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20.2008.10.雲南観光 少数民族とのふれあい 初日 上海。再現された岡山所縁の日中友好の先駆者内山完造の書店を訪れた。 上海市四川路の工商銀行(2F)に復元されています。 どなたでも自由に入れます。 2日目 崑明曇華寺と近郊の奇景と少数民族が多い石林観光。 崑明市 曇華寺 奇岩柱の石林 3日目 中国南端の泰族の地西双版納観光。 タイ式仏教寺 水かけ祭り 4日目 北上し白族の居住地大理観光。 大理南門と私 大理 嵩聖寺の三塔をバック 5日目 さらに北上。トンパ文字とナシ族居住地で世界遺産麗江を観光。崇聖寺の三塔が有名。 世界遺産麗江古城 麗江古城で似顔絵を描いてもらった 6日目 雲南省最北のチベット族の居住地香格里拉観光。アール海と海抜4千mの松賛寺。 アール海をバックの私 持っているのは酸素 海抜4千メートルにある松賛寺 7日目 香格里拉~崑明~上海 午後着 上海近郊の七宝古鎮観光。 8日目 帰国。 今回で会った少数民族の小姐たち
2017/07/31
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19.2008.9.長春会旅行 初日 定宿の中日友好会館に投宿。 宮岸さんと私 2日目 恒例の長春公園に行って戦後亡くなった数万人の日本人を回向。次いで中日友好楼に日本人孤児の養父母を慰問した。既に多くが亡くなっておりこの日会えたのは2人のみだった。 中日友好楼 長春公園 墓標代わりの石碑 3日目 私と宮岸氏は吉林方面に行く一行と別れて長春北西200Kmの松原へ行った。私はF社のの送迎を受け中国合弁工場第1号へ、宮岸氏は戦前通った小学校に行くのが目的だった。私は当時F社OB会会長だったので往復と車で送迎を受け助かった。宮岸氏は工場見学の後松原市政府外事弁公室が工場より依頼して貰っていて工場の通訳の案内で小学校の跡地を訪ねることが出来た。 工場見学の宮岸さん 大安駅前で事情聴取 4日目 昼頃長春へ戻って半日観光をした。2人の所縁の場所を順次歴訪した。夕食は一行と合流して一緒にガイドの陳先生宅に招待された。 長春勝利公園(元児玉公園)の2人 陳先生宅の夕食会 5日目 郊外の世界彫刻展時期場へ行った。次いで長春の水庫である淨月譚(サンズイ)湖を観光した。 世界彫刻展示場の私 長春の水庫である淨月譚(サンズイ)湖 6、7日目 哈爾濱観光。孔子廟やソフィア教会を観光路中央大街を散策し松花江の美しいサンセットを眺めた。長春へは午後帰ってきた。長春1番の繁華街である長江路の歩行街をぶらぶらした。此処は新京時代吉野町と云った。私とM氏は残って近くの繁華街の重慶街を散策後ホテルへ帰った。 美しい 松花江の夕暮れ 長春の繁華街 重慶路 8日目 帰国の日。
2017/07/30
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新京と長春。新京は終戦後引き揚げるまで住んだ街です。終戦の翌年の10月此処から貨車に乗って葫蘆島まで行き米海軍のLST(上陸用周堤)の船底に詰め込まれて佐世保に引き揚げました。 家が児玉公園の前に在った頃はよく遊びに行きました。中国の変化発展は目覚ましいが小学校があった西広場の給水塔は昔のままで立っている。
2017/07/30
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安東と丹東 丹東駅は戦後2度新築された
2017/07/28
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中国人家庭の宿泊経験私はこの10数年幾度となく中国人家庭を訪問している。 無論招かれてのことだ。留学生自身もあるが中には私が近くまで来ているのを聞いて彼らの両親が是非我が家に来て欲しいと招待されたこともる。日頃から私は縁あって会った留学生とは不慣れな彼らには食事をしたり近くを案内したりできるだけ親切にしてきた結果のことと自負している。みんな性格の良い子たちばかりだ。従って卒業後もずっと親しく付き合ってきている。今ではそれぞれ日中人と結婚して日本で就職している。みんな岡山以外だが。今回4例を挙げて紹介する。 尚彼女らの結婚式にも招かれ2つ出席した。他も行きたかったが都合が悪く残念だった
2017/07/25
