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小説家・山岡荘八が、明治当初の「和魂洋才」の精神が、日清・日露の両役(りょうえき)に勝利した後、「洋魂洋才」となっておかしくなったと言うのは、「司馬史観」そのままだ。
「日清・日露の両役は『和魂』による黒船以来の防衛国家が果した防衛であって、決していわゆる侵略ではない。侵略はその後の日本人が、『洋魂洋才―』になってから、粗雑な見よう見まねで起った。
その意味ではペルリは日本人に侵略を教えてくれた大恩人である。和魂第一で生き通した松陰は、そのペルリに顕彰碑をおくっている日本人を、褒(ほ)めるであろうか、あわれむであろうか。」(山岡荘八「吉田松陰――幕末・維新の人々⑬」、東京新聞昭和39年5月15日付夕刊:林房雄『大東亜戦争肯定論』(番町書房)、 p. 256
)
(注)1次資料が手に入らなかったので、林の著作から孫引きした。
別の著作でも山岡は「洋魂洋才」を問題視している。
《明治維新の際に賊名をこうむって苦しんだ人々の間で育てられた彼〔山本五十六〕の脳裏には、明治の精神の根本をなす「和魂洋才」の思想は抜きとりがたいものとして根をおろしていた》 (山岡荘八『小説太平洋戦争(1)』(山岡荘八歴史文庫 )、 p. 279 )
《そもそも日本がヨーロッパ文明を摂取し消化しようとして血のにじむような努力に入った根本原因は何であったろうか……?
それは黒船の渡航以来、米・英・露・仏の進攻にあって、彼らの目ざす日本列島の分割支配からどうして独立を保持するかにかかっていたのだ。
そのためには、まず彼らの文明を摂取してこれに侵されることのない実力を持つことが先決問題だった。そこで国策としては当然「富国強兵――」がかかげられ、国民の精神面を支える心得としては「和魂洋才――」が万人の間に濠透していったのである。
それからすでに70余年、日本人の頭脳はすっかり洋化して「洋魂洋才――」に変化したが、ヨーロッパの分割支配の思想には何の変化も見られない。
そこで彼は「賊は一名ではありません」と、さりげなくその事を指摘したのだ。機会と隙を与えたら、米も英も露も仏も、幕末と同じ思想で、日本列島にうかがい寄る。政治家にその根本の意味を忘れられて、方々の門をあけ放されたのでは番犬は守りようがない。地理的な自然の条件を考えて防衛策を立てているのだから、これ以上に、さまざまな出入り口は作って貰いたくない、次官になってそれをよく頼むつもりだと云っている。したがって、根本条件の変っていないのに、改めて独・伊に向かって門戸をひらく必要がどこにあるのか、という反対だったのだ。
仮りに独・伊が米・英を倒して日本近海に無理な要求をかかげて押し寄せて来たとしたら、儼然(げんぜん)としてこれに対応すればよい。米・英両国の大海軍と決戦して残った独・伊の海軍力くらいならば、いつでもお相手できるではないか……というのが彼の肚(はら)であった。
したがって、洋魂洋才の親米英派と彼の考え方は、同じ反対ながらその発想の根拠が全く違っていた。前者の中には何ほどかの媚態(びたい)とすがりが含まれているのだが、山本五十六のそれにはどこまでも明治の「和魂――」の筋が一本通っていた》(山岡荘八『小説太平洋戦争(1)』(山岡荘八歴史文庫 92 )、 pp. 279f )
日清・日露までは和魂があったからよかった。が、その後、和魂が失われ「洋魂洋才」となったのが運の尽きだったと山岡は言っているのである。
が、問題は「洋才」にこそあるのであって、明治以降、欧米に追い付け追い越せと「洋才」を採用した以上、欧米と衝突することはむしろ必然であったと言うべきではないのだろうか。【了】
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