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《おそらくこのような国民的史観にたいする日本人の漠然たる渇望は、ひろく眼にみえぬところに潜在し、それが次第に増大しつつあるように思われる。「大東亜戦争史観」さえ、まったく亡びたわけではないのである。しかし、われわれの立場が史観を必要とするのは、大日本帝国にたいする郷愁からでは微塵もない。
――この核時代を安全な方向へ前進させる、という大きな役割を果たすことができるために、日本国民はまず民族としての正当な自信を、取りもどさなければならない。その自信と結びつくこともなしに、世界平和実現への使命感が、民族主義的な規模において生まれるなどとは考えられることではない。核時代を生きぬくために必要とする知的・精神的装備はもちろん単純ではありえないが、しかしその一要素として国民的な戦争史観を欠くことができないというのである》(大熊信行「占領政策と戦後日本」:『戦後の思想と社会』(神奈川大学)、p. 6)
歴史は、史実の解釈である。だから様々な解釈が存在するのは当然だ。が、
《残念ながら日本では占領軍の検閲によって自由な言論が封じられていて、1951年のサンフランシスコ条約によって自由を回復した後もなかなか自己検閲のくせが治らず、歴史の解釈権を奪われたままで、それが改まっていない》(入江隆則『敗者の戦後』(徳間文庫教養シリーズ)、 pp. 367f )
戦後日本は、未だにGHQが敷いた軌道通りに進み続けている。その1つが日本国憲法であり、もう1つが、戦勝国が日本に押し付けた「東京裁判史観」である。大東亜・太平洋戦争は、過程として「自存自衛」という側面があり、結果として「亜細亜解放」という側面もあった。とても日本の「侵略」の一言で片付けられるものではないし、片付けてよいものではない。歴史の解釈権を自分たちの手に取り戻し、「国史」を編み直さねばならない。
《大東亜戦争は昭和16年12月8日にはじまったのではなく、弘化2年にはじまり、昭和20年8月15日をもっておわった…アメリカ海将ペルリの日本訪問が嘉永6年(1852年)。明治元年からさかのぼれば、その15年前である。しかし、オランダとポルトガル以外の外国艦船が、日本近海に出没した時期は、それよりさかのぼって弘化年間にいたる。
『国史大年表』に、「弘化2年5月27日、米国使節ビットル、軍艦2隻をひきい浦賀に入港して通商を求む」とある。「東亜百年戦争」をこの年に起算するのは、宣戦布告は必ずしも戦争開始の条件ではないとする見解にもとづく。「西方東漸」の至りつくしたところが、ほかならぬ日本列島であり、これにたいする思想的反撃は、幕臣たると陪臣たるとを問わず、すべての「考える日本人」の胸中に生まれていた。ここに大東亜戦争の発端がある》(大熊、同、 pp. 6f )
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