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18.2008.4.岡山市日中友好協会訪洛 初日は上海一泊。新天地を訪れて再整備されている 1860年代以降上海地方の代表的住居の「石庫門」を訪れ内部を見学した。夕食後鄭州へ飛び移動し夜遅く到着。 上海新天地 石庫門住居 2日目 この日は堰師市の三蔵法師の生誕地を訪れた後道順に龍門石窟、関林を観光。この日の夜は元洛陽市長、前河南省全人代主任の(省議会)劉先生主 催の晩餐会。 堰師市の三蔵法師生誕地 3日目 恒例になっている洛陽北方黄河南岸の小浪底ダムの植林に行き洛陽国家牡丹園を観光後白馬寺を参観し印楽方丈の私室でお茶を頂いた。 小浪底で植林をする私 白馬寺の印楽方丈の私室でお茶会 4日目 三門峡の秦代、漢代の函谷関を訪れた。おかしなことに古い方の秦代の函谷関は派手傑歩と綺麗に再見?されているが漢代のそれは未整備のままだった。次いで道教発祥地の道家出源を訪れ新安県の県長招待の昼食後古から現代までの各界著名人の字刻碑を集めた千唐詞斎を見学。 秦代の函谷関 未整備の儘の唐代の函谷関 5日目 珍しく朝ゆっくりホテルを出発し洛陽老街に行った。街で今時珍しい頭髪の子供を見付けたので飴を上げたらびっくりした顔をして小さい声で「謝謝」と云った」空港付近で洛陽市政府農林局長よりさよなら昼食会を頂き上海へ飛んだ。 洛陽老街と珍しい頭髪の子 6日目 この日早朝空路岡山へ帰国した。
2017/07/24
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マイブログのアクセス数矢張り突然変異と云うか一過性の様です。それとも楽天のカウントの間違いか? 1000を超えたのは2日だけでそれ以降は元のペースに戻っていています。
2017/07/23
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NO.17.2007.11.福建省観光 初日 上海浦東空港から初めて世界最速の世界最速のリニアモーターカーに乗り上海最高の東方明珠電視塔に上って浦西、浦東を展望した。私は浦東空港で61年ぶりに偶然この旅行に参加されていた小学校の恩師に再会した。 世界最速リニア―モーターカー 時速430Km 東方明珠電視塔より外灘展望 2日目 世界遺産の武夷山登山を私は年を考慮して途中で引き返した途中でデジカメを岩にぶっつけて壊してしまったが幸い予備として古いカメラを持ってっていたので事後支障はなかった。10歳以上年長の恩師は最初からお駕篭に乗っての登山をされた。竹の筏に乗っての九曲下りがスリル満点で爽快だった。 お駕篭で武夷山登山する我が恩師 竹の筏で九曲下り 3日目 永定の客家土楼観光。敵襲に備えて1,2階に窓のない円形の集合住居が多いがまれに四角形のものあった。客家は古代戦禍を逃れて南下した一部の漢族と云われている。因みにかのとう(登+阝)小平は客家出身だそうである。 最大の「振成楼」 「振成楼」の内部4,5日目 厦門市(コロンス島)の中心はコロンスで市庁舎も空港も島に在り本土とは2本の橋とフェリーで結ばれています。島にはガソリン車は消防車のみで我々のゆっくり走る電気自動車で島内観光をした。戦前は外国租界があって日本領事館の建物が残っている。海岸に日本の馴染のある(五島列島生まれ)鄭成功の大きな像があった。 恩師と 本土の「南譜陀寺」 コロンス島の「鄭成功」像以上いろいろあったこの旅行も終わり上海経由で無事帰国した。
2017/07/22
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16.2007.10. 安東会旅行初参加。大連~丹東~本渓~瀋陽を順訪。 まず大連では満州時代満鉄、関東軍幹部の避暑地で現在は海水浴場として賑わっている老虎灘、北九州市と大連市の合作の北大橋、中国一広い星海広場を観光して大連品にもどって旧満州本社他日本が建てた種々に建物が残っている中山広場を車観光し今もホテルとして使用されている大連賓館でお茶を飲んだ。私は初めて丹東へ連れて行ってくれた留学生の弟を金州から呼び出し夕食と共にした。3日目は丹東観光。まず近郊の鳳凰山にケーブルで登り鳳凰市街を遠望。次いで山下の五龍背温泉で休養、私は風気味だったが蒸し風呂に入ったら治った感じがした。翌日は市内観光で、元安東神社の錦江山公園、虎山長城、一歩跨、鴨緑江断橋を観光後鴨緑江遊覧。その後鴨緑江上流に向かいもう1つの断橋をみて戦前日本が造った豊水ダム、現在も現役、付近をボートで遊覧した。夕食は北鮮からの出稼ぎ娘の歌舞がある朝鮮食だった。私は食後馴染みの中国人と日本人の夫婦がやって何時日本食堂に安東会会長等を誘って行った。鳳凰山と五龍背温泉、豊水ダムは初めてだった。 丹東 北鮮娘の歌舞 瀋陽 東陵(清朝初代皇帝ヌルハチの陵墓) 4、5日目 瀋陽に向かう途中大スケールの本渓地下水道(本渓水洞)で遊んだ。私はここでセーターを落としたのだが何とわざわざ探して届けてくれた中国人が居たので吃驚した。お礼を言う間もなく彼は姿を消していた。午後は瀋陽観光は先に行った所ばかりだったが東陵、北稜、張氏水府を巡り瀋陽一の繁華街の中街の老辺餃子館で8ッ種だかの具や調理法が異なる餃子を満喫した。なおこの旅行は往復とも成田空港で前後泊したので長旅だった。
