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《内閣法制局は,「政教分離原則とは,国などの宗教への介入・関与を排除する趣旨であり,宗教団体が政治活動をすることを排除する趣旨ではない」との解釈を示しているが,適切でない。
歴史に鑑みれば,政教分離は,特定の宗教団体の国家内地位を信教の自由の名において絶対化することを避け,これを相対化する制度としてでてきたことがわかる。それが,政教分離にいう制度保障の意である》(阪本昌成『憲法2 基本権クラシック』(有信堂)、 pp. 128-129 )
これは西洋の歴史であって、日本の歴史ではない。西洋とは事情の異なる日本に、<政教分離>が必要な理由が私には分からない。
《通常,政教分離とは,「政」治と宗「教」との分離を意味すると理解されている。この理解のために,“政治と宗教との完全な分離は不可能である”とする相対的分離説が説得力をもつかのようにみえるのである。
政教分離原則を政治と宗教との分離であると捉えると,目的効果論をめぐる論議にみられるように,焦点定まらぬ判断方法に依拠せざるをえなくなってしまう。
政教分離とは,政治一般と宗教一般との分離をいうのではない。それは,その歴史的展開からもわかるように,国家と宗教団体または宗派との分離をいう。政教分離は,単なる原理原則ではなく,制度保障である以上,客観的に実在する組織体の憲法上の地位を論ずるものでなければならない。
この視点は…〈政教分離原則における宗教概念は客観的に捕捉されるべきだ〉ということを考えれば容易に了解できるだろう》(同、 p. 129 )
この阪本氏の指摘はもっともである。が、このもっともなことが多くの憲法学者に理解されていないのは残念だ。
《「宗教集団」とは,教義を明確なものに体系化し,その教義の示す信仰を広めるために,任意に創設された機能集団をいう。
宗教団体は,教義教典を通して,「宗教的儀式=儀礼= rite 」,「修行」等の宗教的行為の定型的行為様式・手続を成員に伝達するのが通例である》(同)
これももっともな指摘なのであるが、このように考えれば、戦前の神社神道は教義がないのであるから「宗教集団」ではないことになる。詰まり、神社神道国教説など難癖もよいところなのである。
《私たちが,ある行為を「宗教的儀式」であると認めるか否かは,当該行為の実施者,所作手続,崇拝対象,教典等,外部から観察可能な素材によって解読される。ここに ceremony との違いがある。なぜなら,「宗教的儀式」は定型的な宗教活動であって,外部から観察して,日常の活動と区別可能なものだからだ》(同、 pp. 129-130 )
が、ceremony を Longman Dictionary of Contemporary English で引くと、
an important social or religious event, when a traditional set of actions is performed in a formal way
(伝統的な一連の動作が形式的に行われる重要な社会的・宗教的行事)
とあり、「宗教的儀式」と ceremony を綺麗に区分けすることは出来ない。そもそも日本には<政教分離>など不要なのであろうから、峻別する必要もない。
《政教分離原則は,国家が宗教に対して中立であるよう求めるものでもなければ,宗教に対して配慮しないよう求めるものでもない。それは,強制の機構である国家と,社会的権力である宗教団体とが癒着しないよう求めるのである》(同、 p. 130 )
が、多神教の国日本において、宗教が権力化することは、これまでもなかったし、そしてこれからも考え難いことだろうから、やはり<政教分離>など不要だ、というのが私の取り敢えずの結論である。【了】
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