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現行条文に変更を加えようとするものも無くはない。
西修【平成憲法草案】
第31条 国は、すべての国民が相当程度の生活水準を維持することができるように、生活保護および社会福祉その他の生活部面の向上と推進に努めなければならない。
(西修『よくわかる平成憲法講座』(TBSブリタニカ)、 p. 241 )
私には現行第25条の条文<すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する>をこのように書き替える意味が分からない。要は、言葉遣いの違いだけであって、方向性は同じである。私が問題にしているのは、設計主義的な手法であって言葉遣いではない。さらに言えば、ただ人間であるというだけで権利がある、詰まり、生まれながらにして誰にでも<人権>があるなどという考え方が間違っていると思うだけである。
西部邁【憲法改正案】
第25条 日本政府はすべての日本市民および日本に長期に滞在する外国人にたいし健康的で文化的な生活にかんする最低水準を保障するよう最大限の努力をしなければならない。
(西部邁『わが憲法改正案』(ビジネス社)、 p. 252 )
この改正案には、私は反対である。どうして日本政府が長期滞在外国人に生活保障をしなければならないのかが分からない。
《大概の市民は「健康で文化的な生活」を欲望するであろう。しかし欲望は権利ではない。どだい、生活上の最低保障をすべての市民に保障したくとも、経済事情が悪ければ、それをなすこと能(あた)わずである。この条文をいわゆる「生存権」の基礎とみなして福祉主義のイデオロギーを高揚させようとするのは現代の奇観というべきである》(同、 p. 181 )
が、現行第25条は、福祉主義が勝ち取った条文というのが通説だろう。
《もし「生存権」の見地を認めるのなら、それは国際社会にも適用されるはずで、そうなると、たぶん何億人の飢えた人間が何者かによって生存権を奪われていることになる。だが、生存権とやらを世論レベルで公認しているといってよい日本市民は他国人のそれには無関心だ。要するに、自分は安穏に暮らしたいという欲望の代名詞が生存権だといわれているものとみるしかないのである》(同、 pp. 181-182 )
<生存権>が「普遍的な人間としての権利」<人権>だと言うのなら、他国の<生存権>にも配慮すべきである。が、日本人は日本人と在日外国人の<生存権>のみを云々する。だとすれば、第25条の<生存権>は<人権>に基づくのではなく、「日本に住まう人だけの権利」、謂わば「日本権」に基づくものだということになる。
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