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《日清戦争が朝鮮の独立をめぐる戦いだったことは、両国の宣戦布告を見るとよくわかる。日本は宣戦布告のなかで「日本が朝鮮を啓蒙(けいもう)し、他の国と一緒になって独立国にしたが、清国は朝鮮を属邦といって、陰に陽に内政干渉をやっている」として、「朝鮮独立のために戦う」といっている。
一方、清国の宣戦布告では「朝鮮が清国の属国であることは200年以上に及び、毎年貢ぎ物を贈ってきていることは世界中が知っている」と書いてある。さらにいえば、日清戦争の講和条約の1番目に「清国は朝鮮を独立国であると認める」という条項が挙がっている。
日清戦争が「朝鮮が独立国であるかどうか」を争った戦争であることは異論の余地がない》(渡部昇一『日本とシナ 1500年の真実』(PHP)、pp. 84f)
朝鮮が独立すれば、ロシアの南下を和らげることが出来るのではないかという算段が日本側にはあった。が、実際は、
《其目的たりし朝鮮の独立は之(=日清戦争)がために強められずして却(かえっ)て弱められ、支那分割の端緒は開かれ、日本国民の分担は非常に増加され、其道徳は非常に堕落し、東洋全体を危殆(きたい)の地位にまで持ち来つたではない平(か)》(内村鑑三「戦争廃止論」:『内村鑑三全集11』(岩波書店)、 pp. 296f )
と内村は慨嘆する。朝鮮独立はむしろ遠退(とおの)き、日本国民の負担は激増し、道徳は退廃し、東洋全体が危殆に瀕(ひん)することとなった。つまり、何も良い事がなかったではないかと言うのだ。このように日清戦争を見て取った内村は、考えを一新する。
《此大害毒大損耗(そんこう)を目前に視ながら尚(な)ほも開戦論を主張するが如きは正気の沙汰とは迚(とて)も思はれない》(同、 p. 297 )
と、開戦論に猛反対する。
《余も一時は世に「義戦」なる者があると思った、然(しか)し今は斯(か)かる迷信を全く余の心より排除し去た、「義戦!」何故「義罪」と曰(い)はない乎(か)、若(も)し世に義(ただ)しき罪があるならば義しき戦争もあるであらう、然し正義の罪悪の無い間は(爾(そ)うして斯かるものゝありやう筈(はず)はない)正義の戦争のありやう筈はない、余は今に至て曾(かつ)て「日清戦争の義しなるものを拙(つたな)き英文に綴(つづ)って我国の義を世界に向つて訴へしを深く心に恥る者である》(内村鑑三「近時雑感」△『義戦』の迷信:同、 pp. 424f )
もともと宗教心の篤(あつ)い内村が、憑(つ)き物が取れたかのように「非戦論者」へと「転向」するのは何らおかしなことではない。
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