2017/07/20
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11.2006.4. 今年は岡山市・洛陽市友好都市締結20周年であり、岡山市民団80名が高谷市長も参加した。恒例の牡丹祭りの開幕式も盛大に行われ牡丹園で満開の牡丹を鑑賞した。今回も小浪底ダム南岸の植林して洛陽周辺の観光度上海では上海に4つしかない仏教寺の一つである玉仏寺を参観した。 洛陽牡丹園で見つけた珍妙な名前の牡丹 12.2006.6. 長春会旅行に初参加した。長春は終戦時住んで居た街で先年行った生地丹東と共に中国の懐かしき街である。終戦直後北満から逃避して来た数万人の日本人が飢えと寒さで此処新京(現長春)で亡くなり遺棄同様に葬られたと云う長春公園に行き一行にいた僧侶の読経で回向した後市内を観光して遠く葫蘆島まで南下した。葫蘆島は105万人もの日本人が引き揚げ船に乗船した港である。港外には引揚記念碑があったが後方の埠頭は長年の波浪によってほとんど残骸となっていた。長春と葫蘆島両市では市政府による我々訪問団の歓迎会があった。 この記念碑は誰に寄ってた建てられたかは知らない。後は臨時埠頭の残骸13.2006.7. この旅行は私の高校の同級生の森本君に依頼で付き合った大連、旅順観光である。彼は終後引き揚げるまで大連北方の普蘭店で父親が警察官だったために身を細めて暮らして居たのでいやな思いしかなくこれまで行ってみようとはしなかったが私の勧めでやっと行こうと決心した。彼の奥さんの希望で普蘭店に行かず旅順観光をしたのは少し残念だったろう。 大連の満族料理店で食事をした後の森本夫妻14.2006.8. 2度目の何暁麗との個人旅行 今回は彼女のが広島空港で再入国カードを忘れた為一緒に行けず当時殆ど日本語が喋れなかった弟の姜大偉と2人で瀋陽観光をしてから丹東で彼女と合流した。今回も彼女の生家を訪れ彼女の両親と再会した。 丹東駅前 暁麗、大偉姉弟と 後ろは毛沢東像 15.2006.10. 岡山県が建立した西安の吉備真備記念碑20周年祭に石井岡山知事と参加した。西安からゴビ砂漠まで足を延ばし世界遺産の莫高窟や鳴沙山等を観光し始めてラクダに乗った。この後私は敦煌で盲腸炎を発症し西安、上海で手当てをしながら一行より一足先に帰岡して辛うじて手術に間に合った。 西安政府の手で綺麗に花で飾られた吉備真備記念碑
2017/07/18
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6.2004.6. 高校同期の松本君の要請で2人で北京観光に行った。主目的の「八達嶺長城」ほか「天壇公園」=明清朝の皇帝が豊穣を祈ったところ、「北京故宮と天安門広場」、「頤和園」、「定陵」=明の13陵の一つ、「王府井」=北京一番の繁華街に行って京劇を観劇した。期待の北京ダッズはあまり美味ではなかった。一番美味の皮が少なく付け汁も口にあわなかった。 当時は2人共未だ元気で女坂の最も高い眺望まで登った7.2004.10. 岡山市日中友好協会催行旅行 洛陽、鄭州、開封、上海観光。洛陽では黄河北方の「小浪底ダム」で地元の女子中学生と植林をした。上海で私は一時一行と離れた出向中の不二の元部下2人と食事をしたのだが当時私は中国語がほとんどしゃべれず英語のしゃべれそうな小姐やビルの守衛との筆談で待ち合わせ場所の和平飯店を聞きつつ夕闇迫る上海の街を独り浦東への道を歩いた時は心細かった。 一緒に植林をした地元の女子中学で記念念撮影。随伴の先生にこの写真を送ったがなしのつぶてだった。8.2005.2. この旅行は引き揚げて以来初めて生地丹東訪問を、丹東からの留学生何暁麗の帰省について行ったものである。当初極寒の2月に行くのは些か腰が引けたが折角の機会なので思い切った。其れと当時やっとPCを習いインターネットで丹東からのつくば大学の留学生と知り合い彼女の元公安の父親に安東時代の住所から現在地を特定して貰っていたので行決心をした。なおこの旅行で私は初めて中国人の家(暁麗の生家と彼女の大学の先生の実家)に泊めてもらったり、一人で汽車やバスに乗る経験をした。