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日清戦争の狂気よりさめた内村鑑三は「戦争の使徒」の役割を自ら放棄したが、彼の非戦論も日露開戦を阻止することはできなかった。のみならず、彼にかわる戦争イデオローグとして、陸羯南(くが・かつなん)、岡倉天心をはじめとする多くの「日本主義者」が登場して、10年前の鑑三と全く同じことを叫びはじめたことに歴史家は注目すべきである。
内村鑑三は壇(だん)をくだったが、戦争は終っていなかった。「東亜百年戦争」はつづいていた。日清戦争もまた未完の「百年戦争」の一環にすぎなかったことを羯南も天心も予感したのであるが、その予感の何よりの実証は「三国干渉」であった。(林房雄『大東亜戦争肯定論』(番町書房)、 p. 191 )
日本は清との戦いに勝利し、賠償金と領土を得た。が、ロシアは、日本が大陸に進出してくるのを由(よし)とはしなかった。
《伊藤〔博文〕及び陸奧〔宗光〕は若干强固の干涉し來(きた)るべきを察せざるに非(あら)ざりしも、斯(か)かる經驗(けいけん)なく、如何(いか)に之を防ぐべきかを考へず、干涉あらば何等(なんら)か通常の處置(しょち)あるべしとせるのみ、在外使臣(ししん)も頻(しき)りに注意しつゝ、豫(あらかじ)め、干涉を知り得ざりしは、列國にて日淸戰役(せんえき)の經過を判斷するに苦み、當初(とうしょ)日本の敗るべきを考へ、後に連戰連勝するを見、豫想外(よそうがい)の結果を慮(おもんぱか)らざるを得ず》(三宅雪嶺『同時代史 第 3 巻』(岩波書店)、 p. 61 )
日本が日清戦争で圧勝すること自体が想定外なのであり、ましてや列強がどのように干渉してくるかなど想像も付かず、ごく在り来たりの応対しかやりようがなかった。
《日本が遼東(りょうとう)半島を割取(かっしゅ)するなど、曩(さき)に全く考へず、愈〻(いよいよ)之を割取するを知り、急に事を擧(あ)げんとす。露國の南下は傳統(でんとう)的の政策にして、日本が遼東を占むるが如き、豫め露と交涉を要する所、露は日本の遼東に據(よ)るを以て自國を脅(おびや)かすとし、異議を挾むの避くべきに非ず》(同)
遼東半島を譲り受けるなど努々(ゆめゆめ)思ってもいなかったため、下準備が出来ていなかった。ロシアは、ずっと極東を手に入れる機会を虎視眈々(こしたんたん)と窺(うかが)っていたのだから、独り日本と清国だけで極東の勢力図を書き換えることを黙って見過ごすはずがなかった。
ロシアの南下を防ぐためには、日本が大陸へと勢力を拡大するしかない。が、日本が大陸に進出すれば、ロシアとの角逐(かくちく)は避けられない。日本にはそこまでの覚悟はなかった。だから、日清戦争の目的を、朝鮮の独立としたのである。
※角逐:勢力や権勢を得るために、互いに争うこと。
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