような場合手を合わせるのではなく数回膝まずいて頭を下げる)末永さんは長年の願望を終え一先ずホッとしたことだろう。この後市内へ戻り私の生まれた家のあった所へ行ったのだが私は判らなかったが2人の邵さんも9年前のことは忘れていて2,3筋探してやっと正しい場所を見付けてくれた。辺りの看板の殆んどが9年前と変わっていたため余計に彼等も判らなかったらしい。次に父が勤務していた朝鮮銀行の建物をそのまま使っている工商銀行振興支行=支店に行った。9年前丹東の田舎から岡山大学院に留学していた何暁麗と一緒に訪れた時大変親切に行内を案内してくれた李鉄男さんに再会した。もう忘れていたと思っていたが彼は私の顔を見た瞬間立ち上がり両手を広げて歓迎してくれた。再会を喜び写真を撮ったが彼が是非夕食を一緒にしようと申し出てくれたので翌日の夕食を約束した。此処で一先ず両邵さんと別れ我々はこの両日の宿泊ホテルの桜花大酒店へ戻って休息した。この夜は両邵一家と丹東名物の北鮮の出稼ぎ娘たちが歌ったり踊ったりするレストランシアターとでも云うべき高麗賓館で会食した。偶然にも年配の方の邵さんの日本に居る2人も娘が帰国していて通訳には好都合であった。私は来るごとに殆どこの両家とは一緒に食事をしている。しかし此処は邵さんの次女の2人の子供を入れて10人だったが2万円を越し中国の食事代としては相当に高価だった。 末永さんが妹の写真に線香を供えて 私の生家があった街並み 元朝鮮銀行は工商銀行になってい 私を覚えていた銀行の李さん 両邵家の皆さんと末永さん 北鮮ので出稼ぎ姑娘のショウ
2014/10/21
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岡山ハーモニカクラブ定期演奏会今日は定演の日だったがこの1週間風邪気味なことと練習不足もあったので残念だったが欠場した。御免。それに来週からの桂林旅行に備えて体調を整えたいこともある。この年になると無理は禁物だ。
2014/10/19
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プロ野球セ・リーグCS想定外の出来事とはこのことか!?巨人は主戦投手2人を欠いていたので苦戦するとは予想されてはいたがこれほど一方的にやられるとはまさに想定外の事だった。それにしてもこれほど阪神が勢いに乗るとは信じられない。反面巨人打線のふがいなさはひどいものだった。日本シリーズでパのソフトバンク OR 日本ハム の何れが出てきてもぜひとも阪神に勝ってほしいものである。
2014/10/18
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新しい出会い1.先日のある日中両国人の集いで知りあった江西省からの留学生と同級生が経営している和食の店に昼食を食べに行った。笑顔がかわいい気立ても好い姑娘だ。2.この店でまったく偶然に大連生まれの引き揚げ者に出会った。おまけに旦那は私と同じ大学の1年先輩だった。我々は再会を期して別れた。尚折角行ったのだが同期の店主は旅行に出かけていて留守だった。 江西省から来た留学生 左が大連生まれに引き揚げ者
2014/10/17
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洛陽古琴学会一行来岡本年我々岡山市日中友好協会が例年通り5月訪洛した際洛陽の民族古琴学会を訪れて友好を結んだ答礼としてこの程洛陽古琴学会一行が来岡し岡山の黒住教吉備楽や和琴、尺八演奏家との共演会を行った。そして夜は一行の歓迎会があり私も今年5月洛陽で共演した張中亜先生が一行のメンバーとして来岡していたので口琴共演した。さらに「琴韻書聲」の書をお土産に頂いた。署名に私の名前も記してあったので驚き且つ嬉しかった。私の中国語の力では意味がよく分からない。何方か所の意味を翻訳していただけると有り難いのだが。 張中亜先生と共演 古琴学会副会長より頂いた為書き
2014/10/16
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大連~丹東個人旅行 2014.10.~13日昨年までは何ともなかった中国旅行も年には勝てず道中ずっと栄養ドリンクを飲んで頑張りましたが毎日くたくたでした。おまけに帰国日は台風の接近で広島便は欠航、運よく関空便に乗れました。さらに幸運だったのは関空から新大阪までの「特急はるか」は休止で天王寺乗り換えで大阪環状線もそれぞれ最終電車にやっと間に合いました。16時以降JRは新幹線以外すべて運休となりました。その時は雨風とも大したことはなかったので何故運休なのかと思ったのですが新大阪を出発して間もなく風雨が酷くなり岡山に着いたときはかなり酷くなっていて夜はさらに風雨が酷くなりました。中國にはもう40回以上行っていますがこんなことは初めてでした。明日以降順次旅行記をアップします。
2014/10/14
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大連、丹東個人旅行今年3回目の中国旅行。1週間前から風邪気味がすっきりしない。今までにもこの様な事が無かった訳では無いので余り気にはしていないが今回は鼻水が出だすと止まらないので困る。兎に角午前中に散髪に行き荷物の再点検をし終えた。今回は個人旅行なので万一哀体調不良になっても自由に行動が出来るので心配なかろう。明日朝すっきり目覚めることを期す。
2014/10/07
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大連、丹東個人旅行予定されていた大連会有志旅行が定員未達で中止になったが私は個人的に向こうの中国人の朋友との再会の約束があったので丹東に行きたいと云うSさんと2人で個人旅行をすることにしていた。ところがスケジュール的に中国の国慶節に近かったため個人的にも旅行社相互のやり取りにも時間が掛かって出発の2に前になる今日やっと全部が決まった。初めてだったらさぞ気は揉めることだろうが私は何回も似たような経験をしているので特に如何ってことなかったが同行のS氏はかなり焦っていたようだ。ただ為替の円安に加えて中国の物価高騰が加わって1年前に比べてかなり割高感がする。いや実質的に高くなっている。
2014/10/06
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○中会に参加○中会とはある人物が主催する日中両国人との交友と中華料理を楽しむ会である。私は本年になって参加するようになったが聞くともう10年来続いているようだ。メンバーのうち日本人は仕事で駐在経験があったり中国人は留学生が多い。従ってかなりの方は多少なりとも中国語が出来るので会話は日中両国語ちゃんぽんであった。今日は本年4回目で新顔も数人いた。所で元来私は辛みは苦手だが今日は香港料理なので甘口なためやや物足りない感じだった。
2014/10/03
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招きにより参上して吃驚したことが3つ倉敷の親しい中国人宅を太太=家内と訪ねた。先ずびっくりしたのは100日目の赤ちゃんが大きくなっていてしかも賢そうで可愛かったこと。次は先日来私が彼女の本名と写真を去るブログに載せたと言ってご機嫌を悪くしていた元我が漢語老師から「まだ怒っています」と言いながら私の大好きな瓜子=ひまわりの種を私にくれたこと。謝謝。3つ目は料理を作るのが趣味の赤ちゃんのパパが新レパートリーだと言う太刀魚の煮つけが結構うまかったことである。好吃啊。 子育ての手伝いに来ているお祖母ちゃんと赤ちゃん
2014/10/02
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