そして日本語が殆どしゃべれない大学の先生の甥の案内で旅順を観光した。このように私は何人もの親切な中国人のおかげでこの旅行が出来た。 我が出生地と思しき当たり 9.2005.9. 岡山の旅行社のアジアコミュニケーション催行の四川省観光旅行。チベット族の居住地にある世界自然遺産の「九塞溝・黄龍」、成都の「杜甫草堂」、「武候詞」=蜀の劉備主従の詞 、三推碓博物館」=主として殷代の青銅器発掘品を展示、帰路は北京経由で帰国。 黄龍地区の仙女池 石灰の堆積により出来た池の水の色が実に美しい10. 2005.10. 洛陽の仏教古刹「白馬寺」の印楽方丈 昇座=昇進の祝典参列と「天子駕六博物館」=周代の車馬陪葬坑、参観、ここ数年毎年行っている黄河「小浪底ダム」南岸の植林2度目「龍門石窟」を観光。帰路の上海では宋美齢墓地公園内の岡山所縁の日中友好の先駆者内山完造先生のお墓に参った。 初めて買っ唐装=中国民族服を着た私
2017/07/17
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岡山市ペタンク協会T.Tこの大会はダブルスでパートナーを当日参加した全員で籤により決めるユニークな大会である。今日は練習仲間から誘われて久しぶりにいって来た。炎天下だったらとてもじゃないが行く気はしなかったが幸い会場が屋根のあるオープン型のドームドーだったので何とか全6試合を無事終ませた。 丁度昼休みの会場
2017/07/16
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1991年4月より2004年4月1.現役時代プライベート香港旅行 勤続30年の報奨金で親しかった上司、同僚と初めて香港、澳門 を旅行をした。マカオのカジノで私だけがスロットで1000円で1時間モッタ。 香港の「ネイザンロード」にて2.1996年4月 現役最後の出張で担当課長を連れて台湾に行った。台北の代理店が国際食品工業展に出品するにあたって協賛を求めて来たのに応じたもの。1週間のうち1日だけブースを課長に任せて台北一日観光をさせて貰った。しかしさすが台湾、仕事面ではほとんど日本語がとおった。 台北故宮 中国語の説明が殆ど聞き取れなかった 3.2002年2月 高校同期連と初めて新中国(上海~紹興)に行った。まず空港から外に出て高層ビルが林立しているのにびっくり。杭州への高速道路が出来ていおり沿線の農家が大きくて立派なのにまたまた吃驚。私は中国(満州)生まれだが当時の状況とのあまりに違いに何もかも驚きだったがトイレだけが旧態依然の「ニイハオトイレ」=界も扉もない解放トイレだった。 杭州の「西湖」の美しさが印象に残った。 我々が乗ったのはもっと大きな遊覧船だった 4.2003年9月初めて岡山日中友好協会催行の洛陽訪問に参加した。友好都市の洛陽政府より市長以下の熱れる歓迎の晩餐会に吃驚。黄河の小浪底ダムの日中友好林で植林、中国第1の仏教の古刹「白馬寺」参拝 、世界遺産「龍門石窟」等々初めての経験だった。帰路青島、泰山山麓孔子生地の曲府、上海に行った。曲府では初めて「さそり」の唐揚げを食べた。無論毒は抜いてる。 数千体の仏像なのかで最大の則天武后を模したと云う「廬舎那仏」の表情にに感動した 小さな仏像の多くは過去の宗教戦争文化凱大革命で破壊されているのが痛ましかった5.2004年 4月 杭州~紹興~西安~洛陽 杭州、紹興は2度目だが西安は初めて行った。世界遺産の「兵馬踊抗」、岡山県が造った「吉備真備像」、「空海記念堂」等を歴訪した。 兵馬の顔が全部違っている。他民族も支配し秦の隆盛の証拠。尚たこのころは写真撮影はOKだったが現在は不可になっている。
2017/07/15
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アクセス数の急増結局昨日のアクセス数は1252で今日も1200を超えている。以前のように如何な人がアクセスしたか分かればよいのだが。この勢いが継続するよう明日からシリーズとして「私の中国旅行」と称して年月日順に行先と写真を軽視します。整理に結構時間がかかりました。乞う ご期待。
2017/07/15
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突然アクセス数が1000を超えた過去500すらなかったマイブログへのアクセス数が今日何と1000を越した。全くその理由が分からないが・・・ブログの更新も以前のような高率ではないのに突然な現象に吃驚した。これに励まされて出来るだけ更新をするよう頑張るか!
2017/07/14
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中国、大連~丹東の道路とトイレの変遷 2003年初めて我が生地丹東を訪れた時は唯一の交通手段は一応高速バスと称するおんぼろバスで高速道路は道半ばの庄河までだった。トイレ休憩では道端にポツンとレンガ囲いがあるもの仕切りも扉もないあの悪名高き「ニイハオトイレ」だった。男子用は溝があるだけで女性用はアナがあるだけだった。2月の極寒期だったので氷ついていたので悪臭は無かったものの滑るので難儀だった。屋根も無かった。 大連~丹東間の所要時間は4時間半だった。 同じものでは無いが概ねこのようなものだった 2010年 何回目かに丹東に行った時は既に丹東まで高速道路が開通していて庄河のSAは超市(ミニスーパー)が併設さされた小綺麗な庄河服務区となっていて、トイレは一気に水洗になっていた。女性用ももちろん扉のある個室になっていた。 所要時間は1時間短縮した。 女性用ももちろん扉のある個室になっている。 2017年 高鐵(新幹線)が開通していて所要時間は一気に2時間半に短縮れた。ただ高鐵の発着が大部分新設の大連北駅からなので市内からは少々不便だった。
2017/07/12
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炎天下のゴルフ天気予報では曇りだったのに、お陽さん確り照って暑いのなんの。どうしても打ち急ぎするのかナイスショットの後は必ずチョロ。頼みのパットも入らず。堪らずOUTの8,9ホールはカーtに乗ったまま。食事を摂って元気が少し戻ったIN出しは先ずだったがやっぱりダメ。トリプルが出だすと足らない。仲間の一人も一時プレー中断 。と云うのが本日のゴルフだった。まあ、無事帰宅出来てやれやれ。
2017/07/11
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18歳と81歳の違い先日東京で高校同期の一人からこんなものを貰ったので紹介する。なるほどとうなずかれる点もあれば、いやいや我はそんなことはないと安心?する方もあろう。 そう判断できる人は当面大丈夫?
2017/07/10
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7日(東京2日目)上野の安ホテルで十分睡眠をとり朝食は摂らず高校同期会東京支部の暑気払いの昼食会がある丸の内へ向かった。私は初めて参加したが集まった30名弱の旧友との話が弾みあっという間に所定の時間が来た。高校同窓会のHPに載せる写真を撮ってそれぞれ思い思いに別れて2次会?にむかった。...私も次の予定まで時間があったので7,8と共にステーションホテルでお茶をした。やがて予定時間が近ずいたのでお開きにして私は有楽町へ向かった。これからよみうりホールで帰化中国人の二胡のコンサートを聴くのが今回の主目的の1つでした。奏者の楊興新は皇居に上がり天皇に二胡をお聴かせしたことのある名人で私は彼とは娘でやはり二胡奏者である楊雪のファンクラブの理事を務めているので顔見知りです。丹東同郷の縁です。この日も友情出演した加藤登紀子さんとも1度楊先生の還暦祝賀会でお会いして3ショットの写真を撮って貰いました。彼女も哈爾濱生まれで私と同じ引揚者です。コンサートは満員の大盛況でした。残念でしたが今日は帰岡の時間の都合で途中で退席したため彼らとは会うことが出来ませんでした。 事後のお茶 楊興新コンサート
2017/07/09
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忘れ物が見つかり食事を奢ってもらった6日高校同期と2人で東京へ行ったのだが新幹線の車中で携帯の充電をしたところ見事に忘れて下車した。彼が行くというので私も付き合って新宿の末廣亭で落語を聞いていたがふと携帯が無いのに気が付いた。そこで新幹線に忘れて下車したことを思い出しすぐさま彼にその旨を言い東京駅の忘れ物センターへ急いだ。幸いなことにすぐに見つかり無事戻ってホッ!落語は中入り後のいい所を聞きそびれたが携帯が戻ってめでたしめでたし。夕食を元留学生と約束をしていたのでちょっと早かったが上野へ向かった。所が待てども彼女が現れない。暫くすると携帯が鳴ったので出ると何と彼女は所定の場所を間違えて上野駅の中央改札口ではなく昨年お茶を飲んだ喫茶店の前で待っていたのだ。実は昨年も上野駅中央改札口で落ち合った後おを飲んだので彼女は勘違いしたらしい。兎も角落ち合い彼女の知っている中華料理店で食事をした。従業員はすべて中国人で注文を取りに来たのは太めの愛想の悪い女性だった。聞くと哈爾濱人だった。哈爾濱は美人の多い街だが彼女はそうではなかった。何事にも例外はあるものだ。附近には中国人の経営する食堂がたくさんありそれぞれ結構お客が入っているようだ。 私は何時もの如く支払いをするつもりでいたが彼女が今日は私に奢らせてくれと云って聞かないのでご馳走になった。彼女は同じ大学の中国人留学生と結婚して一旦帰国したが再び来日してこちらで共稼ぎをしながら一子を儲けてけている。どのくらい収入があるかと立ち入ったことを聞いてみたら合わせると40万以上あるので今は楽だが子供が幼稚園に行くようになると楽じゃあなくなるので今旦那の仕事先を探していると云っていた。 今夜のホテルは此の近くなのでホテルまで送って貰ってバイバイした。
2017/07/08
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留学生の就職事情先日の土曜日はうっかり行くのを忘れため今日はぜひやりたかったのだが梅雨空の台風襲来で朝から雨でペタンクはお休みだった。此のため一日中PCの前に座っていることになり目と腰にはよくないのだが何時もこうなってしまう。所で私は6,7日は高校同期東京支部会に参加するためと私がファンクラブの理事を勤めている二胡奏者の楊雪の父親の二胡の演奏会を聴くため東京に行くのでついでに暫く会っていない丹東同郷の藩園と食事をすることにした。もう一人の丹同郷の何暁麗は残念だが子供を連れて帰省しているので会えなかった。3歳になる娘に中国語を習得させるための帰省なので暫くは戻ってこない。 日本に滞在している中国人は皆同じように子供の語学習得(中国語)には苦労している。 実は藩園も今同じ目的で2歳半の娘を丹東の爺婆に預けている。二人は卒業後日本で就職し中国人と結婚して一応安泰な生活をしている。 さて中国は一応経済発展で繁栄していることになってはいるが折角留学しても帰国しないで日本に滞在している留学生が多いのは帰国してもそれに見合う就職先がなかなか見つからないためだという事のようだ。勿論帰国して幸運にも故郷で日系企業に就職して結婚し子供を産んでる留学生も私は大勢知ってはいるが。北京には北京大学のような一流大学をを卒業しても就職できない就職浪人が非常に多いと聞く。高望みのせいもあろうが。
2017/07/04
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京山公民館ハーモニカ教室今日はた新しい中国人の生徒が来た。聞くと15年前に岡大に留学して以来そのまま同郷ではないが中国人と結婚して子供と共に岡山に住んで居る由。ハーモニカは全く吹いた経験が無いが教えてくれるならやってみたいというので次回ハーモニカを買って貰い個人ッスンをしてあげると約束した。これで私が教える初心者の生徒は4人目であるが中国人は初めてだ。15年居るのでに日本語は全く問題ないが私としては中国語の練習になるので次回のレッスンが楽しみである。
2017/07/03
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留学生の日本語による弁論大会今日は岡山ハーモニカクラブの定例練習日だったが敢て休んで聴きに行く積りだったのだが。定刻は午後1時だったがすっかり忘れていて家内に云われたのはすでに3時半を過ぎていた。それでもと車を飛ばして行ってみたが。すでに表彰式も終わって記念撮影の最中だった。顔見知りの中国人達もおらずすごすごと退散した。やれやれ。
2017/07/02
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